( 236491 )  2024/12/20 17:54:06  
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写真はイメージです Photo:PIXTA 

 

● 銀行員総出で取り組む 年末に向けた「カレンダー巻き」 

 

 年の瀬が近づくと、銀行は来店客が増える。3月の年度末と12月の年末は世の中的にお金が動く季節ゆえ、銀行の窓口も法人個人を問わず、来店客で混み合う。この時期の風物詩でもある、年末にかけて配布するカレンダーの準備が始まると、いよいよだなと感じるものだ。 

 

 「年末に配布するカレンダーが本部から届いてます。今年は2000枚です。お忙しいとは思いますが、ひとりあたり30本巻いて下さい。12月2日より配布を開始しますので、遅くとも11月25日には巻き終えるよう、ご協力お願いします」 

 

 11月中旬の朝礼。取引先課で外回りを担当する若手が告知する。カレンダー巻きとは、鮮やかに彩られた化粧紙のカレンダーを、持ち運びやすいように、筒状のビニール袋に突っ込む単純作業のことである。カレンダーはA1サイズ。新聞紙の見開きほどもある大きなものだ。営業車を使える者はいいのだが、徒歩の場合は15巻きほどを紙袋に入れて持ち運ぶ。 

 

 年の瀬になると、総出で取り掛かる。今時、こんな手作業をなぜ現場にやらせるのか甚だ疑問に感じるが、おそらく外注に出すよりもコストが安いからに違いない。 

 

 カレンダーを何本巻いたのか、証明する手段はない。そうなると大方の場合、巻いていない者が「巻いた」と主張し始める。管理表には全員ノルマを終えたと記されているのだが、結果として巻いてない何十枚ものカレンダーが残る始末だ。 

 

 銀行員という人種は、どこまでも信用できない人間の集まりだとつくづく感じる。そして、正直でお人よしな者が、うそをついた者の尻拭いをする。 

 

 カレンダー巻きの習慣は、統合してM銀行になる前の、旧行の頃からあった。私が法人の取引先課に在籍していた頃は、訪れた先の社長室や経理室にどの銀行のカレンダーが飾られているかで、その企業のメインバンクを把握していた。その企業を支える重要な銀行からの贈り物を、粗末にはしなかったからだ。 

 

 余談だが、M銀行の前身であるF銀行は、ある画家が描いた「赤富士」の絵のレプリカを、また、MS銀行の前身となるS銀行は「銅滴(どうてき)」と呼ばれる銅の塊でできた置物を、大きな取引先に贈呈していた。Sグループは鉱山会社を有しており、銅を精製する際に落ちる滴が固まってできる「銅滴」を珍重していた。「赤富士」も「銅滴」も、いずれも縁起物として進呈したものだった。 

 

 

 「おい、目黒!カレンダーは配り終えたのか?カレンダーひとつで取引解消にされることだってあるんだぞ。仕事をなめんなよ」 

 

 若い頃、外回りの取引先課課長に口を酸っぱくして怒られたことがある。取引先にしてみたら、保険会社や不動産会社などがいくらでもカレンダーを持参するので、それほど欲しいとは思わないはずだ。しかし、年末の挨拶に訪れたか怠ったかは、カレンダーの有無で分かってしまう。 

 

 一見、カレンダー配りは簡単そうに見えるだろうが、なかなか面倒くさいものである。ただ経理窓口に置いて帰るわけにもいかず、訪問すれば「こんにちは、さようなら」の数分程度で終わるわけがない。担当者ひとりで100社以上も担当しているので、12月は本当に憂鬱だった。 

 

 訪問先で会長や社長などのトップに会い、今年1年を振り返る。現在セールスしている内容を再確認し、来年もよろしくといった流れでコミュニケーションをとることが「年末挨拶」の目的である。カレンダーを持参することで対面する口実ができるのだ。 

 

● 「クビだ!すぐに辞めちまえ!」 パワハラ支店長が激怒したカレンダー騒動 

 

 このような中、かつて私の先輩がとんでもないことをやらかした。今から25年ほど前、私が初めて地方支店に赴任したF銀行宮崎中央支店で取引先担当だった時のことである。 

 

 当時、堂本支店長による毎日のパワハラに、取引先担当の全員がメンタルを病んでいた。私も彼によって、銀行員としての人生を破壊されてしまった。その様子は拙著『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』に綴ってあり、さまざまな反響を生んだ。 

 

 「お前ら、カレンダーも配れないのか、年が明けちまうぞ!」 

 

 「カレンダー、全然減ってないじゃないか?やる気あんのかよ!ボケナスどもが!」 

 

 「成績も上がらん、カレンダーすら配れん、一体何ができるんだ?」 

 

 檄ではなく罵声そのものだった。12月もあと半分、折り返しに差し掛かったある日、カレンダーが急に減っていることに気づいた。変だなと感じたのは私のひとつ下の後輩である諏訪君も同じだったようで、 

 

 「目黒先輩、なんかカレンダー、やたら減ってません?」 

 

 私もおかしいとは思ったものの、その日の訪問先でしっかり経営者に会えるのかどうか、自分の心配で精一杯だった。カレンダーが減り、支店長の機嫌も和らいだ頃、その真相が発覚した。 

 

 「おい!お前、なんてことしてくれたんだ!クビだ!すぐに辞めちまえ!」 

 

 私が遅く帰店すると、堂本支店長の怒号が飛んでいた。諏訪君に何が起きたのか聞くと、日本道路公団(現・NEXCO西日本)のお偉いさんが大きな段ボールを持って支店長を訪ねてきたそうだ。その中に入っていたのが、数えきれないほどのF銀行のカレンダーだった。 

 

 「さっきから話を聞いてたんですが、どうやら西山課長代理が、大量のカレンダーを高速のサービスエリアのゴミ箱に捨てちゃってたらしいんですよ」 

 

 「なんでバレたのかな?」 

 

 「そりゃあ分かりますよ。宮崎県でF銀行はうちしかないんですから」 

 

 支店長の甲高い怒鳴り声が、店内に響き渡る。 

 

 「いいか?お前のやったことはなあ…郵便局員が年賀状を配りきれなくて川に捨てたのと同じなんだよ!」 

 

 

 感心してはいけないが、分かりやすいたとえだった。後から聞いた話では、西山代理は私たち後輩のカレンダー配りが進んでいないのを見るにつけ、怒られるだろうと心配し、今回の犯行に及んだそうだ。 

 

 西山代理は、後輩思いな兄貴分のような漢であった。私の銀行員人生の中でも、堂本支店長のパワハラは突出して悪質なものだった。しかしその反動もあり、西山代理は率先してチームワークを形成し、私たちも大いに応え、いくつもの苦境を乗り切っていた。 

 

 しかしながら、犯行というといささかオーバーに感じるが、事業用ゴミの不法投棄はれっきとした犯罪である。法を犯したことには変わりない。今、振り返ると笑い話。たかがカレンダー、されどカレンダーである。 

 

● 「どこまでズレてんだ、うちの銀行」 カレンダー配布廃止で始めたサービスに脱力 

 

 話を現在に戻そう。2020年初頭から始まったコロナ禍において、密を避け接触を避ける行動様式は、銀行営業のスタイルまで変えてしまった。取引先を訪問せず、来店も極力断る中で、M銀行は2021年からカレンダーの配布を廃止したのだ。 

 

 あれほど狂ったように配り歩いていたカレンダーがなくなった。銀行がコロナに乗じて廃止したサービスは他にもたくさんあるが、私にとってカレンダーがなくなったことはセンセーショナルな出来事だった。 

 

 廃止直前の2020年11月、本部から通達とポスターが届いた。カレンダーの見本とQRコードが入っていた。内容を読むと「『カレンダーの配布はございません。お手数ですがQRコードを読み取り、ご自身でダウンロードしてください』と説明しろ」と書いてあった。 

 

 「マジか。ダウンロードって何だよ…」 

 

 「こんなの説明できませんよ!」 

 

 「どこまでズレてんだ、うちの銀行」 

 

 次々に不満が噴出した。来店客や取引先にカレンダーを配ったことがない者による企画など、この程度のものだろう。来店客の中には、毎年カレンダーを部屋に飾って過ごして下さる人もいる。今年はどんな絵柄だろうと、楽しみにしていた人もいるだろう。新聞紙見開きほどの大きさに印刷できる人など、ほとんどいない。スマホの待ち受け画面にでもさせたいのか。 

 

 年末のカレンダー配布は重要だと声高に叫んでいた上司は、昭和もしくは平成一桁入行の世代。いとも簡単に配布を止めるのは、それ以降の世代。その決定にいつも振り回されるのは、現場の我々である。 

 

 そんなコロナ禍が明け、今年は久しぶりに紙製のカレンダー配布が復活した。おそらく、たくさんの利用客から厳しいご意見をいただいたからかも知れない。久しぶりのカレンダー巻き。年の瀬の雰囲気になってきた。 

 

 子供の頃、我が家は父が勤める会社のカレンダーが飾られていた。1年を通して、茶の間に父のカレンダーがあることが、当たり前の風景だった。現在の我が家でも、保険会社が年末の挨拶でみなとみらい店を訪れた際に、進呈してくれたカレンダーを飾っている。 

 

 たかがカレンダー、されどカレンダーである。 

 

 この銀行に勤務して、四半世紀が過ぎた。悲喜こもごも、たくさんの出来事があった。私は今日もこの銀行に感謝しながら、日々の業務に明け暮れている。 

 

 (現役行員 目黒冬弥) 

 

目黒冬弥 

 

 

 
 

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