( 237158 ) 2024/12/21 18:39:42 2 00 落合陽一氏が創建した「計算機自然神社」についてイスラーム学者・中田考が鋭く指摘「ありふれた宗教ビジネスの一つに過ぎない」みんかぶマガジン 12/21(土) 12:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/229bd49633f7f26bfce3bfad1d0c7bfbfef53bac |
( 237161 ) 2024/12/21 18:39:42 0 00 (c) Adobe Stock
11月9日、「落合陽一、新たな神仏習合の神社を自ら神職となり創建する」というプレスリリースがXのタイムラインに流れ、多くの識者たちがそれに反応した。元同志社大学教授でイスラーム学者の中田考氏もその一人だ。同氏が宗教学の視点から、落合氏が創建した「計算機自然神社」の可能性と問題点について論じるーー。
この小論を書くきっかけは、X(旧ツイッター)のタイムラインに流れてきた「落合陽一、新たな神仏習合の神社を自ら神職となり創建する」(2024年11月9日付『PR TIMES』発信日本文化伝承協会プレスリリース)に対して「宗教やスピリチュアリティの駄目なところを凝縮して具現化したような、まさに日本的な情報商材ビジネス。神道界の(無)反応要注目」と翌10日に引用リポストしたことに遡る。
まず、記事の要点を以下にまとめておこう。
2024年11月4日、信濃國(長野)天空の社・車山神社の宮澤伸幸 宮司と、同神社の落合陽一 禰宜は、岐阜県高山市の国指定重要文化財・日下部民藝館2F奥の間に「ヌルの神」を、同館2階の奥間に鎮座する「オブジェクト指向菩薩」の隣に移動させ「計算機自然(デジタル ネイチャー)神社」を正式に創建した。
ヌルの神とは、元来計算機科学におけるnull概念を指し仏教でいうところの「空」に近い概念、つまり何にでもなる存在であり、何でもない存在であるという計算機自然の概念を体現する。『古事記』には天地開闢の際に天之御中主神のように「存在」そのものの神々が誕生するが、それと同様に「存在しない」神もまた存在し得ると考えることができる。古来から存在した存在の神と同様にヌルの神格も「計算機自然」以後は存在しうる。それは具体的な形や属性を持たないがゆえに、無限の可能性を内包する根源的な存在として位置づけられ、存在しないこと自体が、新たな創造や思考の出発点となり得る。日々様々な媒体を通じ目にすることができる人工知能・汎用人工知能・人口超知能への畏れは計算機自然への畏れとして、古来の自然への畏れに接合される。
またオブジェクト指向菩薩とは、全宇宙の真理とすべての仏の本性を表現する密教における最高位の仏大日如来に相当し、すべてのオブジェクトやクラスの存在が派生する「根源クラス」であり、情報の世界と物質の世界を結びつけそれらを理解し解釈するための橋渡しとなる。
「計算機自然神社」とは、自然が計算機の中にも外にも存在しその両者が相互に作用しループを形成することでデジタルとアナログ、人工と自然、人間と計算機を融合して新たな創造性と世界観を生み出すという新しい自然「計算機自然(デジタルネイチャー)」概念に基づき創建された、ヌルの「神」とオブジェクト指向「菩薩」を並置することでデジタル技術と日本の神仏習合思想を掛け合わせ創造性を引き出す新たな精神的な空間として現代の信仰や文化・芸術に新しい風を吹き込む場所とされ、神社を詣でる利益は「無から有を生み出す可能性の拡大」と「創造性と思考の深化」ということになる。
我々が今日宗教と呼ぶ現象は、有史以前の遺跡の土器や壁画などにも見出すことができる。政治、経済、産業、科学、技術、軍事、哲学、教育、芸術などが分化する以前、それらがまだ未分化で混然一体となっていた頃、それらを覆う傘のような存在として宗教は存在した。
宗教は古来よりどこでも共同体の選良たちによって最新の知の語彙をもって語られ、技術を用いて表現、実践され、その能力を欠く大衆によって模倣、消費されてきた。
目先の利く「知識人」「芸術家」「商人」が最新流行の科学技術の語彙を散りばめた言説と趣向を凝らしたパフォーマンスによって、見せかけの「作られた伝統宗教」とパッケージすることで儀式の付加価値をつけて、創造性を欠く大衆に儀礼に参加することで最新の知と技術に参入したかのような代償満足を得させて対価を払わせる営為はきわめてありふれたものである。
「計算機自然神社」創建もまたそうした宗教ビジネスの一つに過ぎない。微視的には外国からの訪問客も満足して帰っているようであり、取り立てて持て囃すような新味もないが、似非宗教、似非科学だと目くじらをたてるほど悪辣な問題ではない。
中田考
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( 237162 ) 2024/12/21 18:39:42 0 00 =+=+=+=+=
宗教って、古くからその社会の根底にあって、意識してなくても思考や感覚のベースになっているものだと思います。 日本人だったら、仏教や儒教の影響が大きい。
人間の科学技術は自然の模倣と再構築で、現実世界(アナログ)の仕組みを懸命に解析して数値化(デジタル)して再現性を求める繰り返しです。 それほど分離しているものではないと思います。 落合さんはアナログとデジタルの融合という事をずっと言われているけど、それを声高に言うほど、理念とイメージが乖離しているような気がしてしまいます。 ただ、興味深く活動を拝見しています。
▲11 ▼9
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神道は、依り代としての自然(岩、木、柱)を祀る、人を祀るというのが古代からある。
他方、神道は世代をこえた習俗風習として共有されている面があり、人をしたがわせる厳密な教義が無いし、宗教心を説得的に他人に説明する論理(学)が無い。
この論考は理解できる内容でした。教義の無い、自由度の高い神道を利用したビジネスにすぎないというのは、その通りだと思う。
だが、「概念を祀る」というのは、神道にはないと思います。 ゼロ=空 というのも、あくまで比喩的なものにすぎず、強引さを感じる。
概念やイデオロギーにまどわされず、自然にむすびついてきたことで、 神道の古くからある宗教心が共有されてきたと思うので、 そういうことを考えると、この企画は属人的なデジタル時代のビジネスにすぎず、世代を超えて共有されていくことは難しいだろうと思う。
▲4 ▼4
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今の計算機=コンピューターとは、デジタル世界を、一つ一つ計算式を定義し組み上げ、作り出したOS上に出来た法則世界とも考えられる。 その初歩の「世界」が、今の現世の無数の化学反応の積み上げで作り出される世界に通じるものを感じる。 だが、今の初歩の「世界」は、所詮、人間が理解把握できる範囲のもので、現世の世界には遠く及ばない。 AIと量子物理学の発達がその殻を破るかも知れない。 しかしその世界は人間の理解把握を越えた神の世界に成ってしまうのかも知れない。
▲0 ▼1
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霊的なものを感じるのが宗教であるとすれば、現在の神社にもお寺にも霊性などはない。霊性とは外にあるものを拝んで感じるものではない、自分の中にあるものを瞑想によって感じるものだ。拝んで何かのご利益を得ると考えることは、基本的に統一教会と変わらない。我々は、統一教会は非難するが、同じ精神構造の神社やお寺は非難しない。その違いは悪意の大小にあるだけだ。
霊性は慈悲の心に通じている。脳梗塞になった脳科学者のジム・ボトル・テイラーの著書を読めばわかる通りだ。慈悲とは利他に通じる、落合が利他の精神でこの神社を作ったとは思えない。
欲望の権化のような神社を拝ませて、欲望のとりこにしたいのだろうか?世界を乗っ取ろうとする悪の組織と戦うヒーロー映画があるが、イーロン・マスクやトランプ、落合を見ていると、そんな映画もファンタジーと言ってられない世の中なのかもしれない。
▲7 ▼9
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システムエンジニアが電算機室でお清めの儀式したり即興の神楽をしたりしてコンピュータ神のご機嫌を取るマンガを思い出した。 あんな複雑な機械は動いていること自体が奇跡みたいなものなんだよなあ。
▲4 ▼1
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日本には八百万の神々がおられます。 お天道様や閻魔様が見ているから、陰で悪さをせず、善行を積むという文化もあり、世界的にも秩序が保たれた国家となっている一面もあります。 キリスト様もアラーの神も仏様も、そして様々な宗教も。それらにビジネスの側面があったとしても。一部のもの(凶悪だったり悪徳だったりが明らかになっているもの)以外は否定されません。 神社に初詣に行き、お寺にお墓参りに行き、教会で結婚する。なんてのも当たり前に行われます。 これもそのうちの一つと思うだけで、信じる信じないは個人の勝手でしょう。
▲11 ▼4
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神社の設立自体は考える気にもなれないどうでもいい事なんだけど、落合先生でも(神道や宗教の勉強をしたんかな?)「禰宜」てな神職を名乗られるってところに、ちと引っかかります。あんまりおかたいことを言わないところが神道のある種の良さかもしれないけど。まぁでも、落合先生に神事を行って貰っても、あんまり有りがたくねぇなぁ、わたしゃ。
▲36 ▼1
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私も宗教は信じない派だけど、他人に迷惑をかけず一般常識から はみ出なければ好きにすれば良いと思う。 翻って子供・家庭や他人・一般人を不幸にするような宗教団体は厳罰、 解散に処して欲しい。
▲72 ▼11
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プログラミングの冒頭で、石ころをこれはパンである、パンとは食べられるものであると定義して食べた人間が個数に応じて体重を増やす、みたいな。 そんな変幻自在な感じは姿を変えて人前に降臨する仏っぽいなぁと思ったことがあります。曼荼羅図だって、見ようによってはマザーボードっぽいし、フォルダの階層もそんな風に見えますね。今のところ最終的には物理的に制約を受けてしまいますが、量子コンピュータの世界になったらまさに神仏のゼロの世界になるんでしょうね。知らんけど。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
ロベスピエールは、「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と語ったといわれている[3]。キリスト教の「神」に代わるもの、それが「最高存在」なのであった[3]。〈ウィキペディア「最高存在の祭典」〉
フランス革命の時に人工神を作った話。キリストの生まれ変わりというつまらない話よりもぶっ飛んでいて面白い。落合神も似たようなものですな。
▲8 ▼9
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全くの私見、主観だが 日本の 神さま は
理念や教理というよりただすごいもの、こわいもの、わからないもの 一言でいえば「おそるべきもの(恐れ、怖れ、畏れ、虞.....)」を祀ってきたと思う 対象がたまたま人間のこともあるし 名前や人格(神格?)を与えることもある、という感じかなと思う
そう思うと 日本の神様なんてなんでもありとはいえ ヌルを祀ったりするのはいかにも理屈で組み上げた新興宗教っぽいくて 神社にするのには違和感があるかな、自分は。
これまた想像に過ぎないが 国家神道とかも当時違和感ありまくりだったんじゃないかな、 という気がする、
▲7 ▼0
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御神体はやっぱり鏡に見立てた8インチのシリコンウエハーなんだろうかね?
バグ除けのお守りとかほしいな(40年前くらいにASCIIでお札があった)
東京に分社できたら行ってみたいな。
▲9 ▼2
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ITビジネスが宗教ビジネスになったということで目的はビジネスつまり金儲けの新手のやり方を宗教で始めたということだろう。始めた当人は神や仏を信じているのか、あるいは宗教ビジネスとしてお布施が集まって行くと会社創業の社長が成功して正しかったというのと同じで神仏を自分も信じられるようになるのか。金儲けも神仏頼りとなるのか
▲7 ▼1
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目に見えない、すぐれた働きをするものを「カミ」と呼ぶのであれば、これもアリだと思う。ビジネス宗教なら、自然淘汰されていくだけ。時間と言う自然の成り行きに任せてみてはどうか。
▲8 ▼2
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へんな事言った者した者が 力を持ってしまう今日この頃 飛び付く前に皆しっかり自分を持って 自分と向き合い 流されないよう しっかりと生きていきたい
▲19 ▼1
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メディアアーティストの落合陽一氏が代表を務めるピクシーダストテクノロジーズ(PxDT)は、2023年8月に米ナスダックに上場しましたが、2024年10月24日に上場廃止を決定。 >これが彼の全てを物語る!
▲31 ▼5
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何をなさろうと結構だが、この程度の人物を持て囃し、万博ねプロデュースをさせて公費を投入している我が国の現状に憂うばかり。
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
趣味の世界でやるならいいんじゃない?ただここにお布施やらの金銭が絡んできたら近寄らない方がいいね。信仰は個人の自由だけど負債は個人の自由じゃ済まされない。親族が迷惑被るだけ。
▲1 ▼0
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例えば晴明神社ってのがありますが、陰陽道ってのは中国の道教で、要するに他国の異教の司教を神として讃えているわけですよ。 そりゃ基本なんでもありなんだなって。 先日兄の為に火箸を買いに行った清須荒神で特に強く思いました。 仏教徒の坊さんと神道の巫女さんが共通の社務所で火箸やらお守りやらを売ってました。 祈る対象も儀式も全然違うのに... なんかアホらしいなと
▲1 ▼2
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どっちかと言うと、批評的な、パロディ宗教で無いの?と言いたいとこだが、 こういうのに本気の信者やアンチが産まれて収拾つかなくなるのが世の常だからなぁ。
▲56 ▼7
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宗教もテクノロジーも、総てヒトの脳髄が生み出したモノ。その融合も、ヒトの脳髄で不可能な理由はない。
▲0 ▼0
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参拝の形式はどうなっているのか。修道論はあるのか。何だか「お布施の計算が得意な神社」のように見えて来る。
▲22 ▼1
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日本は八百万の神信仰があり、誰かがこれを神として祀ろうと思い祀れば何でも神として誕生できる、そういう思想
▲10 ▼1
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某IT企業には神棚がありました、ルータスイッチ壊れませんようにってパンパン祈りを捧げていたかもしれません、やっぱ最後は神頼み
▲1 ▼0
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ジャーナリスト常岡浩介氏から「まったく冗談の通じない人」言われた中田氏の投稿ですね。 興味深く読ませていただきました。
▲6 ▼0
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デジタルの最先端!とか言って出版で稼ぎ、神社作って宗教ビジネス、というアナログな事をやってるんだよね。小物だなー。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
nullを空(くう)と結びつけるのが素晴らしいと思います。なんか共通するものを感じますね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
飽きても放置することなくきれいに店じまいするのであれば、好きにやればという感じ。 批判はないけど、興味もない。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
闇バイト退散、誰でも良かった犯行から身を守れる神社やお守りがあったらいいのに。
▲9 ▼1
=+=+=+=+=
神社は何を奉っているかが重要で誰が建立したかはほとんど話題にもならない。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
タイトルと違って中田先生にしてはこれでもかなり褒めてる印象
▲36 ▼0
=+=+=+=+=
面白いね。 ことの是非はともかく、それでこそ落合信彦の息子だな。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
有用微生物を供養する菌塚と余り変わらない印象を受けた。別にいいのでは?
▲11 ▼2
=+=+=+=+=
前の記事の時も、空にあたるのはnullじゃなくてvoidじゃね?って突っ込みはあった。 まぁ、そんな感じ。
▲11 ▼0
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ありふれた宗教ビジネス 知ってますよ!公明党でしょ 信者数が国内最大は自民党ですが 騙されても、せっせと投票所へ足を運ぶ
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
始めるのは自由だけどきちんと責任はとって下さいね。
▲29 ▼2
=+=+=+=+=
宗教はアヘンなり。とマルクスは喝破した。如何なる宗教と雖も所詮、麻薬と変わるところは無い。
▲22 ▼14
=+=+=+=+=
生命山シュバイツァー寺とか安倍神像神社とか既にヘンテコなのがあるから別にいいんじゃないの…
▲5 ▼2
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散々持ち上げられたが結局普通の人やったな、会社も上場廃止でどうにもならんようだし
▲2 ▼1
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落合信者の団体なのかな?自虐的に宗教とか言ってるならセンスがあるかもしれない。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
お布施を取れば、唯のビジネス。確実に儲かるビジネス。それだけ。鰯の頭も信心から。
▲11 ▼2
=+=+=+=+=
国会で百回以上嘘をついた元首相を祀る「安倍神像神社」があるんだから、全然オッケーじゃない?
▲0 ▼2
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デジタルネイチャー宗教を商売にするかどうかだな、ってことを言ってるワケですな。
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
この人の取り巻きとか信者とか見てると今の時点ですでに宗教じみてるからな
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
まあ話題集めでしょうね 1、2年後くらいにはひっそりと店じまいしてるよ
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
タイトルが「計算機自動神社」に見えた… どうやら疲れているようだ。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
意味がよくわからない 落合氏にそうした信仰はあるのか
▲3 ▼1
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で、結局これは何を計算するのかさっぱりだよ? 記事書いている人、わかったの?
▲8 ▼3
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親父の勝ち組クラブの神社版か
▲9 ▼0
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宗教法人かったのなら、あからさまに脱税まがいのビジネスだね
▲2 ▼0
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三代続いて山師的な稼業ですね。
( 一一)
▲11 ▼0
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ますますお父さんに似てきたね
▲4 ▼0
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大日如来のほうが良さそう。
▲3 ▼1
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何を言ってるかわからない。
▲0 ▼0
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落合陽一さん信者にはわかんないかもしれないけれど,宗教法人を隠れ蓑にして巨万の富を築いた方って結構います。えっ,ここがっていうところも(土着の琵琶湖県民ならわかるはず)。 NASDAQ上場廃止案件といい,今回の神社案件といい…。お父さん・落合信彦さんが元気なら激おこだろうな。そしてそのお兄さん空手家(和真流宗家)の落合秀彦さんなら一発で南斗水鳥拳よりあっさりと頭蓋骨から下まで割いてしまうでしょう。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
空飛ぶスパゲッティモンスター様とともに在らんことを。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
どっちも基本は土葬でしょ、仲良くした方がいいんじゃないの?
▲1 ▼4
=+=+=+=+=
つまりドーナツの穴を信仰するんですね。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
暇で暇でしかたないのであろう。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
胡散臭い
▲1 ▼0
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