( 237446 )  2024/12/22 02:55:06  
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岡部宏生さん 

 

「安楽死で死んでいけるような社会を目指すなら、希望をもてる社会ではありません」  

 

全身の筋肉が徐々に衰えていく難病のALS患者、岡部宏生さん(66)は、苦痛に悶えながらも、命を懸けて猛然と安楽死の反対を訴えている。 

 

岡部宏生さん 

 

イギリス議会で安楽死を認める法案が成立に向けて前進するなど、ヨーロッパでは安楽死を法制化する動きが相次いでいる。日本でも安楽死を認めてほしいという声は後を絶たない。 

 

同じ難病に苦しむ患者や、そうでない人々へも「生きること」を励まし続けてきた岡部さんは今年の夏に体調を崩し、現在、意思表示ができない状態にある。「生きたいと思える社会」を目指し、声を上げ続けた思いに迫る。 

(TBSテレビ 西村匡史) 

 

左から介助者、筆者、岡部さん 

 

「こ」「ん」「に」「ち」「は」。「よ」「う」「こ」「そ」「で」「す」。 

 

声を発することができない岡部さんは、わずかに動く眼球の動きで文字盤を追い、介助者に一文字ずつ読み取ってもらって自身の言葉を伝えている。 

 

2024年1月、私が都内にある岡部さんの自宅を訪ねると、岡部さんは「こんにちは、ようこそです」と迎えてくれた。 

 

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は手足やのどなど全身を動かす筋肉が徐々に衰え、発症後、平均3年から5年で自力での呼吸ができなくなる難病だ。ただ、知覚障害や感覚障害は起こりにくく、見たり聞いたりすることはでき、痛みや冷たさなどを感じる感覚も最後まで残る。 

 

岡部さんは人工呼吸器をつけ、24時間体制での介護を必要としている。全身からエネルギーが漲るようなオーラを感じさせ、介助者を通じて発するメッセージは力強い。ユーモアも持ち合わせていて、なんとも魅力的な人柄である。 

 

「私はブラックジョークを言うのが好きなんです。見た目がインパクトありすぎなので、皆さんの緊張をほぐしたくて言っていますが、間違えて相手を泣かせてしまったこともあります」 

 

ALS発症後、呼吸器をつける前の岡部さん 

 

岡部さんは18年前の48歳の時にALSを発症した。大学卒業後、大手建設会社で猛烈サラリーマンとして20年間、働いた後、建築事業コンサルタントの事務所を立ち上げ、軌道に乗ったころのことだった。 

 

人生の絶頂期での難病の発症は、元来、楽天的だった岡部さんをも絶望の淵に追い込んだ。治る見込みはなく、近いうちに自分では何もできなくなる現実を知ることになる。生きがいだった仕事ができなくなること、そして妻に迷惑をかけてしまうことが頭をよぎり、「死んだ方がよい」と思ったという。 

 

「これまでに3回自殺を考えました。この家のベランダから飛び降りようと具体的に実行しようと思いました。しかし、柵を乗り越えられるほどの筋力が残っていませんでした」 

 

 

岡部さんの「戦友」たち 

 

病気の進行とともに自力での呼吸ができなくなるALS患者にとって、人工呼吸器をつけて生きるか、つけずに死を迎えるかの「究極の選択」を迫られるときがくる。 

 

7割の患者が呼吸器をつけずに亡くなるといい、患者同士の間では「ALS患者の自死」と表現することもあるという。岡部さんも当初、呼吸器をつけずに死ぬことを心の中で決めていた。「何もできなくなった自分に、生きる意味はないと思いました」 

 

そんな岡部さんを変えたのが「戦友」たちの存在だ。同じALSを患いながらも当事者団体の運営や政府への陳情など、障害者の権利向上を目指して活動してきた先輩たちがいたのである。 

 

岡部さんは「戦友」の背中を見ることで呼吸器をつけることを決断し、生きる道を選んだ。 

 

「こんなに辛い病気なのに、明るく生きて、頑張っている人たちがいることを知って驚きました。自分もあんなふうに生きてみたいなと思うようになりました」 

 

衆院厚生労働委員会に出席した岡部さん 2016年 

 

「先輩たちが大変な努力をしてくれたように、自分も障害者とその家族の役に立ちたい」 

 

生きる道を選んだ岡部さんは、自らも矢面に立って障害者の権利を守る活動に参加するようになる。重度障害者の介護者育成を進めるNPO法人「境を越えて」を設立した。 

 

また「障害に縁がない人にも、生きることについて考える機会を提供したい」と考え、全国を飛び回って講演活動を行うようになる。さらには病気に悩む患者たちの元を訪ねて、生きることの大切さを話し合う機会も積極的に作るようになった。 

 

新型コロナウイルスが流行する前は、毎月20回以上も外出し、「日本一外出するALS患者」と呼ばれるようになった。 

 

京都地裁の裁判を傍聴する岡部さん 2024年3月 

 

そんな岡部さんに衝撃を与える事件が起きた。2020年、安楽死を望んだALS患者を殺害したとして医師が逮捕された京都ALS患者嘱託殺人事件である。 

 

亡くなった女性は生前SNS上で、日本でも安楽死が認められるべきだと訴えていた。この訴えに同調する声がインターネットなどで次々に上がったのだ。  

 

しかし、岡部さんは安易に死を選択する人が相次ぐかもしれないと、安楽死が認められることに強い危機感を抱いている。 

 

「私も1日のうち4割の時間は死にたいと思うほど辛いです。そんな時に『死なせてあげよう』と言われたら、間違いなく『なら死なせて』と言ってしまうでしょう」 

 

介護していた妻がうつ病になり、その後、亡くなった際には自分を責めたという。 

 

「こんなに介護が大変ならば、家族の介護負担をなくすために安楽死しようという人が必ず出てくると思います」  

 

裁判では岡部さんら多くのALS患者が傍聴を続け、判決後の記者会見では「安楽死の合法化は、安易に死を選択することになりかねない」と全力で反対した。 

 

「安楽死がどんどん広がってしまうことが恐ろしいです。だから私は安楽死に強く反対します」 

 

 

岡部さんと佐藤裕美さん 

 

2024年2月、岡部さんは千葉県の高校で行なわれた特別授業「生きるって何だろう」で、ALSを患う佐藤裕美さん(53)とともに講師として教壇に立った。佐藤さんは岡部さんから生きる力をもらった1人だ。 

 

「安楽死を認めるべきだ」との声が上がる度に、その脅威を肌で感じ、生きづらさを感じていたという佐藤さん。 

 

「安楽に死ねる制度があるのに、あえて使わなかったのだから『使わなかったあなたは苦労して生きることを受け入れなさいよ』と思われてしまいそう。世の中が自分たちの死を願っているような気がするのを強く感じてしまいました」 

 

しかし、岡部さんに「生きているだけで価値がある」と励まされ、自身も前に出てその活動を手伝うようになった。生徒の前で自信をもって、こう語りかけた。 

 

「誰もがその人らしく、無理やり変えられることのないまま、どこまでも幸せを求める世の中になってほしいなと思っています。あなたの生きる、ここにいる一人ひとりの生きるも、かけがえのないとても大事な一つの生きる形だと思います」 

 

岡部さん 

 

同じ難病に苦しむ患者や、そうでない人々へも「生きること」を励まし続けてきた岡部さん。  

 

「誰かに生きてほしいと思われていること、誰かに生きてほしいと思うことで私たちは生きる力や希望を持てるのだと思います。この気持ちを失ったら、この社会はもっと悲惨な出来事が増えるでしょう」  

 

「1日のうち4割の時間は死にたい」と思うことさえある岡部さんだが、「安楽死を選ぶのではなく、生きることを選んでほしい」と訴える。 

 

「私も安楽死を具体的に検討したこともあるし、つい去年も体の辛さで死にたいと思ったことがあります。私たちに限りませんが、人は死にたいなと思うこともあります。安楽死で死んでいけるような社会を目指すなら、希望をもてる社会ではありません」 

 

筆者と岡部さん 

 

2024年夏に体調を崩して入院した岡部さんは10月に退院し、自宅で療養を続けている。快方に向かっているが、現在、意思表示ができない状態にある。  

 

12月、私は岡部さんのもとを訪ねた。入院してから会うのは初めてだったが、元気そうな表情を見てホッとした。以前と変わらぬ圧倒的な存在感のままである。私はその手をとり、これまで通りに話しかけた。  

 

「岡部さん、ゆっくり休んでから、またいっぱいお話しましょうね。全国の皆さんが待ってますよ」  

 

岡部さんは今も、命を懸けて訴え続けている。 

 

 

TBSテレビ 西村匡史 

 

「自分のためにではなく、他人のために命を懸ける人」 

 

こう評すると本人に否定されるかもしれないが、岡部さんほど私心を捨てて、他人のために尽くして生きる人を私は知らない。 

 

その岡部さんに私は一度だけこっぴどく叱られたことがある。岡部さんが自身の活動を引き継いでほしいとバトンを託したALS患者の佐藤裕美さんに対し、私が「病気が進行した場合、呼吸器をつけますか」と質問したからだ。 

 

「あの聞き方は『あなたは生きますか?死を選びますか?』と言ったのと同じです。本当に大事にしなければならないことを大きく逸脱してしまっていると私は思います」。メールの文面からは激しい怒りが伝わってきた。 

 

私は恥ずかしながら、その憤りに触れることで、岡部さんのような弱い立場にある人たちが、安楽死が認められるような社会になることにどれほど脅威を感じているかを痛感した。そして、佐藤さんを傷つけてしまった自分の傲慢さを思い知り、深い自責の念に駆られた。 

 

そんな打ちひしがれている私に対し、岡部さんは数日後「お目にかかってお話したいです」と、救いの手を差し伸べるメールを送ってくれ、自宅での夕食会に招いてくれた。 

 

岡部さんの指示に従って介助者が用意してくれた食事を口にし、酒を酌み交わした。胃ろうから注入したビールでほろ酔いするまで付き合ってくれた気遣いが心に沁み、涙が出そうになった。 

 

岡部さんと筆者 12月11日 

 

岡部さんは仲間たちのために、批判を覚悟の上で安楽死に反対の声を上げた。安楽死を取り上げたTBSテレビ「報道特集」の放送後には「そこまでして生きる価値があるのか」などの批判も寄せられたという。だが、岡部さんは私を1度も責めることはなかった。 

 

私はこれからも安楽死を、そして生きることを考えてもらうための取材を続けていくつもりである。だからこそ岡部さんの存在が絶対に欠かせない。 

 

岡部さんが回復して、また語り合う日がくることを私は心待ちにしている。 

 

※この記事は、TBSテレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画です 

 

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