( 237953 ) 2024/12/23 04:24:20 2 00 ローカル線廃止論者と維持論者が全然噛み合わない「3つの理由」 経済vs感情の終わりなきジレンマとはMerkmal 12/22(日) 21:11 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/388984330d8f6b573f686ee95b601a7c33dec9c9 |
( 237956 ) 2024/12/23 04:24:20 0 00 ローカル線(画像:写真AC)
ローカル線の存廃を巡る議論は、現在の地方創生政策において注目される重要なテーマのひとつである。廃止論者は、赤字解消や自治体の負担軽減を理由に廃止を主張し、維持論者は地域住民の生活支援や観光振興を目的に鉄道を残すべきだと訴える。
しかし、議論が進むにつれて双方の意見は平行線をたどり、合意に至ることは少ない。この
「すれ違い」
は単なる意見の不一致ではなく、両者が異なる
・前提 ・価値観
に基づいて議論を展開しているために起こる。本稿では、この問題を経済的な視点から掘り下げ、なぜ議論がかみ合わないのか、その理由を考察する。
ローカル線(画像:写真AC)
廃止論者の主張の根底には、「経済的合理性」がある。利用者数が少なく赤字を垂れ流す路線を維持することは、限られた財源を無駄にする行為だという立場だ。
彼らの主張は、具体的な数字に裏打ちされている。ローカル線の収支を見てみると、多くの路線が深刻な赤字を計上し、その補填は自治体や国の財政支援に頼っている。この点について
「持続可能ではない」
という判断は、経済的に見て理にかなっている。また、廃止論者は代替交通手段として
・バス ・タクシー
の導入を提案する。これにより、鉄道の維持コストを削減できるだけでなく、地域住民の利便性も向上する可能性があるとされる。しかし、この論理の背後には、
「鉄道は他の輸送手段に置き換え可能である」
という前提が存在しており、これが維持論者との対立を深める要因となっている。
一方で、維持論者は鉄道を「単なる交通手段以上の存在」として捉える。鉄道は地域の公共財であり、その存在は住民の生活基盤を支えるだけでなく、地域の文化や歴史にも深く関わっていると考えられている。
維持論者が訴えるのは、鉄道が持つ
「目に見えない価値」
である。たとえば、通学や通院で鉄道を利用する住民にとって、その廃止は生活の質の低下を意味する。また、鉄道が地域の観光資源として機能している場合、その廃止は観光客の減少や地域経済の縮小を招く可能性がある。さらに、鉄道は地域住民の結束やアイデンティティを象徴する存在でもあり、その廃止は
「地域の誇り」
を失うこととも直結している。このように、維持論者は鉄道の社会的価値に着目しており、それを数字に表すことは難しいため、廃止論者の視点とはかみ合わない。
ローカル線(画像:写真AC)
議論が噛み合わないもうひとつの理由は、廃止論者と維持論者が
「異なる時間軸」
で物事を考えている点にある。廃止論者は短期的な
・コスト削減 ・効率化
期的な視点で議論を進める。例えば、赤字路線を廃止すれば、自治体の短期的な財政負担は軽減される。しかし、長期的には交通不便による若者の流出や人口減少が進み、地域経済が縮小するリスクもともなう。このような長期的影響は予測が難しく、廃止論者が軽視しがちな要素である。逆に、維持論者が訴える
「地域の未来」
は、現実的な財政状況を無視して語られることが多い。限られた財源で赤字路線を維持し続けることは、自治体にとって大きな負担となり、他の公共サービスを削減せざるを得なくなる場合がある。
このように、両者の時間軸の違いが議論をさらに複雑にしている。
ローカル線(画像:写真AC)
鉄道が地域にとって単なるインフラにとどまらず、文化や歴史を象徴する存在であることも、議論を難しくしている要因のひとつである。鉄道はその地域の歴史や記憶を体現するものであり、その廃止は
「地域のアイデンティティ」
を失うことを意味する場合がある。廃止された鉄道路線の駅舎や車両が観光資源として再利用されるケースが少なくない。これは鉄道が地域の
「記憶」
として重要な役割を果たしている証だ。維持論者にとって、鉄道の廃止は単なる経済的損失ではなく、地域の象徴を失うことへの危機感をともなう。しかし、廃止論者にとっては、こうした象徴的価値は
「非合理的」
と映ることが多い。鉄道を残すことで得られる具体的な利益が見えなければ、それを維持する理由にはならないと考える。こうした感情的な対立も、議論が噛み合わない原因となっている。
ローカル線(画像:写真AC)
近年、技術革新がローカル線の存廃議論に新たな視点を提供している。
動運転技術や低コストの小型車両の導入は、運行コストの削減を可能にする。また、観光列車やイベント列車といった新たなビジネスモデルは、ローカル線を地域振興の手段として活用する道を開いている。
しかし、これらの技術革新がすべての路線に適用可能というわけではない。観光列車の成功例として知られる「ななつ星」のような事例は、特定の条件下でのみ成立するものであり、一般化することは難しい。
技術革新を巡る議論にも温度差がある。廃止論者は現状を重視し、
「夢物語」
に過ぎないと切り捨てる傾向がある。一方で、維持論者は未来への可能性に期待を寄せている。期待値の違いが、両者の対立を一層深めている。
ローカル線(画像:写真AC)
ローカル線の存廃を巡る議論が噛み合わない理由は、廃止論者と維持論者が異なる
・前提 ・価値観 ・時間軸
で議論を進めていることに起因している。
廃止論者は経済的合理性を重視し、維持論者は鉄道の社会的価値を強調する。このすれ違いを解消するためには、双方が互いの立場を理解し、共通の基盤を見出す努力が必要だ。
鉄道の存廃を決定することは、地域の未来に大きな影響を与える問題である。そのため、単なる対立を超えて、建設的な議論を通じて最善の解を模索することが求められる。
どのような形であれ、地域の人々が納得できる結論を導き出すことが重要であり、そのプロセスこそが地域の未来を切り開く第一歩となるだろう。
伊綾英生(ライター)
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( 237957 ) 2024/12/23 04:24:20 0 00 =+=+=+=+=
一番の問題は沿線自治体が廃止反対の理由とする「地域の足」にあると思う。地方のローカル線は地域の足になっていないのだから。地方へ行けば行く程に自動車の保有比率が上がり運転免許取得者1人に1台は当たり前。自動車は生活必需品だから家族ですらシェアする事が出来ないから。これが地方でライドシェアが全く使い物にならない大きな理由でもあります。。鉄道の利用者は通学に使う学生、少数の住民、そして観光客に限られる事になります。地方の人口が減少に向かう中、鉄道の収支が改善する見込みなんかほぼ皆無でしょう。それでも鉄道が地域に不可欠のインフラと考えるのなら沿線自治体が支えるしかありません。これまでの様に「経営努力で」と金を出さずに口を出す態度に終始していては何れ事業者は鉄道の運行から手を引く事になります。
▲373 ▼67
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ローカル線がバス転換されて、その転換バスすらも廃止された例は枚挙にいとまがないです。 そういった地域では、もはや公共交通自体が必要とされていなかったと思われます。
他方、岐阜では市内線・揖斐線・美濃町線の廃止により岐阜高島屋の閉店など柳ヶ瀬地区の凋落が加速したという見方があります。
鉄道が地域のシンボルたりえるかどうかは、道路環境、沿線人口や人口動向によっても大きな差があり、一概に維持派と廃止派の論点が違うことだけが結論がずれる要因とは言い切れません。
少なくとも、津軽線の蟹田以北のように、沿線住民にインタビューしても、何年も乗ってないが大雪などの災害時のために残してほしいという回答しか帰ってこない線区は、地域のシンボルたる役割はもはや担えないと思います。
▲278 ▼30
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公共交通サービスのありかたとは難しいモノで当然ながら地域差が出ます 人がたくさん乗る路線は儲かるし乗らない路線は赤字 これでは格差が出るということで全て国有化して運賃計算も基本共通としたのが国鉄です しかしご存知の通り際限なく事業を拡大して破綻しました 今は一部の公営交通以外は民間なので大幅な赤字運営だと補助金が出ないと撤退するのは当たり前です バス化にしても乗務員の問題等がありますが、バスは道路や信号を国や自治体が無償で維持整備してくれますが、鉄路はそうではありません
▲67 ▼4
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ローカル線を巡る自治体の動きは富山県が新しい指標になると思います。 富山県はJR西日本から赤字ローカル線の氷見線、城端線を買い取り3セクに組み込みます。更に富山県内の高山本線についても買い取りを選択肢に入れた交渉をしています。 富山県は赤字を承知でローカル線を纏めて3セクに組み入れることで県民の利便性を向上させることを目的にしています。 富山県は自動車保有率全国2位の超クルマ社会ですが高すぎる自動車依存度が若者の定着を妨げている原因の1つになっているとのことです。 遊び場がない、仕事が無い、雪かきが面倒などという理由に並んでクルマが無ければ何も出来ないという点が若者に敬遠されているとのことです。
富山県は将来の世代を定住させるために赤字を覚悟で自力で利便性が高い鉄道を目指す道を選びました。 自力で頑張る富山県にはJRや国も力を貸しています。 富山は1つ解決策です。
▲152 ▼43
=+=+=+=+=
非常に根深く、地域の誇りや心情というデータでは測れない数値が絡む複雑な問題だと思う。 地方の市区町村の多くは高校生や高齢者の足であるから、それがなくなると困るというが、現実的問題として大赤字なのは間違いない。 地方の道路行政を主導してきたのは国と地方であり、そのために在来線の財政が悪化していることは間違いないと思う。二者択一ではないが、どちらも残すことは厳しい。 ただし、バスを設定するのは鉄道運転士の確保よりも難しいのが今の現状である。 地方鉄道を持続可能にするためにも盲腸線や山間路線の維持は困難だろうが、いつまで維持をするのかを話し合う必要があると思う。
▲37 ▼14
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僕は電車乗るの好きだし、赤字のローカル線が残せるなら残してほしいよ しかし、その残し方だよね。大都市で利益で地方の赤字を埋めるのは限界に近い この方法でまずダメになったのが路線バスです。路線バスは赤字ですが 長年放置され運転士の労働環境も改善されずもはや絶滅寸前でしょう なぜ路線バスを儲かる仕組みにせず放置したのかは不明ですが たぶん自治体が赤字を市民税で埋めるスキームでない場合は残せない
地方の路線も同じこと。残したいならJRや私鉄に懇願するのでは無理です そこは上下分離なり補助金を出して維持してもらうという形 それができなければどんなに嘆願してもムダですね ローカル線を残せという人は、どうやって収支を改善するかを考えてほしい
▲57 ▼9
=+=+=+=+=
私も地方に住んでいた事がありますが、基本移動は車でした。電車はあっても、駅までバスでかなりの時間がかかる。バスと電車が時間のリンクしないので、凄く時間がかかる(通学、通勤)足になるのは、あくまでも、駅前に住む方であり、そこから離れると、たちまち不便になる。国も車移動主体の政策をしてきた訳ですし、今更感はあります。自宅→バス停→電車の駅→職場or学校。と全てこれがある程度繋がらないと、ただ廃止、存続の話はできないと思いますよ。
▲28 ▼2
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JRの半分以上の路線が赤字で、さらにその半分以上が最近30年で旅客数が7割以上減少している。酷いケースでは百円を稼ぐために1万円の費用がかかっており、もはや地域の歴史とか経済的合理性とかいうレベルを超えている。バスやコミューターに替えてもすぐに赤字になるだろうし、移住以外の解決法はないと思われる。
▲11 ▼1
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そもそも鉄道は、鉄道事業者に巨大なインフラ投資が必要な時点で利用者が一定数以上いる都市部向きの交通機関である。 必要とされる人口が失われれば存立しない。 ここが道路を国や自治体が整備するバス、タクシーと異なる。 鉄道を残したいなら人口を増やすしかない。これは不可能だろう。 なお、観光客は通勤や通学客のように年間を通じて安定的に利用者を確保できない点で鉄道を残すことにあまりつながらないか。
▲108 ▼22
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バスに転換したところで、バスの廃止だってある。バス廃止後デマンドタクシーへ移行となっても地方や過疎地域なのでそもそものタクシーの台数が足りない。地方だからマイカーを必ず所有してる訳ではなくて、色々な理由で車がなく公共交通機関が必要となる人もいるんだよ。 地方は鉄道会社単独で路線を維持していくのは難しいだろうし、維持していくなら国や地方自治体からの支援が必要となるだろうね。
▲84 ▼48
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その昔、車が大多数の家になかったころは、ローカル線がありがたかったし、歴史的にそこに存在する意味はあったと思う。現状を見ると、地元の人は車ほど使っていない。何かあるときにローカル線で都会まで出ましょうか?というよりも車でブーン!近場に駐車だとおもう。あれやこれやで、ローカル線の駅の周辺を観光地化しようとしているが、なかなか難しいのは目に見えてる。そして、観光客だけでやりくりできるほど赤字は生易しくないのはわかっているはずではないか。 残してくれと近隣居住者以外のものが言うのは、感情的なものであり、地元の人は車で移動しているので、残してくれと言っている人は誰なのですか?というふうになる。一部の声の大きい少数の人だと思いますがちがいますか?
▲4 ▼1
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これは本当にケースバイケースで、路線毎に事情が変わるので一概には言えません。
ただ、鉄道というものは赤字路線をやみくもに廃止すれば良いと言うわけではありません。 赤字路線を全て廃止すれば、これまで黒字だった路線も赤字路線から乗り換えてきた利用者がいなくなるので赤字に転落することも多々あります。
またバス転換は鉄道時代より利用者が落ち込む傾向にある為、その後に結局そのバスも廃止するケースも多く廃線への片道切符とも言えます。
昨今の傾向だと不採算路線は自然災害に遭った際、多額の費用を掛けて復旧しても割に合わないということでそのまま復旧されずに廃線になるケースが多いです。 存続を求めてきた地元自治体も、流石に多額の復旧費用の一部負担を求められては「廃線もやむなし」と諦めがつくのでしょう。 廃線の落としどころとしてはこのケースが最善パターンでしょうね。
▲13 ▼16
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議論が噛み合わない最大の原因は、前提が違うのでもなく、価値観が違うのでもなく、時間軸が違うのでもない。 最大の原因は、維持論者が地域住民の利用率も低い赤字ローカル線の維持費用を自分たちの懐を痛めるのではなく、その赤字ローカル線を使用していない人たちに求めていることです。 只見線のように全額でなくても地域住民がそれなりの費用負担をして維持している路線は廃止論者であっても理解を示しています。
▲104 ▼10
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ローカル線が地域住民の足として役立っているのであれば、税金で赤字を補填してでも鉄道を残す価値はあるでしょう。 しかし高度成長期以降、国や地方自治体は税金で空港や高速道路を建設してローカル線の長距離客を奪い、ローカル線に並行する道路をトンネルを掘り、道幅を広げ安全快適に速く走れるようにした。一方でローカル線は昭和のままどころか、より簡易で速く走れない安全性に欠ける不便な施設にされてしまった。さらに駅周辺の公共施設や商業施設も幹線道路沿いに引っ越し、駅に降りても何もできない何処にも行けない状況になってしまった。 多くのローカル線は川舟や馬車と同様、過去の遺物となっており、これを税金を使って残す意味はないでしょう。 陸羽西線など並行する国道の改良のために地方自治体が望んで年単位の休止をする状況。多くのローカル線は廃止されても実は誰も困らないのです。
▲14 ▼2
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廃止か存続かを議論しても大して役に立たないと思います。ジリ貧かドカ貧かの違いくらいじゃないですかね。それよりも、地方をどうやって活性化していくかを議論すべきだと思います。 100年後、日本の人口は5000万人を割るかも知れないと予測されています。鉄道のような装置産業は固定費の割合が大きいですから、それは維持できない路線は多発するでしょう。 ただ、人口の集中している東京圏も安泰ではないでしょうね。資源も食料も輸入に大きく依存する国にあって、一次産業も二次産業も限定的な人口密集地域で、みんな何して食べてくのでしょうね? 不採算になったところを廃止して、地方を衰退するに任せておくということでは、将来的な見通しはかなり暗いと思います。どうしようも無いところを廃止することについては反対ではないですが、かといって経済的合理性を追求して東京圏に集中投資すればよいかというと、国としては悪手だと思いますね。
▲15 ▼14
=+=+=+=+=
ローカル線でも、盲腸線と先が繋がっているか。 東日本大震災と中越地震では「磐越西線」がう回路として使われ、阪神大震災でも姫路から播但線山陰本線経由で貨物の迂回輸送がされた。 防災や国土強靭化を言うなら鉄道のう回路として整備して残せないだろうか。 盲腸線でも兵庫県の北条鉄道のようにボランティア駅長制度、駅がお寺で住職がお経をあげて法話をする駅が有るよ。しかも浄財(お賽銭)と近所の土建屋さんの労働奉仕でバリアフリーの多目的トイレが設置された。ほかにも駅で結婚相談所を開いているボランティア駅長が居るなどユニーク過ぎる活動で自分たちの鉄道を残そうとしている。 一時期環境活動でテンプラ油から造ったバイオディーゼル燃料で気動車を走らせるなどもしていたよ。
▲12 ▼21
=+=+=+=+=
どの写真もとてもきれいで風情があって心揺さぶられます。 雪の中、海の側を走るローカル線はどこなのでしょうか。 とてもドラマチックです。 乗ってる人になりたいです。 日常で使うことはあまりないのでしょうが観光資源として大切に出来たらいいのにと思います。
▲3 ▼5
=+=+=+=+=
廃止論者は経済的合理性を重視し、維持論者は鉄道の社会的価値を強調する
必ずしもそうでは無い。 経済的合理性は収支だけの問題ではない。 収支が赤字であっても、経済効果を含めると黒字と考えられる場合もある。実際にえちぜん鉄道が運休した際、並行道路の大渋滞を引き起こし、大きな経済的損失が発生した。その結果、路線を維持することになった。 おそらく、小樽ー余市も廃止されれば同様のことが起こるだろう。 また、そもそもバス転換自体が人の確保も難しくなり、そう簡単にはできない。 結局は、どこまでの赤字ならば許容範囲か、どこまでなら税金を投入するかというバランスの問題。 廃止するなと声だけ大きく、維持に向けてなんら援助をしない行政や議員は論外だが。
▲29 ▼10
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先に地元住民が鉄道を切り捨てて利用していないので、鉄道が大赤字になっているのが現実だと思います。例えば再構築協議会の適用第1号となっている芸備線では、最も客数が少ない区間では1日平均13人(1日3往復、1便当たり2人強)で毎年7億円の赤字と報告されています。この人数で「地域の未来」、「地域のアイデンティティ」や「記憶」と言われても、大多数の人は賛成できないのではないでしょうか? 現状で既に鉄道を使用しなくても暮らしが成り立っているので、廃止してどの様な問題があるかよく理解できません。困るのが13人だけであれば、毎日10,000円のタクシー代を補助しても4745万で済みます。
▲63 ▼13
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単純な廃止か存続かという両極で比較したら無意味な議論になるだけ
鉄道廃止といってもBRT化は利便性は維持したままコスト削減を図れる もっと、このような中間の路線を採るべき
専用軌道の路線なら自動運転化も早期に実現できる
▲4 ▼7
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鉄道を交通システムの一要素として捉えているか否か。これが大きいはず。こういう捉え方をしている人は、BRTを含めて柔軟な考え方ができる。鉄道は手段であり、目的は交通サービスの品質向上。 一方で「鉄道は鉄道である」と捉えている人は、何を言っても「鉄道の維持」から前進できない。目的と手段が逆転してしまっている。そもそも公共交通を使わない人はこの考えに陥りやすいだろう。だって困っていないのだから。
▲0 ▼0
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例えば、現在廃止が議論されている、JR西日本の芸備線において、過去に沿線自治体が、JR四国の特急型気動車の導入を軸とした経営改善策を提言した時、JR西日本はそれを全く無視している。増収努力を行わず、保線のコストカットと称した運転速度低下、運行本数カットを繰り返して利用者数が減ったところで、廃止の話を持ち出せば、沿線自治体が猛反発するのは当たり前なのであるが、そうした経緯が既存のメディアなどでしっかりと説明されることは殆ど無い。
また、この手の議論で、ローカル線の経常収支比率を語る人は多いが、ローカル線の赤字額は絶対値が小さく、それよりも桁違いに多い主要幹線の赤字額を減らすことが急務である、ということは全く無視されている。
JR経営陣にとっての都合の良い事実や数字だけに基づく、漠然としたイメージだけで国の交通政策を左右しかねない議論が横行すれば、混乱するのは当たり前と言えよう。
▲4 ▼16
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どちらが正しいという議論ではないと思う。 多くの赤字路線で最終的に廃止という方向になるのだろう。 地方の足は車になっている。電車の代替は車でできるが、逆はできない。 自分は旅行先で電車に乗るのが好きなのでできるだけ残してもらいたいが、これは観光客の我がままなのだろう。 ただ経済合理性を突き詰めてゆけば、結局、地方に住むのは経済合理性を欠くという結論になってしまわないだろうか。 鉄道廃止の論理は、地方社会の否定につながる要素があることを忘れてはいけないと思う。
▲14 ▼12
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自分が思うのは、
ローカル線維持するのは合理的ではない。 ただ廃止したとこでJRの懐に入るだけで利用者にメリットがない。 地元も代替バスの支出が増えるだけなので合意したくはないだろう。
米坂線や美祢線が普通になっているが、これ復旧も廃止もせず休止状態のままなら、保線は不要で名目上路線が残って代行バスも保障されてる、ある意味一番いい状態なんじゃないだろうか。
▲5 ▼4
=+=+=+=+=
ローカル線の沿線自治体がJRに厳しい姿勢で廃止反対するのは、自分たちでは維持できないことが分かっているからでしょう。 本当に必要なら3セク化して残せばいいけど、絶対に言い出さない。 赤字はJRに押し付けて、自分達はせいぜい数百万円予算で利用振興のPRしたアリバイ作りのみ。 せめて駅舎を市役所の分室で利用するとか、通学利用の補助をするとか身銭を切る援助をすればいいのに、お金が要るような援助策は採用したがらない。
そして高速道路やバイパス整備の陳情は欠かさず足を運ぶ。 そりゃ鉄道利用者は減るだろって思います。
▲16 ▼1
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鉄道は絶対に維持するべき! 鉄道は生活の根源だから廃止してしまえば過疎化が進む。 もちろん無制限に維持せよ!とは言っていない。 ただ、簡単に廃止してバス転換は止めておいた方がいい。鉄道とバスでは到達速度が違うし、繋がってしえいれば鉄道だけで大都市に行くことができる。 乗り換えはあっても鉄道だけで東京や大阪に行けることが重要。
▲14 ▼53
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もう一つあるのが、公共性という観点。経済性を突き詰めちゃうと、過疎地域は放棄してとっとと都会に出てこい、ってことになるけど、それじゃいわゆるコミュニティは破壊されるし、居住の自由がどうかって話にもなる。都会に生まれた人と田舎に生まれた人との格差をどの程度許容するかって話になるわけだけど、元々そういう路線を維持するからJRは割高な運賃が許容されている側面もあるわけよね。 食料自給の問題なんかもあって、今後世界の人口がしゃれにならないくらい増えたとき、農業生産力のあるコミュニティが破壊されていたら、日本人の存続にも関わる話にはなる。単純に経済性だけで議論すべき話じゃないんだよね。
▲12 ▼32
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コストコで考えれば廃止が正しい 何をやっても利益を出すのは難しいから でもそうなると地方は潰れる 食料供給を考えれば地方の維持は必須です そこが抜けてるんですよ 旅行で地方に行けるのもインフラがあるから 車で行けばいいというかもしれないが 車でしか行けなくなれば地方は潰れて旅行にも行けなくなる 鉄道は廃止していいという人は視野が狭い
▲9 ▼20
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感情や情緒で鉄道を残す、というのは持続的ではない。 あくまで公共財として必要なのか、に尽きる。その際考慮すべきは、①鉄道は世界中どこでも一部例外を除いて儲かる事業ではないこと、②乗客の輸送だけでなく、貨物や、有事に備えての軍事輸送の価値を考慮するべきこと、だと思う。 だから鉄道事業は、本当は民間企業の事業には馴染まない。②の価値のある鉄道は少なくとも上下分離、して道路と同様に税金や、内部補助のある全国の鉄道利用者の運賃で賄うべきだよ。 ②を満たさない盲腸線のようなローカル線は残すのは無理。どうしても残したいなら地元自治体は、上下分離や自治体運営にするだけでなく、公共施設や商業施設の駅周辺への移転を行い、住民にも駅周辺への移住を促して、超過疎地域の公共サービスを打ち切るなど、鉄道中心で生活できる新たな街づくりをしないと。そこまで決断できれば、鉄道を残せる可能性が出てくる。
▲27 ▼7
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本来、日本のような山が多い地形では、鉄道は道路よりもコスパがいいものだと思う。 道路は税金で維持しているから見えにくいだけで、財源を無視したら鉄道より持続不可能だと思っている。 その上で、道路を減らして鉄道を維持するのか、鉄道を廃止するのか、利用者が減った地域が払える金額の中で考えなければならないと思う。
▲0 ▼0
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線路のレールを取ってしまって、屋根付小型EVの専用道路にすれば良いだけです。橋からは落ちない様に工夫は必要になりますが。 単線でも小型EVなら二車線ですれ違えるし、小学校高学年から運転出来ます。駅のホームが駐車スペースになりますし。駅から遠い人はそのまま乗って行く事も出来ます。
▲6 ▼68
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JR北海道留萌本線や九州の筑豊地区のローカル線は貨物がメイン、旅客はオマケだったから、貨物輸送が衰退した時点で将来的に廃止はやむを得ない。
岐阜の路面電車は抜本的な改造で再生できたはずだが、鉄道廃止で逆に便利になると主張した行政やバス転換論者の強引な手法により、岐阜の街がバスの大洪水になった一方で、末端の谷汲線は廃止代替バスですら廃止に追い込まれた。これを「当初は90%減少のはずが70%減少で収まった」と当時の有識者は開き直って居直りをかけた。ところが、バス運転士の担い手がいなくなり、バスの減便が続くと弁明できず口を閉ざしてしまった。
また、地元民ですら混乱するほどコミュニティバスが乱立し、なかには自治体首長や議員の票稼ぎとしか思えない採算性に乏しい100円バスも乱立し、将来への住民への負担増大やバス事業者の経営を圧迫するなどの問題を拡大している。
適材適所の処方が必要なんだよね。
▲3 ▼2
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この先、地域を繁栄させる気があるのかどうか。 仮に地域住民の足にならなくても、観光などで使われるなら残そうって判断もあり得る。 しかしそういった計画もなく、正直なところ衰退するだけのところも多い。そういったところは鉄道だけではなく、いかに痛みを小さく抑えて町を縮小していくのか考えるべき。
▲12 ▼0
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そんなに廃止されたくないのなら日常の足として積極的に乗ればいいのではないか? 乗らなくても住人の大多数が定期でも買っておけばいいのではないか? 公共交通機関である以上はある程度の実績があれば赤字だろうが存続はするだろう 廃止反対と声高に叫ぶだけで全く使用していないなら廃止されても仕方ないのではないだろうか
▲10 ▼1
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田舎は1人1台の車社会で、田舎のローカル線が赤字になるのは当たり前である。廃止で良い。いや、廃止するべきである。 高校生にはスクールバス、高齢者にはシルバーバスを設ければ良いし、田舎ほどタクシーの規制緩和をするべきてある。
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私は都会に住んでいて、日頃、鉄道を利用している。都会で稼いだ利益を地方のローカル線の維持に回す事は反対しない。お互い様だと思うからだ。しかし、自己責任であり、嫌だ、と思う人がやはり、居る。それは、その人の人間性であり、そう言う人も居る。それで、政治が解決する必要がある。
▲4 ▼3
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私が考えるに、鉄道の優位性って3点だけなんですよ。①速達性、②定時性、③輸送力。
でも田舎だと③は要らないし、②も渋滞が少ないから計算が経つ。あとは①だけど、100年前の線形の鉄道と、最近できたバイパスじゃあ、バイパスの方が早かったりするワケよ。山の中ぶった切ったりしてるし。
それに駅前に目的地があれば電車でも早かったりするけど、駅から離れているのならば家から車で一直線の方が、駅まで車で行って電車乗ってバスやタクシーに乗り換えるより早いコトが大半だし。電車賃も燃料代より高いしね。
となると田舎ではもう優位性がない。だからバスで十分としか言いようがない。
ジレンマとかいろいろ言っているけど、税金で支えられている道路と、民間企業が支えている鉄道じゃ、前提があまりにも違いすぎるよ。田舎の地方自治体だけで支えるのは、実際無理。
あと鉄道なくても栄える町は栄える。中標津とか鹿屋とか。
▲42 ▼11
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厄介なのは、地域は鉄道が「地域住民の足」として国鉄時代から変わらない価値観や存在感を要求しているのだが、今の鉄道会社は、JR北海道とJR四国を除けば、株式会社であり、利益を追求しなければ株主からの突き上げを喰らうことになるという、根本的な価値観の違いであると思う。 JR北海道は株式会社であるが、株主が国であるというだけで、検修や保線は会社がしなければいけない。ただ現実には、社員離れが進み、検修や保線が立ちいかなくなったところで、10年くらい前から荒廃しているのは承知の通り。 JR西日本もJR九州も必殺徐行や車内整備、鉄路整備の手抜きなど、早い段階からローカル線の赤字軽減に努めてきたが、コロナ禍の後でどこも立ちいかなくなったというのが正直なところではないかと。
▲2 ▼0
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昔から当たり前にあったものが無くなるのは寂しいもの でも車に乗ってから乗る機会はほぼないしむしろ踏切での渋滞も無くなりありがたいくらい ただ駅や線路の名残を見るとここにあったんだなぁと勝手ながら感慨深くなる
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この記事は、あたかも廃止反対論者は非合理的で情緒的、廃止推進論者は冷静で合理的という印象を与えようとしているようですが、以下の視点が欠落しているものと思われます。 まず、鉄道と道路交通は、そもそも公平な競争関係にないことです。鉄道は線路や駅、電気設備その他のインフラを鉄道事業者が自前で維持管理することが求められているのに対し、道路は税金で維持管理されています。 次に、鉄道を廃止してもバスやタクシーで代替できるというのは、20年以上も前の発想であって、昨今は鉄道の代替であったはずのバス路線まで廃止されつつあることです。地方では、記事のように鉄道は象徴的な意味を持っているなどというような甘い話ではなく、公共交通機関が存在しない地域では生きて行かれない状況に追い込まれているのです。このため、運転免許を返納しようにもできない高齢者が多いのです。 以上のような実態から乖離した記事であると思います。
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廃止論に関して言うならばですが、 地域は廃止しないで、県も廃止しないで 言うだけはタダです でも運営しているのは民間企業です。 利益にならないなら廃止は当然の流れです。 どうしても残したいなら地域や県から資金注入して赤字を補填すれば継続の可能性がありますが、それをしないなら廃止の反対を言う権利も無いかと
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はっきり言って、鉄道があろうが無かろうが地方の過疎化は進みますよ。 そして、インフラは維持できなくなる。 また、過疎化が進む の負のスパイラルだと思います。 何せ、鉄道維持派も維持を唱えながら自家用車を利用してますからね。 過疎化が進めば、通勤も通学も鉄道1両で十分ならばバスでも大丈夫です。 通学に至っては、鉄道や路線バスではなくスクールバスを導入すれば良いだけです。 極端な話、役場の職員等が運転手をすれば良いんです。(白ナンバーなので一種免許で良いし運転しない時は役場で通常業務を手伝えば良いだけです) 日本全体が人口減少なので、どんどん変化対応していかないと後手後手になってしまいます。
▲39 ▼8
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地域のシンボルってのは能登町のイカキングのようなものですかね。 それを維持したいと思うのはまったく問題ありません。むろんその維持コストはその地域で負担するのが筋というものでしょう。 地域のシンボルですしね。
もちろん、そこから上がる収益も地域のものです。
▲6 ▼0
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廃止しても代替交通機関は永久ではない。バスの運転士不足が問題化している昨今、廃止しても問題ないという単純な問題ではない。
存続にしても、赤字をどうするかの問題がある。利用者を増やすための対策と維持策について議論を尽くして実行しなければ意味がない。
無意味な論争。お互いの意識が浅はか過ぎる。
▲2 ▼2
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首都圏一極集中の世の中、過疎化が進む地域で廃線案が出てしまうのはわかるが、容易に廃線はして欲しくない。廃線は違いなくその地域を急激に衰退させる。車社会だからと言って不要と決めつけるのは、鉄道の存在を軽視し過ぎてる。廃線はその地域を切り捨てると道義。 もう少し、パークアンドライドを充実させれば利用者は増えると思うんだが……駅前に立体駐車場作って、鉄道利用者は切符購入時に駐車料金12時間無料くらいできないか?
▲2 ▼9
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とある鉄道系(交通系!?)Youtuberが、かつて戦後の人・物の輸送の主役は全国津々浦々に路線網を持っていた鉄道だったがモータリゼーションの進展によりその座が奪われてしまったので脇役としてでも存続価値が見いだせないなら廃線も致し方ないと言う見解を示していて、意外にあっさりしている、と印象を持ったことがあった。
所謂"鉄ちゃん"でさえそういう冷静な見方をしているのだから”維持論者”は単なるノスタルジーを語るのではなく存続させるべき価値を具体的に示す必要があると思う。駅は街の象徴で、なんて話も、多くの赤字ローカル線の”駅前”は既に街の中心でもなんでもなく街の形さえ変わるのを放置しといる場合も少なくなく、そのような無策のままにしておいて維持を語るのは説得力に欠ける。
▲10 ▼1
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自動運転自動車の普及のタイミングがすべて。 。 自分、富山県県民です。県内の在来線はいずれも赤字で、県庁交通行政は県営交通公社に丸抱えして鉄道とバスを維持しようとしています。が、自分は自動運転自動車の普及の未来は近く、鉄道維持の決断は早すぎると見ています。 鉄道維持の県営化は、大掛かりな歳費投入ですが、交通公社の赤字は必然で、その将来は採算合わないまま茹でガエルの赤字が増えるでしょう。
県破れてレールあり、と哀しい歌を聴くことになりそうです。
▲5 ▼10
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どちらかと言うと廃止論者ですが、長期的に考えても鉄道があるだけで好転する訳はない。 あくまでも乗り物にしか過ぎない。車がどんどん幅をきかし、道路がますます整備される、そこには税金が投入される。 残してほしいなら、税金を入れる覚悟が否か。それがないなかで、民間に損益無視で丸投げするのはあまりにも無謀すぎます。 つらいけど、弘南鉄道の弘前市と大鰐町の議論を見ればわかります。痛み無しに廃止反対はむしがよすぎ。
▲10 ▼1
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以前テレビ番組で無人駅に降り立つ客にインタビューするものがあったが、誰も降りてこず、住民にインタビューしたところ「いつも車。鉄道は隣町で飲み会がある時しか利用しない。」と言っていた。これでは維持できないと思う。住民の意識を喚起する何かが必要だと思う。黒字にならなくても赤字が小さくなるような。
▲25 ▼4
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北海道や東北、北陸の主要な路線は経済視点だけで廃止は危険では? 国防上で必要な幹線は、新幹線並行でも残す必要があると思います。 万が一大陸から上陸狙われるようなときに、 道路だけでは補給厳しいでしょうし。
▲0 ▼4
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>廃止論者と維持論者が「異なる時間軸」で物事を考えている点にある。廃止論者は短期的な視点で議論を進める。
長期的な視点で見ても、廃止論が正しいことは揺るがない。
>例えば、赤字路線を廃止すれば、自治体の短期的な財政負担は軽減される。しかし、長期的には交通不便による若者の流出や人口減少が進み、地域経済が縮小するリスクもともなう。このような長期的影響は予測が難しく、廃止論者が軽視しがちな要素である
逆でしょうね。 長期的な人口動態は鉄道があろうが無かろうが、基本的には変えようがない要素であって、それを重視するが故に廃線すべきという結論になる。 今、廃線論議が進んでいる地域でも例えばTSMCの工場誘致に成功して、沿線人口が10倍になるなら維持すべきだろう。
総じて言えば、鉄道に ・地域経済の縮小阻止 ・地域文化の象徴 を担わせることは力不足であり、鉄道マニアの願望や老人の郷愁に過ぎない。
▲64 ▼18
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どうせ、無くなる。 食い止めた事例なんてほぼ無い。
スーパーが無くなり 学校が無くなり ガソリンスタンドが無くなる。 その過程の一つ。
貨物路線や特急路線じゃなければ廃線確実。 北海道のようにそのうち本州でも廃駅が始まるでしょうね。
赤字だからそく廃線はしないにせよ、ただでさえ少ない住民の9割が一年以上利用してない鉄道は公共交通機関では無いでしょう。
▲27 ▼4
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確かにすれ違いは大きいが「維持派」の地域の誇りだとかイメージだとかで経済合理性で測るべきではないというのはいくら何でも無理筋。 もはや鉄道とは「アートや信仰だから金銭的価値は無意味」と言うのと同じではないか?そうなると芸術作品あるいは宗教施設になるのだが「それなら」信仰する人間だけで維持すればいいのだ。 コメにもあるがそもそも利用者が「居ないから大赤字」であって利用する人間が居なくとも「価値がある」とはまさにアート作品か宗教施設であり、なぜ信仰みたいなものを国民負担になる政策に織り込むのか意味不明だ。 話しが違うが皇室で「男系天皇は絶対の伝統だああ」とか「選択夫婦別姓で家族が崩壊するうう」というのと似ている。実態は何も影響などないのに「伝統という自分の信仰に逆らう事はとにかくイヤ」という人間が政策をゆがめている。「合理性で判断すべきでない」は即ち「信仰を重視しろ」と同じ意味になるのだ。
▲4 ▼2
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使用者は通勤通学が主、近くを走るローカル線はその時間帯の2本ほどは2両編成で各20人位乗ってるがその他は1両編成でせいぜい2人。 維持するなら通勤通学時間帯のみでもいいと思う。
▲9 ▼0
=+=+=+=+=
鉄道のメリットは都市計画上、色々とあり、 単に赤字だからといって廃止すべきとは思わない。 むしろ、少々の赤字であれば公的資金を投入してでも、 維持するのがベターであろう。
ただ、今、廃止が検討されている区間は、 「少々の赤字」ではない。 ほとんど誰も使っていない鉄道なのだから、廃止はやむを得ない。
▲1 ▼0
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久留里線や芸備線の末端区間のような極端な赤字ローカル線は廃止すべきだが、赤字というだけで廃止にするのは乱暴だ。 中央西線も在来線の東海道線も三セク化した旧北陸本線区間も赤字だが、赤字というだけで廃止にしたら貨物も石油も人も代替道路では運べない。 赤字でも他の交通機関で代替不能なくらい利用者が多かったり貨物を運んでいる場合は廃止にはできない。 中央西線を赤字だからという理由だけで廃止したら長野には石油を運べなくなる。恵那山トンネルをタンクローリーが通過できないんだから。
▲30 ▼54
=+=+=+=+=
この記事は分かり切ったことを長々と書いている。
ある論点で意見の対立がある場合、双方の論拠の種類が違うのは普通のこと。中絶の賛否の場合は、反対派は生命、賛成派は選択の自由を根拠にするが、これらは異質である。また鉄道に限らずコスト削減のためにある事業をやめろとか所有物を売却しろという主張については、賛成派は収支が根拠で、反対派はその事業や所有物のもたらす価値が根拠であって、両者は異質。死刑制度の賛否の場合、よく使う根拠は賛成派は応報性(罪と罰のバランス)、反対派は誤審の不可避性で、これも異質。噛み合わないと言えば、殆どいつも噛み合わない。そもそも賛成と反対の根拠が同種であるのなら、意見は対立しにくいはずである。
▲0 ▼0
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政府は「地方創生政策」なんて出していますがやる気は有りません。反発を避け選挙対策で最低限の補助金を出すだけです。誰も「地方創生」が可能なんて思っていません。そんな金が無い事が明らかだからです。
この状態はもう何十年も続いるので地方の人も十分分かっているはずです。だから現在の論争は補助金を最大限受けたい地方の人の延命でしか有りません。
都会の人間もローカル線は残って欲しいですがもう日本全体で維持できないのです。東京ですら1時間に1本しかないバスが多くなりました。林道はがけ崩れを直す金が無くて閉鎖されたまま。もうこのままでしょう。
以前は東京23区で軽自動車は稀でしたが今は軽自動車ばかり。現在の最低限の補助金も次第に無くなり、地方交付金も減って行くと思います。だから地方の人は自立出来る様に努力する方が良いと思います。
▲4 ▼0
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>鉄道はその地域の歴史や記憶を体現するもの
明治以降の日本において道路より鉄道が先に整備されたことによって刷り込まれた幻想です。そうなった理由も簡単です。
欧州は元々馬車が交通の主体だったから、そのすれ違いを前提とした幅員で道路が整備されたのに対し、馬が交通の主体でなかった日本は人のすれ違いを前提とした幅員で道路が整備されたという相違が原因です。
明治以降の富国強兵の推進にあたり、狭い幅員で整備された日本国内の既設道路を再整備するには莫大な費用と時間を要するのに対し、鉄道はそこまでの幅員を要さないし、道路運送に比べて人や物を低コストで大量輸送できる利点があるから、兵士や軍需物資輸送の全国ネットワークを作るには鉄道整備の方が有利だったという事情があります。
特に末端地域になればなるほど道路インフラの整備が遅れ、長らく鉄道が唯一の輸送手段という時代が続いたから、幻想が増幅されています。
▲8 ▼3
=+=+=+=+=
鉄道が無くなると、沿線地域の価値が下がってしまう。 ローカル線でも地図に線路があるかどうかは大きな違い。 他の交通手段もドライバー不足で簡単に置き換えはできない。 とりあえず地方の過疎化をなんとかしないと前に進まないんだよな。
▲6 ▼39
=+=+=+=+=
鉄道にしろバスにしろ船舶にしろ、ローカル線問題ってとにかく自己責任論が強いよねぇ…そこに住んでいるのが悪い的な。確かに地方で暮らしてるのは自己責任だけど、都会の消費地は地方の生産地から供給されてると思うんだよね。だからその分金銭的な補助をしつつお互い共済するのが福祉国家だと思うんだよ。
▲4 ▼17
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客観性を装ってはいるが、この筆者は純然たる教条的鉄道維持派。「噛み合わない」議論の片割れ。 経済性を言うなら、首都圏と関西圏以外のほとんどの鉄道は赤字。でも誰も千歳線や伯備線や城端線や紀勢線や境線や高山線を廃止しろなんて言わない。これらの路線には経済性を超えた重要性があるから。 でも、今日本で廃線が議論になっている路線は、輸送密度500をはるかに下回る超閑散線区。赤字かどうかなんてレベルではない。 はっきり言えば、地域の交通機関として機能していないし、機能させようもない。 これは誰が悪いわけでもない。時代の流れ。いわば、河川舟運が廃れ、鉄道が隆盛したような交通史の変遷みたいなもん。いろいろ屁理屈をこねてそれに抵抗しても、流れは止められない。
▲9 ▼1
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自治体が金は出してるかのように書かれてるけど、自治体って基本金は出さない(無い袖は振れない、出せない)けど、公共性を盾にとにかく廃止するなと主張してるイメージが強い 住民も住民で、自治体が利用促進を図ろうと料金を一部負担したところで、全然鉄道を利用する気がない(廃線は寂しいから反対だけど、結局ダイヤが不便で車がいい)というイメージ
▲7 ▼1
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原則として鉄道は大量輸送のためのインフラである。 そしてそれは資本主義に基づき、鉄道会社が利益を得られる前提が必要。 利用客が減少し採算ラインを下回りそうになったら廃線の検討に入る。 なのに鉄道ファンは自分たちが日々乗るわけでもないのに声高に反対を訴える。 結局鉄道会社は利益、鉄オタは走り続けるという、主目的が違うから妥協点が合致しない。 結局のところ走る電車が見たいなら、クラファン等で現生をぶち込む以外ありえない。
▲5 ▼2
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日本に無駄にたくさんの路線があるのって、戦前に軍事物資を運んだり、自動車が普及してなかったから地域住民の足として使われてた歴史があるからね ただ、それも昔の話、廃止はやむを得ない 18きっぷで日本中まわったことあるけど、ワンマン列車で客が私だけという場面に何度遭遇したことか そして、接続駅のはずなのに次の列車が来るまで3時間待機とか そういうとこは既に廃線になったり、第三セクター化したところもあるようだけど、いくら維持を叫んだところで無理でしょ 利用者がいないんだから
▲1 ▼0
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乗客がいないのだからそこには社会的価値はなく単なるノスタルジーに過ぎない。 噛み合わないだけの話ではない。 社会的価値があるならもっと乗ってやれよって話。 地元民でもない人の存続希望は威厳としてはもっと価値がない
▲5 ▼1
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面白い記事だと率直に感じた。 しかしながら 、この価値観、前提条件の違い、というものはどうにもならない。 お互いが歩みの寄ることは、絶対に無いと思われる。 例えば原発稼働なども同じ。 目先の短期的な見方しかできない人物は原発の再稼働を主張し、長期的な視点で物事を考える人物は脱原発を主張する。 この図式はローカル線とまるで合致する。
▲18 ▼32
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> 鉄道はその地域の歴史や記憶を体現するものであり、その廃止は
>「地域のアイデンティティ」
> を失うことを意味する場合がある
アイデンティティ云々以前に、人口減少時代においては地域そのものをすべて維持することは不可能になる。地域を集約しなければ、減り続けるパイを地域間で奪い合うことになるだけだ。 子育てが避けて通りたい厄介事と化して久しい。どんなに公的支援を手厚くしたところで、昭和の昔のような、子育てするのは当たり前のこと、という時代には簡単には戻らないだろう
▲5 ▼0
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結局維持派は国費だとか、他人の財布を当てにしているから話がおかしくなる。 維持派だけに維持費を課すことにすれば、まともな議論になるだろう。 維持派の気持ちの問題は、廃止派には関係がないが、金の問題は廃止派にも、維持派にも関係があるのだから、金の問題も維持派だけの問題にしてしまえばいい。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
噛み合う噛み合わないの問題の前に、「負債は誰がメンドー見るんだ?」
維持を主張するのは容易い、負債や財源の話になると途端に維持論者は口をつぐむ、そして「お役所ガ~!」という返答が返って来る。安易な他力志向でしかない。
要するに無責任、JRとしても他の私鉄にしても株式会社であるから、収益が上がらないと廃線せざるを得ない、自治体や国家のような機関ではない。
たまにJRを利用している、10年くらい前に快速が無くなり、学生の通勤時間外だと1時間に4本→2本になった。将来は2両ほどのディーゼル車両が細々と運航しているのだろう。
▲17 ▼1
=+=+=+=+=
廃止論者の方が現実を見て意見をして、維持論者は夢と理想を掲げて机上の空論で戦ってる印象だな。 人の集まらないところは廃れていく未来しかないんだよ。 不便で辺鄙なところに住んでいるなら「不便」を受け入れなきゃならない。 鉄道会社だって慈善事業では無い。 金にならないまま無理をすれば待っているのは廃業。 維持したいならその分の金を持って来いって話。 維持論者はその都合の悪いとこだけ他人に押付けて自分の利益だけ求めてる。 無理を通したければ自分たちの身を削るぐらいのことをしてみなよ。
▲47 ▼5
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鉄道は満員で走らせないと赤字になる効率の悪い公共機関だということだと思う。学校も同じだと思うが廃校論を主張する人は少ない。経済と感情の対立ではないように思う。
▲4 ▼3
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本当は「経済だけ」で天秤にはかることはダメなはずなんだけどね。電車もバスもある意味「社会福祉」という側面もあるはずが、ネット社会になって見向きもされなくなった。これを削ってなんたら万円の壁を推すのは矛盾めいている。
▲3 ▼8
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そもそも車の自動運転が開始したら、新幹線や都心の路線を除き、殆んどの鉄道は不要になる。 先を見据えれば、現在の黒字路線ですら早めに廃止して道路などに転用すべき。
▲2 ▼4
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廃止が議論されるような鉄道って2時間に1本とかそれ以下の頻度でしか来ないところでしょ そんなもん免許のない学生くらいしか使わんし大人は車だろうよ 公共交通機関なんてある程度人口密度がないと採算とれない
▲3 ▼1
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観光や趣味を主たる目的として鉄道を残すなら、ヘリコプター遊覧飛行と同程度の運賃にしないといけないだろう。 観光船ではそういう事例も出てきているから、鉄道でもやってみる価値はある。 鉄オタの財力が試される。 赤字路線を18きっぷで格安で制覇して、税金を取り戻して得したいんだなんて言わないでくれよ。
▲4 ▼0
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ローカル線廃止論者の人が決定的にわかってないなあ、と思うのが、「日本人の本音と建て前」。特にローカル線廃止の議論が出てくるくらいの地方だと、「世間体」が大きな意味を持つ。
地方の人も本音は、と言えば「別に無くなってもいい。生活には必要ないし」。 でも、そんなこと顔出しのインタビューや新聞記事で言ったら「あの人は廃止してもいいとか、地域の事を考えてない」とか評判が立つ。故に、本音では「廃止してもいい」と思ってても、建前上は「廃止は困る」。これは役所も同じ。 この「建前」を本気にして廃止論の人たちって、「田舎者は乗りもしないのに」となるんだよね。
後は感情の問題。都市部の人に上から目線で「赤字だから廃止しろ」とか言われたら、そりゃいやでしょ、となる。地方から若者などを吸い上げて自分たちはおいしい思いしといて、鉄道は廃止しろ、とか上から目線で言われても、となる。
▲0 ▼1
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維持論者の多くは沿線外で主張内容は 「観光に必要」「観光客が増えれば存続できる」「景色がいいので残して」 などが多いみたいです。
これら維持論者自身は沿線外なので日常的に利用することはありません。 加えて多くの同論者は廃止反対理由だけを述べ、現実の赤字をどうすれば良いかを述べる人はごく少ないです。せいぜい「国が支出すれば良い」と言う論者が居る程度です。
▲9 ▼0
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まあこれまた大都市一極集中の解消がないと無理な課題。 都会にいる人々は、ローカル線がなくなっても 日々の暮らしにも帰省にも関係ないんですよ。 「えー勿体ない、(誰かがお金を出して)何とか残せばいいのに」と 口は出すがカネは出さず、実際には「一度は行ってみたい」止まり。 田舎でクマ被害があっても「殺処分なんて残酷だ」と安全圏から喚くのと同じ。
ただ、全国を見て回っているけど、「鉄道駅」がないところは 間違いなく衰退するね。「拠点」あるいは「核」がないんですよ。 元々は駅があって廃線になっても、そこは道の駅だったり バスターミナル・役場・公民館・病院・スーパー・港とかが集まるとか、 「中心」っぽいところとして維持される。 でももともと鉄道駅がないところは、すごくぼんやりとしてしまう。
地方が過疎るというのは「都会の中の田舎」が遠からず過疎るってことだから。
▲1 ▼5
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感情は人によって千差万別で差異の幅が広く、アテにならない。 通学需要があるのならまだしも、それでも空席が目立っていたら、その路線の存在意義はないに等しい。
▲4 ▼0
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ローカル線廃止反対論者はそれによって人口の減少や地域経済の縮小がおこるとおっしゃるが、因果関係が逆でその結果のローカル線廃止だ そもそも地域社会が問題を放っておいたからそうなったんだし、廃止反対の請願で対策を書いたものを聞いたことがない 「甘えるのもいいかげんにしたらどうか?」 と書いたらこれさえ添削の対象である
▲9 ▼5
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北陸系は頑張っている。富山、福井、石川、何処も。福井なんざ、サンダーバード乗り継ぎ列車を設定とか、痛快としか言いようがない。東日本でやったら色々JRに意地悪されそうだが、西は融通が効くようで。
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
>廃止論者は代替交通手段として >・バス >・タクシー >の導入を提案する
これ間違ってますよ。
そもそも、過度な人口集中と同時に、極端な過疎地域からの撤退を含んだ適正な人口配分が必要である。
現在の鉄道廃止論は行政が負担すべき赤字ではなく、人の居住地として維持するのが限界を迎えているところからの撤退に関するものと思っている。
▲28 ▼4
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そもそも地元の人ですら利用しない鉄道に誇りだ心情だ地域の未来が掛かっているんだと言われてもね。それに既に廃線になったり三セク化されたところもあるんだよ。そういう地域は仕方ないって納得して受け入れたのにゴネれば存続だとか不公平でしょう。
▲1 ▼2
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鉄道の廃止等を考えるに、鉄道だけを考えるのはダメだと思う。 コンパクトシティ化(鉄道の周りに主要施設を集中できるか)等を合わせて考える必要がある。 安易な廃止は衰退の道しか無い。
▲2 ▼3
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会社の前を1時間おきくらいにほぼ空の状態で電車が就業時間中走ってる。いるかと聞かれたらいらないって答えるだろう。レールのメンテが意外によくやっててコスト面で合うのか?って見てる。
▲13 ▼3
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どんどん廃線を進めている北海道を見て見るといい 札幌やごく一部の市町村以外衰退が著しい。 卵か先か鶏が先かという話だが、鉄道がなくなるとああなる 夕張も攻めの廃線とかいって鉄道廃止したが、その後バスも一部廃止になった
▲10 ▼5
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鉄道マニアの廃止・合理化論者に関して言えば、 「JR寄り」「良識派」を気取りながら、実際には他のマニアや沿線自治体に対してマウントを取ったり嫌いな相手を叩き潰したいだけの人が一定数居る。
彼らは合理性を見せる為に数字を出したりするが、相手を納得させるのではなくマウントを取る事が目的なのでひたすら反対派をこき下ろす事しかして来ない。 何故良識派ぶりながらそこまで不快な書き込みが出来るのかが疑問。
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ローカル線維持論者のほとんどは鉄オタなのでは(完全に想像だが)。そもそも過疎地のライフラインは今後縮小することが確定的なので、赤字路線を維持するメリットは一つもない。 維持させたいなら、維持論者が黒字化するまで利用すれば良いだけの話。観光がどうとか言っても、それで収益でないなら観光の為にはなっていないわけで。 感情論とか根拠のない未来のためとかいう論理は破綻しているので、噛み合うわけがない。
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維持論者が日常使いしてくれているのなら外野がとやかく言うことは出来ないんだけど・・・ 乗ってくれる人がいないというのが大問題なんだよね ただ単に地元に鉄道が通っているというメンツだけで感情的に維持主張されても違和感しか覚えられない
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