( 238768 )  2024/12/24 16:59:28  
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なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか「納得の理由」

現代ビジネス 12/24(火) 6:34 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/a6ba0c9db24f92cda0d2d5c9011fa5679869ccac

 

( 238769 )  2024/12/24 16:59:28  
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『日本の死角』という話題書では、学校や宗教団体、革命集団などがそれぞれ独自の世界を形成して、内部でのルールや価値観が外部の常識と乖離していることが説明されています。

これらの組織は、「教育」「宗教」「共産主義」といった膜で包まれ、外部のルールが通用しなくなります。

さまざまな社会現象を通じて、学校における全体主義やいじめなどの問題が浮き彫りにされ、そのしくみを明らかにすることが重要であることが示唆されています。

学校でのあたりまえとされるものを再考し、疑いの目を持って捉えることの重要性が強調されています。

(要約)

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〔PHOTO〕iStock 

 

いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。 

 

普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、日本・日本人の謎や難題に迫る話題書『日本の死角』を読みはじめている。 

 

学校は「教育」「学校らしさ」「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。 

 

こういったことは、学校以外の集団でも起こる。 

 

たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。 

 

また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年にあさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、同じかたちの膜の世界がみられる。 

 

そこでは、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。 

 

学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」「宗教」「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる。 

 

このようにさまざまな社会現象から、学校と共通のかたちを取り上げて説明するとわかりやすい。あたりまえすぎて見えないものは、同じかたちをした別のものと並べて、そのしくみを見えるようにする。たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。 

 

 

こうして考えてみると、学校について「今まであたりまえと思っていたが、よく考えてみたらおかしい」点が多くあることに気づく。 

 

これらのポイントに共通していえるのは、クラスや学校のまとまり、その場のみんなの気持ちといった全体が大切にされ、かけがえのない一人ひとりが粗末にされるということだ。全体はひとつの命であるかのように崇拝される。 

 

この全体の命が一人ひとりの形にあらわれたものが「生徒らしさ」だ。だから学校では、「生徒らしい」こころをかたちであらわす態度が、なによりも重視される。これは大きな社会の全体主義とは別のタイプの、小さな社会の全体主義だ。 

 

大切なことは、人が学校で「生徒らしく」変えられるメカニズムを知ることだ。それは、自分が受けた洗脳がどういうものであったかを知る作業であり、人間が集団のなかで別の存在に変わるしくみを発見する旅でもある。 

 

ある条件のもとでは、人と社会が一気に変わる。場合によっては怪物のように変わる。この人類共通のしくみを、学校の集団生活が浮き彫りにする。 

 

学校の全体主義と、そのなかで蔓延しエスカレートするいじめ、空気、ノリ、友だち、身分の上下、なめる―なめられる、先輩後輩などを考えることから、人間が暴走する群れの姿を明らかにすることができる。学校という小さな社会の全体主義とそのなかのいじめを考えることから、人間の一面が見えてくる。 

 

わたしたちは長いあいだ、学校で行われていることを「あたりまえ」と思ってきた。あたりまえどころか、疑いようのないものとして学校を受け入れてきた。 

 

だからこれを読んだ読者は、「こんなあたりまえのことをなぜ問題にするのだろうか」と疑問に思ったかもしれない。だが、その「あたりまえ」をもういちど考え直してみることが大切だ。 

 

理不尽なこと、残酷なことがいつまでも続くのは、人がそれを「あたりまえ」と思うからだ。それがあたりまえでなくなると、理不尽さ、残酷さがはっきり見えてくる。逆にあたりまえであるうちは、どんなひどいことも、「ひどい」と感じられない。歴史をふりかえってみると、このことがよくわかる。 

 

これを読んで心にひっかかっていたものが言葉になったときの、目から鱗が落ちるような体験を味わっていただければと思う。 

 

現代新書編集部 

 

 

( 238770 )  2024/12/24 16:59:28  
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このテキストのコメントをまとめると、以下のような傾向や論調が見られます。

 

 

- 外国のいじめと日本のいじめの違いについて議論がある。

 

- いじめは根本的な解決が難しいという見解が多く見られる。

 

- 学校や社会全体での取り組みが必要という意見や、教育の在り方への疑問が示されている。

 

- 集団心理や同調圧力についての考察や、個々の子供の個性を尊重する必要性が指摘されている。

 

- 記者の立場や報道内容に対する批判、教育制度への疑問が表明されている。

 

 

(まとめ)

( 238772 )  2024/12/24 16:59:28  
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=+=+=+=+= 

 

外国のいじめと日本のいじめは異なるということでよろしいでしょうか?では外国のいじめはどういうメカニズムで発生しているかもお教えいただければ幸いです。ちなみに記事のメカニズムは昭和的ないじめのメカニズムにしか思えません。今のはそんな高尚ないじめではなく男子の場合、お笑い芸人のいじりをもじったような、その場のノリみたいなケースも散見します。女子のいじめはインフルエンザみたいなもので伝統的に持ち回りで省くことでしか仲間意識が持てないことの確認に思えます。 

 

▲954 ▼103 

 

=+=+=+=+= 

 

どうすればいじめられないか、学校にいるとき野球部の新人が生意気だということで、みんなでやつけようという話をしてるのを聞いた。 

でも、その話はなくなった。 

それは、そのしんじんが短気だからやめようという結論になったらしい、強ければやられない、クラスで孤立してる子もいたが、すごい筋肉で誰もなにもいわなかった。 

ということで、鍛えたらいいのではないだろうか、格闘技もやってみたらいい、つかえないけど、抑止力にはなる。 

 

▲254 ▼61 

 

=+=+=+=+= 

 

消しゴムをとられたり、殴られたり、あだ名つけられたりしたけど、いじめと思わず、やられたらやり返してたなぁ。今思えばひどいけど、楽しいこともあった。女子から無視されるほうがつらかったな。いじめはなくならないので、言いたいことはハッキリ言えるような子どもに育ってほしい。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

学校でいじめがなくならないって、いじめはどの世界にもあるよねーって思う。少なくともいじめがなくならないのは学校だけの責任ではないと感じる。子どもを中心に学校と家庭が協力しないと育ててられない事がたくさんあるのに学校に丸投げになっていないかな?と振り返ってほしいと感じる。 

あと暴力的だったり、明らかに陰湿ってみんなの中にハッキリわかる行動ってあるけど…それとは違って「悪気のない」行動でとても嫌な思いをする人もいる。 

だからいじめと言われてるハッキリしたものとそれっていじめでは?っていう2種類がある事をしっかりみんなが理解する事が大切だよねーって子ども達と付き合っていて感じる事がある。 

暴力などは毅然と対処が必要だけど…悪意のない行動はお互いに話し合いをしたりして気づきを促す必要もある。謝るしかない事もあれば、謝っても心に傷が残る事もあるって事は小さいうちからしっかり教わるって大切ですよね! 

 

▲400 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

学校とオウム真理教や連合赤軍を一緒にするのはどうかと思います。学校は、規則やらしさを強制して子供を縛る場所ではありません。学校という小さな社会で、友人や先生と一緒に勉強をする所であり、運動を通して体力を鍛える場所です。学校の決まりは集団生活をする最低限のマナーです。 

 

▲182 ▼55 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめの加害者にペナルティがない状態で同じ教室内で生活をさせたりとかいうのがあったりするから、極限まで追い込まれた被害者が反省もしていない加害者に命を奪われたりする状況にもなりうるっていうのが怖いところ。内容的に傷害事件であっても発端がいじめであったら、子供のいじめの場合はいじめっていう風に処理されがちなのでそこが改善されて加害者側がきっちり処罰されるようにされて行かなかったら気持ちを同調させた。加害者がもっとひどいことを加害者や加害者以外の人にやっていく。 

 

▲76 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

人間は理想とか思っている形とかにはめようとしてしまいます。それは環境とか経験とかにとらわれることが多いのですが、それがないと集団としての行動が取りづらいということもあるかと思います。その中で周りと異質なものをいじめの対象として捉えるのだと思います。先生一人に同じメンバーの子供たちが同じ時間を過ごしているという公教育の仕組みがいじめを助長しているとも言えると思います。これは会社でも地域でも同じ構図だと思います。だから人の動きが活発、流動性のある組織がいいのだと思います。 

 

▲65 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

学校の中で、生活指導も部活指導も学習指導も全部しようとするから閉じた世界が出来てしまうんじゃないかな、と思った。 

 

部活は地域や各家庭で好きなことや得意なことをすれば良い。生活指導は子ども家庭庁が主体になってスクールカウンセラーや児童施設や保健所と家庭と子どもの見守りと指導に当たればよい。 

各機関がちゃんと連携して、多様な居場所をつくれば、学校の外にはいろんな世界があると分かるようになると思います。 

 

▲15 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

人は動物の一種と言う考えを入れた方が良いと思うのですが。 

肉食獣でも飢えていなければ、餌となるべき小動物を可愛がる仕草は、動画で沢山載ってくる。飢えると何か食いたいと噛みつき、それが快感となって快楽神経が働き、喰らう事が快感なるみたい。 

飼育員に甘噛みしていた猛獣が、本当に飼育員を噛み殺すのも快楽神経の作用と思う。 

人間の場合は、それがSM的快感だったり、格闘系スポーツやアクション映画を面白いと思うのに繋がっている。 

イジメもその結果だと思う。 

だけど人は神がつくり給うたと言う概念が古来から有るのか、人間の動物性を無視してきれい事ばかり強調されている。 

 

▲79 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

人は自分と違う価値観の物や人を、受け入れ難かったり排除してしまう事はある時もあると思います。 

記事をみて、考えるに、一人一人を大事にしなければいじめはなくならないと言うことでしょうか。1人の人間として大切に尊重されると言う事、一人を認める、思いや気持ちを大切にする、自分は認められ大切にされていると言う意識。自己肯定感が大切ということかな。みんな違ってみんないいのだと思います。いろいろな考えの違う人たちと関わり過ごす中で、自分も受け入れてもらいながら、自分もいて相手もいると言うことなのかなぁと。大げさに考えずにみんな共存しているという事かな 

ただ、記事の言っている事のみではないと思います。その子の背景、人間関係が複雑に絡み合って、もっと根深い時もあったり、悪気のないいじめなど。いじめというのは簡単には語れないです。(私も)  

いつの時代でもいじめはありましたし、どこでもあるかもしれません。 

 

▲6 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめは絶対になくならないですよ。 

小学校6学年で学生が数名ならないかも知れないけど、普通の規模の学校はあり得ない。 

うちの学校はいじめがないというなら、それは頭がお花畑です。 

学校に限らず、それなりに人数がいるところなら大人ばかりの職場内でもあります。 

かと言っていじめは、放っておくのではなく、いじめがなぜいけないかを教育していかなければならない。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本でも海外でもいじめは存在するんだけど、日本の場合は「我慢するのが当たり前」っていう前提があるんですよね。海外だと、嫌なことを嫌という文化があるし下手したら反撃で殺される訳ですから、やるほうだって覚悟がいります 

日本は反撃で撃たれるなんてこともないし大人は加害者を全力で守ってくれるし、「大人の対応」という謎の言葉で被害者に我慢を強いる。やっても守られるんだから、エンタメやレジャーぐらいの軽い気持ちで実行する子も多いですよ 

 

▲20 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

なかには生きてるうちにイジメを身近に目の当たりにしない運のいい人もいるかもしれないが、いじめって子供だけの悩みではなく一生つきまとう問題ですよね。 

 

大人になるともっと厄介な人がいて、「自分は正しい」と思って「この人が悪い」と他人にいわゆるいじめ行為をする人がいる。 

 

いじめてるくせに自分は正統派だと思って挨拶無視とかね(そうすることが正しいと本気で思って)。 

 

そういう人がいる場所から逃げられないとき、いかに当たり障りなくその毒みたいな人物と付き合えるかが生き残る鍵ですよ。 

 

▲40 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

学校という組織内では、犯罪行為がイジメという言葉に置き換えられ、重大性を下げてしまう傾向にある。 

犯罪行為を行ったら、軽度のものは次にやったら警察事案にすると警告し、重度のものは即警察事案にするべきである。 

過去は変えられないので、再発しないことが重要である。 

 

イジメが発生した学校や学級への罰則は無しで良い。 

イジメは証拠が残りにくいため、隠すことが容易である。 

学校組織で教員への罰則を強くすると、学校が組織的にイジメを隠し、イジメが繰り返される。 

最もやってはいけないことは、イジメをとめることができず、繰り返させること。 

 

学校では守るべきルールを論理的に説明できることが重要である。 

非論理的にルールを設定すると、子供社会で勝手に設定されるルールと同じであり、ルールを破るとイジメるという論理と同じになってしまう。 

個を重視し皆が平等に勉強すること以外に教育の目的はあるのだろうか。 

 

▲57 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

学校の特質を全体主義からひもとく、、無理があると思います。 

人が作る組織は、スポーツから営利企業、人権団体、活動家団体、役所などなど、広義の全体主義と無縁でいられるところなどないのだと思います。 

人が集うから全体としてどちらに向かおう、何をしようという意志が働く。学校の場合はそれが『社会経験に乏しく未熟な子に対して、人として必要な素養と学びを得ること、そして様々な人が集まる集団生活の場を経験させることで社会へ出る準備を積み上げてもらう』という全体意志だと思います、そこには自ずと学びの場としての規範や決め事も生じる。 

 

筆者は一体何を否定したいのでしょう。『場の空気』を批判したいのか。それは世界中どこにでもある。 

それよりも、昔は学級に存在しなかったイジメがいつ頃から常態化したのか、今と何が違うのか。そこを具体的に分析しながら論じる態度が必要なのでは。 

赤軍の反省はよそでやってもらいたい。 

 

▲107 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめを無くす事はほぼ無理だと思う。 

それよりも「いじめ」は有ると言う前提の下で、深刻な問題(自殺や傷害等) 

を起こさない様にすべきだと思う 

良く、自殺等が起こっても「いじめとは思わなかった、ただの悪ふざけだと思った」と言う発言を聞く。 

ここら辺の認識を正す必要がある。 

今、いじめと言われているものはもう犯罪、悪ふざけと思っているものがいじめと言う風に認識を変える必要があると思う。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめがなくならない理由は、人にはサディズムのような加虐欲があり、その欲求が特に強いジャイアンが現れること。そして、長いものに巻かれる傾向の強いスネ夫も多く現れることが原因だと思う。つまり、本能的な要因があるため、いじめは完全にはなくならないと思う。あたりまえ、と思うことは、いじめの根拠になるだけで、本能的にいじめ行動をする人間を完全に止められないと思う。 

いじめを減らすには、いじめのような行動をすると、強烈に損するシステムを構築しないとダメだと思う。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめは学校だけの問題じゃなく、 

人間が持っている本質的な問題なんじゃないでしょうか。 

家族、集団、ひいては種族を守るために、 

変わった人、馴染まない人を排除しようとする心の働きから来るものなのだと思います。 

 

大人の世界でも、あの人ちょっと変わってるから仲間に入れないでおきましょう、みたいな事は当たり前に起きていると思います。 

その意識を未熟な子供たちが持つとわかりやすい「いじめ」になるだけかと。 

 

大人であろうと、子供であろうと、日本であろうと、海外であろうと、何も変わらないと思います。 

とある人に対する「違和感」というものを 

我々は常に感じているんじゃないでしょうか。 

そこがいじめの根本的な要因だと思います。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

鍛えて強い人は、自分も守れるが人も攻撃しないでしょうね。感情的なけんかはあっても(殺傷力が強い技はやめた方がいいが)、陰湿ないじめはしないだろう。強くなれない人でもいじめにあわない社会をつくるというスローガン的なことはあってもいいが、いずれにしても、鍛えるのは得策かもしれませんね。 

 

▲7 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

今の学校に問題があることには同意するが、あまりにも一面的に断罪しすぎていると思う。 

社会には順機能と逆機能が必ず存在するものであり、逆機能の回避は気に入らない、気の合わない人とは関わらないことが善となり、それが徹底されると社会からの離脱や排除、社会の分断が生じて基本的人権を保障する社会システムそのものが崩壊する可能性がある。 

そうなれば「万人の万人に対する闘争」が支配する社会になってしまうと思う。いずれの方向にも先鋭化せず、慣用的な社会を作るための教育が必要。 

 

▲26 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめは人間だけの物とみんな考えているようだが私はそう思わない。子供の頃、実家で20羽程のニワトリを飼っていたが、必ず1羽虐められる鶏がいました(まあ尻をつつかれて羽が抜けるようになるのですが)。そこでその鶏を別の場所へ隔離するのですが、すると今度は別の1羽が虐められるようになるのです。余り広くない鶏舎での飼育でストレスが有ったからかもしれないですが、子供心に非常に興味深く感じました。過疎地の小学校で全校生徒が数人と言うような環境であれば虐め等起きないように思います。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私が小学生の頃 半世紀前にもクラスでのいじめは確かにありました。でも いじめられる子にも 友達は多く居るし 常にいじめていた訳じゃない 。先生に見つかればげんこつが飛んでくるし 悪い事って認識出来たのかも知れない。今はネットの発達で 顔を見ないから 何でも書き込めるし クラス全部でいじめている印象がしますね。先生も出来るだけ関わりたく無いようで 見て見ぬふりって感じです。勿論いじめる方が悪いのですけど 今は陰湿で しつこくて 嫌な感じです。いじめは完全に無くなればいいのだけど やっぱり親の教育や躾 学校での道徳の授業が足りないんでしょうか? いじめは人格の否定だし その子の人生も変えてしまう。もっと子供の頃から 皆が気付いてくれればいいのだけど。 

 

▲14 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

他者への攻撃性は多かれ少なかれ、全ての生物が持っているものだと思う 

 

それをしつけや教育、環境を整えることで回避することは可能だと思うが、全てを防ぐことはできないと思う 

 

日本の学校では「いじめ重大事案」と認定されれば第三者委員会(弁護士や教育学の教授など)が設置されるが 

大抵「なぜいじめが起きたか」ではなく「学校の対処のここが悪い」に終始している 

たとえ被害者だとする側の過失や悪事が原因であったとしても、被害を訴えた側を全面的に守れなかった学校が悪い、となる 

 

これでは学校の先生はやってられない 

学校の指導(停学など)を受け入れされる社会的な合意を形成した上で、とっとと警察や弁護士に通報・依頼して介入してもらわなければ、学校の安全は守れない 

 

▲4 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

日本全体にいじめの体質はあります。なぜか学校のいしめをメディアは取り上げてしまう。会社でもいじめで自殺する人も多い。日本全体としていじめ対策をしないといけない。国会議員が率先して取り組み、官僚が取り組み、そのことを本当に世の中に発してほしい。学校では、生徒間のいじめはあるが、教員間にもあります。 

日本全体で取り組むべきです。 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

学校でのいじめが特に陰湿という訳ではなく、まだ社会生活に慣れていない分過激で、受けた方もどうして良いか分からない中で絶望するということではないか。 

それと先生も若かったり経験が少ないことから適切な対応が出来なかったり、先生自体が職場の人間関係で精神をすり減らしたりしていて余裕がない。親も本当の大人になり切ってなくて自分のことで精一杯の人もいる。 

逞しい子供は放っておいても成長するが、こういう社会全体の変化はやはり余裕のある大人がフォローするしかない。色々意味での心の闇みたいなものが段々オープンになりつつあり、過去のことも含めて自分を見直し気持を切り替えるムードは一種の光明だと思う。 

 

▲10 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

なんか、虐めが無くならない理由に対して全く納得出来なかった 

 

大前提として 

虐めと言うのは無くならない、『虐め』と言う言葉がソフトになってますけど 

力や地位による暴力 

今はハラスメントと言う言葉に代わって来てますけど 

大人になってもハラスメントはあるのに、学生には虐めが無い環境を求めるのは無理があります 

 

大人であれば 

会社や日常生活で、ハラスメントとして労基や民事や刑事で訴えることは可能ですし、転職や引っ越しで回避することも出来る 

 

子どもであれば子どもの都合で親が直ぐに引っ越す事はすくないでしょうし、民事や刑事で訴える前に学校に対応を求める事になりますけど 

旭川の凍死事件で解るように、虐めと認定されるにはどれ程の労力が必要か?虐めた側に反省を求めるのがどんなに困難か? 

虐めた側は保身の為の嘘をつきます、それを覆すのにどれだけの時間を割くのか? 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学校の問題というより、学校外の選択肢が無さすぎて学校がすべてだと思い込んでしまうことが問題だと思う。 

フリースクールやネット学習の地位が低いこともそうだけど、遊びの分野でも今の子供達は窮屈そうだ。昔は道草をして帰宅していたし、道中で色んな大人とも関わりがあった。それが今では真っ直ぐ帰宅しなけれはならず、子どもに声をかける大人は通報されるからね。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

頭良すぎて、おかしな事を言っているように思えます。 

イジメをするのは、自分の事のことを優先する、自分の事しか考えられない、そんな普通の事が行き過ぎて起こることが殆どでしょう。 

邪魔に感じる、腹が立つ、だから排除したい。 

群の中でのマウンティング。 

ほかにもあるかもしれないけれど、この人の言うようなことではないと、思います。 

野生生物でもイジメはいっぱいあります。イジメられたらほぼ死にます。 

ヒトは理性を持って、イジメをやらないように学んでいくことで無くす努力を続けていかないといけないのです。永遠に。 

 

▲142 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

イジメがなくならない。そんなことは当たり前である。問題は学校やその周辺がそれをゼロにできる前提で問題解決しようとしている事である。感情があり不確定な存在の人間を完璧にコントロールすることは他人はもとより本人にも不可能である。 

また今のイジメ問題の取り組みの主流は加害者と組織に対してのアプローチしか行っていない。被害者へはケアしか行われず、振り返って問題を見つめ直すことは本人や家族に任せられている。イジメが人間関係上のトラブルである以上双方に回避の為のヒントが隠されているはずである。片落ちな今の対策では改善されるはずも無い。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

根本的な要因は報道の在り方だと思います。 

何故学校がいじめの摘発に消極的なのか?その答えは『公になると学校の評判がガタ落ちになる』から。 

もし摘発して解決しようとしても、それが公になると、『いじめがあった学校』という評判『だけ』が広まってしまい、学校側にとって損になるのです。 

だから教師達もなかなか手を出せない、揉み消したいという流れが出来てしまう。学校側が意欲的にいじめを許さない、すぐ摘発してやるという姿勢で生徒達にアピールしていれば、いじめられる子も学校側に相談しやすいし、いじめをする側も容易に出来なくなるでしょう。 

 

その為には、いじめに関する報道がされた時に、しっかりと『学校側の対応が成されたのかどうか』という趣旨の報道を義務付ける必要があります。そうすれば逆に、いじめを許さない学校というイメージアップにもなり、学校側もいじめの解決に積極的な姿勢になるのではないでしょうか? 

 

▲22 ▼13 

 

 

=+=+=+=+= 

 

集団生活に馴染めない人がターゲットになり得たり人間は自分より下(劣る)を作ってしまう 

 

孤立を認めてあげないと無くならないでしょう 

 

自分勝手とかではない行動で同じようには行かない人がいるとして付き合いが悪いと集団から見て劣るとしてしまう 

 

人見知りや極度の緊張、知識が後から付いてくる人もいる、例えて、仕事でも全く最初は出来ないのに覚えたら凄い人になるみたいに、スポーツも同じ 

 

劣ってはいないのにレッテル貼られたら自身もそう思わなければいけなくなる 

 

色んな病や生まれ持った気質(HSP等)を理解するには子供でも大人でも難しい 

 

才能は皆に有り劣るとしてはいけない 

 

孤立にしたらいけないという優しさで対応する人もいるでしょう、しかし孤独を好む人間もいます 

 

これを理解しなければイジメに終わりは無い 

 

傷付いた人は分かることなのだけど 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

まるで日本以外の学校ではいじめが無いかのようですね 

 

多種多様な性格の人が集団でいるんだから当然いじめは起こるに決まってる 

特に学校のように強制的に相性の合わない相手とも学校という閉鎖空間の中で過ごすんだから問題が起こりますよ 

いじめが無くなる訳ないでしょ 

起きたらどう素早く対処するかが大切なんでしょうが 

 

▲66 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

集団としてのチカラを最大に発揮できるように組み立てられた仕組みなんだから、指摘のポイントはある意味であたりまえ 

 

集団主義では、個々が持つ個性よりも、全体を揃えることに注力してそれによる集団としての達成や成功をまず目指す 

 

まぁ、即効性はある 

生き残らなければそもそも話にならない群れ同士の争いなら、効率的な戦略だ 

 

日本は150年くらい前に、一気に群れとしての勢いを伸ばそうとして意識的にその体制を整えた 

で、それが80年前の大失敗に繋がった 

 

もちろんそこから学んでいろいろ修正を試みたが、どうしても残ってしまっている「滅私」の感覚は、たまにわかりやすい結果を見せてきたりする 

空気を読めなんていう、もうどう対抗すればいいのかわからないものにまで進化した 

 

んで、至っている言葉が「社会が悪い」だ 

 

仕組みは見えたんだから、意識して自分と所属集団というものと両方とを考えていかなければいけない 

 

▲27 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

この筆者の教育の観点はには賛成しかねる。教育は実社会での生きる力を養うところ。一人では行きていけない。集団(会社や家族、地域など)社会では許されないことも訓練の場だから許される。社会の中の理不尽さ、これも学んでおき免疫をつける必要もある。大人社会でもいじめがあるのに小中学校などでなくなるはずがないだろう。 

世の中からどろぼうがなくならないのと同じ。そうかんがえてもよい。 

ただし「イジメ」は早期に芽を摘むことはできるししないといけない。これも家庭の協力がなくてはダメ。 

いじめは永遠になくならない。 

 

▲3 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事の内容から考えると、同調圧力がある以上なくなることはないということになる。同調圧力は日本特有というわけではなく、他国でも起きていることであり、人間社会では切り離すことができないことでいじめが起きると思う。 

非常識な輩が多い集団に逆の考えをする常識的な考えを持つ人が加わることになった時に、全く加わりたくないと思う状況からそうしたいじめというものが生じ始めてのではないかと経験から感じる。 

中には一線を超えた行為も存在し、警察の介入を積極的に行ってそんな連中を少年院送りにしたいぐらいであった。 

学校という閉鎖空間もそのいじめを助長していると感じる。不適切な状況は18禁カレーを別に教師の顔に塗りつける行為を起こした行為などがあるなど多くある。 

教育を受ける権利を守るにはCOVID-19の時のように完全にリモートでするしか解消しないだろう。いじめを嫌う人にとってはその方が合理的である。 

 

▲18 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめの原因は、ほんの些細な事だったりもするから避けられない。我が子がいじめの被害者にならぬよう祈るばかり。保護者は皆そうではないか? 

子供も色々いて、親に友人の悪口を吹き込む子供も居る。(親が怒鳴り込んだりする)一方普段から不安感が強い子は、学校では特定の友人とキャッキャ遊ぶが家に帰った途端、あの子は…と親に泣きながら訴える事もある。(無理してあの子と遊ばなくても良いよ、ほら今から〜しようよと誘っても嫌!あの子と遊ぶ!とせがむ。なのに家では泣いて親にあの子が嫌だと訴えるのよね) 

学校関係者は注意深く人間関係を観察し、時に声を掛け、子供達がそれぞれの不安を乗り越えてくれるのを固唾を呑んで見守る…しか出来ない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人間は、一人なら何もない。 

二人なら喧嘩。 

三人集まれば弱い人、特徴的な人を特定の目で見てしまい、2対1になる。 

それが何十人も集まれば、弱いグループ、強いグループに別れてしまう。 

イジメは人間が、知性や感情を持った頃からあったからしょうがない。 

大人の世界にもあるし…永遠の課題。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

野球、相撲、将棋、クラシック音楽、その他伝統的な一部のスポーツ。すべて、これでもかとしきたりでがんじがらめになった業界で、しきたりこそが参画者に生きる希望を与えている。 

 

野球だと、甲子園ひとつで球児としての 

出世が決まるなどひどい話だが、それでも球児たちは尊厳を感じて従う。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

何故イジメが無くならないのか?理由は簡単、詰め込みすぎているから。まずは学級規模、今や先進国で35人も·40人も詰め込んでいるのは途上国だけです。日本が少子化だからと教育予算を減らし教師の数を減らしていた平成の30年間、欧米では予算を減らさず少子化で余る教師を減らさずに、20人以下学級やIT化やSC·SSW·事務補助等を雇用して、授業に専念できるようにした。しかし、日本はメディアが対応すべきと理想論を振りかざして責任追及しても、実現のためのコストに触れない報道を続けてきたから、定数が変わらないまま。また、週6日から週5日にする時に削ってゆとりを持たせたのに、週5日のまま学習内容を週6日に戻した上に、英語や道徳やプログラミングを増やしている。しかも、学テの平均点で教師を締め付けるから、当然子供の学習の習得に厳しくチェックするようになった。心に余裕が無いからイジメが無くならないのだ。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめはどの時代になっても無くならないと思う古い話ですが小学校時代酷いいじめにあった経験が有り学校の先生も注意はするのですがPTA顧問の息子なのでそれ以上何も出来ないのが現状でしたそのいじめ中心になっていた彼が今では市長になっていじめを無くそうと運動してます誰がそんな人に関心を示し応援するでしょうか?大人になるとそんな事をは忘れてしまうのか?残念です 

 

▲3 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめっ子が小粒ばかりだから、どこまでがいたずらでどこからがいじめなのかわからないのが原因だろう 

1学年350人のマンモス小学校で一番喧嘩っ早いシャイアンみたいだった友人は、喧嘩はするけどいじめはしないタイプのきかんぼうで、いじめを見ると割り込んでやめさせていました 

決して女の子をいじめたりしません 

後にその学区のまま進んだ中学校で 

当時の先生方の評判では「あの学年はワルはたくさんいたけど、あいつが悪いことをしないので、誰もワルさができない。近来稀な手のかからない学年になった」と聞きました 

 

平等ばかり強いて、良い悪いの物差しをわかったリーダーが育たない教育に問題があると思う 

 

▲36 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめ、嫌われているのだ。学校どころか職場でも住んでいる所でもいじめは有る。決まりきった法則などないよ、単に嫌われていると言うことだ。いじめについて普通に子供達と話したが、いじめられる方にも理由があると言っていた。無くならないなと思った。嫌われるのはどうしようも無いのが現実なので、負けない耐性をつけておくしか無いと思う。 

 

▲11 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめる奴といじめられる奴がいるので虐めは無くならない。 

ただ虐めと言われているほとんどは虐めではない。 

人と違う事でいじめられる場合が殆どだが、いじめられる側はそれをどうとらえるかで大きく異なる。 

考え方の相違があるため人とは違う事になるので、お互いが理解しあえることが重要。 

個性とはお互いに認め合う事で成り立つもので、自己主張だけが個性ではない。 

それ以外では、人より能力を上回る事も重要。 

弱者がいじめられるのはどこの世界でも同じ事。 

弱者が弱者で終わらない事も重要だ。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

会社でも限りなくイジメに近いシゴキや指導があるし、影では完全な犯罪行為かもしれない。イジメがこの世からなくなると考える方がお花畑であり、起こったイジリ、無視といった小さなイジメを出来るだけ早く解決し重症化しないようにする方でいいと思う。 

また、虐められる側も録音や証拠集めを行い、学校空間ではなく損害賠償や和解金といった一般社会のルールで処理されるべき。 

限度を超えた行為は犯罪であり処罰されるべきである事を忘れてはならない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まず前提として、海外のいじめの実態を聞いたことがあるけれど日本とは比にならない程酷い。 

まるで日本には多様性がないからいじめがあるみたいに書いてあるが、海外ではその多様性がいじめにとっての格好の餌になってしまい、人種差別、身障者への差別、同性愛者、宗教などあらゆる「違い」がいじめに繋がる。 

日本にももちろんイジメは存在しているが、どちらかと言えばそういった分かりやすい違いの部分でのイジメより目に見えにくい精神的な成長具合や性格という些細な違和感から来るものが多いのでむしろ虐めている当事者は自覚が薄い場合が多くまたやり方もイジメとおふざけのグレーゾーンからエスカレートしてくるパターンが多いので低温やけどのように徐々に深く傷つく。 

海外の場合は暴力や言葉による露骨なイジメが多いが露骨に地域等による貧富の差で学校を分けてしまうので筆者のように「富」しか知らない方は少なく感じるのでしょう。 

 

▲109 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

人間は三人いればグループが発生するのだから、そこからいじめが生まれたりいじめられていると感じたりするのは極当たり前の現象。大人の社会ですらいじめも犯罪も無くせないのに、学校や先生に責任を押し付けて無くさせるのは保護者の傲慢そのもの。まず家庭でいじめをしない教育を徹底して、学校ではなるべく深刻化しないように努力する以外は無理な話。どう感じるかが基準なのだから、この先も無くなるはずがない。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学校があるからいじめがなくならない。つまり学校を変えればいじめはなくなると言いたいのかな?もしそうなら思考が浅いかなと思う。 

学校というくくりを外しても集団で生活しているといじめは起きるぞ。 

国民の教育の効率化を目指したのが学校だとするなら学校は国家を形成する上で必要不可欠なシステムだ。学校そのものを問題視するのではなく、いじめを予防、防止していくことに注力していくことが建設的で必要なことではないだろうか。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まさに金太郎飴文化だと思う。一人のターゲットが出現するとクラス全員+教師が全員いじめっ子になり、ターゲットが自殺するまで追い詰める。この構図が太古の昔から令和の今日まで日本に綿々とはびこってきたイジメの普遍的構図だと思う。今後も変わらず、いじめられっ子の自殺を集団の暗黙の目標にして日夜精進しているのが日本における学校の姿だと思う。 

 

▲6 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の学校でイジメが蔓延るのは『イジメ』で片付けるからでしか無いと思います。 

 

子供のした事で片付け『イジメ』と称して、大人ならば犯罪として成立する行為を学校の枠に押し込めて隠ぺいしようとするから蔓延る。 

 

この原因は、全体主義とかよりも家庭で行うべき躾も不備があったら学校の責任を問う父兄の存在とそれを助長する一部メディアの報道姿勢にも問題はあるだろうし、学校の中での事だからと治外法権のごとき対応を繰り返す司法当局の問題もある。 

 

悪い事と認識させるには、それをしたら罰があるという認識が不可欠なのは民族による差異のある事では無く、罰則がある国では蔓延らないってだけだと思う。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の学校は全体的には良いと思うが、イジメはエゲツないと感じたな。 

一部でなくクラス全体が追い込むから。 

 

アメリカなどではどんどん停学や、クラス替えをして物理的に引き離すが、日本は「話し合い」みたいな解決方法を模索したり、いじめられっ子にも原因はある、的な対応を取られるから。 

 

団結力の裏返しかなとは思った。海外から転校してきたときは最初本当に怖かったよ。 

 

▲7 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事、なんか小難しく考えすぎているなと思いました。 

 

人間は生物なので、生物学的視点を含めなければ、本当のところは見えてこないと思います。 

 

動物にもいじめはあります。 

人間だけではありません。 

 

大脳辺縁系(本能)が存在する限り、いじめの因子を人類から除去することはできません。 

前頭葉の理性により本能を抑え込む訓練をする必要がありますが、小中学生の未成熟な脳では、難しい個体も存在することでしょう。 

そのような個体をいかに躾けていくのか。 

または、いじめ的発想行動をとらなくて済むような、生活的心理的な安全安心を与えてあげられるか。 

 

いじめ予防は人類の永遠のテーマの一つだと思います。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

学校からじゃなくて社会からね。 

組織、集団にはほぼ必ずいじめ、ハラスメントが存在している 

 

全体主義も原因の一つだけど日本はほぼ単一民族であり多様性がないこともいじめが起きやすい理由だと思う。 

みんなが同じでなければ気が済まず違いを探したりはみ出した人間を執拗に攻撃するんだよね。 

子供のいじめはわかりやすいけど大人のいじめは巧妙で陰湿でかなりたちが悪いよ。 

 

どこの国にもいじめはあるだろうし日本だけの問題ではないけど問題は日本の場合いじめを軽んじていることなんだよな。だからエスカレートしやすいし被害者が泣き寝入りするはめになる。 

まずはハラスメント防犯法やいじめ防止法を単なる理念法にせず罰則付きの法的義務にする必要がある。そうしなければ組織は真剣には考えないでしょ。そうでないとやってますというポーズを示して終わりなんだよ 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事の見出しだと日本以外の国ではいじめがないような書き方ですがもちろんそんなことはありません。そもそも学校教育は産業革命後にできた工場などで働くことを前提とした制度から始まっているので個性や個人の活動とは真逆のものです。 

当たり前ですが現在大事なのは学校に全ての責任を押し付けるのではなく各家庭での教育でしょう。 

そもそも大人の社会でもいじめはあるのに学校でいじめがなくなることなんてないと思います… 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

主語が「日本の学校」になっていますが、いじめの芽は全人類にありますね。よく「いじめをする人たち」「いじめをするやつら」って言いますが、加害者になる可能性も被害者になる可能性も人間全員にあります。 

多くのいじめは多数が少数をいじめます。「クラスのほとんどにいじめられた」場合、そのクラスが悪魔の子が集まった特殊な集団で、外からそのニュースを見て憤った日本中の人が天使なのではない。そのクラスは世界の縮図に過ぎないのだと思います。 

 

▲79 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

イジメは無くならないと思います。人間は平等な生き物でないので、仕方ないのかもしれませんが、イジメを止めようとすることくらいは出来ます。 

 

現代では、イジメを助長したり、面白がる人間が増えすぎたのだと感じます。もっと他人に優しくなっていいと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

残念ながら目から鱗は落ちませんでした。記事の内容が当たり前過ぎて。筆者はいじめについて全くわかってないかな。まず、いじめは日本以外も有る。いじめはみんな解決したいと思ってる。当たり前とは思ってない。解決出来ないのは学校に任せてるから。警察入れるかせめてガードマン雇えって。それが被害者と先生達の切なる願い。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

他人の人権を傷つける行為、攻撃する行為以外は全て自由で良いと思います。どんな格好で学校に来ようが。 

肝心なのは「不快」は関係ないこと。日本はこの記事のように全体にそぐわない人を不快に感じた大勢が、それを悪事だと捉え排除することが正義だと勘違いすることでいじめが容認される。 

抑圧されてきた今の大人や、大きくなってからでは遅い。小1でさえ、みんなと違う子に対して理由を求める。例えばどうしてあの子はランドセルじゃないのか、カバンで来るのは特別な理由がある子だけだよ、って真顔で言ってくる。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

日本と違って外国のいじめは日に当たらないからもっと酷い 

 

よくアメリカで銃乱射事件が起きるが背景にはいじめがなんてこともそこそこある 

人間が多数集まる以上どうしても起きる問題なので起きたあとの加害者への対応と、被害者のメンタルケアの方を議論しなければいけない 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめにあったら、即警察に通報でよろしい。 

学校の先生は全く役に立たない。学校は素通り。 

相手との示談には応じない。絶対、被害届を取り下げない。罪を確定させ、内申書に記載させる。とにかく、いじめた相手を社会的にとことん追及する。報復があっから、その時点で警察に通報。これらは親が子どもに入れ知恵して、自分でやらせる。親も出せと警察が言ってきたら、親も出ていく。教育委員会にも、子ども本人から電話させる。親を出せと言ってくるから、その時は親が出る。 

とにかく、大騒ぎにして、相手側を徹底的に追及していく。 

示談には絶対に応じないで、法でとことん追及していく。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

海外の教育現場でもいじめは大きな社会問題である。何を根拠に日本のいじめの構造を論じているのか分からない。欧米では全体主義とは真逆の社会構造だがいじめは存在する。むしろいじめの要因を日本社会に見出すより、人という生物学的な要因から論じるべきではないだろうか 

 

▲0 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

日本赤軍なら永田、森、オウムなら麻原を 

強引に止められる人がいなかった 

 

小さい人間だが集団を支配してしまうような独裁者はでてくる 

学校やクラスでもこういった暴君が出てきてリンチをはじめる 

 

悪いと分かっていてやっているので 

まず罰を与えて、その後に再指導をしないとダメです 

 

この辺は犯罪者の扱いと同じです 

懲役刑なり罰金刑なり相応の罰を与え 

その後に社会復帰プログラムを受けさせます 

(主に服役中) 

 

罰を与えず、指導だけだと、つけ上がるだけです 

目に余るなら指導をあきらめ 

警察に即通報するのも良いです 

 

学校は介入しないで即警察沙汰にすると言えば 

少しは抑止力になるかもしれません 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

密集飼いすると、ケンカも増え、弱い個体は死ぬまで攻撃される。群れたがる人間もいるけど、まあまあ、適当にだな、距離感を持って、余裕のある心境で、って、強制的に40人でまとめられてしまうんだから、仕方ないね。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本のいじめの原因は大人の社会システムが原因です。 

日本の場合解雇ができません。 

誰かをクビにする場合はいじめて追い出すしか方法が無いのです。 

当然その仕組みは親から子供へ引き継がれます。 

そして学校の中でちょっと気に食わないやつがいるとそいつをいじめるという構造になるのです。 

日本のいじめを無くすのによい方法は解雇の自由化です。 

それができれば日本のいじめは徐々になくなります。 

なぜなら友達をいじめている場合じゃなくなるからです。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

学校を洗脳の道具扱いしちゃっているのが違和感かな。 

 

主体的で無い学びって、学校と言う舞台装置に依存しているけれども、これに対する感度は個々人で違うね。 

 

明文化されて、表現可能な学びのみを学びと定義して、それ以外を洗脳と呼ぶならば、 

各人の感度の違いを悪として、主体的な学びの意思と努力のみで評価するのが公平であると言う世界観が透けて見える。 

 

舞台装置にある暗黙の学びを気味悪がっているのはわからなくは無いが、実のところ、その部分にいろいろなものがあると言うのはあると思う。 

 

そう言う空気がわけわからんのはあるだろうけれども、これに自分の感じる世間への不満をぶつけても、暖簾に腕押しになるだけだと思う。 

 

そう言うのそこら中にあるし、人々思う相互作用で変わるものだから。 

いじめとかもそう言うものの中に情報があるけれども、それが主体的に人をいじめるもののでも無いのがね。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめが発生することより、違法行為も含めて容認していることに問題があります。これでは治外法権です。 

 

例えば暴力は本来犯罪なのに、学校内というだけでやられる側に原因があると言って被害者を非難するなど、法律と矛盾することを平気でやってのけるところに嫌悪感を覚えます。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめが起きた時例えば学校なら学校内で解決しようとする。それが良くない。 

その社会にきちんとした自浄作用がたいていは備わっていない。被害を受けた者が容易にその上位社会に救済を求めて例えばその学校や生徒などに指導制裁を与えることができる仕組みがいいと思う。日本ではもともとムラ文化だったからこういう意識が遅れていると思う。METOOのあの女性やパワハラでの相撲部屋の親方に訴訟を起こしその親方がおそらく訴訟のストレス過多で亡くなった事案とかいろいろあるよ。「上から落とす」ことができる社会が望ましいんじゃないかな? 

 

▲4 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

「なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか」とあるが「なぜ日本の社会から殺人がなくならないのか」と問う人はまずいない。問うことにどれほどの意味があるのか分からない。昔苅谷剛彦氏がいじめを考察して、何らかの程度閉鎖的な環境においていじめが起こりやすいというような結論を出していたと思う。教室はメンバーが同じで一定期間抜け出ることができないという意味で閉鎖的。刑務所も閉鎖的。この記事が述べている条件がなくても、これだけでいじめは起こるだろう。こういう思考はJ.S.ミルの帰納法におけるような2つの事例の引き算をするなどの操作が必要。「全体主義」を取り去ったらいじめが起きないのか、外国の学校はどうか、をこの記事は問うていないようだ。多くの人には本質的要因を操作する際の緻密さが欠けている。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめが無くなるという事は、戦争が無くなるという事にも繋がる。産まれ落ちた瞬間から、理不尽は始まってす。 

学校の中での理不尽、社会での理不尽。当たり前のようにそれはあり、それからは逃れられません。 

学校を理想郷に変える事が出来たとしても、社会では通用しませんよ 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ノルウェーは学校でいじめが起きたら行政に報告を義務づける、フランスではいじめっ子を強制的に転校させるの措置がとられています。 

日本はいじめに対して甘いです。いじめの常套句である、「いじめられる側にも問題が」「いじめられる側にも原因が」、にノーを突き付けられない親や教師の姿勢こそ、問題です。 

 

▲29 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

何故なくならないか? 

簡単だよ、生物だから、人間だからさ 

 

それを踏まえての話だが 

学校や教育委員会のなかで、なぁなぁで済ませるのが良く無いのでは。 

子ども同士だからと言わず、1人の人間として刑事、民事で訴えられることを児童生徒と保護者に言えばよい 

加害者に一分の温情を与える必要は無い、それくらいの強い姿勢でやって欲しい 

 

▲1 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

人をおとしめたりさげすむ事で快感や安心感を得ようとする心理は誰にも多かれ少なかれある。大半の人はそれが社会的に許されない事とわかってやらなかったり、相手を思いやる気持ちが上回って実際にはやらない。しかし、それが全くセーブ出来ない者もいる。特に学校ではそれが多く見られる。多くの原因はいじめる側の家庭環境が大きい。穏やかな雰囲気の家庭の子はいじめをやらない。いじめをする子供の多くは家庭が荒んでいたり親も自己中心的だったりする。子供の成績は直接関係ない。成績はトップでも中には歪んだ性格の子供もいる。まあ、その場合、親と話すと「なるほど、親がこのような考えだからこうなったんだ。」思うことが多い。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

大人が大人社会でイジメをしてる以上、なくならないと思う。学校、学校言うけれど、会社内のいじめ、ご近所内のいじめ、ママ友間のいじめ。大人がそんなくだらないことをやめられないんだから、精神がまだまだ未熟な子どもの社会でなくなるわけがない。ただ、子どもに希望があるのは、未熟だからこそ変化が期待できること。大人に変化は期待できない。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

思春期のいじめというか 暴行は 記事を読んだりすると 好きな異性の取り合いということが結構多いですから そういう時はもう相手の命を奪うぐらいので暴力を振るいますから そこはやっぱり大人が出て喧嘩を止めさせないといけないです。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学校の「いじめ」と宗教は何の関係もありませんよ。宗教は欲の為に行う詐欺師が行う信仰力を使う行為であり一度信じてしまうと自らの金や体も差し出してしまうのです。学校のいじめは未熟な子供に自我が芽生え始めた時にその良し悪しが分からないために自然発生するのであり全く違いますよ。ではなぜいじめが無くならないのかですがそれは文科省や教師達が本質が分からずそれを子供たちのせいにして加害者を放置し続けているからです。ではどうすれば減らせるかですがまず行うことは職員室を無くすことが重要です。先生は教室内に常駐し休み時間も子供たちと遊ぶことが大事なのです。つまり短時間であっても子供達だけにすることで必ずリーダーが現れ支配力が強ければいじめが起きるのです。このことが分かっていないのは文科省や教育者が未熟だからです。明治や大正時代と異なり今はTVやネットにより子供の知識は発達しているので自己主張が強いのです 

 

▲7 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそもこの情報が溢れて、どこでも勉強できる時代に学校に詰め込んでみんな一緒におんなじレベルの授業を受けましょう、おんなじ行動をしましょうはもう限界なんだよ。 

いじめの解決としては、学校の卒業課程を学校だけじゃなく、塾や学童、フリースクール、通信、オンライン、放デイなどどこでも取得できるようにすればいい。どこにどれだけ行って、勉強しても卒業できるよとなれば、教室に詰め込まれてストレス溜まってイジメが発生することは無くなるし、不登校児もより通いやすくなる。 

まぁ文科省にこんなことできるわけないかw 

 

▲4 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

大人でもアンフェアなやり方をする人間はいっぱいいる。それは自分が優位だと思うから、そう思いたいからだと思う。その人間心理を冷静にみるようにトレーニングするのが教育だと思うけど、今時親が良し悪しを教えられない。というのも変な教育評論家だかが叱らない子育てから始まり個性だの「らしさ」ばっかりを強調して社会性をただ自分の欲求を大事にしてもらうことだけにフォーカスするから。現場はぐちゃぐちゃ。学校でルールを教えることになり、挙句先生の指導は行き過ぎだとか言う始末。本当にしてはいけないことが抜けてしまう。自分の欲求と社会との距離が取れない子が増えて行くと思う。そもそも子育てもしない人間が増えてしまい大人が子供みたいな存在になってしまっている。大人も自分の承認欲求ばっかりでSNSに必死。それも自分を優位に認めてほしい表れだと思う。海外の学校が個性を認めて自由かと言ったらそうでもないし、いじめもある。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

なぜ日本の学校から〜ではなく、人間はが正しいのでは? 

いじめが起こるのは学校だけでもなく  

子供の間だけでもなく 

動物の中でも起こる。 

 

いじめがいけないことだと教えることは大前提だけど、無くせるもの、起こることがダメなことというか視点で追い詰めれば、隠蔽が加速。 

 

起きてしまったときに、気づけるか、どうするかが大事。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

戦国時代の日本や現代世界の紛争地域では、いつ戦闘に巻き込まれるか分からず、一寸先の命も知れない状況になっているから、いじめをしている暇すらありません。 

洋の東西を問わず、暇ができて内向きな視点を持つ余裕ができたときに、形態の差こそあれ、いじめという現象がおきます。 

連合赤軍にしても集団で逃亡中に、眼前に敵がいないときに総括という名のリンチをしたものです。 

 

また、猿山の猿は、迷い込んできた他所者の猿に対して極度に攻撃的になり、受け入れることはありませんが、人間も同様です。 

 

人間世界のいじめもこの2パターンのいずれかです。 

 

日本国内でいじめが続発するのも、戦なき世が続いている副作用であったり、他所者を弾くムラ社会が無数にあることが原因だから、極論すれば日本人が絶滅しない限りいじめも根絶できません。 

 

そもそも根絶できる病理現象ではないから、対症療法の精度を上げるしか救済策はありません。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

日本は明治から急速に欧米のシステムを取り入れるために中央集権とした。全体主義、集団主義ともなる。 

強力な軍隊、経済を作るために個人より集団の利益が優先された。従わないものは非国民として徹底的に攻撃され、排除された。 

生存のために空気を読む、出る杭は打たれる、長い物に巻かれるなどの国民性と言われるものは決して日本固有のものではなく、明治に埋め込まれたものである。 

江戸期までは封建社会であり、民主主義でもなかったが、庶民は質素でも生活や文化を楽しんでおり、陽気で人懐こい。子供は大切にされこんなに愛されている国はないと来日した宣教師などが報告している。 

上の命令には絶対服従、異論は徹底的に攻撃して排除する。従わないものには集団で精神的、身体的暴力で排除すると言ったいじめやネットなどの集団リンチは日本軍の支配方法が元になっている。 

日本は明治からの誤り、敗戦の総括をしない限り息苦しい社会は続く。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ヒトが言葉を使い始め集団で生活していく中で虐めがなかった歴史なんてなく、その中で生き抜くために承認欲求が存在すると聞いた時に納得しました。 

動物でも弱い個体は除け者にされ生き残れない場合もありますし、虐めは本能的にあるのが普通で、文明が発達した現代においてはヒトが行う虐めは動物的な人が行う事故のようなもの(犯罪にまきこまれるようなもの)と子どもに教えてます。 

そうしないと、虐められる自分がおかしいんだと感じてしまうと思ったので。 

 

▲4 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

「いじめ」という「犯罪の矮小化」が一番の問題であり、その元はなんなのかといえば、「学校自治」「治外法権」を掲げた「学生運動」や「自治労」「日教組」「文教組」に行きつきます。 

 

つまり、元凶は現在の日本共産党や公明党、及び極左の人々ですね。 

 

また、教員が不足していると言われ始めるまで、大体10~20年前までは、教員採用は縁故が当たり前だった事もあります。教員が不祥事を起こしても他校に移すだけ、学生ならば「被害者側が」転校させられるなんて事もよく聞かれました。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめはなくす事ができる、という思想が根本的に誤りだと思う。 

人間はいじめが大好きで、脳に快楽物質が分泌されるんだからやめられない。 

なので、大人から子どもまでみんないじめをしたくてうずうずしている。 

いじめをなくそうとしても不可能なんだから、いじめからのサバイバル術を教えるほうが理にかなっている。 

 

▲1 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

逆にいじめのないのってどこ? 

学校だけじゃない。会社然り地域生活然り。人が三人集まれば派閥が出来るのが世の常であり連綿と受け継がれてきた悪しき風習。 

そうやって多数派に何とか入ることで自己のアイデンティティを保とうとするのが人を含めた生物の持つ性なんでしょ? 

 

その中でどう他人を思いやるのかを教えるのが親であり社会であるにも関わらず、その当事者が会社に行けばハラスメントしてる様では話にならないかと。 

学校=子どもたちが悪いんじゃない。そういう社会にした大人たちのせいだって反省がない限り、根本的な解決は見えないと思うのは自分だけか。 

 

かくいう自分も弱い人間。下に対して強く出てしまってるよなと改めて自戒するばかり。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめは学校だけではなく、大人になってもなくなってないですよね。海外でも職場でもSNSでもどこにでも存在します。少し大袈裟に言えば人類の未解決問題だと思うので、全員の当事者意識が必要と思います。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

SNSか何かで、「弁護士がいじめの加害者が訴えられたら、慰謝料がいくらになるかと学校で講義したらいじめが無くなった。」というのを見た。 

また米国でメジャーリーガーに犯罪抑止の為に違約金や高額の年棒を失う可能性を説明すると言います。 

「いじめは駄目」なんて教えたって、大人だっていじめが無くならないんだから、倫理観よりお金や目先のデメリットでも教えた方がいい。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まず、「日本の学校から」という、わけのわからない事言わないで欲しいです。世界中あります。日本だけと印象を与えるのはいかがなものかと。 

次に、うんちく言ってますけれど、なくならない理由は簡単です。法律の「いじめ」解釈が変わったからです。平たく言えば「相手が嫌な気持ちになったらそれはいじめ」なのです。A「今日遊ぼうよ」B「やだよ。今日は無理」これでAが嫌な気持ちになったと相談にくればいじめの案件としてカウントします。まさかと思うかもしれませんが、教育委員会にあげる調査はこのような仕組みになっています。と言うわけで、なくなるわけはないのです。 

 

▲12 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

子供がいじめするのは仕方ないと思いますよ?分別のつかない子供に善悪を教えるのは、親や社会ですから。 

学校やオウムやらに注目しなくても周りを見れば、いじめが無くならないなんて肌感でわかりそうなものですが… 

これで納得できる人はできるのでしょうけど。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめのメカニズムというのはほぼ解明されていて、要するに自己愛性パーソナリティー障害とその取り巻きの構図がターゲットを取り囲み加害することで彼らの劣等感を埋めてアドレナリンを出す行為ということになります。 

 

自己愛性パーソナリティー障害は親から適切な愛情がないことにより脳が変形していきます。虐待の連鎖とはこれです。 

 

いじめは一人では行えません。よっていじめが起きるにはそれらの集団的な容認が必要となります。 

 

日本はいじめを容認しやすい社会構造ということかと思います。 

 

いじめと教育に明確な区分けを持たないのもあるでしょう。 

 

おまえのために、耐えることを学ぶためになど日本独特の教育的言い回しはイジメのカモフラージュと言えます。 

 

逆に集団的にいじめを容認しない強い認識が皆にある場ではいじめはできないともなります。 

 

▲10 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

いじめ問題は昔からあり、年々質も悪くなり、収まるどころか撲滅する気配もない 

ニュース沙汰になっても当事者以外は対岸の火事と思ってるのか、自分らはバレないから大丈夫だろうとか、たかを括ってるのか 

そもそも誰に気を遣ってるか分からないが、"イジメ"というワード自体、悪業を緩和してるように見えて、それが犯罪ではないと思ってるのかもしれない 

蓋を開けてみれば、暴行、脅迫、窃盗、侮辱、名誉毀損、果ては殺人と犯罪となんら変わらない 

タチが悪いのはそれを組織絡みで隠蔽したり、黙認したり、被害者を守るのではなく、加害者を守る頭のおかしい空間を形成してる事だ 

これが完全に罷り通るようになってたら、本当に世も末だ 

 

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記者らしい紹介記事でした。という感じになるのでしょうか。 

 

学校や会社や地域の集団はもちろん、性別や年齢などグループできると「〇〇らしく」があります。良し悪し別に集団社会運営上の効率化習性と感じます。マナーも同じ仕組みかと思います。"らしい人"は警戒しなくても良いですもんね。 

 

 学校に限らず社会からイジメは無くならないと思います。自覚ないイジメは指摘され内省 

するまで気づかない。確信的にイジメをしている(利益のため、精神的疾患、復讐など)人もいる。 

 大切なことはイジメを無くしたい、イジメをしたくない、イジメを許さない…などの思いを持つことではないでしょうか。 

 心理的、法的、倫理的にイジメを学び、イジメは生活習慣病であると意識して、自分が加害者となる可能性を常に意識することが必要。 

 容疑者(刑確定していない)やその家族を執拗に晒して商売にするモデルに疑問持たない人は多いでしょ? 

 

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