( 238908 ) 2024/12/25 02:53:26 2 00 〝こたつクマ〟殺処分せずに人気のない山に放つ 福島・喜多方市「現場の判断」産経新聞 12/24(火) 18:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/939c25583ebea8030d8f2f2ebf0bd9849ad571a2 |
( 238911 ) 2024/12/25 02:53:26 0 00 23日夕に福島県喜多方市熱塩加納町(あつしおかのうまち)の住宅のこたつに入り込んでいるところを発見されたクマ1頭が24日午後3時半ごろ、捕獲された。クマは殺処分せず、人気のいない山間地に放たれた。喜多方市の市民生活課有害鳥獣対策室は、殺処分しなかった理由について、「現場での判断」と述べるにとどめた。
クマは体長約90センチで、23日午後6時過ぎ、帰宅した住人の男性が茶の間のこたつに頭を突っ込んでいるところを発見した。隣の家に逃げた男性が午後8時ごろ再び確認したところ、クマは茶の間に居座っており、周囲に食べ物が散乱していたという。
喜多方市や猟友会は24日午前11時過ぎに花火などを使い民家からクマを追い払ったが、近くの小屋に逃げ込み、居座る状態が続いていた。午後3時ごろ、専門家が吹き矢で麻酔を打って眠らせて捕獲。その後、人気のいない山に放たれた。
人里に侵入したクマの捕獲後の対応を巡っては、自治体によって殺処分と放獣で対応が分かれる。秋田市ではスーパーに侵入したクマが2日に殺処分されたが、処分を担った秋田県や同市には「殺さないで」といった内容の抗議が殺到した。
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( 238912 ) 2024/12/25 02:53:26 0 00 =+=+=+=+=
現場の判断って何かな?よくわからない。味をしめたらまた戻ってくることは容易にわかること。探知機でもつけて放したのなら、万一の際にまだ言い訳できるが、被害が発生した場合の責任について、確認しておくべきだと思う。殺処分が妥当ではないかと思うが、そうしなかった今回の現場の判断とそれを容認した理由をはっきりすべきではないか。
▲8991 ▼1680
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野生の熊は本当に賢い。 極寒の福島内陸部でも一度食料はあるし、暖かい民家がある。 冬眠の必要性が無いって認識したら。 再度訪れるのは間違いない。 それは来年早々かもしれません。 この快楽を知った熊は豪雪極寒のタイミングで再来すると思います。
殺処分無しで山に放ったところで根本的な解決はできないと 思います。
▲96 ▼24
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冬眠を逃し寒さと飢えで人家に侵入したんだろう。 熊は秋に充分な食糧にありつけず皮下脂肪を蓄えられない場合は冬眠出来ないことが多々ある。 山に食糧となるものが減少した中、熊の頭数は増加傾向にあるので、この様な熊が出て来てしまう。 しかし人家に侵入した熊は可哀想だが処分しなければならないと思う。 この熊は逃がされたことによって人間に対する恐怖心がなくなり、また里に降りて再度人家侵入や人を襲う可能性が出て来てしまっているので。 ってこんな事くらい誰でも理解出来るし、現場に居て対応した人ならもっと詳しいと思うので、苦情電話がめんどくさいので逃がした体で写真を撮ってから処分していると思う。 でも逃がしたら逃がしたて市役所に「何で逃がしたんだ!」と苦情電話が来るんだろうね。 処分しても逃がしてもクレーム。 本当に人間が一番めんどくさい生物だよな。 業務を麻痺させる苦情電話に対して厳格な法整備が必須。
▲1187 ▼143
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誰もが例外なく他の生き物の命を奪いながら生きている事実すら認識できずに「残酷だからやめろ」とか言う人には悪いですが、スマホもPCも捨てて何も口にせず山に籠って霞だけ食べて生活してください。
例えば、日本人の主食のお米を作る稲作の過程でも、トラクターによる田起こしの際に大量のミミズが細切れになるし、「中干し」の工程で田んぼの水を抜いて土を乾かす際に相当数のオタマジャクシ等の水生生物が干からびて死にます。
その他、稲の生育を妨げる雑草をむしり取ったりカメムシやイナゴによる食害対策の農薬を撒くのも、言わば残酷な自然破壊・動物駆除ですし、米作りひとつでも数多の生き物の可哀想な犠牲の上に成立しているのです。
▲5162 ▼797
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餌がなく冬眠出来ず空腹で痩せていたんでしょう。冬眠前って太ってますけど痩せてると家主さんが言われてましたよね。ツキノワグマも旭山動物園のすなすけみたいに保護出来たらいいのにと、絶滅危惧種ならと思います。すなすけは母グマが亡くなった子熊でしたもんね、、、山を伐採して人里に降りてくるしかないと言う割には対策ってどうしてるのか知りません
▲213 ▼46
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山に戻したとのことだが、せめて体にタグの様なものををつけたのかな? 家の中に侵入したと言うことは人間の食べ物の味を覚えた可能性が高い。そうなるとまた人間の生活圏に間違いなくやってくる。その時に行政側はどう言い訳するつもりだろうか。万一人的被害や経済的被害が発生した場合、喜多方市はどうするのでしょうか。なにか事なかれ主義的な対応に感じます。
▲532 ▼91
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人間同様、獣にも個体差は在りますが、繰り返し人里に現れる個体は、どの時期に何処に行けば何にありつけるか記憶し、其処に行くルート(何処に集落柵の切れ目が在るか)を記憶しています。ニュースの個体がそうした個体か、それともたまたま偶然に侵入できた個体かは判りませんが、繰り返し現れる個体なら殺処分するが一番でしょう。放獣したと言うが、そもそも優に総重量100kgを超えかつ人が入れる大きさの檻を、足元の悪い山奥迄人力で担ぎ上げる訳には参りません。通常は、軽トラに乗せて林道を走り、林道脇を少し入った限られた場所にしか放獣出来ません。この時期、雪で埋まった林道をそんなに遠く入れるものではありません。冬眠しない穴持たずが、山に食べ物が無いため人里に舞い戻り、万一、人に危害を加えないか「運を天に任す」様な行政判断こそ非難されるべきです。
▲2373 ▼322
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この男性は一人暮らしなんですよね。 熊は人間の食べ物を知ってしまった以上何度も山を下りてきます。 夜物音がすれば熊が来たのではないかとビクビクして寝ることになります。 1人では不安なことが多いと思います。 山に帰してしまった以上この男性宅に二度と熊が来ないように地域でパトロールしてあげてほしい。
▲447 ▼33
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難しい判断ですね。確かに秋田の例を見ても、ここで殺処分したら、熊と何ら縁もない部外者が「動物愛護」をかさに騒いだことでしょう。しかし自身が熊害にあっても同じことが言えるのかなあ???今回懸念するのは、少なくともその熊は、立てこもった民家で食料を食い荒らしたわけですから、里に行けば餌がある、ということを学習したわけで必ず次は仲間や家族を引き連れて来る可能性は大です。それを防ぐためにも、毅然と殺処分をすべきだったのでは?とは思いますが・・・・・。
▲2064 ▼316
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人間の食べ物を知ってしまったからまた街に降りて来る可能性が有るよね。 多分、クマが可哀想とクレーム電話を入れられる事を恐れてしまったんじゃないのかな? クマを殺処分するのが可哀想なのは全員が思ってる。 でも、そのクマを放つ事で人に危害が及ぶ可能性が高くなるからやむ得ないって事を理解して欲しいよね。
▲1659 ▼251
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現場の判断という事は現場に責任を擦り付けるという事でしょうか、誰が責任者で判断の権限を持つのか今後の為にもはっきりさせた方が良いと思う。私の考えでは事件現場の行政の長だと思うがそもそも野生動物はどこから来るのかわからないので明確なルールで対応しないと現場の混乱を招くだけだと思います。権限を持つ人を無視して現場で勝手な判断をしたならそれは処分するべきです。
▲902 ▼218
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一度来たらまた来る。次はどこかの子供さんとかが被害に遭う可能性がある。一部の変な活動家みたいなのに惑わされるな。殺処分しないなら、動物園で飼育するくらいの覚悟を持って欲しい。被害者が出る前に。各自、自分の家族が襲われる事を想定して物事を考えて欲しい。
▲546 ▼98
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自分は子供の頃から動物が好きで生物系の大学にも進学した。 駆除一辺倒のやり方にも問題ありだと思う。 しかし人間の食べ物の味を覚えた個体は殺処分か飼育下に 置くかの2択だと思う。再び出てくる可能性が高い。 勿論、昨今の野生動物の出没やら豪雨による大水害などは 人間活動のつけがが回って来た分けでこれはこれで真剣に考えるべき問題。
▲184 ▼41
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里に下りると人間と言った弱い動物が居て美味しい餌が簡単に手に入ると学習した個体は必ず戻って来る。人里を餌場と認識した個体は駆除するしか無い。現場の判断て言うけど現場の責任という事か。少なくとも県(知事)の判断で県(知事)の責任でなければならない筈だが。責任転嫁も甚だしいと思う。駆除反対の意見も多いようだが住民の命と生活が優先されるべきだと思います。
▲190 ▼40
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クマの嗅覚は犬並みもしくはそれ以上と言われています。それに自分の物(と認識したもの)に対する執着心も強い生き物。三毛別、福岡大ワンゲル部、直近でいえばOSO18すべて立ち去ったかと思えば、すぐ現場に戻ってきておりそこから事件事故へと繋がっている。ましてや今回はそこで食事をし、こたつの暖かさ「人間の巣の快適さ」を覚えている。二次被害になる前に駆除するほかないのでは。シロアリ、スズメバチ、ゴキブリ、ネズミは駆除業者までいて苦情もないであろうにクマだけは可哀想って意味がわからん。
▲85 ▼19
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現代は、野生の森と人里の中間地点「里山」がなくなったのでクマが人里まで下りてきてしまう。かつて里山は人が炭焼き小屋を作ったりキノコを採るために整備したりしていたので、クマは自然と人の気配を感じ危険を察し里山より先には降りてこなかった。 だが今は緩衝地帯はなくなりクマが人里まで下りてきてしまう。殺処分に反対する人は文句言うだけじゃなくて里山回復運動をし、自らも山に分け入り下草を刈り人と野生の中間地点に身を置いたうえで再度考えてみるべきだよ。
▲26 ▼11
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海外の熊に関するデータもしっかり見て判断したのだろうか?
カナダだったかのデータでは、一度人里で人間の食べ物の味を覚えた熊は何度も何度もずっと人里に降りてしまうとの事で、人里で人の食べ物を食べた熊は山へは戻せず、大体が殺処分となるようです。
現地の人達の苦労をなんとも思わず非難しか出来ない人達に翻弄されての苦渋の決断かも知れませんが…新たな問題の種を撒く結果にならない事を祈るばかりです。
▲60 ▼18
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クマを殺処分せず山に放つ対応は、一見すると命を尊重した判断のように見えますが、エサが乏しい冬山に放たれることでクマが餓死や再び人里に出没するリスクが高まり、結果として動物虐待に繋がる可能性があります。動物愛護の観点から考えれば、今回のように人里に侵入したクマは、動物園や保護施設で一時的に保護し、生態や健康状態を調査した上で、適切な環境でのリリースを検討すべきです。また、保護施設での管理下であれば、クマの健康や安全を確保しつつ、人間社会との摩擦を防ぐことも可能です。日本ではクマの生息地が減少し、人間との接触が増えているため、自治体や専門機関が連携して保護体制を整えることが急務です。命を尊重する姿勢を評価しつつ、より持続可能で人道的な対応が必要だと言えるでしょう。
▲4 ▼18
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90センチということで小熊と思うので、現場で同情論が出た? 山に放す場合はGPSを付ける等してその後人里に近づいていないか確認できるようにすべきと思う。 熊は学習能力の高い動物とのことなので、人家には食べ物があると学んだ小熊が成獣になって人里に出て人を襲うことがないことを祈る。
▲148 ▼9
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クマにとって、非日常の人の住まう住居に入る行動を取ってしまう。 例えればそれは、理性のある『人間』で例えたら、他人から無理やり物を奪う行為に等しいと感じる。 一般的な理性を超えたクマは、民家に入ることに躊躇が無くなり、その空間(民家内)は自分のテリトリーになる。 そのテリトリーにいる、住民は『敵的存在』になり、攻撃対象になる可能性がある。 その背景はエネルギー変換や人口減少など様々あるが、今、その地域の方々の安全を考えたら、答えは駆除することが妥当と思いました。
▲22 ▼5
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私は秋田と福島では事情が違うと思います。
ツキノワグマが町中に出没する程度の事例であれば、埼玉・群馬・栃木・山梨といった首都圏ですら日常茶飯事なのが事実です。
子供の通学路に熊注意の看板が立ってたり、線路上に熊がいるために列車が遅れたり。
熊がいる事自体は特別な事ではありません。
何年も前から、秋田の熊害には、明らかに人を食べることを目的としたと思われる事例が含まれています。
人が熊に襲われることと、人が熊に食べられることとは、レベルが違うと思います。
今回の福島の事例は、目測だとしても体長から推し測るに子グマに近い若グマでしょう。そこに加えて熊による地域の人的被害の有無を加味してのことと思います。
ただ、人と熊の生活圏がかさなったときに、熊が人やその生活圏を“宝箱”と思わないような対応をすることが、人の生活圏の安全を保つためには重要なのかなと思います。
▲42 ▼11
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月乃輪熊は餌を求めて1日70km前後は走ったという実測記録がある。 福島県に戻って来れない場所となると岐阜県と長野県の境くらいまで 輸送したというのだろうか。捨てられた県も人間を恐れない熊を置いて いかれたら被害が発生するだけで得することは無い。 150km程度しか離れていない山とかなら更に強い熊の領域が間にない 限り、3日目にはこの地域に戻って来る。但し冬眠時期なので今回の襲撃で 冬眠に必要な養分を確保できているなら、次の襲来は冬眠後の春になる。 人里に降りてきた熊は食べるのが一番良いと思う。部落で熊を捕獲して 飼育していた人達もいたが毎日バケツ2杯から4杯の餌集めと檻内部の 清掃が大変なので1軒を除いて食肉に変っていた。保護は財力と死の恐怖に 打ち勝てる人だけしか出来ないと思い知らされた。
▲15 ▼4
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クマ的に豊富な食べ物と温かい家がある、と学びましたよね。 この被害者宅じゃなくても、人間の家はいいもの、と学んでいないだろうか。 放たれた近郊の民家が犠牲になりませんように。
人間の重犯罪者にも言えるけど、 生きてる限りいつか襲われるかもって危険が残されるのは、怖いと思う。
▲38 ▼9
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戻って来て被害が出た場合に誰が責任を取るのだろうか?一度味を占めると野生の動物は山を下りてくる習性がある。 追跡を出来る様にするとか、離した人は最後まで責任を持って対処出来るのだろうかと思うね。 農作物の被害或いは人が襲われることがないように願うばかりだね。
▲29 ▼12
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現場の判断って?殺処分する必要は無いと現場で判断したって事?でも、人間の家のコタツに入って、食べる物も近くにあって、クマにとって居心地が良かったと感じたなら、クマはまた同じ家のコタツに入ってくると思います。クマに居座られた家の住人がどう思ってるのかは分かりませんが、私だったら二度とこんな事が起こらないように殺処分をお願いするかな。「クマを殺処分するなんてかわいそう」だなんて言ってられない。そこに住む人の命を守るのが一番大事です。
▲10 ▼3
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動物愛護も大切と思いますが、熊が処分された時に抗議する人に問いたい、人間は熊に食べられても良いのか? 命の大切さは、熊も人間もまったく同じではないと思います。多分抗議する人は人間のおごりと言うかも知れません。 自分の大切な人が熊に食べられても同じ事が言えますか? 熊が生息している所に住めば、熊の恐ろしさがわかると思います。
▲72 ▼30
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なにか流石に90cmの小熊の姿をニュース映像で見たら、可哀想に思いました。
家から料理をして風でも吹けば、良い匂いがして、お家の中で居心地の良い安全な場所を見つけたと思ったのかなと。
でも、動物園等で世話したとしても、大きく成長していけば沢山食べ物も食べて世話をする費用や設備も要る。。人間だけが快適便利安全に過ごそうと自然や野生生物を犠牲にしながら一方的に決めて支配しているようにも感じ、罪悪感を感じて複雑。
▲1 ▼5
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熊と人間の生活圏が重なり始めて危険な接触が増えてきた。どうしたものか難しい問題に直面していると言われるが、これははっきりとした政治判断が必要でしょう。われわれ人間が生活範囲を狭めるのか?熊始め害獣が数を減らすよう働きかけるのか?その判断によって為すべき事は自ずと決まるはずだ。 あまりに放っておくと行政側が害獣被害に遭った側から訴訟を受ける事態も出てくると思われる。
▲1 ▼0
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里山に降りてきた熊はまた戻ってくる。 熊は増えている。熊は肉食だ。熊は人を襲う。 熊が居なくても食物連鎖は壊れない。 いったい何処から仕入れた正確な情報なのでしょうか。 素人が勝手に思い込んだ情報がネット上にあふれています。 そもそも動物の目的は種の継続、善も悪も無いです。 現状100%自然などと言うモノは日本にはありえません。 山・森林・鳥獣、全て人が管理していかなければ維持できないです。 その管理を任されているのは、行政であり責任もあります。 どの方法が正しいのか色々と試しているのでしょう。 今回選んだのが学習放獣だったのでしょうね。 長野県も学習放獣で対応しているようです。 何が正しい情報か見極めが大事ですね。
▲9 ▼6
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秋田県の対応に対して、喜多方市が「神対応」と判断する話では無いですね。 喜多方市が甘いという判断もして欲しくない。 どの道、喜多方市の熊は戻ってくる可能性があるし他の熊が人家にやって来る可能性がありますよ。 自分の家に熊がやって来たら駆除して欲しいのか、取りあえず今回は「良いよ」で済ますのか?人間の判断は熊には通用しない前提で考えないといけませんね。 そして猟友会頼みも区切りを付けないと。警察官が大型の銃を必要に応じて使えるようにする対応を考える時期だと思います。
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今後賢いクマが増殖一途に年を追って人里に現れ被害者も増え続けて過疎地区では人口を上回りかねなくなるだろう。クマの生息地域は比較的温泉の多い所が多く国内外からの旅行者は必然的に減少することも自治体は考慮しておく必要があると思います。
▲20 ▼9
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人間界での快適さを覚えた熊は残念ながら殺処分も致し方ないと思いますが、福島に来たら分かるかと思いますが、車で走っていると山に大量のソーラーパネルが設置されている光景が目立つようになってきました。 熊の住処を奪っているのは人間であることは間違いない。 いずれ熊も絶滅危惧種になるのかと。共存の難しさでしょうね。
▲4 ▼2
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これは危ないと思うよ。 人の住む民家が自然の中とはダンチの魅力的な場所として深く記憶されてしまってるだろう。 また人里周辺に現れるだろうし、人を襲う可能性もある。 管理して飼うとかなら別だけど、食料や暖を知ってしまった個体はまずいと思う。
▲2 ▼4
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処分したことを逐一報道する必要性を感じない。 熊による被害を報道するのは良いと思うが捕獲後に報道する事で認識の違う分かり合えない人たちからの声が何も悪くない自治体に押し寄せる。
報道するなら責任持って処分への苦情も受け付けてもらいたい
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状況により殺処分は仕方ないと思います。 今回は民家のこたつの中でなのですからケガ人がいたとしても不思議ではありませんでした。 よって殺処分の選択肢もあったと思います。 よく「動物の命を軽視している」「人間が環境を奪った」「動物も家族がいる」「山に食べる物がないから仕方ない」と言う人がいます。 これは実際に熊の被害にあったことがない人の幼稚な詭弁だと思います。 こたつの中にまで侵入するということは、人間を無警戒ということです。 過去には北海道で起きた三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)がありました。 ご自身で調べてみてください。
▲13 ▼11
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どのくらい遠くに放ったのかわからないが、クマはイヌより遥かに嗅覚が鋭く執着心が強いから、また舞い戻ってくる可能性があるのではないか?殺処分可哀想と言う一部の人の抗議に現場の判断が歪められたのならば問題が大きい。そもそも公務員は法令に基づく判断をすべきであって、「現場の判断」と逃げては行けないだろう。地方公務員は住民に奉仕するものであって、仮に他の地域に住む人たちの大きな声に負けたのだとすればそれ自体が問題。
▲124 ▼33
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家の中の食べ物を食べていたら、また戻ってきます。 それに、家の中の暖かさ、こたつの暖かさ。 そんな夢のような世界を知ってしまった熊の怖さを感じます。 人間は遠く離れた所に離せば大丈夫と思うのでしょうが、 犬でも数百キロ離れた場所から戻ってきます。 動物の能力を見くびらないことです。 やはり、人里に現れたクマに関しては殺処分一択だと思いますよ。
▲365 ▼74
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福島県喜多方市の殺処分せずに人気のない山に放った判断を支持します。
月輪熊🟰怖い、という判断は考えものです。 ヒグマは分かりませんが、 月輪熊は小柄だし、基本的には攻撃的な性質ではないと思っています。 実際に山で何回も出会しておりますが、怖いと思ったことはありません。 熊の方も、私の気持ちが伝わるのか攻撃して来たことはないです。
こちらがクマを怖がらせたりなど何かをしなければ 襲うことはないと考えます。
熊も生きる為に必死です。 月輪熊は木の実や魚などを取ったりして一生懸命生きているので 人里に現れたのは麻酔銃を撃って 人気のない山に返してあげれば良いです。
月輪熊の性質を学び、共存出来るようになれば良いと願います。
▲5 ▼13
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熊は頭の良い動物です。 人の食べ物の味を覚え、人を恐れなくなった熊は、大きな音を出しても逃げ帰らないそうです。 もうその時点で野生の熊ではなくなってしまうのです。 一度自分の物にしたものは、人を殺してでも取り返すそうです。
それでも、殺処分した役所にクレームいれますか? そんな暇があるなら、殺処分されないように山から降りてこないようなアイデアでもお考えになってください。
▲24 ▼9
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どっちに転んでも、苦情の電話は来るでしょう。電話の応答を年寄り宅の様に、「この電話は録音されていますのでご了承ください」のメッセージを流せば、カスハラの抑止になると思います。個人的には、民家に進入した熊を山に放つ等、言語道断だと思います。いずれ仲間を連れて戻って来ます。何人被害者が出れば、国はルールを見直すのか。熊の問題を放置すると、その市町村は敬遠され、成り立たなくなって行くと思います。
▲22 ▼3
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いちがいにクマといっても、知識のある方には何も申し上げる必要はないが、あまりにもクマに対する知識のない方が多すぎるため、SNSで感じたままの動物愛護精神そのまま発信される世の中になっています。青森以南の本島に住まうツキノワグマは、防衛のため反撃することはあっても、人畜を食しません。一方北海道に住むヒグマは、反撃後人畜を食します。今更ではありますが、そんなクマの特殊性を一から学んでほしい機会です。メディアによる広く行きわたる解説が欲しいのですが、やってることは与野党攻防戦だけの時間潰し。きっと事件が起きるニュースソースを期待しているとしか考えられませんね。ものすごく人の命を弄ぶメディア界、感覚は、金正恩の性格と似たり寄ったりの性格そのものです。
▲5 ▼3
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現場や、熊を殺すなど言っている人たちがどんな風に考えているのかわからないが、ここ最近の熊出没のニュースを聞いて、関西在住の私には元々縁が薄い場所ではあるけれど、北海道と東北には旅行ですら行きたくないな、行くことないなって。 今時点でそう思っているのだから、今後さらに熊が増えると予想される中、この先もこの気持ちは変わらないと思う。 ただで過疎りつつある地域だと思うのに、人家に現れた熊を殺処分しない土地に若い人なんて住むわけない。過疎化もさらにエスカレートするよ。大人もだけど、子供を守れる気がしないもん。みんなもっと『三家別ヒグマ事件』とか詳しく知るべきだと思う。
▲7 ▼7
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危険だ。 現場が誤った判断をしないよう、法と条例で殺処分を義務付けるべきと思います。
法では地域毎の細かなルールを決め難いので、都道府県条例で殺処分すべき事態を決めることとし、現場は条例に従って、淡々と殺処分。
殺処分の判断に対する批判は、行政の現場ではなく、条例を決めた議会が負う。
こういう時に民主主義をきちんと機能させるべきでしょう。
▲35 ▼19
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冬眠を逃してしまった熊が餌を求めて、といったところだろうか… 熊の習性からするにこの熊は野に返して良い個体と言えない。人家に餌があり暖があると覚えてしまった。人気のない山に返した、と言っても所詮は車で入っていける範囲だ。冬の間は人家を狙うことも考えられる。予防措置としては殺処分が最も適当と思われる。 ただ引っ掛かりを覚えるのは現場判断、という点。クレームがあっても現場が、では誰も責任を負えないだろうがいざ一度被害が生じれば責任は行政長なのだが…その場しのぎの責任逃れをしても何も対策にならない
▲0 ▼3
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放獣した場所で食い物が確保できなければ、また人里に出て来る事になるでしょうね。相手は熊ですが、いたちごっこになりそうな気がします。 でも殺処分すれば、確実に抗議の連絡をしてくる連中がいますから、そうなれば市役所の業務は止まってしまいます。 市役所とすれば、熊よりもそうした人間の方が怖いって考えているんでしょうね。無理も無い事ではありますが。 そもそも人里に出て来るって事は、かつて恐れていた人間を恐れなくなっているからでしょう。 再度『人間は怖い』って熊に覚え込ませなければ、当分こういう事態は頻発する事になりますね。
▲80 ▼31
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一度餌場や暖かい場所を学習した熊は必ず餌付き熊として戻ってくる! 今回は自治体の対応のミス!餌場を覚えた熊を山に離してはいけない。 今回も、もし山に離していたら次は人が襲われて死人が出てたかもしれない。 頭の平和なクレーマーの無責任な言動に流されるのではなく、住民の命、生活を第一にしてもらいたい! 熊を殺さないでってクレーム入れるなら大雪の中熊が人里に近づかないように、その人たちが対処して、見回りでも、捕獲引取りでもやってもらいたいね。
▲12 ▼6
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殺処分の判断も、逃す判断も、部外者が外から勝手に処分すべきとかしないべきとか論じてはいけないと思う。
「現場の判断」これが全て。
殺処分より生きて逃す方が難しいし手間もかかるし何より実行する人にリスクがある。
それが良い判断だったかどうかはさておき、そんなリスクがある方法をわざわざ選択したのには現場なりの理由があるのだと思う。
もちろん「助けてやって」なんて電話をかける人は論外だけど、自分に被害があったわけでも現場を見たわけでもないのに「殺処分すべきだった」と軽く言うのもまた違うと思う。
▲18 ▼9
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誰だって、喜んで生き物を殺したいわけじゃないと思う。 解き放った理由は分からないけど、私みたいな外野が殺処分を主張するのもおかしな話かもしれない。熊ちゃん擁護の人に「お前が保護してやれよ」って理屈が通るなら、「お前が熊を狩ってこい」も間違いではないだろう。 解き放った以上、この熊が二度と人と関わらない事を願う。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
現場の判断というのは当然プロの意見を取り入れての結果になったはず それにも関わらずここのほとんどの意見が学習して戻ってくるだろう、そして人を襲ったらどう責任を取るのかという素人判断ばかり そもそもクマが人里に来るようになったのも人間のせい 人里に来るから殺処分する ラムは柔らかいという理由だけで子羊のうちに屠殺する フォアグラなんて食べなくても生きていけるのに肝臓を肥大させるまで無理やり食べさせて屠殺する 競走馬は欲にまみれたギャンブルだけの為に生まれてしごかれ現役引退したら維持費がかかるという理由だけですぐに殺処分 人間は本当に身勝手な生き物だと思う
▲9 ▼11
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目印となるタグでも付けてほしいですね。そのクマがのちに人を襲った時にしっかりと責任を取ってもらう必要がある。リスクのある行動をした以上、責任が発生するのは当然だ。『人里は心地良い』と知ったクマを野にに放った責任を関係者は取らなくてはいけない。
▲3 ▼4
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民家の茶の間に入り食べ物を漁っていた熊を 現場の判断で放獣しても良いですけど その熊は捕まえる時など人と接触している訳で そんな熊を放って 山菜取りに山に入る人は大丈夫なのですかね? その判断で未来どなたかが遭遇して怪我をしたらどうするの?
トロッコ問題というのがある。 ブレーキが故障したトロッコが暴走しており、進行方向の先に5人の人間がいる 進行方向を切り替えると、別の軌道に1人の人間がいる この場合、どちらの軌道を選択するべきか?
多数の命を救うために1人の命を犠牲にする判断と 結果の善し悪しにかかわらず1人の命を犠牲にすることは許されないとする判断 の2択なのですけど、
これに置き換えると 多数の人間の命を救うために1頭の熊の命を犠牲にする判断と 結果の善し悪しにかかわらず1頭の熊の命を犠牲にすることは許されないとする判断 でも人間と熊ですので、人間の命が優先でしょう。
▲1 ▼1
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人が亡くなってないからこの判断なのかも知れませんが、また、何かあったらどうするつもりなんでしょう?確かに熊にも生きる権利はありますが、人里に出て来て、人を襲ったりしたら、どうなるんですか?可哀想だとは思いますが、一度、こういう事で味を占めた個体は、また何れ、何かしら、やらかすと思います。
▲9 ▼7
=+=+=+=+=
果たしてどれくらいの人間が山に返したクマがまた里にやってくると断言できるほどのクマに精通した学者並みの知識をもった者たちなんだろうか。 答えてくれその根拠を。 私は盲目的にクマを野に返せと言っているわけではない。私もクマの出る地域に住む者、一度里の出たクマは殺処分一択なのか動物学者たちに聞きたい。 やはり里の出たクマは再び里に訪れ危害を加えることが普通のことならば 殺すことは已むををえないことだと思う。 山の自然を愛する者より。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
ふむ 無事に山へ帰れたんだ でも、あのこたつの魅力に気が付いたらまた行きたくなるかもしれませんね 猫も冬になるとこたつに入りびたりで、時々落ちて焦げてても(炭火だったころ)懲りずに入り込んでましたから できうれば一時の夢だったと思って二度と来ないでほしいけど、こたつにひかれてまた来る可能性は高いですよね たぶん、このまま春までここで過ごしてもいい、と思ったのでしょうから
▲52 ▼5
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この感じは…実際は殺処分していると思う。この豪雪荒天のなか、体長90cmほどのクマを檻ごと運んで「山中に放す」ことはかなりの重労働で、ある程度の危険も伴う。更にこの短期間での実行は不可能。 発表は「放たれた」となっている。あくまでクレーマー向けのアナウンスで、人里を侵したクマを無事に返すほど人間は甘くない。
▲348 ▼56
=+=+=+=+=
失礼な言い方かもしれませんが、熊の習性をよく知らないとこういう対処をしてしまうのかなと思う部分もあります。
戻ってこないような対策(犬による追い戻しで怖い思いをさせる等)を取っての放出ならまだ分かるんですが、ただ帰しただけだとこのケースの場合結構リスクあることしてしまったと思いますが。 家に入った個体をただ帰すのは正直かなり危ないのでは。
個人的にはまた戻ってくると思います。 痩せていたというしその状態から冬眠に入るとは思えませんし山にはもう食べるものもない。 正直山に戻しても、それで街に戻ってこなくても飢えと寒さで命を落とす可能性しかないかと。 それならまた街に食べ物探しに来るように思いますが。
共存のために数を大きく減らさないといけない段階と思います。 熊に限らず動物は好きです。出来れば殺生なんてしたくない。 でも街に行ったら危ないという感覚を植え付けないと終わらないかと。
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米国だったと思いますが、まちなかの広いグラウンドに出て来たクマを行政職員が追いかけ、最終的に民家から離れた場所に放獣したという動画を見たことがあります。その他、これも米国だったと思いますが、海に泳ぎに来たクマを皆が珍しそうに見ている海外の写真を見たことがあり、随分近年の日本と海外とでは、クマへの接し方が異なるものだと驚いたことがあります。
国土が狭く、人が住むエリアと森とが近い日本では難しいのかも知れませんが、クマは森林の中で多くの植物の実を食べ、長距離を移動し、植物の種子の散布に多大な貢献をしています。日本の森林にクマがいなくなれば、森は貧相なものになるでしょう。もちろんクマ以外の生物も生態系に必要です。
可能な限り、クマと人とが上手く棲み分け、クマが今後も棲み続けられる日本であって欲しいと願います。
▲46 ▼81
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クマは人間の力によって絶滅させて必要な分だけ動物園やクマ牧場で管理すればいい。クマは襲われた場合、ライオンや虎よりも力が強く言い換えれば、田舎の人たちはそんな猛獣と共存していると言える。地球の主役は、人間であり日本の主役は日本人、そう我々なんです。危害を加えるような猛獣と共存しろということ、自体めちゃくちゃおかしな話です。何も問題ないならここまで言いません。現に多くの人が危害に合い生命を落としているのです。最近北九州で起きた通り魔事件で付近の住民は5日間恐怖に支配されていましたが、田舎でクマと共存している人たちは毎日が、この前の北九州の状態です。九州ではクマは絶滅に成功しており、九州の人たちは何も心配することなく登山やサイクリングを楽しんでいます。東北や北海道でこのような不安や悲しいニュースを無くす為に、国はゼロヒャクで対策に乗り出すべきです。
▲52 ▼49
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いいのではないでしょうか。これでまた同じ個体が戻ってくれば、殺処分は致し方ないと諦める人もいるでしょう。クレームいれる人がたくさんいるようなので。 ツキノワグマもヒグマも行動範囲は広く、縄張りという縄張りもありません。知能も高い彼らは、楽に食糧が手に入ると知れば味をしめるでしょう。 何故もう戻ってこないと思えるのか分かりませんが、無知のために人様に迷惑をかけて危険にさらさないでください。
▲1 ▼3
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山に返すにしても、発信器を付けるなり個体を特定できるDNAサンプルとかは取得してのだろうか。
万一、同一の個体がふたたび山里に下りてきて、人的被害をひきおこした場合、この判断(山に返す)をした担当者に対して、相応の責任を追及できるだけの証拠を保全しての判断であるはずだが。
これをしていないのなら、それこそ行政の不作為であると思える。
▲4 ▼2
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「クマを殺すとは何事か!」
などと言ってる人たちのお家に「朝起きたらこたつでクマがミカン食べてた!」ってことになったらどうするつもりなんでしょうか? その人の大切な家族が1人帰宅したら「コタツでクマがミカン食べてた!」ってことになったらどうするつもりなんでしょうか? わたしみたいな一般人が思いもつかない素晴らしい方法があるんでしょうね。 クマも、もちろんそういう人やその家族だけでなく、たまたま周りにいた人すら巻き込むことのない素晴らしい方法が。 ぜひ全国に発信してみてくださいよ。その方法とやらをね。
▲2 ▼0
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全ての熊を駆除すれば、このようなことは起こるません。
でも、それで良いのでしょうか?
熊も昔から日本に住んでいました。
人間の都合だけで、殺ろすことが良いこととは思えません。
人間を食料と認識して襲ってくる熊は駆除する必要はあると思いますが、出来るだけ殺さず山奥に放つ必要があると思います。
どんぐりが不作の年に人里に沢山出て来ます。ひもじいんだと思います。 空腹に耐えかねて人里に食料を求めて出て来た熊を、人間に危害を加える恐れがあるからと、全て駆除する間違いだと思います。
▲22 ▼62
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民家に来た熊を山に戻した所で、また民家に近づいてくるんじゃないかと 思う。 熊やイノシシが山から下りてきて民家にきたら、即殺処分して人間が住む 所に来たら、死ぬ事になるんだって言う事を熊に思い知らされなくてならい。 一度、味を示して食べ物があったとなれば、また来るよ。 殺処分した熊を、民家の近くにおいておけば危険を感じて来なくる事も あると思うし、畑が鳥とかに荒らされたら鳥を殺して紐で縛って、その 畑に置いたら、嵐に来なくなったと言う話も昔は聞いた事があった。 目の前に突然、熊が現れたら対抗措置がないと思うし人間が熊に襲われた とい言う状況がドンドン増えて行くと思う。 熊を殺したら可哀想だって言う心優しい人間にプレゼントするのも 一つの方法だと思う。
▲8 ▼8
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人間が熊を恐れるのと同様に、熊も人間を恐れます。だから、熊は、できれば人里離れた山の中で暮らしたいのです。しかし、そのような良い場所は、力の強い熊の縄張りになっています。力の弱い熊は、仕方なく人里近くにいるのです。そのような弱い熊を人里から離れた所に逃がしても、結局、強い熊によって人里近くに追いやられてしまうのではないでしょうか。
▲9 ▼3
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いろんな考えや意見があっていい。 個人的には処分すべきだとは思う。 でも、自分も含め大多数は素人。 現場のプロがそう判断したのなら、それが最良。表には出ない判断があったかもしれない。 素人がもっともらしいことをウダウダ騒ぎ、それを行政や関係者に電話やメールをしまくる。 それこそ秋田県知事が言われていたようなことに繋がるんじゃないか。
▲220 ▼108
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民家で食料を得た熊を野に放つことは正しいと言えるのだろうか 悪しき前例になるとしか思えない。 他の現場で殺処分した際に、喜多方市では山に逃がしたぞとなる。 いいかげん、街や民家で人間の食べ物をあさった熊は殺処分と ルールを定めるべき。 そうしないから苦情を恐れて腰の引けた対応をする自治体が出てくる 人気のない山中とは、周囲100キロ四方に民家が無いレベルなのか 熊の行動範囲を甘く見てないだろうか
▲6 ▼3
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この熊は、遊び惚けていて生きるための仕事である冬眠の準備しなかった怠け者で、食糧を求めて丁度留守だった住居に入ったらコタツという暖もあるし 熊にとってこの上なく居心地よかったはず、人間でも味を占めて横領、空き巣、強盗するのだから、この怠け熊は完全に味を占めてしまったと考えるべき入られた住居の人はこの冬は生きた心地しないのではないでしょうか。
▲11 ▼12
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私は、「何が何でもでもクマを殺せ」とは言いたくありません なので、この現場判断も尊重したいと考えます 一方で、当然のことながら固体認識を行うための対策を取っておられる事でしょう それで若しも同じ固体が人の生活圏に現れて、何らかの経済的な被害が発生したら(人的な被害は望みません)、クマを山に返せと主張する人たちをノックアウトする絶好のチャンスですね その様に考えれば意味がある事ではないでしょうか
▲4 ▼3
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害獣駆除に関しては全体としてもっと組織的にして駆除の方法論を確立したほうがいいよ クマの数もきっちりデータベース化してその上で把握して 全体としてのバランスとしてはどうなんだという判断のもとに逃がすか駆除するかをしないと そもそも現代の人の世に溶け込めるような存在じゃないんだから 人が数の調整をしないとダメやろ 法律に縛られてとか解釈を曖昧にしてまともな判断をしないってのが一番の悪手 人に危害が多発するような状態はクマにとっても不幸や
▲1 ▼1
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刺し処分に抗議した人は、今まで牛肉や鶏肉、魚、など一切食べていないだろうな もし食べた事があるのであれば言っている事と口にしている事が矛盾していると思います 熊は人間の肉を食べますが、牛や馬は肉食ではないのに刺し処分され肉食となり人間に食べられています それが現実です この世の中は食うか、食われるかの人生です
▲2 ▼4
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今回はたまたま被害者が出なかったですが、次は殺られるかもね。そう考えると素人としては殺処分で良いと思った。 基本方針として、人間を襲わない動物なら殺す必要はないけど、襲ってくるなら殺るべきという考えでいいと思うけどね。野生動物と共存できる社会は理想ですけど、野生動物に理解できる能力があればの話じゃない。
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熊・羆が人里の食物や人間の味を覚えてしまって何度も人里を襲い…というのがあって、それを覚えた個体を駆除、となるのでしょうが…
夢と魔法と希望が叶うなら、人間を襲いさえしなければ、勝手に人里の食物を漁らなければ、って事を熊・羆が学んでくれたらなぁなんて思う。 絵本のごんぎつねじゃないけどさ。 なに、食うもんないならこれやるよ!! ありがとう!やっと山で栗採れるようになったから恩返すわ!!みたいな。
どうせ人里の生活覚えるなら熊にも共生・共存まで賢くなってもらえたらなぁなんて。そしたらこっちも殺したりしないじゃない。 まぁ夢と魔法の国が叶うならってね…
▲4 ▼1
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現場の判断で山に返したと言っているが、 世間の批判が怖くて返した可能性も考えられますね。 山へ返す判断をしたのならそれは、尊重しますが、麻酔で眠らせた後、ただ 山へ返したのであればそれはちょっといただけない。
また戻ってきた時にわかるように 標識をつけておくとか、DNA鑑定ができるようにきちんと体毛などを保管しておいたのでしょうか?
この文章だけでは何とも分かりませんが 現場の判断というところが 何もせずただ山へ返したような印象を感じてしまいます。
▲2 ▼1
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その判断は間違いですね。というか、ここまで変な意見によって街の人々の暮らしが脅かされてるので、さっさと法的に人里に降りてきた熊は殺処分と明文化するべき。もちろんその件で住民投票を行ってもいいし、その結果殺処分しなくていいならそれでもいいでしょう。 でも今はノイジーマイノリティの動物愛護団体の市民なりきり通報に混乱させられてるだけなので、そんなどうでもいい意見なんかより、しっかりそこで生活している住民の声を反映させてほしい。個人的には熊鍋にしてみんなで食べればいいと思うよ!
▲9 ▼14
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こうやって自治体毎に対応方法が違うから批判する連中が居なくならない どこどこの自治体は放獣したのに何故処分したんだって言われるような状況を作り出されると一番困るのは現場。現場の判断って放獣決定を現場だけで判断する訳が無いっての(場所の選定、放獣した後の調整等は現場判断だけでどうにかなるもんじゃないの) 管理職や理事者が処分反対派だったり、議員に反対派が多い自治体は処分に踏み切れないのが問題
▲0 ▼4
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今回は『山に逃がした』の報道が、また舞い戻るのカモと若干不安でした! それにしても『吹き矢』で眠らせた行動は、銃刀法違反もなさそうで最善策ですね まあ、吹き矢の達人はそんなに居ないので一般解ではなさそうですが・・
住宅地での発砲が規制される中、吹き矢、弓矢、投げ縄とか原始的な対応を求める行政に対応せざるを得ないって大変だとは想いました!
▲2 ▼0
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そりゃその場で射殺は無理だろうけど、民家に入れば餌も有るし寒さもしのげると学習してしまった個体を山に返すって判断は明らかに間違い。クレーム対応での判断なら都会にも自然はいっぱい有るんだしそこに放せば良い。
▲42 ▼16
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人間の安全安心が優先。これが担保出来た上で、殺処分の実行について、動物愛護、コストを天秤にかけて判断する。原則は、これだけだと思うのだが、原理主義者には、原則論も伝わらないのだろうなあ…
バランス点のルール化は必要と思うものの、科学的根拠がハッキリしないので、厳密にきめるのは難しそう。「現場判断」も止むを得ないと思うところも…ただし、現場に責任を丸々預けてしまうことはいけないからね。
▲0 ▼2
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またこの個体が里に下りて来て人畜や農作物に被害を与えたら誰が責任を負うのかな。誰も負う気は無いだろうな。人里で楽にエサを得る事を覚えた個体が山に留まる保障が何処にあるんだろう。無責任とはそういう物だ。どんなに言葉を飾っても動物との共存とは人間に依る動物の頭数と生息域の管理を意味する。増え過ぎれば間引く、人畜・農作物に害を与える個体は処分する。それが動物との共存。現状、それが機能していないから獣害が頻発している。
▲55 ▼29
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熊の被害を対岸の火事程度にしか考えてない、直接利害関係のない人間にまでいちいち説明する必要なんて正直ないと思う。 テレビなんかで見聞きした『食べ物に対する執着心』やら俄仕込みの知識を引っ張り出してとやかくいう輩ももおるやろうけど、その場の判断ということは専門性のある人間が状況を見た上で判断したということ。これも直接被害を受ける可能性があるならまだしも、そうでも無い素人がとやかくいうことでは無いと思う。
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100年前に起きた三毛別羆事件等を聞くとやはり最も恐い獣になるので共存は不可能だと考えます。近隣でも熊の出没が聞かれますし子供達の事が心配になります。やはり処分するのが妥当では無いでしょうか。
▲13 ▼8
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熊がコタツに入っていたらビックリするだろうな。
みかんとか食べながら、テレビとか観ていたら、自分ならどうするんだろ?
山に返しても居心地が良かったことを思い出し、 帰ってくるかもしれない。 そのときは、うどんでも出してあげて欲しい。
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野生のクマををプーさんやテディベアと勘違いしてる奴の言うことは聞かなくていいと思う。 街としてクマと共存していきます!みたいな宣言をしてそれに納得して住むようなケース以外は人命優先の行動をとるべき。
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これは抗議を通り越して大々的に批判される処置。 住民の安全が第一ではなく、職員が批判、抗議されない楽な道を選んだ。 税金で生活している公務員が納税者の安全を二の次にしてのうのうと仕事する策を選ぶかね。 喜多方市民の皆さんがお気の毒です。 ふるさと納税で他の県に納税して抗議するべきです。
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殺処分が違法になる恐れがあったから逃がすしかなかったのかも。申請書があれば処分方法も決められて市長か県知事が許可の判断するんだろうけど。それがないから現場の判断ってことだと思う。
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最大限譲って、人の踏み込まない山奥で遭遇した時に、逃げる熊に向かってそこに居合わせたハンターが発砲するのは、もともと捕獲目的でなければ必要ないかもしれませんが、人里に出て来た熊は、保護には値しないです。 逃せば必ずまた来ます。そこで熊が自分の身を守るためと判断すれば襲ってきます。 日本の野山は自然公園や国立公園ではあってもアフリカとかの保護区ではありません。 共存は人間の命があってのことです、どうしても駆除に苦情を言うなら、どうぞ連れて帰ってご自身が大切に飼ってあげてください。誰も反対しませんよ。
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殺処分されなくてよかったね。90センチってことはまだ子供とかかな? どうしても処分される動物がいることは仕方がないけど、現場で臨機応変に対応されて、何もかも殺処分されているわけではない事がわかり良かったです。
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「どうして殺したんだ?」と非難する人も、「どうして殺さなかったんだ?」と非難する人も同レベルであることに気づいて欲しい
結局のところ現状の制度では現場で判断するしかない話で、外野は黙っておけばいい 殺せ殺せと喚く人がクレームを被ってくれるわけでもない
ただ、もしも過剰な動物愛護の声がなければ、どのような判断がなされたのだろう?
どちらにせよ声のでかい輩に対して、罰を与える制度作りは必要だと思う
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秋田のスーパーに立てこもった熊は従業員に怪我を負わせたと言う状況から殺処分は仕方ないと思うが、この熊は民家のコタツに入ろうとしたり食料をあさっていて人に危害を加えてないと言う判断じゃないですかね。熊の被害は大問題だが何でもかんでも殺処分はどうかなと思います。
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ひとことに殺処分と言っても、手続きの煩雑さや抗議、処分後の遺体の処理など、都合がつかなかったので、仕方なく放ったのだと思います。外野がとやかくいうよりも、現場の判断が最大限重視されてもいいのではないでしょうか
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