( 239133 ) 2024/12/25 14:25:02 2 00 献体写真ネット公開に強い拒否反応「もう献体しない」 日本篤志献体協会・理事長「希望者に説明を尽くさなければならない」弁護士ドットコムニュース 12/25(水) 10:08 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/91fe1a718074160ea035888fc886c73dac6c7aef |
( 239136 ) 2024/12/25 14:25:02 0 00 坂井理事長(本人提供)
死後に自分の遺体を提供する「献体」は、医療の発展に欠かすことができない。
献体は、原則として家族の同意が必要となるから、遺体が適切に敬意をもって扱われることを自分も家族も信じて疑わない。その大きな前提が覆されそうな事態が起きた。
美容外科の医師が海外での医療研修において、献体された遺体を撮影したうえブログに投稿した。遺体の前でピースをした集合写真もあり、医師は謝罪したが、強烈な反発が起きている。SNS上では「献体しないことを決めた」という考えを表明する人も少なくない。
献体に関する啓発に取り組む公益財団法人「日本篤志献体協会」の理事長で、順天堂大学特任教授(解剖学)の坂井建雄さんは、今回の事態を「残念なことだ」と受け止める。(弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎)
問題視されているのは、美容外科「東京美容外科」の女性医師、黒田あいみ氏が12月、米グアムの大学における医療研修で撮影した献体の写真をブログなどに投稿した行為だ。
本人と勤務先の院長が12月23日までに謝罪・釈明した。ブログ記事には、モザイクが一部外れた献体の写真があった(すでに削除)。
この投稿に大きな批判が寄せられており、献体を考えていたという人が「もう献体しない」とSNSに投稿するような事態も生じている。
1969年から2023年までの全国の大学における実習の解剖体数と献体数の推移(日本篤志献体協会提供)
国内では、全国の医学部と大学の教育のため、献体の解剖実習がおこなわれている。坂井さんによると、献体者本人と大学が約束し、その大学で解剖が実施されるのが原則だ。
上記の解剖実習における解剖体数は、1960年代から右肩上がりで増加し、2000年代以降は3000~3500体強で安定している。現在は99%以上が献体された遺体だという。
献体は本人の同意のほか、家族の許可が大原則となる(家族がいない場合は市町村長の許可が必要)。
献体とその希望者の数が増えているのは、家族の規模が小さくなったことで、家族の承諾を得やすくなったからだという。もう一つの理由は医療技術の進歩だ。
「献体希望者の方と面談すると、病気が回復して健康を取り戻したことから、恩返ししたいと話されます」
学生の教育のほか、近年では外科医のトレーニングのために一部の大学で献体の解剖がおこなわれている。
医学部と歯学部の学生は、献体によって実習解剖が実現できる。実際に解剖しない看護学部の学生なども見学にやってくる。
そこでは、医療従事者として、献体された遺体への向き合い方も口酸っぱく教わるという。
「献体をしてほしくないと考えるのは、家族です。死んでしまったら痛くも痒くもないとご本人はおっしゃることが少なくありませんが、ご家族は違います。
解剖させていただくご遺体を粗末に扱ってはいけません。献体は尊いとしても、ご家族は肉親の身体が解剖されるのは見たくありませんし、見せてはいけません」
坂井さんによると、国によっても、献体の事情はかなり異なる。
「まず、ご遺体に対する感覚はかなり違います。特に日本人はご遺体を大切にする感覚を強く持っているだろうと思います。
そして、解剖体をどのようにして入手しているかという問題です。アメリカでも献体の制度はありますが、大学のほかにNPO法人も献体を受け入れています。
また、アメリカで献体されたご遺体は、希望がある場合を除き、大学の共通墓地に埋葬するのが基本とされています」
献体を取り巻く事情は海外のほうが「かなりドライ」だと指摘する。今回の美容外科医の振る舞いに対する大きな反発も、また、日本人であれば共感できるものだろう。
「国内の大学では、献体のご遺体に対して誠心誠意の対応がされています。解剖している学生や医療者が真摯に取り組んでいると信じていますが、今回のような情報発信が起こってしまったのは残念です」(坂井さん)
「献体することをやめた」 「献体したくない」
そのような表明がSNS上でなされていることも、坂井さんは深刻に受け止めている。
「献体したくないというお気持ちを持たれて、献体の登録者が大学にやめたいと申し出ることがあるかもしれません。我々も大学も、献体者に納得できる説明を尽くす必要があります」
近年安定していた献体数が、一部地域や大学で足りなくて苦労しているという声が聞こえているそうだ。
坂井さんは、遺体の解剖について定めた「死体解剖保存法」において、最も重要なことが書かれているのは、20条だと指摘する。
〈死体の解剖を行い、又はその全部若しくは一部を保存する者は、死体の取扱に当つては、特に礼意を失わないように注意しなければならない〉(同20条)
「『礼意を失わない』と漠然とした表現であっても、ここが重要です。この条文の実現のために、遺体の解剖は教育・研究目的にあり、解剖できる資格者と、解剖は医学に関する大学の特別な部屋でしなければならないとするなど、ほかの条文の規定が設けられていると考えます」
24歳から65歳まで、解剖学の研究にあたってきた坂井さんは、これまで1000~1200の遺体と向き合ってきたという。
「ご遺体の解剖に習熟する中で、最も恐ろしいことは、それが非日常的なものであるという感覚を失うことです。日常的な感覚とは違うことだと絶えず思い出さなければいけません」
解剖学の授業では、学生たちが手付かずの遺体に出会う。
「何十年かの人生を歩んできた人の身体をメスで切り開きながら、人体の構造を探していく。どこかで人間を感じさせないものになっていく。それでも、学生たちはそのご遺体を単なる物体とは思っていません。授業の初日に、ご遺体と向き合い、解剖学の対象になる解剖体へと変えていったのは自分自身ですから。このことを医療者は忘れてはいけません」
弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎
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( 239135 ) 2024/12/25 14:25:02 1 00 解剖実習や献体に関する経験や考え、医師や医学生による献体・解剖への敬意や倫理観についてのコメントが多く寄せられています。
献体や解剖実習を通じて人体や生命に畏敬の念を抱くこと、医師としての倫理観や人間性を高める大切さが強調されています。
(まとめ) | ( 239137 ) 2024/12/25 14:25:02 0 00 =+=+=+=+=
もう数十年前ですが、解剖実習の初日、4人1班でご遺体の周りに立って最初にご遺体に対面したときの衝撃は忘れられません。決してホルマリンの刺激臭のせいではなく、女子学生のみならず男子の中にも泣いている者もありました。解剖学の教授から「ご遺体に不敬があったものは即刻留年とす」みたいな話もあったと思います。実習の最初と最後に黙祷があり、目をつぶって解剖台の上の方がどんな人生を歩んでいたのか考えるように、みたいな訓話もあったと思います。その手で子供を育て仕事をして家族を養って、その目でいろいろな景色を見て、その脳で喜んだり悲しんだりしてこられたのか、、、と想像しながら解剖し各臓器をデッサンするというのは単に人体を学んでいくということではなく、医師としての、人間や生命に対する畏敬の念を醸成するという、非常に重要な時間であると思います。解剖実習が今後も続けられるよう願わずにはいられません。
▲15014 ▼195
=+=+=+=+=
身近な親族が亡くなったときがありました。 とても親しくしていた方で若くして亡くなったので親族がみな悲しみに暮れていました。
医療系の仕事をしていたこともあり献体も検討されましたが、やはりどうしても無理で、親しい方々と共にできる限りの時間家で一緒にいて、皆が集まって火葬を見送りました。
もし、このような扱いをされるということがわかっているのでしたら、今後も絶対に献体を望みません。
献体の扱いはこの程度で、別に珍しいことではない、というのが美容外科医の説明ですが、これが間違いであると、医療業界が明確に示し、厳しく対応する必要があるかと思います。
▲99 ▼0
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外科医です。そして御献体によるサージカルトレーニングにも携わらせていただいております。率直にこの美容外科医の行為は、医師である前に人間として最悪です。我々は御献体を前に、御献体の方々に触れさせていただくことで、人間の解剖、知識や技術向上のため、御献体の方々に御指導いただくことを心より感謝申し上げ、一生忘れない経験をすることで明日の医療に反映しております。この美容外科医みたいな人は私の周りでは皆無ですし、心からの感謝があればこのような事態にはなりません。この美容外科医の方や医療機関が行う医療には、一番大切であり根幹の患者様の視点が欠如しているのではないでしょうか?であれは医師失格ですし、本当に残念でなりません。
▲264 ▼3
=+=+=+=+=
ご遺体の前でピース写真が撮れるのは狂気であり、大事件であると認識したほうがいい。それは当該医師や医療界らを責めれば良い問題だけでは済まないと感じる。日本人ガーと限定も出来ないだろう。われわれは人間として何か間違ってきてないだろうか問い直さなければならないと思う。
▲11149 ▼152
=+=+=+=+=
献体というか、人間の頭部がズラリと並んだところでピースして写真、そしてSNSにアップすることを躊躇しない感覚がやばい。
医者は一般的に見たくもない嫌な風景を見る、そして慣れてしまうんだろう。献体1人1人に思いを寄せてたらやってられないのかもしれない。
ただ、それでも常識というか人としてダメなものはダメと。 この件で献体に限らず臓器提供も嫌になってる人も見る、とりあえず当該医者は免許剥奪くらい厳しい処分しないと、医学そのものへの信頼がなくなる。
▲10127 ▼70
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「医は仁術なり」という言葉は、医療や治療が単なる技術や職業ではなく、人への慈愛や思いやりを基盤としたものであるべきだという理念を表しています。 これは、医療が単なる利益追求や効率性を重視するものではなく、人々の命や健康を守るために存在するべきだという普遍的な価値観を示しており、古代から現代に至るまで、医療の本質を問い直す際にしばしば引用される考え方です。 この言葉は、現代の医療倫理や医師の誓い(例えばヒポクラテスの誓い)とも共通する部分があり、医療者にとっての原点ともいえるものです。人の命や健康に向き合う医療の本質を見失わないための指針となる言葉です。
習ったよね。
▲19 ▼1
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私は仕事柄、人よりは多くのご遺体を見る機会があります。確かに数多くそういう現場にいると一般的な感覚より、恐怖心など薄れてくることは認めます。 実際、とても親しい方、たとえばご遺族などがご遺体の最後のお顔の写真を撮ってらっしゃることもあります。私自身もあります。 そういう意味での一般との感覚の違いと、今回の言動は全く異質です。先程書いた例えば亡くなった方の最後ののお顔をSNSにモザイクかけてピースしてアップするなんて考えたこともありません。ご遺体に対する感覚の慣れ、とそこでどう行動するかはその人の品性の差だと思います。今回の医師にはその品性がない。非常な怒りと残念さを感じました。
▲329 ▼4
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来年医師になって15年目の節目を迎えますが、大学2年のときの解剖学実習のことは未だに鮮明に覚えています。献体された方のお名前もしっかりと覚えています。果たして自分はこの一柱にしっかりと向き合い、その思いを無駄にすることなく実習を終えられたか、今でもどこか粗末や不敬があったのではないかと自問することもあります。 医師、医学生の中では有名な話ですがとある医学生が解剖実習中に解剖体の耳介を切り取り、壁にくっつけて『壁に耳あり〜』と冗談を言って、退学になったという実話があります。性的な不祥事などのときもそうですが、何故医学生が不祥事を起こしたときには退学になるのに医師免許を一度手にしてしまうとその辺りがなーなーになってしまうのでしょうか。国家権力をもって免許を剥奪しろとは言いません。もしこの先生にその頃の医師となる志に溢れた頃の気持ちが残っておられるなら、医師免許を自ら返納されることを望みます。
▲6044 ▼54
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献体した後大学内部でどのように取り扱われるかについてはもはや亡くなった当人や家族の知るところではなく、性善説に基づいて献体が行われていたんだろうが、実際にこうやって献体が面白おかしく撮影されて見せ物になっているところをまざまざと見せつけられると献体をやめようって人が出てくるのは仕方のないことだと思う・・・
▲5041 ▼48
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今回の件で運転免許証の希望を提供しないに書き換えました。 あんな事をする輩が医師の大部分ではないとは思いますし、検体提供が医療において重要な事は分かっていますが、今回の死者の冒涜は私の中で完全に一線を越えています。 美容分野とはいえ、あれに医師を名乗らせるのはあり得ません。医師免許剥奪を希望します。
▲3488 ▼81
=+=+=+=+=
私は30年以上看護師をしております。 そのほとんどが小児科勤務です。
お子さんがお亡くなりになる時に立ち合ったこともありますし、お亡くなりになられたお子さんにエンゼルケアをして差し上げたことも何度かあります。 その時には必ず頑張ったねと労い、たくさん話かけながら最後の身繕いをさせてもらいます。
身繕いだけでなく、こうしてお話をすることも含めてエンゼルケアだと考えております。 最後のお別れの時も安らかに眠ってねと心の中で声をかけてお見送りしてます。
今回のことはとても信じられないですし、どんなことがあろうとも到底許せることではないと強く思います!
▲2850 ▼24
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医学のために献体が必要なことは理解できるが、今回の件で献体に対する拒否反応が出るのは当然だと思う。ここは希望者への説明以前に医師免許剝奪もしくは強い勧告を医学会として出すべきだ。人の死に対する尊厳を忘れた者に医療を続けさえてはいけない。同時にこの医師が美容外科の医師であることからも医学会は美容整形に対して厳しい対応を導入すべきと思う。他の命や健康を守る診療科と同列に扱うべきではないと考える。
▲1165 ▼15
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今回の事件ですが,調べてみるとCSAC-IU(Cosmetic Surgeons Anatomy Course – Indiana Univ.)という名門校インディア大学医学部が本土ではなくグアム大学で行っている「人体ビジネス」です。これに関わる方々のFacebookとかをチェックしましたが,動画の中に頭部がばっちり映り込んでいるものもあります。しかもこのコース,かなりの日本人の方が関わっています。事件を引き起こした東京美容整形外科だけじゃないです。名前を聞いたことのあるような方も加わっているし,歯医者さんでインプラントの実習にも使っている方がいます。そして動画とかで宣伝するかの如くアップロードしています。本来の献体の意味をなしていないただのビジネスだと実感しました。だってやましいことがなければ,普通,献体を空輸することなく米国本土で実施するでしょ。しかも博士号を有する方が加わるという…。
▲3153 ▼48
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祖父が生前の希望で献体しました。死後100時間以内にホルマリンに漬けないといけないと大学病院から言われ、夏だったこともあり通夜や葬式はせず慌ただしくお別れをしました。遺骨が返還されてから改めて葬式をするご遺族もいらっしゃるみたいですが一般的なお別れとは全く異なります。献体は医学の発展には欠かせないですが故人や遺族に対する感謝の気持ちを持って欲しいです。献体が途切れることなく学べる環境下だとただのリアルな実験台感覚なのでしょうか。
▲1886 ▼25
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当該医師は命を扱う仕事なのに、命への敬意をまるで持ち合わせていない。医師の適正無しとして叩き出してほしいような事案なのに、「解剖実習の必要性を理解してくれ」だの方向違いの庇いだてを上司がしたことに、一番驚きました。あんな写真を上げられたら、献体などもっての他と遺族は思うでしょう。大切な解剖実習をやりにくくしたのはあなた達自身ですよ?それを医学の進歩を止めるななどと批判している人達のせいかのようにすり替えるのは、開き直りか逆ギレの類です。御献体が自分の大切な親や妻、子だったとして「○○が並んでる」などと写真が取れるのか?モザイクをかけ忘れたことを詫びろと言っているのではない。解剖実習をやめろと言っているわけでもない。弁明があまりに的外れすぎる。当該医師及び上司の、御献体(=他者の命と人生)へのあまりの敬意の無さに、驚愕しているんですよ。
▲1849 ▼12
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日航機墜落事故に関わった元刑事さんが書かれた本を読んだことがある。 飛行機事故で犠牲になったご遺体は損傷が激しく、殆どのご遺体は体の一部が無かったり、体の一部しか発見出来なかったり。身元確認にも時間を要したそう。犠牲になったご家族とご自宅に戻られる際は、これでようやくお葬式を出してあげられると安堵の顔をされる。それでも暫くすると遺体安置所に戻ってこられ、まだ見つかっていない体の部分を探される。右手が無いと天国でご飯が食べられないから、両足無いと天国で元気に走り回って遊べないから。 この本には事故で大切な方を無くされた方々、当時検案に立ち会った医療従事者の方々の思い、犠牲になったキリスト教の外国人のご家族の宗教観などが書かれています。この本を読めば、日本人にとってご遺体とは?宗教によってご遺体に対する考えの違いのヒントも得られると思う。
▲1274 ▼28
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先天性の持病を抱えてます。死んだら臓器移植に使って欲しかったけど薬や病気の影響で使える臓器が少ないらしいのでお世話になってる大学病院で献体を考えています。 でもやはりどうせなら真面目に扱ってほしいですよね。 自分がそうであったように、患者を助けられる医療従事者の育成のために使ってほしいのであって、SNSに使ってほしくはない。
▲1215 ▼13
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当事者の女や、所属する病院の責任者が認識している以上に深刻な問題になっていると感じる。 献体としての貢献意思を示されたご本人や、その意思を尊重された遺族の方々は、まさかあの様な侮辱的な扱いを受けていようとは思いもしていなかっただろう。今後の影響も、既にご協力いただいた遺族の方々に対しても、計り知れなく罪深い行動だった。
▲1080 ▼8
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漫画「スーパードクターK」の続編である「K2」においても御検体への敬意をなくした医学生が主人公によって検体提供された方の慰霊碑の前に引きずって行かれ、最後には大学を後にするという話があった。 やはり医学の発展のために検体をご提供くださった人への経緯を持つのは医を志す者にとっては必須であり、それを忘れた(元から無い?)医師やその不適切さが理解できない医院長は医の分野に携わるべきではないと考えます。
▲977 ▼15
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私は自分が原因が分からない。 治療法がないと医師に言われ医大に献体の申し込みをしました。 20年以上前の事です。 毎年白菊会から供養祭の案内や医大生が献体の解剖をして感じた事や感謝の言葉を記した立派な冊子が届きます。 いづれ来る時少しでも医学の役に立てればと願っています。 1人の浅い考えの方がいたのは残念ですか医大生全てがそんな人ではないと信じています。
▲1060 ▼89
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死者へ対する敬意について、警察官から聞いた話だが、全死者の約2割強は警察が検視などで関与するのだという。 時には気温や時間経過で非常に傷んでいたり、回収が困難な場所でものすごく苦労したり、生前迷惑行為をしていたりしていた人であったりもするが、「死んだらみんな仏様」という事で必ず敬意を払って取り扱うのだという。 それは遺族が知ったらとかではなく、生きている人に接するように注意深く触れ、注意深く見なければ、死因はわからないというのだと。 話してくれた刑事も、若い頃死者の部屋が狭かったため、死者を跨いだら、先輩刑事に叱られたという。
検体による系統解剖やトレーニングとしての解剖は、もちろんほとんどの医師は死者に敬意を払っていると信じている。
▲492 ▼15
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うちの祖母も90超えて亡くなった時に 献体を決めててすべてをお任せしました。 慰霊の案内やお礼を都度にしてくれるし 私達も祖母の望んだことだし今後の医療のために役立ったと思うと なんだか誇らしく思っていました。 こんな風に献体を晒す人は本当に極々一部とは思いますが やはりなんだか悲しくなりましたね。
▲852 ▼8
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日本で起きたことではないとはいえ、日本人医師が行った行為であることを考えれば、日本の医師及び研修生の間での意識は概ねこんなものだと推測も出来る。
そもそも疑問なのだが、何故に医師を始めとする医療従事者は献体しないのか。 医師、看護師等の医療従事者の数は相当数居る。 その人達が献体すれば必要とされる数の大半又はそれ以上に充足されるはず。 医学の発展を望む気持ちとそれによる恩恵を誰よりも強く持っているのではないのか。
医療従事者による献体なら、今回のような不遜、不敬な行為が行われただろうか? 将来自分がそうなることが明らかならば。
▲1044 ▼201
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素人意見ですが外科と美容外科をもっと明確に学科や組織ベースで 切り分けて「献体をしてもいいけど美容外科には提供しません」という 約束事ができるようになればいいと思います。 今回のことはそれだけの事件だと思うし、その反面窮迫した生命の 危機に立ち向かってくれる外科医さんの育成に歯止めがかからないように あってほしい気持ちもあります。
▲347 ▼17
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昔「眉山」という映画で医療関係者が献体された方に対して、生前も死後も非常に敬意をもって接する場面を見ましたが、現実はこんなものなんですね、、献体された本人への不敬もそうですが、遺族への冒涜でもあると思います。献体をするということは、家族のもとから遺体が離れ、骨として戻ってくるのは1年〜3年後です。自分の親や子供だと考えたらどうでしょう。献体という選択は勿論誇れる事ですが、身内だったら体を切り刻まれて、何年も戻ってこないというのは辛い気持ちが必ずあるはずです。それでも医学の未来の為に大切な人のご遺体を差し出すわけですが、その遺族が、このピースで「頭部が並んでます(ニコニコマーク)」の画像を見たらどのような気持ちになるか。インターネットの力を甘く見てはいけない。今後献体を希望する方の辞退もそうですがその家族が反対することも増えるでしょう。一個人が医学会に相当なダメージを与えてしまったと思います
▲362 ▼3
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「死体解剖保存法」なる法律があることは初めて知った。記事にもあるように、遺体に関しては宗教的、文化的背景によって大きく価値観が違うのは事実と思う。アメリカと日本とでは献体の扱いに違いがあるのは確かだろう。 しかし今回は日本で医学教育を受け、日本で医療を行う人物によるこうした行為は「死体解剖保存法」の精神に反するものと思わざるをえない。法律的には日本法の適用外なのだろうが、SNSを通じて公表する行為そのものがこの医師のみならず若い医師の価値観を反映しているのではないか。 記事によれば献体自体は増えているようなのでその流れを変えるほどのインパクトがあるかは分からないが、将来世代の医師の倫理観の問題は示していると思う。
▲403 ▼15
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二重の驚き。国民周知の事実として、おかしな医者が大勢いることは分かっていたこと。しかし、驚愕させられたのは、それをかばった医者の説明のほう。 かばった医者の理屈は「黒田さんは、従来のホルマリン漬けとは異なるfresh cadaverを初めて見た『感動』を伝えようとするため、献体をSNSにアップした」ものであって『その動機は善』とか言っている。これは小学生のいたずらを許してやるような理屈。 かばっている医師は黒田さんの雇い主。日本人の死生観やご遺体に対する敬意といった共通感覚を、黒田さんばかりでなくこちらの医師のほうも持っていないわけである。 医療全般で献体に対する敬意が失われているなどということはありえないが、じっさいにすでに医療に関わる少なくない方々の間で、その敬意が失われつつあることをこの事件は示しているのでは。
▲637 ▼6
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行われた場所が海外だったかなどは関係ないと思います。その行いをしたのが日本の医療機関に勤める日本の医師であり、SNSに載せる心が問題なのです。 関わった医師全員に厳しい処分(医師免許剥奪が相当かと)があれば話は変わるかと思いますが、これがもし氷山の一角であるならば、臓器提供も献体もしたくないと感じる人が多くなるのは当然でしょう。
▲359 ▼1
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今からもう30年ほど前になりますが、当時、看護学生だった私も、医大の解剖実習を見学させていただきました
最終日だったこともあり、ご遺体はかなり細かなところまで解剖が進んでいましたが、実習の最後には「指1本まで、きちんと元の位置に戻しなさい」と、厳しく指導されていました また、直接の死因だけでなく、お一人おひとりが歩んでこられたエピソードが添えられていたことも印象的で、「この実習を通して、献体下さった方の人生ときちんと向き合えたか」と問われていました
必要とあらば、私は献体しようと思いますし、家族が希望しても承諾しようと思っています あの時のご遺体から学ばせていただいたこと、また、学生時代にたくさん実習で関わらせていただいた方々へのお礼も含め、次の世代の役に立てるような選択をしたいと思っています
▲92 ▼5
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看護師です。 記事の通り、私達は学生時代に医学部の学生が解剖実習したのちのご遺体で解剖について学ばせていただきました。 大動脈の太さや手の腱の緻密さなど、今でも覚えているような本当に貴重な学びでした。 大学では年に一度、献体くださった患者さんたちの合同慰霊祭のようなものがあり、学生にとっては途中眠くなるような式でしたがそれでもやはりご遺体が思い出され、その方の人生へ思いを寄せるような時間でした。 私は大して真面目な学生ではなかったですし周りも普通の看護学生でしたが、解剖実習後でもお肉食べられるものだね~と話した以外は茶化すような発言は全くありませんでした。 それが普通で当たり前でしたよ。 一応先生方の指導もありましたが、みんなそれぞれの倫理観に基づいての言動だったかと。
この医師の一連の行動は、日頃の患者さんや医療行為へのこの方の姿勢が表れただけということではないでしょうか。
▲97 ▼5
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この呆れた事件の舞台は海外だが、国内には白菊会という伝統ある献体組織が存在する。ただただ若い医学生育成に役立ちたいという篤志家の組織で各大学医学部はその思いに感謝の意を表する為に例年慰霊祭が執り行われている。ただ国内の解剖実習室(かなり広い)では極一部ではあるが無関係の友人(他学部学生とか)をその場に連れてきたり、騒いだりという事もあるのも事実。やはり医学部教育に時間をとって人命の尊厳を学ぶプログラムが必要。
▲115 ▼3
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大昔にありましたよね「壁に耳あり」ってやってしまった学生。 多くの人が関わると、極々一部の人はこういったのが出てくる。それは仕方のないこと。今はおそらく我儘に育った人が多いので、割合は増えているのかなぁと何となくは感じるけど、それでも少ないだろうと信じたいね。
▲495 ▼38
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今年初めに病気治療中の父親が亡くなり、父の遺志で地元医大に献体となりました。 病院で死亡確認をしてくれたお医者さんがその大学出身で、献体に対して「なかなか出来ることではない。立派なお父様ですね」と声をかけてくれました。 医大の献体担当の事務局の方は、とても丁寧かつ親切に接してくれました。
献体の遺族向けの会報誌を手にしましたが、そこには関係者や遺族の気持ちや考えがしっかりと示され、決して亡くなった方を軽々しく扱ってはいけないというメッセージを強く感じました。 こうした人達が居るんだなぁ、と大変ありがたくも感じました。
今回のニュースを見ると、なんとも残念な気持ちになりますね。
▲71 ▼1
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人体の仕組みを解明する上で、こういった職業の人たちからしてみたらそれは現実でしかなく、神秘ではない。そう考えるといちいち感情移入もできないことも理解できる。 それにしてもピースサインですか。 何をどう取り繕おうが業界としてアウトを出すべきだと思います。 医学の進歩をかさにして「もの」のように接する様子は一般人に到底受け入れられるものではありません。 下手をするとこういった職業に接する人への人格否定がはじまりかねない。 それほどしてはいけない行為だったといえます。
▲86 ▼0
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医学の発展のためにとご献体してくださったのに頭がたくさん並んでいるだのピースして写真撮る等されたら、そりゃ献体を拒否されるのは当然だと思う。 総括院長の釈明も論点がズレてて何が問題なのかわかっていない感じだったし、説明を尽くす以前に少なくとも写真に写っていた当該医師たちに対して何かしらの処分が無いと事態は収まらないと思う。
▲339 ▼0
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当方、外科医です。正直なところを述べると医学生の解剖実習はそろそろやめてVR学習等に移行してもよいのではないかと思います。ホルマリン固定された臓器はやはり生身の身体とは異なりますし、解剖学が必要な外科領域では、日々の仕事の中で知識は身に付きます。内科領域でも、病理解剖(最近、減っていますが)などで研修する機会はあります。解剖実習は実際のメリットよりも何か精神論的な意味で行われているような気がします。
▲15 ▼6
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私も10年以上前に解剖実習をさせて頂きました。ある先生は「3Dモデルがあれば体の構造は勉強できるが、解剖実習は医師になるために必要だという意見が根強くあり、今後も続いていくだろう」と話されていました。解剖実習は、単に知識を得るためのものではなく、医師としての心構えを身につける場なのだと思います。海外ではご遺体の扱いや解剖に対する考え方が違うのかもしれませんが、同じ日本人医師として憤りを覚えます。
▲75 ▼1
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昔は各都市で定期的に人体の不思議展をやっていたんですが、色んな理由でなくなった現在、解剖実習は本当に貴重な体験なんですよね。 私は3回経験しましたが、身が引き締まる思いで勉強させて頂きました。今、思い返しても献体して下さった方々には尊敬と感謝の念が絶えません。 しかし、そういう思いを踏みにじる行為が明るみに出た以上、議論を尽くしてより良い形にしていって頂きたいですね。
▲96 ▼3
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献体だけではなく、臓器移植を拒む意思表明をしている人がTwitterに多くいる 何であれ死んだ後に医者に体を預けたらとんでもない辱めを受ける、と連想されるからだ 医者たちは、献体も臓器移植も美容整形も全部違う分野の話だと反論したがるだろうが、問題は医者への信頼が完全に失われたことだ 信頼回復のために何をすべきか真剣に考えたほうが良い
▲75 ▼2
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祖父が献体をしました。死亡後すぐ運ばれて遺体が無いまま葬儀、一年後に火葬されお骨が骨壷に入れられて戻りました。 死後すぐに離れて顔を見れなく寂しかったのを憶えています。 献体を希望した時に家族は反対しましたが、医学の進歩の為、世の中の為に最期を迎えたいと本人の高い意志の元説き伏せられ従いました。 あの画像を見ましたが、年配の男性の首が祖父に見えてぞっとしました。とても悔しく悲しいです。恐ろしくてもう献体は出来ません。
▲123 ▼2
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何十年も前ですが、父が他界した時の事。 某国立病院で亡くなりました、主治医から今後の医学のために解剖をとの申し出があり、その先生には昼夜も休日もなく大変お世話になったので、複雑な気持ちもありましたが許諾しました。日曜の朝でした、遺体安置室で解剖の準備を待って居たのですが、その後の葬儀の関係で部屋を出て電話をしていると沢山のスタッフが慌ただしく出入りしていました。2人の女性スタッフが満面の笑顔で「じゃあ今日の夜にね」って手を振り合って行きました。病院スタッフにしてみれば日常の事かもしれませんが、家族からすると一生に一度のことなので、もう少しデリカシーを考えて欲しかったと思った事を思い出しました。
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医学生の子供がいます。解剖実習の時は髪を染めてる学生も黒に戻し、きちんと身なりを正して実習に挑まないとご献体に対して不謹慎であると教授から厳しく言われてるらしく、そう言う気持ちで医学を学ばせて頂くのは当然だと思っていましたので、この医師の行為は信じ難いです。この医師の出身校では解剖実習の際どの様に指導されてたのか、もしくはすっかり感覚が麻痺してしまってるのか。いずれにせよ、医師として以前に人として、この状況で笑ってピースして写真を撮れる感覚は到底理解出来無いです。
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私の実父も死後、献体しました。生前の父から献体への想いを聞かされていたので家族は遺志を尊重しましたが、何も知らない一部の親戚からは、死後に身体を切り刻むような残酷なことをするなと反対されました。 献体は思いつきで出来るような簡単な手続きではなく、本人が生前に説明を受けて納得した上で、さらに毎年、意志確認があります。毎年のように、大学病院で説明を受け、その度に、父は献体に必要な書類はここにあるからと家族に託していました。 そんな父の姿を見てきたし、最後に入院する際にも、遺言として献体のことを依頼されたので、その遺志に反対などできなかった。でも関係のない親戚からすると、非情な家族と思われたのかもしれません。 そして、そんな親戚からの無責任な言葉に、私たち家族は傷つき、迷ったことも事実です。 今回の記事で、そんな反対する親戚のような人が増えても仕方ないと思いました。
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たとえ生きている人でも死んでいる人でも尊重していかないとこの世の中は成り立っていきません。これが出来ない人はもう人間ではないと思います。自分の親族や友人や知り合いだったとしたらそれらを平気で解剖したり動画を取ってSNSで公表できますか?赤い血が流れていれば出来るわけないでしょう。医師とか看護師とかであれば成績や技術よりもまずそういう基本的なところから学ぶべきだと思うよ。
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今年父が亡くなりました。父は自身で生前から、ある大学病院に献体登録をしていました。献体を行うには、亡くなってから遺骨が家族に返されるまでに諸条件があり、通常の葬儀は行えません。荼毘にも立ち会えず遺灰が家族に帰ってくるのも2年後です。父が危篤の状態の中、献体をするか否か家族が最終判断しなければなりません。家族にとっても辛い話し合い、決断でした。私達家族は一名でも反対者がいたら献体をしないと決めたので、結局献体はしませんでした。父の意思を尊重できなかった事は辛かったですが、献体をお断りする旨の連絡を大学病院にしたところ、あっさり「はい、わかりました」の一言。お悔やみの言葉も、父の意思に対して感謝の言葉もありませんでした。献体希望を申し出て、何十年も献体登録証明書を大切に保管していた父の気持ちを悟っては頂けなかったと感じました。そんな大学病院に父の身体を渡さなくてよかったと今は思っています。
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もともと臓器提供を希望しており、献体のことも気になっていたため、今回のことでニュースやXでもたくさんの方のツイートを読みました。 年齢に関係なく女性の献体はお勧めしない、なぜなら性的に辱めをうけるようなことが極わずかにでも起きているという投稿を見たからです。 献体はもちろん、臓器提供であっても悲しい扱いを受ける可能性があると思うと、どちらも希望しないことにしました。
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献体が医療のために大切とわかっていても、もうしたくない人は多いでしょうね。 ”適切な”謝罪と処罰は当然行った上で、チェック欄に「美容外科不可」とか「脳神経外科に限る」とか、そういった項目が欲しい。 難しいでしょうけど、そのくらい改善してくれないと献体数はめちゃくちゃ下がると思う。
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医学の為とはいえ、あの頭部だけが並んでいる異常とも言える写真を初めて見ました。 あの頭部だけを揃える過程を思い浮かべてしまいゾッとしました。
ずっと、御検体の解剖は一体のご遺体を学生等が部分部分では無く最後までチームで解剖するのかな?と漠然と思っていたのです。
身体から切り離された状態にする人達がいると言う事。それも「新鮮」な状態、から。
その上で彼等は笑顔で撮影していた。
それがモザイクの有無で批判されていると本人達が思っていると言う事。とても残念です。
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おれ自身は工学部でしたが、医学部や医療メーカとの共同研究で ご献体の腕や脚を実験に使わせていただきました。まずは手を合わせ、 それなりに切ったり穴を開けたりしたのですが、加工で出た粉なんかも 可能な限り集めて持ち帰るということで、とにかくそこは徹底されました。 余談ですが、祖母が亡くなり骨上げの時、なんか見覚えのあるタイプの 人口関節が出てきて、ご献体のおかげでこういう器具や部品の性能や 品質も揚がってるんだろうなぁ、、、と
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私は、一度は医療業界で身を置いたこともありますが、今は別業界で働いています。自身の将来的な献体にについては、真剣に考えておりました。家族の気持ちと医療の発展とのはざまで・・・。私の想像では、尊敬の念をもって扱われると考えておりましたが、こういう気軽な気持ちで扱う人間もいるのかという事実を知り、献体するのをやめる決断をしました。
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日本の場合の献体は純粋に医学のために、という気持ちからです。 もちろんアメリカでもそのような方はたくさんいますが、献体する事で後の墓事情が助かるから、つまり金銭的なメリットで出される方も多いと聞きました。 ですからその辺の温度差の違いで、解剖現場の雰囲気も違ったのでしょう。 が、それにしてもわざわざSNSに、よりによって笑顔のピースサインを出すなんて。 ただ、一つ良い事は、未だに医者は皆頭が良くて、倫理的にも素晴らしい人だ、思い込んでいる人々には現実が分かったのでは。 ほとんどの医師は優秀です。 が、少数では有りますが普通以下の人もいますし、金儲けだけや名声だけが目的の人もいます。 これを機会に近所だからだとか、薬をたくさん出すからだとかの理由で医者を選ばないで、ご自分の大切な身体を預けられる先生をしっかりと探して下さい。 私は仕事柄、素晴らしい先生を多々拝見していますが時には•••。
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なぜ医師免許は更新制ではないのか前々から疑問です。毎年のように医療技術や知識の変更があるにもかかわらず、人の命を預かる免許が一度取得してしまえば死ぬまで有効っていうのがおかしい。まぁ、昔からの医師会と政治家との太いパイプが医師にとって不利な法律は成立させないのだろうけど、国民の命を優先に考えてほしい。
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医師免許剥奪は難しくても、表に出て、施術することは難しいだろう。 院長がこの人を庇ったことにより、院の存続も怪しくなってきている。 本人及びクリニックがどうなろうとかまわないが、医学教育に与える影響の方が問題。
一定数の献体が集まらなくなれば、経験できる人数が減るか、今よりも多数で一つの献体を扱うため、経験が浅くなる。 特段何かあるわけではないが、百聞は一見に如かずで、経験することがその人の糧になる。
倫理的な問題があるけど、メリットがあるから許容されていたのに、1人の不適切な行動により台無しになってしまう。 法令とかとは別として、その人が辞めるなり何なり責任を取れば、その人個人の問題として片付けられるが、それをしないと業界そのものが批判を浴びることになる。
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医療従事者(医者、看護師)等自身の献体が非常に少ないとどこかで読んだ。もしそうなら、今回の事件を機に、医療従事者の意識の変革も迫られるのではないか。自分は別だというような意識がないか?まず槐より始めよではないだろうか。また仕組み的にも医学部生には献体の義務を伴わせるのも一案だと思う。
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解剖実習が終わったとき、班のみんなでご遺体の納棺をさせていただきました。学校から指導されたとおり、班で花束を準備して臨みました。その時に初めて、ご家族からお預かりしていたものとして、生前使っていらした眼鏡やたばこが私たちに渡されました。それらを手にしたときに、ご遺体の人生に急に具体的に思いを巡らすこととなりました。数か月にわたり勉強をさせていただいご遺体には感謝の気持ちは十分にありましたが、その時、感謝ともまたちがう別の感情が湧いたのを今でも覚えています。
解剖実習前にそれらを手にしていたらとも思いますが、そうすると、冷静に解剖に臨めなくなるのではないかとの配慮があってのことなのでしょうか。
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生命、さしずめ御献体に対する感覚は国によってというか宗教観によるところでも差がある。特に日本は仏教.神道の国であり死後も尊ぶ感性を持っている。キリスト系であれば体は″借り物″的な感覚がある。と考えると、日本でこれをやったら倫理観、道徳観を疑わざるを得ない。私も学生の時には御献体に毎日感謝し、今でも細部まで鮮明に記憶に残っている。美容整形外科医を批判するつもりはないが、この女性医師の自分本位の投稿(私はこんなことをしてるすごい医師です!的な…)に問題があり、つまりは自分のことしか考えてないんだろうな、ということがよくわかった。
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最近、知人を亡くしてから、連ドラ「白い巨塔」の再放送を何度か見ました。医学の進歩のためにと、生前の様々な感情や思いを超えて我が身を献体する人達には、頭が今下がります。今回の騒動のもとになった話は言語道断ですね。 その昔、「壁に耳あり障子に目あり」ということわざを使った怪談がありましたね。研修医が検体の臓器を使ってギャグをしてたら…という話。今回の話は、あれを辛うじて放送事故にならない範囲の描写に変えて実写でやってしまったのに近い話なのかもしれません。 あの怪談は今の方がバズりそうな気もします。 思えば昔からこういうことは実はあって、今の時代は「ネット社会」「一億総配信者社会」になってようやく実写版であぁいうことも含めて世に広まりやすくなったのかもしれません。 昔以上に、自由なようでいて、結局は我が身を守るたえに保守的な倫理観が必要になった。不心得者には難しい社会なのかな、と思います。
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私も検体手続きして17年…いつの日か医学のお役に立てればと。先日入院した時に若い看護師さんがとても勉強になりましたょ。感謝してますってお礼を言ってくれました。色々な病気持ってた母も検体してお役に立てました。今回の女医さんも身体を提供してくれた方々に感謝の気持ち改めて持って頂きたい。私も医療従事者の方々にしっかりと身体を使って頂きたいとおもいます。
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医療関係者の方々のコメントを読むにつけ、現場で日常的に患者の生死および家族の喜怒哀楽と向き合っている医療従事者と、そのプロセスを経ずに検体だけと向き合う医療従事者では、だんだんと感覚がズレてくるものなのか、と考えさせられた。今回の黒田医師は後者の典型と映る。もちろん、後者のような医療従事者はごめん被りたいし、そもそも極一部であろうと思う(思いたい)が、現実には意外と多くいるのかもしれない。医療従事者に限らず、高い倫理観を持ちたいものだ。
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もう献体をしないというのは本当に献体をしようとしていた人なのかは疑問だがね。ただ、献体してくれた人の尊厳を守ること、敬意と感謝を持てなかったのは本当に残念だ。写真撮影は誰も止めなかったのかね。このようなゆるい感覚を持っていたら、いつか重大事故をひきおこすこととなると思うので、医療界全体の問題として再度気を引き締めないといけないと思います。
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解剖実習する学生たちは死体を扱う事に慣れてしまい、切り取った耳たぶを壁に貼り付け「壁に耳あり」などと笑い話にしているとの話も聞いた事がある。
確かに、そこまで麻痺しないと外科手術なんかできないよね。 実際直視したら、人の身体を切ったり貼ったり、物凄い事をやってる。
私自身も、自分の外科手術の時、麻酔が覚めたのか意識がウトウトと回復した時、医師が看護師とバカ話をしながらやっているのを耳にした。 ボンヤリとしながら「真面目にやれ」と抗議し、医師が「いや、リラックスしないと良い手術ができない」と言い訳したのも覚えている。
いずれにせよ、仕方がないのか何なのか…皆さんのご意見の投稿を見守るばかりです。どうなんでしょうかねえ…
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研修でもハワイに来たら浮かれてしまうのはまあわかる。 医療に長く携わっていると緊張感が薄れるのもあると思う。 でも献体の頭部が並んでいる場所を不特定多数の人間が見れる所にアップするのは、 医療とかそういったもの関係なく、この人としての素質の危うさを感じます。
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お願いとかではなく、ガバナンスをどう定義していくかでしょう。 こんな医師もいるんですけど9割は大丈夫ですから~じゃ怖くてできませんよ。 少なくともこういった問題が明るみに出たなら、医療界として当該医師を倫理委員会にかけ、何かしらかの処分を下す対応を行うべき。それができないなら、献体をお願いする立場にそもそも立てていないということを、認識すべきです。
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医師もそうだし官僚もだが、偏差値の高低で大学に入って道徳や倫理という入学には関係ないものは一切触れてこなかった奴等が増えすぎたのでは? それを入試に課しても対策本や予備校で教えることになるから無意味なんだけど。 子供の頃「わが身をつねって人の痛さを知れ」など事あるごとに人の道を教えてくれた親や先生に恵まれたことに感謝したい。
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献体したら、自分の家族や自分の体が、こんな考え方を持っている人間に触られるんだと思うと絶対的に献体に反対の立場になりました。 またこれは外国での事例と理解はしていますが、献体であったとしても胴体と頭が切り離されていることに衝撃を受けました。自分の家族がまるで「さらし首」になっているようで、そのような可能性は少しも受け入れられません。
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医学のためと献体を希望する本人の強い意志と家族の同意、医師のその意思に対する敬意があって初めて解剖実習が成立するし、それがあるからこそ解剖学が発展し医療への進歩があると思う。 今回の事案はそれを根底から覆す事件だと思います。アメリカで行ったからといって献体に対する敬意のかけらもないような行動をしている医師が日本でもまともな行動が出来るとは到底思えないし、このような医師がいるというのが分かった以上、SNSなどを使用して今時風に発信している他の医師も果たして倫理観を持ち合わせているのか、一定数のモラルのない医師は存在するのではないかと強く疑念を持たざる終えません。 医療の発展のために献体されたご遺体の前で医師という自分の煌びやかな世界を発信する、なんか天狗になりすぎてるし、そんな医師には関わりたくないし、献体だってしたくもなくなる。 この問題の医師に残された行動なんて自主廃業の一択だと思う。
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この件で献体をするしないはそれぞれだが、この件の重要な問題はもっと違うものではないだろうか?志が高くレベルの高い医療の研究には、やはり献体は必要だし、最終的に医療に携わる方々の倫理観を常に問い続ける教育が最重要だと思う。
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いくら言葉を交わしても、資金とそれなりの学力があれば医師免許は取れますし、厳しい研修医時代を生き残らなくても美容整形医などになれます。 重大な犯罪を犯さない限り医師の資格はそうそう剥奪されるものではなく、金の亡者、他人の生命、健康、尊厳に無関心、遵法意識が稀薄といったおよそ医師の対局に位置するパーソナリティだったとしてもそれは同じです。 これでよしとしている厚労省、各医師会から改善の動きは無いでしょう。
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自分が死んだ後、役に立ちたいと思い献体を希望したとして、個人のスマホに記念写真のように自分の身体、ましてや顔が記録されると考えると無理ってなる もちろん死んだ自分自身にはもう意思はないけど、そうなるかも、って生きている間に考えると嫌だよ ネットでも凄い話題になってるし、結構影響出るんじゃないかな
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医学の発展・医師の経験や知識を深めるために献体は必要なことだと思います。 献体を決めたご本人、また承諾したご家族の想いを汲んで解剖が行われていると信じていますし、今後もそうあって欲しいと願っています。
一人の医師のくだらない承認欲求がとんでもない事をしでかし言葉がありません。 SNSはそのように使う手段ではないはず。 このようなことを平気でしてしまう人間を育てた親の顔が見たいと思いました。
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大学研究室の事務仕事をしていた時に、教授が話されていた事を思い出しました。 献体の薬指に結婚指輪がついているそうで、学生がその指輪を見て、何を感じどう思ったか…まずそこを考える事が医療人となるための第一歩なのだと話されていました。
同様の事を学んできて医者になったのならば、 軽率すぎる行動に感じます。
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御献体の医学的な価値は計り知れないことは言うまでもないが、解剖で学ぶことは医学的知識だけではない。御献体の解剖を通して、医師としての責任感や倫理感等も同時に熟成させていくもの。 今回の件が話にならないのは当然だが、刑事事件でなくとも医道審議会に掛けられるべき事案だと思う。個人的には、交通違反や薬物事犯を犯すよりも、医師としては重罪だと思う。それに何よりも、問題発覚後の本人や主催者の態度がひどすぎる。これはSNSで一言謝罪して済むような話ではない。全国各地の献体の会に対して謝罪行脚することは当然として、過去にあるいは現在献体の登録をされているすべての方々に誠心誠意謝罪をしなければならない。献体数が十分でなく、それでも医学生のため、医学の質を保持するために献体希望者を集めている方々やそれに応じてくださっている方々全てをバカにしている。
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検体希望者や家族の心理には、やはり影響する気はしますね。これからは減る可能性がある。解剖でなくても、例えば飲食業界だと、食材の扱い方が雑だと分かれば行く人は減るのと同じ。様々な仕事には広く世間に伝えて良い面と、そうでないと部分があるかもしれない。そこの見極めは大事かと
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祖父が亡くなる前「自分は献体を希望している」と祖父の友人の医師に話したら「やめたほうがいい」と止められた。
「遺体は丁寧に扱われる場合もあるけれど、雑に扱われる場合もある。遺族の心が傷付くような酷い状態で返される場合もある。」と言われた。 30年ほど昔の話だ。
祖父はそれでも「自分としては自分が死んだ後は痛くも痒くもなのだから自由にしてかまわない。」と言っていたが、その話を聞いた母は猛反対して献体を止めた。
今回のこういう話を聞いて、あの当時献体を止められた理由を改めて実感した。
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献体の数がたくさんあって解剖が当たり前になると、こういう医師も出てくるのかな。当たり前になると横柄になる輩ってどこにでもいるからね。 一般人の感覚からすると、ご遺体の前、それも頭部だけがズラリと並んだ光景を写真に撮って楽しげにSNSにあげているのは、言葉が悪いとは思うけど、猟奇的で恐怖を感じる。医師として、そういった環境に対してある種の慣れが必要なのは分かるけど、普通の人の感覚を忘れてはダメだと思う。
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検体される方は、解剖がどれだけ重要か分かっていると思います。 けれど、解剖する方がこのような軽い気持ちで臨むのであれば、解剖の意義とは何でしょうか?
死者への向き合い方は、それは生への向き合い方に繋がるというのが日本的な感性です。 欧米ではドライ!という論理で日本人の感性を否定するのであれば、日本で医療をするべきでは無いと思います。
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私は数十万人にひとりという難病をかかえている。大学病院に入院したときも担当医から診察の際、研修医たちも同席させてよいか?と相談があったので、もし、今後、自分と同じ病気になってしまった人の少しでも役にたてるならよろこんで協力させていただきます、と答えた。もし、私が死んだとしてもその病気の治療法がさらに進歩するならば、解剖でも何でもしてくれ、と思っている。でも…こんなこと気持ちで献体を扱う医者がいるんだね。しかもわざわざSNSで不特定多数に発信してる。もう医療に協力はしたくなくなった。この医者が医療界から追放されない限り。謝るだけで済むような問題ではないよ。
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この問題、一医師のために献体という行為自体への不安感が広がってしまいました。 これを収めるには日本医師会や日本美容外科学会、所属する美容外科などが懲戒処分に処することでしょうね。 また、厚生労働省にも重い腰を上げてほしいと思います。 最低でも一定期間はこの医師の医療行為への従事禁止などの措置が必要でしょう。
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医療職の端くれです。私も学生時代某国立医学部で解剖実習を行いました。国立医学部には白菊会と言う献体に関わる有志の会が組織されており、献体希望者はそこに登録する事になります。また医学部関係者も会員となります。献体すると二年~三年は遺族の元には帰れません。日本特有の宗教観に拠って死者に例を失してはならない、西洋の死しても魂が宿るといった観念よりも、遺骨を家に連れて帰るという事を大事にしている日本に於いて、それを承知で医学のために献体されてるのです。
今回はグアムでの事件だったようですが、全く受け入れられない事だと思います。
美容整形の商業主義が起こした許すまじ行為と弾劾したい。
医は仁術なり。算術では無い。
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献体なんてもっての他で、私は脳死の時のドナーも絶対に嫌。 子供が脳死になってもドナーは拒否する。 移植を待ってる人がいるのはわかっているし、自分が移植を待つ身になったら、、、とは思うけれど、医者や医学会に対する信頼がそこまでないので。 今回の献体もそうだし、医者の中には人としてどうなのという人が結構いるので。 医療の進化は素晴らしいけれど。
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学生の頃に解剖実習に行かせて頂きましたが、あんな神聖な場所で楽しそうに撮影なんかできるなぁと思った。部屋に入るまでは何となく薄暗く重い空気のイメージでしたが部屋に入ると空気がキラキラしたような神聖な場に感じました。うまく書けませんが一瞬でネガティブな感情からポジティブな感情になったのを思い出しました。実習中はとにかく感謝の気持ちが大きく、私も献体登録したいと思いましたがSNSで拡散される事を考えたら登録してる人が躊躇する気持ちも分かります。
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そんな難しい事では無いと思う。単純に「思いやり」があ有るか、無いかの問題なのではないですか?何に対しても、仕事に対しても、研修に対しても、物やSNSを見ている人、ましてや献体の方々や遺族に対する思いやりがあれば、SNSなどUPしようとは決して思わないし考えない、普段から思いやりが無いから新鮮な献体だの、頭が並んでいるだのという言葉が出てくるんですよ。
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献体された方の気持ちになれば、一緒にピースサイン出して写真を撮るなんて行為考えることすらできないはずです。(モザイクがかかって無かったなんて言い訳にもならない) 献体されている方は少しでも医学(美容外科とは思ってなかったと思うが)の発展に貢献できるのならと思って、献体されていると思う。 人間としての倫理観が、全く備わっていない人間としか思えない。 たとえどんな名医だとしても、こんな医師に何かしてもらおうとは思わない。
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結局、問題行動を起こした医師の免許を剥奪し、免許再取得を禁じるくらいの対応を取らない限り、検体提供に協力的な人は減るでしょうね。
医師法7条を執行できるかというと、なかなか難しいと思います。 士業には「品位を欠く行為」にペナルティを与えるという一文が多くありますが、取消しに至った事例は無いはずです。 医師会も剥奪するよう動くでしょうが、多分実現しないと思います。
問題を起こした医師自身が医師免許を返納する以外に騒動を収めるルートは無いと思いますが、あのような行為を行う人格ですから、実現しないでしょうね。
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今回の黒田さんの投稿から謝罪までの一連の流れ見たけど非常に不快感が残った。 黒田さんに限らず何人も同じ写真に写っていたことから、医者にはこういう輩がいるのか、献体も臓器提供もやめておこうと思ってしまうのは私だけではないはず。 一部のモラルに欠けた医者の行動だから献体や臓器提供をやめないでくれという医者の投稿も見かけたけれど、一度嫌悪感を覚えてしまったらそれを拭う対応をしてくれないと近付こうと思わないよね。 いずれにしても黒田さんはとんでもないことをしでかしてしまったよね。
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この件は人の尊厳を大きく傷つけるものだと思う。 医者の倫理観やモラルの低下も大きな問題だと思う。 SNSに投稿した事より、ご遺体の前で記念撮影、「元気に献立に行って来ます」などの行動や発言は献体を人ではなく物にしか見ていない事実がはっきりしてしたと思います。
献体については昔から取り扱いに色々な悪い噂がありましたが、そう言う噂は割と真実に近いのかもしれないと思いました。
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解剖はしないですが見学のみしたことがあります。ご遺体がそこにあること、その方が生きていたこと、そしてその体を裸どころか皮膚や血管、筋肉、内臓などが見えるように切られ分けられていること。とても衝撃でした。これを許可してくださったご本人様とご家族様には頭が上がらない、すごい決心だと思いました。しっかり勉強しなければいけない。と身が引き締まる思いでした。 ピースをしてSNSに挙げる…最初から礼の心がないのか、はたまた慣れてしまって心を欠いたのか知りませんが、信じられません…
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解剖って死因を特定するだけじゃなくて病気がどの程度進行してたか、治療の効果はどのくらいだったかがわかるとても大事なことなのよ。 なのにご遺体の前で自撮りするっていう神経がおかしいし、撮った写真をストーリーに載せるのはご遺体の方やそのご家族の方に対して中指を立ててるような事と同じだと思う。 絶対やってはいけない事をやってしまった事実がある以上、謝罪すればいいって訳では無いし。 もう二度と解剖が出来ないように医師免許を剥奪するべきじゃないかな。
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15年前、義父が亡くなった時に棺に納めた所を 写真撮った後、やはり、遺体は写真に撮るものではないなと思い、写真をすぐに消した。 そして今年実父が亡くなり 一切何も写真には収めていない。 自身が亡くなった時に写真撮られたいと 誰が思うだろう。 誰かの役に立ちたいと思われて献体されたご本人やご家族の思いや尊厳を踏みにじる行為は決して許してはいけない。
▲54 ▼3
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アメリカに住んでいたとき、救急車やパトカーがサイレンを鳴らして走っているわけでもないのに、周囲の車が急にみんな停止してある車列を優先しました。私もアメリカの交通ルールをよく知らず、同じように停止していたら、霊柩車とそのご家族の車が通るのを全ての人たちが優先させていました。 アメリカほど大国で人種も様々な国が、死者を尊く敬う気持ちにとても感銘を受けました。
それぞれの人生を精一杯生きて終えた方たちは、誰であれ大切にしなければなりません。
人の体をなんだと思っているのか。 心の中で利権や儲けばかり考えるのは勝手ですが、写真に遠足気分で撮って全世界に発信したところで、その写真は全く映えません。
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