( 239199 )  2024/12/25 15:39:51  
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秋篠宮家の長男である悠仁さまが筑波大学生命環境学群の生物学類に推薦入試で合格し、2024年4月から筑波キャンパスで大学生活をスタートすることが報じられた。

悠仁さまは日々の交通や多忙な学生生活の中で皇位継承順位2位の立場をどのように配慮し、帝王学を学ぶ時間を確保できるかが注目されている。

また、過去には天皇陛下や秋篠宮さまなどが成年となってから本格的に公務や皇室行事に参加することが一般的であり、学業を優先する傾向があることも紹介された。

将来の象徴天皇としての修学が必要であるとの意見や、悠仁さまの過去、現在の学びについても言及されている。

(要約)

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筑波大学生命環境学群の生物学類に推薦入試で合格した秋篠宮家の長男、悠仁さま。4月からは、筑波キャンパスで大学生活がスタートする=2024年7月、秋篠宮邸、宮内庁提供 

 

 秋篠宮家の長男、悠仁さまが、茨城県の筑波大学に推薦入試で合格した。来年4月からは、つくば市まで東京から車で通学すると見られている。都内から筑波キャンパスまでは車でおよそ往復3時間の道のり。講義やフィールドワークにレポート提出に追われる多忙な理系の学生生活のなかで、皇位継承順位2位である悠仁さまが「帝王学」を学ぶ時間はあるのだろうか。「両立」には工夫とそして周囲のサポートが何より大切だと、悠仁さまの“先輩”は指摘する。 

 

*   *   * 

 

 天皇、皇后両陛下の長女の愛子さまや、秋篠宮家の次女の佳子さまなど、若い成年皇族方が、公務や皇室行事に本格的に参加するのは、大学や留学を終えた後になるのが慣例だ。特に近年は、学生の間は本分である「学業」が優先する傾向がある。 

 

 この9月に18歳の成年を迎えた悠仁さまについても、成年皇族として宮中行事に参列するのは、来春に高校を卒業し、成年式が行われた後になる見通しだ。 

 

 そして4月以降の悠仁さまは大学生活がスタートすることから、当面は「学業優先」となり、若い世代では愛子さまと佳子さまも「おふたり公務」で両陛下を支える形になりそうだ。 

  

 

■悠仁さまも陛下から学ぶ機会を 

 

 悠仁さまは、お住まいのある赤坂御用地から大学に通われる方向で検討されているが、東京から車で往復3時間はかかるとみられる。加えて理系の学生は、講義のほかに実習やレポートなどの課題で忙しいと言われる。 

 

 そうしたなか、皇室制度史や儀式に詳しい京都産業大の所功・名誉教授は、皇位継承順位2位である悠仁さまには、やがて象徴天皇となるふさわしい心得を身に着けることこそ大切だと指摘する。 

 

「いまの陛下は、祖父の昭和天皇と父親の皇太子(上皇さま)のあとを継ぐためにその背中を見て成長されました」(所さん) 

 

 歴史の研究を志し、学習院大から大学院を経て英オックスフォード大へ2年間留学。25歳で帰国したのち、「帝王学」の学びにいそしんだ。 

 

 

 この点、悠仁さまは18歳の成年を迎えたばかりで、まだまだ時間的な猶予はありそうだが、所さんはこれからの悠仁さまは大学で「研究者」としての学びを積み上げるだけでなく、秋篠宮さまの次の皇位継承者としての修学がいまから必要だと話す。 

 

「秋篠宮さまは、継承者としての教育を兄上ほどには受けてこられなかったかもしれません。そうであれば、秋篠宮さまと悠仁さまは、天皇陛下のなさりようについて学ぶ機会を、可能な限り多く持たれることが望ましいと思われます」(所さん) 

  

 

■5年生で庭から縄文土器を発見 

 

 というのも、天皇陛下は幼いころから天皇となるべく「帝王学」の主要な教養を学んできた。初等科に入ると漢学の権威で「浩宮徳仁」の命名にも携わった、宇野哲人・東京大名誉教授に『論語』を学んできた。 

 

 また、世界史を三上次男・東大名誉教授に学んだ。奈良や京都の史跡文化財を訪ねるうちに、御所の庭にも土器が埋まっているのではと、あちこちシャベルで掘り返した。縄文土器のかけらを発見したのは、初等科5年生のときだった。 

 

 12歳の誕生日に公表された写真では、宇野哲人から論語を、15歳の誕生日写真では王朝和歌の研究者である橋本不美男・宮内庁図書調査官から徒然草の写本の講義を受ける姿が収められている。 

 

 もっとも秋篠宮さまが陛下と一緒に講義を受ける機会もあった。13歳の誕生日に公表された写真には、兄の浩宮さまと妹の黒田清子さん(当時、紀宮さま)と一緒に、村川堅太郎・東大名誉教授から西洋史を聞く礼宮さまの姿がある。 

 

 ただし、秋篠宮さまの14歳の誕生日写真には、宇田川竜男・麻布獣医科大教授からニワトリについて講義を受けたり観察をする姿があり、陛下よりはご自身の興味に沿った学びを積まれていた印象だ。 

 

 比較文化史の研究者である東京大の故・芳賀徹名誉教授は、陛下が中等科にいた時期に初めて対面。東宮時代の上皇ご夫妻にフランス語を教えていた東大の故・前田陽一教授が「私のような年寄りばかりではなく、若い研究者と話をしていただくのもいいでしょう」と、芳賀さんを含む門下生5人を引き連れて、当時の赤坂の東宮御所を訪ねたことがきっかけだったという。 

 

 芳賀さんは生前、筆者のインタビューに、東大・駒場キャンパスの何人かの教授に声をかけ、東宮御所で「臨時家庭教師」の役を担ったとして、こんな話をしてくれた。 

 

「民族学者の大林太良氏、科学史の伊東俊太郎さん、万葉学者である五味智英先生ら、今思えばそうそうたるメンバーです」 

  

 

 

■「浩宮さまの日本語はわかりやすく美しい」 

 

 天皇陛下(当時は浩宮さま)の学びの時間は、ご一家が夕食を終えたあと。両隣に上皇さま(当時は昭仁皇太子)と美智子さまが座って1時間ほど講義をし、芳賀さんが合いの手を入れながらお茶やお酒とおつまみでたっぷり歓談した。お三方は終始よく発言なさっていたという。 

 

 教授陣による「家庭教師」は、大学時代も続いた。 

 

 あるとき上皇さまから「皆さんの前で発表をしてみなさい」と勧められた陛下は、芳賀さんら学者が並ぶ前で、1時間ほど卒業論文について説明した。芳賀さんらは、大学の学生と同じように、さまざまな質問を重ねた。 

 

陛下の表現が足りないときは、上皇さまが「こうだったのではないか」「その点はどうだった?」と助け舟を出すこともあった。 

 

「浩宮さまは、小難しい用語は使わず、わかりやすく、いつも正確で美しい日本語を話された」という。 

  

 

■7歳で平和の礎を訪れた悠仁さま 

 

 一方、悠仁さまも幼いころから、皇位継承者としての学びを続けている。秋篠宮ご夫妻とともに日本各地に足を運び、土地の文化に触れ、人びとと交流を重ねてきた。 

 

 2013年には、秋篠宮ご夫妻は7歳の悠仁さまを連れて沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎」を訪れた。ご夫妻は、24万人の名前が刻まれた石碑を見ながら、紺のスーツとネクタイを着用した悠仁さまに、犠牲者について説明されている。 

 

 夏には、学童疎開船・対馬丸の犠牲者を慰霊するつどいや沖縄戦を考える行事に参加し、小笠原諸島では戦争の塹壕や軍道など史跡を巡った。広島県で被爆者の体験を聞いたこともあった。 

 

 18年の夏には、戦史研究家の故・半藤一利氏が秋篠宮邸で悠仁さまに戦争について話をしている。悠仁さまは「どうして日本に原爆が落ちたのか」「なぜ戦争になったのか」などと質問し、秋篠宮さまは「統帥権」についても質問した。親子で一緒に勉強している様子がうかがえたという。 

  

 

 

■「3時間あればレポートは書けます」と“先輩” 

 

 ところで、筑波大での理系の学生生活は、どれほど忙しいのだろうか。 

 

「通学に往復3時間という学生は、そう珍しくもありません。また、車で通学ならば、その間にレポートくらい書けますよ」 

 

 そう話すのは、広島大学大学院の長沼毅教授だ。筑波大学の第二学群生物学類(現・生命環境学群生物学類)を卒業しており、悠仁さまの「先輩」ということになる。 

  

 

 一般的に「理系の学生は忙しい」と言われる。その意味は「講義で拘束される時間が長い」ことと「レポートの課題が多い」という表現に置き換えられる、長沼さんは話す。 

 

「たしかに、一部の実験系の授業では日常的に拘束されますが、選ぶ授業によってかなり差があり、すべてが拘束される内容とは限りません。いまの子は、隙間時間を使うのも上手ですから、通学やちょっとした空き時間にレポートの課題をこなす学生もいます」 

  

 

 長沼さんは悠仁さまの「先輩」として、また学生を指導する立場として、世間の大人やメディアは「難しい」「無理だ」などと批判ばかりせず、“18歳の若者”をもっと応援すべきだと指摘する。 

 

「悠仁さまを『自分の意志で特別な人(皇位継承者)になったのではない、ひとりの若者』と見た場合、この若者にやりたいことがあるのなら、大人たちは全力でサポートすべきです。つまり、『できる』か『できない』か、ではない。悠仁さまが理系の学生生活を『やる』か『やらない』かですし、周囲の大人がひとりの若者をサポートするかしないか。それだけです」 

 

 皇位継承順位2位という立場にある皇族として、来年春からスタートする悠仁さまの学生生活は、どのようなものになるのだろうか。 

 

(AERA dot.編集部・永井貴子) 

 

永井貴子 

 

 

 
 

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