( 239231 )  2024/12/25 16:14:27  
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佳子さま 

 

 秋篠宮家の次女・佳子さまは12月29日、30歳のお誕生日を迎えられる。2021年に姉の眞子さんが結婚したのも、30歳の時だった。減少する皇族数を確保すべく与野党で協議が続く折、ご本人の「離脱」のご意思は固く、“その時”を待ち望まれているというのだ。 

 

 *** 

 

 29日には30歳を迎えられる佳子さま。 

 

「ご自身にとっては、まさしく節目のお年となります」 

 

 とは、さる皇室ジャーナリストである。 

 

「姉の眞子さんは内親王時代、『30歳までには結婚したい』との願望を口にしてきました。小室圭さんとの婚約内定は25歳の時でしたが、トラブルが長引いて結局、入籍したのは30歳となった直後でした。佳子さまは、そんな姉の唯一の理解者として、ひたすら結婚を応援されてきたのです」 

 

 佳子さまご自身も、高校生の頃より“皇室から出て行きたい”と周囲に漏らされていたほど、日々の生活に窮屈さを感じてこられたといい、 

 

「一連の眞子さんの騒動のさなか、19年3月にICUを卒業された際の文書回答では、『姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい』と述べられ、皇室の“公と私”を巡って物議を醸したこともありました。それでも皇室からの離脱を願うお気持ちは、いささかも揺らぐことはありませんでした」(前出のジャーナリスト) 

 

 そんな佳子さまのご意思が思わぬ形であらわになったのが、11月30日のお誕生日に際して行われた秋篠宮さまの会見であった。 

 

 かねて進んでいた皇族数確保策に関する協議では、女性皇族が結婚後も皇室に残る案について各党がおおむね賛同。この状況を踏まえて記者会は、 

 

〈当事者のご意見を聴取する機会が必要とお考えでしょうか〉 

 

 と質問し、これに秋篠宮さまは、 

 

〈該当する皇族は生身の人間。その人たちがそれによってどういう状況になるのか、(略)宮内庁のしかるべき人たちは、その人たちがどういう考えを持っているかを知っておく必要がある〉 

 

 と述べられたのだった。 

 

 

 かつて週刊新潮は、紀子妃と口論された際に佳子さまが、「籠の鳥」同然の不自由な暮らしを送っている、と嘆かれていたことを報じた。 

 

「現在、両殿下と悠仁さまが住まわれる秋篠宮邸ではなく、分室で佳子さまがお一人で暮らされているのも、皇室からお出になるためです。“別居”が報じられた当時、費用の面から批判の声が上がりましたが、改修後の宮邸に、将来残られない佳子さまのお部屋を設けるよりは、それまでの仮住まい(旧御仮寓所)を活用したほうが効率的だという殿下のお考えもあり、佳子さまはそのままとどまられることになったのです」(秋篠宮家の事情を知る関係者) 

 

 むろん、この関係者が、 

 

「最近の佳子さまは『皇室から出るには結婚するしかない』とも口になさるようになっています」 

 

 そう明かすように、願望の成就もお相手次第であることは論をまたない。 

 

「眞子さん任せにしていた前回の“教訓”から、両殿下だけでなく佳子さまも、お相手選びには慎重になられています。小室さんの時には一切行われなかった“身体検査”についても今後は、共に警視総監経験者である西村泰彦宮内庁長官と吉田尚正・皇嗣職大夫の人脈を駆使しつつ、お相手が浮上した際には万全の態勢でチェックを施す運びとなります」(同) 

 

 当の佳子さまにも“変化”が起きているといい、 

 

「眞子さんとは今でも頻繁に連絡を取り合っておられますが、小室さんとの結婚は国民に祝福されることなく、その結果、夫婦の動向は今も好奇の目にさらされている。さらには、皇室の儀式を経なかったこともあり、陛下が22年2月のお誕生日会見で“多くの方に心配をおかけすることになったことを心苦しく思っています”と、異例の言及をなさるに至ったのです」(先の関係者) 

 

 結果的に陛下のお心まで煩わせてしまったわけで、 

 

「そのような結婚を現在、佳子さまは懐疑的に捉えておられ、“私の時は国民に納得してもらえる結婚でなければ”と、内親王というお立場の重みを実感されているご様子がうかがえます」(同) 

 

 12月26日発売の「週刊新潮」では、佳子さまのお相手選びの舞台裏などと併せて詳報する。 

 

「週刊新潮」2025年1月2・9日号 掲載 

 

新潮社 

 

 

 
 

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