( 240583 ) 2024/12/28 05:05:28 2 00 カリスマ経営者の鈴木修氏とは? 徹底した現場主義 オサム節から勘ピューターまでユーモア富む人柄日刊自動車新聞 12/27(金) 17:22 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f48a12b5871b1300850c71352b8dc962f9a4cbd5 |
( 240586 ) 2024/12/28 05:05:28 0 00 インド工場で生産指導する鈴木修氏
業販店から絶大な支持を集めるなど、業界内の「修ファン」は多かった
スズキが軽自動車業界の盟主となるきっかけとなった初代「アルト」
会長、社長を半世紀近く務めてスズキを「小さな巨人」と呼ばれるほどの世界的に知られる自動車メーカーに育てた鈴木修氏は、カリスマと呼ばれながらも徹底した現場主義を貫いてきた経営者でもあった。
鈴木俊宏社長兼最高経営責任者(CEO)ら、スズキの経営陣が国内外の工場を隅から隅まで歩いてチェックする「工場監査」。鈴木修氏が1989年から毎年実施しているスズキグループにとって最も重要な恒例イベントだ。鈴木修氏は工場内の蛍光灯の数からライン従事者が移動する歩数など、工程を細かい部分まで入念にチェックし、気付いたことはその場で改善させる。「単価の安い軽自動車が生き残るには徹底したコストダウンが必要」との考えから実施してきた。スズキの工場内の蛍光灯にはすべて引きひもスイッチがあり、不要な蛍光灯だけを消灯できるようにしている。また、コンベヤを設置する代わりにラインを傾けて重力で動くようにしたり、太陽の光がなるべく入るようにして電気代を節約するための工夫が随所にある。鈴木氏が掲げてきた生き残るための「ケチケチ経営」の象徴でもある。
現場主義は販売に関しても同様だ。スズキは国内に直営ディーラーを展開しているが、軽自動車販売の主軸は業販店で、鈴木氏は有力業販店を大切にしてきた。有力業販店の経営者らを一流ホテルに集めて開く勉強会と宴会をセットにした「副代理店大会」では、鈴木氏自らがビール瓶を持って笑顔でテーブルを回る。行き届いたもてなしに、経営者や同伴している夫人からの支持は絶大で、〝修ファン〟も多かった。スズキ車を多く販売して副代理店大会に呼ばれることを目標にしている業販店もあり、店舗に鈴木氏との2ショット写真を飾っている業販店も少なくない。
鈴木氏の独特のユーモアは多くの人を惹きつけてきた。スズキの記者会見は、時に歯に衣を着せぬ発言、時に皮肉たっぷりの「オサム節」で出席した記者を煙に巻いたり、笑わせたりすることで有名で、自動車担当記者のファンも多い。
アライアンスパートナーも鈴木氏の人間性に魅了され、信頼関係を構築した。提携していたゼネラル・モーターズ(GM)との欧州での共同事業の交渉が進まないことに業を煮やした鈴木氏が、「ボトムアップ・イズ・コストアップ、トップダウン・イズ・コストダウン」と言い放つと、当時のジョン・スミス会長、リチャード・ワゴナー社長は爆笑。その後、提携事業はスムーズに進んだ。その後もスミス氏とは親交を深めた。GMのトップは他の会社の役員に就けない内規があったにも関わらず、鈴木氏の依頼を受け入れて、スミス氏はスズキの社外取締役に就いた。
鈴木氏のユーモアのセンスは商品の車名にも生かされてきた。スズキが軽自動車業界の盟主となるきっかけとなった初代「アルト」の由来は、イタリア語の「優れた、秀でた」の意味だった。これを鈴木氏は発表会見で「あるときはレジャーに、あるときは通勤に、またあるときは買い物に使える、〝あると〟便利なくるま」と説明、会場は大いに受けたという。原付バイクの価格が20万円程度にまで上昇している中、コストダウンを徹底することで国産で5万9800円の低価格原付スクーターは、少しの距離をちょっと乗るだけだから「チョイノリ」と名付けた。
「軽自動車の中で、最も軽自動車らしい」ことを意識して開発したモデルには「Kei」と名付けた。当初「ジップ」の車名で販売する予定だった新ジャンルのワゴンタイプの軽乗用車の車名を「スズキにはセダンがあるけど、ワゴンもある。だからワゴンアール(R)」とのアイデアをひねり出したのも鈴木修氏だ。
鈴木氏が「町工場レベルだった」と評するスズキが、世界の中堅自動車メーカーにまで成長してきたのは、鈴木氏のトップダウンによる即断即決の経営判断を下してきたことが大きい。中国、米国、スペインの四輪車事業の撤退、短期間で解消したフォルクスワーゲン(VW)グループとの提携、燃費不正や完成検査不正など、経営判断の失敗や不祥事があったのも事実。それでも鈴木修氏が言うところの「経験に基づく勘(カン)ピューター」によってGMとの資本提携、インド事業への積極投資、アルトやワゴンRのヒットなどを実現してきた。
軽自動車市場の活性化を引っ張ってきたスズキが13年に市場投入して大ヒットとなった「ハスラー」。開発当時は0.1リットル/キロメートルを争って軽自動車の低燃費競争が激化していた。そんな時、燃費性能にこだわらない新ジャンルの軽自動車を市場投入できたのは、開発部門が「消費者が軽自動車に求めているのは、トップの低燃費ではない」というカンが働いたからで、鈴木氏もハスラーのヒットには喜びを隠さなかった。市場を先読みするカンピューターは、次代に受け継がれている。
(編集委員・野元 政宏)
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( 240587 ) 2024/12/28 05:05:28 0 00 =+=+=+=+=
スズキに部品を納めている自動車部品メーカーの者です。 スズキ会長のオフィスのある建物でスズキ関係者との会議があり玄関で待ち合わせていたところ、社用車のソリオに乗った鈴木会長が現れ、部品メーカーの我々の前でも深くお辞儀をして奥に入っていきました。 部品メーカーに尊大な態度をとる自動車メーカー幹部も多い中、非常に衝撃を受けたと同時に、自分も子部品メーカーの関係者に対する態度をきちんとせねばと思い知らされました。
▲6336 ▼178
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スズキの軽自動車はターボが秀逸で好きです。 乗っていて楽しいです。エンジンルームとかドアの開け閉めとか情け容赦無い質感で泣けますが、とにかく過保護でなくて性能が良く、クルマの良さが凝縮されていると感じます。 こんな世界に誇れるインダストリアルアートを創り出してくれて有難うございました。
▲36 ▼4
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スズキは過去自動車メーカーとしては蚊帳の外感があった。 軽をはじめ低排気量車中心の製造に特化し大手とは一線を画した企業方針で車を造り続けていた。 昨今はその確かな技術で供給を増やし日本のみならずインドではシェアトップになった。 自動車に限らずメーカーにおいて総体的に言えるのは、偉大な経営者には偉大な企業が生まれるといった、いつの時代も変わらない経済の方程式があるという事だ。
▲621 ▼44
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免許取得以来、3台のスイフトを乗り継いでいます。 安くて速くて楽しいクルマを地でいってくれるうえに、ずっとMTを残し続けていてくれるのが嬉しい。 かつてはスイフトがJWRCで無双して、WRC参戦を果たしたは良かったものの、リーマンショックの煽りでモータースポーツ活動を縮小。 それでも、ラリーの現場やバイクレースの現場で楽しそうに笑っていた鈴木氏の姿をよく覚えています。
▲633 ▼44
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浜松中心とした西部地方の雇用を考え、他の県にはほとんど、工場を作らなかった。このこともあり、静岡の西部地区では圧倒的な人気を誇りましたね。
僕自身は、静岡市の清水区出身なので、特に重入れはないですが、清水区にもそのような地元の考える企業、社長がいてくれたらなぁ、って思います。
ご冥福をお祈りします。
▲1996 ▼161
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もう定年退職しておりますが、私のいた会社の社長(創業者)も工場にいる時は作業服の腰にてぬぐい下げて現場にいる事が多く、工場見学に来た人に作業員と間違えられる事がしばしばありました。ですから鈴木修会長の人柄は何となくわかるような気がします。ご冥福をお祈りします。
▲28 ▼0
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大企業病と官僚的な内部政治病にスズキが陥らず、独特の企業文化と立ち位置を形成してきたのは鈴木修氏がいたからこそだったと思う。他の自動車メーカーとは異なる権威主義に陥らない経営体制で組織を牽引できた稀有な経営者であった。長い間スズキという会社の背骨であり牽引するエンジンだった修氏の貢献は計り知れない。
ご冥福をお祈りしたい。本当にご活躍された業界の偉人だと思う。
▲1416 ▼68
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ソリオ乗りのスズキユーザーですが、個人的に鈴木修会長の顔つきは、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースによく似てんなぁ〜と思って「自動車業界のカーネルおじさん」と呼んでました。いつかは鈴木修氏の功績を讃えて等身大の銅像を制作してほしいくらいですね。
コスパの良い車を作ってくれてありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。
▲1203 ▼88
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10年ほど前、決算説明会でお見受けしたことがありますがこのお年でまだピンシャンして現役、びっくりした記憶があります。 見た目は好々爺、でも、考えは鋭い。 投資家からの鋭い質問は、のらりくらりかわし、自分の言いたいことははっきり言う。 スズキはやっぱり修さんがいないとね! これから先、踏ん張りどころですね。 現経営陣には頑張ってほしいですね。
▲920 ▼43
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地元の日本自動車博物館に鈴木修さんが発案されたジムニーのご先祖さま、その原型とされるホープスターONが展示されていてよく見に行ってました。1970年から現在に至るまでラダーフレームを継承したまま、フルモデルチェンジしても尚ホープスターの原型フォルムを崩さず作り続けその走りの性能、悪路の走破性能は小さいながらも世界トップクラスの四輪駆動車だと思います。 可愛らしい姿なのに雪道もなんのその。 こんな素晴らしい自動車を世に送り出してくれてありがとうございました。
▲575 ▼34
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この人なくして今のスズキはなかった。VWとの提携の話もVW側のあまりの上から目線の交渉態度に業を煮やしその話をご破算にした気骨の人でもあった。 私も愛車のスイフトを愛情と感謝をもって乗り続けたいと思います。
▲673 ▼26
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社用車でスズキの1番安いアルトバンを使ってます。絶妙なセッティングで仕上がった車です 安くてもしっかりと煮詰めて作り上げられた車かと思います。 社員からの評判は軽社用車ホンダNo.1軽を含む中で1番アルトが良いです。僕もアルトが1番です。 これからもウチの会社ではスズキ車両が活躍します ありがとうございました! 御冥福をお祈りします。
▲356 ▼14
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大昔「古今亭志ん朝」と言う落語家さんいたのですけど、この人(晩年のころ)前座でお客の前で居眠りした話あるんですど、その時お弟子さんから起こそうとしたけどお客から「寝かせておいてくれ!」とその人がいるだけで「まわりが和む」それと全く同じような人ですね。こんな方「経営者」としては中々いない逸材の方です。
▲276 ▼46
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現場をとても大事にされる方でした。 外部の人間ですが工場の片隅で業務打ち合わせをしてる時にも来られていたようで、課題を拾い上げていたようです。 これだけの会社でも中小企業と言って、会社をまとめていた手腕はすごいものが有りますね。
ご冥福をお祈りいたします。
▲432 ▼20
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スズキの車はシンプルで素っ気ない感じがして好きです。変に着飾ってないというか。通勤用にアドレスV125S乗ってますが、これもデザインいいしよく走るし、実用性が高いけどシンプルな作り。個人的に好きなメーカーです。
▲391 ▼30
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地元民としてこのお方と本田宗一郎さんがいてくれたからこそ浜松市が発展して来れたと思います。本当にすごい方だと思うから何やら下請け会社からの訴訟とか、スズキ梱包輸送の存在の意味など詳しくはないのでモヤモヤするに留まってますが、まぁ人生充実されていただろうなと推察致します。お疲れさまでした。気が気でないでしょうけどこれからの日本を見守って欲しいお方のひとりですね。ご冥福を祈ります。
▲310 ▼30
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尊敬する経営者の一人でした。この人無しで今のスズキは無かった。インドへの進出とシェア拡大は凄い功績だと思います。一度リタイアしてまた復帰されてゆっくりされる事が少なかったと思います。本当に長い間ご苦労様でした。そして有り難うございました。
▲385 ▼19
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地元も正規ディーラーは片手にも満たないけど、スズキ車をメインで取り扱う(試乗車も持ってる)販売店は山ほど有る。こういうメーカーは他に無い。婿養子で敵も多かったろうにここまで会社を大きくしたのは修氏のお陰だと思う。ホープからジムニーの雛型を買い取ったり、ワゴンRも彼がトップじゃなかったら売れないと判断されてたかも。後を継ぐ人達にはこれからも庶民の足となる車を作り続けていって欲しい。
▲91 ▼3
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初めてのマイカーはスズキのKeiでした。2ドア4WDでターボ。雪道も山道も高速も本当によく走ってくれて、荷物も積めて、乗り心地も良くて、まさに相棒と呼べる愛車でした。 車が置けない、使うことのない土地に転職で引っ越し、愛車は弟に譲りましたが、それまで軽を馬鹿にしてた弟も乗ってみて良さがわかったのか、廃車にして乗り換える時には同じKeiを選んでたのには、内心ニンマリしました。 本当に必要とされる車を世に送り出してくれてありがとうございました。 どうぞ安らかに。またいつか車を手に入れるときにはスズキを選びます。
▲170 ▼8
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この方が居なければホープ自動車から、現在のジムニーにつながる名車は生まれなかった。二輪もGN125というシンプルで壊れないバイクを生み出し、かと思えば、刀のような斬新なバイクもリリースする。この方は100年先を見ていたようです。
▲249 ▼18
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スズキといえば軽自動車の印象が強い。しかし二輪乗りから見れば一時市販車最速であったハヤブサや、かつてジウジアーロデザインのカタナなど名車を市場に出したメーカーだ。
マニアックな二輪と、大衆車の軽自動車の両方の顔を持つがいずれにしても偉大な経営者だと思う。
今後電気自動車へどのように取り組んで行くのか、舵取りを誰がやっていくのか、少し心配になる。
御冥福をお祈りします。
▲47 ▼7
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スズキの軽自動車…といえば、修氏! 本当に長い間、日本の軽自動車文化を作り守り続けて下さりありがとうございました。 長い人生、大変お疲れ様でした。 私は父から受け継いだH9年式キャリーを、動いている限り、修氏の思いを感じながら使い続けようと思います。 これからは、次の世界から、スズキ自動車の弟子たちの活躍を見守ってあげて下さい!
▲119 ▼11
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何年も前にいわゆる街の自動車屋の経営者さんを労う為に食事会を開催し、会長自ら感謝の言葉を述べてらっしゃる姿をテレビで見ました。 末端のユーザーとの橋渡しとなる街の自動車屋さんをとても大事にしているのだと思いました。 ジムニーをはじめワゴンRやアルトワークス等、遊び心満載の車は他メーカーには中々出来ない車作り、またバブル景気の時にも悪戯に高級路線に走ることなく、大衆車メーカーとしてのポリシーを貫いた方だと思うと同時に謹んでご冥福をお祈りします。
▲34 ▼6
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スズキをグローバルでも大きく成長させた名経営者。 経営感覚が鋭くズバッと切り込んでいく昭和の親父さんがまた1人いなくなってしまった。 ハラスメント云々と言ってなんでも無難な方に丸め込んでいる事が昨今の日本では常態化しているが、良いものはいいダメなものはダメと正しい価値観で物事を判断する、そこに忖度など不要と強い姿勢で臨める経営トップが本当に少なくなった事が、日本企業が世界で弱くなった原因だと感じる。 ご冥福をお祈りします。
▲96 ▼10
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スズキのキャリー2台(1台は母親のもの)、イグニス,GSX-8S、Vストローム250、アドレス110、娘にはラパン、息子にはワゴンアールを購入して乗ったりしています。イグニス以前はkeiやワゴンRに乗っていました。偶然こうなったわけですが、部下には「鈴菌ですね」って言われました。。。初めて聞いた言葉です。10月には浜松工場の見学(バイクライン)、11月には本社工場でのイベント参加。遠かったですけど良い思い出です。良いクルマ、バイクをありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
▲51 ▼3
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先月まで浜松に住んでいました。 修さん(地元の人は親しみを込めてこう呼ぶ)には、数年前にスズキ所有の「いなさゴルフ場」でお会いしご挨拶をしたら、見ず知らずの私にもとてもゆっくりと「おつかれさまでした」と言っていただいたのが良い思い出です。 そのため、今回のご訃報をお聞きしとても残念な気持ちでいっぱいです。 今度は私から「長い間お疲れさまでした、どうぞごゆっくりお休みください」と言わせてください。
▲38 ▼1
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今乗っているジムニーも鈴木会長無くして存在しなかった。サムライ名のアメリカ仕様が転倒問題になった時もアメリカ市場からの撤退という、通常ならやらない方針を取り、他の国で熱烈なユーザーを獲得して生き残っている。 ジムニーとアルトは方向性は違うがスズキイズムを体現した車で、鈴木会長には「ありがとう」を贈りたい。
▲17 ▼1
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ホンダファンが宗一郎さんがと言われるように、これからは修さんが生きていたら…と言われるのでしょう。創業者でもない方がそのように言われることは本当にすごいことであると思います。
人々が驚いたり、目立つような先進的なことはないが努力を重ね、地道にやることで販売だけでなく保有台数も日本で二番目の自動車メーカーに育てたのは、本当に驚くべきことでした。
▲30 ▼2
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以前、カーショップに勤めていて、 スズキの特約店だったこともあり、 頑張ってスズキ車をたくさん販売したら、 スズキ自動車が中国旅行に連れて行ってくれました。 内陸部のスズキ工場見学~上海万博~上海観光 上へ下への歓待ぶりでした。 上海のホテルに到着したら、黄浦江に大きな花火が上がりました。 最終日の夕食会場には鈴木会長もお見えになりました。 上海の街中は、スーパーカーもたくさん走っていましたが、 Z01系のスイフトもよく見かけました。 今は中国国内工場も撤退しましたね。
▲66 ▼4
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スズキに関しては製品しか知らなかったけど、名物経営者だったんですねえ。 魅力的な経営者に魅力的な会社が出来上がり魅力的な製品で市場を魅了した、しかもその魅力的な経営が次世代にも受け継がれる…やはり日本の製造業はこうでなくては、という見本のようです。
一つの時代が終わったような寂しさも感じないわけではありませんが、その魂が受け継がれていく、過去の成功体験に執着するのではなく、その成功を次につなげていく、そういう期待を抱かせてくれるいい会社ですね。
▲19 ▼4
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初代アルトワークスからカプチーノの2台持ち、その後もMTアルトが続き、現在はHA23Vアルトと所有車は全てスズキ車という超スズキ派の自分。
何と言っても軽くて5速マニュアルが存在する希少な軽自動車メーカー。 普通車のスイフトもとにかく軽い!
モーターショーで出品されたカプチーノを、当時社長だった修氏の「要望があれば市販したい」と言う内容のインタビュー記事を見て、速攻でディーラーに予約しに行った事がつい昨日のよう。
修氏のお陰で今でも楽しませてもらっております。 出来れば是非修氏のマインドを引継いで欲しいです!
▲0 ▼0
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今から10年以上も前の話ですが、鈴木会長の講演会に行きました。もったいない精神と徹底した現場主義の話を聞きとても感銘を受けました。 その数日後、最寄りのスズキの店長が私の会社にお越しになり、先日は弊社会長の講演会にお越しいただき有難う御座いました。 これ会長からですと菓子折りをいただきました。 すっかり鈴木会長の粋な計らいにファンになりました。スズキのニュースで事あることにその時の事を思い出します。 このニュースは残念なお知らせですが、どうか安らかにお休みください。合掌
▲61 ▼3
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2004年にスズキ本体に新卒で入社し、9年間お世話になった元社員です。 修会長(当時社長)は尊敬していたものの、出向先のディーラーでは社員を人間扱いしないクソ幹部に嫌気が差し、出世したらしたで今度は自分が部下をいじめないといけないことに気付いて離脱させてもらいました。 転職から12年、ハスラー、ジムニーなど名車が出た時は乗ってみたいというより「売ってみたい」と思ったものです。 ディーラー幹部は嫌いですが、車そのものは大好きです。新入社員以来いまだにスズキを乗り継いでます。現在は私がもがいていた時代より多くの方にスズキの良さが伝わっていて、売りやすい環境なのかなと思います。 頑張れ販社社員。ありがとう修さん。
▲8 ▼0
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義父がスズキの社員で社長のワンマン振りに泣かされたような事を言っていましたが、外から見れば頑強で優れた経営者だった事は疑いのないところです。 フォルクスワーゲンと提携した時も、当初は対等な関係の提携だった筈がフォルクスワーゲンがディーゼルエンジンの技術を開示せずにスズキ支配に動くと見るやいち早く関係を解消しました。 この時も社長が先頭に立ち、記者会見でも社長自らが技術的な問題でビジネスパートナーとして不適格という意味の発言をしていたと記憶しています。 企業規模から考えても丸め込めると甘く見ていたフォルクスワーゲンにとっては衝撃的だったでしょう。当時は自分も日本のスズキが世界のフォルクスワーゲンを切ったと思ったものです。 そしてそれがスズキブランドと技術力の高さを世界に知らしめる事になり、結果的にはフォルクスワーゲンすら踏み台にした辣腕だったと言う事です。 御冥福をお祈りします。
▲52 ▼2
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昔、一時期スイフトに乗ってた時期があったな。コンパクトでお手頃なクルマの作り方は上手だったのを今でも覚えている。この人がいたからこそ、今のスズキがある。天国に旅立たれた鈴木修氏が安心できるよう、スズキは初心を忘れることなく、頑張ってほしい。長い間お疲れ様でした。御冥福をお祈りいたします。
▲19 ▼1
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考えたらアルトワークス、ターボRS、そして今はジムニーに乗ってます。 いつの間にかスズキ党になっていた。 コンパクトでキビキビ走る理想的なクルマ造りのメーカーさんです。 インド進出も見事に成功し世界のスズキに なりました。 昭和、平成、令和と日本のコンパクトカー 造りに貢献して頂きました。 謹んでお悔やみを申し上げます。
▲32 ▼1
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二輪車は昔から鈴菌で、四輪車はライバルメーカー派でしたが、今の軽市場が有るのは鈴木修さんのおかげです。それまで軽シェアトップだったホンダに見切りを付けられ、ジリ貧となっていた軽市場もアルトが世に出なかったら無くなっていたと思います。本当に偉大な功績を残された名社長だったと思います。心からの敬意を胸にご冥福をお祈り申し上げます。
▲57 ▼5
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スズキを軽の自動車メーカーとさげすむ人がいるがそんなヒエラルキーを持っている人に限って人に対しても車に対しても尊大な態度を取る。スズキの軽乗ってみれば目から鱗ですよ。ハスラーが売れると判断し、社長がgoをかけたのは有名。我が家にはハスラーとボルボがあるが近々ボルボは引退し、スズキのインド生産のフロンクスに乗り換えです。 長い間お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
▲51 ▼5
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自動車の鈴木社長が、NHKの番組に出演した時の言葉を覚えてます。 車には約3万の部品があります。私も一つ一つはわかりません。ひとつでも欠ければ車ではなくガラクタです。私は3万の分工場と考えてます。下請け、孫請けという言葉は大嫌いです。本社から、子会社へ行き、勉強させてますし、子会社~本社へも勉強させてます。 と発言されてたのを覚えてます。 その時、イトーヨーカ堂の鈴木社長等も一緒に出演されてました。
▲94 ▼4
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2000年から15年乗ったゴルフⅣが壊れたので2015年にハスラーを購入した。燃費なんか関係無く、楽しそうな車だったから。ウチには3台の乗用車があるが、ハスラーが一番活躍している。ハスラーが壊れたら次はジムニーにしようかと妻と話しをしているのだけど、修理しながらあと10年ぐらい乗れると良いなあ。
▲74 ▼2
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先ずはお悔やみ申し上げます。 初めて買った車が三代目セルボで、シートの作りが他社の同クラスより遙かに良くそれ以来スズキファンです。 また初めてのバイクはGF250でした。
スズキは2輪でも4輪でもエポックメイキングな商品を続々と出している。きっと修氏の個性が影響したのだろうと思います。 これからも修イズムのある商品を期待しています。
▲17 ▼1
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インドではトップシェアにも関わらず、新幹線の自由席に乗っておられた。町工場のオヤジと自称され、社員の目の届かない所でも自分が言った事を貫き、自らにもコスト意識を課しており頭が下がる思いで経営者として尊敬の念を抱いていました。軽はスズキに乗り続けます、ご冥福をお祈りいたします。
▲59 ▼1
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地上波TVで見たが、鈴木社長の人望は凄い。 鈴木氏が社長で居られる間は、自分も会社を辞めないと言う社員がたくさんおられた。
本田宗一郎氏みたいに、早くリタイヤして若者に経営や技術を委ねるべきと考えるのが私も理想の退陣と思っていたが。 こちらの鈴木社長は、この方がいないとスズキは成り立たないのではないだろうかと感じて観ていた。
私の高校生時代には、単車メーカーがしのぎを削っていた。 ホンダ、カワサキ、スズキ、ヤマハ。 当時凄くスピードが出たスズキGT38が記憶に残っているし、このバイクでこけて足を骨折した。 他にカワサキのマッハSS、Ⅲ。 絶大な人気のホンダCB。 皆が原付免許取得して乗っていたヤマハのミニトレGT50。 あの頃は、バイク人気凄かったな。
▲20 ▼3
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私はバイク乗りだがスズキのGSX-R1000R乗ってます。 主流国内モデルのSS全て乗りましたがスズキが一番乗りやすかったです。 本当に作り手の気持ちってこんな私でも分かるものでスズキは乗り手に一番優しく初心者でもモンスターバイクが扱えるような作りになってると思います。SS初心者にはいつもスズキをオススメしています。
▲3 ▼0
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鈴木さんお疲れ様でした。 ご冥福をお祈りします。 あれこれ手を出さず、自分達の立ち位置や、セールスポイントを理解されていて素晴らしい経営者様だと思います。 インドのマルチスズキの商圏を狙ってワーゲンなど色々な外資が近づいて来たりする中で、信念を持って、シェアを握り続けていることは誇りです。 これからもスズキ自動車のご発展をお祈りしてます。 お疲れ様でした。
▲2 ▼0
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修さん、ありがとうございました。 日本車で将来性を感じるのは王者トヨタか経営センスの良いスズキだと思っています。
先見の明、判断力、車のコストの緩急の付け方には魅了されます。 経営面では早期インド進出と60%シェア、独立を脅かすVWとの早期決別(後のVWの排ガス不正と経営不振を回避)、早期中国撤退で傷口広げず。修さんの終活と言われたトヨタ提携はスズキの独立維持しながら先進技術への道筋をつけられた。 ジムニーが大人気でもライン増設しない手堅さ。
自分の得意分野を良く理解しており一貫して得意な小さい車に注力、タイや中国等市場が成長して大きい車が求められる様になると無理に合わせずスッパリ撤退する判断力に驚かされます。
車作りでは軽量化を優先、高価なデバイスを載せなくても燃費も走りも良い。 お金をかけるところと抜くところのメリハリがしっかりしている。 他社よりデザインセンスが良い軽が多い。
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スズキのバイクを乗り継いでいます。スズキのバイクは他メーカーのような色気や装飾こそありませんが基本コンポーネンツはしっかりと作ってあり人車一体を感じるような造りが気に入っています。これからも乗っていきたいと思っています。おやじさんのご冥福をお祈りいたします。
▲6 ▼0
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私が大学を卒業して初めて入社したのがスズキでした。 当時浜松の片田舎にあり辺鄙な場所に本社があり、寮で約半年研修期間がありました。懐かしいな。 入社式ではもちろん鈴木修氏の講話がありました、親しみやすい町工場のオヤジって感じで気取ったところがまるでなかった。 スズキは世界戦略車も沢山作ってて万人受けはしないけれど品質は確かです。 バレーノがなぜあんなに日本で不評だったのかいまだに不思議です。 修会長が亡き後も鈴木イズムが受け継がれていくことを願ってやみません。 世界に誇れる日本の企業だと思っています。
▲18 ▼0
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鈴木修氏といえばワゴンRターボを思い出す。 彼がワゴンRのフェイスに似ているという訳ではない。 実は私は大学の機械工学科出身であるが車の免許はない。 大学ではエンジンの構造など勉強したが当時は交通事故が多く現在の4倍くらいの犠牲者がいると言うことで親の命令で車の免許を持てなかった。エンジンの構造は並みの免許取得者よりもよく知っているのにもである。その理由は「被害者にはなっても加害者にはなるな。一家もろとも犠牲になるな」という親の切なる願いだった。 そんな訳で子供には私の永年の願いであった自動車免許を取らせることになった。勿論女房も祖父母も免許は持っていないので、我が子が我が家の初自動車免許取得者になった訳である。その時に子供に買ってやった車がワゴンRターボだった。 事故を嫌うなら何も軽自動車でなくてもと思うだろうが予算の都合でやむを得なかった。ワゴンRはよく走った。現時点で事故はない。
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スズキは軽自動車とバイクの世界ではナンバーワンの実力。 マーケティングは的確で、デザイン、性能は価格以上のパフォーマンスで素晴らしいマシーンが魅力だ。 これからも方向性を間違えないで堅実経営を期待する。
▲22 ▼6
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軽自動車は車じゃないと、免許取ってからずっと思ってたけども、いざ使ってみると想像以上に良い。 小回り効くし、燃費も出費もお財布に優しく、最高にエコだ。
都市部はこれで良いんじゃ無いのか? 都市部の道路の全てを、軽自動車規格に合わせたら、車線が増えて慢性的な渋滞も緩和されると思う。
▲0 ▼0
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実はバイクが大嫌いだったった話を良く聞きます。過去のWGPの撤退やmotogpやWSBのワークス撤退は少なからず会長の影響が有るんではないでしょうか・・・。新しいGSX-Rの開発やmotogpの復帰が速く叶います様に。 ご冥福をお祈りします。
▲33 ▼6
=+=+=+=+=
鈴木修さんは 言うまでもなく とても素晴らしい自動車メーカー経営者だと思います。 本田宗一郎さんと 同じくらい大好きです。
現在 米国で法律の関係で 25年経過した軽トラなどが 大人気ですが スズキ製の軽自動車の信頼と素晴らしさがなければ 現在の軽自動車の大人気の隆盛はなかったと思います。
インドでは スズキの自動車は国民車の如く愛されているらしい。 早くから 新市場に愛情をかけて ブルーオーシャンを 大市場へと 育て上げた。
日本国にもたらした功績は 巨大です。
ご冥福を心よりお祈りいたします。 合掌。
▲47 ▼11
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スズキのクルマは軽自動車のワゴンRやアルトにエブリィ、CARRY、MRワゴン、ハスラー等がありますが、特に軽自動車規格の本格オフロード車のJimnyはスズキだからこそ出来るんです。オートバイ️から軽自動車に小型自動車も手掛けるのが凄いです。日本の狭い道に合う様に軽自動車を造る「町工場️の親父」にピッタリな方です。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
ここ最近の冷え込んだ自動車業界でも、一目置かれる大躍進を遂げたスズキ。 その裏には鈴木会長の飽くなき挑戦魂があったお陰かと思います。 日産本田合併の暗いニュースには、年末から不安になったが、スズキには逆に明るい未来がある様に思う。
▲59 ▼8
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何だっけかなぁ。5年位前に、仕事関係で大森に行った時スズキの本社だったのかなぁ?何となくだけどこんな場所に有るんだ!なんて思ってスズキ自動車を調べてみたら。経営理念がしっかりしていました。それまでのオレはスズキは軽自しか造れないなんて思ってましたがそれにはちゃんとした理由があったんだ!って。 それ以来。軽自動車のバンとトラックは買っても間違いない!って思って今も色々な軽自動車見ています。
ご冥福をお祈りいたします
▲40 ▼10
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ホントカッコいいオヤジさん。カリスマらしい決断力と失敗した時の責任を負う姿。しかし、決して悲観的な姿を見せず、ちょっとユーモアを入れるところが憎めないんだ。因みにVWの件は、提携は失敗だけど早期の解消はファインプレーだったと思います。
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13年前に車に乗る必要ができ、ファミレスの窓から延々通る車を眺め「これだ!」と選んだのが、スズキ、エブリィでした。シンプルで直線的なデザインに惚れました。この車で引越し3回しました。買い替えてもエブリィにします。ご冥福をお祈りします。
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現行Jimny4型乗りです。 スズキは他の自動車メーカーと比べて…車の値段が本当に程々なんですよ。余計な機能を付けて金額を吊り上げてないし、素晴らしいです。 昔、3代目Jimnyに乗ってましたが帰ってまいりました。1年半程納車待ちしましたがね(笑) 今はウキウキでJimny転がしてます!軽くカスタムして本当に楽しい、スズキを応援します!
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下呂温泉で行われる岐阜県のスズキ販売店の総会ではご出身地ということもあり、お年をとってからも毎年お見えになり総会後の宴会も参加されてました。 200名を超える宴会中には鈴木社長(当時)との撮影会もありその時に撮った写真は宝物となっております。
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これだけの大きな企業だが、東京支社など訪問したが、正直極めて質素だった。ただ、コストカットだけでなく、1980年台からインドの合弁に投資するなど、先見の明にもあふれた方だったとお見受けします。ご冥福をお祈りいたします。
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ワゴンR、新型スイフトと乗り継いできたけど、スズキの理念「小・少・軽・短・美」は好き。 クルマは大きくなるし、いろんな装備で複雑だし、EVはバッテリーで重くなってる。 これからもクルマの進化は続くけどスズキはスズキらしさを貫いてほしい。
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わたしは幼い頃、スズキ本社の近所で過ごしました。
まもなく引っ越しをしましたが、 毎年本社でお祭りを開催し、地元の人を楽しませてくれ、いつもワクワクしていたのを今でも覚えています。
給食はSUZUKIさんのおかげで栄養価の高いものばかり。本当にSUZUKIさんに育てられたようなものです。
会長、本当にありがとうございました。
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母親が最初に手に入れたクルマが2ATの中古の麻美のアルトでした 母親はもう亡くなりましたが最後のクルマも偶然ですが25アルトでした 今も私のセカンドカーとして残しています スズキ車は暮らしの中に根付いたゲタ、足車として最高のクルマだと思います 修チャン、ありがとう!
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10代の頃からアルトにお世話になっているものです。1982年式、1990年式CN21Sワークス2台、現在は1994年式CR22Sワークスを所有しております。 毎日、ワークスに元気をもらっております。来年で車歴31年目。可能な限り乗り続けます。 鈴木修社長、アルト、アルトワークスを販売して下さりありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り致します。
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アルト、ジムニーをヒットさせた功績は多大であり、若い人の時流にあった車を買って貰えるような視点も常に持ち合わせていたイメージが大きい。それが今のスイフトスポーツなどにも受け継がれてますよね。
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今後のスズキの舵取りは、業界の変革期だけに困難な事もあるだろう。 修氏の意思がDNAとして受け継がれている事を祈ります。 ホンダは宗一郎さんの面影が薄れつつある。 町工場の親父魂は令和にも通用すると思う。 ご冥福を祈ります。
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自動車業界の再編が風雲急を告げている状況ですが、どう思っていたのか聞いてみたかったですね。 結末を見届けることなく去られてしまいましたが、また一つの時代の区切りのようなものを感じます。
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最近、スイスポを新車で買わせて頂きました。お上からの強制的に安全装置を取り付けたとは思えない位のリーズナブルさで買えました。ト◯タ日◯よりかは決して華やかとは言えないディーラー、企業努力を感じました。華やかさよりはリーズナブルな方が良いです。走りも素晴らしい。最高の車をありがとうございました。鈴木社長のご冥福を心からお祈りします。
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偉大な方がまた一人去られて寂しいです。 激動の昭和を乗り越えられ事業を成功させ世界のスズキに仕立てた。 ずっとお忙しい人生だったと思います。 どうかゆっくり休息をとられて下さい。感謝
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軽自動車の父ですね。 一昔前まだ軽自動車なんか人気なかった頃、軽自動車の時代は必ず来ると予言し、今まさに日本は軽自動車が主流。 軽自動車の税金を上げた政府に対し、弱い物いじめと言い放ち庶民の味方である事を証明してくれました。 浜松の企業が今や世界の一流企業になり、雇用を産んでくれました。 たくさんのありがとうございました。 そしてゆっくり休んで下さい。
▲185 ▼12
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スズキの販売代理店、下請け部品メーカー等を大事にしている姿勢は、経営者の鏡ですね。この様な素晴らしい人間性の経営トップであれは、周りの人々を惹きつける事間違いなしですね。スズキはトップが代わってもその流れは変わらないと思います。
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新幹線の浜松駅で降りると改札口前に スズキの車が展示されてますよね。 本当に地元を愛しスズキの車を世に広めてくださった修会長。アイデアと情熱に満ちた人でもありましたね。素晴らしいスズキ車をありがとうございます。
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ケチケチ経営とは言うが、スズキの品質はライバルのダイハツより数段良い、これは今も変わらないと思う。
分かりやすいところだと、エアコン吹き出し口(ルーバー)とツマミ。 ダイハツはよく、「取れる」「割れる」を見かけるがスズキではあまり見かけない。 コストダウンというのは、ユーザーの目に見えないところでやるもの。 でもそこには、従業員・開発者さんの血の滲むような努力と、トップのハッパの上に成り立ってるもの。 毎日、そのクルマに感謝して操らなければいけない。
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今話題の日産とは全く評判が違うので、驚いています。
日産は下請けに厳しい事で有名ですし、昔から自動車業界での評判が芳しくないです。
実際に、日産は、エンジン部品などを製造する下請けのメーカー36社に対し、納入時に支払う代金を一方的に引き下げていたことが下請け法違反として、今年3月に公正取引委員会から勧告を受けています。
それに比べると、スズキは評判も良く、良い会社だった事が伝わってきますね。
どちらの会社を応援したくなるか、言わなくても分かると思います。
今後も、スズキが鈴木氏の遺志を継いで、乗りやすい車を造り続けてくれる事を願っています。
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社長時代から現場視察をやっていてコストダウンネタは凄かったね。 でも修さんが経営から多少遠ざかると楽する奴らが増えてきた会社なのも事実。今はその辺の大企業と思うような横柄な社員が増えてきた。修さんのやり方をあまり知らない、あるいは名前しか知らない社員たちの適当さが酷い。
重力搬送は最初はすごかったけども途中からローラー内にモーター入れて重力搬送している風に見せてる担当者が居たり。
何かしらの御信託がいたんだろうけども修さんがお亡くなりになってからの数年後に会社の規模がどうなっているのかが勝負だと思うよ。
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今はトヨタ販売店に勤めています。定年再雇用になり後少しで終わり。最後の車は、ジムニーと決めてました。40年前友人のジムニーに乗って以来いつかはと思っていました。御存命の内に、買い替えられたら良かったのですが。 ご冥福をお祈りします。
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スズキの仕事で、マジャールスズキ(ハンガリーのエステルゴム)へ行くことになったのですが、技術者ですからどうぞビジネスクラスで来てください、と20代の私にさえ、払われました。外部の技術者を大切にするという社風でした。(オサムさんや役員がエコノミー、新幹線もグリーン車乗らないというのに)。大切にされたので一生懸命仕事しました。
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スズキの販売店の方々は鈴木修会長との懇談会でお話し歓談できることで、販売店網が強固に築き上げられていってとききます。鈴木修なくして、スズキなしだったでしょう。ご冥福をお祈りします 私的には、スズキのバイクが大好きです。もう手放してしまったけど、RF400はフェラーリのようなカウルでカッコよかった。
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凄い社長さんでした。兎に角アイデア豊富で次から次とヒット作を出し続けられたのはこの方があっての事。スズキはいつも何かやってくれる?そんな不思議な気持ちにさせてくれる企業でした。バイクも個性的でヒット作は多い。カタナに隼、どれも一級品です。
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スズキの世界にかかる期待や成長、そして功労は偉大すぎます。エンジンモーターやバイクの普及は世界的に多くの人々を助けている事は周知の通りだと思います。正しく適正に使用されることをお願いします。その企業の長は世界的尊敬されています。その功績はこれからも世界に認められます。ご冥福を御祈りします。 合掌。
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スズキ自動車。けっして背伸びせず、堅実な自動車メーカーというイメージです。それは、実際の車にも、反映されていると今乗っているソリオMZにも感じます。 鈴木修さんの御逝去に際し、心よりお悔やみ申し上げます。
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スズキのパワーは町のスズキのお店の数からもよくわかる 年に一度の県別販売店大会では修氏自ら全出席者にお酌して回った 販売店マージンも軽業界ではトップ 適度に故障するので整備売上げも上がる とにかく自動車業者には至れり尽くせりだから、販売店組織は非常に強固である
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凄く良い面だけを書いてるね。地域政治の介入、バックアップは良い話を聞かない。代理店集めての会はお祭りというより恐怖の会で、現場チェックはあれほどの監査はないというくらい効果的なものだけど、品質的な不具合、内部リークから察するに工数・コスト優先で部品製造(内製)では現場も製品も品質とコストを天秤にかけて割り切ってるところがある。あれほど突き詰めたあの人にしか出来ないスズキ式管理システムによって競争力を高め利益率を上げた事は間違いない。自らが業務を理解し、ピンポイントで改善を行う経営者は彼しかいない。唯一無二の経営者。もし鈴木修コンサルという会社を作って輸送機系製造に喝を入れたならば、日産でさえ利益率改善、生産性が向上したと思います。要は彼のやった事を実践すれば、様々な事が改善されるわけです。そういう実例を示された方。お疲れ様でした。仕事に少しずつ活かせるように頑張ります。
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一条工務店(浜松の企業)が300億円を寄付し、修氏が県と市の仲介をして作られた浜松南部の防潮堤。本社周りの地下道があるきれいな道路。浜松は修氏の発言権が凄いんだなと改めて感じたものです。
そんな自分は浜松で就職して以来、ラパン 2回 →スペーシアのスズキ一本。生活に合ったサイズと燃費の良さ、シンプルながらも可愛さのあるデザイン、どれも気に入っています。 スズキ歴史館も何度かお邪魔しました。 ご冥福をお祈りします。
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以前からスズキの車に興味はあったもののあまり縁がありませんでした
30年間他メーカーの車を乗り継いできましたが、日本のユーザーのことをきちんと考えてくれているスズキの車に乗り換えます
今は納車待ちですが、楽しみにしています
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自由化直後のハンガリーにいち早く進出した事も忘れちゃいけません 現地に工場を作り現地の人達に仕事を与え、手に入りにくかったクルマを現地の人達に提供してスズキはハンガリーの国民車になりました 何かの番組でハンガリー工場の職人さんが「ここは俺が溶接したんだ」と誇らしく言っていたのが印象的でした
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長らく、本当に長い間社長もしくは社長兼会長を務められました。 お疲れさまでした。 しかし、裏を返せばワンマン、それもかなりの高齢でという事は・・・ これから故人の業績に真の評価がされるでしょう。 10年前、いや15年前に完全引退されていたら今のスズキはもう少し 大きくなったし、取沙汰されている現行ジムニーの5ドアも早くに日本の ユーザーが納得する形で販売されていた、と思うのは私だけでしょうか?
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鈴木会長の自動車業界の提携も先んじていたものがある。結局、合意には至らなかったが、先見の明がありました。戦後の日本の経済発展を支えた中心人物だと思います。 ご冥福をお祈り致します。
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故鈴木氏は、自らを常に中小企業のオヤジと称していたが、総資産5兆円、連結で従業員数も7万人を超す超大企業ですよ。 しかし、自らが作り育てたスズキは鈴木元会長にとっては何時までも可愛い中小企業だったのでしょうね。 要はご自身の支持一つで全体を統率出来た企業なんだと言いたかったのでしょうね。浜松をこよなく愛された鈴木元会長のご冥福をお祈り致します。
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