( 240796 ) 2024/12/28 16:15:46 0 00 「地方創生2・0」を掲げるが…
石破茂総理がもっとも力を入れる政策のひとつが「地方創生」だ。12月24日には、これから施策を進めるための「基本的な考え方」をまとめた。それによれば、人口減少を正面から受け止め、そのうえで「『都市』と『地方』の二項対立ではなく、楽しく、安全に暮らせる社会」をめざすという。石破総理自身、会見で「若い世代、女性の方々が地方から都市へ流出していくことがきわめて顕著だ」と危機感を示し、閣僚会議でも「若者や女性にも選ばれる楽しい地方をつくることを第一の主眼にする」と強調していた。
至極正論である。(1)なにをするにも「人口減少」を「正面から受け止め」る。(2)歴史や伝統に根差した地域の潜在的な魅力を引き出し、都市へ行きたいと思わせない地方を創出する。この二つは、日本のサスティナビリティを考えたときに、絶対に欠かせない必須項目だと考える。
なにしろ、2024年に国内で生まれた日本人の子供は68万7,000人程度で、70万人を下回るのが確実となっているのだ。少子化が進むスピードは想像を絶している。統計がある1899年以降、はじめて100万人の大台を割る97万6,979人となり、もはや日本には未来がないかのような衝撃が走ったのは2016年のこと。それからわずか8年で3割も減少した。
国立社会保障・人口問題研究所が2017年に予測した「日本の将来推計人口」では、出生数が80万人を割るのは2033年、70万人を割るのは2046年とされていた。もちろん、この予測には、人口減を食い止めるべく警鐘を鳴らすという目的もあり、予想を下回ってほしいという希望も込められていたわけだが、現実には、29年後に想定されていた70万人割れは、わずか7年後に訪れたのである。
少子化対策をいくら掲げたところで、現実に少子化の勢いが増している以上、日本の国土をどのように活用または保全し、インフラストラクチャーをどう整備または維持するか、という点において、抜本的な見直しをするほかあるまい。その場合、「地方創生」もかなりアグレッシブに行わないかぎり、実効性が得られないだろう。
私はヨーロッパを訪れることが多いが、視覚的にも日本とは地方の姿が大きく異なることに、いつも気づかされる。一言でいえば、どの地方もその地方らしさが保たれている。高いビルが建つことはほとんどなく、街路もおおむね狭いままで、時間をかけて形成された街並みが大事にされている。街路の広さもふくめて凝縮された「狭さ」がたもたれている。さりとて窮屈な感じはなく、「ヒューマンスケール」という語が浮かんでくる。
BS日テレで放送されている『小さな村の物語 イタリア』という番組では毎週、歴史と伝統がある小さな町や村に住む人たちの暮らしぶりが描かれるが、見るたびにうらやましいと思うのは、彼らが地域に強い誇りを持っていることである。だれもが、おらが町や村に誇るべきものがどれほどあるか熱弁する。
そうはいっても、イタリアの地方も若者の流出や過疎化と無縁ではない。やはり社会問題化してはいるのだが、各地方が元来もっているポテンシャル、歴史や伝統にもとづいた独自色が、日本とは比較にならないほど大事にされていると痛感する。石破総理がいう「若者や女性にも選ばれる楽しい地方」という原点が見失われていない。
片や日本はどうだろうか。私は城に関する仕事もしているので、各地の城下町を頻繁に訪れるが、そのたびに暗澹たる気持ちになる。目立つのは、駅前が再開発と称して、古い街区がすっかり更地にされてしまっているケースである。そこには広く真っ直ぐな道路があらたに敷かれ、地域のあらたなシンボルと位置づけられていると思しきタワーマンションが建つ。
整備が進行中の町も、すでにある程度整備された町もあるが、後者の場合、歴史や伝統に根差した町の個性が皆無で、さらには歩く人も走る自動車も街区のスケールにくらべて少なく、居心地が非常に悪い。それでいて駅から少し離れると、空き家や空き地だらけの街区やシャッター商店街が目立つ。町の個性を徹底的に否定した再開発のせいで、伝統的な地区はますます寂れるという最悪の循環が生まれている。
前述したように、イタリアの人が誇るべきものについて熱弁するのに対し、地方に住む日本人の多くは「なにもないところで」と説明する。むろん、そんなことはありえない。日本はほとんどの町に歴史や伝統があり、長く育まれてきた価値がある。その地域にしか見いだせない自然の美しさや豊かさもある。
ところが、東京などの大都市とくらべて、「なにもない」という結論を導き、せっかく「ある」ものを再開発で壊し、ミニ東京のようになろうとして、ほんとうに「なにもない」場所にしてしまう。しかも、進む少子化を考えれば、タワマンなどどう考えても近い将来、負の遺産になるのが必至である。近隣の町から人を呼び寄せるつもりかもしれないが、そもそも人口減が避けられないなか、住人の取り合いをすれば地方が共倒れするだけである。
出生数が8年で3割も減るほどの少子化が進んでいる以上、「若者や女性にも選ばれる楽しい地方」をつくらなければ、日本の地方はみなゴーストタウンのようになってしまう。だから、石破総理の「地方創生」に期待をしたいが、各地の現状がすでに述べたようである以上、創生の道筋を地方にまかせるだけでは、さらなる沈下を招くに違いない。
「なにもない」地方などないのだから、東京を真似ずに「ある」ものを活かす。ヨーロッパの視察なども重ねて、その活かし方を徹底的に検証する。まずは、国がそうしたことを主導し、地方に考えさせたうえで創世の道筋をつけないと、むしろ前述したような悪循環が生じるから、心してかからなければならない。
人口減少を考えると、地方をめぐる状況は今後、厳しさを増す一方だと思われる。豊かさの象徴として整備が進められてきた道路や橋梁も、町の文化施設のようないわゆるハコモノも、老朽化が進んで整備や維持にこれまで以上の費用がかかるはずだが、少ない人口でそれをどう賄うのか。街区にせよインフラにせよ一定程度は切り捨て、公園や農地にすることや、林に戻すことなども考え、持続可能な地域に絞って、ポテンシャルを活かした町づくりをする必要があるだろう。
だが、東京をはじめとする大都市も、同様の見直しをしないかぎり持続できまい。出生数がここまで減っている以上、拡大を続けてきた都市空間やインフラを縮小し、ミニマルに抑えていく。国土の整備のあり方をそのように大転換しないかぎり、社会が維持できなくなってしまう。そこまで見据えたうえで「地方創生」に取り組んでほしい。
とはいえ、この少子化を前に手をこまねいていては困る。石破総理は「少子化の本質は母が少ない『少母化』」と語っていた。問題は子育て以前の出産にあるので、子育て支援として金をばらまく以前に、子供を産んでもいい、産みたいと思わせることこそが大事だ、という主張だと私は解釈している。それは正しい認識だと思う。
少子化はジェンダーフリーや男女共同参画と切り離せない。子供は女性にしか生むことができない。それは未来永劫変わらない真理である。しかし、性差による社会的な役割分担が否定されれば、なぜ出産という、男性は負わずに済む負担を負わなければならないのか、という疑問をいだく女性が増えるのは当然だろう。
そんな女性の疑問、または不満に応えるには、たとえば出産は、産休や育休が明ければ女性が希望した職場に戻れる、しかも降格したりせずに戻れる、といった環境を整備することが大事ではないのか。すなわち、子供を産まずにすむ男性にくらべ、女性が不利になることはない、と実感できる環境づくりこそが、少子化を多少なりとも食い止めることにつながるはずである。
石破総理の意識はいい。あとは力強く実効性がある政策に置き換えることができるかどうかにかかっている。
香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部
新潮社
|
![]() |