( 240866 ) 2024/12/28 17:35:20 0 00 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu
「解雇規制が緩和されたら、突然失業してしまう社会になる」。にわかに盛り上がった解雇規制緩和の議論。しかし、実は今の日本でそんな心配は無用だった。日本の解雇規制の実態とはどのようなものか。また、これから一生食べていくための方法とは。企業再生のプロ・冨山和彦氏に聞いた――。
■間違いだらけの「解雇規制の緩和」議論
---------- Question.1 日本では一度人を雇うと解雇するのが難しい? ----------
自由民主党の総裁選において「解雇規制の緩和」を争点化する動きがあった。賛成派は、「競争力を高めるには人材の流動化が必要だが、日本は一度人を雇ったら解雇がしにくい」というロジックで規制緩和を求めるのに対して、反対派は「海外のように経営者の都合で勝手にクビを切れるようになると社会が不安定になる。企業は雇用を守れ」と反論する。
この議論はナンセンスである。なぜなら、賛成派、反対派、どちらにおいても議論の前提が間違っているからだ。
雇用の流動性が重要であることは、今や社会的コンセンサスになりつつある。雇用流動化の起点は、労働契約を終わらせることに他ならない。近年は働き手の側から起動しやすくすること――たとえばブラック企業を辞めたり転職すること――が議論の中心だった。しかし、労働契約はお互いさまであり、企業側からも起動できたほうがいいという考え方もある。解雇規制緩和論は10年以上前からあったが、ここにきて再浮上してきたのは、企業側からの要請が強くなったことが背景にあるだろう。
賃上げの議論も、規制緩和の主張を後押ししている。「日本の会社は人を一度雇うと人件費が固定費になるため、大胆な賃上げができない」というのが賛成派の論理。賃上げのためにこそ企業が人を解雇しやすくするべきだという、よくわかるようでわからない理屈が展開されている。
■大企業が利用しやすい「希望退職制度」
しかし、日本企業が人を減らしにくいというのは大きな誤解である。
会社が社員を整理解雇(業績悪化など会社側の事情で行う解雇)するには、判例で確立された要件をクリアする必要がある。①整理解雇の必要性が本当にあること、②整理解雇を避けるための努力を会社が尽くしていること、③対象者の選定に合理性があること、④労働者側との間で十分な協議が尽くされていること、の4つの要件だ。解雇規制緩和の賛成派は、これら4要件が厳しいために解雇ができないと主張する。
そうした主張はリストラの現場を知らない人の空論だ。会社側の視点で見れば、人を減らす手段を解雇に限る必要はまったくない。人員整理を実務的にとらえれば「希望退職」というプラクティスもあり、事実、大企業では広く行われている。
日本の希望退職制度は、労使協調のもとで独自に発展してきた。退職時に渡す金額も相場ができている。業種や業績にもよるが、定年まで勤めた場合と同額の退職金に年収1~2年分を上乗せするのが一般的だ。企業にとってはそれなりに大きな費用負担になるが、お金があれば解雇よりずっと簡単に人を減らせる。
希望退職制度は、中高年の社員から見ても魅力的な仕組みだ。とくに現在は労働市場が逼迫していて中高年でも転職しやすくなっているため、募集すれば枠の2~3倍の応募者が集まる。整理解雇の4要件を緩和するまでもなく、その気になれば人を減らすという目的は達せられるのだ。
■人材流出は希望退職制度のせいではない
希望退職を募ると優秀な人材から辞めてしまうと嘆く経営者もいる。実際、希望退職で辞めてほしくない人材が流出する現象は起きていることはたしかだ。ただ、それは優秀な人材の処遇を間違えていたために起きた現象であり、希望退職制度の問題ではない。
優秀な人材を年功ではなく実力で評価して高給で処遇し、働きやすい職場でやりがいのある仕事にアサインしていれば、残ってほしい人材は希望退職に応募しない。逆に引く手あまたの人材が不満を募らせていれば、希望退職制度がなくても転職していくだろう。
人材流出はヒューマンリソースマネジメントに失敗した結果であり、それを希望退職制度のせいにするのは経営の本質的な問題から逃げているだけである。
■解雇権の乱用だと判断されれば解雇は無効になる
日本の大企業では希望退職制度がうまく機能していて、そもそも整理解雇という選択肢まで至らない企業のほうが多い。では、希望退職で上乗せのお金を払う余裕がない中小企業はどうか。
中小企業では大企業とまた違う景色が広がっている。現状を理解するには、まず日本独特の解雇規制を押さえておく必要がある。
実は日本では原則的に解雇が自由である。民法第627条1項はこう定めている。
「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる」
当事者は使用者側も含むため、民法上は会社にも雇用契約を解約する権利が認められている。
ただし、解雇権を無制限に行使できるわけではない。解雇権の濫用だと後から裁判所に判断されたら、解雇は無効になる。原則は自由にできる解雇を、解雇権濫用法理で制限する、という法律構成だ。
解雇権の行使がどのような場合に濫用になるかは過去に裁判で争われて判例が積み重なり、現在は労働契約法第16条に次のように明文化されている。
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」
つまり合理的な理由がない、あるいは社会通念上相当でないと裁判所が判断すれば、解雇が無効になって労働契約が継続するのだ。
■評判を気にしなければ「解雇天国」状態の実態
労働者から見て問題があるのは、司法の手続きを経ないと解雇が無効にならない点である。裁判や労働審判で無効とされるまではひとまず有効なので、裁判や労働審判中は賃金が出ない。本気で法廷闘争するなら、アルバイトでもして生計を立てながら会社側と戦うしかない。中には労働組合が生活費を支援してくれるケースもあるが、日本の労働組合は主に個社単位で発達しており、組織率は17%弱にすぎない。中小企業には組合がほとんどなく、サポートを受けられないのが実態だ。
裁判や労働審判で無効と判断されるような解雇でも、金銭的な問題がハードルになって司法で争うことを諦めて泣き寝入りする労働者は少なくない。労働組合が存在しない中小企業の世界において、解雇権濫用法理は有効に機能しない。理不尽な解雇をすればレピュテーション(評判)が傷つくリスクがあるが、それさえ気にしなければ解雇天国なのである。
---------- Answer 人員削減自体は難しくない。大企業も中小企業も手段はある ----------
■今の日本の雇用制度ではいきなりクビは絶対無理
---------- Question.2 お金を払えばクビにできる「金銭解雇」実現が心配です ----------
今回の解雇規制緩和議論の中で、「解雇の金銭解決」に触れた候補者もいた。
実はこの制度導入で救済の対象になっているのは労働者だ。現在は不当解雇と判決され解雇が無効になった場合、労働者は職場復帰以外の選択肢がない。法的に争った会社で働き続けることを負担に感じる労働者もいるため、本人が望めば職場復帰だけでなく金銭解決と転職の道を選べたほうがいい。
今でも労働審判で解決するケースの多くは金銭解決になっているが、解決金の相場は月給の1~2カ月分程度で、びっくりするほど安い。これでは中小企業の解雇天国は変わらない。労働者の救済手段として選択的金銭解決制度の導入と、解決金の相場の見直しは早急に進めるべきだ。
ところが今回の議論の中で、これを「お金さえ払えば企業が自由に社員をクビにできる制度」と勘違いして反対する人が大勢いた。
そんな制度はアメリカにもヨーロッパにもない。「金銭解雇」という俗説が広まっているのは、解雇規制緩和の反対派も間違った知識で議論を進めている一例である。
最近の解雇規制緩和の議論は、大企業と中小企業で異なる風景が広がっていることを理解せずに進められているため、的外れでぼんやりとしたものになりがちだ。
■海外だからと言って簡単に解雇はできない
誤解があるのは国内の実態だけではない。海外での雇用制度についても誤解が多く、それと比較することで議論がますますおかしなものになっていく。
たとえば「海外は“働かないオジサン”をすぐクビにするから生産性が高い」という声がある。
しかしアメリカでは、ある社員を「働かないオジサン」と言っただけで年齢差別・性別差別でアウト。そもそもアメリカには定年制がない。ある年齢に達したことを理由に労働契約を破棄したり賃金を下げれば違法である。その点では非常にフェアだ。
年齢が関係ないにしても、パフォーマンスが低い人はすぐ解雇されるではないか、という見方も一面的である。たとえば「出社するといきなりセキュリティカードを取り上げられてオフィスから追い出される」というイメージがあるかもしれないが、けっして一般的ではない。
アメリカでも、解雇できる条件は事前に契約でガチガチに決められている。契約の中にパフォーマンスの条項を盛り込むことは可能だが、要件を満たした場合のみ解雇が可能で、恣意的な運用はできない。低パフォーマンスを理由に人を辞めさせたければ、企業は社員の仕事を緻密にトラッキングして、パフォーマンスを定量的に記録しておく必要があるため人事は大変。証拠を地道に積み上げてはじめて解雇が可能になるが、そこまでやっているのはシリコンバレーやウォール街などの一部の企業だけだ。
■解雇制度だけシリコンバレーをまねることは困難
日本企業もシリコンバレーをマネしてパフォーマンスを定量的に把握すれば解雇しやすくなると考える人もいるだろう。しかし、この考えも的外れだ。
まず強行法規である労働契約法に反した労働契約は、契約自体が無効になる。たとえ「低パフォーマンスは解雇」と契約に盛り込んだとしても、それが合理的かつ社会通念上相当なものだと証明できなければ解雇できない。
証拠を示すためにパフォーマンスを定量的に把握する必要があるが、パフォーマンスを正しく評価するには、前提となるジョブディスクリプション(職務記述書)が明確になっていなければならない。日本企業の多くはジョブ型ではなくメンバーシップ型の雇用。雇用体系をいじらずに解雇だけシリコンバレーを目指すのは無理がある。
■ボーイングの例でわかる実は解雇しにくい欧米
低パフォーマンスの人を狙いうちにする解雇ではなく、まとめて人員整理する場合はどうか。これもカジュアルに行われている印象があるかもしれないが、実態は違う。
欧米では職能別、産業別の労働組合が非常に強い。たとえば自動車業界では全米自動車労働組合(UAW)が強い交渉力を持っていて、レイオフ(一時解雇)について厳格なルールを使用者側と結んでいる。勤続年数の長い人の雇用を優先的に守り、新人から機械的にレイオフしていく「シニオリティ・ルール」は、組合の強さを示す象徴的なものだろう。
レイオフも簡単ではない。航空機メーカー大手であるボーイングでは今年9月、16年ぶりのストライキが行われた。ボーイングの労働者の多くは、国際機械工労働組合(IAM)の支部に加盟している。労組執行部はいったん25%の賃上げで合意したが、組合員の投票で否決されてストライキに。会社側が新たに35%の妥協案を提示したが、それも否決されてストライキが継続している。
アメリカでは、23年にも自動車業界で1カ月以上に及ぶストライキが起きた。経営の一存ですぐにレイオフできる制度になっているなら、大規模なストライキが頻発するはずがない。ちなみにボーイングは業績低迷で、赤字が9四半期続いている。それでもレイオフできないのが実態である。
■日本企業は人材の流動化に対応できていない
職能別・産業別組合がアメリカ以上に強力なヨーロッパは、さらに人員整理のハードルが高い。いずれにしても欧米と日本では雇用体系や労使関係が異なる。その違いを無視して同列に解雇規制を論じるのは愚かである。
解雇規制緩和の議論は疑問が多いが、一方で人材の流動化が必要なことも事実である。
現代はディスラプティブ・イノベーションの時代だ。同じことを続けているだけでは、破壊的なイノベーションが起きて従来の産業やビジネスモデルが駆逐されて滅びてしまう。これは不可逆かつ世界的な現象である。
ゲームチェンジに対応するための効果的な方法の一つは、人材を入れ替えることだ。人材の流動化ができない企業は、儲からないオールドゲームを続ける他ない。それでは付加価値を生むことができず、結果として賃金も上がらない。
アメリカは外部労働市場、つまり転職市場が発達しているのでゲームチェンジに必要な人材の入れ替えができた。一方、メンバーシップ型の日本企業はこれまで人材の入れ替えを社内の配置転換で行ってきた。それで対応できるうちはよかったが、ディスラプティブ・イノベーションが起こす変化は激しく、個社の配置転換レベルでは追いつかなくなった。そこに現在の日本企業の苦境がある。
■社会全体で支えるヨーロッパ型を目指すべき
日本企業が人材の流動化を社内の配置転換で対応してきた背景には、日本がセーフティネットの機能を会社に過度に背負わせてきたことが大きい。生産性の低い人材を外に出したくても、外部労働市場や社会のセーフティネットが発達していないため、企業が丸抱えせざるをえなかった。
ただ、アメリカのように外部労働市場ですべてを解決しようとすると、おそらく日本の社会は耐えられない。日本が志向すべきは、政府や産業界など社会全体で労働者の生活を支えるヨーロッパ型だ。日本はセーフティネットをこれまでの「会社共助型」から「社会共助型」へと転換することで、人材の流動化を促すべきだ。
まず、生産性の低い企業が市場から退出しやすくすることが大切だ。企業が倒産すれば労働者が困るというが、それはセーフティネットが会社共助型だから。社会全体で労働者の生活を支えれば、生産性の低い企業を生きながらえさせる理由はなくなる。企業の新陳代謝を促したほうが生産性は向上し、労働者も高生産性企業に移動して賃金も上がる。
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