( 241233 ) 2024/12/29 15:18:21 2 00 これがなければ「光る君へ」は傑作になっていた…歴史評論家がどうしても看過できなかった7つの残念シーンプレジデントオンライン 12/29(日) 9:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/41601e6c11b8faa8bea203c9280bf483386cdef2 |
( 241236 ) 2024/12/29 15:18:21 0 00 大石 静(著)、NHKドラマ制作班(監修)『NHK大河ドラマ・ガイド 光る君へ 前編』(NHK出版)
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」をどう評価すべきか。歴史評論家の香原斗志さんは「美術のセットは素晴らしく、史実に忠実な描写も多くてよかった。一方で違和感を覚えた場面もあった」という――。
■「光る君へ」の美術レベルはとても高かった
平安絵巻さながらの美しいビジュアルに何度も息を飲んだ「光る君へ」。『源氏物語』の作者とされる紫式部(吉高由里子、ドラマではまひろ)の物語に、藤原道長(柄本佑)の生涯をからめた2024年のNHK大河ドラマは、色鮮やかで気品あふれる衣裳はもとより、内裏の清涼殿ほかのセットや調度も、細部までこだわって造り込まれていた。それこそ毎回、敬服させられた。
細かい話に思われるかもしれないが、内裏や土御門殿などの装置が、すべて白木で形成されていたのがよかった。私たちがいま眺める日本の歴史的建築は、木部がこげ茶色だが、それは経変変化によるものだ。その時代に新築された木造建築は、当然ながらみずみずしい白木に囲まれていた。
ところが、歴史ドラマにせよ時代劇にせよ、多くの場合、建物の木部はこげ茶色で、昨年の大河ドラマ「どうする家康」も、新築なったばかりの安土城や大坂城の柱や梁がこげ茶色で、違和感を覚えたものだ。「光る君へ」は、そのあたりのリアリティが徹底的に追求されていた。
また、史料に忠実な描写が多いのもよかった。この時代の宮廷の模様は、藤原道長の『御堂関白記』、藤原行成の『権記』、藤原実資の『小右記』という3つの貴族の日記のほか、『紫式部日記』など、第一級史料によって、かなり具体的にたどることができる。実際、それらの記述が活かされた場面が多かった。
■大河ファンとして残念だった7つの場面
よい部分も多かっただけに、それとの対比で、「ここはこうしないでほしかった」と思うことも少なからずあった。そこで、「光る君へ」を歴史ドラマとして評価した場合に、残念に思われた場面を7つ挙げたい。私自身、大河ドラマファンのひとりとして、制作サイドにも視聴者にも考えてもらいたいからである。
第7位は、終盤の第46回「刀伊の入寇」や第47回「哀しくとも」で見られた偶然の連鎖を挙げる。紫式部は没年に諸説あり、寛仁3年(1019)に異賊が北九州沿岸を襲撃した時点では(刀伊の入寇)、生きていたのかもわからない。
したがって脚本家の腕の見せどころだが、まひろが旅に出て大宰府に着くと、越前で出会った中国育ちの医師、周明(松下洸平)と再会し、まひろの娘の賢子(南沙良)と恋仲だった双寿丸(伊藤健太)までいる。そのうえ、まひろが周明とともに松浦(長崎県松浦市)に向かうと、その途上で刀伊に襲われ、絶妙のタイミングで双寿丸らが助けに現れるが、周明は刀伊の矢に打たれて息絶える――。
刀伊の入寇は平安中期を揺るがした日本の危機で、これを描くために、そのころの動向がわからない紫式部を現場に立ち会わせたところまではいい。だが、その場で知人に次々と会い、危機を迎えると双寿丸が現れ、しかし、もう一方の知人は死ぬ、という展開は、『水戸黄門』などの娯楽時代劇か、やりすぎの韓流ドラマを思わせる。もう少し自然な展開にできなかったのだろうか。
■平安時代の恋愛はもっと面倒だった
第6位には、とくに上記の場面の延長で見られた、センチメンタルすぎる紫式部を挙げたい。周明が死んで泣き叫び、大宰府に戻ってからも、太宰権帥の藤原隆家(竜星涼)の前で、「周明と一緒に渡しも死んでおればよかったのです」と泣き続けるまひろに、私は共感できなかった。
「光る君へ」で描かれたまひろは全体に、センチメンタルで直情的だったが、『源氏物語』や『紫式部日記』から推察される紫式部は、私にとっては、もっと斜に構えたひねくれ者のリアリストだったと思われる。もっとも、異なる感じ方があることは否定しないが。
第5位は、貴族の女性が顔を見せすぎたこと。「光る君へ」では、まひろは思い立つとすぐに外出していたが、これは当時の貴族女性が普通にできたこととは思われない。
平安中期以降、貴族の女性は異性に対してみだりに顔を見せてはいけないという習慣が定着していた。このため人と面会する際は、基本的に簾や几帳を隔てていた。まひろが行動しないとドラマが動かないのはわかるが、そのために、平安時代の基本的なルールが無視されてしまうと、時代への誤解につながるから難しいところだ。
また、この時代は恋愛が盛んだったというイメージがあるが、そのプロセスは現代とはまったく違った。貴族の男性は気に入った女性に向けて和歌を書き、使者に渡して女性のもとに届けさせ、女性はそれを読んで、気に入ったら返歌を送る。こうして何度か和歌を交わしたのちに、ようやく男性が女性の家を訪れ、また簾越しに和歌を詠み合って、気が通じ合えばようやく会える。面倒だったのである。
「光る君へ」では、このプロセスがほとんど省略された。たとえば、第24回「忘れえぬ人」で、紫式部の夫となった藤原宣孝(佐々木蔵之介)がまひろに求婚する際も、実際には手紙に記された言葉を、すべて口頭で語っていた。上述したプロセスをドラマで描くのが困難なのはわかるが、男女の交流がほとんど現代劇のように描かれ、違和感が残った。
■本当に道長と紫式部の間に子どもがいたのか
第27回「宿縁の命」では、まひろは石山寺(滋賀県大津市)で道長と再会し、一夜をともにする。それはちょうど夫の宣孝がまひろのもとに通っていなかった時期で、紫式部が産んだ女児、すなわち賢子は、道長との不義の子だという話になった。
このこと、つまり紫式部は道長の子を産んだという設定を第4位に挙げる。脚本を書いた大石静氏は、2024年6月30日付で朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で、紫式部と道長を恋愛関係にしたことについて、「時代考証の倉本一宏先生からも『その設定で、やってもよい』と言われました」「繰り返しますが、時代考証の先生のチェックを得たうえでです」と強調している。
実際、わかっていることが少ない紫式部をヒロインに据える以上、道長との恋愛のような、ドラマの背骨になる設定が必要なのはわかる。だが、娘まで道長の子にしてしまうのはいかがなものか。
1000年前の人のDNA鑑定は不可能だから、賢子が道長の子ではないと証明することはできない。だが、賢子を道長の子ということにすると、彼女ののちの出世なども、余計なフィルターをとおして眺めることになってしまう。
■道長が出家した本当の理由
同様に、道長が出家したのはまひろが宮廷を去ったのが原因、という設定もいただけない。これを第3位としたい。「光る君へ」では、基本的に健康体のように描かれた道長だが、実際は、若いころからかなり病弱で、途中からは飲水病(糖尿病)の持病にも苦しんだ。
寛仁3年(1019)に出家した当時は、胸病の発作に襲われ、目もよく見えず、飲水病は進行し、かなりの病体だった。そのとき道長が深めていたのは浄土信仰だった。以前の道長は現世利益を中心に説く密教に帰依していたが、次第に法華信仰、そして来世で極楽浄土に往生するための浄土信仰に傾倒していった。
あらためて強調するまでもないが、道長が出家した原因は紫式部とは関係ない。そこを関係づけてしまうと、この時代の上流貴族がなにを大事にしていたのか、見えなくなってしまう。道長にとって切実だったのは、紫式部への思いではなく浄土への思いだった。じつはその点においては紫式部も同様で、年を追って浄土への思いを深めていた。そのあたりが「光る君へ」で無視されたのは残念である。
上記の話の延長だが、道長の死を看取ったのがまひろだという設定も、どんなものか。これを第2位に挙げる。最終回「物語の先に」で、まひろは道長の正妻の倫子(黒木華)に道長との関係を、出会いにまでさかのぼってみな話してしまう。いくら問われたからとはいえ、あの紫式部がこんなふうに自分語りをするのは違和感があった。
それはともかく、道長が弱り切ってから、まひろは倫子に依頼されて毎日、道長を見舞ったのである。
■汚物にまみれながら絶叫した最高権力者
道長の最後は藤原実資(秋山竜次)の『小右記』によれば、糞尿が垂れ流しの状態で、身内も直接見舞うのが困難なほどだった。そんななか背中のはれ物に針治療がほどこされ、道長の絶叫が響くなど、かなり悲惨な状況だった。
それがテレビでは描きにくいのはわかる。だから静かな死にしたこと自体は、許容されると思う。だが、道長は最期、みずからが造営させた極楽を象徴する九体阿弥陀像の前で、九体のそれぞれから伸ばされた五色の糸を手にして、息を引き取った。それほど極楽浄土への願いが強かった。
道長が死去したのは万寿4年(1027)12月4日だが、このころ恐れられていたのは末法の世だった。釈迦が入滅して2000年経つと、その教えだけが残って悟りは得られなくなるというのが末法思想で、当時、1052年には末法の世に突入すると信じられていた。道長も紫式部も、いわば怯えながら極楽浄土へ生まれ変わることを願っており、死に際して、もっとも強い願いはそのことにあったはずである。
当時の社会を覆っていたこの状況が描かれず、恋愛に置き換えられてしまったのは残念だった。
最終回のラストシーンで、ふたたび旅立ったまひろは、馬に乗った武者たちと遭遇した。その一人は双寿丸で、彼は「東国で戦がはじまった。これから俺たちは朝廷の討伐軍に加わる」と語った。その後姿を見ながらまひろは、心のなかで「道長様」と呼びかけると、「嵐が来るわ」と語った。
貴族の世が終わって武士の世が来る、ということを暗示しているのだろう。当時、その時代に向かって動きはじめていたことは否めないが、まだ摂関政治の全盛期であり、のちにそれが終わって院政の世が訪れ、武士が本当に力を持つのはその後である。当時の世相を覆っていたのは、戦への恐れよりも末法への恐れであって、これではこの時代の実相が誤って伝わってしまう。
したがって第1位として、武士の世を予感させるのは早すぎるといっておきたい。
---------- 香原 斗志(かはら・とし) 歴史評論家、音楽評論家 神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。 ----------
歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志
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( 241235 ) 2024/12/29 15:18:21 1 00 記事には、「光る君へ」に対する様々な視聴者のコメントが紹介されており、史実とドラマの関係についての意見や、脚本に対する評価、歴史考証に関する指摘などが含まれています。
全体的には、大河ドラマを楽しむ視聴者と史実を重視する視聴者との間に意見の相違が見られ、ドラマに対する評価も様々あるようです。
(まとめ) | ( 241237 ) 2024/12/29 15:18:21 0 00 =+=+=+=+=
専門家の方から見れば色々思う事はあるのでしょう。でも今回の作品は普段大河に馴染めない視聴者の多くをも惹きつけたし、大きな話題にもなりました。「これがあるとか無いとかに関わらず傑作だった」といち視聴者の私は勝手に思っています。脚本家の先生はじめ作品に携わられたスタッフ、キャストの皆さんには感謝と労いの言葉をおくりたいです。
▲1521 ▼151
=+=+=+=+=
まあ気持ちはわかるが、多分それらを反映してもドラマとして傑作にはならない。 少なくとも、制約を課せば課すほど難度は上がる。 逆にそこまでやって傑作に仕上げるのには天才的な脚本力を要求されると思う。
▲359 ▼28
=+=+=+=+=
昨年の「ど家」に比較すれば格段のすばらしい作品だったと思う。たしかに筆者が指摘していたように本作は宗教についてはほとんどふれていない。現世利益の密教信仰が盛んだった時代に浄土信仰が次第に勢力を伸ばしてくる過程を描けばより深みが増したでしょう。が、60年と言う長い大河の歴史で平安中期は視聴率が期待できないので今まで同時代を描いた作品はなかった、それをうまくまとめたスタッフの努力は賞賛にあたいする
▲755 ▼58
=+=+=+=+=
そもそも、1000年も前のことだから、時代考証も難しい側面はある。史実に基づいているかどうかだけ気にしていると、列挙している7つの点に違和感は感じるだろうが、むしろ、この時代の景色や風俗を映像化してくれたことにより、歴史の理解がより深まった事を考えれば、メリットの方がはるかに大きかった。
▲797 ▼67
=+=+=+=+=
流石に歴史学者詳しい事まで述べられていますが〝光る君へ〟はドラマでありフィクションで史実に全て忠実になければならないなんて事はありませんよね、ひとつのドラマ作品として放送されて視聴者の心情を掴んだ評価されるべき作品です。 なので〝光る君へ〟を間違いだなんて批判するタイトルはやめて史実と思われる場面とこのドラマの場面と意味を見比べる立場を取って楽しませて下さい。
▲6 ▼1
=+=+=+=+=
周明の死に方は、まひろを助けようとした時に死んだので。自分が生き残った罪悪感が大きかったのでは。過去の恋愛感情も影響するでしょうけど。演出や時間上、あの突然の蛮行の被害者、生還者達が立ち直る様子を、細かくやっていられないからと私は思いました。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
司馬遼太郎の「竜馬がいく」も作者本人がこれは歴史書ではない(史実とは違う)と言っている。実際に薩長連合に奔走し倒幕を主導したのは小松帯刀。その小松帯刀も「大河ドラマ篤姫」で随分と篤姫さんと囲碁を打ったりして仲がいいが多分顔なんか合わせた事もないでしょう。 でもドラマとしては面白い。ドラマだからね。
▲420 ▼17
=+=+=+=+=
こんな昔に何があったのかなんてだれにもわからないでしょう?古書に記載されていてもどう脚色されて編集されてるかも分からない。この方はさも見てきたかのような書き方でちょっと違う気がします。いいんじゃない?史実もいっぱい入って平安時代の人々がこれほど身近に感じられたのは私には嬉しかったです。
▲255 ▼68
=+=+=+=+=
確かに1つ目の偶然の連鎖は、韓国ドラマを思わせるような違和感があった
しかし、それ以外は、それを言い出したら、大河ドラマは作れないというか、そこはみんな差し引いて見てるので、大河ドラマがそこまで史実に忠実だとは思っていない
本当はこうだったはずという専門家の指摘は興味深いが、それをもってドラマの残念ポイントとするのは、違うかと思う
▲577 ▼45
=+=+=+=+=
記事にある7つを筆者のいう通りに反映させたら、物語の骨格がわからない残念なドラマになったでしょうね。 「光る君へ」は、「まひろと道長の物語」を貫き通したから成功したのだと思っています。
史実を脚色した物語として、中国の三国時代を題材にした「三国志演義」があり、日本では吉川英治氏の小説、横山光輝氏の漫画、NHK人形劇などで有名です。 この記事のように史実から見て残念と言えそうな点はいくつもありますが、そんなことを言う人は誰もいないでしょう。
▲509 ▼53
=+=+=+=+=
大河ドラマは、史実と同じでなくてもよい。いちゃもんに近い内容もあり、ほっといてもらいたい。女たらしの道長が、紫式部に手を出した可能性は高い。そして、紫式部の子どもが、女性として最高の出世をしたのは事実である。それは、道長の子であったという仮説を裏付けるものであり、自然でもある。歴史書になかったからと言って、否定できる証拠もない。脚本家の腕の見せ所である。よいドラマだったと思う。
▲144 ▼28
=+=+=+=+=
>「光る君へ」では、まひろは思い立つとすぐに外出していたが、これは当時の貴族女性が普通にできたこととは思われない。
少女時代、逃げた小鳥を追って外に出て道長に出会ったと話した時に。倫子さまに「家の外に出ていいの?」と驚かれてましたね。それほど高位の家ではないからということでしたが。だからこそ他のお姫様とは違った感性が磨かれたのかもしれませんね
▲62 ▼6
=+=+=+=+=
「末法の世」が信じられていたというのは歴史で学習していた。確かにその空気が抹消されていたのは、残念と言わざるを得ないかもしれない。
「どうする家康」で、大河ドラマとしては初めて(?)近畿地方を襲った大地震が描かれていた。これを見て、改めて、過去の人々も転変地異に悩まされていた事実が伝わって来た。
文化や時代考証だけでなく、その時の人々の常識が描かれることによって、歴史ドラマは生き生きとしてくるのは事実だ。 しかし、今回はかなり創作性が高かったのは言うまでもない。
実際のところこの時代の人々がどんな思想で暮らしていたのかは、歴史番組で放送してもらいたい。
▲175 ▼13
=+=+=+=+=
今作は源氏物語のエッセンスを道長とまひろを中心とした流れに落とし込み、心のありようを表現しようとした試みの脚本なのでそうなるよね 藤原家の繁栄の本筋と煌びやかな恋愛の本筋が交差しようとしたらどこかで必ず矛盾するからね 中世日本の絵画が遠近法を用いず雲や木花で空間の矛盾を埋めていく表現に近い感じだと思う
▲21 ▼3
=+=+=+=+=
確かに、この方が残念だと考えた内容はその通りで、それらがドラマ通り実際に起きた可能性はとことん低いと思う。
で、この方の指摘通りにドラマを作ったら、つまらなかった、と思う。
周明が死なないと京にもどれないし。 双寿丸が活躍しないと武士社会へのつなぎが希薄になる。 センチメンタルこそドラマの醍醐味。 この時代は恋愛~面倒だったのである、ってこれを大河で実現させる必要ある?やればドラマの流れが崩れるよね。
>彼女ののちの出世なども、余計なフィルターをとおして眺めることになってしまう。
って、むしろその方が賢子の出世に納得できると思う。 出家の理由もそうだし、まひろと倫子の会話の緊張感。 とにかく、「まひろと道長が恋愛関係にあった」というこのドラマの設定が秀逸だったとしか言いようがない。
>末法への恐れ 今の人が想像できるわけない。 紫式部や道長、平安の入口としてはドラマが難解になる。
▲269 ▼47
=+=+=+=+=
ここのみなさんのコメントの意味もすごくわかるし、でも記事を書いた方の気持ちもわかる。。 1位から10位、どれもこれも多少その時代をかじった人ならうんうんと頷けることばかりです。 確かになーと思いながら読みました。 でもトータルして、今回のドラマは本当に素晴らしかったし久々に惹き付けられ 感情移入してしまう程の素敵なドラマでした。 役者さんにお笑いタレントが多かったのに、それでもここまで大成功だったのは それぞれの役者さんが素晴らしかったからだと思います。 どんな事も役者さん次第で大きく変わる。吉高由里子さんと柄本佑さんの素晴らしさが全てを許すと思います。
▲3 ▼2
=+=+=+=+=
この作品は商業的には大成功しているし今まで大河を見なかった層も取り込めている。歴史考証的には無茶苦茶なシーンや設定も多いが、おそらく多くの人は平安中期の現実の歴史にはほとんど興味がない。
だとしたらもうドラマの最後に、設定や物語のかなりの部分に創作があり史実とは異なるという注釈を入れるだけで良い気もする。
▲2 ▼0
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大河ドラマはあくまでエンタメ作品で、史実を忠実に再現することだけが目的ではないと思います。むしろ、史実とエンタメ性をうまく両立させるために、多少の取捨選択や演出が必要なのではないでしょうか。 そもそも1000年前の出来事に対する現在の解釈も、絶対正しい!と言えるものなんでしょうか。 私は『光る君へ』は十分傑作だったと思います。
▲0 ▼1
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ドキュメンタリーじゃないんですから創作は可です。生きていたかどうかわからないなら、生きていたことにしたフィクションにしても全く構わないと思って見ていました。いつもの戦国大河の登場人物のキャラ変に比べれば、あの程度の創作は全く問題ないと思っています。ただ、若いころのまひろの思考、発想、行動は、めんどくさい女、と言う感じで好きではありませんでした。そして、ご指摘の中の、自由な外出が多すぎた、と言うのは、確かに何かもう少し工夫がほしかったところではあります。江戸時代の話でも、お嬢さんたちはそんなに出歩かなかったと言われている。まあ、出かけないと道長に会えなかったからなんだけど。
▲31 ▼4
=+=+=+=+=
「大河ドラマ」は、国営放送のスタッフたちと豪華な俳優陣が総力を挙げて作る極上の「エンターテイメント」として、一年間を通して楽しませてもらえることが大前提だと思います。 「史実」を知りたい視聴者にとっては、物語と同時進行で、SNS等を通じて様々な「知見」を得ることが出来るだけに、より「エンターテイメント」性を持った脚本が要求されるのではないかと思われます。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
時代を多角的に描けば描くほど主題がぼやけてしまうから、全てを史実に即して、という訳にもいかないだろう。ましてや回数に制限のある大河ドラマなのだから割愛する部分が出るのはしょうがない。 筆者が挙げた7つのうち「そうかもな」と思えるのは5位、3位、1位の3つ。あとの4つは好みの問題に過ぎない。光る君へは十分に良い作品だったと思う。
▲9 ▼2
=+=+=+=+=
まひろが最後に言った「嵐が来る」が武士の時代到来を予感させるようなことばが史実と異なるとのことですが、歴史の大きな流れで見るとあながちそうでもないと思います。
確かに道長の死は1027年で、武士が本格的に歴史の表舞台に出たのは保元の乱あたりからで、1156年でまだ百年以上ありますが、平将門の乱(935年)あたりから武士の力は無視できないものとなっていきました。
道長の時代には双寿丸の主人である平維衡(清盛の伊勢平氏の先祖)の任官を道長が「このようなものを任官させると血で血を洗う世の中になる」と拒絶したり、刀伊の入寇が起きたりしています。
道長の死後の翌年、関東の今の千葉県を中心に平忠常の乱が起きていますので、双寿丸が東国で戦が起きたと言っていたのはこのことだろうと思われます。 そしてこの乱を鎮圧した源頼信が関東に地盤の元を築き、その子と孫が前九年の役などを平定した源頼義と源義家です。
▲4 ▼0
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大河ドラマに何を求めるかによるでしょう。 私は「ドラマはあくまでもドラマ」と思って観るので、多少の時代考証や設定の齟齬は気になりません。 もちろん「信長は生きていた」とか「将軍になった家康は影武者だった」って大河ドラマならオイオイとは思いますが、そういうのも大河じゃなくフィクションとしてのドラマならアリかなと思います。
視聴者が楽しむことが1番ですよね。いくら時代考証や設定が正しくてもドラマとしてつまらなかったら意味ないですもん。
▲37 ▼9
=+=+=+=+=
仮にこれらのシーンが完全に再現されていたら、一般の視聴者は「我々は何を見せられているのだ?」となって、視聴率も配信も伸びず、一部のコアな歴史ファンにしか受け入れられない迷作になっていたでしょうね。 そもそも史実に忠実に作っていたら中級貴族の娘が外に出ることは有り得ず、宮仕えが始まるまではずっと家の中、登場人物の大半は終始ボンヤリと御簾越しにしか見えないということになってしまいますから。
私はドラマはドラマとして楽しみ、史実はYouTubeの解説で補完するという見方をしていたので、あくまでドラマとしての演出という理解が出来ました。時代に感謝。
▲28 ▼3
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恋愛の部分は感性なので大石さんの好きで良いと思う。ただ女性があんなに大っぴらに顔を出す訳がなくそこは同感。顔が見えないから末摘鼻の話が生まれたのだから紫式部の物語を否定するような雑な時代考査は残念だった。 末法思想についてはなるほどなと思いました。確かにあの時代は末法思想や極楽浄土への強い思いがあったのは歴史でも習うくらいですから、もう少し関連つけてもらった方が深みが出たのでしょうね。この時代に近いところを取り上げる事が今回の大河でできるようになったと思うので、又他の作品が出てくる事で今回足りなかった部分が埋められていくといいですね。 私は、弘法大師空海を取り上げて欲しいなぁとずっと思ってます。
▲0 ▼0
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第1位、武士の時代が早すぎるは、歴史家としての見識を強く疑います。地方で徴税請負人化した国司と郡司の武装は、988年の尾張の百姓解文に明記されています。そして、土着した勢力が939年・平将門の乱、同年・藤原純友の乱、1051年・前九年の役と、動乱へと発展した事実があります。摂関家の全盛期は京の都であって、東国と明記して武士の誕生を描くのは、まさに史実としか言い様がありません。
▲25 ▼0
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源氏物語は好きで小さい頃から読んでたし「あさきゆめみし」とかの漫画も読んでた。 でも紫式部や平安時代のことは何となく薄っぺらい知識しかなかった。 そんな私にしたら「光る君へ」はとても興味深く楽しくて毎週楽しかった。
これが史実!と思い込んでしまっては…という専門家の意見はそう思う人達も少なからずいるかも…と思う。
でも大河ドラマだからこそ忠実に!って脚本作ったら面白くないって言われて大河ドラマでももっと脚色しても…って言われたんだろうなーと。
大河ドラマだからきちんと作らないと信用する人が…って意見もあるけど、見たものが真実って思う人は大河ドラマでも民放ドラマでも漫画でも小説でも信じちゃうよ。
▲16 ▼9
=+=+=+=+=
時の権力者が、自分を正当化するために歴史を都合よく書き換えるのは許されませんが、史料がほとんど残っていないか、そもそもなかった時代や事柄については、脚本家の解釈や創作でもいいと思います。
視聴者も、1つの学説に基づくもので諸説ありということを理解した上でドラマを見ることには問題はありません。
ただ、歴史を知らない人が、ドラマJIN仁を見て、保険の仕組みを考えたのは坂本竜馬だと誤って認識していることも多く、注釈は必要かもしれません。
▲7 ▼1
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「刀伊の入寇」は藤原頼通のイメージが強いし、「まひろ」などというのは男の名前。紫式部のような美形ではないネクラを吉高由里子を演じるのはどうか。「源氏物語」が54帖なのかもよくわからず、「雲隠」で源氏の死が描かれていたという説もある。道長と紫式部が恋仲であったのかどうかもわからないのに、大弐三位の父親が道長とは。紫式部の時代よりも前に、平将門、藤原純友、の乱が既に起こっていて武士の時代を連想させてます。 所詮、テレビドラマなので、歴史評論家がつべこべ言わなくても良い。
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こういうことを言い出したら、最初に道兼がまひろの母を殺したことだって、子供とは言え下級貴族の娘と右大臣家の息子が交流持つことだって、おかしいじゃないかという話になる。 歴史ドラマなのだから、一定の史実をなぞることも必要だが、確定していない部分を現代に生きる我々があれこれ想像して物語をつくるのも、またドラマの楽しみだと思う。 末法云々の話は、言われればそうなのかもしれないが、限られた時間と放送回数、限られた予算、限られたスタッフで一から十まで再現もできない。 折しも今総集編を見ているけれども、平安時代を素晴らしい映像美と素晴らしい脚本で再現してくれた、近年にない傑作大河ドラマだと思う。
▲22 ▼3
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この7つの残念シーンは自分には受け入れられるものである。時代劇だからと言ってすべて史実に忠実にやっていたら感動もファンタジーもないつまらないものになってしまうだろう。脚色があるからこそドラマは面白くなる。ただ一つ注文を付ければ道長をもう少しブラックに描けばドラマに深みが出たと思う。
▲158 ▼34
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色々細かいことを言い出したらきりが無い。観る人が興味を持って楽しく視聴できたなら良いのでは。ドラマをきっかけに紫式部とその生きた時代を更に深く知るキッカケとなれば十分に価値あるドラマだと思います。
▲12 ▼4
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三国志演義や三銃士と同じ様にドラマですからね。都合のいいように主人公に動いてもらうのもありかと。史実を言うなら女性の化粧や言葉も全く違うと思いますしね。でも、このようにここは資料に基づいている、ここは創作と書かれた説明を読むのも楽しいです。
▲20 ▼0
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今年の「光る君へ」はドラマとしては面白くて好評だったので、主に脚本が褒められている傾向にあるが、この記事も指摘する通り、どうしても史実からズレる脚色は毎年のようにある。 別にそれはそれで構わないのだが、史実の部分と虚構の部分が素人では判別できない。 本来であれば、NHKの歴史考証の担当陣が責任を持って、実際の史実や歴史的背景などを解説する番組を別時間帯に放映すると良い(理想はドラマの直後に続けての放送)。 「そんなことをしたら、ドラマの面白さが半減してしまう」という懸念があるのかもしれないが、逆にますます興味を持って観てもらえる可能性もある。 実際に、今年の「光る君へ」は派手な合戦がほとんど無かった時代だったこともあって、歴史好き+平安文学好きの層をかなり巻き込んだ。 彼ら彼女らは、ドラマ放送後にSNSで個々に盛り上がったりしていたが、そこでは史実や文献資料の確認行為がかなりなされていた。
▲36 ▼4
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日本の時代劇、ドラマは全て水戸黄門、大岡越前、遠山の金さん、的なバラエティー時代劇の延長だと思っているので、どんな作品に対して歴史の矛盾を説いてもナンセンスだと思っている。ただ、過去にNHKのタイムスクープハンターというSFドラマがあったが、これ唯一リアルに再現しているなあと感心したことがある。登場人物の風貌が生々しく、埃っぽさや匂いまでも伝わってきた感じがした。史実を求めるなら先ずはこれくらいの時代考証演出は必要だろう。俳優は本当に月代入れたりお歯黒したりは必須でカツラや化粧する時点で冷めてしまう。 因みに海外ドラマ赤毛のアンでマシューの手の爪先が黒く、農民を再現していて感心した。
▲20 ▼2
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大河ドラマは毎回楽しみにして見ていますが、今回のドラマは面白かった。時代が古すぎて、明治期のドラマと違って祖父のお知り合いが出てくるとか先祖が出てくるという楽しみ方はなかったが。 さて、紫式部が道長の子供を出産したという設定です。 大弐三位の歴史的に確認できる最初の恋人が道長と高松殿(源明子)の次男の藤原頼宗。推古天皇が異母姉弟結婚らしいですが、そのあたりのタブーがこの時代にどの程度であったかですね。
▲32 ▼3
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こういう記事を待っていました。 同じような所でひっかかりながら見ていました。
大河ドラマを見ることにしたのは十数年ぶり、面白かったです。 大河ドラマの歴史に残る名作になると思います。
史実を(あえて)無視した部分は、 テレビドラマとして成立させるため、興行として成功させるため だから仕方ない。
ただ、ドラマ(フィクション)だから事実と違うとわかってもらえればいいけど、 これが平安時代の本当の生活だと思われると困るな、と。 平安期の実写化は少ないだけに影響が大きい。
自分の好みとしては、主人公二人の恋愛ストーリーが主軸の一つだったことが 合わなかった。 道長の死はあんな状況のはずがないというのと、 功績の大きい正妻との生活が数十年続き老年となっても、幼い頃からの純愛が実生活を越えるなんてリアリティがない。
なんにせよ、大河ドラマの寿命を延ばした傑作と評価すべきですね。
▲15 ▼26
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打毬を姫たちが観覧する場面もそうだけど伝承を真実とすると貴婦人は皆、みすの中、これではテレビドラマとしては無理だからやむなし。恋愛と結婚は歌は情熱的でも現代の自由恋愛とは違うわけで、言い寄るにしても双方の身分格式の上でのこと。呪いは濃く描いたけど当時は死は大変身近なことため仏への帰依は今とは全く違う。参詣も祈祷も本気と思われる。石山寺参詣は確かに余り外出できない貴婦人たちに多少旅行気分だったのは伝わるが。ラストの討伐見送りは残念。せっかく源氏物語主題な雅なシリーズのラストとして敢えて選ばなくてもよかろうに。未だ武闘時代には年月があります。宇治十帖は本人の手か、「と本には書いてある」、で終わってる続き55帖はあったのか?はもう少し楽しませて欲しかった
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大河ドラマ光る君へは、ご指摘の7つの点を含めて視聴者を惹きつける魅力的なドラマでした。 それはそれとして、筆者のご指摘の7つの点を踏まえた時代考証も興味があります。ぜひ、筆者にはNHKに企画を持ち込んでいただき、歴史教養番組の放送を実現させていただきたいものです。
▲26 ▼2
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様々な違和感についてほぼすべて賛成です。光る君への制作決定はたいへん嬉しいニュースでしたが、同時に脚本が大石静氏だと死ってガッカリもしました。大石氏の脚本は納得できない台詞や展開など無理や反故があり、他のドラマでもモヤモヤしました。今回ばかりは大好きな源氏物語の作者が主人公だったので全話見ましたが、やはり同じモヤモヤを感じました。
▲12 ▼19
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専門家の方から見ると疑問の部分は多かろうが、そこまでの知識がなく、それでもある程度、平安時代に興味をもっていた視聴者にとっては良いドラマになっていたと思う。 自身も時おり、さすがにこれは無いよなと思いながら、制作陣俳優陣の作り出す世界を楽しく見ていた。 時代考証を丁寧にする大河ドラマでも、全てを定説通りにしてしまえばドラマとしては面白味がないだろうし。 警察ドラマ、銀行ドラマだって、実際に現場で働いている人間から見ると荒唐無稽となる。 どれだけリアルを盛り込むかというところだろう。
▲27 ▼0
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このライターの記事を全部、読みましたけど、 欠点を並べたててはいるけど、何か浅い気がして、 どの項目も納得できなかったな 。 肩書きを見れば、 音楽も評論すれば 歴史も評論する「 何でも評論家」 さん。 ドラマは総合芸術なので、楽しもうとして見るのと、 記事を書くために欠点を見ようという姿勢で見るのとでは、 全然変わってくるから、 こういう記事になっちゃうんだろうね。
評価の基準とすべきは、 やはり 歴史や 古典の大学教授 たちが楽しめたかどうか。 今回は著名な 源氏学者山本教授が「一条天皇が私の推し」と言ったり、 中世の 鎌倉幕府に くわしい 歴史学者本郷 教授が、 「毎週、楽しみだったし、 素敵な 時間を過ごすことができた 」 と言っておられるのだから、 むしろ 歴史的な 大成功と思うしかない。
▲4 ▼3
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大河=史実をドラマにする、と思うかどうかによって違うんじゃないかな。 私がよく聴いているラジオでも、パーソナリティが「えーあれ史実じゃないんですかー」ってよく言ってて、そんなわけないやん…と私は思うのだが史実だと見てた人もいるだろうし、専門家的には色々言いたい人もいるだろう。
史実とファンタジーの境目を理解して見てた層には面白かったし、そうでなければ受け入れられない。それだけかと。
▲26 ▼1
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でも、見ているこっちも、歴史にうといながらも、「紫式部と道長が幼少期からの恋愛関係&ソウルメイトって、すごいフィクションぶち上げたな」と最初に思ったから、それ以後は「すべて虚構」という目で見ていましたよ。
「あれが平安時代の真実」とは思っていません。
道長の最期にまひろが寄り添ったのも、「そうじゃないと話の締めくくりにならないから」と理解して、その虚構の世界を十分に堪能させてもらいました。
確かに、思わぬところで旧知の人と偶然バタバタ出会いすぎるとは思いましたけれど。
でも、ドラマのおかげで和歌に興味を持ったし、「局」って何かか分かったし、学生時代はめんどくさいだけだった摂関政治について理解を深められたし、全体的な満足度は大きいです。
▲5 ▼1
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紫式部の須磨、明石、太宰府の旅は 記録には無いがあり得る話。 源氏物語に須磨、明石の帖があるくらい だから、旅してみようと思うだろう。 大宰府は遠いが須磨、明石から船で 瀬戸内海の旅なら女性でも行けただろう。 ただし従者は乙丸1人じゃなくて4、5人 はいないとおかしい。 紫式部が何歳まで生きたか不明だから 道長の死を看取った話はドラマ設定。 60歳位まで生きたとしたらありえる。
▲12 ▼0
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まず斜に構えるというのは斜めに見るという意味ではない 斜に構えるのは正眼の構え こういう基本的な誤用を平気でして残念もへったくれもないですな 歴史評論家ですかホントにw 光る君はまごうことなく近年で最もよくできた大河 女性にしか書けない視点解釈でうなりましたよ 多くの推測や超展開はあるものの 世の栄華を極めたとはいえ男にとっては一人の思い人を得ることのほうが 大切だったのではというのは古今東西よくある話 女性作家というものは女性脚本家でなくては見えないものがあったのだ と思いましたな 実際には多くの書き手が加わったと現在では推測される 源氏物語ですが書き手でなければわからない視点というのはあるものです その元ネタが作者の実体験によるものではないかという推測は 学者には出てこない発想 光る君は傑作です
▲1 ▼0
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あくまでドラマですからね。 史実通りじゃそれこそつまらないのでは? よく考えられていて色々後半へ繋がって、最後の方までドキドキハラハラがあり面白いドラマだったと思う。
▲2 ▼1
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源氏物語を通読した人であれば、記事の筆者の言いたいことはよく分かると思う。ただ、通読した人は視聴者の何割なのだろうかというところが気になる。恐らく、あまり多くはないと思うが、そうであれば、この大河ドラマが筆者の懸念通り平安時代の風俗について変な誤解が広まる原因になってしまったのではないか。脚本が大石静さんであることが発表された時から私も懸念を覚え、そのことをヤフコメに書いたが、その懸念通りになってしまった感がある。
▲4 ▼4
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ドラマですからね。 あまりに史実を忠実に描いても面白くなくなります。 光る君へは史実と創作部分の配分がとても上手くできていたと思います。 確かに太宰府のエピソードはいらないかと思いましたが予想外に楽しませてもらいました。
▲4 ▼0
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史実に忠実である必要は全くない、ドラマは歴史の教科書ではない上に歴史は日々書き換えられるもので固定したものではない。話し言葉を忠実に再現するのは不可能だろうが出来たら殆どの人は理解不能であろうし、風俗何て変わっているから違和感万歳になってしまう。 歴史おたくの趣味に媚びるのではなく面白いものを提供してくれた方がよい。
▲20 ▼4
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1年間楽しみにドラマを見ていたものです。今ドラマが最終回を迎え、みなさんが余韻に浸っているときに、これを記事にする意味がよくわかりません。 歴史のお話とドラマを一緒にしてこのような記事を書く意味あるんでしょうか? とにもかくにも、今日は楽しみに総集編をみてさらにひたひた浸ります。
▲156 ▼36
=+=+=+=+=
私は子供の頃から、大河を何度も完走してるんだけど、「光る君」は決して、傑作ではないと思います 合戦シーンもなく、一年もたせたのは凄いと思いますが・・・ 確かに大宰府での偶然、偶然の繰り返しは、白けましたし 何より賢子を、道長の子にしたのは、やりすぎだったかな
せっかく源氏物語というベースがあるのだから、それをストーリーに絡めるシーンがあったら、と感じます
▲39 ▼120
=+=+=+=+=
「これがなければ「光る君へ」は傑作になっていた」 とは言うけれど、信頼出来る一次資料が乏しい平安時代を舞台に歴史より思い切って恋愛に舵を切って描いたのは良かった。 可能な限り歴史評論家の言う通りにドラマを描いたら、制約ばかりで何をやっているのか理解出来ずつまらない展開の連続だったと思う。
▲5 ▼0
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エンディングの武士の世が来るには違和感がありましたが、それ以外は脚本家の想像力でフィクションとして許容出来るし、大昔の平安の世なので筋立てが面白ければ良いと思います。
▲5 ▼4
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紫式部は史実を取り入れながら源氏物語というフィクションを書いた。 大石静は史実(源氏物語も含む)を取り入れながら光る君へというフィクションを書いた。
大石静版源氏物語。だから、賢子が道長の子もあり、刀伊の入冦に遭遇もありだと思います。 こんな風に書かせてもらえて、ドラマになる。作家冥利につきるでしょうね。
紫式部の晩年が不明ということは、重要視されていなかったということなので、道長が紫式部を重要視していたとは誰も思わないですよ。
▲12 ▼8
=+=+=+=+=
そんなことは思わないくらい良いドラマだったよ… 別に歴史ドキュメントでもないしもしかしたらそうかもって話で成り立つならそれで良い。大河はドラマなんだから… 没年不詳なら何が正しいとかないのだから歴史的に重要だし安倍晴明や藤原伊周隆家兄弟とかの絡みで見たいエピソードであったから上手い具合に不詳の晩年にフィクション作品ドラマだと分かっててもあって良かったと思う…
▲6 ▼1
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はいはい。 じゃあ あなたが完璧な大河ドラマの脚本を書いてご覧なさい。 と言いたくなる。ドキュメンタリーじゃないんだから… ラストにねじ込んできた「刀伊の入寇」にはサプライズ感があった。 未来の世を示唆してるのだろう武士(伊藤君)の活躍も、駆け足ながら印象深かった。
紫式部をヒロインとした平安時代の大河ドラマ。そもそも題材が難しく、前人未到感すらある。 連続ドラマとして頭から最後まで一年間飽きさせず、脚本家のとてつもない才能を感じた。 いったいどれ程の古典や歴史の資料を読み、時代を理解し、ストーリーを練り上げたのだろうか… ロマンスあり覇権争いありドロドロありの平安絵巻、最高に面白かった。 美術も衣装も演出も素晴らしかった。 過去の大河ドラマも好きな作品がいくつもあるが、個人的には傑作だと思う。
▲2 ▼0
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平安時代をリアルに見せてくれて本当にうれしかった。ダメ出しをあえてすると、紫式部が藤原道長の妾、愛人だった、娘の大弐三位が道長の隠し子だった、って結構衝撃的。ドラマ後だと定着してあたりまえになってるけど。道長と中関白家との壮絶な権力争いがいっさい省かれ、ひとり中関白家の自滅、と描かれたのはひどかった。伊周はひど過ぎる描写でした。
▲5 ▼0
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こういう専門家の意見も踏まえて「なるほどそうなのか」と思いつつ、まあ実際のそれはそうとしても、ドラマとしては秀逸であったと思います。我々視聴者もそのへんも充分理解して楽しんでいたつもりです。
▲3 ▼1
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7位と6位は演出・ストーリー内容の問題で、「歴史評論家がどうしても看過できなかった」という様な史実に反する問題ではない。 道長と紫式部は一定期間恋人だった可能性があるという学説があるのだから、フィクションとして子供がいたとしても問題はない。グレーゾーンをフィクションとして盛った訳だが、フィクションとしては不自然ではない。
▲20 ▼2
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最近ちょっと興味があって地域の歴史をまとめた本を読んでます。 平安末期のあたりで藤原頼通の名前が出てきて「おおっ」とか思ったところです。 このあたりではあちらこちらで都の有力貴族が地頭や在住の下級貴族を使って私有地としての荘園を作りまくり、そのことによる他勢力の争いを解決するために地元の武装集団を囲い込んだりしていたらしい。 道長が憤っていたのは、こういうことが日本中で起こっていたからなんだろうな。 都にいれば武士の世を到来させるのはもっと先だったかもしれないけど、紫式部ではなく「まひろ」は都を出たのだからあのように感じてもおかしくないと思う。
▲13 ▼0
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ファンタジー小説が史実と違うと批判してもね。推理小説で殺人事件の舞台になった場所では実際に殺人なんか起きていないから事実と違うっていうくらい無粋なのでは。ファンタジーはファンタジー、史実は史実として混同することなく別に学べばいい。
▲1 ▼0
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リアルタイムで観てます 改めて 藤原道兼が落馬した時の従者の余計な一言が この物語の起点だなぁと感じる まひろの恋文の代筆の件が まるっとカットされていたのは哀しかった 好きな件でしたが仕方ないですね
▲1 ▼0
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前作「どうする家康」同様、史実と違うからドラマの質が落ちるのではない。こう行くと決めた史実とは異なる設定の中で、せっかくのそれを台無しにする筋の通らないことが起きるから違和感ぶくぶくのお粗末が生じる。「光る君へ」では道長は出世権力に興味の薄い、史実とは真逆な人物として置かれ、紫式部(まひろ)との交情は「位低き民でもよりよく生きられる世」をまひろのために実現するという誓いのもとに生まれた。だから道長がまずは自分への権力集中に励むのはいいのだが、事が成ったあとも民のために何かしようとするでなく、まひろも気にするふうもない。最後の方で道長が「何もできなかった」と言いまひろが「平穏な世を作られました」と慰め、あ、二人とも気にはしてたんだ…とわかるのだが(伏線回収?)お茶を濁された感半端ない。まあ現実世界ではそんな尻すぼみがむしろ通例なので妙なリアリティがあるはあるのだが、作者の狙いとは違うだろう。
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
難癖としか思えないが。 ただ浄土信仰やエピソードにはいくらかの共感も出来る。恋愛の仕方や顔を見せ過ぎなどの指摘はドラマ(テレビ)である以上仕方ない。顔の見せないドラマや手紙だけのやり取りにしたらそれこそ批判を浴びるだろう。 道長が出家したのは浄土信仰の為というのは共感する。そこはまひろと切り離しても良かった気がする。 道長もまひろも浄土信仰を目指したというのは疑問。 紫式部は物の気はまさに罪悪感としており超リアル主義。どこまで信仰していたかは疑問。 一位の摂関政治全盛だから武士の予感は早すぎるというのは全くの間違い。 刀伊の入寇はまさに武士の台頭を予感させる事件で西国武士はその後も崇めた程。 一方で蝦夷征伐から始まる東国武士は遅れをとる。 まさにその後の歴史そのもの。 歴史は全盛期に終わりが始まっている。徳川全盛期の五代将軍もそうだがその後15代まで続いたのはやはり称賛に値する。
▲1 ▼1
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まぁ、「ファンタジー大河」だったことは間違いないですね。 無理矢理道長と縁を続かせる設定としたためか道長との不義の子まで設けたという設定まで作り上げて・・。 しかもその子をその時の夫の子として育てるという厚顔ぶり。 これでは紫式部の顔に泥を塗っていることになると思わないのか? 脚本家がここまでいい加減だと歴史上の人物の評判も落とすことになりかねないと思うけどね。 最初から架空の人物で恋愛ファンタジードラマを作った方がまだよかったのでは? それこそ「源氏物語」を原作として光源氏を主人公にすればよかったものを・・。
▲7 ▼4
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ドラマは脚本ありきのもので、私も色々違和感はありました。紫式部が日記で清少納言をあんなに悪く書いていたのに、友人とか… ただこのドラマを見ていた人達はドラマを史実と信じてしまうのでしょうが、あの時代は分からない事も多いのも事実ですね。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
吉高由里子を据えちゃったらそうなっちゃうわなという演出は多々あった 例えばこれが伊藤沙莉だったらどう演出に変化があるのか? という感じで主演によって演出プランが変わる オーディションではなくオファーなら尚のこと 時代考証での不満は解消できると思うけど、人物の描き方やドラマ性は演者で違うので、そこを突くのはちょっと意地悪かなとも思う
▲9 ▼2
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ご指摘の通りにあったにせよ、これは教育番組ではなく、日曜日の夜家族団欒中にみせるのにつくられるドラマで、どちらかと言うと完璧な史実より多少の娯楽的な要素がなければ逆にそれはそれでたたかれる。致命的な欠陥がなく大筋で合っていればそれでいいかと思いますけどね。
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望月の歌をうたい、我が世の春を謳歌していた道長だったが、本当に望むもの全てを手に入れたのだろうか? 唯一手に入らなかったもの、それがまひろであった。
みたいなオチに持っていくのかと思ったぐらい、恋愛ドラマでした。 昔の月9より恋愛ドラマでした♪
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いろいろ気になってしまう・・のもよいドラマだったからではないですかね。 東洋美術の専門家が『食器の時代考証がなっていない』とお怒りだと聞いたりします。きっと駄作だったら気にもしないでしょう。 私も最初は高貴な姫君が顔むき出しの現代語せりふ回しにぎょっとしましたが、御簾越しで女房を介した間接的なコミュニケーションじゃドラマ進まないもんね、と途中から割り切りました。白木の御殿に十二単が集う映像は圧巻で、初めて受信料が報われた気がしたものでした。 時代背景として 確かに当時の浄土思想にはほとんど触れられておらず恋愛描写にすり替えられた気がするのは同意です。しかし、さすがに浄土思想を1年のドラマで現代人に理解させるのは無理なんじゃないでしょうか。 病気や出産・天災などに際し 具体的な対策を練らずに祈祷してしまう1000年前の発想を描いてくれただけで 結構うれしかったんですけど。
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ドラマに照らせて史実を伝えてくれるのは自分としてはありがたい。視聴直後なので、興味あるし理解もしやすい。 歴史専門の人はその人で一生懸命歴史の事やってるのだろうから、一言言いたいのも分かる。 ただドラマが残念という言い方は、度を超えてるかなと感じる。実際はこうだったんですよ、でいいでしょう。 同様に、どうせ過去の事なんて見たこともないんだからどう書いたっていいでしょ的なコメントは、歴史を軽視しすぎかなと思う。
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ドラマに脚色は付き物で、それがなければ成立しない。 ドキュメンタリーは脚色がないから話が淡々と進み、退屈に感じることさえある。 『光る君へ』の脚色はドラマとしては正解だったと思う。大河ドラマはドキュメンタリーではないから。
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フィクションであり、歴史に題材を取ったドラマにしか過ぎません。 だからおっしゃることすべて無問題ですね。 そんなにおっしゃるなら、ご自身でどうぞドラマなり映画なり作ったり、小説を書かれるなりされたら良いのです。 評論家とか研究者って、って言われる最大の要因が「自分では出来ないのに勝手なことを」だと思いますね。
▲1 ▼0
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確かに最終盤の急な展開は、ちょっとそれまでとは違和感を感じるのだが…。まあ登場人物たちのその後を見せてく為の展開だったのだなと最終回を見て理解した。あそこからもう最終回が始まってたのね。
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歴史を知ってる(一応史学科卒。専攻分野は平安時代ではない)者としては、あの姫君たちのアッパッパー具合とか、ものすごく気になりました。 御簾は香炉峰の雪を見るためだけに使うアイテムではないよ?帝と臣下を隔てるだけでもない。 あんな階に出て〜とかは思ってました。 けど、ドラマなんだしって割り切り。 歴史といろいろ違う部分(史書に残されてる部分)と違うのは、いつものことだし。(そんなこと言ったら、マロ眉とか。後の時代だとお歯黒とか) 大河ドラマは、あくまで「歴史を題材にしたドラマ」なので、面白ければヨシです。 あと、清涼殿とか「こんな感じだったのかなあ」とイメージしやすくなった。うれしい。
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例えば、『江〜姫たちの戦国〜』では、江が家康と伊賀越えをしたり、清洲会議を盗み聞きしたりと、無理やり全ての歴史事件に関わっていた展開が視聴者から批判され呆れられた。確かにこれはやりすぎ。しかし、視聴者がよく知る戦国と、知らない平安では違う。知識がない平安をまず受け入れてもらうためのフィクションはあり
脚本の大石さんも言っていたが、ラストは時間が足らなかったのだろう。道長の子供や道綱らの死はナレ死やムシ(無視)されたし、周明も再登場してから死までがややあっけなく、時間が足らなかった気はする。また、大石さんは最初からラストは武士の時代を予感させる展開を考えていたらしい。道長がやたら武士を危険視するなど、やや歴史の結果ありきの予定調和的強引さもあったが、結果的に視聴者も驚いた「道長様、嵐が来るわ」に繋がったのだから良かったのでは。視聴者が次の古代ドラマを受け入れられる準備は少し整ったかな
▲13 ▼1
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賢子の件は、血筋柄この親子がここまでの 出世を遂げることは本来相当厳しかったはず ですのでそこをドラマ化したのでしょう それを言うならそもそもこの2人が幼い頃 に道端でバッタリ会うことからしてあり得 ませんので
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今の世は批判することが常になっていますが、一般的な史実とドラマは違うと言うことを理解して観て、そして感じ入っているのだから良いのではないでしょうか。これだから傑作では無いと表現するのは如何なものでしょう。
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現実に即して女性は顔を見せない・基本恋愛のやりとりは文、を直接表現したらなかなか構成が難しいし余計に尺取られて書きたい部分を書けなくなる。多分つまらないつまらなくない以前に構成が難しい。映画ならそこにこだわっても成立するけど50話近くだよ? その辺こだわって観たいならメタファーみたいに脳内変換すればい。告白場面は実際は文のやり取り、顔を見せての会話は女房を介して話していた、と。 他にも言いたいことたくさんあるけど、再現VTR見たいんじゃないのよ。ドラマを見たいのよ
▲2 ▼0
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史実に忠実にと言うなら先ずは京言葉じゃないとおかしいのだけどあくまでドラマだからね。 色々ご都合主義な部分はあったとしてもドラマとしては素晴らしかったと思います。
▲6 ▼3
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司馬遼太郎をノンフィクション作家と思っている日本人。 『坂の上の雲』、『竜馬がゆく』が事実と思っている日本人。 『光る君へ』が事実と思う日本人。 仕方ないかな。 ある時、歴史の論文を読んでビックリする。 司馬遼太郎も『光る君へ』も事実と違うと。 世界中の偉人伝説も事実と違うでしょう。 まぁ、世の中、そんなもの。
▲1 ▼0
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うーん、この7つを言う通りにやってたら凄まじく駄作になってたと思う。 むしろ、指摘されたところ全てが逆だったからこれだけ傑作になったとすら思う。 大河ドラマがつまんなくて誰も見なくなってきてたのはこういう歴史専門家だか評論家だかの意見を聞きすぎたからなんだなーと実感しました。
▲1 ▼3
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過去に「映像が薄暗くて見づらい」と揶揄された作品があったが、映像的な観点で光る君へは素晴らしかった。文字通り出色の出来映えと讃えたい。
▲13 ▼1
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そもそも記事のタイトルの日本語がなってない(笑) 「シーン」じゃなくて「設定」ね。 「光る君へ」は傑作だったと筆者も認めているのだから、「なっていた」では「駄作だった」ってことになる。ここは「もっとよくなっていた」と書かないと。 ちなみに「残念」ではなく「違和感」があったところは7つどころでは済まないし、 7つに絞ったとしても順位が全然違う。
数々の慣習(結婚)や所作(顔を見せない、身分の高い女性は立って歩かない=膝行する)についてはまとめてしまうとして…… 史実と違っているにしても、「ドラマだから」で済むことと「いくらドラマだからって、それはない」ことがある。 そういう観点からだと、人物の心情や史料にない行動については前者となるし、「石山寺での一夜」の「シーン」と「賢子の父」の「設定」は明らかに後者といえよう。
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歴史専門家からすればツッコミたいこといっぱいでしょうけど、史実通りにドラマを描いたら、ここまでエンターテイメントにはならなかったでしょう。 平安時代に興味を持つきっかけになった人たちが増えたと思います。
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専門家が作品を楽しめなくなるのはあるあるなのかも。とある物理学者もSF作品はいろいろ気になってしまうからあまり見ないと話していた。全然関係ない世界の方が楽しいと
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大河ドラマは歴史が題材にあるものだから、基本的にはそれに沿って描く必要があるが、所詮創作物でファンタジーなのであり、どうしても弄ってはならない部分を除けば、後はいくらか妥協しても、そこまで文句を言う視聴者は少ないだろう。
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1000年以上も前のことを正確に描写するのは事実上不可能。文献も少ないことだし。娯楽エンタティメントとして、深く考えないで見たら良い。大河ドラマが歴史的事実を語っていると思っている視聴者は殆どいないだろう。
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この記事を書いた香原斗志という人は、「光る君へ」が放映されるたびに、史実はどうのとあら探しをしてはケチをつけるようなコラムを毎週配信していて、なんでだろうなと思っていた。「光る君へ」の時代考証を担当した倉本一宏氏に対して、やっかみや嫉妬心みたいなものがあるのかなあ。そもそも同じ土俵に乗れる立場ではないと思うんだけどね。
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