( 241341 ) 2024/12/29 17:26:34 0 00 スズキの鈴木修さん(インド西部グジャラート州) - 写真=AFP/時事
12月25日、スズキ元会長の鈴木修氏が94歳で死去した。1978年から43年にわたりスズキの経営トップを務め、日本車メーカーとして初めて進出したインドではシェア1位を獲得するまでに成長を遂げた。生前に鈴木氏を取材したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。
■インドの自動車産業の父
オサム(鈴木修)さんが亡くなった。1930年生まれの94歳。オサムさんは一歳年下の高倉健さんが好きだった。そして、豊田章一郎さんと章男さんのことも好きだった。
オサムさんは章男さんについて、こう言った。
「立派な経営力があります。尊敬してますよ。章男さんはリコールに際してアメリカに飛んでいかれたんです。素晴らしいことだと思います。身体をはってトヨタ自動車と豊田家を守った。身体を張ったんです」
「オサムさん」と書くのはスズキのインド工場の従業員がそう呼んでいたからだ。彼らは「オサムさん」もしくは「オサム会長」と日本語で言っていた。「オサムさん」と言う時、インド工場の現場の人たちはニヤッとして、口を開けて笑った。よほど好きだったのだろう。
現場の人たちはオサムさんがスズキのトップで、インドの自動車産業の父だと理解していた。
オサムさんがインドで車の生産を始めたのは1983年だ。それから42年がたった。現在、スズキのグローバル売上高(連結)は5兆3,743億円。そのうち2兆2352億円がインドのそれだ。生産台数では全世界327万台のうち198万台がインド製である。
これまでインドで生産した累計台数は3000万台。単純に考えれば3000万人のインド人がスズキの車を買っている。買った人が家族や友人を車に乗せたとする。1台当たり6人を乗せたとすると、2億人近いインド人がスズキの車を体験している。2億人のインド人に乗車体験を提供したのがオサムさんだ。
■「儲けは小さくていいんだ」
オサムさんが海外に進出したのは「どこかの国でナンバーワンカンパニーになる」ためだった。
「一等賞を獲らないと元気が出ない」からというのがその理由で、最初に進出したのはパキスタン、次がハンガリーだった。インドの影に隠れているけれど、スズキはパキスタンとハンガリーでもナンバーワンシェアだ。
海外に進出する時、オサムさんが決めたのはエントリー層の客を大切にすることだった。初めての人が買いやすいようにコストを下げ、売り値も安くした。
「儲けは小さくていいんだ」と言ったのもオサムさんである。
また、初めて車を買う人たちの気持ちを考え、納車式をインドに持ち込んだ。納車式といっても今の若い人は知らないだろうけれど、かつては日本でも盛んだった。1960年代のモータリゼーションの頃、車を買うことは一大セレモニーだったのである。
車を買う時はユーザーだけでなく、家族や親戚一同を引き連れて自動車販売店を訪れた。販売店で納車式を行い、その後、ユーザーは自身の新車を運転して自宅に帰り、飲めや歌えの宴会を行ったのである。
■「お客様は神様」がインドで受け入れられた理由
スズキは人口が1000~2000人という小さな村にもサービス工場兼販売店を置いている。販売店の営業マンたちにとっては、初めて車を買うユーザーのために納車式を司ることも仕事なのである。スズキがインドでシェア40%を達成しているのは人々に「初めて車を所有する喜び」を提供し続けているからだ。
オサムさんは客を大切にする人だった。
スズキのインド販売店に行ったら、英語で「The customer is God」と標語が貼ってあった。「お客様は神様」である。
デリー郊外にあった販売店のインド人店長はこう言っていた。
「『お客様は神様』はインドに昔からあるサンスクリット語のことわざです。私たちはそんな気持ちでお客様に接しています。
そして、マルチ・スズキ本社とオサム会長からはつねに言われています。『新車を数多く売ることよりも、とにかくお客様を大切にしてください。お客様は神様ですよ。お金をくれる神様です』」
オサムさんは販売店がある小さな村には自動車教習所を作り、病院も建設した。インドの人たちがスズキの車を買うのはオサムさんがインドの人たちの味方だとわかっていることもある。車を売ることだけが目的ではなく、インドのために尽くす人だとわかっていたのである。
■幹部が衝撃を受けたオサムさんの行動
オサムさんは初めてインドに工場を作った時から、従業員と一緒に食事をした。カースト制度がある国だから、インド人幹部は自分たちの執務室で食事していた。しかし、オサムさんは従業員の列の後ろに並び、同じカレーを食べた。
オサムさん自身はこう言っていた。
「インドにはカースト制度が生きていますからね。私どもが工場を建設した時、私は食堂で一般のワーカーと列を作って並んでいました。カーストが上の幹部は事務所の2階から列にいる私を見て、口を開けて、なんともいえない顔をしてました。でも、半年で変わったんです。
私は当時、毎月、インドの工場へ行きました。いつも、ワーカーの後ろに並んで、自分で食事を運びました。半年、それをやったら、カーストが上のマネージャークラスの人がワーカーと同じ食堂に並ぶようになりました。上から目線だった態度が変わったんです」
オサムさんはこの話が大好きだった。そして、現地の工場のワーカーたちもまたこの話が大好きだった。
■ファンだった高倉健さんとの思い出
ふたつのエピソードがある。
2005年に公開された映画『単騎、千里を走る。』の取材でわたしは中国の雲南省へ行った。親子の情愛を描いた作品で、主演は高倉健。監督は中国でナンバーワンの監督、チャン・イーモウだ。
高倉さんはたったひとりで中国ロケに参加していた。劇中、主人公役の高倉さんが中国人に自分の意思を伝えるために旗を使う。大きな旗に漢字を刺繍し、漢字の意味を使って自分の意思を伝えたのである。
高倉さんは「中国に不案内なわたしに力を貸してください」と言う代わりに『助』という旗を出し、相手の中国人が「わかりました」とうなづいたら、今度は『謝』という旗を出した。中国人にふたつの文字を見せて、意思疎通をはかるという重要なシーンだった。
わたしは高倉健さんとオサムさんのために漢字を刺繍した旗をお土産にしようと思った。そこで、一日かけて製造する会社を探し出し、「映画に出てくるのと同じ旗を作ってください。文字は『気』です」と頼んだ。
「気」は高倉さんが大好きな言葉だ。そして、オサムさんの旗も「気」という文字にした。オサムさんが高倉健のファンだと言っていたこと、スズキ販売店の人から「サインください」と頼まれた時、オサムさんは必ず「やる気」と書き添えていたからだ。
そうして、「中国のお土産です」と旗を渡したら高倉さんもオサムさんも喜んでくれた。
■豊田章男会長が語った「憧れのおやじさん」
トヨタの会長、豊田章男さんもまたオサムさんを「修さん」と呼んでいた。亡くなった後、章男さんはお悔やみの文章を発表している。深い哀しみがこもった文章だ。
「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。 ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。
2016年の共同記者会見。修さんは『経営者には「これで一段落」ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。
40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました」
■世界に誇る「日本の自動車」を広めた人だった
「ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。
『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』」
オサムさんは豊田さんのことを「章男さん」と呼んだらしい。そして、「自分は叔父さんだ」とも言っていたという。章男さんのお父さん、豊田章一郎さんのことを5歳上のお兄さんとして慕っていたからではないか。オサムさんは豊田家にとっては「おやじ」であり、「おじさん」だった。
オサムさんはインドの人たちにとっては自動車産業の父だ。高倉健さんにとってオサムさんは同年代の仲間だろう。そして、豊田章男さんにとっては憧れのおやじさんだ。
私たち日本人にとってのオサムさんは尊敬すべき経営者であり、インド、パキスタン、ハンガリーと日本を結び付けてくれた人だった。
---------- 野地 秩嘉(のじ・つねよし) ノンフィクション作家 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。 ----------
ノンフィクション作家 野地 秩嘉
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