( 241978 ) 2024/12/31 03:18:31 2 00 9年で668社の神社が減少 危機の「祭り」に女性や地域外の人たちの参加、マッチングサービスも #絶滅危惧文化Yahoo!ニュース オリジナル 特集 12/30(月) 18:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/bb6c9c6a662691c4eeebbbeb128ee1eb557046ef |
( 241981 ) 2024/12/31 03:18:31 0 00 神楽の舞を披露する子どもたち
高齢化や人口減少が神社や祭りにも影響を与え始めている。文化庁の調査では9年間で668社の神社が減少。また、祭りも減りだしている。地域住民が参加する祭りは人手がなければ成り立たない。そこで、国指定の重要無形民俗文化財の祭りでも、地域によっては伝統の解釈を変えるなどして、祭りの維持に乗り出している。女性や地域外の人たちの参加のほか、マッチングサービスを始めた自治体もある。長野の霜月祭や専門家などを取材した。(文・写真:サイエンスジャーナリスト・緑慎也/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
肌を刺す冷気が漂う山深い谷間、川沿いに立つ社殿から漏れ聞こえる笛の音が静かな夜を満たす。夜が更けるにつれて人々が続々と集まり、湯釜の周りで踊る白装束の舞い手を囲み、社殿を埋めていった。参拝客は約100人。空が明るみ始めた午前6時半頃、天狗の面(おもて)を着けた男が現れ、煮えたぎる湯を素手で払う儀式が始まる。飛び散る湯に歓声が響き渡り、祭りは最高潮を迎えた。
2024年12月11、12日、長野県の南端に近い飯田市上村。正八幡宮(上町地区)で一昼夜をかけた祭りが行われた。遠山地方の神社で奉納される「遠山郷の霜月祭」だ。約800年の歴史を持つ重要無形民俗文化財だという。
霜月祭の湯切り
それだけの歴史ある祭りだが、近年、新しい取り組みを始めた。女性の参加だ。
この日、社殿の中央、湯釜の周りで舞う男性たちの中に、神楽の調べに合わせて足を運びながら扇を広げ、優雅な動きを見せる若い女性の姿があった。同地区出身の会社員、坂井優花さん(仮名、24歳)だ。3年前から参加していると坂井さんが言う。
「今年は県外へ転勤したので、(釜を加熱する装置である竈〈かまど〉に火を入れて行われる)宵祭りには参加できませんでしたが、限られた時間でも(本祭りの)霜月祭に参加できて良かったです」
霜月祭はもともと女人禁制だ。舞うのはもちろん、竈の作り替え、焚き物、食事の準備などの一切が地域の男性住民の手によって行われるのが習わしだった。正八幡宮の宇佐美秀臣宮司(66)によれば「昔は女性が神社境内の掃除をすることにも抵抗感を持つ人が多かった」という。
しかし、その習わしを維持することは近年難しくなった。上町地区の世帯数は約50戸、平均年齢は約70歳に達した。都市部への人口流出による過疎化と少子高齢化が進み、祭りの担い手不足は年々深刻さを増した。このままでは祭りを絶やすことになりかねない――。そう危惧していた宇佐美宮司は、ある出来事をきっかけに女性に参加してもらう決断を下した。
「2020年、古事記、日本書紀が生まれてから1300年の節目を記念した、宮崎県の『記紀編さん1300年記念事業』で同県に招かれ、我々の祭りを披露しました。このとき、九州の祭りの関係者が祭りを維持するため、女人禁制を解くことを検討していた。それを聞き、だったら我々もそうすべきだと痛感したんです」
長野県飯田市上村上町の正八幡宮
女性参加に否定的な意見が住民の間にあることも分かっていた。そのため、宇佐美宮司は「意味づけ」を考えた。
「祖父が宮司の時代には、すでに祭りの日の食事を準備する役割は女性が担ってもよいとされていました。各家庭から男性に出てもらい、祭りの手伝いをしてもらっていたのですが、当時すでに女性1人だけの世帯もあったからです。そこで『うちのじいさんの頃から私たちは祭りの日、女性が作った料理を食べてきた。将来、女性が舞う状況が来る準備をしてくれとったんだ』と意味づけて、納得してもらいました」
2020年12月の祭りで初めて宇佐美宮司の妻が最初の舞い手となり、翌年、坂井さんが続いた。
こうした判断は結果として、霜月祭にとってはよかった。遠山地方では担い手不足により祭りを中止した地区もある。かつて遠山郷の霜月祭は17社で営まれたが、今では8社にまで減っている。そんななか、上町では祭りの継承に向け、女性にも参加してもらうことで祭りを続けている。
真ん中で舞うのが坂井さん
「本来の姿を変えてまで続けるのは違うとなった地区もある一方で、上町では形を変えてでも先人の伝統をつないでいきたいという気持ちの方が強かったのだと思います。私はこのように維持していくのに一定の意義は感じています」(坂井さん)
祭りが全国で減っている。毎日新聞の無形民俗文化財アンケート調査によれば、都道府県が指定する無形民俗文化財(1737件)のうち93件が休止状態にあり、1975年に現行の指定文化財制度が始まって以来、指定を解除された祭りや行事は9件あるという(2024年11月6日の記事)。市町村が指定・選定する6541件や、そもそも指定・選定されていない祭りになると、さらに多くが休止に追い込まれていると見られる。
祭り休止の次の段階として懸念されるのは、そんな祭りの舞台でもある神社の消滅だ。実際、文化庁宗務課による宗教統計調査では2015年以降急減し、8万1237社だったのが2024年には8万569社と9年間で668社がなくなっている。
(注:「宗教統計調査」の発表数は前年調査した神社の数だが、上記表では発表した年の数を掲示した)
神社がなくなるとは何を意味するのか。
「法的には、宗教法人格が一つ減ることを意味します。単に解散だけのケースもありますが、多くの場合、解散と同時に企業の吸収合併に相当する神社合併が行われます」
そう語るのは、宗教法人の行政手続きを専門に扱う行政書士で、自身も富士浅間神社(群馬県)で神職の役職の一つである禰宜(ねぎ)を務める小峯孝洋さんだ。神社合併では、その神社の氏神に他の神社へ遷(うつ)ってもらう合祀祭と呼ばれる儀式が執り行われるという。
その前に必要なのが宗教法人法に基づく法律上の手続きだ。まず対象となる神社が所属する包括団体(多くの場合は神社本庁)に合併を申請する。次いで、神社の掲示板などに公告文を貼りつけて地域に合併を周知する。最後に各都道府県庁に申請し、審査が通ったら、法務局で合併の登記を行う。その段階で合併される側の元の宗教法人が解散される。
ただし、法的手続きだけですべて解決するわけではない。減少中とはいえ、今なおコンビニエンスストアの数(2024年11月現在、5万5692店)より多い約8万の神社が全国各所に鎮座している。それに対し、宮司など神職の数は約2万人。じつは、神職はその人数の4倍にあたる神社を管理している。それを可能にしているのが複数の神社の兼務だ。多いと30社以上を兼務している宮司もいると小峯さんは言う。
富士浅間神社の禰宜で行政書士でもある小峯孝洋さん
「地域で神社を支えるのは氏子ですが、その氏子が極端に減ってしまうと、祭りや境内の維持管理もできなくなっていく。資金不足状態に陥り、宮司は周辺の神社との合併を考え始めます」
法的手続きを行わず、管理者である宮司がいなくなった神社は不活動宗教法人となる。そうなると、乗っ取られて脱税などに悪用される恐れがある。したがって、実質的な活動がなくなった段階で、解散・合併手続きをするのが望ましいが、実際には合併せず、放置されている神社が多いという。
「合併の手続きは煩雑で、費用もかかるからです。数は少ないとはいえ残っている氏子にとって愛着のある神社から氏神がいなくなるのはつらいことでしょうから、宮司から『もう合祀しましょう』となかなか切り出しにくい事情もある。私も神職なのでその気持ちはよく分かります」
「地域の過疎化と高齢化により合併ということになりました。今では合併済みの神社はすでに草に覆われ、木が社殿を貫くなど、社は朽ち果てつつあります」
8年前に兼務社の合併手続きを行った北関東の神社の関係者はそう語った。地域の氏子との間でどんな議論があったかについては、口は重かった。
氏子あるいはその地域の人にとって、祭りなどの行事で長く親しんだ神社がなくなることは地域のアイデンティティーの喪失にも近い。
國學院大學神道文化学部教授の黒﨑浩行さんは、「神社やお祭りは地域コミュニティーの再生に貢献しうる」と指摘する。
國學院大學神道文化学部の黒﨑浩行教授
黒﨑さんは2011年3月11日の東日本大震災以降、岩手、宮城、福島の神社を巡り、復興過程を調査してきた。特に注目したのが祭りの役割だった。
「住民が多数亡くなったり、神社が倒壊・浸水したりするなどして、2011年には祭りの休止を余儀なくされた地域が多かった。しかし、その後は祭りを再開することが復興への第一歩だといった声をよく耳にしました」
ただし、地域によっては、住民だけで祭りを再開するのが難しいところもあった。そうしたところで導入されたのが、地域外の人々を祭りの担い手として確保する試みだった。黒﨑さん自身、2012~2013年に宮城県女川町や岩手県大槌町で神輿(みこし)担ぎや山車引きを手伝った。当初は葛藤もあったという。
「祭りは本来、地域住民のものです。その主体性や継続性を考えると、外部の人間が関与するのは本来好ましくない。しかし、支援する側、受ける側が、祭りを通じて縁を感じる経験にも価値はある。そう考えると、外部の支援が入ることもいいのではないかと思いました」
津波に襲われた宮城県気仙沼市唐桑町の宿浦地区。同地区に鎮座する早馬神社で毎年10月に行われる神幸祭(しんこうさい)も現在は地域外の人々の支援により成り立っているという。
宮城県気仙沼市の早馬神社の神幸祭(austro / PIXTA(ピクスタ))
「もともとは宿浦地区の家の長男たちが神輿を担いでいましたが、1990年代には少子高齢化の影響で担ぎ手が減り、祭りの継承が困難になっていたんです。それで気仙沼市の漁協青年部など宿浦地区外の人々に声をかけて早馬神輿会を結成し、日程も多くの人が参加しやすい日曜日に変更したそうです。そのおかげで震災の年も神輿を上げることができ、その後も祭りが維持されています」
こうした地域外の人による神社や祭りへの支援は、いまや全国的なものだ。
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( 241982 ) 2024/12/31 03:18:31 0 00 =+=+=+=+=
ライフスタイルが変わってきて、もはや氏子だの檀家だのといった発想が希薄になってきている。私は40代半ばで既に父親を亡くしているが、正直父を永代供養したかったのに、寺の縛りでそれが叶わなかった。その寺自体が後継者がいない(息子は一般サラリーマンで寺を継ぐ気なし)のに、何でそこまでしきたりに拘るのか?と未だに思えてしまう。 あと、PTAや子供会なんかも、在り方を見直して欲しい。
▲1833 ▼182
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地元の祭りは県から指定無形民俗文化財に登録されているが、神社の氏子だけでは神輿を担ぎ歩けないので他から担ぎ手を数百人頼んで行っている。しかし、担ぎ手も歳をとるため、担げないと断わられるケースが増えてきた。また、神輿の休憩所も時代の変化とともに協力を得られなくなってきた。文化財に指定されているため止めるに止められず、毎回お金集めと人集めに苦労している。神社によっては、祭りを執り仕切る世話人の成り手がいないことから永年世話人というところもある。
▲30 ▼4
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地元の神社の祭事も地元の子供や参加者が減って一時期ストップしたりしたが、最近は地元のみの参加を開放して周辺地域からも参加者を募集してる。今年は海外の人(小学校の英語教師)も参加した。 伝統を守るのであれば地元だけでは無理なんだから地元限定は開放しても仕方ないと思う。 神社の建て替えも全て建て替えは中止して劣化部分のみの修復と言うように大幅な規模縮小で保ってる。 伝統と言うけれど今の世の中、そこまでお金も寄付できないしね。 神社費を削減するのも時代の流れだと思う。
▲520 ▼56
=+=+=+=+=
科学と医学でなんでも解明されてしまった今の時代に、神頼みする人はほぼ皆無なのだから、昔と同じ形態では厳しい。 これからは、既存の神社の業務の枠を超えたさまざまなサービスを行うようにし、地域の人々の暮らしに貢献していくような攻めの姿勢が大事になってくると思う。 まず手始めに、無人で出来る範囲のコンビニの機能を持たせてみたらどうだろうか。たとえば自動販売機で縁起のいいおにぎりが買えるとか、おみくじ付きのお弁当が買えてお墓の前のベンチで先祖さまと一緒にお昼ご飯がたべられるとか、宅配ロッカーを置いて、宅急便を出したり受け取ったりできるようにし、そのついでにお賽銭もしてもらうとか。 いっそのこと、『○○神社』という名前から『○○コンビニ神社』という名前に変えてしまってもいいと思う。神社ならではの縁起のいい商品をたくさん開発し、コンビニの客を奪っていくくらいの強い気持ちで攻めないといけない。
▲6 ▼17
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自分も地元神社の奉仕に携わっているが、高齢化が理由で氏子会を脱退していくため年々氏子さんが少なくなっています。次の世代の継ぎ手も氏子を踏襲してくれる家も多くはない。若い世代もデジタル化社会の中で神社に興味を持ってくれるのは僅か。まさに尻すぼみで、奉仕する側の人間も希望者がなかなか見つからず減っている状況。そのためか、自分は地域外で生まれ育ったので、神社行事に興味はあり奉仕に参加しないかと誘われたときは、よそ者ということでいい顔されないのではという不安もあったが、快く受け入れてもらえた。それほどやはり切迫しているのだろう。
▲145 ▼12
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今残したいと思う祭りも、高度成長期やバブルにより人も金も潤沢にある状態が続いたことで、人口が今より少ない時代に地域の繋がりの中で続いていた祭とはかけ離れた形となっているものかもしれない。 地域のつながりが希薄になり人も少なくなっていく現代において続けていかなければいけない祭りとは何なのか。形式なのか、その形式も原初の頃と比較してどれだけ変化しているのか。 形が時代背景に応じて変わる物であるなら、なんとか無くさないで今できる範囲のことを続けていきたいと思う。
▲13 ▼6
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祭礼は元々、その土地の神々を祀るためとして共同体の人々の繋がりを強めるためとしての目的があるんだよね。 伝統なんて担い手や文化技術の変遷でどんどん変わってきた物。何を守りたいかその時その場で担う人々が最善だと思うように変えていけばいいんじゃないかな。 女人禁制やよそ者禁制を貫いて消滅していく道もあるし、柔軟に運営して後世に残していく道もある。この時代だし共同体の範囲は世界中ですと言ってもいいしね。 個人的には後世に残り続けたものが「伝統」と呼ばれるのだと思う。消えてしまっては元も子もない。
▲178 ▼27
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圃場整備された新興住宅街に居を構えて四半世紀。 村の祭りについて行くのが大変です。 兎に角、祭り大好き地域。盆・正月より祭りが大事な地域なので、自治会の行事は祭り中心です。 自治会費も年間2万円以上。戸数が数百ありますから総額は大変なものになりますが、村の旧来の行事に多額の金が使われます。 これで、誰も文句は無いのかと思いますが、会計報告に異を唱えたのは1名、即ち当方だけでした。 という事で、日本はまだまだ村社会の構造が幅を利かしている様です。 住宅地を選ぶのも。色んな角度から検討する方が良い様です。
▲62 ▼9
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地方の過疎化が深刻な為、次世代の担い手である若い方が都市部へ流出してしまった事で、地域の伝統的な祭りの継続の難しさが増しています。そうした中で、その主催側の宮司も女性の参加を意味付けした上で容認したり、他地区からの参加を認めたり、伝統的に続いている祭りの継続のため苦労しながら取り組んで居られることに敬意を評します。また、祭りは地域のコミニュティにもなり、地域の活性化にも役立つでしょう。祭りを今の時代に合わせて維持する事は必要だと思います。
▲84 ▼39
=+=+=+=+=
地域ごとに神社がありその町村と共に廃れていくのは仕方ない流れと思う。しきたりを変えるか、時の流れに任せるか。大昔に祭政一致の時代もあったと思えば、神社の趨勢は合併・分離・淘汰の繰り返しもあったと思う。柔軟な姿勢で乗り切るところではないか。
▲72 ▼7
=+=+=+=+=
明治時代の神道国教化の際に神職は現在でいう公務員となりましたが、村落で小字ごとにあった神社を村社に集約するなど相当の神社統合が行われております。 そういう神社にはだいたい摂末社として集約された神社がお祀りされています。 なので維持できない神社を野ざらしにするくらいなら、集約は良い事ですし集約された跡地は氏子がいるうちは遥拝所として維持するという手法も良いと思います。
▲14 ▼1
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過去にPTAの3役や神社の氏子をやりました。
進んで役を引き受けた訳ではないので 当時は土日や平日の夜までも私用時間を束縛され 行事を消化していく日々で大変でした。
しかし終わってみると、すっかり知り尽くしたはずの 見慣れた地元地域の違う面がまだある事に気付き そこに触れれて 見聞が広がったと言うか、良かったです。
でも、減少していく運命なんでしょうね。
▲68 ▼8
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過疎地域のひとの流出は深刻であり 生活の維持にも支障がでる地域もでてきた。この祭りも一つのその象徴だと思います。
ここでは祭りをとりあげていますが もはや葬式を行うのも難しい状況になるつつあると思います。仕事がないと人がでていく ますます仕事がなくなる。そうすると若者も田舎で生活の維持が難しくなります。老人が増大し若者が減少する。あらゆる面で過疎地域の崩壊を深刻だと思います。
変な話 国とか地域で住む場所を強制しそれ以外のところでは生活を禁止していくくらいしか解決策はないように思います
ある程度は人がいないと 商売も医療も成り立たないのです。 スーパーの閉店も問題になっていますね。日本は非常に深刻になっています。
でも オーストラリアとかアメリカ カナダなどの人口密度の少ないところでは どうなっているんだろう と いう疑問ももっていますが どうなっているんでしょうね
▲22 ▼9
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神社もお寺も時代とともに人々のライフスタイルに合わせて変化し続けてるわけだし、現代に合うような様式に変革していけば良いのにね。 守るべきところは守る必要はあるだろうけど、人気の神社とかはやっぱり若い人が来てくれるよう工夫や努力はしてるし、存続のためにいろいろチャレンジしてすべきだろうね。
▲5 ▼0
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もう少なくとも20年前には課題となっていた話。旧統一教会でもしめされたように宗教法人格の管理は重要なのに文化庁は放置状態だった。政府と自治体で現況調査を進める必要があるだろう。 神社については神々を束ねていくのは古代日本統一期の経験でもある。複数の自治体を統合する上でも神社がまとまっていく意味はあるだろう。女性の参加も含め、近代の習わしにとなわれず、古来の知恵を活かすべきだ。
▲66 ▼24
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うちの大獅子は頭を3人、胴を9人で支える。 これに剣舞と鳴り物の楽団がいて、総勢で50人以上が朝から晩まで町内を練り歩く。 更に声をかけ花代を集めたり、飲料等を積んでの随伴車両運行、前後の交通整理、休憩や食事などなど、20人以上が関わる。
担い手の中心は昔からの農家(元含む)の方々だが、元農家ではない集落住民らも獅子舞メンバーや役員として参加し協力してどうにか成り立っている。
問題は、過疎等はなく区画整理もあって何十年と新住民が増え続けているのに、新住民の参加が少ないことだ。 剣舞では新旧関係なく地域の子どもに参加してもらっているが、それ以外はほとんど参加もなくちゃんと声かけもしていない。
町会でもそうなのだが、旧住民が新住民を重用しないのだ。 周りは融合が進んでいるのに、うちは古いメンバーが頑張ってしまって変わらないし、人材不足は分かっていても動かない。 そういう問題がある。
▲15 ▼1
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自分は神奈川のとある観光地近くに住んでいますが、正に観光地のど真ん中に鎮座する神社が数年前に土地・建物が差押えられて閉門してしまいました。 そこは軍人系の神社だったので、一般的な神社とは趣は異なるものの、東郷神社や乃木神社の様に結婚式等で盛り返している神社もある中で本当に勿体ないと思います。 神社はかつての村単位で残っている事もあり数も多い一方で、皆で神社を維持するという気風も薄れている中で、それを維持することは難しくなっていると思います。 それでもどんなに小さな神社でも、境内や拝殿の木彫りなどを見ると、その地域の歴史の生き証人の様な側面もあります。 日本人にとっては自分が住まう地域に氏神様がいる事は何となく気持ちも落ち着くし、これからも残っていく工夫をしていく必要があると感じます。
▲83 ▼29
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五百年弱の歴史を持つ地元の神社の祭礼行事に毎年参加しています。地元にも愛されてるし、幸い都市周縁部にあるので各世代の参加者がいますので祭りは比較的に盛んですが、高齢化、過疎化が進む農村部では祭りの維持に苦労するのもわかります。神社の主体は氏子であり、氏子の勢いのない神社は祭りも勢いを失います。
▲40 ▼12
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公立小中学校の場合、神社と隣接して建てられていることがそこそこある。 運動会の起源が、元は村祭りから派生したものだと聞いたことがある。 であるなら、近隣学校に援助を求めるという方法もアリだと思う。特に都市部の場合は、これで人手不足がそこそこカバーできると思う。
ただ、過疎・限界集落のところにある神社は、ある程度規模のある神社に合祀される形を取った方がいいかもしれない。厳密.に言えば、神社自体の系列が違うことで縛りはあるとは思うけれど。 人が崇敬することで、神社は形を保っている部分もある。本当は有志がクラファン立ち上げて、○○神社を残すという形を取ってもいいのかもしれない。 古い社はそこに住まわれている神々にとって、居心地が良くないとか、力が消えていくような気持になるかもしれない。長く大切にしたい気持ちや、今の時流に合わせて変化していくのも、神様にとって大切なことだと思う。
▲2 ▼9
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大資本による社会の効率化が進み、全国画一的な仕様でモノやサービスが提供される事が当たり前になった。
祭りが無くなっていくことが直ぐに問題になることはないが、地域の歴史を色濃く残す文化が消滅すれば、残されるのは日本全国どこに行っても同じような町並みと最大公約数的な文化だけになってしまう。
それはそれで寂しい気もするし、将来的にこれを後悔する事になるのでは、という心配も感じる。
さらに、この傾向は他の先進国で進んでいて、海外へ行っても都会はどこも似たりよったり。 田舎の文化が途絶えたら、国の違いもなくなってしまうのかな。
▲57 ▼26
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私が新聞販売店に勤めていた頃、区域内に歴史あるお寺があったけど、集金の際、奥様が「毎日、飲み歩いていて檀家さんに申し訳なくて」と話しをされたことがある。昔は勉強を教える寺子屋だったり地域住民の相談に乗ったりしたが、今はお葬式と法事くらいしか利用されない。まして今は少子化により家族葬、永代供養も増えてシンプルになってきている。お寺との関わり合いが減れば希薄になってくるのは当然のこと。今はAmazonで頼んで読経をしてもらえる時代。それを羽目を外しているようでは崩壊しても仕方のないこと。
▲1 ▼0
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神様も死後の世界も霊魂も段々信じる人が減ってきていると思う。 そういうものが存在しないと考える人にとっては墓参りや寺や神社への参拝は面倒くさい無駄なものになるだろう。 自分たちの生活だけで精一杯なのに一周忌はまだしも、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌までやっていられない。 子どもの頃から親に連れられてお盆やお彼岸の墓参りへ行ったり、新年に神社へ初詣へ行ったりする経験を積み重ねた人はそういうことが体に染みついているのでそういうものを一気に無くすことはできないだろうが、徐々に日本人は無神論者が増えて行くだろうと思う。 人生は一度きりで天国も地獄もないと考える人が増えた社会は「こんなことをしたらバチがあたる」という心の中の抑止力が働かなくなり、社会の治安の悪化が心配である。
▲0 ▼0
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非難とか批判ではない。そのことをまず述べておきたい。
そのうえで述べる。 女人禁制を含む多くのしきたり、タブーは確かに伝統的、歴史的に形成されたもので、尊重すべき理由はある。
今、それが時代の流れのなかで変化しようとしているわけだが、しきたりは伝統的、歴史的に形成されたものではあるが、神が作ったものではない。人が作ったもの。
先人に敬意を表しつつ、変えていっていいのではないか。人が決めたこと人が変える。今起きようとしていることはそういうこと。
▲80 ▼14
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神社は別にコンビニより多くてもいいと思うが。後神棚作って登録してあれば家の神棚も神社扱いということも聞いたことがある気がするので、立派な佇まいの神社以外の数も含まれてると思う。 コンビニの数より多くて問題なものはもっとある気がする。
▲67 ▼16
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日本の祭りや神社が少子高齢化や人口減少の影響を受け、存続の危機に直面している現状は非常に深刻だと思います。 少しずつ、女性や地域外の人の参加を促す取り組みなどにかすかな希望を感じますが、それだけでなく、複数の神社や地域が連携し、規模を広げて協力することで資源を有効活用できる可能性もあると思います。北島三郎さんのような日本の祭り象徴する有名人をアンバサダーとして迎え、魅力を国内外に発信するのも良い方法ではないでしょうか。 伝統を大切にしながらも、時代に合わせた柔軟なアプローチを取り入れることで、次世代に受け継がれる文化として、より多くの人に魅力を伝え続けてほしいと思います。
▲11 ▼27
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昔は各地域に神社がありました、今は村の存在が少ないけれど昔は各村に神様を(特に地の神様)を祀り農耕民族の日本人は収穫祭とか災害がないように四季でお祭りをしていました、当時は兄妹も6人程度では小人数でしたのでみんなで祭りを盛り上げれましたが現代社会では無理だと思います特に地方では都会に出て行ってしまうとか、子供も数人しかいない地域も珍しくないと思います、神社のお札を配って寄付してもらうようなところもあるそうですが、今や信仰心がある家も少ないと思います、神社としてでなく地域のより処みたいな感じにしてオープンにすれば役場からの資金援助もありうるのでは思います。
▲52 ▼57
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神祀る人がいるから成立するのです。
人がその地域から居なくなれば、維持管理は出来ません。 残念ながら今後も加速度的に減少していくでしょうね。
過疎地域のお祭りは待った無しです。 存続は困難ですから、余力あるうちに映像や資料で残し後世に伝えることが重要です。
▲83 ▼5
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2005年に81200神社あったのが、2024年には80600神社に減少しています。 この折れ線グラフをみると、減少が激しいように見えますが、縦軸を伸ばして部分的に拡大しているので、そのように思えるだけですね。実際は、20年間で80600÷81200=0.9926・・・・で、99.26%になっているだけです!20年間で1%も減っていません!ここ20年の人口減少率に比べたら微々たるもです。タイトル「神社減少の危機」って言うほど大したことはないと思います。 日本の神社の数より、よほど日本の人口減少の方が危機ですね。 ちなみに日本人の出生数は2004年 に111万人あったのが、2024年には70万人で、この20年間で63%(37%減)になっているのですから!神社の1%減なんて、驚くことではない減り方だと思います。
▲146 ▼6
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少子化でどうしてもこうなってしまいますが、法人格の売買だけは気軽にできないようにして欲しい。できるのかはわかりませんが、閉鎖するようなことがあれば主祭神が同じ神社に経営統合するなど、間違っても岩屋の好きな国の人に法人格を販売するなどのことはできなくして欲しい。 宗教法人の非課税は仕方ないにしても、なんか日本人のみとか日本の宗教のみとかルール厳格化して欲しいって思ったりします。
▲29 ▼3
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神社では氏子の減少、寺では檀家の減少が起きているので今後の維持が問題になっていますね 神社は神事が多く総代が出来る人が少ないです 氏子が収めるお金も少なくはないので年間を通すとかなり負担です 高齢化地域の神社などでは廃社も増えてくると思います
▲18 ▼0
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曾祖父に聞いた事があります。何故女性が参加してはいけない祭りとかが、あるのかと。曾祖父は女性が穢れてると言うのは建前で、一昔前(戦前)は祭りが唯一、発散できる場所である意味無礼講な催しだったと。そうなると、男衆はどうしても女子に手を出してしまう。 女子衆を守るために、女子衆禁制としたと。 当時から、差別的な考えでは無く守るためにあった、先人の知恵からの決め事だったと聞かされました。また、女子は男子の3歩下がって歩く。と言う教えも、並んで又はすぐ後ろに着いて歩いては、何かあった時に男子は女子を守れない。女子を守るために男子が先んじて歩くんや。と。 こう言う、本質的な教えを誤解して間違った記事を書くライターさんの記事に躍らせられないで欲しいです。
▲71 ▼18
=+=+=+=+=
宮司がいる、祭りを催す神社はそこまで多いとは思えない。 しかし、日本中に鳥居がやたらと多い。 お寺も多い。お寺さんは檀家が200件になると損速の危機だと聞きました。 神社は、宮司がいない、鳥居と祠だけの所が多い。江戸時代の名残なのでしょう。 江戸時代のたとえ話で、伊勢屋、稲荷と、犬のくそと言うのがあります。どこに行ってもそこら中にあるものの例えでしょう。 そこに稲荷があるのは、昔の人は信心深かったということです。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
知り合いが都内の大手神社に神主として勤めていますが・・・年末年始が繁忙期で、休みが取れないと言っていました。毎晩終電頃まで働いているそうです。
神主になるには、國學院大學の大学院などに行けばなれます。最初はインターンのような形で始めて、正式に雇用されるようです。
神主と言っても序列があり、最初は、庭などの掃除や、祭事、事務を司る一番下の権禰宜(ごんねぎ)からスタートします。権とは、代理という意味です。
そこから禰宜(ねぎ)へと昇進します。
その上の宮司は、社長のような感じで神主の中のトップとなります。宮司は世襲制の事が多く、禰宜から宮司になる事は難しいです。
いずれにしても、一度神主になれば基本的には安泰です。薄給ですし冬は寒いですが、クビにはなりません。 結婚式の営業活動などを行う事はありますが、基本的には無理なセールスを行う必要も無く、勝手にお金が入ってくるビジネスなのです。
▲137 ▼175
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「女人禁制」と言う単語にだけ反応して女性差別のように扱うのではなく、まずそこがなぜ女人禁制となったのかを確認した方が良い。 また「女人禁制」があるように沖縄の「ノロ」やその聖域のように「男子禁制」の役職、場所もある。
一律女人禁制を解くのではなく、その地域の文化や風習、しきたりと、地域住民の変更への許容度を踏まえて、対策を考えていった方が良いように思う。
▲372 ▼176
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地域に一社、更に近隣複数地区で大きい神社が一社と同じ地域に二社も神社があります。正直、細かい地域毎にある神社は担い手不足が否めないし、役まわりも早く負担でしかない。新嘗祭をするけれど、ほとんどがサラリーマンで収穫の感謝という意味に合わない。その地域に住んだら、祭や神事に関わらなければならないのも、ハラスメントの一つだ。小さい神社を減らしてしまい、複数地区で大きい神社を守っていってはどうだろうか。
▲3 ▼3
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こちらは自治会加入と同時に氏子となるシステムですが、祭りは負担です。無くなってもらうと非常に助かります。それを無理して残そうとしても氏子の負担がさらに重くなり負担から苦痛に変わっていきそうです。嫌々参加する祭りに何か意味があるのでしょうか。やりたい人だけが実行委員を作りやっていただきたいものです。そして誰も実行委員に手を上げる人がいなくなった時はもう止め時です。無理に祭りを延命させる必要は全く無いと言うのが自分の考えです。
▲11 ▼2
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直接ニュースの内容には関係ないけど。。。 地元の神社での夏祭りでの出来事。たぶん小学校低学年位で、親からもらったお小遣い(たぶん数百円)を財布に入れて嬉々としてお化け屋敷に。 出口でふと、財布の無いことに気付き、入り口のお兄さんに「中で財布落としちゃった」と伝えると、お岩さんやろくろ首、河童や一つ目小僧なんかが総出で、四つん這いになりながら財布を探してくれたのは、今ではいい思い出w あの時のお化けの皆さん、本当にありがとう。
こういう思い出が今の子供にあれば、地元の神社の未来は明るいと思うんだけどね
▲9 ▼1
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日本文化の底流には神州日本の意識がある。 現代の生活に合わないと言い、簡単に神社の祭を(イベントの如く)変えればいいとか、無くなっても仕方ないなどと言うのは、その地域の文化を破壊すると言うことに等しい。 ひいては日本人が日本文化に無関心となり、日本固有の文化を破壊することに他ならない。 日本人であるならば、地域の祭が無くなることにもっと危機感を抱くべきである。
▲2 ▼3
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地元の祭りも各町内会が参加して神社に集合!ってやってるけど年々参加人数は減ってる。毎年町内会の役員さんが持ち回りで頑張ってる。 学校は児童数が減れば統廃合されて減少するけど、神社が統廃合って聞いたことないな。 このままだと持ち回りスパンが短くなり、いつか毎年役員がやらねばならなくなりそう。
▲1 ▼1
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女人禁制なんてのは、科学が無かった時代に迷信や偶然の出来事等で制度化されたもので、現代では何の意味もないのは分かっている事ですが、当時の文化風習を今に伝える役目を荷なっている部分もあるでしょう。そうした観点で言えば、人口減少とは言え女人解禁というのもなぁ、とも思います。問題の規模や種類は違えど、天皇制も同じ事なのかと思えて来ますしね。
▲24 ▼32
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祭りには必ず町内会や地域の子供会が関わる。今や共働き当たり前だし物価上昇甚だしいのに金利は上昇してローンを組むのも一苦労。子育て世代はため息しか出ませんて‥ そんな中で町内会とか本当に積極的に関わり たくないです‥。地域の組長の年なんて戦々恐々です。うちの地域は子供会無かったので ラッキーでしたけどね‥有名な祭りがありますが地域の方は誰も参加してない‥。その日だけ普段見たことも無いような柄の悪い人がたくさんやってきて、神輿の休憩所の度に 酒やら唐揚げなどの食べ物を振る舞って食べていました。組長は夏の炎天下の中、神輿がくるのを飲み食いも出来ずにお手伝いの為に待っております。もう祭りなんて無くなれば良いのにぐらいに思っている。
▲50 ▼14
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神社だけに限らず寺もだが、昔とは少しずつ場所を変え存続している。ずーっと昔から同じ場所といういうほうが少ない。地域の神社調べをすると道を広げたり、区画整理する中で他の神社と合祀されたり、隣同士になっていたりする。確かに人の住んでいないところにある神社もあるが、たぶん自然消滅していくのかもしれない。
▲7 ▼1
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他所の地域の人に助っ人を来てもらってまで、祭事を維持する必要ってあるのでしょうか?
神社は祭りのためにあるのではなく地域の氏子を護るためにあるのではと思います。
宮司がいなくても社を可能な限り維持できれば良いと思います。
神社は文化ではなく宗教だと思います。
▲25 ▼9
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お祭の雰囲気はどんな時代でも郷愁を誘い、コンビニでも売っているフランクフルトを屋台で買うと、それはそれで違った味わいがある。だが、屋台を営んでいるのはおっかい暴力団だと政府も世間も懸命に宣伝していて、売り上げは全て暴力団の資金源だと位置づけられては、屋台で買おうという意欲もなえてしまう。金魚すくいで、金魚をもらっても、大半の家では飼う場所がない。祭の催しが少し危険だったりすると、ちょっと怪我をしただけで、大騒ぎされる。時代の流れは、旧来の祭に否定的な面しかなく、確実にそれを廃止の方向へ追いやっている。それはそれで残念だが、祭がなければ、現代社会が成り立たないわけでもなく、しかたがないような気もする。
▲1 ▼0
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神社でも農家もそう、、、昔は家督が継ぐなんて当たり前でしたが、今は敬遠されているんでしょうね。まぁ団塊Jr.辺りの世代になるんでしょうがそこから下は昔のしきたりよりも自分を優先する時代になっていると思います。そんな私もその世代に部類される訳ですが時代の一言で片付けるのは寂しく思います。子供の頃に昭和の空気を経験しているので変わりゆく時代や伝統、季節感が当時の日本とは違う事に戸惑いを感じる部分が多々あります。
▲7 ▼3
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神社というのも、何の科学知識も無かった、古代の人間の迷信妄信から生まれたものであって、「神頼み」などというものをしなくなった現代人には、まったく不要なものだと言える。
寺には、墓という大きな収益源があるが、神社には寄進と賽銭、おみくじやお札といったグッズ販売しか無く、コンビニより数が多いというのは多過ぎで、やって行けなくなった神社が廃業し、数が減少してゆくのは当然と言える。
▲13 ▼15
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家の近くの神社の神主は動物が大嫌いで野良猫の保護活動をしている人を見つけると警察を呼んだり嫌がらせをしています。避妊手術をしたり餌やりの後始末もきちんとしているのに酷くありませんか。その神社はきつねをまつっているのに野良猫を神主がイジメています。そんな心の狭い神主がいる神社は無くなっても良いのではないかと思います。
▲29 ▼33
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神社なんて小さいお社まで入れたらそれこそ八百万でしょ。 うちは田舎なんで、小さなエリア(半径100mか200m程度)で考えても行事がある神社だけでも4つある。 小学校区で考えたら更に増える。 そのたびに、掃除だ役だ集金だ、と手間も金もかかる。 それプラスお寺さんとの檀家としての付き合い。 町内会制度や自治会という組織はないので、一元管理も出来ていない。 コロナをきっかけに行事の縮小化は進んだけれど、それでも負担は大きい。 やれる内はやるけれど、将来どうなるんだろうって思いはあります。
▲11 ▼1
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神社ってのは本山があって後はフランチャイズ展開してる。代表的なのは稲荷神社、八幡神社、天満宮等がありあっちこっちに同じ名前の神社がある。だから需要が無くなれば閉店する。伝統文化だがそれすらも時代と共に変わるものだから仕方ない。交通手段が発達した現在では必要なら本山にも行ける。そんなに数無くても問題無い。
▲8 ▼12
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寺でも同じような現象があります。これも過疎化と少子化の影響と思われますが。
只一つだけ言わせて貰えば、祭りにはその地域特有の伝統文化がありますが、ある一面では排他的要素も含んでいたと思う。それが人口減で、伝える人間が減ったとも云える。
私の生まれ故郷は同じ町でも地区が違えば、祭りに参加できない。他所から来た人間は猶更。参加はできないが、寄付だけは取られた。
時が経ち、今は仕事で違う土地で暮らしているが、生まれ故郷は祭りをするどころか、今では限界集落と化した。
祭りを実施しようにも人もいなければ、知識・術もない。祭りは既に絶滅した。きっと似たような処が多いのでしょう。
▲13 ▼0
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1300年続いている祭りは、その当時の人口を考えると、はるかに少ない人口で維持されていたと思います。はるかに少ない人口でも、皆で神を信仰して、熱狂的に祭りを盛り上げたのが実態と思います。逆に言えば、当時の人は、普段は決められた農耕などをして、祭りが楽しみだったと思います。現代は、祭りだけが楽しみで無くなったし、神の神秘性を深く信じる人の割合が少なくなって、無神論者や新興宗教の信者などが出て祭りの担い手が抜けてしまったためと思います。正直言いまして、祭りや踊りができるうちに、ビデオなどで記録して、演者からの詳細な説明を付けて、祭りが無くなっても後世の人が見られるようにすべきと思います。たぶん、既に行っているところもあるでしょうが、消滅集落の祭りや生活は、記録を残すべきと思います。
▲10 ▼3
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交通機関がこれだけ発達し、人の移動も益々増大。大都市への集中もさらに進むでしょう。出生数は10年で3割減。このスピードが続けば、2035年頃には新生児数は50万人かも。人口減少がここでストップし、かつ平均90歳まで生きるとしても、2125年には日本の人口は4500万人。道府県、町村、学校、鉄道、空港、学校も維持できないだろう。ましてや束縛の多い氏子に支えられている神社は限りなく減少するのでは?
▲2 ▼0
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人口が減ってるんだから自然と神社が減るのも仕方ないのでは? 昔は1学年100人いた中学校が今は20人とかもある。さらに結婚しない子どももいないが当たり前になればさらに減る。 跡取りなんて言っても、親世代が地元を出て違う街に住み、そこで生まれて育った子どもが親の地元に帰るわけもない。 そんな中で伝統を守り続けるのは無理だと思う。
▲5 ▼0
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日本では人の住むところには必ず神社があるのです。小さな集落はもとより複数以上の神社がある村もあるのです。 人が住まなくなれば神社も潰れていくのです、仕方がないですね。
過疎が緩やかに進行しているところでは、お参りする人のいなくなった神社を他の神社の敷地内に移転させたりしています。 やはり人為的に潰すのは躊躇うものですね。
ところでコンビニより多いとか比較するのが間違っているのです。 比較対象とはなり得ないと思います。
▲5 ▼1
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神社に女人禁制の行事があるとは知りませんでした。宮司はほとんど男性ですが、奉納される舞は巫女という女性が舞います。 そもそも日本の神社の原点は天照大神です。 神仏混合が進んでいるうちに、いつの間にか女人近世の風習が出てきてしまったのでしょうか?
▲126 ▼43
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宗教行事における女人禁制や男子禁制って、差別云々ではなく教義的に障りがあったりなどの理由があると思っていたので、人手が足りなければなくせるものなんだとそっちのほうがびっくり。 いやまあ行事そのものがなくなるよりは、なんだろうけども、そこに人がいないのならばなくなるのもしょうがないんじゃないのかなあと思ってしまう。 人がいてこその祭りや行事だと思うので。
▲11 ▼0
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グラフの目盛りを見れば1%しか減っていない。8万以上あるうちの668社。持続的な傾向ではあるが「急減」と記事で表現されているのは大袈裟。
コンビニは生活に直結しているが神社はそうでもないのにこんなに数があるのだから、神社側にとっては大変なのだろうが、社会全体からみればこの程度の減少はどうということはない。
▲18 ▼1
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祭り維持するのが難しくなってきた。 祭りの活動に参加しない、祭りの騒音に気にしなくてすむ場所に住んでいるのなら祭りは好きだが、逆の立場になると祭り嫌いになってくる。 フルタイムで働き、さらに仕事オフの日に祭りの活動は嫌です。 祭りが減少するのは時代の変化です。
▲6 ▼1
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素人意見でダメ出しがあるかもしれないけど。。そんなにたくさんある上、無くしたくない、そしてお金がないなら、他のことと抱き合わせで残らないかなと。子供の居場所がないのが問題になってて、学童なんかも小さくてキャパオーバーになってますが、一から土地を用意したり建物を建てたりするのは大変だから、神社の建物を改築なりきれいにして子供たちの居場所にしてもらえないかなと、思うものです。そこなら、税金を使って維持もしていけるなぁと思うけど。子供の頃に、神社はなんとなく、貧乏でも遊びにいける安心できる場所でした。
▲1 ▼1
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江戸時代より前の平均寿命は40歳前後。移動手段も無く、殆どの人々はその土地で農作業に追われ一生を終えていた。祭りは大いに意味をもっていただろう。今は地方の集落を除きあらゆる娯楽の一つになってしまった。相当程度の消滅は避けられないだろう。
▲11 ▼0
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神社だけではありません。少子高齢化、人口減なのですから、どこの分野でも人の取り合いをするか、縮小するかです。日本全体で上手にスリム化する道を探ることが大切だと思います。
▲6 ▼0
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江戸時代前からある様な古い神社はまだしも、多くは明治維新で江戸のお寺で戸籍を管理した様に、地域ごとに神社を建て氏子にした様な神社は、地域の負担でしか無いと思う。維持するにも管理するにも人手とお金が足りない。地域の長老たちが居なくなれば、解散する事になると思う。って言うか、もう継いでいく人が居ないのだ。まあ、無理矢理地域の住民を神社に張り付けた明治維新の反動でしょうね。お寺も同じだよね。
▲3 ▼2
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中小企業の倒産の要因も多くが人材不足つまり後継者不足です 神社も統廃合なりした方がいいと思います 昔は儲かりやすかったのだと思いますが 今の時代良くも悪くもネタバレ時代ですから神頼みを真面目に考える人間は減っていると思いますし団塊の世代が消滅したら一気に減りそうなイメージです しかしよほど美味しい職業なのか、昔からの蓄えが異常なほどあるのか転職が難しいからなのかさほど減っていないのが驚きです 観光地化しているところは安泰でしょうけど
誰も言わないけどわかりやすい詐欺行為でしょ お守りなんて原価100円もしないであろうものを1000円近くで売ってるわけだし 統一教会叩いてる層であったりオールドメディアがといってマスコミを叩いてる層が年始のお参りしているのは結構なコント
▲0 ▼0
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昔、亡くなった母から何故か心に残る言葉を未だ忘れません。「自分の根を切ると腐るし育たん」家族や家系も含まれていると思ってます。今もお墓参り等、行事ごとにも感謝を込めて参加させていただいています。
▲1 ▼0
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神社の数が多すぎると思う。どういう単位で作ったのか知らなけど、住んでいる地域も、きわめて近所に複数の神社があります。昔と比べて、人の移動距離が長くなっているので、適切な数はもっとすくないのかもと思う。 ただよろずの神というから、多くなるのかな
▲63 ▼45
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御朱印集めを趣味にしている人と一緒に神社巡りしたことあるが10もの神社を一人で管理されてる方がいて御朱印も10枚いただけたことがあった。すでに引き継ぐ方がおらず他の神社が引き受けてを繰り返し管理する神社がどんどん増えているとのこと。マッチングサービスはとてもいいアイデアだと思うが引き受ける人の負担もなるべく少なくしてあげたいね。
▲2 ▼0
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そもそもありすぎたんだよね。 昔は地域で買い物も結婚も就職も完結することが多くて、地域に根ざした生活だったけど 今では車で生活して通販で買い物して、高校卒業したら都会に出て就職。 子供は帰ってこないし高齢化が進む。 日本の伝統だから守って行きたいけど、地域創生が本当の意味で達成されなきゃ廃れていく一方だよね。 それには魅力ある就職先の地域分散と農業の高収入化させることだと思う。
▲0 ▼0
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男女平等とか性による差別だ何だでなく、「昔から、女性が担うことも行われていた」と、古い考えの人が納得できる形で説得したのは良かったと思う。
どうしても生きてきた時代が違えば価値観も違う。お互い押しつけにならないように上手くやれたら一番いい。
▲1 ▼1
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何でもかんでも、男女平等とか、ジェンダーがなんとかで、男女参加OKにするのは、いかがなものかと思う。 お祭りとか、特定の地域のことなら、周りがとやかく言うのではなく、関係者の方々が話し合って決定し、周囲はそれに従うのでいいと思う。 SNSやなんかで、プレッシャーをかけるのは、違った意味で問題だと思う。
▲227 ▼102
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神社・お寺の周りの人は江戸時代基本その檀家に入ることになるため、戸籍のような役割も担っていた。 現在は役所もある中で役割が宗教的な役割しか残っていないため、衰退するしかない。 もし役所のような機能が残っていたら、また違うことになっていたとは思う。
▲0 ▼0
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自分の地元の祭りは市や商工会の財源確保の為に行われてます。 的屋の場所代に売店の売り上げが最大の目的です。 地域の文化など二の次です。 そしてマナーやモラルのない人間が来るのでゴミが散乱して迷惑してます。
文化を大切に守る祭りは残すべきだが、そうでない祭りはいらないと思う。
▲3 ▼0
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伊勢神宮には観光がてら行くが、 近所の神社の行事は参加したく無い
参加したく無いのに、勝手に氏子になっていて納得いかない
神社、神道は仏教やキリスト教などと並んで、宗教のひとつなのに、 多くの人は、家に仏壇があっても 同時に近所の神社の氏子にもならなければならないのは矛盾を感じる
▲9 ▼5
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神社や仏閣の必要性は時代と共に変わって来ていると思う。 信仰をしていても、震災に遭ったりすると信仰心も揺らぐ。 能登の方達も初詣で家内安全や健康を祈願したはず。
▲0 ▼0
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むかしの文化、しきたりは確かに薄れていて神輿担ぎの担ぎ手が少ない。墓守、地方の家の継承まで様々。まだ幾分残ってるのが初詣、参拝、他はなんもない。全部なくなっちゃったらどうなんだろう。墓は海で散骨、結婚式はパーティのみで婚姻届だけ役所に提出。そのうち出産も面倒になって人口激減。この先がとっても怖い。
▲0 ▼1
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自分の気に入った神社が無くなってしまうと悲しいですよね。 有名処は強いですが、「三峯神社」「榛名神社」「明治神宮」「小網神社」 小さい神社はご利益や特殊な事しないと厳しいかもしれない。 私が大好きな神社は「谷保天満宮」です。 綺麗で厳かでそして学問の神様の地 これ以上神社は無くなって欲しくないです。
▲2 ▼5
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私が氏子の神社も多分に漏れず人手不足で夏の祭りの存続が危ぶまれています 小手先の変更で何とか持たせていますが、地域の人口が加速度的に減っているので、後10年持てばいいのではという状況です 女性に門戸を開くということが記事にありますが、女性も関わりたくない人が多いんですよ、残念ながら
▲152 ▼3
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そもそも宗教は昔の人間がつくったものを崇拝したい人やさせたい人が多いから存続していただけなので、そういう人がいなくなれば自然と廃れていったらいいと思います。古代の生物のすみかも絶滅後は次代の生物に壊されて作り変えられてきたのですし、そんな地球でいいかと。ピラミッドや万里の長城もそのうちただの砂に還るんです。
▲8 ▼0
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他地区から転入してきたら、いつの間にか氏子になっていました。 私自身はキリスト教に洗礼を受けていましたので、祭りに参加しないでいたら宮司さんが集まりの中で私のそのことを非難されていたと聞きました。 氏子制度?そのものが戦前の遺物。 意思確認もせず地区内にいれば氏子扱いでは、信仰の自由を定めた憲法に違反する。 個々の神社も任意組織の神社庁の言いなり。神の教えそのものがあやふやでよく分からない。 神も戦の神である八幡宮もあれば学問の神天満宮もありそれこそ八百万の神。 神社の組織そのものが法的にも問題だし廃れてひゆくの自然。神の摂理。
▲1 ▼1
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確か陰陽師関係で社殿関係が増えたと聞いたことが有ったような。 現代では大きなとこに初詣は行きます。 田舎ですから地元の神社に初めに行きますが、信仰して要る訳でも無し。 少なくなるのは当然と言えば当然。時代の流れ。 お祓いも結局は儲けしかない。 地方の神社も「伊勢神宮に参拝したから」で文句も言えない。 強要も出来ない時代なら減ります。
▲3 ▼0
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祭りは神事で元々の習わしに従って、意味を持って執り行われてきた。実行不能なら可能な儀式だけやるか、止めるかしかない。楽しいから形を変えて続けるなんて、エンタメのショウにすぎない。文化財でも何でもないだろう。楽しい人々だけで私費で騒いでればよろしい。
▲3 ▼0
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日本人が日本の歴史に興味を持たないまま海外のものを良いとする文化が定着している昨今ですが、改めて過去の日本列島で何が起きていたのかを知り神社に祀られている御祭神の意味を考えお参りをしたりお祭りに参加する文化的な活動を復活させなければ、あと数年とかで日本が日本でなくなりなんちゃって日本人ばかりになって、外国人のほうが日本の文化に詳しい…なんてことになってしまうんじゃないだろうか。 それでも別にいいと思ってしまうのが現代の恐ろしいところなのだが。
▲2 ▼1
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まぁ宗教観とか信仰の問題もあるにはあるだろうが、今時、神社も寺院も数が多すぎるのではないだろうか。古くはキリスト教徒を弾圧することを目的として布かれた檀家制度等々日本の宗教の扱いは他国とは大きく異なる為、諸外国では当たり前とされる宗教観が育たず、結果として今の時代に非常にマッチした思想が育まれることとなったと思っているので、日本では宗教とかそもそも普通に根付かないと思えてならない。実際のところ、葬儀すらもカネがかかって煩わしいと考える向きは非常に強いし、坊主の懐を肥やすだけの葬儀ビジネスへの嫌悪感も年々急激に強くなっているように感じられるので、記事にあるような祭事自体、地域からも必要とされていないのが現実だろう。感傷に浸りたい方は頑張って継続できるように支援すればいいと思うが、最終的には民意に沿う形にしかならないと思うので、変に悪あがきをするよりは奇麗な幕引きを目指すべきではないだろうか。
▲0 ▼0
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日本人は宗教に対しては非常に柔軟だ。住職ですら子供にクリスマスプレゼントをあげ、結婚式はハワイのチャペルで挙げる。お宮参りや七五三はカメラマン連れて有名神社に行く。 そのような環境の中で神社仏閣を維持しようと思ったら従来の檀家、氏子制度から脱皮しなければならない。 対応できない神社仏閣は残念ながら歴史に幕を降ろすしかない。
▲7 ▼0
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宗教も商売ですからね。廃寺、廃社なんてのは地域人口の増減によって、そりゃ出るでしょう。典型的なのは鉱山都市など・・・。ああいった場所には必ず廃寺、廃社があるもんです。
寺社仏閣の統廃合なんてのは、古今問わず、よくやるもんですから、そうやって無理のない運営をすべきでしょう。
神社の掃除当番が大変だとか、寺の檀家で寄進を強要されたとか、なんのための宗教なんだか、地区の住民の苦しみのタネになっているケースもありますからね。
▲4 ▼0
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ある地域に家を建てたのですが、よくわからない氏子認定され、毎年当たり前のようにお金を取りにくるのに嫌気がさして、一昨年から断るようになりました。 氏子や神社の説明を丁寧にしてくれればまた考えが変わったかもですが、さぞかし当たり前のように、徴収の時に不在の場合、神社まで自分で持参しろと言われたら、疑問に思いますよね。
ごめんなさい。地方の細々とした地域一つ一つに神社は要りません。
▲23 ▼1
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こればっかりはな 昔は地域コミュニティに参加しないことに デメリットがあったので その結束を示す催事も重要だったけど
今の世はデメリット自体が少ない時代だからね 変わりに都市部ではオクトーバーフェスや ハロウィンとか始まってる。 人が集まるところに祭が出来るんだろうね。 祭があって人がある訳じゃなく人があって祭りがある。
日本独特の神道が細ってしまうのは残念だけど ある程度は仕方がない
▲7 ▼0
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神主が居なく別の神社から出向の形を取っている神社が近くにもあるが、お年寄りが手入れなどしている様だ。近い将来は、名高い神社か神主がきちんと管理している神社のみしか継続しないのではと思う。
▲3 ▼0
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祭りではなく祀りでは? 本来の意味の伝承ができていなかったってことでしょうけど それこそ、それをお題にしたアニメとかで若い世代を取り込むチャンスだと思いますけど 実写じゃ駄目!演じてる役者が実際そうでないから、本質は伝わらない。
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記事で示されているグラフは足切りグラフです。 集計統計調査をもとに計算すると(文科省管轄と都道府県管轄の合計)、 20年間で神道は年平均(幾何平均)△0.05%の減少に過ぎません。 2024/2005=0.990なので、20年トータルで1ポイント(%)しか減っていません。 2024-2005=839社です。とはいえ、分母が85,007(2025年度)なので比率としては1%になります。 グラフは2005年から出しているのに記事では9年前の数字と比較するなど、不自然です。 数字を見る限り、神社の減少とお祭りの減少は無関係そうです。 足切りグラフと実数によるイメージ操作に騙されないようにせねばと思いました。
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愛知県でも比較的名古屋に近い場所で去年仕事してる時に打ち果てた神社を見かけたことがある 人がいなくなり神主やそこに携わる人もいなくなれば必然的に取り壊す神社も今後増えていくだろう
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