( 242988 ) 2025/01/02 03:32:30 2 00 元日は「すごく嫌い」 遺族代表、癒えぬ心境明かす 能登地震毎日新聞 1/1(水) 18:42 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/3e0352d37376a139310c787c2925315553a43716 |
( 242991 ) 2025/01/02 03:32:30 0 00 追悼式で遺族を代表して言葉を述べる小林由紀子さん=石川県輪島市の日本航空学園能登空港キャンパスで2025年1月1日午後4時6分(代表撮影)
最大震度7を観測し、500人以上が死亡した能登半島地震から1年を迎えた1日、石川県は同県輪島市の日本航空学園能登空港キャンパスで、能登豪雨の犠牲者らも含めて追悼式を開催した。遺族や被災自治体関係者、石破茂首相ら計445人が参列した。
遺族代表として言葉を述べた小林由紀子さん(53)=同県穴水町=は、家屋倒壊で父洋一さん(当時82歳)を失った悲しみを涙で声を詰まらせながら振り返った。「実家も倒壊し、がれきのなかで最愛の父を失った。突然の出来事に悲しみ、絶望感に打ちひしがれた」と感極まった様子で語った。その上で、「地域の人に支えられてここまで来ることができた」と周囲や全国の支援への感謝を語った。
小林さんは式典終了後、取材に応じ、「1年たったが、この日がすごく嫌い、つらい。今日、母が父の写真を持ってきて、あの時の事が思い出されてつらかった」と癒えぬ心境を明かした。
東日本大震災や熊本地震などの被災者に触れ、「こんなにつらい思いをして過ごしてきたんだなと。私たちだけじゃないんだなと思いながら1年過ごした。いつになったらこの気持ちがなくなってくれるのかと思いながら、今日を迎えた」と述べた。【深尾昭寛、国本ようこ】
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( 242992 ) 2025/01/02 03:32:30 0 00 =+=+=+=+=
被災された方、身内や親しい人が被災された方が元日を嫌いになるのは無理のないことだと思います。 でもだからといって、日本国中全ての方が元日を嫌いになる必要はないし、被災されて多くを失った方が、それでも元日は祝いたいと考える事だって決して間違ってはいません。 綺麗事なんだろうけど、それぞれが自分の気持ちや考えを大切にするように、考え方や感じ方の違う方を尊重していければいいと思います。
▲1487 ▼172
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苦しい気持ちを吐露する場を設けて気持ちを少しでも和ますことが出来たら良いな…。 半島で起きた激甚災害だから、かける言葉も見当たらない。 そんな中被災地出身の陸上長距離選手で資生堂の五島選手はご自分の走りで故郷を壊された被災者の皆さんに勇気・元気を届ける激走に本当感銘を受けています。 石川出身のアスリートたちは天に役割を指名されたようなものだからこの時ばかりは石川県民のために奮闘して元気付けてくれたら良いな…。
▲2 ▼2
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私も3.11は辛い、苦しい日です
けれど、時薬とはよく言ったものです 忘れられない苦しさや辛さの中にも、穏やかな気持ちで犠牲になった方々を、街を、穏やかに偲ぶこともできるようになってくると思います
東日本大震災の後、私の街の風景は変わりました 能登も元に戻らないものも多いことと思います それでも、どうか少しずつでも街や人が戻り、心穏やかに過ごせる日が1日でも早く訪れますようお祈りいたします
▲513 ▼37
=+=+=+=+=
2年以上、断続的な地震が続いたが、何らの防災対策もしなかった住民の責任でしか無い 例え、元日だろうが、その夜中だろうが、天災とは関係無い しかも、その後、復興するのに当たり、作業者に対して、まるで王様の様に振る舞っても良い訳では無い 能登から手を引いた事業者が多くいて、例え1億円の現金を会社に毎日持ってきても断る企業が多くいる事を痛感してもらいたい
▲7 ▼7
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震災での悲しみだけが特別では無いと思うけど、何か全国的に喪に服す的な風潮はあまり賛同出来ない。例えば明日子供が奥さんが彼女が交通事故で亡くなったら悲しいだろう、不慮の事故死その悲しみと何が違うのだろうか?震災で亡くなった人を特別に悲む事には違和感はある。 不慮の死別という悲しみは皆同じであると思う。
▲133 ▼21
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家族を亡くされたらトラウマになるでしょうし、一生記憶が残るかと思います。 自分も阪神淡路大震災と大阪北部地震と二回地震を経験しました。 幸いにして家族や友人には身体の被害はなかったですが、瓦が飛んだり水道管が破裂したりして経済的な被害に遭いました。 未だにミシミシと家が軋む音や大地が揺れる時の体感は忘れることはありません。 能登で被災された方々は阪神淡路大震災級の揺れと津波を経験されています。 元日が嫌いと言われるのは、記憶が蘇ってくるから当然でしょう。 亡くなられた方々の御冥福をお祈りしたいと思います。 一日も早い復興を政府や県にはお願いします。
▲388 ▼37
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今日は例年の元日と異なり、16時前から地震発生から1年の特別番組で年明けの雰囲気からガラリと変わった。特に被害に遭われた方々には来年以降も元日は厳かな雰囲気の中で過ごすことになるんだろう。今でも私の地域では11日は月命日と、地元局で毎月ニュースになってます。
▲51 ▼3
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そうですよね。 嫌いにもなりますよね。 世の中は正月で、テレビつけたらお笑いばっかだし。 俺も父親を事故で亡くしたけど、そんなことは構わずに世間は進んで行くもんです。 時間に任せるしかありません、苦しいことも、悔やむことも、時間に任せるしかありません。 世間に拗ねず、一日一日の繰り返しです。 一日も早い、被災地の復興、そして、心の傷が癒えることを願ってやみません。
▲631 ▼40
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はい、私も3月11日が大嫌いです。 数年前の慰霊式典の最中血圧が上がって昏倒して、PTSDでお薬飲んでます。 記念日反応は正常な精神的反応らしいので、1年ぐらいじゃどうにもならないと思います。 思えば365日全て、誰かの命日であり誕生日なんですよね。 他者への配慮を忘れないようにしたいなと思うと同時に、生きてくことは本当に大変だと痛切に感じます。
▲808 ▼80
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能登の住民です。 築80年の古い木造家屋に住んでいて、元日の発災当時は、同じ町内にある鉄筋コンクリート造の介護施設で働いてました。 突然の揺れに動揺し、立っていられず同僚と机のしたに潜ることしかできなかったです。 家の状態が心配で、すぐ電話したら繋がり家族も家も無事との連絡をうけ、何時に帰れるか分からないけど、帰るの遅くなる。と伝え、余震が続くなか仕事してました。 幸い、職場の建物に目立った被害がなく天井も落ちてこなかったです。まずは、館内放送で職員は落ち着いて行動すること、利用者さんの身の安全の確保を行うことと伝え、勤務者で話し合い業務をしました。 自宅周辺では、鳥居が崩れ落ち近所の建物に基礎から亀裂が入ったりと変わり果てた町の様子がありました。 被災者にとっては、1月1日は新年を祝う日ではなく、地震の記憶が甦る日です。あけましておめでとうございます。とは、なかなか言えません。
▲309 ▼55
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石破氏が参加されたそうですがそれがどれだけの力になったのでしょう? サンタク見ててさんまさんや木村拓哉さんが現地でお手伝いして皆を笑わせ喜ばせてる姿を見て泣けました。かっこよかった 作業服着て綺麗な所から取り巻きと共に見学して期待だけさせる総理大臣より余程かっこよかったし力を感じた 日本で一番力の有る人なんだから被災者の為にもっと力を発揮して欲しい
▲29 ▼55
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見ていて涙が出ました。私も生きている内に後悔しないように周りの人と接しておきたいと思いました。 死後が人にとって幸せな世界かもしれないから、私がもし死んだら残した大切な人には死者に囚われず前向きに生きて欲しいと願います。 踏ん切り付けられる期間は人によって違うでしょうが、もしずっと踏ん切りが付かないのであれば生前もっと後悔のないように接しておくべきだったのかもしれません。しかし死んでしまったら取り戻せないので、過去の事は学びにして、今生きている人達を大切にするように考えられたら良いと思いました。もし私が死者側の立場だったとして、今生きている人達が過去の事を学びにして自分を糧にして生きてくれたなら本望だったと魂の中で思えるかもしれません。
▲14 ▼3
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元日に起きてしまった災害で亡くなった家族の想いは計り知れない。今年は石川県は本来の正月番組で正月気分をと想いや、石川県のどの放送局も能登半島地震の番組が組まれました。たまたま県南部は能登に比べれば被害が少なくいち早く復興しましたが奥能登では完全復興には程遠いのが現実です。今までは人と会ったときはおめでとうを最初の言葉だったが今年の正月は、今年もよろしくお願いしますに留めとく。自分は家も家族も大丈夫だったけど隣はある程度被害もあった事聞いていましたので我が町も何らかの被害があったことは事実です。あの日あの時は、元日から避難所生活した人々がわが市にもかなりいました。
▲33 ▼4
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これから毎年年が明けるたびに嫌な思い出がよみがえるのは本当に辛いと思います。 自身も比べものにはなりませんが、去年の年末年始は病気で嫌な思いをし、この年末年始がとても嫌でした。 取り返しがつかないこともありますが、復興で皆さんの気持ちが少しでも安らぐなら、一刻も早く復興できるように政府も注力して欲しいと思います。 贅沢できなくても普通に生活できている人は幸せです。 被災者の方々が普通に生活できるようにしてあげて欲しいと思います!
▲67 ▼15
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身内や親の友人が能登の人ですが命は助かっています。1月1日変わり果てた北陸をみるのは辛い1年で昨年末正月準備する群衆の中防災グッズ見ていました。今回の大震災は石川県の歴史の1ページなんです。踏ん切りつけて石川県の土地が生まれ変わるのが元日なんです。震災の犠牲で亡くなってしまった人の遺族は悲しいでしょうけど、紀元前からある能登が令和になって景色が変わるのもあり得ると思うようになりました。元日の法事は辛いけど世の中元日に法事する人は沢山いる。
▲1 ▼1
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今後は、元旦が来る度に、能登半島地震の報道は行われることだろう…。
本来であれば、新しい年を迎える門出の日が、被災者の方々にはトラウマになってしまった。
心から晴れやかな気持ちになるのは、難しいだろう。
少しでも、短い時間でも、心穏やかな時間を過ごせるように祈ってます。
▲94 ▼10
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被害にあった方たちは一生その日にちが来ると思い出す。僕らに出来ることって何だろう色んな災害にあった土地へ行って現実をみること、そしてこの先の未来にこの経験をいかすことなのかな?少しでも復興に役立てれることがあればって日々思う。そして自分も西日本豪雨の経験者としてこの先おこるかもしれない自然災害のときに1人でも多くの命を救えたらって思います。
▲4 ▼0
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自然は人間の作った風習や制度、仕組み、関係性などお構い無しに、災害や変化を引き起こす。
この先、大災害がクリスマスの日に、お盆の日に起こり得ることもあり得る。8月6日の広島市街地に大地震と巨大台風が直撃することもあり得るのだ。「たまたま起きていない」ということに過ぎない。
しかしながら、そんなことを常に思い続けていたら、人間はさすがにまいってしまう。
お祝いの日、記念の日があっても当然かまわない。悲しんでいる人がいるから、みんな悲しい気持ちで過ごそうということではないと思う。それを押し通すなら、我らは毎日、いや1秒1秒を悲痛な表情で過ごさなければいけない。はたして現実的だろうか?
元日が嫌い。3.11が嫌い。いや人それぞれに嫌いな日がある。悲しみに暮れる人たちの思いに理解を示しつつ、決して人生は悲しみや怒りだけではないことを周囲が示さないと、本当の幸せや平和は来ない。
▲11 ▼0
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大きな災害の被災者となってしまった方々は、「あの日」が辛く嫌いな日になってしまうこともいらっしゃると思います。
能登地震では、元旦のお祝いムードの中暖かな部屋に家族みんなで集まって団らんしていたり、一人過ごしながら来し方を振り返ったり、元旦も仕事だわーと思いながら職場にいたり、さまざまな思いの中をあの地震が直撃したんだと思います。目の前で談笑していた家族を亡くした方は、なんで自分だけが生き延びてしまったのかと自分を責め始めた日になってしまったかもしれません。
東日本では卒業を迎えたばかりの若者が希望を胸に抱いたまま波にのまれたり、熊本では新年度を迎え希望に満ちた春を迎えた学生がアパートの下敷きになったり、災害大国の日本では枚挙にいとまがありません。
少しでもその傷が癒えていくことを願います。
▲30 ▼5
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寒い寒い2回目の厳冬期 生活基盤もままならないまま、過ごされるのはどんなに辛いことでしょう 他の地域に起こった災害にくらべて、復興が進んでいないのではないかと思います。 もっと国が人も金も出して、それに地方自治体が追従して、民間の支援組織の活動をバックアップすることにもっともっと注力すべきでしょう。被災者のみなさん、希望を失わずに生きてください。明るい未来をイメージして頑張って生き延びてください
▲0 ▼0
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昨年同日の元旦に大震災という信じ難い災害に、この世には神仏など居ないと絶望を感じたのは未だに覚えている。 そこからの豪雨災害を経て今少しずつ立ち直ろうとしている能登や北陸の方々には尊敬しかない。 募金しかする事は無いが、今年こそはどうか良い年でありますようにと祈って止まない。
▲118 ▼6
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1年なんて、まだはじめての命日なので、ある意味悲しくて普通だと思います。そんなに簡単に癒るものではないですよね。 まだ復興までの道のりも遠いですし。 直接被災していなくても、昨年の元旦を思い出して、あまりめでたい気持ちになりませんでした。 ただ、誰にでも家族や大切な人の命日はあって、法事とかなければ周りの人はそんなこと知らずに普通の日がくるので、それも仕方ないことだと思っています。 ずっとみんな一緒に沈まれたら、それはそれで辛いですよ。
▲67 ▼14
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被災地への支援は続けていくべきだし困ってる人は国民皆で支えれば良いと思うけど。
マスメディアから聞こえてくる被害者の痛み自体は、個々の事故や病気で亡くなった方々と辛さは変わらんと思うので国全体で必要以上に慮る必要はないと思っています。 人それぞれでしょうけど私だったら身内や親しい人、何かしらの付き合いのあった方以外に同情されるのって辛いだけだと思います。
▲38 ▼6
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本来なら謹賀新年明けましておめでとうございますと言うところだが、今年からはおめでとうと言う雰囲気にはなれない状況でもあると思います。被災者や遺族の方々は1年前の今日を思い出すと居た堪れない気持ちになるんじゃないかと思います。辛いとは思いますが希望をもって頑張ってほしいと思います。
▲58 ▼17
=+=+=+=+=
そうなるよね。1番は起きなければ良かったのだが、せめて大晦日から三が日までの4日間でなければ、まだ救いがあったかもしれない。石川に帰郷していた方も多く巻き添えになられた。 元日はどうしても浮かれ気分になり、震災水害の件は希薄になる。関連死含めた600人という犠牲者の数は東日本大震災や阪神淡路大震災は別格としても、近年ではかなり多い数字だ。本来なら朝から追悼番組があっても不思議では無いが、各局式典に合わせた番組だけ。恐らく来年以降は民放の番組は無くなるだろう。しかし復旧復興が遅々として進まない石川の人々にとって、元日イコール身内の命日で、追悼の日となり、とても「明けましておめでとう」という気にはなかなかなれない。 世界中の人々が等しく祝う新年スタートが、毎年こんな悲惨な記憶になるとは、気の毒で仕方無い。
▲8 ▼10
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家族が能登出身です。もう家族も知り合いも上京して長く、幸い知り合いに死者は誰もいないくらいなんですが、そんな私でも、毎年帰省してることもあるのか、1/1という日を完全に晴れやかな気持ちでは迎えられませんでした。おめでとうという言葉にも躊躇します。重い雰囲気にしたくないので周りに合わせますが。
でも、こういう話を知っています。3.11のちょうどその日に生まれた子供が、自分の誕生日を祝っちゃいけないのと聞いたとき、親か覚えてないが大人が「誰かの誕生日は誰かの命日、気にしないで祝っていい」って言ったそうです。
人それぞれでいいと思います。周りに強制しちゃいけないってことだけわかって欲しいですがね。
にしても、やっぱり元旦という多くの日本人にとって一年で最も晴れやかなはずだった日に、こんなむごい災害が起きるなんて、残念でならないですがね。
▲12 ▼3
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私は30年近く前の阪神淡路大震災の発生した1月17日がとても嫌いで、また忘れられません。 阪神間や神戸が復興するのに約10年近くかかりました。 幼い頃から思い出がある土地でしたが、築年数40年以上経った木造家屋はほぼ壊滅状態でした。あんなすごい光景を目の当たりにして、今でも記憶から消える事はありません。 身内は誰も亡くなったり、家が倒壊したりはしませんでしたが、それでも生まれ故郷があのような壊滅状態になってしまって… あの日の事は死ぬまで忘れる事はないでしょう。 ご家族を、大切な人を失った方は、生涯忘れることなどできないと思います。 元旦に起きてしまった地震と津波、1月1日が嫌いという気持ちは痛いほどわかります。 月日が経てば少しは哀しみは薄かもしれませんが、その日を忘れる事は決してないのではないでしょうか。
▲2 ▼0
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元旦そうそうに地震が起きるなんて誰もそう思わないし、被災された方はもちろんそう思っても仕方ない心情です。被災していないからと言われてしまえばそこでお終いなのですが、地震でなくても今日みたいに初詣帰りに事故にあってなくなる方もいます。 元旦を嫌いにならないでとは思わないけど、新年を祝う祝わないは個々の自由です。 元旦でなくても記念日に災難に合う人もいますし。つらい心情ははかりしれませんがそれを全面に出されるとつらくなりますね。
▲26 ▼2
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なんでよりによって元日だったんだろう。いつの日でも悲しみは同じだとしても、いつもより思い出も特別感も多い元日に起こるなんて残酷だ。 昨晩紅白を観ながら、昨年の今頃の能登を考えてしまった。その穏やかな時間を、思い出したくなくても思い出してしまう人達の心の痛みを想像してせつなくなった。
能登の皆様が、せめて穏やかに過ごせる日が少しずつでも増えていきますように、と祈ります。
▲14 ▼2
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地震前に周辺地域で地震が多かったんですよね。あまりに多いから検索してみたんです。それでも予測出来なかった。なんだか過去に起きた事が未来も起きるみたい。能登の地震後の支援がかなり不足していたと思います。海外の支援より先に能登を復興させないといけない。亡くなった人にさらに辛い思いさせてますよ。
▲7 ▼0
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あれから一年…。 元日が近づくにつれてどうしても思い出してしまいます。 今年の元日は何も起こらなかった…と心の内で安堵している自分がいます。 きっとこれからもずっとそうなのかも知れませんが、今こうして過ごせていることは当たり前ではないのだと思い知らされます。 いつ何処で災害が起こるのか,いつ自分の身に降りかかってしまうのか、それまでは何処か他人事のように感じていました。 多くの方々が犠牲となり、大切な人を亡くした悲しみは計り知れません。 一年が経っても心は置き去りになっている方が多く、復興もまだまだ時間がかかると感じています。各地でも爪痕は多く残っている現状です。 時と共に風化されてしまうのではないかと危惧もしていますが、少しでも前を向いて行けるようにこれからも自分の出来ることで支援をして行きたいと思います。
▲31 ▼2
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どうしたら善いのだろうかねぇ。 まだ去年のことだし、復興も手付かずの所もあり道のりは険しく長いと感じさせる。 失ったものもあるでしょう。 目標や明るい希望が少しずつでも見えてくるようにと、他の地域の者も見守っております。 「その日」がっていうのは、被害に遭った人たちだけではなく皆も思ってくれる日だと捉え、自分だけがと思わない、今後の(他)の災害の被災者にも思いを馳せる日となれば、少しは安らぐのではないでしょうか。
▲1 ▼0
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お気持ち考えると本当に辛いと思います…
世間が皆おめでたいムードの中、私だけが…というそんな胸が苦しい気持ちかもしれません
でもそんな気持ちになってしまう事に、どうか罪悪感を抱かないで欲しい
今の気持ちが、辛いなら辛い、憎いなら憎い、と思っててもそれは全然良いと思います
無理せずに今の自分の正直な気持ちも向き合ってていいと思います
でも、いつかは前向きに立ち直ってくれたらいいなと思います
こちらも勝手な事を書くようで大変申し訳ないですが、少しずつでも傷が癒えて前を向いて心の底から少しでも正月で笑っていられるくらいの気持ちを取り戻せたらいいな、と思います
▲98 ▼10
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元日でなくても、そういう事は起きえるし、元日に産まれた方もいると思います。 悲しみは、克服して次の尊い命を救う為の教訓にもなりますので、頑張ってほしいし、このパズルの様な不安定な島国に産まれてしまったのだから住み続ける限りは、努力していきたいと改めて思います。
▲7 ▼1
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起きてからの いろんな遅れは 土地柄で 行く道が 限られてるから まずは 被災地へ行く道の回復してからってのは 一年前なら仕方ないって思うけど、一年経っても これまでの 東北、阪神の災害より遅れてるのは 人手不足と 地形では️ 被災者の気持ちは わかるけど 到達する道が 限られるとこだから 遅れるのを政府のせいではないと思う。 例えば ボランティアを募集したら 限られた道しかないから、 ボランティアに向かう人等と復興で動く土木関連の車、支援物資を運ぶ車両や 支援に向かう自衛隊車両が 限られた道を占拠し合うから、東北と阪神の災害と同じように行かないと思う。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
いずれは少しずつ時が解決してくれますよ。でも小さな傷は永遠に癒えないでしょう。ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、戦渦に巻き込まれた、天災に巻き込まれた、事故に巻き込まれた、病気に巻き込まれた、詐欺に巻き込まれた、洗脳に巻き込まれた世界中の人達は。 何も巻き込まれず一生を終えれた人は幸せ。
▲2 ▼1
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災難にあったことには同情するが、災害が偶然元旦に起こっただけで、別に何も元旦が悪いわけではない。先だってのノーベル平和賞とやらの演説会でもあったように、場を読まない発言が元旦を祝う多くの人に嫌な気持ちを与える事も考えてみればいい。そういう発言は公に向かってではなく、自分の心の中だけにしておくべき。
▲5 ▼1
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被災者です昨年の元旦の地震で、山間部6件集落の実家で被災、道路寸断、停電、断水になって水源は山水だったので数人で修復して水は確保したけど2周間近く車中泊で過ごし、最後まで残ってた6人徒歩で脱出して金沢へ避難しました 自分の家は半壊で昨年末解体工事完了 とりあえず、実家の家は大丈夫で道路や電気や水も復旧してるけど、やっぱり自分も被災者皆が思うように不安で実家へ帰れず避難先で年末年始を迎えました
▲7 ▼0
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私は叔父を元日の夜に亡くしました。私の実家で皆の目の前で倒れ、突然死でした。あれから今日で19年になりますが、毎年正月が近付くと胸が苦しいです。つまらない拘りだと笑われるかも知れませんが、いつまで経っても元日は命日であり、『あけましておめでとう』とはなりませんし、言いたくもないです。毎日が誰かの誕生日であるように、毎日誰かの命日でもあるんだと思い知らされます。きっと能登の地震で大事な方を失った方々も同じ気持ちなんだろうな。街や世間がお正月ムードなのに、そんな中で誰かを見送るのは辛いものだと思います。頑張らなくていいんです。
▲6 ▼5
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被災の有無ではなく、日本の現状の1人住まい人口は1441万人あり、その人口が そのまま世帯数になる。 H21年比12%増加しているから 今後もこの傾向は強まる。 かっての日本政府は統計を世帯換算してきたが、1世帯4人が既に崩れ世帯単位の考え方では意味がなくなった。 寧ろ現状の1445万人の単身者が今後も増加することが想像され懸念事項になる為単身者に焦点を当てた政策を無視できなくなる。それは老後の貧困であり、孤独死の問題とも繋がる。 問題は山積するが解決には至っていないのが実際だ。
▲14 ▼6
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あけましておめでとう。 おめでとう。おめでとう。 …そんな言葉の溢れる日だけに、余計につらくなるでしょうね。でも本来のお正月とはめでたいものなのだから、それを嫌がる自分自身が我儘なだけなのかととも思ったりね。私は311の被災者ですが、やっぱり一歩前に進むには、5年はかかりました。心から素直に悲しめることは、後になってとても大事な経験になります。今はまだ我慢せず表現する時期です。
▲11 ▼3
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元日がすごく嫌いという言葉が、とても心に突き刺さりました。そら当然だと思うし、今後何年経ってもそれは変わらないと思うと、もっと辛く感じた。 天災とはいえ、地震、豪雨と立てつづけにあると、心がズタズタになると思うし、それでも生きていかねばいけないし、励ましたくても簡単に励ましの言葉は言いづらい。。 ふるさと納税くらいしか応援出来ないけど、自分なりになんかしたくてしたが、早く復興できたらなぁと思いつつ、どれだけ時間かかるんかな。。 国も海外支援やらする以前に自国民を助けてほしい。
▲4 ▼3
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今年の正月もはじめ天気がよく、昨年の地震の日と同じで少しそわそわしていました 志賀町なので震度は7でしたが、お陰で家葉壊れましたが家族が無事で良かったです
でも、テレビを見ていて もし家族がなくなっていたら もっともっと辛いだろうなと なんとも言えない気持ちで今日テレビを見ていました
▲1 ▼3
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何の根拠もないけど元旦には地震なんか来ないって思い込んでたけど現実を思い知りました。 地震に限らず戦争、前例がない規模の豪雨や台風など自分のところにはあるわけないが通用しない時代になりましたね。助け合って生きていきたいです。
▲1 ▼0
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1年の始まりの日に身内や友人達を災害で失った記憶は一生残るし、忘れたくても忘れられない。 能登半島全域にとって、正月は「無かった事」したい気分だろう。
ただ、災害は予告や予定無く突然規模も分からず来るから、生き残るかどうかは運と行動次第。
▲1 ▼3
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日本政府は、過疎化や災害地での復旧は、無理だとデータ資料を元に説明するべきですね。 復旧無理なのに、復旧しようとしてる人にどう思ってるんだろうね。 1年経って、復旧が進んで無いのは、税金を使ってお金が使えないからです。 勿論、自力で復旧出来る人は、自由です。 今からの日本は、税金使って復旧は、残念ながら厳しいでは無く無理です。 町中にも空き家が多数あるので、住みやすい地域に早く移住した方が良いですね。 既に、2025年問題がこれから始まります。 2050年には、日本の人口減少予測、1億人切り、2100年には、人口5000万人前後で、高齢者だらけが確定してるのです。 この数字から見ても過疎化地域は、住みやすい地域に移住しないといけない事が分かりますね。 少子高齢化問題は、産まれてくる子供の数が少ないから問題では無く、長生きし過ぎで、お金がかかり過ぎ、人口バランス悪過ぎるから問題なのです。
▲0 ▼0
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大きな災害等が起こった日になるとこのような記事が良く出るが、あたかも遺族が皆元日が嫌いだと思っていてそれを全国民が共有すべきであるかのように誘導した書き方の記事には何か違和感を感じる。遺族から「元日が嫌い」という言葉が出るのを待っていてそこだけを大きく切り抜いて記事にしたような作為的なものを感じてしまう。 「1年365日どの日も誰かの大切な人の命日であって、全国民が365日厳粛な気持ちで過ごせ」と言われたら誰だっておかしいと思うだろうが、このような論調の記事も要はそれと同じことではなかろうか。 このようなメディアの影響を受けて正月を祝う人や3月11日が誕生日の人が誕生日を祝う事が不謹慎だと批判されるような世論が出てこないかが心配である。
▲28 ▼8
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365日誰かの記念日であるし 誰かの命日であるし 誰かの素敵な日であり恨む日でもある 忘れちゃいけないだろうけど 押し付ける必要もなければ自粛する必要も無い 皆がそれぞれ過ごせばいいんじゃないすかね 被災者の気持ちが〜 って意見もあるだろうけどね。 個人的に東日本大地震を宮城で経験したけど 3.11を恨む日でもないし自粛を求める日でもないっすね、特別な日ではあるけれど。 1年も経てば被災者以外は日常なんすよ。 元旦は餅食って寿司買って来て酒のんでましたし。 被災があった事を忘れず明日は我が身…という気持ちを改めて意識する程度でいいと思うんすわ。 今も被災者が大変な気持ちや待遇は分かるんだけど全国的に自粛して喪に服す事が正しいとは思わないっすね。何の助けにもならない。 だったらいつも電子マネーで払ってるところを現金で払ってお釣りを募金に回した方がいいよねーって思うっすね
▲21 ▼4
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さすがに今年は私も元旦にはおめでとうを言うのをやめました。 それと被災地のことを考え、2025年も良い年になりますようにも避けた挨拶に変えました。 年始の挨拶は大切な日本の文化ですが、今年だけでも気を配るのもいいかと思います。
▲0 ▼0
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ご遺族にとっては毎年が辛い元日となりますよね。世間では年が明ける前から祝福ムードで、年が明けたらおめでとうございます、だからね。それでも変わらずお正月を迎える人、もう正月行事すら辞めてしまう人も居るかもしれない。自分は全く被災地から離れた関西に住んでますが、今日も嫁さんに去年の今頃地震があったとか、その時キッチンで湯を沸かしてたから火を止めたとか、表に出たら近所のオッサンも出てて、酔っ払ってるから自分が揺れてると思ったわぁーと話してた事を思い出した。被災地なら尚更だと思いました。なかなか復興が進まないと耳にしますが政府や行政も放置をしてる訳ではないと思いますが、何とか最優先で復興に力を注いでほしい。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
大きい被害があった地震の数年先までは「〇〇地震から〇年」という特番が組まれていることが多いのだが、能登地震については、キー局(含むNHK)はどこも取り扱っていなかったような気がする 取材とかに気を使わないとネットで叩かれるのを恐れているんだろうけど、そこを乗り切ってこそのTVメディアじゃないのか?って思うのだが。 ネットからTVや新聞ネタ探すくらい落ちたのかとTVメディアに問いたい
▲2 ▼6
=+=+=+=+=
こういうセレモニーには短所があるように思う。 記憶を呼び起こしそれを強固にする働きがある。 薄れてもいい記憶もあるはずだが、嫌な記憶を固めることもないだろう。 人災的なものは反省や教訓を反芻する意味もあろうが、天災は鎮魂だけだ。 それなら個人でやればいいと思う。 こんなことでは世の中はセレモニーだらけになってしまうではないか。。
▲33 ▼11
=+=+=+=+=
自分は昨日の今頃、いつもの神社に除夜の鐘を突く為に並んでいた。 そして新年となり、明けましておめでとうとなった時に、ふと1年前に同じように言ったた能登の人は数時間後に大変な事になったんだよなと思った。 自分は能登と関係は無いんだけど、阪神淡路大震災の時に朝刊配達という、高校生ではかなり珍しいバイトをしていて発生時に外にいてなければタンスの下敷きになってたから他人事には感じれなかった。
▲49 ▼3
=+=+=+=+=
地震のことがあったので、新年の訪れを祝うため家族が集まる居間を離れてそっと外に出た。私自身に直接地震の被害にあったわけではないが、除夜の鐘を聞きながら、被災された方のご冥福を祈らずにはいられなかった。 どうやってこの日を迎えたらいいか悩みながら過ごした年末だった。
▲7 ▼5
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元旦が悲しみの日になるなんて。 おめでとうなんて一生思えない。 どの日もどなたかの命日で家族や大切な人と一緒に生きていたかった日だ。 悲しいし悔しいけれど、どの日も生きられた事に感謝して、その人を思い出して祈ろう。 そして、生きているもの同士、今日この日まで生きて、おめでとうと言い合える事にも感謝しよう。と、思う。
▲3 ▼2
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自分が心配なのは、世間が元日を祝う中で、祝う気になれない人たちが世間とのギャップに悩んで苦しい思いをしないかということです。今年はまだ1年ですから記憶も生々しいけれど、5年、10年と経過したときに世間とのギャップが生じて苦しむ人が出ないかと心配ではあります。
▲5 ▼3
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被災者の方々の心境を察すると軽々しく「頑張りましょう」「大丈夫」なんて言えません。 不幸にも自然災害で亡くなった人のご遺族は怒りの矛先がないように感じます。 一方では一命を取り留めた人もいる中で「なぜ自分の家族が」という思いもあるでしょう。 命を軽視するつもりはありませんが、予期できぬ自然災害にはどうしても「運」も関係します。 ご遺族の方にとっては「運」では済まされませんが、残念ですが事実でもあります。
▲11 ▼4
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元旦に限らず大きなストレスがかかった日は、何かと忘れられず嫌な記憶になるかと。 こころのケアの大切さと、忘れないで語り継ぐことの大切さとバランスが難しいですね。
▲67 ▼3
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本来、一番幸せな日のはずだった 帰省して亡くなられた方もいた お盆なら 一緒に供養もできた
元旦に起きたということが どれほど深い傷なのかは 計り知れない
元旦には 手を合わせて 毎年必ず能登震災の追善供養をしようと思う
▲11 ▼2
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まさか元旦の家族みんなでくつろぐ時間帯に大地震起きるなんてね これから何年経って復興したとしても被災者にとっては大地震の日、亡くなった人がいれば家族や友人の命日には変わりない それでも世間はお祝いムードになってしまう、やるせないだろうね
▲430 ▼26
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能登半島地震、能登豪雨の追悼式典を視聴し被災地で犠牲になられた方々の御冥福を祈り16時10分に黙祷いたしました。なぜ追悼の言葉を復興に進展させなかった岸田が弔辞を述べたところで何一つ響きませんでした。逆になぜ岸田がのうのうと、色々と対策しました感を強調したのは腹立たしい思いでした。石破も同様な言葉しか述べずニュースで見る限り1年経っても被災地の倒壊した家屋が今だに残るのは如何なものでしょうか?
▲8 ▼7
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元日が、めでたい日ではなくなるほどの悲しみを持った人達に思いを馳せながら、家族や親しい人達と「明けましておめでとう」と言えることの有難さを感じることが大事だと思います。人生は無情なものであるが、それでも人は生きていくしかない。
▲16 ▼0
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石川県民です。今年の元日はとてもおめでとうと言える気になれなかった。あと何年経てば、元日におめでとうと言える日がくるのだろうか。 今朝、地元紙を一通り目を通したけど、おめでとうという文字は一つも見当たりませんでした。 せめて復興だけは早く進めて欲しい。
▲9 ▼4
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黙祷させて頂きました。自分が今よりもっと若くて自由な時間があればボランティアに行ってあげたかった。できない今は、義援金で協力させていただいていますが、現地の助けになってあげたいといつも思っています。
▲8 ▼2
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楽しいはずの元旦、希望に満ちあふれた日、その日が命日というのはとても辛い。 毎年毎年お正月が来る度に思い出し、 夢も希望もへし折られる気持ちになる事でしょう。少しでも心の傷が癒えますように。
▲3 ▼1
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前総理、現総理、そして石川県知事間近で聞いたと思うが、これが現地の方々の生の声です。他県の自分たちは正月気分でいられますが能登地方の方々は生きている限り元日=震災で忘れたくても忘れてはならない1月1日になる事でしょう。新潟在住の自分も昨年の震災は軽微でしたが、確か今年の元日も昨年と同じ雪も降らず似たような空模様でした。
▲5 ▼8
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正直、この災害は政府支援が行き届いていないなと感じます。 災害に大小や相対評価は不適切かもしれないけど、過去の被害と支援規模を考えると些か手抜き感が否めない。 地震と大雨のダブルパンチ、もう少しやり方があるでしょう。
▲1 ▼3
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当然だよね。 昨年この被災があった時に、「こんな日にあってたまるか」と思った。 いつでも被災は大変かつ最悪なんだけど 1月1日の被災は最悪以上の言葉が浮かばない程の出来事。 同じ被災でも精神的にこの日は無いわ。 阪神大震災も東日本震災も日にちは覚えているし、最悪以上の出来事だしもっと死者も出ているが、元日を一生祝えないのは 明けましてもおめでたくないわ。命日になるし。
▲17 ▼6
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本当に去年は、まさかの元日だった。テレビでサッカー代表の試合が終わって、インタビューの途中だったか、急にスマホの地震警報が鳴って、でも僕のいた東京は大した揺れでもなく、テレビは能登からの生映像に切り替わり、建物が噴煙を上げて崩れているような画像が画面の左上に見えて、何かとんでもないことが起きていると感じた。 能登の人たちは、今後毎年おめでたい新年の日に慰霊祭をしないとならなくなった。自然は人間の都合など考えないし、悪意で災害を起こしているわけでもないのだけれど、本当に不条理だと感じる。
▲8 ▼1
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私も元旦嫌い。ずっと1人で過ごしてる。親にひどい虐待されたし、ヤングケアラーで病人家族の手伝いばかりだった。大人になって正月だけ実家に日帰りする。親は私に興味ない。自分の話ばかり。我慢しすぎてアパートに帰宅すると鬱になる。他の日はずっと1人で過ごす。孤独感と寂しさが際立ってくる。
▲64 ▼84
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発災当時幸いだったのは夜じゃなかったことと、雪や雨が降っていなかったこと。風が強くなかったのでそこまでの寒さではなかったことです。また、逆に元日であったために助かった命もたくさんあります。
▲6 ▼0
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阪神大震災で被災し、死なずに助かりましたが、建て替えの借金がまだまだ重いです。 でも、生きているから嫌だと感じられるので、まだ恵まれているなと自戒しています。 亡くなった方々は、嫌がることはできませんから。 それに、嫌なことは被災以外にも山ほどありますね。
▲2 ▼0
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被災された方々の日常が早く戻りますよう祈念致しております。寄付でしかお役に立てていませんが被災された方々に寄り添う意味でコツコツ寄付を続けるつもりです。
▲8 ▼0
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何でこんな辛いことがと、当人になったら耐え難い苦しみだと思います。元日という特別な日に、たまたま帰省して亡くなった方々がたくさんいらっしゃったでしょう。お子さんやご家族を亡くされた方は、帰省したことを悔やんでも悔やみきれない。神も仏もいないのでしょう。どうしようもない苦しみを抱えて生きていらっしゃる方々を思うと、言葉になりません。
▲2 ▼2
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気持ちわかりますね。人生最悪な日は、頭に残るもんで嫌いになりますよね。僕も大晦日に脳梗塞になって救急車で運ばれたことがあるから、大晦日は、必ず年明けるまで座って起きてますからね。不思議と年明けすると安心して寝れるんですよね。
▲1 ▼0
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日中の報道番組で、新年の挨拶として年賀状を引き合いにして、めでたさを祝うのはどう思うかと聞いてた局があった。 なんか凄く違和感を感じた取材の仕方だと思ったのだが、こういった件もあるからだったのかね? と、この記事を見て思った。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
災害に遭われた人がその日を思い出したくないのは当然の事。元日という表記に違和感を感じる。日付の1月1日はすごく嫌いとしないといけないです。元日表記だと元日に想起される全ての事柄が嫌いと人をして誤解させます。
▲1 ▼0
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なんかカレンダーに洗脳され過ぎてるというかたまたま日付が同じだからといって1年前と同じ気持ちにならなきゃいけないという決まりはないんですよ 1年前と現在は重なりあってるわけではなく直線で伸びた過去の話 もしカレンダーがなかったら365日後っていうごろが悪いこのタイミングで思い出したりするだろうか カレンダーって人間の生活を便利にするためにあるので気持ちとかは書いてないんですよね
▲9 ▼2
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ただの普通の日だって辛いのに、元旦って特別な日過ぎて 能登の人達は辛いだろうなとは思う だけど、どうか、ふるさとにこだわって、インフラが整わないい中で 無理して生活するのは止めて欲しい 新潟の山古志村の方達を見習って、集団移転をしてほしい 都心なら、1年や2年で大きく復興するでしょうし 福島や宮城、熊本などと違い、土地の形状などが厳しい上に豪雨もあった 他の震災以上に復興には時間がかかるのは目に見えている 亡くなった方達も天国から、今生きている人が疲弊する姿は見たくないと思う
▲11 ▼5
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被災者にとって一年前の大震災はそう簡単に癒えぬものではないだろう。 政府と自治体が協力をして一刻も早い復旧に向けた支援を加速させるべきである。
▲0 ▼0
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被災者の皆さんには元日は嫌な日と言っても過言ではないのは納得ですし、共感します。一年の始まり地獄と化しましたから、もう「あけましておめでとうございます」などと明るく新年を迎えることはもうできないでしょう。私も「あけましておめでとう」などとめでたく祝いたいとは思わなくなりました。
▲9 ▼14
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元旦の夜のご馳走を用意している時に、この地震で家族や自分が死んでしまうなんて、神、仏なんていないと思う酷い事だった。本当に気の毒で、家族が亡くなって1年経って気持ちを少し落ち付けて戻って泣いている人の記事を見て涙が出た
▲8 ▼5
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元日の夕方、一年ぶりか半年ぶりかに家族親戚が集まり、 ご馳走を囲んでいたはず。。なのに、神様は何てむごい事をするんだ 新年の元日はいつまで経っても能登の人たちには辛すぎる いつもの平穏な日々が一日も早く皆さんに訪れますように
▲1 ▼6
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そうでしょうね。 一生、心の傷を背負って生きていくと思います。 それでも一歩一歩前進しなければなりません。 人生とは、そんなものですね。 震災以外の人も色々と背負って生きています。 元日が好きにはなれないと思いますが、誰もが辛い思いを背負って生きていますから、みんなと一緒に前に進んでいきましょう。 人生って残酷ですね。
▲2 ▼1
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被災者でなくても元日嫌い。年末年始に一斉に休暇の制度が嫌い。 能登地震では、年末年始の制度がなかったら犠牲にならずにすんだかた、たくさんいることでしょう。 年末年始、郵便や旅行業は仕事が集中し、ごみ出しやいろいろな窓口は休業。 ある場所は人が殺到し、ある場所は閑散。盛り上がりすぎで両極端な年末年始は嫌い。災害、人が多い場所で発生すれば犠牲者多くなる。 お正月に能登地震が襲ったので犠牲者が多くなった。
▲0 ▼1
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方丈記を読めば、震災の後はじめは人々は悲しんでいるが、やがて人々がその日のことは口にしなくなり忘れられていく様子が書かれている。
忘れてしまうことがいいのか悪いのか
みんなが祝う、楽しい元日を、苦しく悲しみに満ちて迎える人がいる。この断絶と分断は、まさに今の社会の縮図だと思う。
▲0 ▼0
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よりによって元旦や正月三賀日だもんなあ。 皆がおめでたいと祝っている日が大事な人の命日というのは確かに辛いだろう。 もちろん、だからといって1.17や3.11がそれよりマシということではないんだが。
▲109 ▼3
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あの悪夢の地震から1年経ちましたが、この地域の方々が以前のような正月 元旦を過ごすという感覚を取り戻すには長い期間が必要でしょう。 国はこの地域の方々を支援し、それを全国民に対し見える化するべきです。 国民は見てますよ 次の選挙に影響しますよ
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年の始まり元日とゆう1年でも特別な日に起こったから尚更、遺族の方々や被災者の方々は辛いおもいをしてるようにも思う… 石破総理も参列されたようだが…現場を現実を被災者の声をどれだけ見聞きされたのでしょうか? そうゆう記事もあげてほしいです
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元日の震災犠牲者家族にとって、元日に他では「おめでとう」と聴きながら、自分たちは家族の命日。複雑だと思う。昨年の家族のインタビューで「もう元日を祝うことはない」と言っていた人が思い浮かぶ。
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