( 242993 ) 2025/01/02 03:38:31 2 00 「しんどかったが来て良かった」妻子4人亡くし地震後、初めて現地に毎日新聞 1/1(水) 12:28 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/d9b7e7933a9052cc555c79308b216115fdc0c0da |
( 242996 ) 2025/01/02 03:38:31 0 00 能登半島地震から1年を迎えた元旦、4人の家族を地震で亡くし、地震後故郷を離れていた大間圭介さん。初めて珠洲市仁江町の現場を訪れ、土砂にのまれた車を見て「この車ね、うちのなんですよ」と語り、涙を流した=石川県で2025年1月1日午前10時49分、滝川大貴撮影
最大震度7を観測した能登半島地震は1日、発生から1年を迎えた。妻と子ども3人の一家4人を亡くした大間圭介さん(42)はこの日、石川県珠洲(すず)市仁江(にえ)町の現場を地震後初めて慰霊に訪れ、家族の冥福を祈った。
大間さん一家は1年前、金沢市の自宅から、珠洲市の妻はる香さん(当時38歳)の実家に帰省し、親戚一同の12人でにぎやかな元日を過ごしていた。
地震の揺れで裏山が崩れ、居間にいたはる香さん、長女優香さん(同11歳)、長男泰介(たいすけ)さん(同9歳)、次男湊介(そうすけ)ちゃん(同3歳)が土砂にのみ込まれて犠牲になった。家族のうち、大間さんだけが残された。
大間さんは1日午前10時20分ごろに現地に到着。家があった場所に花を手向け、お菓子やペットボトル入りのジュースも供えた後、しゃがんで目を閉じて手を合わせた。
土砂に埋まった家屋は原形をとどめず、崩れた土砂や倒木が今も大量に残る。周囲を歩き回り、大きく損壊して形をとどめない一家の乗用車を目にして、おえつを漏らした。
大間さんは「当時の様子を思い出すので来ることができなかったが、いつまでも背を向けてはいられない。長かったけど、あっという間だった」と振り返った。
地震後、しばらくはふさぎ込む日々だったが、石川県警の警察官として2024年3月に仕事に復帰。
23年秋に学校行事のマラソン大会を控えた長女と長男に「やればできるよ」と励ましたことを思い出し、24年10月に「金沢マラソン」に出場して完走した。「何か決まっているわけではないが、マラソンのように次の目標に備えて準備したい」と語る。
この日の献花を終え、「亡くなった家族と過ごした1年だった。生き残った私は家族に生かしてもらったと思うので、一日一日を無駄にせず、家族がやりたかったことをしてあげたい。来るのはしんどかったが、家族のことや楽しかったことを思い出し、来て良かった」と語った。【井村陸】
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( 242997 ) 2025/01/02 03:38:31 0 00 =+=+=+=+=
記事を読んで、胸が締め付けられる思いです。 家族を失う絶望感は、正直経験した事ないからわからないけど、そんな簡単に前を向けるものではないのはわかる。 でも、前を向かないといけないという思いとの葛藤。 どんな言葉を掛けようとも、結局他人事になってしまう気がするけれど、遠い地から、1日も早い復興を願います。
▲13466 ▼217
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この方のこと、たまに思い出します。 被災直後からテレビのインタビューにも気丈に答えていて、奥さんとお子さんを失ったのに、突然すぎてどこか受け止めきれていないというか、時間が経ってからすごく辛い思いをするのではないかと気になっていたからです。 でも3月からお仕事にも復帰されて、辛い中でもしっかり生活されていて良かった。 お辛い気持ちは何も変わっていないだろうけど、少しずつ元気に、幸せになって欲しいです。
▲1194 ▼20
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うちも数年前に建てた自宅なら南海トラフ地震とか来ても助かるが、実家なら耐震強度が不安だから、場合によっては助からないような気がする。 親には引っ越してほしいが、なかなか引っ越しはしてくれない。 災害があると、なんで被害が出やすいところに住むのか、という意見も出るが、簡単に行かないこともある。
▲104 ▼6
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れいわ新選組の党首山本太郎氏が国会で、能登に自衛隊を派遣して整備してくれ️と訴えた時自民党から1人、そうだ️と声掛けがありました。議会が終わり山本太郎氏に1人駆け寄った先程の議員が、よく言ってくれた。とうっすら涙をためていた。と。山本太郎氏は立場上どうにも動けない歯痒さをその人を見て感じ取った。と言っていました。居るんです。自民党にも能登を思う議員が。たった一声も勇気があったと私は思います。能登の早い復興を望みます。
▲6765 ▼884
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まだ現地には早いのでは…。 ちょうど1年前の今日と考えると、一気にいろんなものが押し寄せてくると思います。 どうか無理はなさらないで、ゆっくり進んで行って欲しいです。こんな切ない写真も撮らなくていいと思います。
▲10 ▼8
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僕たちは、彼の深い悲しみと強い痛みに寄り添うことを通して、人としての幸せを初めから問い直すことがどれほど必要か、真剣に考えるべきだと思う。私も妻と子供を違う形で失ったからこそ、少し分かる部分があると思う。何をしても、幸せを感じない人生は、この世で1番辛い。ただ、自分と同じ人生を他人には、歩んでほしくないことを、伝えることが唯一の使命だと思い、日々生きてることを、より多くの人々に知ってほしい。
▲1320 ▼43
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大間さん、今日は本当にお疲れ様でした。 大切なご家族を亡くされ、どれほどの悲しみと苦しみを味わってこられたか、言葉では言い表せないほどだと思います。それでも、前を向こうとされているお姿、本当に頭が下がります。 地震から1年という節目に、現場を訪れるというのは、とても勇気がいることだったと思います。つらい記憶が蘇り、心が押しつぶされそうになる中で、ご家族と向き合われたこと、心から敬意を表します。 しんどかったが来て良かったという言葉、深く胸に響きました。ご家族への愛、そして、ご家族と共に生きていくという強い決意を感じます。 前を向いて歩もうとされている大間さんですが、無理はしないでください。悲しみや苦しみは、時間をかけてゆっくりと癒していくものです。どうかご自身のペースで、一歩ずつ進んでいってください。 そして、もしつらい時、苦しい時には、一人で抱え込まず、周りの人に頼ってください。
▲2514 ▼67
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能登の住民の1人で、この方のニュースなど何度も拝見しました。 本震が起きる4分前、元日の平穏な日常を切り裂くように、緊急地震速報が鳴りこの方のおられたところは、震度5弱の揺れに襲われ地震の揺れで怖かっただろう家族を残し、お父さんは警察官だから、仕事に行かなくちゃならない!!と家を出て、すぐ本震がきて裏山が崩れてさっきまでいた妻の実家に、大量の土砂が流入したそうです。 妻と子ども3人が、突然の地震によって命を奪われ、この方のお気持ちを推し量ることはできませんが、1歩ずつ前を向いてほしいですね。
▲2027 ▼49
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警察官でお仕事に行かれてた方ですよね。 昨年ニュースで見てすごく苦しい気持ちになったことを覚えています。 仕事に行ってる間に家族全員亡くなってしまうなんて、想像出来ないくらい辛い経験だったと思います。 無理せず頼れる人に頼って少しずつ前に進めることを願っています。
▲1456 ▼36
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この人にとっては元旦が、新年が、おめでたい雰囲気が、悲しい日になってるんですよね。流石にここまで有名なら新年あけましておめでとうと伝える人はいないと思うけど、何も元旦にこんな災害。本当に残酷でした。 寂しさや、悲しみが癒えることは難しいのかなと思うけど、幸せに生きて欲しいと願います。
▲489 ▼11
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お仕事があり留守中に起きた地震だったんですよね。 当時とても記事を読むのが辛くて途中涙で読めなくなった方だったので覚えています。 あれから一年本当に少しづつでも前を向いている事が知られて良かったです。
他県在住ですが、勤めている工場で石川県の物産を使用したモノを製造した縁で会社では寄付金を募り纏まった金額を定期的に能登に寄付しています。
個人的には能登産のお塩を購入してます。 あとお気に入りのいしるだしの製造工場が製造が厳しくなってしまったので、同じ会社のお味噌を定期的に購入してます。 こう言う形でしか復興のお手伝いが出来ませんが続けていきます。
▲613 ▼41
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大間さんのことを昨年知ってからずっと気にかけていました。 それから、街なかで幸せそうな家族を見るたびに 大間さんのことが思い出されます。 家族がいる一生と、家族を失って一人で行きていく一生はあまりにも違う。 大間さんも素敵なご家族とともに人生を歩むはずだったのにと私も悔しい思いで一杯になります。 前を向こうにも中々難しいことだと思いますが、 どうかこの先少しでも多く、楽しく喜びのある出来事が起こりますように。
▲434 ▼22
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テレビを観ていました。すべてを失くしてしまったと言っていいのでしょうか。この方の抱えきれないほどの悲しみと辛さが本当に伝わってきて、涙がでました。家族を一瞬にして失くしてしまうことの絶望感は、この方にしか分からない。でも、強く生きようとしている前向きな姿にエールを送りたいです。自分も弱い人間ですが、負けない強さを復興に頑張る人たちから学びたいと思っています。
▲370 ▼8
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家族の存在がどれだけ私たちにとって大きな支えとなっているかを再認識しました。 一度にすべてを失った方の悲しみを想像するだけで胸が痛みます。 それでも地震の地に足を運び、過去と向き合おうとされるその姿に深く感動しました。
私も家族を持つ者として、何気ない日常がどれほどかけがえのないものかを改めて考えさせられました。
▲412 ▼15
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もしも神様が世の中にいるのであれば、この方の元にご家族を戻してあげてほしい。。 記事と、この方の画像を見て心からそう思った。誰かそばで心の支えになってくれる人が居る事を願っています。
▲691 ▼28
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以前にも、この地で強い地震に遭ったのでお子さんたちはお正月に「行きたくない」と言っていたのを「大丈夫だから」と説得して帰省したんですよね。 まさかこんなことになるなんて思わなかったはず。 楽しいお正月だったろうに。 元日だったせいで被害に遭った方、元日だったから被害を免れた方と両方いたと思います。 本当にこんなむごいことはないです。
▲508 ▼32
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震災直後に大間さんの兄弟皆でこたつに入って逃げたんですよね。下の子もお兄ちゃんお姉ちゃんの真似して一生懸命こたつに逃げたんだと思うと涙が止まらなかったです。
おばあちゃんが掘っても掘ってもこたつが出てこんがんやと毎日泣きながら被災した家屋を眺めている記事を読んで本当に毎日祈る気持ちでいました。
大間さんのインスタはとても力強く前に向かれていていつも勇気をいただきます。 何もできませんが今後の人生少しずつでも光がともる事を祈っております。
▲154 ▼7
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奥様の実家で被災され、自宅に戻った時には、家族のものは生前のまま、何も変わらずあるんだよね。 私も数年前の帰省中に子供を急病で亡くしました。遠方だったため、小さな箱になり帰宅した時、自宅の中は生前のまま。 こんな辛いことがあるのか…と。 そこから、なんとなくただ生きてきた。 心の中は穴がぽっかり空いてるけど、頑張るしかないから。。
▲207 ▼8
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大間さん、本当に来るの大変だったと思います。 家族との思い出って、不思議と幸せだった時の ことばかりフラッシュバックするんですよね。 人間の脳がそうなってるんですかね。 こういった自然災害って誰を恨んでいいのか わからないから結局助けられなかったとか 自分自身に矛先が向いてしまう。 大間さんがこれから誰よりも幸せになることがいちばん大切なことです。
▲97 ▼2
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この地震が起きるまでは妻、子供三人と幸せな生活をして過ごしていたんだろうな、と思います。 そして加害者がいるわけでもなく、この方の想いはどこにぶつければいいのか、非常に厳しい現実の中、この一年を過ごされてきたのだろうと想いを寄せることしか私にはできません。 そして、早々に始めた寄付活動を継続していくことしか私にはできません。 まだまだ復興には時間がかかる現状も承知していますが、復興に向けて少しでも被災遺族の方々が救われるように非力ながらもできることを続けていきます。
▲49 ▼2
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昨年家族を失う経験をした。けれど長い闘病の末、徐々に弱っていきある程度覚悟を持つ期間があったにも関わらず、いざ失うと精神的にも肉体的にも絶望を経験して、今なおその途中にある。 そんな状況ですら辛いというのに、昨日まで元気だった家族をいきなり全員失うなど、あまりにも残酷な現実であり想像すらできない。 こういう状況は時間が解決してくれるとよく言うけれど、そんなに簡単なものじゃない。この1年で仕事にも復帰し日常を送られていることが本当にご立派だと思う。 能登の復興は進みがよくないように感じるし、一生この思いを胸に生きていかなければいけないかもしれないけど、少しずつ立ち直られることを切に願う。
▲13 ▼2
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大事な人を事故や震災で亡くした経験が自分はないのですが、以前何かで、【時間は解決しない。悲しさは何も変わらないけど、外から見て大丈夫なように取り繕っているだけで癒えていない】というのを見ました。これが本当なんだと思いました。サンドイッチマンの友人も、この方と同じで震災で妻子を亡くして、五年後くらいに自殺しましたよね。何もできませんがどうかこの方が無事に暮らしていけますように。
▲55 ▼1
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ご家族を突然失うことは言葉にできないくらい、辛く悲しいことと思います。 2024年の1年間は本当にしんどかったと思います。 文章にすると、簡単な言葉になってしまいますが、想像するだけで胸が締め付けられます。
それでも再就職やマラソンなど、前向きに生きて行くエネルギーに最大の敬意を表したいです。
記事を読んだ私としては、 周りの当たり前のことに感謝して、日々を大切に過ごしていこうと思いました。
能登の人だけでなく、日本人、地球人みな仲間です。 辛くしんどい時は仲間の助けを借りながら、生きていきましょう。
▲51 ▼2
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他人には分からない悲しみや、辛さや、寂しさ、後悔、色々だったと思います。いつもそばに居てくれた奥さんや子供さん達が居ない日々の生活は、とてもつらくこの悲しみをぶつける所も無く、必死で今日まで頑張って来られたんだと思います。今も、辛い時もあると思いますが、どうか、無理なさらぬように。この写真を見て、胸が締め付けられます。いつか笑える幸せが訪れる事を願っています。
▲8 ▼0
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石川県に住む者です。 震災後の輪島朝市の凄惨な姿を見た帰り道、生きているうちに自分のやりたいことをやらずして、何をしている!という居ても立ってもいられない気持ちになり、金沢マラソンの出場を決めたものです。 運良く生かされている今、毎日を精一杯に生き抜く。 これ以外にないと思います。 大間さんも金沢マラソンに出られておりましたが、見つけることができませんでした。 あなたから勇気をもらった一人がここにいます。 同じく40代で娘もいます。 あなたに恥じないように自分らしく自分の道を毎日元気に生きていきます。 これからも勇気をもらった事を忘れずにいます。 大間さんにとって何のつながりもない者ですが、大間さんに感謝しております。 ありがとうございました。 いつか会えたら感謝を伝えます!
▲28 ▼1
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このニュースは当時聞いたときはなんで?ってのが第一声でした。 偶然と偶然が重なってしまい残されたお父さんの心情は実際お父さんしかわからないです。 しかし残念ながらこれまでも、これからも大小含めて災害は必ず起こります。 いまは前向くことだけでもしんどいかもしれませんが、すこしでも落ちつかれたらこれからは語り部として、普通が当たり前じゃない、それらを災害で被害のあったことのない方々に配信し続けてしてください。 どうか心安らぐことができますように願っております。
▲66 ▼8
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私も過去に家族を亡くした経験があり、震災も経験しましたので、他人事とは思えません。一度ついた大きな傷は生涯消える事はありませんが、傷はやがてかさぶたになります。時は最良の良薬という言葉がありますが、本当にその通りだと思います。亡くされたご家族の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
▲61 ▼4
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病で兄弟を亡くしました、13年経っても昨日の事の様に心がえぐられるように悲しいです。 この方の様に自分だけが生きている現実が、どれだけ辛く大変な一年だったのかと思うと他人とは言え涙が溢れます。 病でも事故でも災害であろうと、どんな形であれ家族が亡くなる事は同じ悲しみと辛さだと考えます。どうかこの先この方に幸が訪れますように。 こちらは名古屋です、同じ事になる可能性があるので改めて肝に銘じ生きていきたいと思います。
▲7 ▼1
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よく現地に足を踏み入れたと思う。すごく勇気のいることだったでしょう。生かしてくれたと思考を変えていくこともなかなか難しいと思います。よくぞ生きていてくださいました。読んでいるだけで苦しく、どうにもしてあげられない無力感に襲われます。当事者はもっと辛いことと思います。まとまりませんが、ご家族のご冥福をお祈りします。
▲27 ▼0
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家族みんなで過ごしていた幸せな時が一転、自分だけが残されたら・・・現地に足を運ばれた心中もいかばかりか・・・と想像すると涙がでる。
生老病死、人はどこに生まれついて、いつどんな病に罹り、どう死んでいくのかは誰も分からない。日常は普通ではなく特別なことなのだと改めて思う。
警察官として復職され、家族の分も生きる覚悟をされたこの方のこれからに、幸多かりしを心から祈ります。そして、自分も日々出来ることをしっかりやって行こう。
▲4 ▼0
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新聞に年末から当日地震までの 詳細な家族団欒のタイムラインが載っていましたが 本当に一般的な幸せな年末年始を家族で 楽しく過ごされている姿に胸が詰まりました 奥様子供達だけじゃなく義理のご両親や祖父母の方まで全員亡くされていることに言葉がありません 日常にあまりに突然起こったことに 全員が信じられない想いなのではと思います 心穏やかに向こうで皆様が過ごされているようにお祈りしております 旦那様もお辛い日々を過ごされていらっしゃると思いますが少しずつ進まれる日常が 温かなものでありますように
▲11 ▼1
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こんなに辛いことは無い
写真を見ても手付かずのまま放置された残置物など、見るだけで心締め付けられると思う 撤去するのは名残惜しいのもあるが、残されたものとしては前に進まないといけない ここを整理できてから、ひとつずつゆっくりでも前に進めることを願う
▲136 ▼6
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昨年1月下旬に穴水町に災害派遣で行きました。東日本大震災とはまた違った悲惨さがありました。 復興は綺麗事ではなく、苦しいことの連続です。 いつか、復興したと言える状況になったら、自分の目で確認したいと思っています。それまでは、陰ながら微力ながらも寄り添っていきたいと思います。
▲5 ▼0
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病気という不可抗力でも大切な人を亡くすと本当に辛く悲しく淋しい。 この様な災害も不可抗力と言えばそうなのだろうけど、あまりにも気の毒だ。 自分だけが生き残るなんて、一緒に行ってしまえたら良かったと何度も思い返しているだろう。 現地にやっとの思いでしんどい心身を引き摺って向かったのであろう。 亡き妻と子供を思い、逢いたい気持ちも閉じ込めて生き地獄の様な日々を一人で過ごし、嗚咽どころではない大声で泣き叫びたかったであろう。 誰かがこの方の傍に寄り添って居てくれれば良いなと切に願う。
▲6 ▼0
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一瞬で愛する家族を一気に失い自分だけが生き残って、こんなに辛いことあるだろうか… 事故や病気ではなく自然災害で、誰も悪くないし誰をも責める相手もいない。 家族が亡くなった場所に来るのは辛すぎるはず。 5年10年経ったならまだしも1年なんてついこの間のことだし、鮮明に1年前のこの日の記憶が蘇えるだろうし本当に辛いと思う。 私なら精神的におかしくなるし、仕事なんてどうでもよくて復帰もできない。 職場復帰されてマラソンに挑戦されたり、本当に素晴らしい人。 時間を戻して家族を返してあげたいです…
▲17 ▼1
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最近報道されてないから、忘れないためにもこうして報道してくれるのはいいと思います。そして、被災地は1年経ってもまだ倒壊した建物があったり復興が進んでいないのがわかりました。海外への支援も大事だとは思うけど、国内を元気にしてほしいと思いました。
▲68 ▼3
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本当に辛かったと思います。 大切な家族の色んな思いがたくさん詰まった場所や思い出。 身を削られそうな痛い現実に向き合わなければならない。 私ならおかしくなっていると思います。 耐えながら色んな事を思いながら生活なさっているかと思いますが、少しずつ家族のやりたかった事や思いを大切にしながら生活していって下さい。 そして、身体に気をつけて欲しいです。 見たり聞いたりする以上に本当にとても辛いですが、年の変わらない私から少しばかりですが応援させて頂きます。 無理せず少しずつ過ごして下さい。 辛かった時は必ず助けを求めて下さいね。
▲26 ▼2
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家族として父としてこれほど辛いことがあろうか…想像もできない程辛い日々であったでしょう。顔も知らない他人からの慰めの言葉などなんにもならないかもしれませんが、小生も同年代で同じ家族を持つ者として思うのは月並みですがこれから先どうか大間さんはじめ被災者皆様の未来が少しでも明るく開かれますよう心から願います。
▲14 ▼0
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かけがえのない大切なご家族が亡くなられてそれでも必死で前身していらっしゃる大間さん本当に涙が出ます。寂しさ無念さ後悔想像に難くない。もし自分も同じ目にあったら絶望で自殺してしまうかも知れない。いつまでも過去にとらわれ前身出来ないで居ると思います。大間さん、これからも応援してます。お身体に気をつけて頑張って下さい。必ず天国で再会出来ます様祈ってます。
▲7 ▼0
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私も淡路大震災があった。今は神戸も復興し町々は震災があったなんて面影もありません。地震を経験した物として今はしんどいでしょう。私も何年も泣きに泣き、この方の事が人事ではないと涙しました。でも助けられた命です。仕事に没王して下さい。それしかありません。頑張れとは言いません。あなたなりに頑張っているのだから。
▲51 ▼3
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本当に悲しい事故でしたね。普段は一家で金沢市に住んでいたのに、正月だと 云うので、奥さんの実家・珠洲市に帰省していてこんな災害に巻き込まれるとは気の毒すぎて言葉もありません。こんな運の悪い話、聞いた事がありません 一人残されたご主人さんのお気持ち、察するに余ります。でも気丈な方らしく 事故の2か月後から、また警察官の仕事に復帰して、亡くなった家族のためにも「お父さんは、頑張って仕事に励んでいるよ」と天の家族に伝えたいとのお気持ち、読んでいて涙が止まりませんでした。どうぞご自愛くださいませ。
▲38 ▼0
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幸せな暮らしが震災によって一瞬で暗転してしまう事に対して、改めて恐怖を感じます。また、その被害を受けられて、こうした事態になりまして、本当に胸がジーンと来ます。でも、大間さんは悲しみを湛えながらも、前を向いて進んでいますので、これからは失った4人の為にも、ご自分にとって充実した生活を送って頂けたらと願うばかりです。
▲7 ▼0
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本当にご冥福をお祈りします。 自分の家族を亡くした事はないけれど、想像すると絶望に襲われます。 記事の方は、家族を亡くして、前を向き始めたと書かれていますが、色々葛藤や後悔もあった事と思います。本当に心が苦しくなる。能登地震では、そういう思いをされた方々がたくさんいる。能登地震をずっと忘れないでいきたい
▲5 ▼0
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それでも前を向いて歩んでいる大間さんの姿は多くの人に勇気を与えてくれます 生かされたということは何かこの世で役割が残っているということだとも思います 家族がそこにあった生きた証拠であり家族の分も生きてください 1人ではないから みんな応援してます
▲2 ▼0
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記事を読み泣いてしまいました。愛する家族を失う事は1番辛くて悲しい出来事です。一向に復興が進んでいない地区もある中皆さん力強く生きている事に胸を打たれます。石破さん、復興に向けて動いて欲しいです。被災された皆さん身体に気をつけて欲しいです。応援してます。
▲21 ▼3
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石川県在住です。 夫の実家が昨年の地震で震度7の地域にあります。 昨年の元日も帰省していて被災しました。 幸い家族も家も無事でしたが、周りは甚大な被害がありました。
そして今年も帰省しております。 去年の地震発生の時刻が近づくにつれ大人はそわそわしておりましたが、何事もなくその時刻が過ぎ何故かほっといたしました。 今日冬の北陸では珍しい程の清々しい晴天でした。 亡くなられた方々が生き残った方々、被害に遭われた方々を思って、どうか前を向いてと背中を押してくれているような晴天でした。
大間さんも周りにたくさん頼ってどうか日々を生きていってほしいです。
▲10 ▼0
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読みながら自然と涙が出ました。 もし自分だったらどうなんだろう。 自分以外の家族を亡くしてしまって何を希望にすればいいのか。 自分も消えてしまいたいと何度も考えたと思います。 上手く言えませんが、生きていてくれてありがとうと奥様も子どもさん達も思ってくれていると思います。
▲7 ▼1
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このニュースは衝撃やったから覚えてて 残された大間さんのその後が心配でした 今年に来られたんですね…まだまだ精神的に 辛いと思うのに家族の為に頑張ったんやね 天災はホンマに憎いけど防ぐ事が難しい 多分こうしてれば…との思いはあるやろうけど 誰が悪い訳ではないです 決して自分を責めずに少しでも前に進んで 心も浄化されていきますように
▲7 ▼0
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受け入れることも、日常を取り戻すことも、生きていることさえも苦しい毎日だと思います。 亡くなられたご家族のためにも、どうか幸せになって欲しいです。この方に限らず、様々な形で大切な人を亡くされた方に少しでも救いがありますように。
▲11 ▼0
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想像を絶する程、悔しくて無念だったろう。昨日まで当たり前だった愛する家族の笑顔が、もう二度とみることができなない。残された命が少しでも穏やかに過ごせるように、政府は復興に尽力しなければならない。私自身もできる支援をしていきたい。
▲15 ▼0
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テレビでも観ました、お父様のお気持ちを考えると胸が締め付けられます、思わず私も涙が止まりませんでした、一瞬にして大切な家族が居なくなるんですから切ないですよね お父様、これからは辛いと思いますが、奥様、子供さんの為に頑張って前に進んでください、遠い鹿児島から心よりお祈りしています
▲18 ▼0
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警察官、国民に取って大事な お仕事をして下さり、悲しみの中 頑張ってくれている、本当に ありがとうございます。 国は、なぜこの様な方を、いつまで 泣かせるのでしょうか? 可哀想で切なくて涙が出ます。 どうか、お体を大切にして下さい。
▲331 ▼16
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ちょうど一年。遠くにいる我々でも悪夢のようで、何で元旦にこんな事が起きるんだと憤りが湧いて来たものです。1番近くて遠い場所になってしまいましたね。一生癒えることのない悲しみですが、一枚一枚薄皮を剥がすように薄らいで行かれることを願ってます。
▲48 ▼1
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確かに1年が過ぎたが、ニュースを見たり聞いたりするたびに、フラッシュバックする現地の方々がいるということも考えなくてはいけない。思い出したくも無い辛い体験を思い出してしまう。無惨な画像に耐えきれない方々が沢山いるはず。今回のことだけでは無いが、当事者目線からも考えた方がいいといつも思う。
▲3 ▼0
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そうか…警察官だったのですね。 本当は言いたいことがあっても立場上言えないのを歯を食いしばって堪えていることがあると思います。 今回現場を訪れて良かったと言うことですが、それでも心の整理ができることはないと思います。 前に進めることを願います。
▲5 ▼0
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珠洲市や輪島市など、能登半島に位置する街は本当に酷い状況でした。 私も災害発生後に現地に趣き、被災地支援の任を受け、活動しました。 地震だけでなく、津波も発生し、多くの方々が犠牲となり、つらい生活を強いられた方々が多く居ました。 1年が経過し、何とか前を向き、歩み続ける被災者の皆様には、、、 頭が下がる思いです。 『遠いところから来てくれて助かった。ありがとうね。』 忘れません、彼等の哀しみや苦しみを。 一日も早い復興が、、、いや、必ず訪れると確信しています。
▲3 ▼0
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私は10年前に息子が自ら命を断ち29歳で亡くしました。家族を亡くすのはつらい以上に 我が子が急にこの世からなくなることは今でもうけいれられません。会いたい、話したい。この方は精神的に強い方だと思います。しんどい時は泣いて泣いて泣いたら良いです。少ーしずつ前を向けますように。
▲5 ▼0
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能登半島地震からあれからもう1年にもなりますよ。奥さん子供を地震で亡くなった事は、辛い思いをしたことです。忘れられないですよ。能登半島地震で今でも仮設住宅で生活をしている人達も辛い思いをしたことです。
▲143 ▼7
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この方の心の傷が少しでも癒えることを願わずにはいられない。 訪れるのがつらい場所だっただろうけども、ご家族は来てくれて手を合わせてくれてありがとうと思っているはず。 無念にもここでお亡くなりになり、その無念な思いに一番寄り添えるのはやはりご遺族だから。 ご家族は感謝してるはずです。
▲5 ▼0
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夕方、大間さんのニュースを番組で見ていました。一気に家族4人がいなくなるなんて、想像できません。 辛い1年間だったと思いますが、前向いて頑張ってる姿に感銘をいだきました。 天国で優しく見守ってくれていますよ。
▲5 ▼1
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一度に家族を失う辛さは本当に計り知れない。 阪神淡路大震災を大阪で経験しました。 その当時、父が現役の陸上自衛官だったのですが、色んな被災地を見てきた父でも現場はあまりにも悲惨で、交代で帰って来ても鍛え上げた身体や精神はボロボロになってました。被災者の事を想うと辛過ぎる、と…。東日本大震災の時には定年退職してた父もテレビに釘付けでずっと険しい顔をしてました。私もこの頃からこういう記事やニュースを見ると辛くなるのであまり見ないようにしてたのですが、この記事を読ませていただいて被災された方々の強さにものすごく心を打たれました。 前を向くのは簡単な事ではありません。でも前を向かないわけにもいきません。 十分過ぎるくらい頑張っていますが、どうか亡くなられたご家族の分まで一生懸命頑張って生きて下さい。
▲12 ▼0
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この方の様に辛い日々を送っている事が、何故に政治家とくに与党の人につたわらないのか?不思議でなりません!この災害が自分達の身に降り掛かった時に総理たちの行動が見ものです。秒で動く様なら自民党、公明党は、終わりますよ。国民の敵になる覚悟ありと、私は思いました。動く気無いって、露骨にアピールしているんだから。 被害に遭われた方々の心が少しでも早く癒されていく事を心から応援します。頑張ってください。
▲4 ▼1
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想像するだけで胸が痛くなりますが、当然ながら想像できるような生半可な苦しみではないと思います。
そんな中で現地に足を運ばれるという行動が本当に凄いなと感じます。
ご自愛ください。
▲350 ▼7
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この世は不平等だと思うけど、やっぱり不平等なんですよ。誰にでも起こるわけじゃない、残酷なこととか。この人生に向き合おうとしているお姿が、本当にすごいなと思います。どれだけ気力を振り絞って今日この場所へ向かったのだろう。 この先は穏やかで幸せなことしか起きないよう、本当に本当に心からお祈りしています。お会いしたことはなくても、各地に応援している方々がいます!ゆっくりゆっくり健やかに日々を送れますように。
▲3 ▼0
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こんな事になるなんて。ほんとに元日から信じられない気持ちでした。震災に見舞われた方々の1日も早い復興をお祈りします。 多くの人にとっては、決して他人事の様には感じられません。 出来ることを1人1人が少しでも支援出来ればと思いますし、私もその1人として支援したい。
▲4 ▼0
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病死と違って災害や事故による家族を失うのは心の整理がつかないと思います。 今までの日常がいきなり無くなるのですから喪失感は本人で無いと分からないです。 政府は少しでも早く復旧して日常を取り戻してあげて下さい。私達の税金は本来こういう時の為に使うべきです。 日本に生まれて良かったと思うような国にして欲しいです。
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こういう生き方って本当にごく一握りだと思うし誰も望んでいない事だろうけど、記事を読んで自身の人生を省みるとてもいい機会になりました。 生きてる事は決して当たり前ではなくて 1日1日大切な人の為に生きたい。そう思えました。
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警察官のお仕事ご苦労さまです。地域の為に頑張っておられて本当にありがとうございました。まだ未来が有ります。これからのご自身の健康やご多幸を心からお祈りさせて頂きます。辛いと思いますがあなたのご両親の事を考えてこれからも健康で過ごしてください。
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遠い所でいっしょに泣くことしかできないけれど、受け入れがたい運命に強く向き合う大間さんの精神を心から尊敬し、これからの彼の人生に少しでも安らぎと幸福が訪れることを心から祈っています。 ご家族のご冥福と、ご遺族の心の平穏をお祈り申し上げます。
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何のためにこれから生きるんだと思うよね。 生きる気力を失ってもおかしくない出来事。 神などいないと断言出来るほどの災難と思う。 こんな人にかける言葉など見つからない。 どんな言葉も綺麗事にしか聞こえない。 時間を経て自ら立ち直ってもらうしかない。
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この方のご家族、御親戚のみならず犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。正月という特に解放された気分で過ごされていた中での被害に尚更ご心痛が増すばかりかとお察し申し上げます。その中で復興に取り組まれるかと思いますが、無理を重ねられる事無く進んで頂きたいと思わずにいられません。
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辛いですよね、悲しいですよね。 溢れる涙と、溢れる思いを止める必要は無いと思います。 その涙と、その思いから、きっと警察官として誰かを助けることができる自分が見つかるはずです。 そうなれたカッコいいお父さんを、天国の奥様、子供達に見せてあげましょう。
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本当に胸が締め付けられる思いです。 震災後、インスタでたまたま大間さんのアカウントをお見かけし、そこからフォローさせていただいてます。陰ながら応援しています。
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数日前80歳の父が他界しました。80歳で入退院を繰り返し何度も覚悟をしたはずなのに実際に亡くなるとそれでもいなくなった事をまだ信じられない。
もし自分が妻子を亡くしたらどうなってしまうのだろう。 想像するだけで息が苦しくなる。 自分はこの記事の方を慰めたり励ます言葉を持っていない。
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過酷の一言。 残された人は生きるという選択の中で、この一年どのような思いで、どのような感情で、どのような夜を迎え、どのような朝を迎えていらっしゃったか想像を絶する。 貴殿が今後少しでも穏やかになることを祈るばかりです。
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突然の事故・災害・死別・納得のいかない離婚等でも昨日まで隣りいた配偶者や子供さんがまあいつもの場所にいなくなるとやはり誰でもその喪失感・なんとも言えない虚しい空虚感がどなたでも発生しますよねえ〜。わかりますわ〜。そういうときにどれだけ己を見失わず日常生活を過ごせるかが・・なはり現代人の老若男女の其々の喫緊の慢性的な課題ですよねえ〜。辛い気持ちホントに分かりますわ〜。少しでも辛い気分が紛れる(まぎれる)とイイですよね〜。
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生き続けているだけで素晴らしい。 背負う物は一杯あると思うけど、ただ生き続けて欲しいよ。頑張らなくていい、前を向けない時もあると思う、ただ生きてればいいこともきっとある。
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自分以外の家族と親戚を10名近く亡くされた方が何組かいらっしゃったような 掛ける言葉が1年経っても見つかりません きっと来年も見つからないのだろうな… 自治体は彼らの心のケアをしっかりしていただきたいです
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この方の辛いご経験から我々が学ぶ事はいつどこにいても地震が来たらどうするかどうなるか、ここは安全か危険かを常に考えるべきだと言う事。
1日も早い復興とご冥福をお祈りします。
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映像も見たけど… 記憶のくだりとかも1人のご飯とかも悲しいですね。復興ももちろんそんなんだろうし、この地元が好きってのも理解できます。 色々憤ることはあっても誰のせいにもしない本当に起こったことは悲しいがとても立派な人だと思いました。
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何も言葉にならない、壮絶。 心中を推し量る事さえ、日常を送ることが出来ている私には出来ない・・・ 彼にはこの何の変哲もない日常さえなくなってしまったのだろうから。 同情も哀れみも、何か違う気がして、そうすることを阻まれる。 悲惨な出来事があった、傍観者に出来るのはそれが実際にあったことを伝える事だけなんだろう。
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記事で読む以上に想像を絶する程の大変な想いをされた事と思います。 本当に胸が締め付けられます。
しかし、それとは反対に「土砂に埋まった家屋は原形をとどめず、崩れた土砂や倒木が今も大量に残る」と言う部分が気になります。
国は全く能登地震の事を他人事のように思っているみたいで腹立たしいです。 1年たったけど、何してるんだよ。と言う思いです。 ダメ政治のおかげで、被災者救済は全く進んでいないのも残念です
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家も家族も失って、私なら多分命を絶っているだろう。この方もよほど周りに立ち直るために助けてくれる方々がいるのでしょう、本当にかける言葉も無いが生き抜いて欲しい
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本当に辛い思いをされたと思います。できれば変わってあげたかったに違いなしでしょうね。自分ならとても立ち直れる事ができないと思います。このことはずっと心に残るのでしょうが少しでも前向きに生きてください。
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災害によって失われた大切な命たち、 怒りや悲しさ、悔しさをぶつける相手がいない、自分で全て受け止めて消化していかなくてはいけないなんて、どれほどの事だろう…目には見えなくなっても、ご家族はずっとそばにいてくれているはずです。慰めにもならない言葉ですが、すみません。
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能登半島地震いろんな方々が苦労苛まれていると思いますが、 特にこの方のニュースは衝撃でした。誰か助かっている人がいないのかと昼夜ニュースが気になっていました。
少しずつで良い。一歩ずつ復旧を祈るばかりです。 そしてもう能登に地震が来ませんように。。
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未だにがれきだらけでい驚きました。夏に金沢に行き、夫の古くからの知人の議員さんから話を聞いましたが唖然としました。 妻子4人ではなく、自分以外の家族を全員という表現の方が正しいと思います。
泣く事すらできない状態だったことでしょう。
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記事を読み警察官でピンときました。 おそらく無我夢中で1年走ってこられたのだと思います。 私も妻を亡くしましたが、同じように人生初のフルマラソンを走り完走できました。もう過去には戻りたくても戻る事はできない。残された人生、力いっぱい生きていきましょう!残酷かもしれませんが、現実は前に進むしかないんです。共に生きよう。
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新人の頃、職場の上司から私達の仕事は365日。 親の死に目にも逢えないからな。強烈な事を言われた。それ以来現場優先で生きてきた。どれほどの悲しみ、苦しみをおわれ、今も職務に向き合っておられるかと思うと我が事のようにおもえてなりません。
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当事者ではないのだけど、元旦になると思い出してしまいますね。私自身が特別幸せな暮らしをしているわけではないけど、どうかこの人も含め、災害に遭われている方々が少しでも幸せと思える瞬間に巡り会えますように。
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