( 243488 ) 2025/01/03 03:34:14 2 00 「数十万人の被害を防げた」1995年元日報道「サリン」一報を出すまでの記者の葛藤 #災害に備えるYahoo!ニュース オリジナル 特集 1/2(木) 17:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/331ec64b3cdf35a16c2042398cfa7fabc0a4591e |
( 243491 ) 2025/01/03 03:34:14 0 00 1995年元日、山梨でのサリン残留物を報じた元読売新聞記者、三沢明彦さん
元日の1面記事は新聞各社が力を入れるのが恒例だ。この数十年で見たとき、とりわけ大きな衝撃を与えた元日報道が30年前、1995年の読売新聞だ。大見出しは<サリン残留物を検出 山梨の山ろく「松本事件」直後 関連解明急ぐ>。地下鉄サリン事件前のこの一報は、その後のオウム真理教への本格的な捜査や報道につながる第一歩となった。また、この記事が出たことで、数十万人の被害を防いだ可能性もある。あの報道はどのように出されたのか。取材していた元読売新聞記者、三沢明彦さんに話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「1994年夏、(警察庁刑事局)捜査一課の人たちにあたると、第一通報者である河野義行さんが怪しいとみんな言う。ただ、具体的に河野さんのどこが怪しいのかというと、たいした根拠がない。彼の家の庭に農薬が複数あったとか、息子に『警察に話すなよ』と言ったとか、その程度。一方、その有毒ガスの中身は青酸カリの数百倍の毒性をもつ化学兵器のサリンだった。そんなもの河野さんがつくれるんだろうかと……。とは思うものの、当初は報道も警察もみんな、河野さん以外に疑いをもつことができなかったのです」
三沢明彦さん(68)はそう振り返る。当時、三沢さんは読売新聞東京本社社会部の所属。警察庁の担当で記者クラブではキャップ(担当記者のまとめ役)を務めていた。このとき、警察庁で高い関心が置かれていたのが「松本サリン事件」だった。
1994年6月27日、長野県松本市の住宅街で起きた松本サリン事件(写真:毎日新聞社/アフロ)
事件は1994年6月27日夜、松本城(長野県松本市)に近い住宅地で起きた。有毒ガス発生という通報で警察がかけつけると、現場では池のザリガニが浮き、ハトが地面で羽を広げて死んでいた。7人が死亡(のちに8人)、重軽症者は600人以上に及んだ。当初は有毒ガスの実体が何か、誰が撒いたのかもわからなかった。被疑者不詳のまま、第一通報者の河野義行さんが重要参考人として疑われた。
有毒ガスの正体がサリンと発表されたのは6日後の7月3日。ナチス・ドイツがつくった有機リン系神経毒物質の化学兵器だった。そんな高度な化学兵器がなぜ住宅街で使われたのか。捜査も報道も混迷するなか、時間だけが過ぎた。
事態が膠着していた同年10月、三沢さんは警察庁関係者から意外な情報を相次いで耳にした。一つは松本サリン事件に新興宗教のオウム真理教が関係しているという話。もう一つは、山梨県上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)にあるオウムの施設周辺の土砂を警察庁の科学警察研究所が鑑定しているという情報。どちらも信じがたいものだったと三沢さんは言う。
「取材を進めると、当時、長野県警がひそかに捜査を進めていたのがわかった。7月、上九一色村で異臭騒ぎがあった。犬が泡を吹いて死に、草木が薬品で焼かれていたという。松本サリン事件と似ている。そこで長野県警はそこに捜査員を派遣、捜査員が山菜採りの格好に変装して、教団施設の土砂を採取したんです。すると、そこからサリン生成時にできる有機リン系の残留物、つまり松本サリン事件と同じものが検出された。また、130人体制の薬品捜査班もつくり、サリンの合成に使う原材料の化学薬品をどこが入手したのかも調べていた。その結果、東京などで4つの怪しい会社が浮かび上がった。そこで長野県警の警部らはその会社に向かったのです」
1990年、宗教政党・真理党を結成し、第39回衆議院選挙に向け、結成集会をしたオウム真理教。中央に麻原彰晃教祖(写真:日刊スポーツ/アフロ)
東京・世田谷区にあるその「会社」は古いアパートの一室だった。警部が階段で2階に上ってみると、玄関ののぞき窓から見張られていることに気づいた。異様な雰囲気に驚き、その場を離れた。ところが別の場所でも、カメラをもった若い男が警部らを尾行し、撮影していた。長野に戻ってから警部らが警視庁に問い合わせた結果、その「会社」は「オウム真理教の信者が集団生活している」という拠点だとわかった──。そうした捜査状況を取材で得るなか、三沢さんは報じる側も注意が必要だと気を引き締めたという。
「その数年前、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題を報じたことがありました。そうしたら、統一教会の関係者が会社に押しかけてきて、大変なことになった。もともと宗教を扱うのはなかなか難しい。と同時に、オウムについて言えば、1989年に起きた坂本弁護士一家失踪事件(のちに殺害事件)でも、オウムのバッジが現場に落とされていて、一家の失踪は教団の関与が疑われていた。これは大変だな……というのは、取材を始めながら考えていたことでした」
1994年当時、オウム真理教は異様な宗教団体という理解は世間にあったものの、犯罪組織と捉えられていたわけではなかった。同教団は教祖・麻原彰晃のもと、前身団体を経て1987年に設立。ヒンドゥー教やチベット仏教的な要素をにおわせながら、空中浮揚ができる、悟りを開くなど超常能力や神秘体験を謳い、若者を勧誘していった。テレビや雑誌などにも積極的に登場し、宗教学者や著名タレントなどと語り、信用を得ていった。
そうした裏で、教団は異常な活動に及んでいた。強制的な信者勧誘、薬物による修行、異常なルールでの集団生活。こうした活動のなか、坂本堤弁護士によって「オウム真理教被害者の会」が1989年に発足。同年、「サンデー毎日」によるオウム問題の連載報道が始まり、坂本弁護士も登場した。すると、麻原は坂本弁護士を敵と認識。麻原の指示によって、坂本家の3人(坂本弁護士、妻、子)は殺害された。だが、事件当時、坂本家の3人は「失踪」とみなされ、教団の捜査までは至らなかった。
1999年、警察庁が発表したパンフレット(警察庁HPより)
教団はその後、ハルマゲドン(世界の終末)などを掲げ、日本の国家中枢を破壊することを計画。ロシアから軍用ヘリコプターを購入し、サリンやVXガスといった化学兵器などの開発に乗り出した。1994年にそれらの試作品がつくられだし、ジャーナリストの江川紹子氏や弁護士の滝本太郎氏などが殺害対象として化学兵器で襲われた。松本サリン事件は当時教団による土地売買で訴訟が行われていた長野地裁松本支部の官舎を狙ったものだったが、大量殺害計画の最初の試みだった。
ただ、そうしたことが明らかになったのは、すべての事件が終わった後のことだった。
11月11日、科学警察研究所の鑑定の結果で、上九一色村で採取された土壌からメチルホスホン酸が検出された(正式な鑑定書は16日)。それはサリンを合成する際にできる副生成物だった。
12月初旬、三沢さんは上九一色村の現地まで車で出向いた。粉雪が舞う寒い日。牧草地の向こうに異様な建物群が現れた。その日のことは、後年、自著でこう記している。
<教団のサティアンは広い敷地に点在していた。そして、その周辺には不気味なヘッドギア姿の若者たちが突っ立っている。見張りなのだろうか。途中ですれ違う白い修行服姿の女性の顔は青白く、表情がない。ダクトやパイプが複雑に交錯する目の前の白い建物が、サリン工場の第七サティアンとはその時、わかるはずもなかった>(『捜査一課秘録』)
1995年、山梨県上九一色村(当時)にあった化学プラント・第7サティアン(写真:ロイター/アフロ)
まもなく教団の関連会社が大量のサリン原料物質を購入していることも判明。オウムを扱っていた長野県警、神奈川県警、山梨県警、宮崎県警、静岡県警などの県警が警察庁に集められた。静岡県警は教団がロシアから購入したヘリのプロペラを回している様子を上空から撮影していた。サリンを空から撒く可能性があるのではないか──。そんな指摘がされ、いよいよ緊張が増してきた。
だが、この段階でもまだ警察庁はどう教団と対峙するかを考えあぐねていたと三沢さんは言う。
「いくつか理由がありました。一つは、どの県警も一斉捜索のための人員が十分ではなかった。その体制で踏み込んで中途半端な結果となると、『宗教弾圧』と批判されかねない。そして、もう一つ恐れていたのは教団側の暴発です」
1993年、米国であるカルト集団がFBIと銃撃戦を行い、1994年秋は別のカルト団体がスイスやカナダで集団焼身自殺をしていた。そんなケースが頭にあり、もし下手に踏み込んで教団側がサリンを撒き散らしたらどうなるか。信者や警察官はもちろん、住民にも被害が出たら……。警察も恐れていた。そして、そんなリスクに対する恐れは、記者である三沢さんにもあったという。
「特ダネだが、書くべきか、待つべきか迷いました」と三沢さん
「特ダネです。でも、書くのか書かないのかといえば、私もまた迷っていました。彼らがもっていた薬品の量から、数十トンという大量のサリンがつくれることが推察された。もし記事を出したことで、反発してサリンを撒かれたら……? 一方で、出さないことで、国民が事実を知らないままでいいのか。そのせめぎ合いの中にいました」
記事を出すときは「ガサ(家宅捜索)に入るときだろう」とぼんやり考えていたが、出すタイミングは思わぬときにやってきた。
12月20日過ぎ、会社にいると社会部の先輩デスクに声をかけられた。アレの件、正月どうだ?
「そうか、正月報道という手があるかと。じゃあ、どこまで書くか。オウム真理教であることはほぼ間違いないが、この時点でどの程度関わっているかがわからず、名指しまではできない。でも、上九一色村の施設で異臭騒ぎはあり、検出された物質が松本サリン事件と同じくサリンの副生成物であることも確定している。それも同事件の直後だったと。だから、オウムの名前を出さず、その事実だけでいこうと決まったわけです」
この頃、脱会した信者から内部資料も入手していた。そこには「小銃製造、生物・化学兵器、細菌兵器、神経ガス、レーザー開発」といった教団の計画が4枚のレポートに記されていた。国家を破壊するテロ計画。三塩化リンなどサリンの原材料が4つの会社からトン単位で大量に購入されていたのもそのせいだった。だが、この時点ではまだその大量購入を非難できない悩ましさもあった。それら大量の化学薬品の購入自体は違法ではなかったためだ。それでも、三沢さんが最終的に記事を出すと決めたのには別の理由があった。
1995年3月20日、地下鉄車内でサリンが撒かれ、現場に向かう化学防護服を着た東京消防庁化学機動中隊の隊員(写真:毎日新聞社/アフロ)
「それまで松本サリン事件といえば、河野さんが犯人という見方が強かった。でも、この記事が出れば、みんな河野さんへの認識を変えるだろう。それだけで意味はあると思いましたね」
原稿を書きあげたあとの大みそか、三沢さんは警察幹部の自宅を訪ねた。翌日の朝刊で発表することを通告するためだった。怒られることも覚悟したが、幹部は意外な言葉を返してきた。
「わかった。一緒に戦おう」
そして1995年の元日、新聞が配られた。
元日、メディア関係者には衝撃が走った。少なからぬ報道関係者がすぐに集められ、正月休みを返上してオウム取材に動かされることになった。当の読売でも三沢さんのもとに十数人の記者が集められ、本格的な取材が始められることになった。
ただ、順調には進まなかった。1月17日、阪神・淡路大震災が発生。多くの記者が震災報道にとられた。同様に、各県の県警によるオウム捜査もはかばかしく進んだわけでもなかった。
そうした状況を見透かしたかのように、オウム側は大胆な行動に出た。
2月28日、東京・品川区で目黒公証役場の事務長、仮谷清志氏を拉致して殺害。そして3月20日には地下鉄サリン事件を引き起こした。朝の丸ノ内線、日比谷線、千代田線でサリンの袋に穴を開け、中から気体が拡散。14人が死亡、6300人以上が負傷した。化学兵器による無差別テロだった。
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( 243490 ) 2025/01/03 03:34:14 1 00 この掲示板では、松本サリン事件や地下鉄サリン事件を取り巻く様々な視点や意見が述べられています。
総じて、マスコミや報道機関に対する様々な批判や警戒、ジャーナリズムの役割や責任に関する懸念などが多く表明されています。
(まとめ) | ( 243492 ) 2025/01/03 03:34:14 0 00 =+=+=+=+=
松本事件では、捜査一課長は河野さんの逮捕に反対だったそうである。 確証が得られず動機も無かったためだった。 私も化学専攻だったので、同期などとも話したが、個人が設備が不十分な中で、偶発的であったとしてもサリンが作れる可能性は0に等しい。 新聞社やテレビ局などは文系の社員ばかりで、理系の社員は少ないのだろう。警察報道を鵜呑みにして、自ら検証することをしない。 公平中立でありたいならば、警察の見解だけでなく、それが正しいのか、反対意見はないのかも調査すべきだと思う。 今はネットなどで専門家が検証しそれをすぐに発言できるようになっているが、当時もその仕組みがあれば警察だけでなくマスコミの暴走も抑えられただろう。 マスコミ界は、自らの功績を誇るだけでなく、誤りによって無実の方々に迷惑をかけてきたことに、真摯に反省すべきだと思う。
▲956 ▼67
=+=+=+=+=
立憲民主党所属の参議院議員杉尾秀哉は、 当時、TBSの「ニュースの森」に河野さんを疑惑の人として呼びつけ、生放送で犯人として決めつけるような質問を浴びせた。 杉尾の畳みかけるような疑惑の指摘に対し、無口な河野さんは、ニュース中の最後に「そういうふうにおっしゃって(犯人だと)決めつけるんですね」と語っておられた。
▲1111 ▼57
=+=+=+=+=
後々、三沢さんが語られている述懐が印象的でした。 結果として、読売新聞の元日報道は警察や政府機関に圧力をかける形となり、強制捜査の準備が加速した。それは松本サリン事件の第一報から地下鉄サリン事件に至るまで、オウム真理教の犯罪行為を世間に認識させる契機となった。 最終的に、オウム真理教は解体され、関係者の多くが逮捕・起訴されたが、事件が与えた社会的な影響や、報道と捜査の在り方を巡る議論は、令和の世になった今でも語り継がれており、これからも永く語り継がれて教訓にしてほしい。
▲653 ▼59
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あの日の朝、風邪をひいて高熱が出てたので、有楽町の勤務先の地下(日比谷駅)から隣の霞が関まで電車に乗って駅近くの虎ノ門病院まで行こうとしたところ、「霞が関駅で火災発生の為、改札閉鎖」と掲示がされており、日比谷公園を抜けて霞が関/虎ノ門方面に向かったのを覚えています。多分、相当混乱していて第一報が「火災発生」となったのだと思います。
▲358 ▼21
=+=+=+=+=
報道機関の罪が問われるような記事ですね。 サリン事件は、大きな冤罪を生み出し、被害者をたくさん生み出したのですが、これでも報道のおかげで、ある程度の被害は食い止めた可能性はありますね。 ただ、もっと丁寧に多面的に、迅速に対応していれば、冤罪も生み出さなかったですし、地下鉄サリン事件自体も食い止めることができたはずです。 今は、ネットでもいろいろ発信ができる時代になって、大きな事件の抑止力になってほしいですね。
▲180 ▼38
=+=+=+=+=
オールドメディア等と揶揄されているが、今でも気骨のあるジャーナリズム精神は残っていると思いたい。オウム事件は戦後日本で起こった最悪にして最凶の事件だった。知人が当時、地下鉄で通勤途中で事件に遭遇して、ホームの階段から大勢の人が血相を変えて走って来て、何事かと思ったという。何か目が痛いと感じたと言い、もしサリンガスの発生源の近くにいたら大変な事になっていただろう。
▲254 ▼39
=+=+=+=+=
松本サリン事件で犯人のように扱われた河野さんの奥さんも又サリン被害によって生涯寝たきりになっていた事実を知った時はマスコミの恐ろしさを実感しましたが、その事を猛省も無く、教訓にもして来なかったのが今のマスコミのようにも思う。 ロシアから払い下げの軍用ヘリコプターを購入し、サリンやVXガスといった化学兵器を東京上空から散布する計画があった事実まで持ち上がっていたが、もし実行されていたら?と想像すると今でも戦慄を覚えます。
▲166 ▼10
=+=+=+=+=
当初に犯人扱いをされた河野さんは大変お気の毒だったと思います。 よくもまあオウムはひどいことをしたなと。かみさんが化学系で「サリンは作ること自体はそんなに難しくないんだよね」と言っていたのが印象的でした。 関西の大手企業と取引がありましたが転勤で神戸で震災に遭い東京で地下鉄サリン事件に巻き込まれて幸いにしてどちらもご無事だったのですが。こんなこともあるんだねと嘆いていらっしゃったのが記憶に残っています。
▲23 ▼4
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サリン事件に限らず報道機関が報道すれば多くの国民の命や健康を守る事案はたくさんあった! 雑多な例だと公害問題、企業がスポンサーであれば必ず報道は遅れたり潰される。 私的に忘れてならない事案は『薬害エイズ事件』だ、日本初の発病者は高知医科大学で入院治療中の白血病患者でその時点で原因が『血液製剤』である事が厚生労働省に通報されて、情報は報道機関にも流されていたが、官僚主義の国や隠蔽工作により数千人の人間の命が奪われた、十分に映画化できる内容ではないかな。
▲93 ▼7
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上九一色村のサティアンで第4工程まで造られていた大量のサリンになるヤツは どこでどうやって廃棄処分されたんだろう?大丈夫か? 信仰とか 麻原がどうのこうの抜きで 小銃やら 化学兵器 生物兵器 神経ガス… その製造に携わっていた信者たちは それなりに知識のある人たちだったんだろうけど 彼らは 当時 どんな気持ちで(宗教抜きにして)製造してたんだろう? 自分の趣味とか 研究が活かされるみたいな感じで嬉しかったのかな。それとも「仕事・作業」としての感覚だったのかな。賢そうなひとばかり オウムにハマってた印象があるから。
▲43 ▼4
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95年は阪神大震災もあったし、実に大変な年でした。私は読売新聞を購読したことがないので、そもそもこんな正月紙面があったことさえ知りませんでした。 結果的には、マスメディアも警察も地下鉄サリン事件を防ぐことは出来ませんでしたが、それぞれのやり方で事件の拡大を防ぐことは出来たわけですね。読売新聞は、情報収集と深堀りと社会へのリリースの専門集団として、それなりの役目を果たしたと思います。 もちろんマスメディアには長所短所も功罪もある。もちろんネットにもある。この2つはどちらも万能の媒体ではなく、相互補完的に社会の安心安全と民主主義を守るツールだと思います。この記事が読売新聞の無料転載ではなく、Yahoo!ニュースのオリジナル特集であるということも、そうした相互補完性を象徴している出来事かもしれませんね。
▲1 ▼0
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松本サリン事件の時に被害者の対応にあたった病院のお医者さんが地下鉄サリン事件の報道で被害者の状況の報道を聞いて松本サリンの時と同じ症状なのでサリンではないかって思って当時集中的に患者が搬送された聖路加国際病院にサリンではないかと連絡を入れた。聖路加でもガス中毒は疑っていたが何のガスかは判らず治療法が不明状態が続いていた。サリンではないかとの情報を受けて試しに患者にPAMを投与して様子を見ていたら症状が改善したのでPAMが有効とわかりPAMの投与が決まったがPAM自体そんなに置いているものでなく、もともとPAMは農薬中毒薬なの街中より地方の方が置いている病院は多い。そのため製薬会社が在庫と出荷先に連絡を入れて人海戦術でPAMをかき集めて聖路加に持参したってことがあったなぁ。ある程度落ち着いた頃、米軍から当時の状況と患者の経緯なんかの情報提供依頼があったとか。
▲18 ▼0
=+=+=+=+=
>「それまで松本サリン事件といえば、河野さんが犯人という見方が強かった。でも、この記事が出れば、みんな河野さんへの認識を変えるだろう。それだけで意味はあると思いましたね」
ここの部分に関しては、「どの口が言っているんだ?」って思います。
あの時は、他の報道会社と同様に読売新聞も河野さんを犯人扱いしていました。
警察と一緒になって河野さんをイジメた当事者が何を言っているんだ?って思います。
今でも河野さんに対する世間の認識を改めさせるために特化した特集記事を出すべきだったと思います。
あの時代にSNSがなくて本当に良かったと思います。
もし、あの時代にSNSがあれば、河野さんはどんな目に遭わされていたことでしょう?
今でも、憶測でものが語られることが多々あります。
不確定な情報がものすごい速さで拡散されるのもしょっちゅうです。
私達はあの事件から何を学んだのでしょうか?
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
事件の5年前に友人と2人で豪徳寺駅の"世田谷道場"へ行きました。 1時間半ほどの論戦で追いつめましたが相手がキレる寸前になったので、監禁されるのを危惧して終わらせました。 後に相手はサリン事件の実行犯で逮捕されました。
友人と「教義の矛盾点、今後の危険性」を今でもレポートに残してあります。
四半世紀以上この事件はテレビなどで論じられますが「オウム真理教は何を教えていて、どこがおかしいか」を解説する人は誰1人出て来ませんでした。
邪教に洗脳されてしまった男性の目つき、今でも脳裏に焼きついてます。
▲261 ▼19
=+=+=+=+=
当時は河野さんに対するメディアスクラムがひどかったのを憶えている。奥さんもずっと寝たきりになっていて気の毒だった。オウムが緻密な計画を立て、サリンの大々的な散布に成功していたら、大量殺戮兵器を首都の中枢で使ったことになり、政府機能が停止していたかと思うととても恐ろしいことだ。911どころの騒ぎじゃなかったと思う。1本の元日報道がオウムの行動を変えた。報道の力を見た気がする。このころからマスコミが報じないタブーが少しずつ払拭されていったように思う。この記事にもあるように宗教団体への対応や北朝鮮の扱いなどだ。戦前の大本に対する宗教弾圧への反省や戦前の植民地支配への後ろめたさがあったからだろう。最近はそういうものが払拭されて悪いものは悪いと言える世の中になったことはいいことだ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
>少なくとも数十万人という無差別テロを止めることはできた
マスコミがサリン事件を小さくしたヒーローであるかのように書いてあるけどさ どっちかと言ったらオウム真理教をテレビ出演させて持ち上げたり、無関係の人を容疑者のように仕立て上げたり、TBSのせいで坂本一家弁護士殺害事件が起きたり 今思うとマスコミがオウム事件を大きくしたとしか捉えられないな。
▲535 ▼36
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昔、NHK特集で大津波を見た事を思いだした。建設中の南三陸町の防災施設について記者が大津波には大丈夫ですかの問いに、関係者が千年に一度のには無理だなと答えていたかな? 天災は減災、人災は矜持によって防げると思います。
▲30 ▼4
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統一教会は、オウムより先に色々してたよ。 高校の同級生がはまり、親御さんも悩んでいた。 とにかく、やばい宗教は人の弱い所を突いてきます。心の仏や神様は大事です。が、 惑わされるのはダメです。宗教の強制もありえない。自分自身を信じて、前に進みましょう。
▲67 ▼7
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当時は小学生だったので良く分からなかったが100万人以上の命がかかっていたとは。現代に起きていた事件なら早期解決できただろうか?警察も総動員の捜査だったとは思うが、地下鉄サリン事件時のサリンの純度が低くなければより危険だったと考えると今考えても恐怖でしか無いな。
▲11 ▼1
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事件が起きるまでオウムは警戒されながらも7~8年野放しになっていた。それと似た事態は現在進行形で起きていると思う。 選挙でガーシーみたいな奴が当選したり、つばさの党みたいにオウムの真理党を彷彿とさせるような政党が暴れたり。オウムの教訓のおかげかガーシーもつばさの党も逮捕されたけど、放っておいたらどんどん過激化していたかもしれない。 立花とかも立ち位置は事件前のオウムに似ている気がしてる。お騒がせだけど一部からカルト的に支持されているところとか。 あれらをどこかで抑えないと、いつか死傷者が出るような事件につながる気がする。
▲9 ▼7
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有機リン系の残留物とはメチルホスホンサンモノイソプロピルの事です、これは自然界に無い物質でサリが発生した証拠です、当時のTBSアナウンサーであった杉尾は河野さんを犯人と決めつけ物議を、今も河野さんに謝罪をしていないとかどういう人間性なのでしょうか。
▲5 ▼0
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いまだに私の家族は地下鉄サリン事件で受けた後遺症が続いています。
生きていてくれただけでもありがたいと思うものの、 この読売新聞の情報が、事前に警察に提供され、警察が動いていてくれていたら、地下鉄サリン事件はおこらなかったかもといつも思っています。
▲100 ▼13
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このスクープは忘れられない。
事件前、日本社会は宗教団体がやる事に対して、比較的、寛容だった。
しかし サリン事件後、社会はお互いに疑心暗鬼になった。事件が明らかにされるにつれ、電車の中で無防備に寝る人が(一時的に)減ったのを思い出します。
▲17 ▼0
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本当に三沢サンが言っている通りだな。サリン事件当時私は小中学生だったが本当に三沢サンの報道が無ければ数億単位の日本中の人達がサリンで殺害されていただろと改めて思っている。何せ鍵掛けて窓を徹底的に閉めた状態でも隙間風からサリンが流入してくると言う静かで本当に怖い殺人薬物兵器と言う以外ないのがこのサリンである。ちなみに私個人的に1番ビックリしたのが麻原(※松本智津夫※)が記事のサティアン建物内の天井に麻原が身を隠していた所を警察官(※刑事※)達が逮捕した瞬間映像を当時見た時は本当にビックリした。この逮捕した瞬間が日本中に1番衝撃を与えた瞬間だったと未だに今でも思う。この麻原逮捕後から林が刺殺され坂本先生1家の遺体が見つかった事を今でも思い出す。本当にオウムは平気平然と殺人殺害を働く犯罪国家テロ組織と言う以外本当に無い話である。今後も徹底的にオウムの監視を国家政府行政が続ける事。
▲8 ▼5
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日本は本当にこの1995年が分水嶺だった。 ちょうど終戦から50年で、バブル崩壊はあったものの、この頃まではまだ日本の未来には楽観的でいられた。団塊ジュニア世代はまだ20歳前後でこの頃までに本格的な少子化対策が行われば今のような少子化はなかったはず。 ところがこの年、阪神大震災、地下鉄サリン、金融機関破綻とこれまでの膿が一気に吹き出した感じだった。 日本の衰退を決定づけたのはこの後の消費税増税と森喜朗による首相の座の強奪だった。これ以降の日本は坂道を転げ落ちるように転落して今に至っている。特に2000年以降の日本の悪いことは全て森喜朗に由来すると言っても言い過ぎではない。
▲59 ▼8
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当時中学校1年生でしたが元日の読売新聞1面の見出しは今でも覚えてます。なんで山梨でサリンの反応が出たのかと。 1月17日の阪神大震災、3月の地下鉄サリン事件と1995年は前半が騒がしい時代でした。
▲3 ▼0
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新聞テレビをオールドメディアと揶揄する人も多い昨今、報道とは何かを今一度考えさせられる特集、権力下といい意味での癒着もある事例かもしれない。でもナベツネさんの思惑からするとちょっと方向性が違うのかな、、、これから先、ネット記者に期待するところも大きいけれどおおむね「慮」の付く熟語が足らないことが多いなぁと思ってみたり
▲4 ▼3
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”そんなもの河野さんがつくれるんだろうかと……。とは思うものの、当初は報道も警察もみんな、河野さん以外に疑いをもつことができなかったのです”
吊るし上げ。 リンチ。 河野さんに対するマスコミの報道は、まさにそんな状況だった。 そしてそれは今も変わらない。 その理由が理解できた。 この記事を見ても、この記者は自身の功績は自慢しても、河野さんへ迷惑 を掛けたとか、そんな謝罪の文章も言葉も一切ない。 自己弁護以外には。
▲311 ▼21
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〉「その数年前、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題を報じたことがありました。そうしたら、統一教会の関係者が会社に押しかけてきて、大変なことになった。もともと宗教を扱うのはなかなか難しい。
自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)も統一教会の信者だらけだと言われていますね。彼らの世論操作にも注意をする必要があります。
▲72 ▼25
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統一教会とのつながりを放置し続けた自民党が、こうしたカルト問題の温床を作り上げてきたのは明白だよね。オウム真理教のようなカルト組織がエリートを巻き込んで大量殺人を計画・実行した事実を忘れてはいけないし、いまだにカルト的な組織が影響力を持っていることに震えるしかない。
統一教会の問題が露呈しても自民党が明確な断絶を図らないのは、自分たちの政治基盤を守るためなんだろうけど、これでは国民の安全が二の次にされていると言わざるを得ない。サリン事件は「エリートが加担するカルトの恐怖」を突きつけたが、それを教訓にできない政治はまったく無責任だよね。
今後こうした組織を徹底的に排除しない限り、第二のオウム事件が起きない保証なんてどこにもない。政府が本気で対応しない限り、国民の信頼は取り戻せないし、何より安心して暮らせる社会は遠のく一方だよ。
▲124 ▼74
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あれから30年、今さら手柄をひけらかすような記事を出されてもね。 毒物がサリンと特定された当時のメディアの報道は酷いものだった。読売新聞を始めとする大手新聞も然り。TVでも怪しげな大学教授を引っ張り出して、「農薬からでもサリンを作れる」なんてコメントを引き出していた。 有機合成を齧った経験が有る者にとって、写真現像が趣味の人に出来るようなレベルじゃないことは常識だ。 当時私は信州大学理学部の関与を疑ったが見事に外れた。でもこの事件を契機に、メディアに登場する自称専門家への不信感が大きく高まった。
▲3 ▼1
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オウムは色々とトラブルを起こしていた。その1つに城東エリアでの何らかの噴霧。オウムは出ていけ!みたいな張り紙がそこかしこに貼られていた。当時の雰囲気は異様と言うかかなり悪かった。 地下鉄サリン事件の前日だったか数日前だったかネット掲示板のfjの宗教スレだったかに犯行を予告させる様な書き込みが多数見られた。プリントアウトして残してたが執拗な迄の書き込みで驚いた。なんか世紀末感があると言うか。当時の事を尋ねても知ってる人が居なくて警察やマスコミも報道しない。当時のログは残ってないのかな?何かひとつの手がかりになるんじゃないかなと。
▲4 ▼0
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サリン事件は、本当に思い出すと恐怖ですよね。 あの日、仕事が休みでニュース見て身震いしました。いつも通勤で使う路線に時間もほぼ重なっていたので、もし仕事ならやばかったかもと考えたら震えてしまいました。
▲13 ▼1
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あの報道を見ると一般人でもサリンって作れるのかと勘違いしますね。冷静に考えれば化学プラントも無いのに薬品混ぜただけで作れるはずもないのは分かるはずですが。オウムの信者と今の闇バイトの連中とは何か似ている部分があるように感じます。物事を深く考えないような想像力が欠けているような感じが。
▲10 ▼2
=+=+=+=+=
杉尾秀哉から河野さんへの謝罪が全くされていないのが納得いかないですね。当時TBSとオウムが繋がっていたことの検証と謝罪を、杉尾秀哉を交えて徹底的にやったらよろしいのでは?そしたらわざわざ長野で立候補して国会議員やってるこの人を地元民が疑問に思うのでは?
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
その少し前に読売新聞に「オウム教団施設周辺の地面からサリン検出」と大見出しが出ていました。松本サリン事件の追及で。 あの日、茗荷谷駅近くのオフィスで8時半過ぎ、2棟離れた消防署から有り得ないくらいの音で消防署から救急車が発進していました。 その10分くらい後に出社した人が「毒ガスだ」と言ってたので、前出の件ですぐオウムの仕業と合点しました。
▲28 ▼2
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松本サリン事件の犯人として被害者を散々叩いてきたマスコミ。特にTBSはひどかった。現在立憲民主党議員の杉尾氏が被害者を犯人扱いし、それに反論する姿は忘れることができない。しかし、杉尾氏は議員になってから一度も反省の弁を語ることがない。ひどいことだ。
▲81 ▼2
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このオウム事件によって、マスコミは嬉々として連日オウム事件を利用して、あらゆる宗教批判に熱を入れたものだ。お陰で、戦後アメリカによる日本人に行った唯物思想に拍車が掛かり、宗教否定論者が持て囃されていた。日本人の精神性や伝統的信心深さまでをも否定するほどに、マスコミの宗教批判は、日本の人々の心に恐怖を植え付けたものだ。 こうしたマルクス主義、唯物思想に洗脳されていく日本人の多くが、宗教は危険!と洗脳された。 これは、戦後GHQが敗戦国に対して行った最悪な洗脳政策の路線に再び息を吹き込むに十分なほど、マスコミはこぞって共産化への大衆先導に、このオウム事件を利用した。卑劣極まりない、こうしたマスコミの都合のいい偏向報道によって、ますます日本の政治、文化、伝統というものが、知らず知らずのうちに共産主義の方向へ舵を切り破滅へと誘導されていった。 その末端が岸田-石破と続く日本の終焉の兆候に見る。
▲8 ▼9
=+=+=+=+=
別に元旦報道が、捜査の手助けになったわけではない。 新事実を掘り起こしたわけではない。
むしろオウムに捜査の進展を知らせ、「攪乱」として 地下鉄事件が起こったのではないか。 「数十万人の被害を防げた」という話を真に受け止めている人は 結局、マスコミに踊らされているのです。
▲30 ▼3
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当時の松本サリン事件の時にあるメディアのニュース番組の中で河野さんを追い詰めて犯人扱いをされたキャスターがおられましたよね!いまは国会議員をされておられるとか?あの時の自らの責任や河野さんへの謝罪はされたのかな?誰か知りませんか?
▲19 ▼0
=+=+=+=+=
ジャ―ナリズムの根底に有る思想とは、真実を語り、世間に判断材料として提供し、国民生活の安定に寄与することが、求められていることの様に思う!昨今は、煽り報道が乱発されて、真実の信憑性が問われることが、多すぎるのでは無いのかと?危機感を感じてしまう!?
▲9 ▼1
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立憲民主党の杉尾は、いまだに河野さんに濡れ衣を着せて犯人扱いしたことをまともに謝罪していない まさにオールドメディアそのもので、今の斉藤知事バッシングと何ら変わるところがない。マスコミは司法だとでも思ってるんだろう 今でもオールドメディアに守られて、裏金だってお咎めなしの立憲民主党
▲43 ▼6
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宗教団体に対する警察や報道の躊躇が無ければ、地下鉄サリン事件は防げたかもしれないな しかし、その辺が宗教団体という触っちゃいけないものに触ることの難しさだよな
▲7 ▼1
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河野さんを犯人にしたてあげた報道をしたのも、坂本弁護士一家殺害事件のきっかけになったのもマスコミでしたよね。 この記事だとまるでマスコミが大きな被害を食い止めた美談のように見えますが、それ以上の罪も犯していることを忘れないでください。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
これより前の1993年の12月の八王子サリン事件が通報されていたらどうだったのか。 地下鉄の事件も防げたかもしれない。
▲17 ▼1
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TBSがオウムにビデオ見せたことが坂本弁護士殺害に繋がったようにこの読売新聞の記事が地下鉄サリン事件を誘導したのでしょうね 両社ともスクープ欲しさに国民に被害をもたらしたけど一番悪いのは警察 坂本弁護士事件からオウムと気づいていたくせに上九一色村のサティアンを放置しサリンを精製させそれを使った松本サリン事件では無関係の人を犯人扱いして誤魔化し遂には地下鉄サリンで東京で大量殺人が起きてようやく強制捜査 するんだから
▲21 ▼6
=+=+=+=+=
いわゆる陰謀論やテロが現実味を帯びる事となった事件、て話になる。災害は人災として語られる様になり、変な奴が増えた事を実感したね。
昭和世代が未だそうしたものへの警戒心を解いていなかった時代だから軌道修正できたのだろう。もし今、同様な事件が起こったら
果たしてどうだろうか?ネットは変な奴等の手先と化してしまっている。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
松本サリン事件の前年に所要で近くを通っていたので、事件勃発の報を聞いたときはゾッとした記憶がある。そして「農薬調合に失敗」という初期報道の違和感。なぜ調合した本人が何ともないのか、と。
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
でもマスコミは暴走を一切反省しないですよね。 先の大戦でも軍部、政府、財閥が責任を取ったのに 一切責任を取らないどころか追い討ちをかけ続け、 オウムには宗教弾圧だと忖度して坂本弁護士一家を 売り渡し、松本サリンや地下鉄サリンへの流れを 結果的に作り出してしまいました。 そして中韓朝の特亜やクルドの悪行に対しては 民族差別だと言って常に一般の日本人へ 弓を引き続けるマスコミ。 メディアを日本人の手に取り戻す為にも ブンヤも電波も業界再編が必要です。
▲8 ▼2
=+=+=+=+=
埼玉のクルド人の話題は、実際に体験しているわけでは ないから真実かどうかわからないですが、仮に SNSの情報が事実と言えることであれば、オウム真理教以上の社会的破壊力/危険性があると思います。
▲9 ▼2
=+=+=+=+=
冒頭に「元日の1面記事は新聞各社が力を入れるのが恒例だ」と記載されているが、 今年は、例外なのだろうか?
中居正弘の件は、ジャニー喜多川の性加害問題と同様、 全く、報道していない。 テレビ局も同様。
時々、報道の自由を叫ぶ田原総一郎氏や青木理氏なども、取材、報道していないのではないか?
新聞各社やテレビ局、田原総一郎氏、青木理氏は、実際は、 人権侵害に全く関心がないのではないか?
▲24 ▼5
=+=+=+=+=
なんだ、この提灯記事は? 松本サリン事件から地下鉄サリン事件まで、約9ヵ月もあったのに、警察やマスコミは何をやっていたんだ? 結局、オウムの奴らから【宗教弾圧】だと攻撃される事を恐れ、沈黙していたとしか思えないね。 だから、マスコミはジャニー喜多川氏が死去するまで【ジャニーズ性加害】問題を報道しなかった理由がよく分かった。 自己保身が優先されたマスコミの責任は重い。 賛否両論あるが、現在ならYouTuberが地下鉄サリン事件が発生する前に【サリン疑惑】でオウムを告発していたであろう。
▲135 ▼29
=+=+=+=+=
当時私はワープロ練習のため読売の1面記事をタイプするのが日課でした。元日のあの記事をみた時は「え、もしかして松本サリンにオウムが関わってるの?とすると 河野さんは無実?」と本当に驚いたのを思い出します。
▲65 ▼1
=+=+=+=+=
テレビ局は報道で自由に世間を操っていました 今はYouTubeのお陰でそれも怪しくなってきています ジャニーズや中居の件もSNSがなければテレビ局に揉み消されていたでしょう 怖い時代でした
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
SNSが跋扈し、オールドメディアとされ肩身の狭くなった新聞報道が廃れつつある現在、こんなのが起きたらどおなるのでしょうや?
狂暴カルトはSNSをフルに活用し只管真実を隠蔽し嘘の拡散に努める。 他方で新聞は記者の取材費もままならず足代が出せないから、ネットをなぶるだけで記事を書く。 その結末を想像するだけでぞおっとしますな。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
変な言い方だが、オウムにもう少し現実検討能力があったら、日本は一時的に、オウムの国になっていただろう。米国が 「悪の枢軸」 などと呼んで日本奪還に動き、数十万、数百万の死者が出ていた。私自身も都市に住んでいたので、生きていなかったかもしれない。
▲4 ▼3
=+=+=+=+=
確か阪神 淡路大震災と同じ年に サリン事件があったな? 私はその時まだ学生だったから テレビでも良くやってたなって 思った 松本智津夫が 死刑になっても なぜこの事件がなくならないのか 良く考えるべきですね。
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
松本サリン事件での大学教授に対する犯人扱いの報道は酷かった、それに対する回顧録はないの? あれは、報道、ワイドショーに携わる人達の毎年の研修に使うべきようなことだよ。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
事件の朝、秋葉原から日比谷線に乗ろうとしたら地上の入り口が閉鎖されてて、会社に徒歩で行ったら、「日比谷線内でガソリンばらまいて、火を点けた奴がいる」って話が流れてた。当時スマホがあったら、話はもっとずっと、とんでもないデタラメになってたんだろうな。
▲25 ▼5
=+=+=+=+=
上一色村の教団施設に強制捜査が入った日のテレビ朝日の報道ステーションで久米宏が「歴史に残る宗教弾圧だ」と口を極めて捜査当局を非難していたことを鮮明に思い出す。
▲104 ▼19
=+=+=+=+=
警察がすでに着手しているわけなんだから、マスコミさんは静かにしておいてください。 あなたの社に信者がいるかもしれない オウムに知れる危険があった
とくダネを追うことは捜査の妨害、国民を助けることにはならない
功名心で麻痺していることに気づいてください
お願いだから騒ぎ立てないでください 捜査の邪魔をしないで!
▲5 ▼3
=+=+=+=+=
警察発表を鵜呑みにした。マスコミの報道は、結局はオウムの暴走を止めることはできなかった。
でもそれを正したのもマスコミの報道だ。 難しい問題だね。
▲29 ▼19
=+=+=+=+=
松本サリン事件や坂本弁護士一家失踪事件を出すわりに その時のマスコミの問題についてはろくに触れず「マスコミの功績」を強調するのね
▲50 ▼2
=+=+=+=+=
ネット社会だったら河野さんはもっとひどい叩かれ方をされただろうな。
あれから、ネットで勝手に犯人扱いして実は別人が犯人だった という例を何度も見た。
人は何も学ばない。
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
放っておけばサリンをヘリコプターで空中散布されてたよね。 誰が手引きして旧ソ連のヘリコプター納品して、ついでに資金の出所も表に出せばいい。 都市伝説でも何でも無い日本の現実が見えて来るよ。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
松本サリン事件で河野さんを犯人扱いしたのも大問題だけど、マスコミが坂本弁護士のビデオをオウムに提供したあと事件が起きる大失態がありましたね
▲40 ▼2
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ちなみに、松本サリン事件以前からオウムがサリンを製造、所持してる事は警察や自衛隊は把握していたのだよ。 でも手が出せない、それは法律がないからだ。
▲13 ▼0
=+=+=+=+=
あの読売新聞の報道で松本サリン事件は河野さんの単独犯行報道は鳴りを潜め、事の推移を見守る体制に変化した。報道史上特筆すべき特ダネだったと思う。
▲13 ▼0
=+=+=+=+=
もう、勝手に疑われた河野さんの名前を出すべきではないのでは。 マスコミは嘘をでっちあげて反省もない、この頃から何も変わっていない。
▲110 ▼7
=+=+=+=+=
坂本弁護士一家殺人事件に関与して松本サリン事件で被害者である河野さんを犯人であるかのように報じたTBSが未だに存在していて杉尾が国会議員をやっているのが恐ろしいよな 何が報道の日だよ白々しい
▲30 ▼2
=+=+=+=+=
そんな事を言っても後の祭りだ!漫画家の小林よしのりさんはオウムの危険性を何度も警告したが、マスコミや警察は無視した!ビートたけしなどは麻原彰晃を持ち上げた!「最悪を想定して最善を尽くせ!」アメリカCIAのことわざです!警察やマスコミはどう考えても最悪を想定して最善を尽くしたとは思わない!(●`ε´●)その証拠に小林よしのりは統一教会も、批判したが、マスコミも警察も安倍元首相の暗殺までは、ほとんど動かなかった!(●`ε´●)
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
素晴らしいスクープでしたね。取材の歴史を重ねてきた伝統的なメディアには、こういう底力がある。
▲27 ▼47
=+=+=+=+=
松本の河野さんが気の毒だったな。 ずさんな初動捜査で冤罪が製造され真犯人が逃げていく構図はいつも同じ。
▲17 ▼1
=+=+=+=+=
坂本弁護士一家失踪事件は 誰が考えてもオウムの仕業だったのに どうして逮捕できなかったのか? 逮捕していればサリン事件は起きなかった。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
それでも、被害者は出た 強制捜査間近だったのに 宗教弾圧と言い、強制捜査を遅らせたのは、例の宗教党 これは絶対に忘れてはいけない
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
まるで自分の手柄のような記事だが、読売新聞を含めたマスコミが河野義行さんを犯人扱いしたことを忘れてはいけない。
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
なんだよ。統一教会だってやばいと分かってたくせに。安倍晋三元首相と自民党叩きに使えると分かってから騒ぎ立てるんだな。結局マスコミは自分の商売につながるよう世の中を乱すことしか考えてないんだな。
▲7 ▼2
=+=+=+=+=
数十万とかとくあみたいな記事を今書くなよ・・・ 当時の技術と散布体制でそんなことが出来ない
今まで1番それに近い事ができたのがコロナウイルスだ
日本のマスコミはまるでダメじゃないか
▲2 ▼4
=+=+=+=+=
杉尾さん! ひとこと、コメントをください。 必ず! そうでないなら、あなたは、一般国民から逃げていることになる。 覚悟した方がいいです 。これは、昔の忘れ去られた話ではない! 現実、今日の話なのですよ!
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
松本サリン事件の報道姿勢を杉尾はどう思っているのかな 村瀬キャスターが杉尾を立派に引き継いでいるようですが
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
過去を教訓には、分かります!元旦、能登震災復旧が現代を生きる政治家がやる事かな? 闇バイト、サーバー攻撃!!、統一協会の問題? 全てが、金稼ぎ〜 日本政府の家計簿は、、国民がやるべき!! 財政が危機だから〜増税してるの? しかしながら、公務員以上の方は年収がアゲアゲ〜 努力は、、報われない!殻を破れ
▲0 ▼3
=+=+=+=+=
統一教会の関係者が会社に押しかけてきて、大変なことになった。
オウムは勿論やけど、この人たち‥ 大差ないよ。
▲5 ▼1
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結局現場の記者云々ではなく社の方針として記者クラブ出禁は困るので、リークを裏どりせずに垂れ流すだけ。オールドメディア(記者クラブ)は終了。
▲2 ▼3
=+=+=+=+=
今思うに警察は関東のオウムを泳がせて、尻尾を掴みたいがために 河野さんの冤罪騒動を放置したのだろう。
▲10 ▼2
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竹ノ塚から業平橋に通う職場のお姉さまが 「日比谷線で爆発が発生して遅れる」が、今でも鮮明です。合掌。
▲4 ▼1
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松本サリン事件はTBS(立憲君主党の杉尾秀哉議員)の報道が忘れられない、てか絶対忘れない。マスコミ嫌いの原点に近い。
▲4 ▼0
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これからもこういう新興宗教が生まれる可能性がある。
もっと対策を考えるべきではないか?
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
讀賣さんは、元日に、スクープ記事を、一面に出すことがある 60年近く前の、三菱銀行と、第一銀行の、合併記事も、そうだった(破談になったが)
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
あれ?サリン事件の報道で思い出したけど、自民党を国会で攻撃しまくって無知な人から応援されてる立憲の杉尾はどんなこと考えてるんだろ
▲2 ▼0
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当時のTBSアナのSさん、やはり警察は「怪しい」しか言ってないみたいですね。 あなたしかいないと断定出来る根拠って何だったのですか?そもそもあったのですか?
▲48 ▼2
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