( 244221 ) 2025/01/04 15:55:42 0 00 「日刊ゲンダイ」寺田俊治社長
日刊ゲンダイ・寺田俊治社長(65)は「正直言って残念です」と言い、東京スポーツ・平鍋幸治社長(58)は「ついに来たかと思いました」と語った。1969年の創刊以来、半世紀以上の歴史を誇った夕刊フジが2025年1月末日をもって休刊となる。この厳しい現実を、夕刊紙のライバル2紙の経営者はどのように受け止め、何を武器に、いかにして活路を切り拓こうとしているのか。昔日刊ゲンダイの記者として21年間(1986~2006年)、今東スポにフリーのコラムニストとして15年間(2010年~現在)書き続けているスポーツライターの筆者が忖度、駆け引き一切無し、ど真ん中の直球勝負で迫った。
1月4日の配信では、寺田社長のインタビューをお届けする。【赤坂英一/スポーツライター】【前後編の前編】
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日刊ゲンダイは同じタブロイド紙として、常に夕刊フジのライバルと自負してきた夕刊紙である。私自身が入社した1986年、編集会議で編集局長が「夕刊フジをカネ出して買うような利敵行為をするな」と、大真面目に言っていたほどだ。 あれから約40年が経った今、日刊ゲンダイを発行する(株)日刊現代社長・寺田俊治氏(65)は夕刊フジの休刊をどう受け止めているのか。
「やっぱり、正直言って残念ですよね。夕刊フジさんのほうが(1975年創刊のゲンダイより)ちょっと早く(1969年に)始めた。言わばあちらが先輩で、こちらも追いつき追い越せで、切磋琢磨しながらやってきましたから。以前から、そうなるだろうという話は聞いていましたけどね。産経(新聞社)さん本体の中で、どういう判断がされたのかはわかりません」
夕刊フジの休刊により、日刊ゲンダイ、東京スポーツが最も影響を受けるのは配送コストが上がることだといわれる。これまでは夕刊3紙がトラックや運転手にかかる経費を3等分してきたが、今後は2等分になり、それだけ両社にかかる負担が大きくなるからだ。 7月26日、フジ休刊を一速く報じたデイリー新潮も、配送の問題がゲンダイにとっても大きな打撃になりそうだと指摘した。しかし、寺田社長によると、事はそう単純ではないらしい。また、善後策も着々と進めているという。
「基本的に、配送ルートは一つではなく、いろいろなものがあるんですよ。ウチが単独でやっているもの、フジさんと組んでいたもの、東スポさんも含めた3社でやってきたもの、とね。しかも、東京と大阪では配送のやり方が全く違う。今は、そういう様々なルートを組み直す作業をしています。コストが増えるエリアもあるだろうし、フジさんと組んでいた便が東スポさんになってコストの変わらないところもあるかもしれない。最終的な形はまだ見えていませんが、より効率的な配送網の再構築を目指し、なるべくコストを増やさないよう努力しているところです」
そもそも夕刊フジが休刊に追い込まれた最大の原因は、世がネット時代、スマホ社会になり、紙のニーズが大きく下がったことにある。そのために売り上げを落としたのは、一般紙や雑誌も同様だ。そうした中、日刊ゲンダイの発行部数はどう推移しているのか。
「(部数は)もちろん減っています。減っていますが、一時に比べれば、このところは何とか踏み止まっているかな」
一方でネット事業にも力を入れている。東スポの「東スポWEB」と同様にWEB版「日刊ゲンダイDIGITAL」、「日刊ゲンダイ競馬」を運営し、紙には掲載されていないネットオリジナル記事を配信。無料、有料(スタンダード、プレミアムの2種類)の会員も募集している。将来、WEB版が紙を凌駕する事態はあり得るのか。
「いや、売り上げはまだ紙のほうが圧倒しています。利益率だけで見ると、もちろんDIGITALのほうがいい。紙代も印刷代もかからないんだから。でも、売り上げはまだまだ紙のほうが上ですね」
その半面、少しずつではあるが、サブスクに紙の読者を取り込み、会員を増やすことに手応えを感じているという。
「大手新聞には全く及びませんが、ウチにも東京、大阪、名古屋、北海道と、各販売エリアに宅配の読者がいるんです。大体、一地域に1000人ぐらい。そういう人たちをみんなDIGITALに取り込めているわけではないけれど、その読者層と重なるサブスクの会員が徐々に増えているところです」
ただし、記事が大手ポータルサイトに転載されると、様々な規制によって使用できる言葉が制限され、アップされるスタイルも同一化される。過激で筆法鋭い日刊ゲンダイの記事も、それほどでもない一般紙、スポーツ紙の記事も、ヤフトピに同じ大きさと同じ形式で並べられると、どれもこれも均質化されて見えてしまうのだ。これは寺田社長にとっても一つの懸案だという。
「ネットの記事の見せ方にはある程度、一定のパターンがある。そこにウチ独特の言葉や論調がパッと出てくると、世の中からちょっと浮いているように受け取られることもある。だから、そういう可能性が高いものは出していないし、1面の特集記事も無料では提供していません。ただ、今後はそういう記事をサブスクで出していくと、逆に独自の商品性が生まれるかもしれない。最近ではそう考えています」
寺田社長自ら言うように、日刊ゲンダイ最大の特長は連日1面から2面にかけて展開される政権与党批判、常に大上段に振りかぶった長い見出しである。例えば石破茂首相の写真の横に「何から何まで『邪』の極み」「見たこともない延命バラマキ亡国補正」(2024年11月26日付)、「衆参W選挙浮上自民狂乱」「国民は口をアングリだ」「石破自民党の二枚舌」(同12月10日付)などなど。 今時、このように激烈で、ある意味、えげつなくも感じられる言葉を使っている紙媒体は他にない。が、この見出しに象徴される紙面作りこそが、日刊ゲンダイのニーズの源だと、寺田社長は力説する。
「これからどうやって生き残るかという話をするなら、やっぱり、ウチは夕刊フジとはメディアとしての主張や在り方が根本的に違うんだ、という認識が根底にあるんですよ。3つの夕刊紙のうちの一つという位置づけではなく、日刊ゲンダイは世界中のどこにもない媒体なんだというつもりでやっている。そもそも、1975年の創刊時の方針が、大手新聞は全く本当のことを書いてない、何を伝えるのにも通り一遍の書き方で済ませて、全然真相に迫ってないじゃないかと。そこを突くことに週刊誌の役割があるんだけど、出せるのは週に1回だけ。それなら毎日、週刊誌のような雑誌を出してやろうと、そう考えた人たちが日刊ゲンダイを作ったわけですから」
夕刊フジが「大手」の産経新聞社が出した夕刊紙だったのに対し、日刊ゲンダイは出版社の講談社が発行する「日刊雑誌」として発足した。創刊時は同社専務取締役の野間惟道氏が出向し、日刊現代の社長に就任。週刊現代編集長として100万部時代を築いた川鍋孝文氏が編集局長として現場の陣頭指揮に当たった。私が入社した1986年、野間氏は講談社に社長として復帰し、川鍋氏は社長に昇格していた。社長室での最終面接で、川鍋氏にこう言われたことは今も忘れられない。
「ウチの記者なんてのは乞食だぞ。乞食になる覚悟はあるのか」
日刊ゲンダイの記者は、大手新聞のエリート記者とは違う。地べたを這いずり回って仕事をしなければならないんだぞ、という念押しだったのだろう。私がそんな思い出話を振ったら、寺田氏は苦笑いを浮かべて言葉を継いだ。
「あのころ、日刊ゲンダイが訴えてきた大手メディアに対する不信感は、ひょっとしたら当時より現在のほうが強いかもしれない。SNSに投稿されている人たちの声を見ていると、そういう大衆の意識を強く感じます。だから、斎藤兵庫県知事の再選だとか、今まで考えられなかった事態が次々に起こっているんでしょう。つまりね、今SNSで人々が大メディアに対して『これ違うんじゃないか』『マスコミはおかしいぞ』と言っていることは、ウチが50年前に始めたことなんだ。そんな声が飛び交うようになって、現代の言論状況はますます荒れつつある。だから、創刊以来、アンチ大メディアの論陣を張ってきたウチのコンテンツには根強い社会的なニーズがある。われわれは夕刊紙というよりも、いろいろなデバイスを使って発信を続けるコンテンツプロバイダーなんですよ」
ちなみに、寺田社長の日刊現代入社1年目、最初に配属されたのはスポーツ編集部だった。私が入社3年目にニュース編集部からスポーツ編集部に異動となり、直接指導してくれたのが寺田氏である。その先輩に、一緒に仕事をしていたころには聞いたことのなかった質問を、この機会にあえてぶつけてみた。
――日刊現代が潰れると思ったことはないんですか。
「あるよ。社長になって、コロナが始まったばかりのころ」
【後編】では、日刊ゲンダイが挑む新たな紙面作りについて詳述している。
赤坂英一(あかさか・えいいち) 1963年、広島県出身。法政大卒。「失われた甲子園」(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他の著書に「すごい! 広島カープ」「2番打者論」「プロ野球コンバート論」(すべてPHP研究所)など。日本文藝家協会会員。
デイリー新潮編集部
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