( 244768 ) 2025/01/05 16:35:56 2 00 「赤字だから仕方がない」 そんな“ローカル線廃止論者”に、私が微塵も同意できないワケMerkmal 1/5(日) 6:11 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/5f459c708b90d9f8833416289c9bd121a1c9eae6 |
( 244769 ) 2025/01/05 16:35:56 1 00 赤字を出しているローカル線の廃止を主張する声が強まっており、経済的合理性だけでなく、地域や社会全体に及ぼす影響を考慮する必要があると指摘されている。 | ( 244771 ) 2025/01/05 16:35:56 0 00 ローカル線(画像:写真AC)
近年、赤字ローカル線の廃止を求める声がネット上で増えている。特に、2022年7月に国土交通省の有識者会議が示した「駅勢人口比駅利用者率1.5%未満」「駅利用者数100人未満」といった赤字路線の存廃基準が公表されて以降、この議論はさらに加速した。
「どう収支を改善するのか」 「移住以外に解決策はない」 「ノスタルジーに過ぎない」
といった声が目立つ。多くは採算性を重視し、収益が見込めない路線は速やかに廃止すべきだという立場だ。しかし、こうした経済的合理性に偏った考え方は、公共交通が本来担うべき役割や社会的責任を軽視していると言わざるを得ない。
この問題に対し、マックス・ウェーバー(1864~1920年)が提唱した「鉄の檻」という概念が示唆を与える。ウェーバーは、社会学や経済学の分野で活躍したドイツの学者で、近代社会学の創始者のひとりとして知られる。彼は社会の近代化や合理化について深く分析し、過度な合理性の追求がもたらす問題を指摘した。
ウェーバーによれば、合理化が進むと、社会は効率や収益性ばかりを追求し、人間らしさや公共性を見失う危険がある。この「鉄の檻」の概念は、赤字ローカル線の存廃問題にも当てはまる。合理性だけで廃止を進めることは、地域住民の生活や地方の持続可能性を損ない、公共交通が持つ社会的意義を否定することにつながるからだ。
赤字ローカル線の存続をめぐる議論は、単に採算の問題にとどまらない。地域社会の未来や公共交通の本質を見直すきっかけにもなる。数字や効率だけで結論を急ぐのではなく、その路線が地域や社会全体にどのような価値をもたらしているのか、広い視点で考える必要があるだろう。
近代社会学の創始者であるマックス・ウェーバー
赤字ローカル線の廃止を主張する声は、路線の価値を経済性というひとつの指標で判断しがちだ。例えば、JR東日本千葉支社が2024年11月に発表した久留里線の一部区間(久留里~上総亀山駅)の廃止も、利用者の少なさと赤字が主な理由とされている。
この区間では1日に17本の列車が運行されているが、平均利用客数は約60人にとどまる。さらに、運営にかかる費用を示す「営業係数」は1万3580円と非常に高い。地元との協議では
「移動需要に対して輸送力が過大」
との意見が示され、バス転換が提案された。このように、利用者が少なく運賃収入で経費をまかなえない路線は速やかに廃止すべきだという考え方だ。
この立場には、近代資本主義の基本理念が反映されている。限られた資源を効率的に配分し、赤字を続ける事業は社会全体に損失をもたらすという理論だ。しかし、「赤字だから即廃止」という単純な判断には疑問が残る。
数字だけで地域の価値を評価することは、近代化がもたらした問題のひとつを象徴している。公共交通の意義は単なる収益性にとどまらず、地域住民の生活や地方社会の持続可能性を支える役割も担っているはずだ。
この視点を無視した議論は、短期的な効率性を追求するあまり、長期的な地域社会の価値を見失うリスクをはらんでいる。
檻のイメージ(画像:写真AC)
物事を数字や効率だけで判断する思考は、近代社会が抱える病理として、以前から指摘されている。
ウェーバーは、近代社会の本質的な特徴として「合理化」の進展を挙げ、社会のあらゆる分野で
・計算可能性 ・予測可能性
が重視されるようになったと分析した。その結果、企業は収益性を、行政は効率性を追求し、数値化しにくい価値が軽視される傾向が生まれた。ウェーバーはこれを「鉄の檻」と呼び、合理性を最優先することで社会が抱えるリスクを警告している。
合理化が行き過ぎると、次のような問題が生じる。
●個人の自由の制約 過度な合理化は、個人の自己決定や柔軟な行動の自由を奪い、定められたルールに従うことを強制する。社会全体が「鉄の檻」のように硬直化すると、人は単なる「歯車」に過ぎなくなり、創造性や自由な発想が制限される。
●非人間的な社会 効率性の追求が行き過ぎると、社会や組織は冷徹で非人間的なものへと変わる。人々は機械的な効率性だけで扱われ、感情や存在が軽視される。
●社会的・倫理的価値の軽視 合理化が進むほど、社会的な公平性や倫理的な判断が犠牲になる。効率が最優先されることで、人間らしさや社会的なつながりが後回しにされる危険がある。
●創造性と革新の抑制 手続きが極度に合理化されると、新しいアイデアや革新的な取り組みが生まれにくくなる。その結果、組織や社会全体が停滞するリスクが高まる。
ウェーバーが指摘した「鉄の檻」は、近代社会が効率性や合理化を追求しすぎることで、人々の自由を奪い、冷たく非人間的な社会を生み出してしまう可能性を警告している。この考え方は、現代社会においても重要な示唆を与えているといえるだろう。
ウェーバーの生まれたドイツ中央部のエアフルト(画像:写真AC)
この問題は、私たちの日常でも顕著だ。例えば、現代の教育評価のあり方がその一例といえる。生徒が持つ多様な能力――運動や芸術的な才能、共感力といった数値化が難しい価値――が、テストの点数というひとつの基準に還元されてしまう傾向がある。これは合理化による「非人格化」の典型だ。
一方で、教育現場では依然として教師と生徒の個人的な関係が重要視されている。「非人格化」と「人格化」が同時に進行している現状が、教育の中でも見て取れる。
公共交通の問題も同様の視点で考えられる。乗客数や収支などの数値は確かに重要だが、それだけでは地域コミュニティの維持、高齢者の医療アクセス、子どもたちの教育機会、地域文化の継承といった、本来数値化できない価値を見失う危険性がある。これこそ、私たちが「鉄の檻」に囚われている現実を象徴している。
「鉄道が無くなる = 街が寂れる」
という単純な図式については、否定的な研究結果もある。しかし本質的な問題は、効率性という枠組みに囚われて公共交通の多面的な価値を見失っている点だ。
公共交通の廃止は単に移動手段を失うだけでなく、地域社会そのものの衰退につながる。人々の暮らし、文化、つながりといった数値では表せない価値が徐々に消えていく。この問題を
「赤字だから仕方がない」
という効率性の論理だけで片付けるべきではない。
ローカル線(画像:写真AC)
注目すべき反例として、鳥取県の若桜鉄道の事例がある。
この鉄道は、効率性だけに囚われないアプローチで新たな可能性を切り開いた。2016年度には利用者数が約31万人にまで減少していたが、地域全体で収支改善にとどまらず、文化的価値や社会的つながりの創出にも挑戦した。
レトロな駅舎や橋梁を文化財として活用し、観光列車を導入することで、2018年度には利用者数を約35万人まで回復。単なる輸送機関としての役割を超え、地域の核として機能するようになった。
さらに、沿線の9駅では住民による応援団が中心となり、祭りの開催、地域広報誌の発行、特産品販売所の開設などの取り組みが進められた。この鉄道は、地域コミュニティの結びつきを強化する場として、新たな公共的価値を生み出している。
若桜鉄道の事例は、ウェーバーが警告した「鉄の檻」からの解放の一例といえる。単なる効率性の追求に終始するのではなく、文化的価値や社会的つながり、さらには地域の未来を見据えた取り組みが実現された。
「使う人がいなくなったら終わり」という発想は、「鉄の檻」的な思考そのものだ。それに対し、
「使う人を増やすことで未来をつくる」
という視点は、豊かな公共的価値を創造する可能性を示している。若桜鉄道の取り組みは、その可能性を具体的に形にした成功例といえるだろう。
ウェーバーの主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(画像:岩波書店)
「鉄の檻」からの解放は、簡単な道のりではない。近代社会が進めてきた合理化は、私たちの思考に深く影響を与え、効率性が優先される構造を作り出してきた。しかし、この状況を打破する道は確実に存在する。
まず、地域の価値を評価する新しい基準が必要だ。路線存続が教育機会や医療アクセスにどう寄与するのか、観光資源としての潜在力はどれほどか、災害時にどれだけの役割を果たすかといった、多面的な視点での評価が求められる。こうしたアプローチにより、これまで見過ごされてきた公共的価値を明確にし、地域の本来の可能性を可視化できる。
次に、公共交通を「コスト」ではなく「投資」として捉える視点が重要だ。地域の交通網は、住民の生活や未来を支える基盤であり、維持にともなうコストは、地域の持続可能性を実現するための必要不可欠な投資だ。効率性と公共性を両立させる道は難しいが、若桜鉄道が示したように、それは実現可能な挑戦だ。半世紀前、田中角栄氏はこう語っている。
「私は、鉄道はやむを得ないことであるならば赤字を出してもよいと考えている。本当にもうからなければならないならば国がやる必要がない。もうからないところでも、定時の運行をして経済発展という立場でこそ国有鉄道法(による鉄道)の必要があると思う」
公共交通の本質的な価値は収支や効率性では測れない。それは地域の未来を創る基盤であり、社会の持続可能性を支える重要な要素だ。今こそ、効率性の「鉄の檻」を超え、より豊かな公共的価値を追求する新しい視点を持つときだ。
ローカル線(画像:写真AC)
ローカル線廃止を主張する人たちに伝えたい。あなたたちの主張は効率性や数字に偏りすぎている。しかし、過度に合理化と効率を追い求めることが、私たちを「鉄の檻」に閉じ込めることになることを、もう一度考えてほしい。
鉄道が廃止されることで失われるのは、単なる移動手段だけではない。それは、地域のコミュニティや文化、社会的つながりといった目に見えない価値が一緒に消えてしまうことを意味する。
赤字だからといって、すぐに廃止することが最適解ではないことを認識すべきだ。鉄道は単なる移動手段ではなく、地域の基盤を支える重要な要素であり、将来への投資だ。
地域が自らの未来を切り開くためには、効率性と公共性を両立させる方法を探る必要がある。そのためにこそ、新しい価値観を持ち、ローカル線の役割を再評価すべきだ。
「赤字だから仕方ない」――そんな線廃止論者に、私は1ミリも同意できない。
昼間たかし(ルポライター)
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( 244772 ) 2025/01/05 16:35:56 0 00 =+=+=+=+=
因果関係が逆であり、先に地元住民自身が鉄道を切り捨てて不要と認識しているからこそ、平均利用者数が60人となっているのでは? 地元住民が不要と判断して使わない鉄道を残しておく意味が分からない。 鳥取県の若桜鉄道の例では、31万人(850人/日)と地元住民が使っているし、地元住民が盛り上げようとしています。久留里線でも本当に地元住民が必要だと考えるのであれば、何か盛り上げ様とするでしょう。
▲1321 ▼253
=+=+=+=+=
赤字路線が地域のコミュニティのような記載ですが、 そんな事はありません。 むしろ地元民からは移動手段として認識すらされてないのが現状です。 あまりにも低い便数、村落が離れすぎているため、駅までアクセスできない、異常に遅いなど。 貨物需要すらなければ、存続はより衰退を進めるものと思います。
▲1180 ▼186
=+=+=+=+=
鉄道にこだわるのではなく輸送キャパに応じた公共輸送機関を選択すべきと考える。
トラック輸送では運べない量の貨物があったり、地域住民が日常的に利用していて必要とされるなら税金投入しても維持すればいいと思うが、 地域住民が利用せずに車がメインになっていたり、代替交通機関でも十分輸送できる輸送量しかないのなら鉄道である必要はない。
鉄道はタクシー、バスと比較して最も維持費がかかる輸送機関であることを忘れてはならない。 それでもなお鉄道として残すなら、その維持費は沿線自治体や都道府県で負担し国税を使う必要はない。
▲10 ▼2
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基本的に慢性的な赤字路線の廃止はやむを得ないと思います。 仮に赤字でも維持するとなると、公的資金での補填が不可欠となり、そうなると実行の可否に関わるのは、社会全体の納税者の賛同が得られるかどうか、です。 それ以上の力を働かせようとするのであれば、資本主義、民主主義という国の根本的な構造から変えなければ解決せず、それをどれだけの人が望むのかという問題になります。
▲31 ▼19
=+=+=+=+=
旧国鉄が民間に移行して赤字路線を助長している様に思える。 地元でも過去から一本の路線が途中で二社のJRに分れてからっというもの、何方も勝手に運行をしていて接続がとても悪い、車両によっては接続駅で1時間も待つこともある、生活圏が此処で分かれているならともかく、勝手にそれぞれの会社の運営になっただけ、通せば車で1時間半程度で行ける間を列車だと約3時間もかけて一体何の為の路線なのか、是では利用者が減って赤字を助長しているだけだ。
▲13 ▼18
=+=+=+=+=
誰も乗ってない鉄道を運行することには意味が無い 鉄道は大量輸送定時輸送に適した交通システム これを全国に張り巡らせたのは経済的な理由もあるが国防上の理由もある いつでも兵隊や武器弾薬を全国に送り込めるのだ だが現在はヘリによる輸送も可能となって鉄道網を全国に張り巡らせることの 意味はあるのだろうか というのはある せっかく作った鉄道網を廃棄するのは惜しいので道路転換や レースバス化することで再利用してもらいたいとは思いますね 自動運転なども技術の進歩で可能になってきましたから
▲16 ▼3
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この記事を読んでこのライターに良い提案が浮かんだよ。 廃線区間を買取るなり人員込みでリース契約して、いろいろなアイデアを試して黒字化に成功したら買い取ってもらえばいい。 その売却は元の鉄道会社でなくてもその自治体でもいいし、別な企業でもいいかもしれない。 出資してアイデアを出すだけで廃止を防げるかもしれないチャンスかも。 利用もしないけれど廃線には反対って記事書くだけじゃなくて経営を度外視したスポンサー制度で自ら取り組んでみるのもいいと思う。
▲977 ▼232
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赤字路線はそもそも『地域』の移動手段としては不便なことが多いです。 『地域の一部住人』にとって必須だとしても、それでは地域の衰退は止められません。 鉄道がそういった点を改善するなら用地買収とレーン敷設といったさらなる大規模投資を必要としますが、それより遥かに安い上に地域の需要に応えやすいのは道路という既存インフラを使用するバスです。 鉄道はあくまでも人口密集地での大規模輸送で真価を発揮する交通インフラです。
▲607 ▼163
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例えば炭鉱とか大型施設が出来て、そこに行く為に鉄道が出来て駅が出来た。その施設がなくなれば廃線も当然と思う。他にも田舎の方に行くと何もない所にも広い道路が通っている事は多い。便利な道路が出来れば住民は1日数本の鉄道など使わなくなるのは当然。 定年後、田舎暮らしをする方も多いけれど、高齢になると多くの方が便利さを求めて都会に戻ってくる。車を運転出来なくなると生活が困難だから。 利用者が少なくなり、利用者を増やすことも出来ないなら廃線は当然と思います。
▲237 ▼46
=+=+=+=+=
いろいろダメな主張ですが、その根本は「鉄道」と「公共交通」を混同しているところにあります。 鉄道から転換されたバスやデマンド交通もまた公共交通です。 経済的合理性だけの話ではなく、「今の鉄道と、再構築したバス路線などの交通はどちらが使いやすいか」という問題も含んでいます。
また、経済的合理性にとどまらない価値があるのなら、その受益者がコストを負担すべきという話もあります。 JR只見線や三陸鉄道は、被災しながらも経済的な合理性を超えて復旧された路線ですが、いずれも上下分離方式や第三セクターという形で、受益者である地域がコストを負担しています。
▲311 ▼39
=+=+=+=+=
なんでも合理性を求めればウェーバーの考えるようになるでしょう。でも鉄道に関しては、時代の変化に伴って変わっていく姿勢も必要だと思います。運行しているのに殆ど人が乗っていないという事は、もはや使い勝手悪いという事を意味していると思います。それを補うために観光線として運用しようとするならば、毎日運行ではなく土日だけの運行などに変えていったり、乗車賃をもっと上げていくのも必要だと思います。維持したいなら大幅な変革が必要だと思います。
▲70 ▼11
=+=+=+=+=
同意できないは個人意見だからご勝手にとなるのだが、絶対に噛み合わない赤字の処理はどうするんですかとなる。 一つの事案を出されても全国にある赤字ローカル線への処方箋にはなり得ない、利用人口がそもそも無い路線や何の観光資源も無い路線に地域の社会情勢と合わない路線等々鉄道として成り立たない理由が数多ある。
今後さらに少子化が進めば学校の統廃合も行われる為高校生の利用も減るでしょうし、住民そのものも減るのだから利用者も減る。
筆者は鉄道に過度の希望的観測や過度の社会価値を置いているようですが、赤字ローカル線として廃止されようとしている地域はそもそもコミュニティとして崩壊寸前のところであったり自治体が車社会前提としての街作りをしていたりと鉄道としての価値が無くなっています。
ノスタルジーに浸るのは個人の自由ですが社会に対しては無責任では無いでしょうか。
▲295 ▼47
=+=+=+=+=
地域の人々にとって必要なのは、移動手段であって、鉄道はその選択肢の一つ。 過疎化・高齢化の進んだ地域で、移動のニーズがどこにあるかを考えれば、せいぜ隣の自治体までの範囲に収まる。更にいうと、「駅前(中心部)」よりも、郊外寄りの病院等への移動が主な需要。 この需要の特質は、鉄道(路面電車を除く)の苦手とするところ……駅間距離を詰められない、1両での運転なら鉄道である必然を失う、等。
よって、同じ公費を入れるなら、路線バスを優先する訳です。
▲94 ▼15
=+=+=+=+=
過疎化で小中高の学校統廃合が進んでいる。時間的制約で車で送迎してます。現在でも駅迄の交通手段も無く鉄道利用は出来ません。自治体もコミュニティバスを減便、廃止するし、民間バス会社の路線縮小も著しい中、JRがバス転換してくれれば良しとする時代と思います。学校、役所、病院、商店街を経由してくれるバスが交通弱者には有難い。
▲73 ▼9
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言いたい事は分からなくもない。が、ローカル路線って全てでは無いが元を辿ると意外と人を運搬する目的で作られた訳では無い所も少なくない。元は山で取れた木材や鉱物の運搬や港から町や工業地帯への物資輸送が目的だったりする。それをついでに人も運搬しようってなった路線って多いと思う。だから意外と人のアクセスは考えられていないから不便な所が多いと感じる。そういう所は今や車が主な交通手段逆に言えば車が無いと生活できない地域。大袈裟で無く大人1人1台の世界。車の便利さを上回るセールスポイントを出せるかが問題だと思う。
▲67 ▼8
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一般論としては誰もが感覚的には理解できるでしょう。 但し、以下の点でいかがなものかと。 ①過疎化が進んでいる地域においては個々に様々な事情があり、ローカル線の位置付けは書かれているようなメリットばかりではないでしょう。 ②その上で、廃止しないで済む方法を具体的に提示すべきです。誰も闇雲に廃止したいとは考えていません。いろいろ考えた上での苦渋の決断をせざるを得ない状況が多いのではないでしょうか。 廃止すべきではないという理由ばかりを述べる机上の空論では対応できないところまで来ている状況を踏まえ対応案を提示すべきです。
▲106 ▼16
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鉄道には都市間輸送、通勤輸送、貨物輸送のいずれかが必要と考えています。今、廃止が噂されている路線はこの3種のいずれも満たしていない路線。学生と通院だけでは鉄道は成り立たないと考えています。 昭和中期より時代が進むにつれ自動車が普及し鉄道より自家用車の時代に。昼間たかし氏もこの沿線に住んでいれば趣味で鉄道に乗ることはあっても日常は間違いなく自家用車になっているはず。若桜鉄道の件も多少増えたかもしれないが抜本的な解決にはならない。結局自治体が補助しなければならない。 自治体の首長が廃止反対を主張する一方、地元住民は関心が無い状況もある。代替交通手段の確保が面倒だから?とも思ってしまう。 最後に赤字だから廃止なら芸備線より山陰本線の方が赤字額が大きい。赤字だから廃止ではなく乗らないから廃止の議論がある事を忘れてはならない。
▲8 ▼0
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環境問題もあるし、私自身鉄道ファンなので、筆者の言う通り残ってもらえれば嬉しいですが…
モータリゼーションによってかつてよりも移動の民主化が決定的になった以上、鉄道無しでの地方再生を構想していったほうが、実際には、現実的ではないかと思います。よくヨーロッパの鉄道保持が引き合いに出されますが、ヨーロッパは各国が連帯して輸送規模を維持できるのであって、日本のような孤立した島国では難しいと思います。(同じ島国の台湾やニュージーランドなどを見ても過疎地域には鉄道は存在していない)
将来、地方への公共交通移動は鉄道よりも航空機やバスが主体となっていって、それぞれの都市圏や地域の中でLRTやBRTなどの新しい枠組みを作っていったほうが良いのではないでしょうか。
▲53 ▼12
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この世に実用的な公共交通機関が鉄道しか存在しないのならば、この論はまだ分かる。 しかし実際にはバス転換や三セク化等の代替策はある。ダウンサイジングは必要というのが趨勢では?
利益を生むのに必要な赤字、売上の二重計上を避ける為の帳簿上の赤字(例:支線の売上を本線側に計上)、将来への投資による赤字等、許容できる赤字と、焼け石に水的な赤字は区別しないといけない。
▲100 ▼23
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福岡のTV局の発信で、著名な経済人に依る、日本は7都市、というネット動画を見た事有ります。東名阪札仙広福ですね。日本は東京1極集中が進みつつ且つ、地方ブロックに於いては上記7都市の相対的比重が大きくなっていく、概ねそんな内容でした。私もこの流れは、ちょっとやそっとでは変わらないと思っています。人口減少、相次ぐ自然災害に依る路線休止・・全国各地のローカル線の旅を愛してきた自分としては廃止は極力避けてほしいのが本音ですが、ローカル線を取り巻く環境は悪化していくばかりだと残念ながら感じています
▲11 ▼7
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利用者が年間31万人から35万人に増えた若桜鉄道という稀有な例に出して 「使う人を増やすことで未来をつくる」 とあるが、これからも人口減少が続く日本の、寂れていく過疎の地方にある寂れていく鉄道全てで使う人が増やせるわけがない。 赤字を垂れ流すのは私企業は許されないし補助金を出すにしても税金の無駄。過疎化する地方のインフラは段階的に縮小していきゆくゆくは定住禁止区域にするべき。減少する人々はある程度の都市に集まり暮らすのがこれからの日本の未来だ。
▲20 ▼7
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「赤字だから即廃止」には私も反対だし、そもそもそんな鉄道会社は存在しないだろう。 特にJRの場合は歴史的経緯から、貨物輸送や都市間特急が走る路線は支援が無くても可能な限り内部補助で維持している。JRが廃止しようとしている路線は、「利用者が少なく、鉄道輸送が著しく不効率になっている場合」に限られている。 こういう路線は、すでに輸送力過剰状態にあり、増便等の改善を行うことは難しく、さらに二次交通もないケースが多いので、駅までのアクセス方法も問題になる。これがバスやデマンド交通に転換すれば、経路を柔軟に設定することができるので、病院や商業施設、さらには個々人の家の近くに停留所を設置することも可能になるし、ダイヤも柔軟に設定できるので、地域住民にとって利便性向上が期待できる。 「鉄道存続が目的」ではなく、「地域にとって使いやすい公共交通は何か」を考えていくべきです。
▲27 ▼2
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赤字だからすぐに廃止は間違っているとのことでその通りかなとは思います。 ですが地元の方々さえ全く利用していないローカル線まで一緒くたにとらえて論ずるのは乱暴じゃないでしょうか。 縁があって秋田内陸縦貫鉄道沿線で長期に亘る工事に携わったことがあります。地域自治体から通勤等に極力鉄道利用を求められました。朝夕の通勤通学客は少しいますが日中はガラガラです。私の常宿旅館の家族は全員自家用車で移動していて鉄道は全く使っていません。駅に付随している温泉施設にも車で来る人が多数です。 鉄道廃止は声高に唱えるけど実際は当人達があまり利用していないってところが現実なのかなと思います。
▲36 ▼5
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微塵も同意できないって極端ですね。 公共的な役割があるから赤字でもいろいろ存続させていたので、それが非常に赤字も大きくなると廃止になっていくのかと思います。また鉄道会社は民間なので、第三セクターになるケースもあったり、だれが費用負担するのかみたいな議論もありますし。観光を活用できるようなところはそういうのを模索したらいいし、名物駅長みたいなものとか珍しかったらそういうアイディアもあると思いますが、すべてそういうのができるわけでもないので、総合的判断なのかなと思います。 鉄道って本数減ったら不便になって利用者もさらに減って、バスに転換してさらに減るとなり、住民も減ってという、どんどん縮小していくので、そういう流れをどう扱うかという長期的な視点もあるかと思います
▲4 ▼0
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使う人を増やすことで未来をつくる→鉄道会社側にも増やす努力して貰う必要(本数増、新駅設置等)ありますが、芸備線等もはや鉄道会社側では手に余る事態迄なってしまった場合は、公共交通維持の為にどのような手段が最適なのかを考えるべきで、鉄道存続ありきではないと思う。
▲2 ▼0
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「公共交通を採算性のみで語るべきではない」という観点に立つとして 例えばお年寄りや軽〜中度の障がいや病気を抱えている人達のような「公共交通を最も必要とする存在」にとって鉄道は本当に有効か?という問題があります 自宅から駅までの移動や駅での乗り換え等など タクシーやデマンド交通は言わずもがな路線バスよりも鉄道の方が使いづらいケースは多く それゆえに各地で「人口の減少速度を遥かに上回る速さで鉄道の利用者が減っている」現象が起きています ローカル鉄道の存廃の根本的な問題は現在では収支ではなく「鉄道という交通機関の使いにくさ」という点にあるため 仮に採算性や収支を度外視しても「鉄道では現状の地域の足には相応しくない」という問題は克服出来ず 鉄道が地域に貢献出来る可能性は過疎地(高齢化率の高い地域)においては極めて低いのではないでしょうか
▲40 ▼9
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JR東海は全路線黒字だが、JR北海道と四国はほぼ全路線赤字。東・西・九州は3~5割が赤字で、地域差が大きいものの全体では約4割が赤字路線。廃止された久留里線久留里~上総亀山区間は100円の収入に要する費用が13,580円で、「経済的合理性」などという次元を超えていた。 過疎化の影響は公共交通だけではない。学校、病院、商店、上下水道、電気など生活全般にわたる。東日本大震災後の意向調査では「戻らない」と答えた割合が半数以上に上った。「地域のつながり」とか「人間味」とか呑気な事を言っていられる現状ではない。
▲2 ▼1
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「私は、鉄道はやむを得ないことであるならば赤字を出してもよいと考えている。本当にもうからなければならないならば国がやる必要がない。もうからないところでも、定時の運行をして経済発展という立場でこそ国有鉄道法(による鉄道)の必要があると思う」
高度経済成長を続けたいかつての日本でならいいだろうが、鉄道以外に自動車と言う移動手段を多くの国民が手に入れた現代では少々難しい。
どうしても公共交通機関が必要なら、バス転換は経済性と社会性を両立させるのでは? まもなく自動運転が普通になる。過疎地ならより広げやすい。また地域コミュニティの為に鉄道以外が考えられないと言うこともないはず。鉄道はバスに比較にならないほど保全費が嵩む交通機関。広い視野で現実を見るべきは記者の方だろう。
▲23 ▼6
=+=+=+=+=
民間企業に赤字でも公共性が高いから維持せよ、はダメでしょう。 しかし維持しなければ様々な面で都市部でも困難に直面するでしょう。
地方交付税の用に公共交通機関に分配する制度が必要。 交通面だけでなく、様々な面で国の関与がないともうムリ。 地方に頑張れと言っても無理ゲー。
まず、そんな地方に住む人がいなくなる。 そうすると1次産業が壊滅状態になる。 現在の1次産業を担っている比較的年配の人がいなくなるとまず食料品が入手困難になるでしょう。 円安で高級な海外品に頼りきりになり、一度壊滅すると復旧は相当困難。 親の代から住んでいるからの理由で1次産業担い手が、頑張っても50代くらいの人が引退する30年後頃は相当ヤバいです。 少子化がどうのこうのレベルじゃない。 むしろ少子化のおかげで少ない食料品で食つなげるかも。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
赤字でも運営しているのは都市部の収益で内部補填しているだけ。 そして今はホームドアの整備が必須事項で莫大な費用が経営の悩みの種となっていると思われる。 また、事業の維持のため従業員に業務負担を増やして人員削減、長時間労働、待遇の圧縮化をしていると思われる。 キツい労働って言われているし、安全を維持する重責なのにも関わらず、賃金が見合わないって意見もある。 国交省の鉄道に割く予算約1000億円のうち8割は整備新幹線と言われて残りで全国の鉄道に補助金を賄うが、到底ホームドアに対する補助金なんかあてにならない。
申し訳ないけど、綺麗事にしか聞こえない。 会社の経営を傾かせるか、渋谷の山手線で線路に財布落としたようなカスハラ客をたくさん相手しなきゃいけないのに従業員を低待遇薄給長時間労働をいつまでもさせるんですか。
▲42 ▼15
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鉄道にしろバスにしろ、交通「網」と言えるほど充実していないとメインの交通手段としては選ばれない。
首都圏、京阪神以外だと県庁所在地クラスの市の市街地でないとそういう場所はなかなか無い。
うちの場合、家族の1人は運が良く最寄り駅から職場まで直通で行けたり、移動になっても1回の乗換でうまく通勤していました。 ただ、自分は公共交通機関で通勤しようとなると、ZやΣのような複雑な経路で時間が掛かったり、3時間残業になったら職場近くのバスが真っ先に終バスとなるなど、車通勤でないと成立しない。
幸いな事に、いずれの路線もそれぞれの地元の人が使っているので廃止の話は今のところ無いですが、10年、20年先にどうなるかは分からない。
▲3 ▼1
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いったい赤字は誰が負担しているのだろうかという事だ。 都市路線の乗客に肩代わりさせているのかな? 以前にも言ったが田舎といわれる地方ほど鉄路と無関係の地を郊外店誘致先として利便性を図っている地が多いように感じる。 東京など大都市ほど駅のある沿線沿いの利便性を高めて来た。 過去に鉄道会社の経営の思惑で沿線沿いの不動産開発にも力を入れて来た歴史も関係しているのだろう。 地方行政の鉄路無視開発にこそその責を求めるべきではないか。 責められのは赤字だから廃線をと主張する世論ではないと感じる。
▲9 ▼0
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まさに極論。 廃線議論がいつの間にか公共交通廃止になっている。 地方の乗客数の減少は、単に過疎化少子化だけが原因ではない。 鉄道に頼らなくても、移動に困らないから。 うちは消滅自治体に挙げられているが、大体一人1台以上車がある。 地方の文化だ人の繋がりだといったところで、それを支えているのはモータリーゼーション。 自治体も廃線反対しているなら、ガソリン代を助成してほしい。
▲33 ▼13
=+=+=+=+=
鉄道を公共事業と捉えるかどうかという話。水道や道路のような社会インフラと位置付け、場合によっては行政が財政支援までして残すべきということなのだろう。イデオロギーに近い話なので賛否あり、海外の例でもどちらも存在する。公共事業とするかどうかは、限られた予算の配分としての優先順位の話であり、それは民意による、というのが結論ではなかろうか。筆者がそう思うのであれば、是非それを公約に選挙に出るか、鉄ちゃんの議員に働きかけるのが良いのではないか。国鉄、塩タバコ、通信の三公社に加え、郵政も民営化されたが、多くの国民はそれで良かったと理解している。高齢化社会の人の移動手段の確保は社会的な課題だ。だからこそ、ゼロベースで発想しないと論点がはっきりしない。その結果として鉄道維持ならば共感を得られるなではないか。都合の良い事例だけを挙げるのは公平ではない。
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
そりゃできるだけ残してほしいし、鉄道会社は公共交通を担っている以上、黒字路線で赤字路線を埋めてほしいとは思う。廃止してしまえば更に地方の衰退が進むだろうし。でも国鉄から民間に変わってしまった以上、利益を追求するのが強くなってしまったんだよ。バスとかの代替交通の確保と廃止が無いようにしていく、というのが今後の責任と課題だろうね。悲しいけれど。
▲8 ▼8
=+=+=+=+=
程度問題でありケースバイケースだと思います。どの地域でも全体最適で必要な交通手段を用意するのが大事なのであって、絶対鉄道でなければいけないわけでは無いはず。 国鉄時代でも廃止対象路線は営業係数ワースト4000円台でした。それが久留里線の久留里~上総亀山間は16000円台。自分も鉄道ファンですから廃止は残念ですが、そこまで沿線住民に見放されているものを廃止するなという方が無理があるでしょう。公共交通機関は地域の最重要レベルのインフラなので記者の言い分はわかりますが、路線バスどころかデマンドのマイクロバスで間に合うものをわざわざ鉄道として残す理由にはならないと思います。 人的資源の問題もあります。バスの運転手不足がよく話題になりますが、鉄道の運転手が安泰なわけではありません。保線や施設保全にも当然人手がかかります。人手不足はこれから全業界で加速するので、業界を超えて労働力の集約も必要です。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
赤字路線は、当初から失敗の路線もあるが、ほとんどは時代の変化で赤字化した路線。
その要因としては、自家用車の普及が最も大きな要因ではあるが、人口減少社会(通学需要減)や産業の変化、都市部への一極集中等がある。
その中でも、都市部は人口増で満員電車問題を抱えているので、都市部への一極集中に関しては対策すべき。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
次世代交通網の構築にインフラとして既存鉄道も生かすのは、公共交通の意義を考える人たちには妥当な線ですが、考えない人たちには届かない
紹介された若桜鉄道はすばらしいと感じますが、では他所で参考にしよう、まねしよう、という時に、「笛吹けども」ではまねもできない。たとえば、シャッター街で、そのままでいいと思う人は少ないにしても、魅力ある個店をつくる気力や元気がなかったり、空き店舗貸し出しに協力する気などさらさらない並びもあったり、というのに似た現実はある
提唱のように進むならいいとは思うし今は衰退の道だと思うけど、広い意味で「国民が選んで進んでる道」
ネットの現状だけじゃない 労働運動のすべてを無邪気にたたえる気はないけど、国労が民営化に反対してた時に当然推進勢力、政党はあるわけで、過疎化、交通網撤退のスパイラルが起きている地域は、そこへの支持率の高い地域ではなかったかどうかという面もある
▲8 ▼10
=+=+=+=+=
鉄道が無くなって困るのは過疎化地域のごく一部の住人と鉄オタのみ。バスで代替すれば利便性の補完は可能なので、赤字が進めば廃止もやむを得ないと思う。 鉄道会社は社会にサービスを提供する為には収入を得なければならず、採算の取れない路線を維持するには政府の支援を取りつけるしか無い。 そしてマックス・ウェーバーを引き合いに出して公共性を語るのは詭弁と言わざるを得ない。 水道と鉄道ではインフラの性質が全く異なるし、企業社員の年収が高すぎるから下げて路線を維持しろというのは暴論が過ぎる。
▲47 ▼14
=+=+=+=+=
高度経済成長、人口増加という時期に全国に過度に張り巡らされた鉄道路線が、 経済の失速、人口減少と共に縮小していくのは自然な流れだと思う。 無理に維持しようとして赤字を垂れ流したとして、地域住民なのか市民なのか国民なのか、必ず間違いなく誰かが負担せねばならない。 負担できているうちはそれでよくても、余裕が無くなるにつれ、廃止されるのは仕方がない。
▲13 ▼3
=+=+=+=+=
国鉄時代であれば輸送密度が2000人以下で廃止の路線を、JRはよく維持していると思います。かみ合うことはない、対立することが前提の地元との対話を何度も繰り返し・・。
「公共交通である、地域のコミュニティーとしての意義、学生や高齢者の移動の手段」等の意義を述べられていますが、列車という交通手段をほぼ30年値上げせず、毎日運航してきたJR側の努力もあると思います。
売上減少による雑誌や新聞の休刊、商品の終売、商店の閉店などと同じで、赤字部門を抱えることは他の部門にも少なからず影響を与えます。
鉄道全盛の時代はともかく、自家用車、バスなど交通手段は他にもあります。「駅まで行く→乗車する→駅から移動する」必要のある列車に対し、バスなどは自宅や目的地近くまで運航されます。小回りできない列車はいろいろ難しいでしょう。
人口減少、運転手不足ですべての公共共通機関を残すことは難しい時代です。
▲11 ▼5
=+=+=+=+=
赤字鉄道廃止論は地元の利用がないからが理由にされている。地元民どころか空気輸送になっていれば不要論は当然出てくる。 攻めの廃線とか言えば宗谷本線ですら当てはまってくるがそれで切り捨てる判断は正しくはないように感じる。
廃止したら二度と造れない財産でもあり、それを含めて地元に判断を押し付けても正解は得にくい。鉄道事業者は経営上の判断で主張するのは当然だが、JRの場合は整備した国が行司軍配だけしかしないのは責任放棄に感じる。
新幹線、貨物も含めやはり国で全体像を示す必要があるだろう。欧州のどこかの国のように公費を投じてでもネットワークとして維持すべきかどうか、国がもっと考えを示すべきように思う。
▲42 ▼36
=+=+=+=+=
鉄道は公共財と言いながら、国鉄改革では鉄道事業は民間企業の一事業と整理してしまった。加えて修正するすべもない。なのでネット世論とかとは関係なく、JRも含めて赤字解消が見込めない路線は廃止を含めて検討するのはやむを得ない。国鉄の「分割」民営化と、JR東日本などの早期の上場を目指して、世界的に見て鉄道は儲かる事業ではない、という根本を見失った判断だった。少なくとも「分割」民営化は失敗だったし、その前提の上で、上下分離などの手段をもっと検討しないと。 特に鉄道には旅客輸送だけでなく、貨物や軍事の大量輸送の価値もあるが、その価値を評価する方策もない。 国、道府県の役割は大きいはず。
▲170 ▼80
=+=+=+=+=
鉄道は専用の線路が必要で、その保守点検に人手も必要。大量の乗客がいれば一人あたりの経費は抑えられるが、利用が少なければ一人当たり膨大な経費が必要。住民に道路の整備と鉄道の整備のどちらにお金を使うのが良いか聞けばほとんどの人は道路と答えるだろう。道路は自家用車もバスもトラックも緊急用車両も使えるのだから。道路だけでは人を運び切れない状況になってやっと鉄道の出番なのだと思う。
▲13 ▼2
=+=+=+=+=
民間は一般に利益を追求するものだが、 かつて公により運営され民営化された物を再び公に戻したり、 あるいは赤字の私鉄を国や自治体主体の運営にしたりできるのか? また仮に自治体が運営するとして、赤字路線を維持することに住民の支持を得られるか?
維持するにしても、コンパクトシティ構想等とは上手く合わせて考えることは、最低限必要でしょうね
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
多くの意見が廃線やむ無しだが、そうでは無いと思う。 そもそも鉄道利用者が減ったのは日本の人口が減ってしまったこと、また、一極集中により地方の活気が無くなって人口が減った事が原因であり、そこから見直す必要がある。 車に乗ることができる人であれば、田舎暮らしの車持は最高に便利であるが、公共交通が全くなければ子供や老人など移動手段が無くなり、その地域に住もうとするひとは少ないだろう。 逆説的ですが、足がなければ地方は衰退し、廃村が進み、国土が荒れて何ともならなくなるでしょう。 人の営みは都会だけあれば良いというものでは無いと考えます。 そのためには鉄道に限らず、地域の足を考える事をやめてはならないと思います。
▲5 ▼17
=+=+=+=+=
だから公共交通を民間のJRに任せているのが問題なのであって地域振興のために必要なら国なり地方自治体が運営するべきでしょう。現状ローカル線の赤字は都市部路線の黒字で賄っているからそれがおかしいって話をしているんだよ。三セク化すれば地域の人が利用も負担も全ての責任を負うのだからそうすればいい。
▲13 ▼8
=+=+=+=+=
鉄道交通も公立病院も水道事業も公共性の高いものであることは確かだし、無尽蔵に税金を投入するわけにいかない点でそれぞれビジネスでもある。 後者2つは命に関わる点である程度(それでもある程度)の赤字は大目に見られるが、前者は必ずしもそうでない。 一方、鉄道は鉄軌道や橋梁、トンネルなど莫大な初期投資やメンテナンス費用がかかる。そのため、観光客頼みではペイしない。通常利用する、たくさんの通勤、通学客がないと維持できない。要するに一定の人口規模が必要なビジネスモデル。極端な過疎地では人口減少のトレンドも加わり、もはややっていけない。 国や自治体が維持する道路を走るバス事業に賭けたほうが現実的。
▲9 ▼5
=+=+=+=+=
鉄道を廃止して分かることは代替のバスも不要であるということ。 つまりその場所には公共交通機関は必要ない、公共交通機関は一定数の人数が存在するから必要なのであって、一定数以下になれば私的な交通手段で賄えるようになる。
公共交通機関を弱者の移動手段と捉えるのが根本的な間違いである。私的な交通手段が増えれば渋滞など社会的損失が増大するので、それらを緩和するために公共交通機関が存在する。
▲274 ▼108
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赤字路線でも、鉄道は有事の際に必要ではないだろうか。 特に日本海へ抜ける路線は、物資や人を運ぶのに重要ではないだろうか。 すべての赤字路線を残しておけなどとは言わないが、緊急時に必要となるであろう路線はいくつかあると思う。 要するに、国防上あるいは災害時に必要な路線はあると思うのだ。
▲12 ▼29
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よく赤字路線の周辺自治体が鉄道会社に存続の要望を伝えた、とのニュースを耳にする 赤字なのは鉄道会社で、存続を希望するのは自治体などコミュニティ いくらコミュニティが希望しても、赤字を増やしながら存続するのは限界があるし、今後車の自動運転化が進むと、過疎地域の鉄道利用機会は更に減少していくと考えられる 廃線を免れたいのであれば、鉄道会社に負わせるだけでなく、積極的に関わり税の減免などで負担を減らし存続を支援する取組みが必要だと思う 記事を読んでいて、その辺りの視点は切り離せないように感じる
▲1 ▼0
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県をまたいだ、3市を走る赤字の第三セクターのローカル線があります。 そのローカル線の為に、他の市町村が支援金を出しています。(5年間で7億円以上。以前も10億円以上支援してる) ローカル線存続の為に距離的に遠い、全然関係ない市町村がなぜお金を出さないといけないのか。また、スクールバス存続など別の問題も抱える中、なぜローカル線だけ支援するのかと言う声もありました。
▲9 ▼3
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経済最優先、JRとして民営化した以上は、すべては株主利益のためなので、本来、問答無用で赤字路線は廃線するべきもの。地域衰退は少子化ではやむなし。便利な暮らしを手に入れたければ移住せよ、居住機能を集約化せよ、というのが、0か1かですべてを語りたいネット世論の多数派意見です。 個人的には赤字路線廃線やむなしなところはあると思いますが、災害時代替だとか本線への接続機能だとか、単線だけを取り上げて赤字かどうかを語るのは間違いだと思います。この路線は赤字だから廃線だというのなら、都心部でだって営業係数が100を超える路線は即廃止にしたらいいのです(地下鉄等)。
▲8 ▼8
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赤字路線の問題は黒字路線の犠牲のもとで成り立っていること。 要するに利用しない人たちが利用しない路線の運賃も支払っていること。 赤字路線が無くなれば黒字路線の利用者が現状より安い運賃でも 同等のサービスを享受できるわけだし。 また労働者不足の問題もある。 赤字路線が無くなばそこの路線で働いている社員(乗務員・駅員・保線員) を黒字路線に転勤させることができ、増発や無人駅の有人化も可能になる。
▲4 ▼7
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まず、地元民の足とするならば、路線バス1台で事足りるなら、バス転換して便数を増やして隅々まで運行した方が利便性がいいと言うことは「ひこぼしライン」を見れば明らか。ただ、外からの客を呼び込むにはたとえ閑散線区でも鉄道に勝るものはないことは木次線を見れば明らかである。要は地元民だけでなんとかなるならバス転換でもいいが、観光客を呼び込もうと思うなら鉄道は必須ということ。結局、地域がどう考える気が問題です。
▲11 ▼9
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「価値を再定義」するのは大いに結構です。 でも数値化、定量化の努力を放棄しては学問とは言えません。 個人または集団の感情の定量的評価分析については学問的蓄積が近年大きく進んでいます。 客観的評価よりも情緒的文学的選好を重視した意思決定もありですが、それは趣味と呼ばれます。 鉄道の単行運転はレールバスと呼ばれるべきで、レールの上を走る意義は、もはや馬車鉄道や蒸気機関車やトロリーバスと同等なのです。 軌道敷地は財産であるから、レールを撤去してガイドウェイ付きの舗装を施して、タイヤ駆動による自動運転を志向するのがベターです。
▲0 ▼7
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まあ言った所で、合理化以外の理由で訴えられる所は多くが残っている。 災害に伴う廃線が特に北海道や九州で増えたことで感情的になってしまうことが多いが、本来はニッチもサッチも行かないほど限界レベルにならないと廃線まで至ってはいない。 市井の人間の書き込みと、実際の存廃状況はごっちゃにせず、冷静に見極めないといけないのかもしれない。
▲3 ▼2
=+=+=+=+=
そもそも日本全体であまりに高規格道路網に投資をしすぎたと感じる。 田舎の方に行くと幹線国道の立派な4車線のバイパスがあり、その近くを高架の高速道路が走っているのを見かけるが、走ってる車はまばらだ。 一方で鉄道インフラは民営化され、収益の低い地方ローカル線などは古い設備のまま線形改良や高架化もせず、首都圏のお古の車両を走らせ、利用者の減少に合わせて減車減便を繰り返してきた。 そのくせ新幹線だけは身の丈に合わないフル規格で整備し、並行在来線を切り捨ててきた。 公共財としての鉄路をあまりに軽視しすぎ、JRの経営努力に丸投げしてきたのが国鉄民営化以降の鉄道行政だった。 貨物輸送もモータリゼーションだ時代の流れだと緩やかな衰退を甘んじて受け入れ、速達化やターミナルの改善などはJR貨物に任せっぱなしで来た結果、昨今脱炭素やトラックドライバー不足でモーダルシフトが叫ばれているのに十分対応できないでいる。
▲14 ▼5
=+=+=+=+=
北海道、四国、九州のJR各社は地元の反対から分割時点で黒字化に必要な分だけのローカル線廃線を行えていない。便数を減らしてバス路線で支える方式でどうにか赤字を抑えてるけど、バスだけでいいんじゃ?という話になるのは仕方ない。そのバスすら運転手が集まらず維持が難しくなっていて、赤字黒字の話ですらなくなってきています。
▲3 ▼1
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地方の公共交通が衰退したのは、みんな自動車に乗るようになったからなのでは。 道路整備が進み、田舎はどこに行くにも車が必需品になった。 この段階で勝負ありだったのかもしれない。
一方、公共で投じるお金は、民間では収益が上がらないけど必要な事象に対して投じられる性格のものでもあるから、公共サービスの廃止存続を赤字かどうかだけで決めようとするのは少々無理があると思った。
▲6 ▼2
=+=+=+=+=
すぐに廃止することが最適解ではない だからこそ、赤字だからと言って直ぐに廃止される路線は一つもありません 積み重ねた赤字に耐えられなくなった路線から廃止されて行っています 民間が根を上げて、第三セクターが、地方自治体が、全て受け持つのが無理だと判断された結果の配線です 反対する地元の方々はいらっしゃるでしょうが、そこまでした上での赤字だから仕方が無いと言う現場が殆どなのでは? 現場の声とネットの声での赤字だから仕方がないには重さの差はあれど結果は同じ、許容できる範囲内の赤字であれば現場が廃止を判断する事は無いですよね? それは、現場レベルでしっかりと公共交通機関であると言う自負があるからでしょ、偉そうに長々とくだらない文章で言われるまでもなくね。
▲9 ▼0
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赤字といっても、「少し赤字」と「めちゃ赤字」は分けて考えたい。
道東の花咲線など観光資源としての価値はあるかもしれないが、地元住民からすると、一日数本しかなく、しかも遅く、運賃も高い。こういう路線を残すくらいなら、低コストで運行できる小型バスを1日複数便導入した方が、地元住民のメリットにはなるのではないかと思います。このエリアの人口が今後急増する可能性があるなら、話は別ですが。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
この記事は、赤字ローカル線問題の複雑性を深く掘り下げることなく、感情論と理論の断片を織り交ぜて一方的な主張を展開しています。
社会問題に対する真の解決策を提案するために、現実的で多面的な視点からの議論と具体的な行動計画が必要です。
このような偏向的な論説は、感情的な共感を得ることができても、実際の問題解決にはつながらないでしょう。
1. 感情論に偏重した論説で具体的な改善案や現実的な代替案に基づいていない
2.社会的意義を主張するならば、具体的なコストと効果を比較する分析が求められるはず
3. 一面的な価値観の押し付けをして、それを論じる際に具体的なデータやエビデンスが不足している
4. 筆者には現実的な提案(具体的な財源や運営モデルの提示)がない点で、説得力に欠ける
5. 理論の誤用や浅薄な理解;マックス・ウェーバーの「鉄の檻」の理論の深い理解に基づいているとは言えない
▲0 ▼0
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ウェーバーをいきなり持ち出してくるとは、学者さんかな、と思ったらライターの方でした。
ヤフコメではローカル線のあり方見直しの記事が出ると、赤字だから廃止やむなし、とかJRは民間会社なのだから利益優先当然、というコメントが多数現れますが、そういう乱暴なお決まりの理屈には違和感を覚えますね。利益や合理性を重視する観点に異論を唱える記事のような考え方にも耳を傾ける姿勢が大切なのではないと思います。
とかく最近のご時世では単純明快で乱暴な理屈が目につきますが、世の中のことは何事もそんな単純に済まされることではないと考えます。そんなことは一定の社会経験のある方なら分かりきっていることかと思いますが。
▲0 ▼0
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ドイツ東にモリー(メクレンブルグ・ベーテルバーン・モリー)鉄道と言う 軽便鉄道が有る。蒸気機関車が走るが、日本の江ノ電に似た雰囲気の鉄道だ。 東ドイツが共産主義政権であったころは他に移動手段が無いため存続した。 なにしろマイカーといえば数年待ちのトラバントしかないのだ。それが ベルリンの壁崩壊で西側の車=中古車がどっとおしよせみんなマイカーを 持てる様になった。当然この軽便鉄道も廃線かバス化と思われた。 しかし路面区間も有り建物から2m位の間隔しかない所を蒸気機関車が走る ”危険な”鉄道を一目見ようと今度は西側の人々が殺到したのだ。 これは観光資源になると気付いた現地の人々は鉄道の存続を決めた。 つまりは、現地の住民が乗らなくてもその鉄道に何らかの『売り』があれば 存続できるという事だ。
▲1 ▼1
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民間にすれば費用対効果第一になるのは、当然で官であれば地域社会の事を第一に損得を度外視し社会実現を目指す事ができるのです。従って官と民との使い分けが、より良い社会を生み出すために必要で両者が互いに良いところを切磋琢磨して経済成長が実現できるのです。
▲2 ▼3
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「民営」の鉄道会社に「地域」の責任を持てと言われても。 鉄道は公共交通機関ではありますが、鉄道会社のステークホルダーは、鉄道会社の社員や地域の方だけではなく、株主も忘れてはなりません。
「国営」なら「地域」のことを考えて、黒字路線で赤字路線をカバーするという方針も許されるかもしれませんが、「民営」の場合は、どうしても「利益優先」にせざるを得ません。「地域」や「地域の将来」を考えて赤字を垂れ流すことに株主は理解を示すことは稀です。
それに、地域によっては、鉄道より車(バス)のほうが交通機関として有利な場合も多々あります。バスなら小回りが利きますし、駅でなくても停車できますから、利用する可能性が高い老人にとっては便利でしょう。
地域の特性を考えて、鉄道一辺倒ではなく、便利な交通機関への移行も地域住民にとっては便利である場合も多いことも一考すべきだと思います。
▲3 ▼1
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ローカル線廃止の議論は、地域住民が中心になって議論せず、ノスタルジック感を煽るマスコミに乗せられた周りの人達(1週間に一回も利用しない人達)が議論するからダメなんだ。過半数の地域住民が、必要だから残して欲しいと周りの人達に懇願するくらい必要とされてない。 また、この記事では公共交通機関の重要性を例に挙げているが、道路とタクシーも公共交通機関である事を認識しているのか??? 公共交通機関がないとはどういう状態を意味するのかロッキー山脈の中にある街を訪ねてみると良い。
▲29 ▼7
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本当に残していきたいなら,地元の人に乗ってもらう以外ないのよ。 阪急電車だって開業当初は山の中の田舎を走っていたけれども,沿線開発に力を入れて乗客を増やして今に至ります。 今から都市開発は難しいでしょう。けれども自治体を味方につけて利用促進を図ることは可能。人の多い地域に駅を移設すれば補助金出すとかね。 ハードルは,自治体職員と地域住民の理解にかかってきます。田舎は子どものときから親の送迎で育ってきた人が多く,車でしか移動したくないと考える,残念な人が多いのです。でもこのまま放置すれば廃線となり,そのあとは間違いなく飲酒運転が増えます。
▲7 ▼8
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難しい問題ですね。何らかの手立てを打て利用客を増やせるところは可能性があると思いますが、まったく手の打ちようがない路線は致し方ない。 ただダメだからと切り捨てると都心などへの人口集中が止まらず地方との格差が広がることにつながる。 過疎であっても電気、水道、ガスなどのライフラインと同様にインフラとしての公共交通機関が理想ではありますが。
▲33 ▼69
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利用が増えないのは単純に本数少なすぎて不便というのが一番にある 国鉄末期に廃止された福岡市近郊の勝田線なんて住宅密集地を走ってたのに通勤通学には使い物にならないダイヤのまま放置して廃止 立地では遥かに不利な国鉄甘木線は三セク化して甘木鉄道になり約6倍の増便を敢行して見事V字回復 この甘木鉄道の成功例があるのに、多くの地方路線は初期投資の大きさのせいで踏み切れないままズルズル減便していく
▲4 ▼1
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赤字路線を廃止するなと言われても それはつまり経営者に債務が増えようが 構わないから事業を続けろと言っているのと同じ その先に待つのは経営破綻して破産か民事再生 そもそも鉄道会社は公共交通機関では無い あくまでも公共交通的性格を持つだけの民間企業の事業に過ぎない 事業縮小も拡大も企業の自由です 廃止されたく無ければ利用して黒字化に協力するべき それで初めて廃止しないでと言える
▲15 ▼4
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どうなんですかね 鉄道って公共インフラと言えるかな?特に地方では ダイヤも路線もインフラと言えるほどは便利でなく そのくせ信じられないほどの維持費が掛る もちろん学生たちの通学の足としては必要だろうと思うが それだけなんですよね 都心の人みたいに就職しても電車で通勤できる方法が無い だからみんな仕方なく自家用車で通勤 そもそも駅に行くまでに車が必要という矛盾した状態だから だったらそのまま会社に行った方が早い 観光や イベント 別のビジネスとして成立しないローカル線は廃止一択だと思いますよ 赤字だからが理由にならない??? であれば倒産や破産などはあり得ないということでしょうか? 経済性を無視した事業などそれこそあり得ない 改善されているとか 副収入をつくるとか そういう事業努力は必要でしょう また例えばですけど どうしても必要なインフラだという人たちに経済的に支援してもらうなども
▲2 ▼0
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地方に住んでいないでしょう? 地方の公共交通機関とあるが、多くの地方はダイヤの不便さと駅に行くまでそもそも車で行かなければならないので鉄道は最初から選択外となる。交通弱者は鉄道より様々な形態のバスや地域の乗り合いタクシー等、そこを確保してほしいと願っている。地方の足はスーパーや病院に行くまでの交通のこと。鉄道を使うのは駅周辺に住んでいる一部の人と高校生くらいのもんなんだよ。代替案としてバス輸送があるならばそこはカバーできる。
▲8 ▼2
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役所も商店街も病院も学校も、ぜんぶ既存の鉄道沿線に公費で移転して、各施設の最寄り地点に駅を新設して駅から徒歩1分で行けるようにする 各施設に駐車場は設けず、最寄り施設がない駅の駅前に公設駐車場を整備する それくらいすれば鉄道に対する沿線自治体の支援があると言えるでしょう
でもやらないし、出来ない。
▲4 ▼0
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陸上で最も輸送効率が高いのは鉄道です。エネルギー危機の際には使用するエネルギーの少なさから鉄道が重宝されるでしょう。また敵国からの侵略時にも鉄道は重要な戦略施設です。一度に大量の兵員、物資を運べる鉄道は防衛戦における戦略機動には欠かせません。 鉄道の存続は国家安全保障の観点から考えるべき。なんなら国鉄を復活させるべき。 絶対に儲かるJR東海にしか投資したくない強欲投資家は怒るでしょうが無視。国家の安全保障が最優先。
▲3 ▼7
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公共交通機関と言うなら、相応の資金を出すのが当たり前でしょ。 金は出さないが存続しろ、暴論以外のなにものでもない。 公共とつけるなら国営なり地方自治体が管理運営維持を税金でやればいい。 民間企業は営利を追求してなんぼ。 赤字で補填もなしになんとかしろって、言うだけなら誰でも言えるよ。 元々地域住民が利用しないから採算が合わなくて廃線になる。 国と自治体に地域住民が鉄道を切り捨てた結果なんだから黙って受け入れるしかないね。
▲9 ▼2
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旧国鉄は全国津々浦々サービスを均一に提供が使命。赤字路線は黒字路線でカバーする発想である。それを5つに分割した事が間違い。私鉄は赤字だと会社存続の危機、JRは中途半端に民営化されているいるから赤字路線撤退なんて事を言い出す。新幹線だけ完全に別会社にして、新幹線の黒字を赤字路線に分配すると良い。同じ旧国鉄でも東海だけは東海道新幹線があるからリニアに単独で投資できるほど儲かっている。旧国鉄が良いとは思わないが赤字路線を切り捨てる発想は都市部の公共交通充実不便なしの環境での驕りの発想に聞こえます
▲0 ▼4
=+=+=+=+=
公共性の高い業種は赤字だから即廃止はダメだけど、じゃあ血を流しながら走り続けろというのも無理だろう 公金を投入して続けるとして財源は無限ではないし、人口減少が避けられないなら田舎を捨てて都会に人を集中させていくことも考えないとね 故郷から離れたくないという人もいるだろうけど、それが自分の子や孫への負債になってしまう可能性があることも認識しないと
▲2 ▼2
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ローカル線は、地域基盤を支えるとともに将来への投資だ!と言うが、それを欲っするのは誰かを考えるべきでしょう。
それは、鉄道運営者と言うよりは、地域ではないでしょうか。
正直、地域として利用者増の努力もせず、沿線活性化の方策も打たず、金も出さず、ただただJRにローカル線の維持を要望する。
そんな地域の路線には未来は無いでしょう。
▲2 ▼0
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赤字だから廃止はしょうがないし、実際に赤字だからといって即廃止しているところは少ないのでは?ある程度粘ったうえで、やっぱりダメだから廃止という流れかと。それに赤字度返しでやるというなら、それは民営では無理があると思う。国、自治体がやるべきものかと。 それに基本的に「赤字=利用者数が少ない」と考えると、廃止されても影響は小さいと考えられるのでは?
▲1 ▼1
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少し偏った論調なので賛同は出来ないが、廃線ではなく、地方自治体が第三セクターの鉄道会社を立ち上げて維持する路線もあるので、その点については、JRが利益を優先して地方路線を地域に丸投げしている様な構図に見えますね。 JRに分割民営化され、北海道、四国は大きな収益が望めず、JRの中でもかなり厳しい経営状態と言われているので、この様なエリアこそ税金を投入しなければ廃線の一途を辿ることになるのでしょう。 しかし税金の投入となると、その地域に関係のない人達は不満が出るため結果的に自治体に委ねることになるが、地方は人口減少が激しく税収は下がり、最終的には維持できないではないか。 地方の知事経験者が地方消滅といっていたが、利益を追い求めると結果的にはそうなっていくのかもしれない。地方在住者としては寂しい限りではあるが。
▲18 ▼12
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存続のための案も廃線にする理由も山程見たり聞かされてきたが、結局「どうしょうもない無い事はどうしょうも無い」のだと思う。そう遠くない将来「やっぱりレールが必要だよね」という状況になった時に復活出来るような形にして置く、ぐらいの止め方にしておければ良いとは思うが、それもどうだろうか。
▲0 ▼3
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昨日は「経済的可能性」から夜行新幹線の可能性を探るといいつつ、結局は鉄ちゃんのひとりよがりの作文を出し、今日は経済的効率性だけで赤字ローカル線を廃止するなと言いつつ、結局は鉄ちゃんのひとりよがりの作文を出す。しかもマックス・ヴェーバーを引っ張り出して、俺は頭がいいんだぞと言わんばかりのもっともらしい主張をする。メルクマールは平常運転ですね。 そこまでローカル線を残したいなら、昼間自身が沿線に引っ越して乗ってくださいよ。もしくは、東京にいてもいいから、少なくともその路線の切符を買ってあげなよ。
この問題で最近特にムカつくのが、赤字ローカル線沿線の大人たちと、そこに乗っかる地元オールドメディアが「子供が乗るために◯◯線が要るんです!」と主張すること。そういうなら、子供たちのために大人たちが乗って残してよといいたい。その子供の数だって減り続けるのはわかっているのに。
▲8 ▼3
=+=+=+=+=
優先順位の問題でしょう。
新興国の発展により、先進国だけが富を独占できた時代は終わりつつあります。 全世界の人が先進国と同じ生活をしようとすれば、地球が複数個必要になります。これは従来の先進国並みの高い生活水準を維持できるのは、地球上の上位数%のみになるであろうということです。国家、企業、個人間での競争の時代です。
多くの人の生活水準が下がっていくであろう日本で、公共の福祉に対して何を優先するか。 生命の維持と国力増強の意味では、医療、食料、教育、子育てといった事が最優先。 経済政策は、政府(政治家や官僚)がやってもゾンビを産むだけ。政府は、株主保護を進めて社内政治経営者を廃し、さらに自由に競争できる環境を整えることに集中してほしい。ゾンビを産む補助金は不要。
残念ながら、「欲しがりません勝つまでは」の時代への突入なのです。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
赤字の鉄道会社も民間企業です。公金を大量に突っ込んで延命するのも難しいですよ。地元私鉄も車両のクーラーを設置できず県の補助金で取り付けたり赤字経営です。 乗らない人達ほど騒ぐようなもの。鉄道ファンの間でも葬式鉄というジャンルがあり廃止されるときに群がって来る。普段乗らないくせに感動をありがと~なんて叫んでる連中はファンの間でも賛否はありますよ。
▲127 ▼23
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鉄道や道路、郵便、学校、警察、役所、上水、下水は、国土をどのように管理するのかということです。近代では宅配、テレビ、ネット、車などもそれらを補完することになるでしょう。人がすみにくいところにも人(国民)が暮らせるように、(国民を配置)できるようにするのがインフラです。経済的利益だけを求めると、都市に人口は、集中するでしょう。人間は経済的利益に左右される人ばかりではなく、自分で住むところをきめたいという人もいます。不採算路線の切り捨てという宣伝がまかり通つていますが。鉄道全体としてみれば東海道、都心などは莫大な黒字ですから、大したことはありませんが、莫大な黒字をリニアに向けるために、会社を分割して、独立採算にして、不採算路線は廃止する、反対運動が起これば自分達で運営してください。ということで、悪質なデマに踊らされているだけということです。国土をどのように管理(人を住ませる)するかの問題です。
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単純に、人口密集地と路線をつなぐと過疎化が進む様に思います。 その結果、東京に地方の若者を吸い寄せて、地元から離れていく。 先ずは、地元の特徴を活かし他の地域にない物を起こして、人口密集地 と繋がないと、他の地域から人は来ず。出ていくきっかけだけを作ることに なります。
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合理性を追求しすぎることは合理的ではないという矛盾、正確には、合理性の追求は言うほど容易なことではないと表現するべきでしょう。真に合理的であるためには相当に広範で緻密な計算が必要であるのに、1つか2つの統計資料を基に客観的な分析をしたつもりになってしまう。
効率主義や新自由主義それ自体が悪いわけではなく、そこで計算されている効率や合理性が実は全然効率的でも合理的でもないということに大きな問題がある。まさに長期的視点とか人間心理とか外部要因とか、多くの不確定要素を緻密に計算して、かつ局面の変化に柔軟に対応していくことでしか合理性は追求できない。
そういうレベルでの計算はまずできないと見通すことがまさに合理的判断で、であるなら、トップダウンで全体を厳格にコントロールできるなどという幻想は当面保留にして、現場の自律を促し、それをトップが緩やかに制御するというのが合理的姿勢なのでしょう。
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田舎ではそもそも車が足代わりですからね。駅まで車を使うくらいならそのまま目的地までいきますし、赤字路線を継続させて誰がその分を負担するんです? 国がもつべきだと無責任にいっていますが、その分をいそいそと増税してきますがそれを他の地域に住む住人たちにも受け入れろと? 赤字経営ということ自体が健全じゃないんですよ。それを補助金やらなんやらで無理やり継続されることこそ、無理に無理を重ねてさらなる弊害を生みます。例えば、鉄道を廃止してバスに切り替えるだけでも維持費は激減しますよ。必要なときに必要なだけ利用できればいいんです。
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