( 245801 ) 2025/01/07 17:06:49 0 00 会談を前に握手する石破茂首相(右)と日銀の植田和男総裁。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年12月13日号)の一部を再編集したものです。
■自分たちの権限拡大を「国民のため」と宣伝する
日本初の女性首相が誕生するのかと、自民党総裁選を見守っていたが、大接戦の末、石破茂候補が高市早苗候補を制し首相の座を獲得した。
2001~03年にかけて、内閣府の経済社会総合研究所所長を務めていた私は、当時新進の政治家で、現石破内閣で中心的な立場にある閣僚数人と議論を交わす機会があった。
その際の対話で印象に残っているのは、私が「金融政策が緊縮すぎて日本の産業界を苦しめている」と述べると、それぞれから「金融政策や財政政策は専門的で難しいので日本銀行や財務省の専門家に聞くことにしております」と言われたことだ。言外に「浜田さんの意見は日本銀行や財務省の専門家の意見と違うので従えません」という意味合いだった。
たしかに、財務省は財政、経済産業省は産業、そして日本銀行は金融と、それぞれの分野に優れた人材が集まっており、過去の経験や知識も豊富だ。しかしながら、経済政策に関しては、必ずしも専門家に任せておけば国民のためになる政策が実行されるとは限らない。
なぜなら、自分の省庁の権限や権威を拡大するような政策を選ぶ可能性があり、さらにそのような政策がまるで国民経済全体にとって望ましい選択であるかのように宣伝し、実行してしまうことも多いからである。
■なぜアベノミクスは日本経済に必要だったのか
戦後の日本経済は、生産価格で比較した場合、円が割安な状態の「円安経済」で推移した。そのおかげで、奇跡の経済成長を成し遂げたのだが、そういった日本に有利な状況を防ぐため、1985年に米英独仏は日本をさそってニューヨークのプラザホテルで「プラザ合意」を結び、日本の経済成長独走態勢は終わった。
そして、バブルが生じたとき引き締めが必要な場合は別とすると、ほとんどの期間で、日本の金融政策はプラザ合意の趣旨に添いすぎる引き締めの方向を堅持した。
89年に就任した三重野(みえの)康(やすし)日銀総裁は、「平成の鬼平」と呼ばれ、バブル退治に強力な手腕を発揮した。それから30年あまりの間、94~98年に在任した松下康雄(やすお)総裁を除くと、日銀出身の総裁が続き、日銀は円高を保ちインフレを起こさない守り神であることを誇っていた。速水(はやみ)優(まさる)総裁が著書で述べるように、「尊敬される円」が金融政策の目標だった。
三重野総裁から白川(しらかわ)方明(まさあき)総裁までの日銀各総裁は、任期の前半で緩和にも意を払った福井(ふくい)俊彦(としひこ)総裁を除き、金融引き締めとそれに結びつく円高を志向する総裁であった。
「専門家に聞くのがいい」という政治家が以上のようなバイアスを持つ中央銀行の意見を聴いた結果が、安倍晋三政権が誕生する前の「デフレと沈滞の30年間」だったのである。
注意したいのは、為替変動制の下で為替介入権は財務省にあるが、為替介入は一時しのぎにすぎず、政策として通貨の価値に本来影響するのは、日米の相対的貨幣比率を変える金融政策だ。とくに過度な引き締め政策を採用すれば、国民経済はデフレに苦しむことになり、これがアベノミクス登場(2012年末)以前の日本経済の姿だった。
安倍内閣の経済政策は、日銀の指示に完全に従うのではなく、安倍首相が自ら経済メカニズムを学び、経済学者のスティグリッツ、クルーグマンなど国際的な知見を活用して行われた。そして黒田東彦(はるひこ)総裁の異次元緩和により、伝統となっていた日銀の引き締め志向からの脱却に成功した。「プラザ合意」後で唯一金融政策が円高を回避し、約500万人の雇用を創出した。
岸田文雄内閣も、岸田首相が安倍内閣の外務大臣であったこともあり、その政策はアベノミクスを継続するものであり、安定した外交は日本にとって有益だった。したがって、石破首相が「アベノミクス」嫌いであったとしても、円高を防いだ政策の成功を認めないならば、国民の利益を無視していることとなる。米国をはじめ他国が低金利政策を続けている中、日本が金融緩和を維持しなければ、円高が続き、日本経済はデフレ状態を続けてしまったはずだからである。
■米国の状況で日本も政策を変えるべきだ
ただし、石破内閣が成立したいまは、考えてみれば、植田和男総裁の意見を聞くのによい時期かもしれない。あるいは、より弾力的な金利で極端な円安を解消し、インフレへの心配を断つようにと、石破首相から植田総裁の背中を押す時期かもしれない。
植田総裁は、円安が企業に高収益をもたらし、アベノミクスの金融緩和が長年の日本のデフレマインドを解消する効果と、それが行きすぎると日本経済がインフレを引き起こすリスクの間のバランスを模索しているようにみえる。推測では植田総裁の慎重な性格から、追加利上げ実施の必要性は理解していても、その実施にあまりにも長い時間をかけようとしているようにみえる。
現在、米国の短期金利は大統領選後FRBの利下げを受けても4.5%前後にある。ところが日本の短期金利は0.5%付近にあり、円を売ってドルで運用するキャリー・トレードが成立する。このような状態で円安が終わるとは考えられない。生産コストの比較では、いまは1ドル120円程度が適正と考えられる状況で、1ドル150円以上の円安となっている。円安を止めるには日本の短期金利を上昇させればいい。それが住宅変動金利に響いて勤労者の家計に響くという意見もあるが、それが問題なら金利連動の仕方を一時工夫すればよい。
この円安は、日本の生産物の価値を下げ、建築労働者の極端な人手不足、外国人観光ブームの加速などを招いている。さらに円安による物価高が実質賃金の上昇に歯止めをかけており、国内投資による日本の生産性の向上につながっていないようにみえる。
このような極端な円安が続けば、円安で得られる雇用増などのメリットはなくなってしまう。日本は安売りのバーゲンを続けているようなものである。日本が不況なときには日本製品が売れる方向に円安にすればよかったが、完全雇用に近いときには安売りは不利益となる。
私は、アベノミクスの推進者の一人として、通常時は金融緩和を支持してきた。しかしいま、短期金利の正常化と金利引き上げを支持するのは、世界の情勢が変わったからである。ケインズが言ったといわれるように、「情勢が変われば意見を変える」べきだからだ。
そうした状況を踏まえれば、石破政権が金融引き締めを目指すのも、短期の政策志向としては適切だと言えるだろう。ただし、円安が解消して、物価下落が見えてきたときには、直ちに金融緩和を再開してほしい。
---------- 浜田 宏一(はまだ・こういち) イェール大学名誉教授 1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。近著に『21世紀の経済政策』(講談社)。 ----------
イェール大学名誉教授 浜田 宏一 写真=時事通信フォト
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