( 247016 )  2025/01/10 04:19:12  
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki 

 

日本の大学の医学部入試では必ず面接が行われている。一体なぜなのか。医師の和田秀樹さんは「たった数十分の面接で医師の適性があるかないかを見抜けるとは思えない。実際は、医学部の教授たちが、自分たちの地位を脅かしたり、メンツを潰したりするような異分子となりそうな人物を排除する手段なのではないか」という――。 

 

 ※本稿は、和田秀樹『ヤバい医者のつくられ方』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。 

 

■「面接不合格」が残す心の傷 

 

 皆さんもよくご存知のように、どの大学の医学部も非常に難関なので、受かろうと思えば、相当な努力を重ねなくてはいけません。 

 

 もしも不合格だった場合、成績開示を確認するなどすれば、何が理由で合格できなかったのかは大体わかります。 

 

 そのときに学力テストの点数が足りなくて不合格であれば、もう1年頑張ろうという気にもなるでしょう。 

 

 しかし、学力テストの点数は十分足りていたのに面接で落ちたということになれば、「君は医者に向いていない」と人格否定されたようなものですから、その心の傷は計り知れないと思います。小さい頃から医者を目指して本気で頑張ってきた受験生であれば尚更です。下手すると自ら命を絶ってしまうことだってあるかもしれないと、私は本当に心配になります。 

 

 そのような想像力が働かないのだとすれば、「人の気持ちがわからない」のはむしろ面接官のほうではないかと言いたくなります。 

 

■短時間で医師の適性を見分けられるのか 

 

 そもそも、入試面接というのは短ければ5分、長くてもせいぜい30分から1時間程度です。たったこれだけの時間接しただけで、相手の何がわかるというのでしょうか。 

 

 私は長く精神科医をやっていますが、患者さんの悩みにも影響する性格や考え方などを理解するのには、長い時間をかけて何回か話を聞く必要があることを常々実感しています。 

 

 それを考えると、たった1回か2回、しかも30分~1時間にも満たないような時間で、その受験生に医者の適性があるかないかを見抜くことなど本来であればできるはずはありません。 

 

 ところが、面接官である教授たちは傲慢にも「自分たちにはそれができる」と思い込んでいます。彼らはきっと臨床の現場で初めて会った患者さんたちのことも5分も話せばすべてわかると高を括(くく)っているのでしょう。 

 

 もしも本気でそう考えているのだとしたら、面接する教授たちはみんなパラノイア(妄想性パーソナリティ障害の一種)を患っているとしか思えません。 

 

 

■合格基準は「教授にとって好ましい」? 

 

 公正であるべき入試において、それがたとえ不当な理由であっても、落としたい受験生を簡単に落とすことができる面接というシステムに大きな問題があることは明らかです。極めて短い時間で一人の人間の未来を左右しかねない判断を下すという理不尽さも含め、その是非を問う議論はあって然るべきだと私は思います。 

 

 それでも、すべての大学の医学部は、入試面接をやめようとはしません。 

 

 なぜでしょうか。 

 

 それは、目の前にいる受験生が「自分たち教授にとって」好ましい人物なのかどうか、を自らの目で確認しておきたいからでしょう。 

 

 つまり医学部の教授たちは、自分たちの地位を脅かしたり、メンツを潰したりするような異分子となりそうな人物を最初から排除して、自分たちの言うことを素直に聞く学生だけを招き入れるために、わざわざ時間を割いてまで面接を行っているのです。 

 

■東大医学部で入試面接が復活した裏事情 

 

 そもそも東大医学部で一度はとりやめていた入試面接が復活した本当の理由は、面接なしで入学してきた医学部の学生有志が、教授たちの研究論文の不正や、研究費の流用などを告発する公開質問状を出すという「事件」が起きたからです。 

 

 この事件に懲りて、やっぱり面接をやらなければダメだという話になったというだけで、要するに「ちゃんと面接でチェックしておかないと、面倒なやつが入ってくるぞ」という教授側の都合でしかないのです。そして、その4年後に入試面接は断行されました。 

 

 中には文科省がうるさいから形式的に面接をやっているだけだと言っている教授も何人か知っていますが、82もある全国の大学の医学部すべてで面接がなくなる気配さえないのは、異分子はとことん排除するというのが、医療界のトップに君臨する教授たちの基本的な考えだということなのでしょう。 

 

 その時点で医学部の教授たちのほとんどは信用するに値しないと私は思います。 

 

 

■邪魔な人間を排除する「正当な」手段 

 

 とにかく現状を維持することで利権やメンツを保ちたい教授たちにとって、現状を変えようとしたり、問題提起をしたりするような人間は邪魔でしかありません。 

 

 彼らはそういう邪魔な人間を黙らせるだけの権力も持っているのですが、最初から「共感脳」が高く、同調圧力に屈しやすい素直な学生だけを入れておくほうが都合がいいのは確かでしょう。 

 

 私は面接のない時代に医学部に入ったので、こうやって率直に声を上げたりしているわけですが、自分たちのメンツと利権を守り続けた教授たちにとっては、私のような人間が二度と出てこないに越したことはありません。 

 

 だから、面倒なことを言い出しそうな人間は、面接という「正当な」手段を使って最初から排除しておこうというのが彼らの魂胆なのです。 

 

■「医療界の常識」を受験生に植え付けている 

 

 自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)の人を排除したがるのも、「医者として患者の気持ちを理解できない」というのは表向きの理由であって、このタイプの人は「場の空気を読むことが苦手」であるせいではないかと私は思います。教授の顔色をうかがうとか、周りに合わせることができない人たちは同調圧力も気にしないので、教授たちにとってはその存在が非常に都合が悪いのです。 

 

 だから、アスペルガー症候群でないとしても、面接の場で堂々と医学部批判をしたりすれば落とされる可能性は高いと思います。 

 

 実際、国語力が高く私の通信教育のスタッフをし、何人もの生徒を東大や医学部に合格させた優秀な知り合いは、新潟大学の医学部を受験し、学力テストの点数は足りていたのに、面接で教授の言うことに対して少し反対意見を述べたことが影響したのか、結果は不合格だったそうです。 

 

 そういう噂は受験生であれば耳にすることが多いはずですし、受験予備校などでもどうすれば面接官である教授の意向に沿った回答ができるかなどを学んだうえで面接には臨むでしょうから、面接官である教授を刺激するようなことをわざわざ言ったりはしないでしょう。言いたいことを言えないとしても、それをよしとしなければいくら勉強しても医学部には合格できないので、そうするしかありません。 

 

 つまり入試面接というのは、そうやって教授のお眼鏡にかなわなければ医療の世界では生き残れないことを最初の入り口で思い知らせるためのシステムでもあるのです。 

 

 

■子どもを「人質」に、親もコントロール下 

 

 教授たちに迎合することで無事に面接を突破した受験生たちが医学部生となり、やがては教授たちの思惑通り「共感脳」だけがやたらと高くて周りに合わせられる医者として育っていきます。 

 

 これでは古い常識がいつまでもまかり通り、進歩もしないし、変革も起こらないのは当たり前でしょう。 

 

 すべての医学部の入試に面接を課すことは、自分の子どもを医学部に入れたいと考える多くの医者の口を封じるうえでも有効です。 

 

 何せ入試の面接官は医学部の教授が務めるわけですから、彼らの機嫌を損ねるようなことをするのは、とても勇気のいることなのです。 

 

 親が今の医療や大学病院、あるいは医学部のあり方に異を唱えることが、子どもの医学部の合否に影響するなんて、そんな理不尽なことはあるはずないと考えるかもしれません。 

 

 でも、やろうと思えばそれが簡単にできてしまうのが入試面接というシステムの危うさなのです。 

 

■「和田秀樹の娘」だから合格できなかった? 

 

 はっきりと数字として結果が出る学力テストの得点を操作すれば東京医科大学で起こった裏口入学事件のように不正がバレるリスクはありますが、面接なら「医者としての適性がない」という「正当な」理由をつけられます。 

 

 実際にそのようなケースがあったかどうかは別として、我が子を自分と同じように医学の道に進ませたいと考える親にとっては、その可能性があるというだけでも十分な脅威です。 

 

 これはもう子どもを人質にした恐ろしい言論封殺システムだと言ってもよいのではないでしょうか。 

 

 会って話をしてみると、「大学病院での臓器別診療は問題だらけだ」というふうに、私と同じような考えを持つ医者も実は多いのだなと感じるのですが、それを公の場で口にしようとする人がなかなかいないのは、この無言の圧力がうまく働いているせいかもしれません。 

 

 私の娘は、2018年に東京大学を卒業後に医者になりたいと考えるようになり、複数の医学部を受験しましたが、1校(そこがいちばん偏差値が高く、その学校では上位5番以内の特待生になりました)を除いてすべて補欠の扱いでした。 

 

 実はあれも、年齢や性別による差別というより、先述した通りこうやって今の医療界に蔓延る問題に声を上げることを決してやめない和田秀樹の娘であることを面接官の誰かが知っていて、それが理由になった可能性もあるのではないかと私は疑っています。 

 

 

 

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和田 秀樹(わだ・ひでき) 

精神科医 

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。 

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精神科医 和田 秀樹 

 

 

 
 

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