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2000年に東京で起きた殺人事件で無実の罪を着せられたネパール人男性、ゴビンダ・プラサド・マイナリが12年の法廷闘争の末に無罪判決を勝ち取ったが、補償金6800万円を受け取りながらも資金が底をつくまで家族のために使い、現在は資金難と不安を抱えている様子が描かれている。

(要約)

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ゴビンダさん 

 

 四半世紀前の2000年4月、強盗殺人の罪に問われた一人の男に無罪判決が下された。その名はゴビンダ・プラサド・マイナリ。東電OL殺人事件の被告となったネパール人男性は、しかし、最終的に無罪を勝ち取るまで費やすことなお12年。いまや還暦も近い58歳は「補償」についてボヤくことしきりである。 

 

 *** 

 

 東京・渋谷区の円山町、ホテル街にほど近い木造アパートの空き部屋で、1997年3月、東京電力本社で管理職として働き、夜には“立ちんぼ”として客を取っていた女性の絞殺死体が発見された。客の一人、30歳のゴビンダさんが強殺容疑で逮捕されるのは2カ月後のことだ。 

 

 続く展開はめまぐるしく、東京地裁は無罪とするも、控訴審では一転、無期懲役の判決が。03年には上告も棄却。しかし、再審請求が認められ、12年、東京高裁で無罪が確定。その年、18年ぶりに祖国ネパールの地を踏んだ。 

 

 刑事補償請求に及んだゴビンダさんに、日本政府が支払った額は約6800万円。当時のネパールの平均年収の1000倍以上に相当する。さぞや左うちわの暮らし向きであろうと、かの地のご当人に尋ねたら、 

 

「もらったお金は家族のために使ってしまいました」 

 

 と言うではないか。 

 

「まず、お母さんの病気の治療費を払いました。お母さんは亡くなりましたが、娘たちの結婚費用や娘たちが外国に家を買ったときの援助に使って、お金はほとんどなくなりました」 

 

 いや待てよ。18年に本誌(「週刊新潮」)がゴビンダさんに取材した際、確かに、2人の娘は結婚して長女はオーストリア、次女はオーストラリアに住んでいる旨を語っていた。彼女らの結婚費用を負担し、補償金で首都カトマンズ近郊の住宅街に家を建て、約1250万円もするトヨタのランドクルーザーを買ったというゴビンダさんは、 

 

〈いい車に乗っていい家に住んでいるのだから、私は豊かに暮らせていると思います〉 

 

 と話していたのだが……。 

 

「いえ、事故もしたのでトヨタの車は売って、いまはインド製の小さい車に乗ってます。2人の孫もできましたが、娘たちは一緒にいないので、4階建ての家も売って、3年前に2階建ての家に移りました。奥さんと一緒に暮らしています」 

 

 

 慎ましい生活へと転じたその背景に、母国の不景気もあるという。 

 

「コロナ禍の後、ネパールは経済的に状況が悪くなっています。物価も高くなって、外国に出稼ぎに行く人も増えました」 

 

 もともとは自身も出稼ぎでの来日。で、帰国後は、 

 

「仕事はしてないです。いまの家がある住宅街で、庭造りや木を植えたりするボランティア活動をしたりしていました。この年で定年になってるみたいな感じでヒマです。稼ぎがいいと聞き、土地転がしもやってみました。でも、うまくいきませんでした。仕事や商売をしようと思っても、できてないです」 

 

 なるほど、お金が消えるはずである。 

 

「刑務所での15年を含め、日本に18年間もいました。ネパールに戻ってきた後、すぐ自分が年寄りになった感じです。いま、ちゃんと仕事ができてないのも、普通の生活をしながら勉強していくことができなかったのが原因だと思います」 

 

 不満は日本政府に向く。 

 

「人生の一番大事な期間を失ってしまいました。手にした補償金だけでは私が失ったものを賠償できてないと思ってます。私の将来のことまでは考えていなかったのではないかとも。仕事がなく、生活にも影響しているので、日本政府にサポートしてほしいです」 

 

 さらに、こうも言う。 

 

「日本のマスコミ、ネパールのマスコミ、いまではまったく取材に来ません。支援者の方の招待で17年に一度、夫婦で日本に行きましたけれど、それ以降は行ってないです」 

 

 真犯人が捕まっていない東電OL殺人事件。ゴビンダさんの人生に残された問題もまた、未解決だった。 

 

「週刊新潮」2025年1月2・9日号 掲載 

 

新潮社 

 

 

 
 

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