( 247774 )  2025/01/11 16:06:19  
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移民や外国人に対する嫌悪感が広がっている世界の状況について、日本は欧米と少し異なる様相を持っていることが指摘されている。

最近、あるインド人社長の発言が行き違いによって批判され、SNSでの炎上が社会問題に発展する現象が見られる。

企業や個人のイメージが社会的な非難を受け、経営や生活に影響を及ぼす可能性もある。

 

 

日本においても、外国人に対する過剰な嫌悪感が増えていると感じられる。

日本政府も移民を受け入れる検討をしており、人口減少対策としても議論されている。

しかし、特にアジア人に対する嫌悪感や批判が目立ち、それが人種差別的な側面を持つことが懸念されている。

(要約)

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世界的に移民や外国人に対する嫌悪感が広がっているが、日本の場合は欧米と比べると少し様相が違っているようだ(写真・FilippoBacci/Getty Images) 

 

 あるインド人が社長である日本の製菓会社で株価が急に下がったという。それは、その社長が「日本は移民をもっと増やすべきである」と言ったことに端を発したらしい。 

 

 しかし、よく調べてみると、その経営者はそんなことはまったく言っていないというのだ。たんなるいやがらせにしては、毒のある表現である。その真意はわからない。 

 

■「移民」と「外国人」への嫌悪感 

 

 最近SNSからいわゆる“炎上”が起こり、大きな影響を及ぼすことが多い。問題はそうしたSNSの批判が、時に根も葉もない言いがかりであることである。 

 

 しかし、それによって世間の批判は一気に高まり、時には大きなスキャンダルとなり対象となった人が社会から葬り去られる。企業の場合は、経営破綻にまでつながる可能性がある。 

 

 今では誰もが、言論の自由という衣を着て偽情報を流すことで世間を欺き、世論操作できる。こうしたスキャンダルの伝達は、かつては新聞や放送局などの大きなメデイアの専売特許であったが、今では誰でも世論を操作することができる時代になった。 

 

 今回の場合、流された偽情報もさることながら、それに過激に反応した人々の方が気になった。それは「移民」と「外国人」という言葉が、この製菓会社が嫌悪された理由であったことだ。不買運動まで呼びかけられたという。 

 

 経営者が外国人であることは、世界中どこでもおかしなことではない。また移民を受け入れることは日本政府も検討していることである。世界的に人口減に苦しむ国では当たり前のことである。 

 

 移民と外国人に対して過剰反応と思えるほどの嫌悪を示すことが、最近とみに増えてきているような気がする。日本経済の停滞と日本企業の競争力の低下が、極度の劣等感を生み出し、そのはけ口として外国人と移民が批判の対象になっているのだ。 

 

 しかもその外国人と移民が指すところは西欧人ではなく、近隣のアジア人のような非西欧人であることが、もっと気になることだ。そこには、人種差別的な響きが感じられるからだ。 

 

■ヨーロッパと違う「移民嫌悪」 

 

 ヨーロッパでも右派政党が経済停滞や治安の悪化を外国人と移民のせいにして、選挙で勝利していることは間違いない。しかしヨーロッパの場合、移民者の数や歴史が日本とまったく違う。 

 

 しかも失業問題と移民労働者が微妙に関係しているため焦点は主に経済問題となり、表だった人種差別的発言は慎むことが必要である。人種差別的発言は、法律的にも厳しく禁止されている。 

 

 

 この会社で問題になった外国人も西欧人ではなく、アジア人であると思われるが、なぜアジア人にそれほど脅威を感じ、怒りをもつのであろうか。 

 

 逆に言えば、これは西欧人に対して尊敬と崇拝を持つことへの裏返しでもある。だからこそ、欧米人ならいざ知らず、アジア人が日本で増えたり会社を持つことを極度に嫌うのかもしれない。 

 

 1969年に日本のアルゼンチン大使が『素顔の日本』という書物を日本で出版して大きなスキャンダルとなり、結局、外務省を辞めざるをえなくなるという事件があった。時は昭和元禄といわれる時代で、10%台の経済成長で日本が潤い始めていたころだった。 

 

 1970年の大阪万博を迎える前の年であり、日本人が欧米人の生活水準に近付き、少々自信過剰になり始めていたときだ。この大使は河崎一郎氏。彼は、国際人を目指して自身満々の日本人を徹底的に揶揄し、欧米人から見た日本人の滑稽さをおもしろおかしく描き出したのである。 

 

■日本外交官が描写した半世紀前の日本人 

 

 とりわけ話題になったのは以下の文章である。 

 

「世界中の人種のなかで、ピグミー族とかホッテントットを除けば、おそらく身体的な魅力といった点で最も劣っているのは、日本人であろう。日本人はいわゆる蒙古系人種に属し、扁平で無表情な上に、高いほほ骨と切れ目の顔の持ち主である。体型は、およそ格好が悪い。頭部は不均衡に大きく、胴長で短い脚は、曲がっている場合も多い」(『素顔の日本』31ページ) 

 

 確かにこれはひどい表現である。自己卑下をするにも、限度というものがある。ピグミー族やホッテントット族に対する見方も人種差別そのものである。これが英文(英文タイトル『Japan Unmasked』)で書かれ、海外の日本紹介に使われるのではたまらない。 

 

 外務省が怒るのは当然かもしれない。とはいえ、西欧人種を優れた見本と崇め、それと比べ、ガマの油と同じく己の醜さに汗をたれるという自身の醜さのほうを疑うべきだったかもしれない。万博を前にし、国際社会へ雄飛しようとする日本人にショックを与えたことは間違いない。 

 

 

 しかし、経済成長に沸き立つ日本人はこんな表現にびくともせず、国際社会の荒波に飛び出したのも事実だ。なんとこの書物は重版を重ね、読まれ続けたのである。自国民への批判を笑い飛ばせるほどの余裕と自信が日本人にはあったのである。 

 

 この本は、明治以来日本がもってきたコンプレックスそのまま表現したものにすぎない。近代化のために日本固有のものを投げ捨て、ひたすら西欧模倣に励んできた日本人を、ある意味西欧人的な目から見た書物だといえる。 

 

 ルース・ベネディクトの『菊と刀』(1946年)以来の、紋切り型の日本人観を表現しているだけの本であるがゆえに、欧米でも歓迎されたともいえる。 

 

 日本の大使館の多くには日本文化センターが設置されている。そこではなぜか英文図書が並べられている場合が多いが、不思議なことに多くは西欧人が書いた日本紹介の書物である。そこにはあまりいいことは書かれていない。 

 

 しかし、外国人が書いているのだからまあ許される。ただ、日本人が、それも大使という外交官が書いたのだからスキャンダルとなったのは当然であった。 

 

 ただ、この本の内容は、身も心も西欧に捧げている日本のエリートのコンプックスの表現にすぎないということだ。経済成長まっしぐらの一般庶民にとってこんな日本人観は無意味なものであったことは間違いない。歓迎はしなかったが、問題にもしなかったのだ。 

 

 『素顔の日本』が刊行されてからわずか10年で、日本は西欧政界を凌駕する経済大国になり、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979)という書物まで出版されたのだ。当時の日本人の寛容さとたくましさに脱帽すべきだろう。 

 

■日本での翻訳が少ない西欧の自己反省本 

 

 もちろん、それ以降の日本人は、かつての自信はいつのまにか薄れ自暴自棄に陥り始めた。だから、移民や外国人を忌み嫌うようになったのだろう。とりわけ、その批判は、飛ぶ鳥を落とす勢いの近隣のアジア諸国に対して、向けられはじめたのだ。 

 

 西欧社会においても、アジア経済の発展は脅威をもって見られている。それはある種、偏見に満ちた言説でもある。19世紀を覆ったアジアへの偏見の再版も多くある。これらは翻訳書の中に見られる。 

 

 

 しかし、西欧の自己反省を伴う書物もある。もっとも日本においてそうした文献が翻訳されることは意外と少ない。 

 

 アジアの文献を翻訳することがあまりに少ない日本であるから、日本人のアジアに対する見方が19世紀の西欧的偏見に占領されてしまい、大きな誤解を生み出しかねない。 

 

 アジア経済の発展が、アジアの技術進歩のたまものであるとすれば、アジアの書物がどんどん翻訳されなければならない。しかし、アジアの書物の翻訳はあまりにも少ない。 

 

 1900年にイギリスに留学した文豪・夏目漱石は身も心も疲れ果て帰国するが、それは夏目漱石の身体的特徴が『素顔の日本』で挙げた引用のような身体的特徴を持っていたためだ。その劣等感が彼の目をアジアに向けさせるが、夏目漱石は滞在中の日記でアジア、とりわけ中国を見直している。 

 

「日本人を観てシナ人といわれると厭がるは如何。シナ人は日本人よりも遙かに名誉ある国民なり。ただ不幸にして目下不信の有様に沈淪せるなり。心ある人は日本人と呼ばるるよりもシナ人といはるるを名誉すべきなり。たといしからざるにもせよ、日本はいままでどれほどシナの厄介になりしか。少しは考えて見るとよからう。西洋人はややもするとお世辞にシナ人は嫌いだが日本人は好きだといふ。これを聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って自分方が景気がよいときいふお世辞を有り難がる軽薄な根性なり」(『漱石文明論集』岩波文庫、304~305ページ) 

 

■夏目漱石の外国人観 

 

 これは夏目漱石がロンドンにいた時代の日記に書かれたものである。当時の日本人のイギリスでの劣等感は、日本以外のアジアに対する優越感によって償うしかなかったのだ。 

 

 今でも、海外にいる日本人はややもすると、中国人と見間違えられることを恐れている。それは長年東京に住んだ田舎者が、東京で田舎者だと見間違われたときに感ずる、面はゆい感情のようなものだ。 

 

 私自身も海外に住んでいたとき、そうした感情にとらわれた。ヨーロッパに同化したいという気持ちが中国人だと思われたくない一種の見栄を生み出し、中国人と見られることを妙に恥じ入る気持ちを生み出したのである。 

 

 

 
 

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