( 248012 ) 2025/01/12 03:55:04 0 00 =+=+=+=+=
自分を犠牲にしてまで人助けする必要はない。 水辺で人が溺れていた場合、飛び込んで助けに行って、溺れて死ぬケースが多いが、 飛び込まずに、浮き輪の代わりになる様な物を投げてやるとか、119に電話するとかの方法を考えることです。
▲4707 ▼396
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悲惨な事故や事件が起きた時、第三者的な立場で報道を見聞きしている視聴者は惨劇の中に何か救いを求めている部分があって、それがこういった事態を招いているんじゃないでしょうか。
「起きた事は悲惨だった。でも、誰かが犠牲になることで救われた命があった」とか「大災害の中にも希望を持てば、ごく僅かでも希望の光が差すことがある」と、無理矢理自分を納得させる何かを求めてしまっているのではないかと思います。
▲16 ▼0
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再発防止と切り分ける必要はあるし、子供を助けるための行動が褒められたものかも分かりません。安全策の周知も必要でしょう。だけど、子供を助けようとしたその勇気は讃えるべきだと思います。 そうでないと無駄死にになってしまうではないですか。 子育ても経済的にも苦しくなってしまったのは辛いことだと思いますが、大変だったから生き残った子供が恨めしいというのは・・・誰が何と言おうとご家族だけでもご主人を讃えてあげてくださいよ。ご主人は立派な方だと思いますよ。
▲43 ▼66
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人生のパートナーには私にだけ優しい人ではなく、別け隔てなく優しい人を選びました。 だから、きっとこんな事態に直面したら考えるより先に体が動いてしまうでしょう。 私はそんな彼を誇りに思いつつ、悲しみと喪失感のあまりなぜ自分自身と私のことを最優先にしてくれなかったのかと責めてしまうと思う。 行いは尊いが、それでも救った命の代わりに失われた唯一無二のあなたのことを愛し、あなたのことを慕い、あなたのことを必要としている人たちがその後どれほど悲しみ苦しみ辛い人生を送ることになるか…。もしかしたら絶望して後追いしてしまうかも知れません。 綺麗事じゃないんです。理想と現実もまた違うんです。取り返しがつかないんです。 こんなに悲しく恐ろしいことはない。
▲91 ▼17
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亡くなった方やそのご家族の思いを無視して、美談として消費されることは、当事者の苦しみを軽視する行為としか思えない。 本来、報道というのは事故や災害の原因や再発防止策を伝える役割を果たすべきものだし、故人や生存者の人となりを伝えることが人々の関心を引くのも事実だけど、それが遺族や当事者にとって負担になるなら、配慮することも大事なことだと思う。 当事者の声に耳を傾けて、感動だけで終わらせるのではなく、教訓を引き出すような記事を書くことこそが、ジャーナリズムの使命だと思う。
▲907 ▼114
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水辺に溺れてる方が居て通報する、そしてその結果助からなかった時、見ていた自分を責めないか?何か他に出来たのではないか?ただの傍観者で居た自分を責めずにその後変わらず日常を送れるか?… 助けに行っても行かずでも心に傷が残る気がする。そしてその答えの正解は無いのかもしれない。 自分ならどうするか…やはり答えは出せないです。 せめて水辺で遊ぶ事のリスクを伝え予防する方法、危険性を学ばせるしかないのかもしれないと今は思います。
▲541 ▼39
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昨今のマスコミに対する違和感はこれ 事件や事故の本質よりも被害者の物語を優先し、感情に訴える事ばかり どんな人だったとか、どんな夢を抱いていたとか正直事件、事故には関係ない事
被害者の家族や卒業文集、同級生、被害者の人となりを知る人物の感想とか、こんなに可哀想なんだ的な事をメインに放送する
可哀想なのはわかるんだけど、それを強調し過ぎる事で逆に被害者家族にアンチが産まれる事をマスコミはわかっていない
特にキー局は報道のあり方を考え直す必要があると思うよ
▲68 ▼5
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銀座の時計店に強盗が入り、通行人の女性が扉を閉めて強盗たちを閉じ込め、その行動に対して「英雄だ」といった称賛が相次ぎました。確かに犯罪者を捕まえようとすることは勇敢ですが、同時に命の危険があったことも認識しないといけない。新幹線で乗客が男に刃物で襲われた事件では、果敢に立ち向かった男性が残念にも亡くなってしまいました。人に称賛されることをしても、帰らぬ人となってしまったら悲しむ人もいるでしょう。まずは自分の身の安全を第一に、そこから何ができるかを考えるべき。
▲503 ▼53
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この方のセミナーを受講した事があります。 その際もご主人のお話をされていて、本当に悲しみや大変さが伝わってきました。 そして、水際で遊ぶ危険性や恐ろしさも。 ただ危ないだけじゃなく、実体験を伴う真実だからこそ、水の事故の恐ろしさや残された家族の事についても知ることが出来ました。 夫や子に、このセミナーで学んだ事を伝え水の事故は恐ろしいこと、そしてお願いだから迂闊に人を助けないで欲しいと伝えました。 子供には、友達に無理に誘われた時の断り方もシミュレーションして練習しました。 人として間違ってるとか、うーんを付けられるかもしれません。 でも、自分の身を一番に守るという事は家族を守る事なんだと思いました。 綺麗事では生きていけませんから。
▲369 ▼20
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>近隣の方への取材で、我が家の個人情報が全部記事にされて、特定されたことが非常に怖かった
これは本当にしんどい。 家族を失った上に、なぜ家族構成や個人情報が無関係な第三者にばら撒かれてしまうのか。 この記事で、善意の中学生も命を落としたことを知り、ご家族のことを思うと心が痛くなりました。 本当に大切で伝えなければならないのは、美談ではなく、事故が二度と起こらないような注意喚起だと思います。美談は架空の小説で充分。 自分の家族に当てはめてみたら、ルールを破って命を落としかけた子供たちやその保護者、個人情報を悪気ないつもりで喋った近隣住民、それを無関係な第三者にばら撒いたマスコミ、そして見て見ぬふりができず命を落としてしまった家族にまで怒りを覚えて、そして最後には必ずそんな自分を責めて苦しんでしまう。 ご遺族の方の心に少しでも多くの癒しと平和が訪れますよう陰ながら願っています。
▲437 ▼19
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私も泳ぎには自信がありますが、即救急に連絡する事とロープ、木の枝、ベルト洋服など駆使して捕まるものを作成するのが最善策です。 思うよりも下の方の流れが早い場合がほとんどで水温も低い。洋服を着ていればそれだけで無謀な程重くなる。 上記を行っても救助出来ない場合は残念ながら二次災害しか起きません。全ての人を救うのは不可能と言う事も覚えておきましょう
▲86 ▼9
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この「美談」現象、これまで災害や事故が起きるたびに違和感があったから、当事者の感じ方を知れて良かった。起きた事実としてニュースで報道されるまでは良いのだけど、その後もニュースやSNSなどで2次的、3次的に「美談」「泣ける話」として引用を繰り返され、それを必要以上に好む風潮(ここでは「消費」と言ってるけど)はいかがなものかと思う。 本当なら本人だって家族だって、命が助かって欲しかったはずなんだよ。「美談」と捉えるのは犠牲者の家族が心の葛藤を整理するための手段ではあるけど、第三者が消費すべきではない。
▲186 ▼23
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川や海の事故、泳ぎが上手くても、かなり難しいです。まして数人溺れているのを、一人では無理でしょう。電車のホームからの転落もホームから下の人を持上げるのは、プロレスラー位鍛えていても可能かどうか?下に引きずられます。緊急停止ボタンを押す。美談として伝えず、事故が起きた時に、どういった対処をするのが良いかを伝えるべきだと思う。
▲14 ▼0
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中学生のころ、服を着て泳ぐ授業がありました。 水泳部だったわたしでも服が重くて泳げず、 自分も泳げなくなるのに人を助けるのは無理だと学びました。 先生も親も大変だけれど服を着たまま水に入ることがどれほど危険か、年に一度でも子どもに教えて欲しい。
自身は経験から我が子には絶対に飛び込まないよう教えています。
▲13 ▼1
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春夏に川沿いのキャンプ場によく行きますが、子供から目を離さない良い親は、自分の子供と川沿いにいるんです。一方、子供から目を離す悪い親は、川沿いにはいないです(自分のサイトから、友達と話しながら時々見てるだけ)。よって、放置された子供が溺れて、一番最初に目撃して助ける羽目になるのは必然的に「良い親」なんです。 悪い親の子供を助けて命を落として、良い親の子供が悲しむなんて、あってはならないです。 放置子が川に来ると、私は自分の子供と別の場所に移動します。するとそれまで放置してた親が「◯◯こっちおいで〜」と呼び戻すんです。 知らない人でも大人なら助けてくれるでしょって、思ってるんでしょうね。
▲21 ▼2
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難しい問題だと思う。 でも助けられた中学生も罪の意識に一生苦しむよね。
自分を助けた為にご主人が亡くなって、奥さんがこうやってメディアに出てくると。もちろん助けてもらった事は感謝するとして、一生心の底から笑えない気がする。 自分の命は人の犠牲の上で成り立ってるって思うと。
溺れている人間を見て見ぬふりふりはできないし、何もしなかったら罪悪感に苛まれるだろうけど、100%救う自信がないなら、助けないのも(もちろん119番するとか、できるとこはするとして)勇気だと思います。
▲12 ▼1
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米軍の最高の勲章である名誉勲章の受賞基準にもあるように「義務を超えた勇敢な行為をし、若しくは自己犠牲を示した」人は美談になりやすいです。 旧陸軍の軍曹であった私の大叔父は太平洋戦争中、パラオで部下を米軍の手榴弾から守るために自ら盾になって戦死しました。 自己犠牲の美談は遺族に対して故人の死が無駄死にではなかったと言い張るための詭弁だと思います。 旧陸軍の伍長であった祖父も兄弟が全員戦死したため明るい人ではあったが新聞やラジオ、そしてTVに対して常に猜疑心を持っていました。
▲290 ▼43
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以前SNSで、2~3歳の子が流れの早い川の浅瀬で流されて、その子の母親が「誰か!」と叫んでいる動画が流れてきました。 動画を撮っている方の旦那様が走ってその子を助けに行って、流された子は無事救助されたという動画でしたが… 簡単に流されてしまうような小さな子の手を離しておいて、さらに他人に救助を求める親に怒りを覚えてしまいました。 その助けに行ったご夫婦も、小さな子供を連れていました。 私自身もパパが大好きな子供たちがいます。 もし夫が動画と同じように見ず知らずの子を助けに行こうとしたら、私は迷わず夫を引き留めると思います。
▲287 ▼24
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メディアは視聴者が関心を引くように報道するのは、報道のみならず全てのコンテンツで共通しているでしょう。この川で溺れている子らを助けに入って救助死した後の報道が再発防止や注意喚起と言った事よりも、救助した行動や勇気ばかりが取り上げられた事にこれで良いのかと言うお気持ちはその通りだろうと思います。その一方で、注目を集めて事故を周知する事は大切で、その為にもある程度は美談になってしまっても致し方が無いかと思います。ただし、個人情報を報じる際には当事者に承諾を得るべきです。そして、被害を受けた方に一定程度配慮して報じるのが望ましいかと思います。
▲7 ▼3
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私はスイミングスクールに通っていた事もあり、普通より少しは泳げる方だと思う。
が、それでも人を助ける為に飛び込めるかと言われたら「無理」だと断言する。
泳ぎ方は習ったが、溺れてる人の助け方は習ってないからね。
昔から「溺れてる人が力尽きて沈む寸前まで待て」って言われてたりもするし、何より着衣泳は思ってるより難しい。
その場に遭遇したら、消防に通報した上で浮き輪やその代わりになる物を投げ入れたり等の、自分に出来る事をやるだけで精一杯だと思う。
▲4 ▼1
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もし自分が人命救助した後、自分が死んでしまった場合は嘘とかはいらないけど 美談にして欲しい。 そうすれば子どもも私のお父さんは立派な人だったと誇りをもってくれるだろうし、親より先に死んで親不孝ではあるが両親も育て方を間違ってなかったと感じると思う。 併せてもっとこうすれば全員の命が助かったという情報も伝えて欲しい。
▲58 ▼8
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震災でも火事や事故何でもそうですが救助するというのは何があっても失敗は許されないと救急隊員が何かのインタビューで答えてました。もちろん不測の事態で救助困難と判断したら撤退ありますが、人命救助よりも大事なことは自分の命であるとも言っておられました。 目の前で溺れている人がいて、自分が泳げない場合は他に助けを呼ぶのが正解。救助は漫画やアニメと違って命を掛けてやるものではない。言い方は冷たいかもしれないそれが現実である。
▲38 ▼5
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各種メディアの人たちとは少し取材対象として接したことがあって、特にテレビの人は撮りたい画がプロデューサーさんの中で先行しちゃってる感じにあまり良くない感覚を受けました。 出来上がった番組は素晴らしかったんですが、あまり出たくないなという印象が残っています。
▲1 ▼0
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数年前、よく通っていた場所へいつものように夜釣りに行こうと準備をしていましたが、その日は疲れからか少し眠気があったので気が乗らなくなってしまい行くのをやめてしまいました。 次の日起きて何気なくテレビでニュースを見ていたら前の日に行こうとしていた場所、しかも行っていれば確実に遭遇した時間に車が転落して乗っていた方は亡くなったそうです。 もし釣りに行っていたら自分はどう行動していたのだろうと今でもふと考えてしまう時があります。
▲3 ▼2
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とにかく救助者が命を落とす二次被害は絶対に避けないといけないです。 川で人が溺れてる場合、着衣での古式泳法でも会得してなけりゃまず助けられないでしょう。119または110に電話して大声で人を集めて、服を脱いでつなげてロープ代わりにするとか陸上で救助を考えたほうがいいです。
▲4 ▼0
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昔、海で溺れた子供を助ける為、兄とその友人が海に飛び込んだ。 子供と兄の友人は亡くなり、兄も生死の境を彷徨った。 目覚めて友人と子供が亡くなった事を知った兄は、誰も助けられなかった事を悔しがって泣いた。 その事は兄が亡くなるまでずっと、兄の心の傷になっていた。 あの出来事から40年以上経つ。
▲3 ▼0
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東日本の震災の直後2日くらいは、逃げなかった方や戻ってしまって逃げ遅れた方が巻き込まれたとの情報が流されていた。 しかし、犠牲になった方が増えるにつれ、口にするのは憚られるようになった。 実際、知り合いの方のご家族は一番到達が早い地域の海辺にお住まいだったが、幼い頃から気を付けろと伝えられていて、早々に逃げて皆さん助かったとのお話だった。 いつの時代も被害が大きくなったり被害者に配慮しようとして、口にするのは憚られるようになり、正しい対処も風化しやすくなるのではないかと思う。 部外者からは言いにくい事を、当事者の方が声を上げてくださるのは、非常にありがたい。 しかし報道する側は、自己保身や視聴率確保のための、冷静沈着でない偏った情報を、煽るように捲し立てるキャスターを使って行うなどの、子供じみたあり方はいい加減なくしていってほしいと思う。
▲18 ▼0
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水難救助で自分が助けに行くのは最後の手段。 それくらい危険な事だという事も含めて、水難救助の講習を受けた時によく言われた。
一方でワイドショーやメディアに担ぎ上げられてる絆とかを重んじるアピールするような人の中には、 自ら助けに行くことが優しさ、正義、人は皆こうあるべきみたいに、助ける方法にこだわった話をしたがる気がする。
▲216 ▼23
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私は東日本大震災の時にニュースで高台に逃げてきた人達の所に一人の女性がかけよってきて、寝たきりのお父さんを助けてくださいって言ってきたらしい。みんな戸惑ったらしくて、奥さん達は行かないでくれって言ったらしい。でも手を引っ張って泣くから数人の人が避難させに向かったんだって。 そしたら、寝たきりのお父さんも助けに行った人たちもみんな津波にのまれて犠牲になったらしい。娘さんは助かったみたいだけど。 私はそれ見ててまじ、ないなって正直思いました。 批判されると思うのですが私は常々、主人に川とかで子供が溺れてても自分の家族の事を考えて欲しいっていってます。
▲32 ▼3
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TVで見た水難事故ですが、幼児と父親がと海釣りにやってきて幼児が転落してしまった。父親はパニックで助けを求めるばかり。居合わせた女子学生数名が連携し、一人は自ら海に入って幼児を助けました。海に入った子は親が漁をしていて心得があったそうです。しかし自分は幼児を海釣りにつれてきて転落という事態になったうえにパニックとなって他人に助けを求めるような父親の姿にほとんど憤りを覚えたし、美談として報道するべきじゃないと思いました。
▲97 ▼12
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個人情報保護法はどうなっているのか? 報道する前に警察やマスコミなどから了承の電話など入らないのか? 私も似たような経験がありますが、 警察から報道に流して良いか?と電話が入り30分以上の問答の末、報道しない事となった。 「再発防止として」が報道許可が欲しい理由だったが 「報道後のプライバシーを警察が守ってくれるのか?」と聞いたら明確な返答が無かったのが理由です。 逮捕者も居ない不慮の死亡事故でしたが、報道の在り方に疑問を感じます。
▲64 ▼6
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時代が変わって来ているという事だね。昔は戦争なんかもそうだけど誰かのためお国のためって感じだった。けど今はネットが普及して頑張って働かなくても良い制度や生き方がある。色んな考えがある以上、自己犠牲というものの価値観も大きく変わって来ている。
この奥さんは亡き旦那さんに対して怒ることも出来ないし、凄く気持ちの整理は難しいだろうなと思う
ネットやる側としては、この奥さんや旦那さんを批判する事は書くべきでは無いね。それに正当性があるかはさておき、誰かを傷つけるかもしれない言葉は使うべきじゃ無い。綺麗事だけど自分はそう思う
▲81 ▼19
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溺れている者がいてソレを見て助けに行った方、 たしかに並大抵では無い勇気と度胸が必要です、 お亡くなりになったと言うのは残念ですが、 残った者が出来る事と言えば、 その場所、その事故の経緯と反省と改善、 そしてその方(英雄)に対しての敬意(話)では無いかと思います、 たしかに残された方々には現実があります、 そこを触れてほしく無い気持ちもわかりますが、 それでもこの事故の教訓を残す為、 人の記憶に遺す話として、 英雄と言う方が必要なのでは無いかと思います。
▲6 ▼1
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殺人事件が起きた時も、被害者にはこんな夢があっただの、優しくていい子だった、だの悲劇を際立たせる情報を集め笑顔で微笑む写真を使い痛ましさを強調する。ああ言った報道をもし遺族が見たら心臓えぐられるように辛いだろう。マスコミは「センセーショナリズム」いかに視聴者の気持ちをざわつかせるかしか考えていない。もういいかげん社会的影響力を意識して報道してほしい。
▲138 ▼10
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軍神だって卑怯でも逃げて生きていて欲しかった話ある、しかし命は本人のものであり社会的なものでもある。英雄とされて迷惑だとまで言っては社会として助け合い道徳を維持できない。義援金だってそんなものより美味いもの家族で食べようとなる。栄典上は国の工夫求めたい。基本的に人命救助は紅綬褒章賜与さる。しかし本人死亡すると銀杯になる。また果敢に救助取り組みも相手死亡すると無効となる。昭和中頃は踏切立往生の人を助けても賜与が近年聞かない。人命安くなったか? 大久保の泥酔ホーム転落者救助の日本人韓国人を覚えている人もいるだろう。結論として全員死亡ため救助失敗とし栄典ならなかった。道徳としておかしいと思う。因みに韓国人遺族は募金活動して集まったお金を基金に日本留学支援活動しているという。遺族としての生き方にも高貴はある
▲7 ▼5
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難しいですね。助かった子に恨みがあることをそのまま報道することが本人の為になるかというとそんな事ないはずで、それをネットで非難されて、悲しい状況から更に追い討ちとなることもあります。 メディアはメディアの都合で改変、切り取りする事を頭に入れた上で取材を受けるか、厳しければ取材を受けないとした方が良いと思います。
▲19 ▼0
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私は自分の子供に「溺れている人を絶対に助けにいかないでね。浮きになるものを投げたり通報したり人を呼ぶことで対処しなさいね」と教えています。 うちの子は泳げる方ですが、ちょっと泳げるくらいでは人は助けられないこと、助けに行って死亡する例がいかに多いかを伝えています。 そして、私には見ず知らずの人よりあなたの方が大事なんだとも伝えています。 昔、友人のお父様が溺れた人を助けて亡くなりました。かなり泳げる水に慣れた方でしたが、それでも亡くなりました。その時、溺れて助けられた人達はかなり水深のあるところまできてたんですよね、溺れて誰か死者がでる=おかしなところで泳いでいるとも言えます。 私はこの女性は批判を恐れず素直で立派だなと思いました。子供達がそんな場所で溺れなければ愛する夫は死ななかったし、自分も苦労しなくてよかったんです。 正義感は素晴らしいですが、美談ではごはんは食べられません。
▲12 ▼2
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水難事故の場合、目撃者を2人見つけて「目撃者のいた位置」「溺れた場所」を結んだ線が重なる場所を基点として捜索を始める。 無理に行動せず、通報してじっと目撃し続けることも重要。
▲40 ▼7
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そのお陰で皆が無事なら、よく助けてくれた!と賞賛される事なのだろうけど、やはり「原因」が無ければ危険にさらされる事は無いわけですからね。
あまり賞賛してしまうと、「もしそんな場面に遭遇したら自分も身体を張って助けよう!」となりかねない。
「良い事」「悪い事」を視聴者に植え付ける報道。
報道は、視点の違いで人を傷付けたり危険にさらしたりする凄く難しく、恐ろしいものだと思ってる。
▲1 ▼0
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改めてご冥福をお祈りいたします。岡隆司さんは溺れている少年を助けたい。自己犠牲払ってとかそんな気持ちで飛び込んだわけではないと思います。ただ助けたい気持ちで無我夢中で飛び込んだでしょう。結果命を落としましたが、岡隆司さんの勇気ある行動は讃えるべきだと私は思います。
▲18 ▼2
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何の影響かわかりませんが日本人って自己犠牲が好きですよね。 一度自己犠牲で家族の借金を背負った私が言うのもですが、自己犠牲は良くないです。 自分が生きていれば助けられる人や命がどれだけあるか。自分の命や人生の価値も判っていないといけません。 父親として我が子を救ったことは本当に凄いと思います。 でも遺族からしたら家族の一人が亡くなったという事実だけで良い事でも何でもないはずです。父親だって死ぬつもりなんてなく子供と生還するつもりだったと思いますし、家族の誰一人として欠けてほしくなかったのにそれを良い事のように報道されたり、残された家族は美談によって傷を蒸し返され続ける。 この綺麗事の強要とも取れる人の死を美化する類の美談はメディアは慎むべきです。
▲149 ▼77
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阿部さんの事は当時新聞で知りました。 漂流時の事を聞かれ「星がきれいでした」と答えたのを読んで、強制収容所から生還したフランクルの書いた、辛い境遇でも夕日の美しさに感動した囚人たちのエピソードと重なり感銘を受けましたが、私も美談報道に酔ってしまった方なのかなと思いました。 記事の最後の言葉を読んで、何と立派な大人になられたのだろうと、また感銘を受けました。
▲105 ▼60
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救助というものは、プロだろうがアマだろうが自分(助ける側)の命を最優先に行わないといけないもの。 例えば、消防では軽量鉄骨の一軒家が火事になった場合、消防士は家の中には入らないらしい(例え中に人がいても)。鉄骨の家は火事でいつ潰れるかプロでも分からないから。 川で子供が溺れているのを発見した場合は、警察や消防に即座に通報。これがアマチュアの正しい対応。それ以上する必要はない。
▲13 ▼2
=+=+=+=+=
人が人を助けるために命を落とすことが『美談』でなければ何がビダンなのかな? 勿論、残された遺族は辛く悲しく寂しいだろうし経済的にも大変だとは思うが、そんな正義感だったり行動力も含めて愛した人だったのではないのかな? 水難救助の難しさは昭和の時代から言われてた事で…助けようとして亡くなってしまわれたほとんどの方もわかってはいたはずだと思う。 結果は残念だがヒーローだと思います。
▲1 ▼2
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何も知らないと報道だけで、そうなんだ〜こんな事があったのか〜と思い込むだけで当事者の方の考えや想いまで感じ取れない事が問題なのか?報道関係には疎いので良くわからないけれど、同時に危険区域には入らないように子供に伝えたり避難の大切さも散々報道から得ている部分も有る難しいですね
▲2 ▼0
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東日本震災のとき津波が襲ってくるときの映像で4人がかりで一人の高齢者を救助していたがちょうど建物の影で見えなくなったところで水が押し寄せたビデオを放送していた。 見間違いかもしれないが5名はどうなったんだろう、一人のために4名が犠牲になっていないだろうかといろいろ考えてしまった。 5名とも無事であればそれにこしたことはない。 僕はほぼ泳げないので水の中の救助なら棒とかひもなどでしか手助けできない、自身をしっているので飛び込むことはしない。 どんな美辞麗句よりも家族が無事である方がいい。
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
本質的な問題はなぜ子どもが溺れていたか、その対策が必要であり、周知が必要に思います。旦那さんが、溺れていた子どもを見た時に、冷静に救助を待ってただ見ていた事が出来たかはわかりません。人はロボットではないので、マニュアル通りに動くかは別問題だと思います。
▲6 ▼1
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そうは言っても、「救助死は危険な行為だ!」とだけ報じたら、まるで亡くなった本人が無謀だと非難されるような構図になるでしょう。 それはそれで遺族を苦しめるのでは?
戦死と同じで、それが立派な死なのか、無駄死になのか。 遺族の気持ちは複雑で、時間によっても変わってくるので、完全に寄り添うには無理がある。
立派でもあり、無謀でもあり、 どちらの側面も報道した上で、ご遺族には「同情するなら金をくれ」を実践して、美談の代金をクラファンとかで支払うシステムはどうだろうか。
他人のために家族が死んだら、そんなのどう考えても納得できる答えなんかないと思う。
▲35 ▼7
=+=+=+=+=
消防士や救急救命士はいろんな事態のパターンを考えて、日々、実践的な訓練をしているといえるが・・・素人は生命の危険がある「事態」に遭遇したら、一呼吸してから行動に移すべき判断が安全といえるかもしれない。 鉄棒に120秒間程度ぶらさがれる体力でもなければ、海や川、山での人助けは無理といえるでしょう。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
女子供は助けるべき!と刷り込まれた男性にはこういった事態に陥る可能性が高い。危険を省みず自己犠牲してまで助ける事を美化する事はこういった風潮に拍車をかけている。寧ろこういった事態に遭遇したらどうしたらいいか?の議論を報道すべきだし、防止抑制方法を検討提案する方向で報道して欲しい。ある意味そういった対策がなされない事で救助した人が亡くなった悲劇の報道こそ必要だった。
▲1 ▼0
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友人の祖母は小学校教師だったそうですが、ある日用水路に転落した生徒を助けようと水に飛び込み、生徒の救助には成功したが自らは命を落としたそうです。 当時は今ほどマスコミも煩くなく、地元限定で英雄視されてるそうです。 教鞭を取っていた学校には、記念の石碑が建っているとの事です。
閲覧数稼ぎの犠牲に成るのはなんだかなぁ~と思います。
▲4 ▼1
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昔、もうタイトルも思い出せない、俳優も思い出せないけれど映画がありました。医者を死亡していた息子さんが溺れていた少年を助け、死亡、残された両親の元へ毎年助けられた少年は挨拶に訪問。しかし、その少年は息子には似ても似つかぬ男で小太りに背が低く眼鏡の容貌。帰った後、父親が「なんであんな奴が生きてて、〇〇(息子の名)は死なないといけなかったのか」と愚痴る。こういう事件があると毎度思い出します、、、
▲57 ▼39
=+=+=+=+=
メディアが美談を求めるのは、それを視聴者が欲しがるからに他ならない。 東日本大震災でも、若い女性公務員が自動車に乗って、避難のアナウンスを拡声器で続けたが、津波に巻き込まれて亡くなった。 この時も、命を投げうって、救命活動をしたとの美談として報道されていた。 実際には、津波がどの程度近づいているのか分からないまま、上司の命令で現場に行かされ、そのまま亡くなる羽目になったらしい。 日本のみならず海外でもそうかもしれないが、やりきれない事件や災害が起きた際に、少しいい話を入れて、視聴者に心の安寧を提供しようとする。 そういうものに、視聴者は理不尽な現実に対して、カタルシスや救いを求めるのかもしれない。 2時間のサスペンスドラマでも、最後は崖のシーンで、犯人が犯行を自白し、崖から飛び降りておしまいとなれば、視聴者がスッキリして観終われるのにも似ているともいえる。
▲10 ▼6
=+=+=+=+=
メディアはとにかく世間を煽って、自社の記事を読ませ、それによってどれだけ広告料が儲かるかしか考えていない。 他人が死のうが、不幸になろうがそんなものは全く意に介さない。 それが答えであって、それ以上でもそれ以下でもない。 迷惑な取材を行っている連中は、逆にその行動を映像に収め、世間にさらして煽り返えすことが防御策としては良いかもな。
▲25 ▼3
=+=+=+=+=
日本の“オールド”メディア特有の報道が美談だろう。 どんな悲惨な事故や事件であっても美談があれば、それを押し込んでくる。
東北や能登の震災の報道で感じたのが、泣けるネタの連続で、日本人の困難に耐える健気さばかりが強調されていた。 逆に云えば、現状の問題も将来的に課題になってくることも他人ごとである。
犠牲になった人や社会すら視聴率のようなものの生贄でしかないという印象が昨今いっそう強い。
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
プールや海や川で遊ぶのってそんなに楽しいですかね?泳げますが全然楽しいと思ったことないです。極論かもしれませんが、プロ以外がむやみに水のあるところで泳ぐもんじゃないと思ってしまいます。娯楽目的で遭難するような山奥に行く、溺れる可能性がある海や川に行く…自然をなめて迷惑かけるような遊びはやめてほしいですね。
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
救助する時、なぜ一緒に亡くなってしまうのか。 主な理由はたとえ泳げても、生命の危機に瀕した要救護者がとにかく動いてもがき、その重さは想像を絶するらしい。プロのライフセーバーでも手を焼く事を、ただ泳げる一般人だとどうなるか想像に難しくない。
そういう時は冷静に浮き輪を投げ入れたり、その浮き輪を持っていく方がよっぽど安全。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
美談にでもしなきゃ受け止め切らないって部分もあるんじゃないかなぁ。子どもが溺れて飛び込まない親なんてあまりいないだろうし、だからと言って正しい選択とは限らない。仮にその事故場面が鮮明になったとして、「それなら飛び込む必要がなかった」という声に溢れてもなぁ…とも思う。どちらにせよ胸が痛い話で、せめて親として代わることが出来て良かったね、ぐらいしかかける言葉が見つからない。
つまりわざわざ思わず声を発してしまうような、こんなツールが不要なのかも知れない。情報が入るだけで十分ではないだろうか。
▲2 ▼3
=+=+=+=+=
自己犠牲で他人の命を救う行為が美徳であることに疑問の余地はないと考える。 遺族にとっては悲しいことには違いないが、記事が問題にしているのはメディアによる遺族の意に沿わない個人情報や人となりの暴露やエンタテイメントに仕立て上げることであり、自己犠牲自体を批判したり他人の命の危機に見て見ぬふりをすることを正当化するコメントが散見されるのは悲しい。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
その方の人となりより、どのような状況だったのか?が知りたいですね。なぜ小学生2人は生還できたのか、何故助けに行った人が亡くなってしまったのか。目の前で小学生が助けを求めていたら飛び込んでしまう人はこれからも絶対出てくるはず。
見殺しにするしかない場合はそうしましょうなんてマスコミは報道できるわけもない。難しい問題だと思う。
公平で意味のある報道にするには、私達受け手が過剰に反応したり、極端な感情を気安く発信したり、深い考察も無しに意見を述べるような事がないようにすることが前提条件になると思う。
▲2 ▼2
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歩いても歩いても、という映画を観た時に、息子を失った母親の正直な気持ち、と思った。 愛する息子が救った子供だから、毎年の命日に拝みに来て欲しい、と思う気持ちもさることながら、将来を期待していた息子が救った命の子供に対する、立派な人になって欲しいという圧は分かる気がした。もういいじゃないの、と他の家族が言っても、許すではなく、誇れる人であって欲しいと思う気持ち。 息子の死を無駄に思いたくない、のだろうと思った。
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確かに美談報道に違和感はあるが、批判しているAmebatimesにしても専門家の意見を掲載しているだけで、その意見にしてもこれからどんな報道にすればいいのかも曖昧だ。批判だけなら誰でもできる。 個人的な感想を言えば 水難事故の場合はまず自分の安全を確保してから助ける方法を考える事を広報すべき。咄嗟に溺れている人をみると思わず助ける(特に我が子の場合)のが人間の性ではあるので、特に団体行動の場合指導者は毎回呼びかけるべきだ。 奇跡の救助で助けられた高校生は、マスコミへの違和感より自分の反省点と助けてくれた救助隊への感謝のみを口にすべきだったと思う。奇跡の救出は被災者を勇気づける面もあるので報道を一概には否定できない。
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私は、物事には必ず光と影両方が存在すると強く認識して生きている。メディアは派手でないものには目を向けないし、こういう報じられない問題が必ずある。それを知ることこそ人間として大事であると思うから。
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おっしゃりたいことはよく分かります。ただこの世の中の報道でそこまで考えた報道は一切ありません。メディアには無謀に救助に向かった人と言われるよりは、命を投げ捨てて助けたと言われる方が名誉ではという考えがあるのかと思います。たぶん何も報道されなければご主人は、命をかけて子供を助けたのにと思われたのでは、助けずに川岸から見ていたならまたそれはそれで言われたでしょう。ご主人の為されたことは本当に立派な勇気のある事なのは間違いないです。でも何かを批判したくなる気持ちはよく分かります。
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マスコミやジャーナリストは本来商売であってはならない。仕入れた食材を料理して綺麗に盛り付ける飲食業みたいだ。私も仕事の取材を受けたが、言ってもいない事を記事にされ、勝手に標語みたいなものを作られた事がある。しかも、事件、事故ともなれば、取材を断っても取材するのだ。自覚を持って欲しい。
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今でも忘れられない報道とネット世論(ヤフコメ含む)がある。 6年くらい前に新幹線でナタを持った男が女性を襲って、その女性を守ろうとした男性が命を落としてしまった事件。 その際、ネット世論は亡くなった男性を称賛する声で溢れていた。それだけならまだ良い。
だが、ネット世論は次に、その男性を見殺しにしたとその男性を助けなかった周囲の人間、特に男性たちを責め始めた。 だが、なぜ現場にいない赤の他人どもに、周囲の人たちが責められないといけないのか。 周囲の人たちが自分の命を優先したことの何が悪かったというのか。
自分の命がなくなるということは、自分だけの問題ではない。親がいれば悲しむだろうし、子どもがいれば彼らの教育をどうすれば良いのか頭をよぎるだろう。 それらを考慮したうえで自分の命を優先することも、一つの勇気ある決断だったと思う。 マスコミだけでなく、世論も無責任な言説は控えるべきだ。
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人助けは確かに美談ににりやすいですよね。 最近では水難救助で功労賞が授与されたと言うニュースでも、コメント欄では救助者の二次災害に合う危険性、正しい救助の仕方やプロに任せた方がいいケースを強く訴えるコメントが増えて来てます。 助けられた側も美談化されても嫌だし、助けた方が亡くなった場合にはかなり複雑だと思う。 報道側はどちらにも寄り添ってない。 私だって人助けはしたいけど、息子達の命が一番大切だから…。 なんとも言えない複雑な気持ちになる。
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難しいよ。事故が起きた原因は、溺れた子供たちの危険地帯立ち入りという、ルール違反と子供たちの親の教育の甘さが直接の原因。 原因を分析報道すると、溺れた未成年やその家族を間接的加害者としないといけないから、美談として加害者を隠す必要がある。意図的ではなく無意識でしょうけどね。 加害者が未成年の場合や、天災等政府の事前対策でも完全に防げない場合、どうしても英雄的行動をとった被害者は美談になってしまう。
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前から言っているが 警察や消防の報道を 事細かく記事にする事が散見されるが 匿名であっても 遺族の了解が必要と感じる オールドメディアの 文章作成がひどい。災害時に人数だけだいたい被害状況が分かるもので 個別の案件で匿名であっても晒すのは酷いもの。匿名であっても 取材費を払って了解を得て書こうではないか。
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世論も美談化を好みますからね。 昨年の羽田の事故でも、
・パイロットの懸命な操作で滑走路を大きく逸脱しなかった ・CAがマニュアルにも無い緊急事態の中、自らの気転と行動力で乗客を救った
このようなストーリーのコメントも未だに目立ちますが、事故調査の中間報告によると真逆で、衝突の瞬間操縦系統は全てダメになり、むしろ中途半端にブレーキや逆噴射が作動しなかったおかげで衝突後も真っ直ぐ進めたと報告書は評しています。 CAに関してはマニュアル外の事象に対する気転ではなく、これらが全てマニュアル化された範疇のアクシデントであり、一言一句マニュアルを再現するかのような正確なマニュアル通りの動きを日頃の訓練で身につけていることこそ賞賛されるべきことです。 美談化されたストーリーよりかは若干ドライに見えるかもしれませんが、事件事故は事実を元に議論したいところです。
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美談仕立てにしちゃうのは、そういうストーリーがあった方が数字が取れると思われているからですよね。 正義のヒーローや御涙頂戴大好きな腹ペコがターゲットだから。 報道は事実だけを淡々と出すだけでよいと思いますが、コメンテーターを置いて尺とってワイドショーしようとすると、どうしてもエンタメになっていくし、ストーリーがあるとわかりやすいからと、どんどん恣意的になりがち。 そういうのに釣られないリテラシーを、数字に貢献しない意思を各々が持てたらいいんでしょうけどね。
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竜とそばかすの姫でも主人公の心の葛藤がありましたよね。 なぜ、私を置いて他人の命を助けに行ったのか。 共に助かればヒーローですが、救助者も亡くなってしまっては、置いていかれた家族乃気持ちは、怒りはどこへ向えばいいのか。 美談にされればされるほど、家族の葛藤との乖離がうまれますよね。
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法政大学で女性が暴れた事件で後ろから取り押さえる男子学生がいないのかとコメントありましたが極力避けてください。 怪我しても警察官や警備員は労災やら保険がありますが学生にはありません。治療費も実費だし相手から取るしかないのです。 万が一加害者から大怪我されたと訴えらたら大変です。 やれる事は避難して速やかに110番なりして公権力に頼ってください
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日本のニュースは「バラエティ」になってるしね半分。 CM跨ぎとかの引っ張りとか鬱陶しいし、中身の内容も素人が撮影した映像を流せばすぐ分かることを、ナレーション付のスローモーションとカット編集で何度も行き来して結論に行くまで冗長なことこの上ない。見てられない。 CM流してスポンサーいるからどうしたって視聴者意識してやるしかないんだろうけど、日本の報道のレベルの低さたるや、昨今の報じるべきことをスルーしてどうでもいいことばかり繰り返しやる体制とか、ほんとため息出る。
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この記事を読んで、私自身もはたと気づきました。 私は、自分が読みたい記事しか読んでいない。 私のような人間が多いから、読みたいと思われるであろう記事ばかりがよに溢れる。 それが、社会の発展に寄与するはずがない。 まずは、自らの知識レベルを上げること。社会を見つめる目を養うことだと思いました。
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>本来、伝えるべき防止策や救助のあり方ではなく、幼い子を持つ父親が命をかけて他人の子どもを助けた。その行動を讃える報道ばかりだった。
これは考えるべきこと。さらには、美談の話だけはなく、他の犯罪とかの報道でも同じで、なんなら報道側よりも受け手側にも問題があると思う。
飲酒運転、性的暴行、虐待などの報道のとき、「加害者への批難の声」「被害者への同情」が圧倒的に多い。それに対して、防止・改善・是正についての意見は少ない。
懲罰感情はわかるけど、そのざわついた感情を解消したところで何かが良くなる可能性は低い。残念ながら起きてしまったことはもうどうしようもないのだから、被害者の犠牲を無駄にしないためにも未来に活かすことにエネルギー全振りしたほうがいい。 被害者に対しても、「同情するなら金をくれ」という話で、同情するならもっと犯罪被害者の社会的支援について問題視すべき。加害者への怒りよりも。
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少し違う視点ですが、事故とか事件の被害者の家族方がマスコミに出たり一般人に対して講演をされる方が居ますよね。拉致事件の横田さんや池袋の事故の松永さんなど。率直に凄いと思う。被害者の家族の方は、事件や事故が無かったら講演をする事はないと思うから。そういう事件や事故が無いようにと言う思いだろうけどね。
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それが仕事だから仕方ない面はありますね。美談とは言えないまでも誰も気づかない物語が隠れていたという類の話は人間は大好きです。ドン底からの大逆転とか奇跡の生還、悪魔といわれた人物のちょっとした思いやり、大富豪の転落人生。こんな真逆を表す物語は人間の大好物です。需要があればプロはどんな形にでもします。それが功を奏することも多々ありますし、記事のように全く配慮なく迷惑極まりないという勘違い記事も生まれます。そう考えるとこの方のように「あれは全く美談ではありません。」とその都度伝えていく意外にないのかなと思います。どんどん発信して真実を伝えていくべきですね。
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助けたい気持ちはわからないでもない。 でも自分の子供ならまだしも知らない子のために命を落とすのは、残される家族のこと考えるべきだと思う。 いち早く救助を呼んだ方がいいよね。 正義感が強いのも考えものだったりするときある。
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赤の他人の命を助けるよりも自分達家族の為に生きていて欲しかったと言うのが本音だろうね。 当たり前の感情だし、俺が同じ立場でも恐らくそう思う。 何でもかんでもお涙頂戴の物語にして亡くなった者の人物像自体が歪められてしまう事もあるから遺族としては辛いはず。
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アメリカ発の水難救助の講習を受けた者から言わせてもらうと、溺れている人を助けようと水に飛び込んじゃダメって最初に習うんですよ。だから、溺れた子どもを助けようと水に飛び込んで溺れ死んだと聞くと、なんだかなあという気分になります。だから私が記事を書けばこういう案件は美談にはなりませんが、ネットで叩かれるかも。講習を受けたのは30年前なんですが、飛び込まないってことがいまだに一般常識にはなってないようです。こういった啓蒙が足りていないというところがマスコミの責任かも。
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正直言って、命をかけて助けるのは家族だけで良い。赤の他人を命をかけてまで助けなくていいのよ。特に水難事故は実際に助けに入るのではなく助けを求めに行くことに徹底したほうが良い。
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視聴率至上主義になるのは、広告料で稼ぐため。それは現実的で至極仕方ない事。会社には従業員を養っていく責任があるから。でも、現状をありのままに報道するのが本来の姿であることは確かです。最近自分はあまりTVを見ないようになりました。 人命救助については、日頃常に備えて訓練されている自衛隊、警察、消防、ライフセーバーの方々などに任せるべきです。どうしても助けたい気持ちは誇れると思いますが、大事なのは今の自分にそれだけの体力や技術などが備わっているかどうか。救急法や救命士などの資格を最低でも取る事を目指して勉強や体力づくりをし、資格が取れたらやっと少しは出来るかも?状態にはなれるよう。被害者が出るという事は、それだけの現場であり、自分自身さえどうなるかの判断も必要で、それは経験を積むしかない。と、ボランティア活動をしていた時(阪神淡路)に自衛官や警察の方々から聞いたのを教訓にしています。
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学校でも会社でもそうだが、なんでも意味を持たせようとし、意味のあることが重要だとする安易な考え方で育った結果だろう。 特にこういうマスコミに似た経営者の会社はブラックな環境になりやすく、その元で働く社員は余計なことで悩み、精神的に病むことが多いと思う。
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結局は報道側の作った感動ストーリーになぞらえて事実は取捨選択され遺族の本音は隠される。
報道側の目的は如何に視聴者の心をくすぐるか、その感動ストーリーの続編も練りに練って考えてると思う。
そこには遺族の本心や意向なんてものは無視される。
だって視聴者を惹き付けるような感動ストーリーにならない材料は必要無いから。
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すごく気持ちはわかるんですけど、目の前に溺れてる人がいて、目が合って「助けてー!」って言われたのに見捨てて底に沈んでいったら…たぶん一生苦しむよ。どうすれば助けられたか?って毎日思うし、夢にもみるでしょう。どっちにしても地獄。だから、無茶な水遊びは本当にしないでほしい。
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残されたご家族にしてみれば、やはり生きていて貰いたかった、一緒にそばにいて欲しかった…その思いが1番なのだと思う 大切な人の死は自分達で整理をつけて受け入れていきたいのに、負の感情もあるのに、勝手に世間に美談として解釈され、押し付けられる
マスコミはネタがあれば商売だから飛びつく。観る側はそれを感情だけでなく冷静に捉える目が必要だと思う
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溺れてる人を見つけた時の正解が分からない。 浮く物(ペットボトル等)を近くに投げる。助けを呼ぶ。あとは死を覚悟して入水 or 見殺し…。助けに行ったつもりが自分も巻き込まれる可能性が1番可能性大。見殺しにすれば100%失わずに済む命がある。みんな自分が死ぬつもりで助けに行く人はいないと思うが、結果死亡するケースが多い。分からない…。
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自己犠牲による救命が美談かといえば、その志は本当に立派ではあるが、今回のように悲しい結果となった場合を美談と報じるのは他人事だからに他ならないからだと思う 残された当事者の身になれば本当にお気の毒な話であり、決して美談とは言えないだろう
メディアはニュースを販売しているわけだから売れるように加工するだろうし、報道される側にどんなニュースにしてほしいのか選ぶ権利もないのが実態だ
今回は誰も責められない話だが、刑事事件で恣意的な報道をされたなら「ペンの暴力」に繋がる重大な問題だということをメディアは忘れない必要がある
困っている人を見かけたら助けたくなるのは当然だが、今回のように自分の身に危険が伴う場合は、まずは立ち止まって最善の策を考える必要があることを広めるのもメディアの務めではないかと思う
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おばあさんの家にご飯食べに行ったとき震災に遭い、家ごと流されながら屋根に出て地元の警察官に声が届き救助されたこと覚えています。しかも自分よりおばあさんを気遣っていたと報道されて感動しました。 脚色されていたり後悔することもあると思いますが、その時の若い警察官が初めて救助ができたとすごく感動していたという話もありました。避難しなかったこと悔やんでいますが、当時は大半の人が津波の被害がそこまでとは想像できなかった。責められません。 水難事故については難しいです。 人には予期せぬ場面に出会うことがある。旦那さんが通報しているうちに、全員亡くなっても責められることではありませんが、自分を責める一生になったかも。正解はわかりません。
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