( 248268 ) 2025/01/12 16:36:09 2 00 率直に言う 「ローカル線維持論者」への社会的配慮は要らないMerkmal 1/12(日) 12:11 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a09cffa48832a05b67af165f53e094cd5aedce40 |
( 248271 ) 2025/01/12 16:36:09 0 00 ローカル線(画像:写真AC)
地方のローカル線の存続を巡る議論は、長年にわたり続いている社会的な課題だ。
地方の交通手段が限られるなかで、ローカル線の必要性を主張する声が強い一方で、それに対する反論も根強い。議論の背景には、ローカル線が地域の活性化にどれだけ寄与するのか、そしてそのために投入される公共資金が本当に効果的なのかという疑問がある。
「ローカル線を守るべきだ」
とする意見は、地域の文化や住民の生活を支える重要な役割を果たしていると語られることが多い。しかし、この考えに全ての人が賛同するわけではない。特に、維持費用やその効果に関する問題が議論を複雑にしている。
本稿では、ローカル線の維持に対する社会的配慮が過剰であるとする視点を提起し、その配慮が本当に必要なのかを掘り下げて考察する。
ローカル線(画像:写真AC)
まず、ローカル線が地域社会において果たすべき役割を考えてみよう。
かつて、地方の住民にとっては欠かせない存在であり、地域経済を支える物流や通勤、通学の手段として重要だった。しかし、地方の人口減少が進む中で、利用者数が減少し、ローカル線の維持が経済的に難しくなっている。
維持するためには、多大な費用がかかる。鉄道会社は線路のメンテナンスや車両の維持、運行に必要な人件費など、数多くのコストを負担している。その一方で、利用者数が減少している現状では、採算が取れない状況が続いている。この点が、「ローカル線を守るべきだ」という主張が成り立つのかという重要な問題となる。
ローカル線を守るためには、公共資金が投入されることが少なくない。自治体が助成金を支給し、運行維持のために支援する場合もある。しかし、このような公共資金の投入が本当に地域にとって有益であるのかには疑問が残る。限られた公共資金を他の重要な施策に振り向けるべきだという意見も少なくない。例えば、
・教育 ・医療 ・福祉
など、地域住民の生活に直結する分野への投資が優先されるべきだとする考えもある。
ローカル線の維持に向けた資金投入が、地域の他のインフラやサービスを犠牲にする可能性もある。その結果、ローカル線の存続を支えるために使われる公共資金が、より緊急性の高い社会的ニーズに回されないという問題が生じている。
ローカル線(画像:写真AC)
ローカル線の維持が本当に必要かを判断する際、最も重要なのは利用者数の実情である。鉄道が経済的に自立するためには、十分な利用者が必要だ。しかし、多くのローカル線では利用者数が減少しており、特に地方では高齢化が進み、若年層の人口流出が続いているため、回復が難しい状況だ。
維持するために多額の資金を投入することが経済的に正当化されるかどうかは重要な問題だ。その投資が無駄になり、地域経済にマイナスとなる可能性もあるためだ。
議論が続くなかで、代替手段を検討することも重要である。例えば、バスなどの公共交通手段が、ローカル線に代わる選択肢となる可能性がある。バスは鉄道よりも柔軟に運行でき、需要に応じた運行が可能だ。また、自動運転技術の進展により、さらに効率的な交通手段として期待されている。
さらに、鉄道の維持に依存せず、地域住民の移動手段を提供する新しい形態の交通システムの導入が考えられる。例えば、地域密着型のカーシェアリングやライドシェアサービスなどが、低コストで効率的な移動手段を提供できる可能性がある。
ローカル線を守る声がある一方で、その維持が社会全体に対して負担となることもある。特定の地域住民にとっては重要な存在かもしれないが、それが全国的な利益にどれだけ寄与しているかを冷静に見直す必要がある。
維持するためのコストが、社会全体にとって
「迷惑」
となる可能性があることを認識すべきだ。公共の利益を最優先に考え、資金やリソースが効率的に活用されるべきである。
ローカル線(画像:写真AC)
「ローカル線維持論者」への社会的配慮が不要な理由は、経済的観点だけでなく、
「社会全体のリソース配分」
においても明確である。ローカル線を守るために公共資金を投入することで、他の緊急かつ重要な社会的ニーズに対して無駄な負担をかける可能性があるからだ。
地域の一部の人々にとって必要不可欠なインフラであることは理解できるが、そのために全国民が負担を強いられるべきではない。むしろ、ローカル線に代わる効率的で柔軟な交通手段の導入を考え、より合理的な資源配分を行うことが求められる。
ローカル線の維持に過剰に配慮することは、社会全体にとって無駄な負担を強いるだけである。そのため、ローカル線維持論者の主張に対しては、冷静かつ現実的な視点を持つことが必要だろう。
作田秋介(フリーライター)
|
( 248272 ) 2025/01/12 16:36:09 0 00 =+=+=+=+=
鉄道存続派も廃止派も、自分の論に合う成功事例を他所の路線に当てはめようとしがち。 でも、当たり前だが、線区それぞれ事情が異なるんだよね。距離や人口分布や産業構造はもちろん、駅から高校や総合病院など主な目的地の距離まで。当然、望ましい交通の形も変わってくる。 また、交通以外の諸制度に影響を受けることもある。一昔前ならバス転換がコスパの優れた方法だったが、バス運転手が確保できなくなっているのは御存知の通り。
アクセス稼ぎのためにキャッチーな見出しを付けたのだろうが「社会的配慮は要らない」などという文言は感心しないな。 この手の攻撃的な言葉って、分断を煽るだけで議論を混乱させちゃうんだよね。
▲278 ▼46
=+=+=+=+=
えちぜん鉄道や近江鉄道やくま川鉄道といった他の交通機関への代替することで住民に損害を与えることになる路線や只見線や肥薩線熊本県内区間のように鉄道として維持することが観光流入など地域に利益をもたらすなどの公益性のある路線に関しては公金投入による路線維持は当然だと思うし、逆に芸備線や木更津線末端のようにいくら地域が公益性を訴えても路線維持のための公金投入を拒むのであれば企業は廃止やむなしだと思う。 当然ながら公金投入ならば費用対効果の算定は必要だから、他の交通手段で代替した方が投資効果があるならそうすべし。 言ってることは単純だよねこれ。
▲127 ▼36
=+=+=+=+=
地方出身だが車社会なので鉄道を使う事は殆どない。多くの住民は殆ど使わないけど無くなると寂しい、衰退が加速すると拒んでいる。 そもそも乗客の運賃で成り立たない交通機関は地域の身の丈を超えた存在だ。 プライドを守るために補助金で過剰なインフラを維持することは、貴重な税金と労働力を浪費している。
どう頑張ってもこれまでのインフラは維持出来ない。住民の生活の質を維持する為にも人口減少に真面目に向き合って無駄なインフラは捨て、過疎地域は集約して効率的なコンパクトシティ化を進めるべきだ。
▲43 ▼22
=+=+=+=+=
鉄道は大量輸送機関であるという原点に立ち返り、大量輸送が必要でない路線はバス等へ転換しないと、人口減少時代に公共交通を維持できなくなりますよ。いずれ過疎地域は自動運転小型バスが公共交通の要になると思いますが、人口が半減する将来には、過疎地域の泥網を維持するのも困難になるでしょう。生活水準を落とすないためには、コンパクトシティ化は避けて通れない道筋です。
▲30 ▼8
=+=+=+=+=
自分の住むところに電車があれば、嬉しいに越したことはない。ただ、田舎はどこも車社会で車を運転できなくなった時とか、免許を持たない高校生の時に必要になるイメージ。モノを作ると何故か一定の熱烈な層が生まれ声が大きいのでそちらに傾かさせられる。キチンと街全体の利益になるかどうかは、客観的に判断して欲しい。
▲37 ▼8
=+=+=+=+=
そもそも貨物輸送を放棄した時点で、赤字ローカル線は地域の交通機関としての役割を果たせなくなってしまった。 限られた財政資金を、並行する道路の整備と赤字の鉄道の維持のいずれに投入すべきか、という選択を迫られれば、答えは道路に決まっている。 なぜならば、鉄道は旅客輸送にしか使えず、地域の産品や生活物資の輸送には結局道路が必要となるからだ。 道路を整備してバスを走らせれば、旅客輸送は用が足りる。単線で線形が悪く速度の出ない赤字ローカル線よりも、むしろバスのほうが早いことの方が多いだろう。 多くの赤字ローカル線は、バスでさえも採算を確保できないような閑散区間を走っていることが多いわけで、軌道や車両の維持などでバスよりも桁違いに固定費がかかる鉄道による旅客輸送に経済合理性を見い出すことはできないのである。
▲3 ▼11
=+=+=+=+=
ローカル線維持問題が起きる度に思うが、その点だけに議論が終始していてもどうにもならないように感じる。
「継続」「将来」を考えるのなら、その地域の経済や自治体活動が好転する案や計画が必要になるはず。
それが無ければ、一時的にローカル線の維持が決まっても、すぐに同じ「廃止か否か」という問題が浮上するのは明らかでは。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
例えば福島県と新潟県を結ぶ 只見線の場合、並行する国道252号が 冬季の除雪を行わず通行止めである (1年の約半分が通行できない) ・通行量が少ない割に除雪作業が あまりにも費用を要するため ・あまりにも急な坂が多いため 昼夜24時間体制での安全な 通行の確保が極めて難しい ・只見から迂回する場合、柳津まで 下り国道49号線を使うしかない
現在、国道289号の延伸に向けた 大工事が行われていて、この開通にて 冬季の除雪作業も行われて通行可能に なるため、只見線存続の必要性が 一気に薄れる
そもそも道路ですら半年近く 通行できない区間であり、 そもそも需要が少ない
現実的には風光明媚な観光路線に なっていて、夏には都会から 大勢のバイク乗りが訪れる
国道289号の開通後の只見線は必要?
▲2 ▼11
=+=+=+=+=
この理論で行くと、人口の多い都市以外は成り立ちませんね。 東海道新幹線が儲かるのは当たり前だし、北海道や四国が大変なのも当たり前です。 地方交付税交付金の考えにも適用されると、地方は無くなります。 そうなると、農業や漁業など、食に影響が多大で、恐らく国として成り立たなくなるでしょう。 利益の出てるところから、大変なところへ支援する事が、国として成り立つためには必要と思ってます。
▲85 ▼41
=+=+=+=+=
まずはローカル線を含めた地域の交通手段は観光への活用の視点も含めて地域が決めるべきだろう。筆者の理論に立てば只見線など残せるはずもなかったが同線は乗る人だけでなくローカル線を一つの景色として見たい観光客が地域を訪れるきっかけとなっている。そもそもローカル線だけがコストかかるように言っているがバスもデマンドも維持にコストがかかる。しかもドライバー不足。自動運転も将来はあり得るが車両は高価であり人の命をあまり考慮しなくても良い中国とかはまだしも日本ではそう簡単に認められないであろう。さらに医療、教育に金がかかるからローカル線を廃止せよというのは中国から侵略を受けそうなのに防衛費を削って教育、医療に回せという共産党チックな考えと同じではないか。まずはあったらいいなみたいな政治道路を作るのをやめれば億単位の金が浮く。その中でどう地方インフラを維持していくか繰り返しになるが地域が決めることである
▲8 ▼2
=+=+=+=+=
ケースバイケースだから、一律判断するような意見は極論として置いておくのが良い。
他方で、他の地域の方のノスタルジーを刺激する興味深い価値あるものだと言うものもまた、そこそこの価値を引き出しうると思える。
持続可能と言うのには、限度があるだろうけれども、地域経済が成立しうる範囲で活用を考えるべきインフラではあると思える。
判断の考え方の基本は変わらないが、各変数範囲でそれぞれ違っているのだろうから、もしも鉄道に価値を見るならば、その価値から出てくる利益を高めるようにすべきではないかと思うよ。
フリーライダーで価値を語っても、維持できないなら、終わりだから。
ってな感じだよね。
▲29 ▼5
=+=+=+=+=
この手で国を持ち出す人もいるが、そもそも国鉄時代に特定地方交通線として赤字ローカル線を80年代にがんがん廃線していた事を知らない人もいる。
地方なんて衰退の一途で輸送密度が改善できない以上、赤字額が増える前に見切りをつけ廃線を検討するのは当然だと思う。
▲3 ▼2
=+=+=+=+=
まぁ経済性を優先するなら赤字路線は全部廃止が正解でしょうね。でも線路には旅客輸送だけでなく、貨物輸送もあります。 貨物輸送は日常でただ物資を運ぶだけでなく、災害時の大量輸送や戦時の兵站にもなります。例えば北海道のJR路線が赤字だから稚内への線路を廃止をすれば、ロシアに対する安全保障上の問題もあるでしょう。
経済合理性で全てを片付けてしまえば、山間の高速道路は要らないし、地方空港も要らないし、発電所や水道や下水インフラ投資も要らない事になります。理由は普段は使わないからです。 でも北陸豪雪時の古川以北の高山線や東北大震災の時の新潟空港のように、普段は赤字で無駄に見えても時々役立つ事が有ります。合理化が過渡に進むと冗長性が失くなりインフラの余裕が失われます。 問題はそこの見極めでしょうけどね。
▲45 ▼10
=+=+=+=+=
ローカル線の維持が、その地域の活性化の全ての鍵を握ってはいない。つまり、公共交通機関だけを維持しても地域人口は戻っては来ない。ローカル線の維持を、地域活性の象徴的な扱いにする維持論者の声に耳を傾ける必要は無いのは正しいが、公共リソースの公正な分配は常に考えるべきだ。
▲18 ▼8
=+=+=+=+=
まるで地域の実情を理解していないまま書いているのが明らかな記事。もっと教育や福祉に、というが、地方ではそもそも教育や福祉を受けるために公共交通機関が必要なんです。バスに転換をと気軽に書いているのが、バス運転士が不足してそれどころではない。 リソースの配分とかそれらしいことを書いているが、結局筆者の本音は「自分は都会にいるから、地方の鉄道の負担は迷惑」という地方切り捨て論なのだろう。あなたが食べる野菜も海産物も、使っている電気も飲んている飲料水も、あなたが切り捨てようとしている地方から来ていることを少しは考えてみるべきだと思う。
▲31 ▼27
=+=+=+=+=
バスに切り替えても、国交省によれば路線バス事業者の7割が赤字という。東京商工リサーチの調査では三セク鉄道の6割が赤字、私鉄のデータはないが似たり寄ったりだろう。JRも北海道はほぼ全路線赤字だが、東海は全線黒字と地域差が大きい。 学校統廃合も地域住民や政治家の抵抗でなかなか進まないが、税金は無尽蔵ではないし、「地域の記憶」とか「経済合理性」などという議論のレベルをとっくに超えている。移動手段や買物先が確保できなければ、移住の選択肢しかないだろう。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
日本が人口減少路線でいくのであれば、コンパクトシティを目指すしかないだろう。 能登の復興もそうだが、これには多額の税金が投入されている。 見捨てないという気持ちは大事だが、このまま能登の人口が減っていけば、復興させた道路などは活用されずに無駄に終わってしまう。 しかも作ってしまったら維持費も毎年かかってくる。 人口を増やす取り組み(移民など)がなければインフラは必要なくなる。
▲23 ▼16
=+=+=+=+=
地元で公共交通の維持の問題に実際に関係した人はわかると思いますが、運営は毎年凄まじい赤字を叩き出すため、鉄道会社だけで維持するのは100%無理です それでどうするかというと、自治体の予算からお金を出すことになります 駅の維持修繕費を自治体が9割、会社が1割みたいな数字になります 国が責任持てよと思われるやもしれませんが、人口が少ない自治体にはもともと国からお金が入っています これが出せないと存続できません 思うに日本は高度経済成長期に、公共事業でインフラを整備しすぎたのです 土地を売るため、工事を請け負うために地方も喜んで整備に付き合いましたので、国だけのせいではありませんが、人口減少となっている今、ある程度の取捨選択は必要でしょう
▲83 ▼8
=+=+=+=+=
これはかなりの極論。何が何でもローカル線を維持しろというのは無理でしょうが、例えばえちぜん鉄道のように渋滞の悪化という観点から残している路線や、影響が大きくて残さざる得ないと判断した近江鉄道といった路線もあります。
さらにいえば、元々経営が成り立たないことが前提の北海道・四国はほとんど廃線にしていいのかという問題もありますし、採算は悪くても貨物輸送・都市間特急が走るいわゆる国土軸となる路線も赤字だから廃線というわけにもいかないです。
道路と同じく公共交通機関・輸送網の維持にある程度の公金投入はやむを得ないのではないでしょうか?
▲99 ▼38
=+=+=+=+=
個人的な想像だけど、今後トラック業界の人手不足が深刻化したら、地方の小規模な町や村レベルの自治体では宅急便が撤退して、駅に停車した貨物列車から利用者が自分で荷物を取り出すみたいなことになりそうだなと思ってる。
少ない人員で大量の荷物を運べるのが貨物列車のメリットだからね。
▲12 ▼7
=+=+=+=+=
一理はあるが経済的観点だけで判断するのはどうか。鉄道の最大の利点は大量輸送のほかに時刻の正確さにある。バスなどの交通機関にそれはない。通勤、通学は鉄道でないと困る。それが証拠に鉄道が不通になった時代替バスが走ってもみんな鉄道の開通を待ち望んでいるではないか。
▲6 ▼14
=+=+=+=+=
あたかも正論を主張しているが短絡な煽情的記事で得るものがない 地方ローカル線のみならず、地方政令指定都市の地下鉄も殆ど赤字路線(黒字なのは大阪御堂筋線位でなかった?) この記事の終始感情的で乱暴一方的な主張で赤字路線維持を排除するなら日本に残る鉄道路線は一部地域の路線だけになるし、バス路線でも黒字路線は僅少になるのでは? 不採算路線の存廃については合理的判断と社会的配慮が必要だが第一義的にはその地元に判断が委ねられるべき
▲13 ▼11
=+=+=+=+=
もともと下がっているドライバーの質や増え続ける高齢者を考えるとローカル線の確保やその拡充は必要だと思う。更に鉄道という独立した場所で運用していることはバスなどに比べて技術的なハードルを下げれる事も大きなメリットだ。
▲9 ▼16
=+=+=+=+=
大都市圏住民として、首都圏の黒字を首都圏の輸送改善ではなく大赤字線の維持に使われるのは我慢ならない。本線とつく路線は都市間の輸送(貨物を含む)としてまだ理解できるが、JRは都市圏輸送、都市間輸送に特化し、地域のローカル線は維持したいならば地元で維持すべきだ。
▲13 ▼36
=+=+=+=+=
ロスの件じゃないけれど、消防なんてのは赤字であって黒字にはならない。鉄道より教育・高齢者・医療にというのをただのライターが決めつける資格はないだろう。なぜなら教育や医療を受けるために必要な手段がローカル線だから。本当はローカル線を含む移動手段というのは教育や医療や福祉の問題でもある。
自動運転バスの方がコストは安いだろうが、それは道路インフラが特別会計で湯水のごとく公金をつぎ込める構造だからインフラコストがかからない。今なら車両コストだって補助金が貰える。一方で線路も土地にも固定資産税がかかる鉄道とをコストで議論するのはフェアではない。
ただ廃止が取り立たされているローカル線(筆者のいう感情論は、新幹線開業に伴う並行在来線廃止とごっちゃになっている)は国鉄時代に廃止したローカル線よりも更に利用者数は少ない路線もあり、既に廃止した路線との整合の面でも、積極的に廃止を進めるべきだとは思う。
▲4 ▼5
=+=+=+=+=
公共交通とは何かを全く考えない暴論に過ぎません。なぜ一路線の赤字か黒字かのみで判断するのでしょう。大阪メトロでも多くの収益を上げているのは御堂筋線、谷町線ぐらいです。その黒字の路線が大阪メトロ全体を維持しているのです。この路線は赤字だから廃線とする。木を見て森を見ずとは正にこの事。
▲8 ▼12
=+=+=+=+=
ローカル線をバス路線で振り替えることは、すでに完全に破綻している。 バス運転手がいない。 不足ではない、いないのです。 バス運転手不足は、大都市部ですら路線の休止や縮小が続出しています。 ましてや、地方ローカル路線バスの運転手の確保は絶望的です。 JR北海道では、事故による普通区間の振り替えどころか、立ち往生した列車の乗客の救援バスの確保にも難儀しています。 また、トラック運転手不足は、地方からの貨物輸送としての鉄道貨物シフトが必要になっています。ローカル線は幹線が事故などで不通になった時の迂回路として必要です。 トラック運転手不足対策としての鉄道貨物の活用には、ローカル線の維持も不可欠です。 これまでの短絡的なローカル線廃止論は、日本の経済社会の弱体化を益々、進めてしまいます。ローカル線を必要としているのは、過疎地域だけではなく、日本社会全体です。
▲16 ▼13
=+=+=+=+=
自治体がローカル線を維持のために寄付や自主財源の範囲内でやるなら文句は言わない。自主財源で賄えず他の国民の負担に頼るから反対される。
こんなのライドシェアの完全解禁で議論終了な話。「ライドシェアは〇〇で欠陥があって・・」と言うなら、他の代替手段を上げてほしいしそれを阻害するような規制は撤廃されるべきだと思う。
▲12 ▼8
=+=+=+=+=
広い視野で過疎化という現実を見つめたら、そこには砂漠化など人が住みにくい事情があって、税金をそこに注ぎ込んで延命策を図るには限界がある。 技術的にも安全性にも優れた乗り物が、新ビジネスとして展開されると言った自由経済の流れが来るとかを期待する方が社会の発達と言うものではないだろうか。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
公費投入による路線維持か代替交通かといった狭い議論ではなく、一極集中の都市機能の分散や防災管理、居住地域や観光地の集約化といった広域な視点で取り組まないと、いつまでたっても平行線の議論にしかならない。 建設的な視点でないという意味では、筆者も維持論者と反対のベクトルというだけで同じだと思う。
▲16 ▼16
=+=+=+=+=
地方の者ですが・・・我が県は新幹線が通りまして、県内在来線の多くがJRから第三セクターに移管予定です。在来線が通る市町村と県から維持管理&赤字補填のために税金が投入されています。個人的にはJRの運営の元、黒字の新幹線部門の収益で赤字路線を保持していただければ税金からの支出はなかったと思います。 この在来線ですが地元民の足はもちろんですが・・貨物車両が走っています。 我が県のケースでは、ローカル線廃線とは鉄道による大量輸送を廃止し、多大な台数のトラック輸送に切替することはCO2の排出など環境負荷の増大や、ガソリン高騰に伴う輸送コストの増加などデメリットもあると思います。 まさか新幹線の路線で貨物車両を走らせろ。とか記事を書くのかな?
▲51 ▼58
=+=+=+=+=
自分が思うのは、ローカル線の廃止は全体で見れば合理的だが、地元だけ見れば税収減と代替バス運行による支出増となり損しかない。 そして市長や知事も、自身がどう思っていようが税金の問題なのでおいそれとは廃線に同意できない。 維持論ってのはそんなとこだと思う。
▲19 ▼10
=+=+=+=+=
遠くの、まったく関係ない地域の、一生乗ることの無い路線に、多額の税金がつぎ込まれることを多くの人が容認できるなら、ローカル線を維持してもいいと思う。 自分が利用している路線の運賃が上がり、それをローカル線につぎ込んでもいいなら、維持すればいい。 自分の地域の行政サービスが低下する、道路や橋梁の補修、高額医療費の補助、出産や子育てへの補助、ゴミ袋の値上げ、年金、健康保険、それらのサービスが低下する、利用料金が上がる、そういったことを受け入れられるなら、ローカル線を維持してもいいと思う。 カネが無ければ鉄道は動かない。 そのカネをどこから持ってくるのか? 結局は税金、つまり自分の財布から出すしかないのだが、ほんとうにそれを受け入れられる人がどれだけいるのか。 他人の金が使われるだけ、そうのんきに思ってないか。 ものすごく疑問だよ。
▲19 ▼7
=+=+=+=+=
車の自動運転が出てきたら状況が変わる。 駅で降りたら自動で家に帰る。 駅まで迎えにきてくれる。 通学に限り未成年だけで乗れる。 ここまでできたら、都市部以外での電車の利用がなくなると思う。 それまでどう残すかという問題でしか無いと思います。
▲5 ▼5
=+=+=+=+=
かつて、全国津津浦浦まで鉄道があることが、国の発展のステータスだった時代がある。列島改造論のころまでね。
ところが発展してみると、これ以上無理だとなった。そんなに発展し続ける力は資本主義にはなかった。
それで今度は、こういう節約論者が幅を利かせるようになった。 国鉄分割民営化は、鉄道を赤字黒字で論じる土台を作り、国策のつけである赤字を労働者と地方住民に負わせるものだった。
鉄道である必要はないのかも知れないけど、結果的に人口が減ったからといって、維持する価値がない地域のように扱うような振る舞いは、誰にとってもいいことはないよ。
▲5 ▼7
=+=+=+=+=
他の地域に住む人にまで負担させて、地元の人でさえ乗らない公共交通機関を維持することを繰り返せば、モラルハザードもおこりうる。 鉄道などは維持したり施設更新に巨額の費用がかかる。 そんなことをしておいて、役所が「財源足りなくなるから減税できない」と言うのは承服しかねる。
▲9 ▼2
=+=+=+=+=
何でもかんでも、鉄路を残そうとするのはロスが大きすぎて社会が許容できないし、収支が赤だからと言って、それだけで切り捨てられるものでもないと思いますが 観光というものと鉄路はつながりがかなり深いとは思うし、バス転換を検討したときに、単純にバスに置き換えることが地元バス会社の都合で不可能なこともあります
公共交通に小さくない予算を割かなきゃいけないのは確かだが、それをどう活用するかは、まさにケースバイケースですよ
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
鉄道線路は、国防のために全国に作られた。鹿児島市に外国軍が現れたら、北海道から師団が鉄道で来る。 鉄道の輸送コストは、自家用車の10分の1以下である。航空機の1%程度。 中国では、新幹線網を建設し、ローカル線め充実させている。 こういうことを踏まえて議論しよう。
▲5 ▼9
=+=+=+=+=
この記事はひどい
ローカル線の維持に税金を使用する事の是非は、確かによく考える必要はある(基本的に費用対効果はゼロでほぼ垂れ流しになるのは事実だろう)
しかし、そこで投入されるのは地方税であって、国税ではない(地方交付金はややこしくなるので無視) そこには「全国民」の意思(同意)が入る余地はない 地元の意思があり、地方が許容すればいいだけ
トピックとしては全国的に関心を寄せ、議論すべきテーマだが、ミクロでは、あくまでも当事者の問題であって、余所者が反対など声をあげていいものではない
でしゃばるな
(私は廃線地域民=当事者ではない)
▲3 ▼3
=+=+=+=+=
赤字ローカル線は、黒字区間の利用者が過剰な運賃を払っているから維持されている。評論家とか第三者ではなく、黒字区間の利用者がもっと声をあげて、赤字区間は廃止しろ、浮いたカネで運賃値下げ(または混雑緩和などのサービス向上)しろ、と電鉄会社に要求すべきだと思う。あるいは、一株株主になって株主総会で要求を突きつけるのもいいだろう。
▲40 ▼69
=+=+=+=+=
鉄道自体が輸送モードとして前世紀の遺物。 区間ごとに赤字黒字を判定して、赤字路線は廃止してもいい。例えば東海道本線だって東京から神戸までつながっている必要はなく、東京-小田原、豊橋-大垣、米原-神戸だけ残して廃止するべきだし、東北本線や高崎線も上野-宇都宮・高崎でその先は廃止でよい。 貨物輸送は全面廃止。主要航路には数万トン級の超大型ジェットオイル貨物船、それ以外も貨物ジェットオイルを大量に就航させれば賄える。内陸部は大型トラックに運転手を大量確保して物量作戦で行けばJR貨物なんか必要なくなる。輸送モードのスリム化は国土の選択と集中も促進し、少子高齢化社会に備えた第二の列島改造へとつながる。
▲1 ▼10
=+=+=+=+=
新幹線建設や地方空港も多額の税金が投入されている。ローカル線に公金を回すなと言うなら、新幹線建設も空港建設も自社資金でやればいいのでは?そして利用者には今の数倍の利用料を払ってもらえばいいと思う。
▲19 ▼12
=+=+=+=+=
戦後の日本は、GHQ押し付け憲法の下、一貫して政府権力の弱体化を進め社会的弱者の権利を擁護してきました。 この稿で言う地方在住者は社会的弱者と位置付けられます。 ここでは社会的リソースに言及しています。
社会的リソースの配分は見直さないといけないという論は正しいと思います。
であれば同様に、経済的に恵まれないものや高齢者、在日外国人などへの社会的リソースの配分もまた慎重にしないといけません。
▲0 ▼3
=+=+=+=+=
今更言うまでもないが、バスと比べて鉄道のメリットは大量輸送であり、乗車人数がバス以下ならバスで代替すればいい。 自分も鉄道好きだから、残したい人の気持ちはわかるが、個人の趣味に公共の資金を投入するのは間違っている。 観光列車として鉄道自体に集客力があり、赤字額以上の利益があるなら別。
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
赤字路線は黒字になるよう運賃を値上げすればいい。 結果として、1区間が1万円を超えるかもしれないが、仕方がない。 地方と都市の格差を縮める施策は、国や県が別途、講じるべき。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
このライターは先日は「都会の路地裏は魅力だ」と記事を書いていたが、これが地方になると随分、辛辣な記事を書くんですね?
だったら狭い都会の路地裏も災害時のリスクを考えれば無くしたほうがいいです。消防車も入れないし、火災になれば簡単に飛び火する。
路地裏の魅力など災害リスクに比べて「素直に言えば配慮する必要はない」
同時に先日の記事でこのライターは都会の路地裏について「最終的にはどう受け止めるかが私たちの判断に委ねられている」と書いている。
それは地方のローカル線も同じで、公共資金を使って維持するかどうかは「そこの住民の判断に委ねるべきこと」だと思いますよ?
▲68 ▼16
=+=+=+=+=
まぁこの手の暴論は定期的に出て来るんだけど、そもそもの前提としてローカル線をどうするかでは無く、地方公共交通機関をどうするかの話しをしなければならないって話しなんでしょうね。
経済的な話しで言えば鉄道に限らず道路も同じ問題を抱えてる事を無視したら話しにならんでしょう。
現状あるモノを維持するかどうかの観点から議論しないと鉄道だけ維持するかどうかだけ議論するのはそれこそ経済的観点から無駄が多くなる可能性もあるでしょうね。
この記事は煽り記事なので鉄道の事だけ書いてるほぼ無意味な記事と言うことでしょう。
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
代替のバスが運転手不足で・・・に備えて、廃線をバス専用道路にした際に大型二種自動車免許ではなく電車運転士の免許で運転可能にできるような法整備が必要ではないかとおもう。
▲12 ▼61
=+=+=+=+=
挑発的なタイトルをつけて、アクセス数を稼ごうとする典型的な記事。具体的な数字は一つも出てこないし、400字の字数制限のないヤフコメといったところだろうか。これで原稿料がもらえるなら、なんとも羨ましい。この筆者に論理を突き詰めれば、営業係数が101を超える路線はすべて廃止ということになる。それを言ってしまえば、在来線の大多数に加えて、都営地下鉄や都営バスは2/3も廃止しなければならない。筆者はそれも受忍するのだろうか?もちろん、これは常識外れの極論で議論する価値もない。求められるのは、大量輸送機関の持つ公共性への配慮と、一方でどこまでその赤字を受忍できるかのバランスをいかにしてとるかという、極めて繊細な議論である。筆者のような、該当する地域住民への配慮を欠いた都会からの一方的な言い草は、問題解決に何の役にも立たない。ここまでレベルの低い記事をひさしぶりに見た。
▲18 ▼10
=+=+=+=+=
維持する目的じゃないですか?
ただ感情論で辺境に住む人たちに同情してるだけなら合理化の対象になっても仕方ないけど、交通の便がある土地って人を増やす余地がある土地でもあるんですよね。戦略的に投資するという選択も無くはない。
▲8 ▼3
=+=+=+=+=
郷愁でしか語れない鉄道界隈では珍しい書き手が出てきましたな。いいぞ、もっと言ってやれ(笑)赤字だから廃線ではなく、人がいないから廃線なのを分かっていない者が多すぎるんですよね。では改めて確認しておきたい、鉄道の特性は、大量・高速・定時輸送です、どれか一つでも欠けるなら鉄道であり続ける義務はない。
▲28 ▼16
=+=+=+=+=
国鉄が終わった時点で、赤字ローカル線に への税金投入も終わりです。
民間のJRが他路線で稼いだ金をごっそり赤字ローカル線につぎ込む必要はなく、黒字幹線やその利用者に還元するべきです。
廃線にするか自治体が3セクで運営するかの2択ですね。自治体と沿線住民が決めることにYouTuberやフリーライターの意見はいりませんね。
▲30 ▼35
=+=+=+=+=
そう。ローカル線維持論が守りたいのはローカル線で利用者じゃないから。 ローカル線を守る為に利用者を利用している。
無くなったら学校にいけない人がいると言うが、通学バスがあるから乗らない 駅がある中心地が寂れると言うが、とっくに寂れて郊外のモールが栄えてる 車に乗らない人が困ると言うが、意地でも車を手放さない人ばかり 地域の地盤沈下がと言うが、維持するコストが地域を圧迫する
ニーズが無いから住民減以上に利用されない、だから廃止される。
▲39 ▼26
=+=+=+=+=
みんなが利用しないから赤字になり廃線が見えてくる、補助して維持したら乗客が増えるということでもないだろ。イベントなどで一時的・休日のみの客数が増えてもしかたがない、代替手段を考える方に注力すべき。
▲11 ▼5
=+=+=+=+=
公共交通機関というのは、実は黒字になることが稀だけであって、基本採算は取れなく設備人件費で消えてトントンにしかならないサービスなんじゃないかと思う。利益が出るなら企業が経営するぐらいで。
▲9 ▼2
=+=+=+=+=
「社会的配慮は要らない」という表現は言い過ぎ、まるでジャックウェルチやベラルーシの政治家みたいな意見で「森を見て木を見ない」というヤフーのニュース記事のスタンスを端的に表しているよ。田舎や地方はみんながみんな半径2キロや5キロの中に学校や会社があるわけじゃないから。
▲8 ▼4
=+=+=+=+=
鉄道が赤字で廃止になるような地域はローカル線はいらない以前にその地域自体がいらない地域であるということ
なので、そんなところは地域ごと外国にでも売っちゃえばいいと思います
いらない地域をいつまでも日本が持っている必要はないから
▲3 ▼7
=+=+=+=+=
このサイトはローカル線維持派の記事が多いけど、ようやく普通の議論が出てきた印象。 無条件に廃止や護るのではなく、地元がフィルターを通して考えるべき話。青森県弘南鉄道大鰐線の議論が参考になります。
▲20 ▼27
=+=+=+=+=
バスなどの公共交通手段が、ローカル線に代わる選択肢となる可能性がある →こういう事をいい放つ奴は信用に値しない。 何故ならば、バスにすればいいと軽視した事で完全に公共交通が破綻した夕張の事を無視しているからで、今あるものを活かす。新しい価値を確実に活かす。を考えられない人間の戯れ言でしかないからである。富山や宇都宮の様に鉄路を活かして新時代のシステムで飛躍した事例を対案に出せないバスの勤務を軽視したネガティブな廃止論者の方にこそ社会的配慮は不要と私は考えます。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
これがプロのライターが書いた記事なの?具体例や数字の一つも出さずにフワッと誰でも思う正論を書いてるだけじゃん。この理屈で言うと発展途上国には投資すべきではないみたいな話になるんだけど。問題はインフラの負担より首都圏一極集中じゃないかな?日本に住む以上一国民としてあらゆる税金を払っているのに首都圏はその恩恵を享受して地方は衰退を受け入れろ不便は我慢しろは酷いのでは?もっと経済や政府機能を地方に分散させたりして幅広く富の再分配をするべきでは?便利だからプレミアだからと何でもかんでも首都圏に集中し過ぎなんだよ。
▲53 ▼28
=+=+=+=+=
代替運送とかも不要。 考えるべきは移住の促進と、市町村合併。 より居住地域をコンパクトにすべき。
もちろんそれでも辺境に住むのは自由だが、公共交通に頼らないで暮らせば良い。
▲10 ▼30
=+=+=+=+=
鉄道路線って、単に人を輸送 するだけが価値ではないのよ。 その地域に“鉄道路線がある”と いうことに価値が生まれている 側面もあるから、利用者が少ない から廃線、バスによる代替輸送 といった単純な問題ではない。
▲9 ▼20
=+=+=+=+=
地域の一部の人々にとって必要不可欠なインフラであることは理解できるが、そのために全国民が負担を強いられるべきではない。むしろ、ローカル線に代わる効率的で柔軟な交通手段の導入を考え、より合理的な資源配分を行うことが求められる。
そうなんです。自治体トップ、議会は平成合併後で何をしてました?時間はあったのに何もしなかった。箱物ばかり作り、老人厚遇、新規の住民にはおらが村のルールさ守れー。嫁奴隷。若い人達の意見を聞かなかった結果ですね。なんなら自分の孫達、子供達に住んで欲しい地域にしてましたか? 子供、孫が住みたくない地域に自らがしてしまったんです。 今からでも、コンパクトシティー化に協力しましょうね。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
マイカーを使用せずに道路へのインフラ投資を抑制して、鉄道路線に公共資金を投じて維持するなら合理性はあるかもね? 道路インフラも維持しマイカー利用を(促進?)したママ、鉄道路線を赤字だろうが維持を目指すのは、流石に合理性が乏しいだろう。
▲4 ▼2
=+=+=+=+=
民間企業になんで公金が流れんだよって話なら納得するわ。
改善の目処たってて繋ぎで支えるなら理解できんこともないけど、教育やら全員が利用するものでもないのに一方的に維持させられたら堪らんわな。
▲8 ▼14
=+=+=+=+=
ローカル線維持論者とは地方議員の事を云っているのか。それはその地域と事業所が決める問題で筆者さんでは無い。率直に言いたいのは税金の無駄使いをやめてほしいでないのか?
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
思考停止の惰性、感情論の極致。 「大量、定時運行」のメリットの両方を失った路線は無くす以外に答えはない。 公共性を盾に取られがちだが、エリアによっては電気ガス水道の敷設は自己負担が強いられる。スーパーも歯医者も客や患者がいなければ自然に撤退する。 何故鉄道だけ?という疑問しかない。一度無くすと復活出来ない、地域衰退を加速する、などと言うが、論点ずらしも甚だしい。
▲13 ▼10
=+=+=+=+=
筆者は様々な社会的ニーズの重要度において、勝手にランク付けしていますが、根拠が全く不明で主観的に感じます。
この人は都会に生活する人か分かりませんが、「そりゃあなたは困らないから、そういう意見になりますよね」と言いたいです。
▲10 ▼6
=+=+=+=+=
意見をまとめて結論を出すことは、意見の勝ち負けじゃない。 社会的配慮など要らないと言う言葉で勝ち負けを決めようとするのは、その時点で意見を聞く気がない=協議をする気がない=自分の意見が勝つことだけを考えてる。
勝ち負けに持ち込もうとする話には乗らないこと。 これはつまり、採算のとれないローカル線を廃止に追い込む方法そのもの。(笑)
▲12 ▼11
=+=+=+=+=
>率直に言う 「ローカル線維持論者」への社会的配慮は要らない
当然のことです。
人口減少社会において、既存のインフラ、特に維持費用が高いものを全て継続することは単純に「不可能」だ。
一定の基準を作って廃止する他に方法はない。
そうしてコンパクトシティ化を計画的に進めて行かないと、国土全体が荒廃してしまう。
残念だがどうしようもないことだ。
▲15 ▼10
=+=+=+=+=
客だって交通手段を選ぶ権利がある。それを軽視して鉄道としての商品力を低下させた鉄道会社の傲慢も大きな原因とおもう。
銚子電鉄の様に、鉄道自体の魅力を高めようとする行動は応援したくなるけどね。
▲0 ▼3
=+=+=+=+=
いかにももっともらしいことを書き連ねているが、現実問題として、少なくとも私が知っている限り、ローカル線を廃止して栄えている市町村を知らない。
ローカル線がなくなって、駅前商店街が衰退する。買い物客がいなくなるから代替えのバス路線も利用者が減る。利用者が減った分バスの値段が上がる。誰も使わなくなるから、補助路線か公営バスになる。最後は土日運休になって、平日病院に行くじいちゃんばあちゃん以外誰も使わなくなる。
大きめの駅前のショッピングセンターは、お客が来ないから、エスカレーターも止まり、100円ショップと地域コミュニティーセンターとか言うベンチ置き場に変わる。
そんな衰退した市町村を、ここ30年間で無数に見てきた。その中には30年前は有名な観光地だったところもいくつも含まれている。
▲1 ▼4
=+=+=+=+=
難しい話ではないよね。元々鉄道は大量輸送に最適化された高コストな移動手段。もし大量輸送が必要無いなら恐ろしく効率が悪い。そんな無駄が今まで放置されてきたのも、日本特有の現状維持が優先される惰性経営の賜物。
ただでさえ縮小し続ける日本という国でこういう無駄が放置されるのは害悪でしかない。
▲17 ▼17
=+=+=+=+=
> 維持するためのコストが、社会全体にとって「迷惑」
その「社会」ってのが何を指すかあいまいなんですよね。 この種の論考であいまいな概念を中心においても建設的じゃないと思うけどなあ。
受益者負担の原則を貫くなら社会保障なんかできないし、鉄道だって、営業係数101以上の路線は廃止か値上げになっちゃうしなあ。
先週の営業係数に従って来週の運賃を決める、「運賃ダイナミックプライシング」なんてできるかもよ。 降りるまで運賃がわかんないのよ。
▲26 ▼24
=+=+=+=+=
鉄道に限らず過疎地の集落は山間も多く、防災コストもバカにならない。 限界集落の人には県営住宅に家賃無料で移転してもらった方が、社会的コストは圧倒的に安いと思うわ
▲6 ▼2
=+=+=+=+=
やはり気になるのは『学生の脚』だよね バスだと運転手不足となるから
スクーターや電チャリ 都会で種々の話題を提供する コミューターツール とかで活性化してあげないと 立ち行かない
▲2 ▼2
=+=+=+=+=
書いている内容が公共交通のクロスセクター効果なん以ての外って感じかなあ。どうせなら、ムダ論議ではなく、公共交通の成り立たないような街をたたむか否か、タタむのならどうタタむかを考えた方が…。もう少しモンだ方がいいと思います。
▲3 ▼3
=+=+=+=+=
この記事書いてる人、鉄道の代替手段で路線バス、ライドシェアなんかを上げてるけど、ローカル線が廃止になるような地域の実情が全くわかってないんだろうね。 そういう過疎地域で新たに路線バスが増えるなんてまず無理だし、ましてやライドシェアって…地方で通勤、通学でライドシェアやるんですか? 代替の移動手段都会に溢れあ都会に住んでたら、切実な現実と解離したこんな机上の空論しかわからないんだろうね
▲23 ▼6
=+=+=+=+=
どこかの偉い先生が熟慮の末に出した結論かと期待したら、ワケのわからんフリーライターさんの浅〜い文章ですか。 自分もどちらかと言えば合理的な考え方が好きですが、少数派を切り捨てる前に極限のコスト削減などの努力をすべきで、政治家や役人の原価管理能力がいかに低いか知らない輩が切り捨て論を振り回すべきでない。
▲6 ▼5
=+=+=+=+=
赤字路線を維持することが、困難なのは小学生でも分かること。ローカル線は放っておけば自然に淘汰されます。地方の活力を維持するために、ローカル線の廃止に反対する人は少数派です。それにさらに反対するのは、無意味を通り越して、たんなるPB稼ぎです。
▲7 ▼24
=+=+=+=+=
赤字路線の維持は地元住民の利益というより、1次産業の維持の方が大きい。 記事のような問題提起するのなら、先に地方交付税の文句を言えば良いのに。
▲5 ▼5
=+=+=+=+=
負担が大いと遅かれ早かれ維持できなくなる。 なので、できるだけ痛みを小さくするように少しずつ縮小していくのが理想だと思う。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
同じMerkmalから半日前に配信された『ローカル鉄道維持の敵は誰だ? 千葉県「低輸送密度路線」を巡った経営学者が見た、鉄道活性化を阻む社会構造の正体』という「経営学者」の論とは真逆だが、こっちの「フリーライター」の方が遥かにまともだ
▲5 ▼5
=+=+=+=+=
この記者はえちぜん鉄道ができる原因となった「負の社会実験」については知ってるのかな? もちろん全てのケースに当てはまる訳では無いが廃線したことで予想外の影響が出てくることもある
▲7 ▼4
=+=+=+=+=
廃線で衰退が加速って、自分達が利便性を感じていないから利用していないものを他人に利用して自分達のために我慢しろってことでしょ? その時点で社会から隔絶してるし、利便性以前に精神が衰退してるから。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
先週の「「赤字だから仕方がない」 そんな“ローカル線廃止論者”に、私が微塵も同意できないワケ」の反論記事かな?
利用者がいないなら廃線。空気輸送するメリットがあるのでしょうか?
▲28 ▼11
=+=+=+=+=
赤字路線を維持したところで経済的価値を生み出すどころかむしろマイナスであり、記事にある通り社会全体にとって「迷惑」な存在だ 今後の日本には社会のお荷物を維持するような余力はない 10年以内に黒字転換できる見込みが立たないような路線は速やかに廃線にし、社会の合理化・効率化を図ることが必要だ さもなくなくば地方だけではなく、日本全体が沈没することになる
▲17 ▼25
=+=+=+=+=
素直に言う「JRは国有化すべき」ローカル線も国家の財産である。その負担は大企業と富裕層の不動産・金融所得に課税強化すればいい。
▲3 ▼7
=+=+=+=+=
医療福祉にまわす予算のうちほんのわずかでも公共交通に回せばローカル線の維持ができてしまうからでしょうね!
▲3 ▼5
=+=+=+=+=
東京への配慮が過剰だろ さっさと遷都して道州制にすればいいだけ 地価が下がるから出来ないんだろ せっかくあるインフラを潰すべきじゃない
▲5 ▼6
|
![]() |