( 248503 ) 2025/01/13 03:56:49 2 00 亡き娘、描かれた振り袖姿 宮城・石巻、東日本大震災14年共同通信 1/12(日) 17:50 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/06f313f41a084386dd0fff31da7f0a1944831ac3 |
( 248506 ) 2025/01/13 03:56:49 0 00 宮城県石巻市の成人式会場で、麻布に描かれた振り袖姿の長女愛梨ちゃんの絵を見つめる佐藤美香さん=12日午後
振り袖姿の娘が優しくほほえんでいる。宮城県石巻市の佐藤美香さん(49)は12日、東日本大震災で亡くなった長女愛梨ちゃん=当時(6)=が出席するはずだった20歳の成人式会場で1枚の絵を受け取った。「送り出したあの日ぶりに会えた」。震災からまもなく14年。幼稚園の時の無邪気な顔しか想像できなかった娘が、絵の中で「成人」になっていた。
「式をたくさん重ねさせてあげたかった」。美香さんは会場の外で、娘と同学年の人たちが思い思いの晴れ着に身を包んだ姿を見守っていた。ただ愛梨ちゃんの振り袖も紺とグレーの2色に花があしらわれ、負けない華やかさ。帯は好きだった水色で、高校2年の次女珠莉さん(17)が憧れの姉を思い選んだ。
絵は高さ約1.6メートルあり、保護者を通して知り合った愛知県田原市の画家小林憲明さん(50)が麻布に描いた。「成人式会場」と書かれた看板の横で、愛梨ちゃんと並んだ美香さん。「こんなふうに成長していたんじゃないかな。色が付いた娘に会えてうれしい」といとおしそうに触れた。
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( 248507 ) 2025/01/13 03:56:49 0 00 =+=+=+=+=
素敵なお姿ですね。涙が出ました。こんな素敵なことをされる方がいることに本当に感動します。 6歳の写真から成人の顔を描くのって大変なことですし、「なんか違う」と思われるのも辛い……愛梨さんには妹さんが居られるからその面影から描いたのかな。 もちろん実際その目でお母様は愛娘の成人式を見たかったでしょうけど……本当に素敵なお姿です。きっと天国から愛梨さんがこの着物を着て手を振ってると信じています。
▲5660 ▼147
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いい振り袖じゃないですか。紺色に白と銀の品の良い配色に白牡丹の花の柄。白帯に娘さんが好きだった水色の帯締め。 この着物の配色や柄を見て、この娘さんに対する肉親の方の色んな思いを垣間見ることができました。 身こそなけれども、間違いなく成人になられた娘さん。この麻布に描かれた姿をもし目の前にしたら、私だったらだだ一向に「ご成人おめでとうございます」と言いたい。
▲156 ▼11
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東日本大震災の時は、まだ現役で出先でお腹が空いたからパンを買いにスーパーへはいったらグラッと来て、陳列棚が揺れたのを覚えています。 東北から遠く離れた愛知県での事です。今や南海トラフ地震が心配されています。日向灘のときは、臨時注意情報が出されました。 家にいる時に来るとは限らないし、出先かも、旅行中かも、運転してるかも、愛知県と言っても津波の心配より山崩れのほうが心配な地域ですね。 何年前だったか息子の為に幹線道路沿いの土地を宅地造成したのですが、耐震基準が大変厳しかったですね。 東日本大震災以後、造成や建物の耐震基準のハードルが高くなりました。当然のことですが? 能登半島は、お正月の1日に地震が来ました。誰が正月早々に地震が来るなんて思ったでしょう。日本列島は現在、活動期に入っています。東日本大震災以降、地質構造がガラリと変わったということらしいです。
▲11 ▼8
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6歳の子ならもう成人になるのか。 歳月の速さに驚くけど、こうやって小さなお子さんを失った場合、その流れはどういったものになるのか。 こればかりは当事者でないと判らない。 絵の中で「成人」になった我が子を眺める辛さ、その心中が如何ほどのものなのか。 大災害を振り返るたび願うのは、辛い経験値を活かして将来の被害を少しでも減らす取り組みが実行されていくこと。
▲1362 ▼40
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素敵ですね。 何年経っても、こうして忘れずに想いを寄せることは、とても大切だし素晴らしいことと思います。
きっとこうだったんじゃないかと想像でも心や視界で思う事で、時と共に悲しい事というより何か素敵な思い出に変わってきているかのような、そんな空間が感じられます。
▲754 ▼53
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毎年、北九州や沖縄の大騒ぎを報道するニュースに辟易していました。そうかこういう成人式のケースもあるのかと胸を撃たれました。こういうニュースを配信されることこそが報道機関の矜持だと思います。良い記事をありがとうございました。
▲60 ▼16
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今だと故人をAIで動画、下手するとVRで3Dで語り掛けてくる事が可能な時代。 いつだったかTVで亡くなった娘がVR内で走り回る姿を追うVRゴーグルをした母の姿は傷まし過ぎた。 この絵画くらいで想いを馳せるくらいが良いのではないかと思いました。
▲71 ▼5
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正直怖いです。どこかの風習?だったか、独身のまま亡くなった人に婿や嫁を描いて死後に結婚させるってのがあったけどそれを思い出してしまった。この後どうするの?しまうのもなんだし、掛けておくのもどうかと思うし。物理的なものでなく、心にそっと留めておくのが一番いいのでは?涙がでましたってコメントが多くて驚いています。
▲58 ▼123
=+=+=+=+=
素晴らしいご縁と試みだと思いました。 等身大の優しく微笑む娘さんと、それを想い描くお母様の姿に自身を重ねて涙がでそうに。
子が成長する姿が見られるのは決して当たり前ではない。 災害や病魔や事故、明日何があるかわからない。 自分も水害で失った物や人が多々ありますが、今ある幸せや日々を大切にしようと今一度思いました。
▲649 ▼40
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色々意見はあるけど、震災で死んだ方の事とその被害を忘れない事が、次の震災でも生き続ける人間の定めだと思います。先人が残した言葉や慰霊碑などは本当に大切で、津波の多い地域に住まう人たちの、お作法だと聞きました。震災で亡くなられた皆さんのご冥福をお祈りします。
▲593 ▼23
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震災のあの日、大熊町にある私の職場では21歳と24歳の2人が犠牲になりました
成人したばかり20歳だった私も34歳 命はほんとに紙一重、無情で病院で亡くなるのとは別で何処にいるかも、いる場所が分かっても遺体の回収さえすぐには難しかった
亡くなったとはいえ、同窓生と共に成人式会場でお母様と振袖で写真を撮れるなんてとても幸せな方と思います
▲563 ▼44
=+=+=+=+=
品の良い素晴らしい絵だと思います。 マルモのおきてが放送されたのが震災直後で、芦田愛菜さんが当時6歳ぐらいだったと思うので丁度同じ年頃ですね。 この14年間は短いようで長かったと思います。 同じ様な思いをする人を減らす為に、今後起きるであろう災害の被害者を少なくするためには、防災の備えを一人一人が学んで実践する事が大切だと思います。
▲348 ▼28
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境遇を自分に当てはめてみると、とても耐えられない。受け入れて14年も頑張って来たんだから、思う存分想像してほしい。 東日本大震災に限らず、災害は被災していない私達も含めて忘れてはいけないことで、語り継いで備えなきゃいけない。一緒に振り返ることができる素敵な記事でした。
▲356 ▼19
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数年前、東北に単身赴任した際に東日本大震災の被災地の遺構をいくつか訪問しました。石巻市では大川小学校の跡地に訪問しました。 海に近く、ただ裏に山があり登れそうな場所も無いわけではなかったのですが、高学年の子はともかく、低学年の子達には厳しそうなかなり急な斜面でもあり短時間での避難は困難だったのかもしれません。 あれからもう14年も経つのですが、お子さんを亡くされた方、身近な方を亡くされた方などにとっては風化することはないのだと感じます。
東南海地震などで似たような被害に遭わないよう、また災害が起きても数日は耐えられるよう備えはしっかりしていきたいと思います
▲187 ▼11
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東日本大震災の被害は甚大でした。特に大村小学校の津波の被害は思う度に涙があふれます。このように、子を思うご両親は沢山いらっしゃるのではないかと思うと、いたたまれない気持ちになります。
▲748 ▼37
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胸がいっぱいになりました ご本人もどんなにか晴れ姿を見せたかったかと思いますがきっとこの絵のようになられてることでしょう (スピリチュアル苦手な方は無視して下さって良いですが江原啓之さんによると子供さんは天国で生きている時と同じように歳を重ねているそうです) 偶然この写真の後方に同じような青の着物を着た成人の方がこちらに向いていてまるで会いに来てくれてるような錯覚までしました どうかお母様やご家族の方がいっときでも心が癒されることを願っております
▲20 ▼2
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なんか、2025年に入り一番良いニュースを知った気がします。石巻市の佐藤さん、成人式会場で東日本大震災で亡くなられた長女愛梨ちゃんと14年ぶりに会えて良かったですね。6歳の愛菜ちゃんが晴れやかな振りそで姿の絵でよみがえり再会に感動した事と思われます。作者の小林さんの見事な絵も素晴らしく、プレゼントされたお母様も一生涯の宝物となったでしょう。なんかお母様と似ているような等身大の作風が胸に沁みました。あの痛ましい大震災で家族を失った遺族は今も心の痛みを背負って生きているのではないでしょうか。こんな心温まるニュースは私もとても勇気を頂きました。
▲1 ▼0
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不謹慎だとは重々承知の上ですが、お母様の心の中では娘さんはずっと生き続けてると思いますので、敢えて『成人おめでとうございます』。 にしても、素晴らしい絵だと思います、お母様にも似て面影がありますね。 他にも被災されて成人を迎えられた方々、おめでとうございます。 困難を乗り越えてのこれから先のご多幸をお祈りします。
▲59 ▼8
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素敵なお姿ですね。お母様の微笑んでいるお顔でこちらもほっとします。震災から随分と月日が流れてしまいました。あの時、目標を持って毎日に感謝して生きようと心に誓いました。ご遺族のみなさまは強く逞しく生活されています。改めて毎日大切に過ごそうと思います。ご遺族のみなさまに癒される日常がありますように。
▲30 ▼10
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震災時の、人災の象徴だったと思います。幼稚園は高台だったので津波の被害を受けませんでしたが、園での保護者への引き渡しをせずバスに乗せ坂を下ってしまったばかりに失わなくて済んだ命を落とした。下の妹さんがとうにあいりちゃんの歳を越えもうすぐ高校卒業。彼女の止まってしまった時間は動かないから、生きていれば成人式だったなと想いを馳せるしかないのは辛い。
▲85 ▼12
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以前この画家の小林さんの活動をテレビで紹介していたのを拝見しました。 その時は震災で亡くなったお子さんの成長した姿を含めた家族写真のような絵を紹介していました。 亡くなったお子さんの成長した姿。 成長したお子さんとの家族写真。 震災後に生まれた弟さんにとっては会ったことのないお姉さんとの家族写真。 写真では叶わなかったものを、絵画の中で実現させているのが素敵だと思いました。
▲31 ▼8
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愛しかった娘さんの成人した絵がとても素晴らしく、東日本大震災から14年が経ち、震災時の事を思い出しました。 あと数日で、阪神淡路震災が発生した日を迎えますが、年月が経つと経験した人も高齢になり、知らない若者が増えるのは当然ですが、この大きな二つの震災を語り継げるようにしたいですね。
▲5 ▼0
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関東ですが、うちの息子はあの日、観光バスで他県に卒園遠足に行っていました。 自宅が高層マンションだったため尋常ではない揺れで、机の下に隠れながら、地上はもう地割れレベルでは?もう帰って来れないのでは?くらいの恐怖に襲われていました。その後、30階の階段を降り、幼稚園まで1時間以上かけて歩いて迎えにいき、無事息子とは会えたわけですが、後日このお嬢さんの話を新聞で読んだことはまだはっきり覚えています。
うちの息子も今日成人式を迎えました。早いようであれから14年、沢山の日々がありました。その同じ日々を離れていたのだろうと思うだけで涙が止まりません。
色のついたお嬢さんに会えて良かったですね。としか言えません。おめでとう、と言っていいのかわかりません。 でも、この記事をこれからも忘れないで行きたいと思います。
▲33 ▼1
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あとわずかで小学校入学、という頃の震災でしたね。東京でも余震や計画停電、祝い事は自粛のなかで、娘も卒園&入学しましたが、あの震災のためにそれが叶わなかった同級生の子達のこと、その後も事あるごとに(中学卒業→高校入学はコロナで見合わせ)、つねに頭から離れませんでした。明日は我が子の成人式を祝うとともに、あの時犠牲になった同級生に改めて思いを馳せる日としたいです。
▲10 ▼0
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あの日は我が子の数日後に迫った小学卒業式の予行練習日でした 体育館内で全校生徒がおり先生の指示で校庭で待機のうえ保護者の迎えで帰宅したその日から計画停電そして原発の脅威にさらされながらの卒業式の挙行 もはや、保護者間では明日の命は誰にも保証されているものではないことを思い知らされながら来る中学入学へ向けた準備を粛々と実行していた そのような時期でした 亡くなった子供たちの報道を見るたびに他人事とは思えず皆が気が付く全てをボランタリーしていたことを思い出します 現地に向かったり、支援物資を送ったり、私は孤児の方への基金へ約10年間毎月少額ですが寄付を続けました 亡くなった方々へは祈ることしかできませんが数年後からその子供らから大学入学や自動車免許取得などの手紙をもらうようになって失われた過去は戻ってこないが未来は必ず来ると思ったものでした また、3/11がやってきます 輝ける未来を祈ります
▲17 ▼0
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3月11日は金曜日でした。宮城県内の学校では卒業式だった所も多く、卒業生にとって午後2時46分は式も終え、明日からの春休み、進学に向け希望に満ちた時間だった人も多かったのでは無いかと。あの大きな揺れとを境に、それまで晴天だった空も一変し吹雪じみた天候に。風雪が強まる中ワンセグの画面には、見た事のある沿岸部の風景に津波が押し寄せる信じられない光景が写り、最初は見せて見せて。。そのうち、あそこで津波来てるの。。じゃもうあの町や市も終わってんじゃ。。画面には当初数十センチだったものご、5メートル。。10メートル以上。。すでに到達と見られる。。 本当に現実なのか疑うのが東日本大震災でした。14年。被災地の外からみれば随分経った。でも被災地の人間には時間止まってます。だから、阪神、能登、熊本、中越。。いつまでも止まったままでは無いかと。前向いて進むのはいろんな人の支えあってと思う日々です。
▲109 ▼6
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死んだ子の年を数える、という諺かあります。 後悔先に立たず的な意味だということですが、何か違うと思います。 つい戦前、2,3代前までは子供は死んでしまうものでした。ずーっとそういつものだった。 5人6人、それ以上生まれても大人になるのは2人。 2人生まれたれ2人とも大人になるのは今とは違う、そういう世界と今とでは亡くなったお子さんへの気持ちはずっと重いのだろうね。 とりあげたりしないで、そっとしといてあげるのがいいよ。
▲11 ▼10
=+=+=+=+=
頭では分かっていてもお陰様で子供の年齢で我が歳を知る。生まれてきてくれて有難う。生まれてきてくれて有難う。生まれきてくれて有難う。何度言っても言い尽くせ無い。時が止まったままの心を子供がそっと背を押してくれる。我が子が親を大人にしてくれる。なんと有り難いことか。子宝とはそういう意味なんだなあ。それをこの絵が教えてくれる。だがこの子にもその幸せがあっただろうにと思うとただただ切ない。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
亡き娘さんの成人式…生きていたら喜びに満ち溢れた笑顔で輝くような晴れ着姿を見せてくれただろうに お母さんもどんなにかその姿を見たかっただろうに。描かれたお嬢様の二十歳の振袖姿は優しさに溢れていますね。お母様の慰めと生きる支えになればこんなに嬉しいことはないでしょう。
▲35 ▼10
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阪神淡路大震災から30年、東日本大震災から14年ですか時が経つのは早いものです、本当にいつどこで地震が起きるか何て誰にも分かりません、備えは大切だとは思いますが食料や水等賞味期限があるので常日頃の確認が必要ですね。
▲1 ▼0
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6歳のお子さんを亡くすなんて本当に辛いし残酷な話だと思う。もちろん亡くなったお子さんは可哀想だけど、親御さんは筆舌に尽くし難い人生だったと思う。
自分にも7歳の娘がいる。生意気盛りだけど本当に可愛いし、もし万が一先立たれたらと想像しただけで生きた心地がしない。
小さい頃から絶対に死なせないとずっと気張ってたからなのか、たまに子供が事故などで死んでしまう夢を見てしまうことがあった。
夢であってもあの絶望感は筆舌に尽くし難い。あれ以上の悪夢は存在しない。
今でも安全面には特に厳しく躾けているし、学校から自力で帰宅することも厳しく制限している。さすがに3年生になったら解禁するつもりだがGPS式とwifi式の位置情報システムを併用していて引き続き使用する。
周りからは過保護だと言われるけど安全面だけは過保護で結構だと思っている。
▲69 ▼9
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どんな思いで、14年間を過ごしてきたのか。 どんな思いで、娘と同い年の子たちがいる会場に足を運ばれたのか。 考えるだけでも切ない。 ただただ、お母さんには娘さんの分まで幸せになってほしい。それが娘さんが一番喜んでくれると思う。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
お母さんのお口元、絵の娘さんとそっくりに結ばれています。面影が親子さんでよく似ています。画家さんが描く時、亡くなった娘さんの魂がささやきかけていたと思う。だから、成長された姿そのままに地上の家族に伝えられたと思います。
▲4 ▼0
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幼稚園バスの送迎中に津波に巻き込まれて亡くなった子でしたよね… 今年で成人になられる歳だったんですね とても可愛い子だったので成人の彼女はとても綺麗だったと思います。 お母さんやご家族を見守って欲しいです
▲81 ▼1
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家族の存在がどれだけ私たちにとって大きな支えとなっているかを再認識しました。 愛する人を失った方の悲しみを想像するだけで胸が痛みます。 家族を持つ者として、何気ない日常がどれほどかけがえのないものかを改めて考えさせられました。
▲47 ▼3
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あの震災の時、年長だった 長子は 成人式を迎えた。同級生は震災死亡もいる。 感慨深いですね この年代は 小学校の入学を 東日本大震災 高校入学を コロナで自粛。 うちは、さらに中学入学を転校、他学校建て替えのために仮説校舎4回もある。
とにかくおめでとう
▲2 ▼2
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子供が極めて早死にだった頃には、あったであろうお祝いの晴れ着を支度する供養もあったという。娘の場合、古い習いには打掛をもって結びとします。彼岸で幸せに嫁いだとして。遺族は長生きしてあげよう。覚えている人が生きている限りその人も生きている
▲9 ▼4
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生きていれば成人式を迎えていたと考え、絵画の娘の成人を祝う母親の気持ちを思うと、言葉もありません。 亡くなった娘さんがきっと喜んでいることと、成人式を祝ってあげたい母親の気持ちを満たすことができて、とても良かったと思います。
▲10 ▼4
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このお母さんのように、悲しみを乗り越え事あるごとに発信し前向きに進んでる人もいますが、同じく家族を亡くしたあの時から時が止まったまま前を向けない方もいます。 本当の復興はまだまだ先です。
▲4 ▼0
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アリかナシか賛否あると思いますが、AIでお子さんの写真から本当だったらの年齢に成長した姿を見る事が出来るの良いですよね。 震災、事故、病気…亡くなられて辛い悲しい思いを、少しでも明るく前向きに、心は一緒にAIで成長していき少しでも同じ時を過ごしている感じになれたら、変わっていくのではと思います。
私には、そんな技術は、なーんにもないですが、そんなサービスあっても良いのかなぁと。もうあったりして。
ずーーっと小さい頃の写真のままは、時が止まったままですよね…
▲5 ▼8
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50過ぎの父親です。 一人娘を持つ親として、記事の冒頭の部分を読んだだけで涙が溢れてきました。胸が締め付けられるような思いです。 6歳で亡くなられてしまった娘さんがこうして絵の中でも成長してくれてるだなんて。 なんと言葉をかけてよいのか、コメントをしてよいのか難しいですが、きっと天国から見ていてくれてるはずです。
▲76 ▼4
=+=+=+=+=
きっとこのお母さんは、娘さんがふとした日常によく現れているのでしょうね。 これほど想い続けられた娘さんは、このお母さんに感謝していると思う。 いつか必ずまた逢える。私はそう思います。
▲47 ▼4
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阪神大震災後で家族全員亡くしたドライバーさんが、休日に元住宅地だった場所を徘徊して警察に質問された。 他人には無駄な行動に思える事も本人にとって大切な事はいくらでもあるよ。 何もおかしくない。 親なら当然だし、子どもも喜んでると思う。
▲17 ▼4
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描かれている通り、実際お母さまに似て、優しく可愛らしいお嬢さんに育っていたと思います。時間が経つにつれ涙する事は減ったとしても、会いたい気持ちは一層募りますよね。お母さまの見つめる眼差しが、とても優しくて悲しい。
▲4 ▼2
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切なすぎる。どうやっても戻っては来ないが、せめて魂だけはと思う。前にも書いたが、国はこの様な災害、被害を二度と起こさないために、過去にあった町名、石碑、古文書などを再度AIなども駆使して精査し、どのあたりまで過去に津波が来たのかを調べられない物だろうか?
そして、その地域からは移住するのに大きく補助を出すとかしない限り、自然は何度も同じ様に津波を起こし、被害は再度起こるであろう。
先人たちは命を失い、石碑、地名や物語を残してきたが、風化され、改名され、石碑は開発と共に度々排除され、今に至っている。
海沿いは綺麗だし、過去の津波の影響もあり、平坦地が多いが、数十年〜年ごとに津波で人がたくさん亡くなるのはもうどうにか止められないだろうか。
先人達は皆、その思いを強く持っていたのではないかと思う。子孫が二度とこんな目に遭わない様にと。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
亡くなられて悲しいとは思いますけど、周りの他の新成人からしたらちょっと重いんじゃないかな。そんな絵まで持ってこられても困ると思う。 脳内で想像して会場に足を運ぶくらいにしておいた方が良かったんじゃないかな。 いつまでも気持ちを引きずっていても先に進めないような気がするけどね。
▲29 ▼20
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私の息子は年中で愛梨ちゃんと同じ幼稚園でした。震災の日は、2台目のバスに乗っていて運良く助かりました。あれから14年、息子は当時の記憶が薄れて来ています。息子には愛梨ちゃんと同窓だった事と成人式を迎えたよと伝えます。
▲13 ▼0
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娘さんは、いつまでも親御さんの心の中で生き続けてきました この記事を見て、涙が溢れました この先もずっと、親御さんのそばで成長し、見守ってくれると信じています
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
とても厳しい気持ちで見てしまいます 天災ではあるけれど もっと救える命があったのではないか…これからも伝え続け命を守ることが出来ればと思います 改めてご冥福をお祈りします
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
昨日ちょうど、14年かぁ、と思っていたところだけど、そうですね、小さかった我が子が成人式かぁ、とも思う年月でもありますね。同じ親として辛くもあり、この絵は嬉しくもあるだろう。とても素敵です。
▲0 ▼0
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この絵よーく見るとちょっとお母さんに似ているね。 素晴らしいエッセンスの抽出だと思う。 程よくマンガぽくディフォルメしつつ、 想像の中で最大限喜ばせようと頑張ったのだろうとわかる。 腕のいい絵師さんなんだろなぁと想像する。
素晴らしい仕事だと感服する。サイコーだ。
▲149 ▼10
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当時、関西在住でテレビのニュースを観て映画だと思ったのを覚えてます。 幼稚園だった娘が女子大生なので同世代ですね。 きっと今頃は将来の話とかしてたでしょう。胸が痛いですが、娘さんの分も頑張って下さい。
▲6 ▼7
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現在50代です、記事を読んで泣いてしまいました、お恥ずかしいですが北九州市民です、今年も一部の新成人が奇抜な服装で成人式に出席しています。 本来なら愛梨ちゃんも新成人になって素敵な未来があったと思います。 多くの方々のおかげで成人のなれた事に感謝して「成人式」に出席して頂きたいと思います。 今ある幸せが当たり前ではない事を新成人の方にも認識して頂きたいです。
▲14 ▼10
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山形の天童市にはムカサリ絵馬というものがあります。ムカサリとは結婚式のことです。 それを思い出しました。どちらも親御さんが子供を想って作ったもの、作ってもらったものですね。
▲32 ▼4
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明日成人式を迎える娘が同じ名前です。当時小学校に入学直前で震災に遭い亡くなったというニュースを見て同名のお嬢様だったので覚えています。育った娘を見て震災を昨日の事のように思い生きている尊さを改めて感じております。
▲57 ▼10
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成人式のニュースで、久々に素敵な記事を見ることができた。 最近は北九州や沖縄の成人式等が毎年ニュースになったりして「なんだかなぁ」と呆れていたり、横浜のレンタル会社が成人式前に倒産したりと、呆れるようなニュースばかりだったが、この様な記事を見ると心が暖かくなる。
▲4 ▼3
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20歳になられたんですね 日和幼稚園のお話は何度か伺った事があります 失われなくてもよかった命が失われてしまった… 胸が張り裂けそうになりました 阪神淡路大震災や東日本大震災でえた教訓を私たちはいかせているんだろうか? なぜ、能登の方々は苦しむ事になってしまったのか? やるせない気持ちです
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
子供が親より早く亡くなるのは辛過ぎます。そしてこんな事いうのも何ですがやはり海、川、山の近くに住むのはかなりリスクが高いです。能登での震災もそうですが被害者の多くは海沿いに住んでいる事が多い印象を受けます。
▲12 ▼6
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自分には4歳の娘と中学3年の息子がいます。 もし、子供達を突然失ったら自分自身どうなるかわかりません。 振袖姿素敵ですね。胸が苦しく熱くなります。
▲0 ▼1
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小さい子供がいる親は、涙なく読めない。 ただ元気に育ってくれたら良いって子供の頃はずっと思ってたのに、今はすぐ喧嘩。 頭くるけど喧嘩出来るのも有難い事なんですよね。
▲179 ▼10
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ほんとうに、オールドメディアって、過去にしか生きられないのですよね。自分たち自身が過去の栄光にすがりたいのはわかりますが、大事なのはこれからなんですよね。 いつまでも震災をネタに掘り起こして懐古趣味に興じるよりもこれから起きることの兆しを捉えて報じることのほうが意義深いと思うのですが・・そんな見識も、能力も望むべくもありませんね。
▲15 ▼57
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式をたくさんか、、、何年経っても辛いだろうね。6歳、本来なら卒園式、入学式、卒業式、成人式などたくさんの式を重ねるはずだった。誰のせいでもないけど元気な同級生を見ると嬉しさと辛さ、複雑な心境にもなると思う。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
そっか、もう14年も経ったんですね。何かピンときませんね。 自分が就職したのが1995年の阪神淡路大震災の時でしたから。 その間にも色々な災害ありましたね。あり過ぎて忘れてしまいそうですね。 忘れない様にメディアさんにはしっかり報道をお願いします。
▲47 ▼9
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こう言うの見ると1年1年歳を重ねられる事がどれだけ幸せな事かってつくづく思います。
改めまして震災で犠牲になられた方にはご冥福をお祈り致します。
▲0 ▼0
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こういった思いをしても、前に進んで今日を生きている方を尊敬します。 馬鹿息子だけど、成人を前に、自分よりも先に亡くなるなんて考えるだけでも涙腺がゆるみます。 自然災害は避けられないからこそ運命を恨みます。
▲10 ▼3
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東北のあと時からもう15年。 阪神からはまだ15年だった時だったんですね。
時の流れの速さに驚く代わりに、何も変わっていない日本のていたらくさに辟易とします。 せめても、今だけでもどうぞ安らかに
▲3 ▼3
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この時だけでも、長女さんの魂がお母さんと寄り添えていてくれてたと信じたい。 本当、地震は関係ない日本人なんていない災害だし、いつでも冷静に対応できるようにしたいですね。
▲110 ▼5
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もう14年なんですね。 お母さんからしたら当時6才の我が子が亡くなって、成人式になって 振袖姿を描いてくれた方が いると思うと涙が止まらないですね、、
幸せが訪れますように
▲7 ▼3
=+=+=+=+=
お母さんそっくりでかわいらしいですね。 二十歳を迎えることができて、晴れ着で式に参加できることがどれだけありがたいことなのか、改めて思います。
▲15 ▼4
=+=+=+=+=
子を想う気持ちは本当に大切だと思う。赤ちゃんを無かった事にしようとする母親!虐待!離婚して養育費を払わない親! 正直理解できない!我が子は本当に命よりも大事だと思います。きっと天国でお母さん有難うって言ってると思います。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
明日、自治体の二十歳のイベントへ行く娘が居ます。振り袖は私の実家が購入してくれました。 当たり前に祝えると言うことが、どれほど幸せなことか改めて考えさせられます。
▲69 ▼11
=+=+=+=+=
もう14年が経つのか あれから毎年のようにどこかで災害が発生して 土砂で押しつぶされた家屋を見るようになった気がする 復興復興と言いつつも実際はどうなんだろう また近いうちに新たな大規模災害が発生して この国は本当に立ち直れるのだろうか
▲1 ▼3
=+=+=+=+=
肉体は無いけど、魂は家に戻って来てます、家の中におります、陰膳でなくとも、食卓に毎朝、好きだった飲み物置いて、話しかけて下さい、意思疎通できます。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
地震発生後、知り合いが石巻から七ケ浜まで当日車で移動出来た。エリアにもよるんだろうけど助かるはずだった命は結構あった様に思える。
▲8 ▼2
=+=+=+=+=
この画像が目に入った瞬間、いや…これは…駄目だ駄目だって感じたよ。 いくら時を経ても我が子の死は辛すぎるよ。 後ろには亡くした子と同学年の人達が晴れやかな姿でいるのに… 俺も娘居るけどこの母親と同じ境遇になったらとふと想像しただけで恐怖を感じる… 次女が居るみたいだけどそれがまだ救いになっているかな。 それにしても駄目だ…
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
うちの子も成人式でした。 素敵な着物を着せて貰えてよかったですね。 凄く綺麗ですよ。 同じ歳の子達と同じようにお祝いしてあげかったんですよね。 怖いとか書いてる人いますが気にしないでくださいね。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
お母様と似ていてお綺麗な女性、爽やかな青い振袖もとても似合ってます 最近は歳のせいか涙腺が緩くなりまして、ちょっと泣いてしまいました
▲19 ▼5
=+=+=+=+=
気持ちは痛いほどよく分かりたい。しかし津波ではなくとも事故や事件、病気いろいろな理由で成人できない方も多くいて、どこかでけじめというか心の踏ん切りを付けなければならないのも事実ではないでしょうか。 戦争中亡くなった数多の方が生きていれば◯◯歳で肖像画を…なんてことは殆ど聞いたことがありません。
▲21 ▼17
=+=+=+=+=
コメントを読んでいると皆さん。本当に素晴らしいなっと思います。 うーんといういらないボタンを押している人間は一定数いるが、どういう神経をしてるのか分からない。 日本の後退や衰退はこの辺りからも伺いしれますなー。悲しい。
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あの時、多くの国民は団結して助け合った。 本当に素晴らしい国だと心から感じた。 今は政治家、役人全てが腐ってる。 能登の人達に支援は遅いのにウクライナには数兆円っておかしくないか? 国民から税金をむしり取って自分たちの親族ばかり儲けさせて。 国民は立ち上がる時だと思います。 不正に鉄槌を下す時です! 日本人を不幸にして外人に甘い国はいらない!
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とても気の毒だとは思うが全くの赤の他人の自分としては戸惑うばかり 批判覚悟でコメントです 理解も出来ないし共感も出来ない 皆が皆 素敵だね、とはなりませんしどちらかと言うと見たくないし知りたくないニュース 読まなければいいと言うがどこを読んでいてもなぜかゴリ押し的に上位表示されるからうんざり 家族の死はプライベートなものなのだからもっと密やかに取材なんて断ればいいのにと思う 本文は読んでません
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成人式で一つの区切りが過ぎられたから、少しこころを解放されてはいかがでしょう。 仏教の現存するもっとも古い経典のスッタニパータには最初頃に 「妻を愛するな、子供を愛するな、親を愛するな。苦しみの拠(よ)って来るところとなるから。」とありますから。
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人間て辛いな。過去の記憶は消えることもあれば、かえって増大することもある。忘れないように自分に言い聞かせ無理に記憶に留めることもする。 私もそうだが、其れしか、生きる糧がないそんな虚しさに襲われる。思い出にすがるしか生きてる意味を見いだせない。個人的問題であろうか、それとも日魅力的な現在のせいであろうか?わからぬ。
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切ないな〜。 ほんとに今の人生、五体満足で普通に生活できることに精一杯の感謝ですね。周りの人に優しく、人として恥ずかしくない人生を歩まないといけないと改めて思いました。
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この子が二十歳になったら、どんな成人になるんだろうと、当時の写真などを見てシュミレーションして描いてくれたのかな お母さんにも少し似てるな
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そうですよね、成人になったんですもん。 兵庫県も今年で30年なんですね、震災から。 早いものですね。 東日本も阪神・淡路も能登も上越も熊本も胆振東部も全ての災害は風化させてはいけません。
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私も14年経ってもまだ実感がわかないです。家族を亡くした人にしかわからないことがあります。
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阪神淡路大震災に遭いましたが母と共に助かりました
今こうして生かされていること 感謝したいと思います
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この記事は間違っている 日本における20歳成人は過去のもの(2021年で終了) 日本の成人年齢は2022年4月1日から20歳から18歳に引き下げられた
18歳成人 と検索すれば法務省のHPに辿りつく そこに18歳成人に引き下げた理由も詳しく記されている
他人を非難する前に正しい事を吸収しようぜ 日本の成人年齢は2022年4月1日から20歳から18歳に引き下げられたよ
まだ20歳が成人と思っている人はいい加減にアタマのUPデートをしな
「民法改正により、2022年4月1日から、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられました。 成人とは、親の親権に服さなくなる年齢のことで、2022年4月1日以降に18歳になる人は、18歳の誕生日を迎えた時点で成人となります。」 Q1 どうして民法の成年年齢を18歳に引き下げるのですか? Q2 成年年齢は,いつから18歳になるのですか?
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14年なんだ… 一生忘れられない…あの地響きや揺れ、一瞬にして大勢が亡くなられて いまだに見つからない方もいるんだもんね
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