( 249281 ) 2025/01/14 16:45:59 0 00 軽自動車(画像:写真AC)
彼氏の車が軽自動車だと恥ずかしいかどうか――昔からよく議論されている話題だ。車に関する最新情報を発信するウェブサイト『くるまはっく』を運営するアント(東京都渋谷区)が、2024年7月に20代~30代の独身女性1005人を対象に行った「モテる男性の車」に関する調査によると、男性に乗ってほしい車のボディタイプについて質問したところ、「SUV(38.0%)」と回答した人が最も多かった。続いて、反対に、男性に乗ってほしくない車のボディタイプについて質問したところ、「軽自動車(38.8%)」と回答した人が最も多かった。
少しネットを覗いてみるだけでも、次のような投稿や記事が見つかる。
・女性に問いたい。彼氏の車が軽自動車だと、やはり恥ずかしいものですか? 本音を語ってください。 ・彼氏がスズキの軽自動車に乗っているので、別れたいです。 ・ごめん、帰って! 彼氏が迎えに来る車が「恥ずかしい車」6パターン。 ・彼氏の車が軽自動車じゃダメですか? ・彼氏が軽自動車だと恥ずかしい理由。別れたいと思うのは間違いではない? ・20代社会人です。軽自動車が原因で彼女に振られました。 ・男で軽自動車ってダサくない?
何ともひどいいわれようだ。こうした調査結果やネット上の投稿を見ると、「彼氏の車が軽自動車で恥ずかしい」と感じる人が少なくないことがわかる。しかし、この感情の真意とは一体何なのだろうか。
・日本の車文化の変遷 ・社会が求める価値観の変化
を振り返ると、この感覚がどれほど不自然であるかが理解できる。車はただの移動手段に留まらず、ときに所有者の個性や価値観を表現するものとして捉えられることもある。しかし、現代社会において、それが本当に適切な考え方だろうか。
軽自動車(画像:写真AC)
軽自動車に対する否定的な感情は、社会に深く根付いた価値観や、過去の車文化の影響を色濃く反映しているように思える。次に、その要素を整理してみよう。
●ステータスシンボルとしての車 車が「富や成功の象徴」として認識されるようになったのは、昭和後期から平成初期にかけての高度経済成長期のことだった。この時代、自家用車の所有は経済的余裕の証であり、高級車の購入は社会的な成功の象徴とされた。この価値観は、今なお一部の人々の中に深く刻み込まれている。軽自動車は「安価で実用的」という性質から、こうした「ステータスシンボル」としての役割を果たしにくいとされている。
●性別役割分担の影響 特に日本においては、男性が「頼れる存在」であるべきだという固定観念が強く影響している。車がその人の能力や社会的地位を反映するという考えが残っているため、男性が軽自動車に乗っていると「頼りなさ」を連想される場合がある。このような性別に基づく偏見が、軽自動車に対する不当な評価を生み出している。
●車文化の地域性 地方と都市部では、車に対する価値観が大きく異なる。地方では車が生活必需品であり、高速道路の走行性能や車内空間が重視されるため、軽自動車は「実用的だが二流」と見なされることが少なくない。一方、都市部では駐車スペースの確保や燃費性能が重視され、軽自動車はむしろ合理的な選択肢とされている。この地域差も、偏見を生む一因となっている。
軽自動車(画像:写真AC)
軽自動車に対する偏見が未だに存在する一方で、その実用性や性能は大きく向上している。むしろ、現代の価値観に照らすと、軽自動車は非常に合理的で持続可能な選択肢といえるだろう。
まず、環境負荷の軽減が挙げられる。軽自動車は燃費性能が優れ、二酸化炭素排出量が少ないため、地球環境に優しい選択肢だ。地球温暖化対策が世界的な課題となっている現在、軽自動車の普及は持続可能な社会の実現に寄与しているといえる。環境への配慮を「恥ずかしい」と感じる理由はない。
次に、経済性の魅力も見過ごせない。維持費が安価である点も軽自動車の大きな利点だ。自動車税や保険料、燃料費が抑えられるため、経済的な負担を軽減できる。むしろ、この選択は賢明であり、浪費を避ける姿勢として評価されるべきであろう。
さらに、安全性能の向上も見逃せない。以前は軽自動車の安全性が劣るとされていたが、現在では衝突回避システムやエアバッグなどの先進技術が導入され、普通車と同等の安全性能を備えている。これにより、「軽自動車は危険」という古いイメージは過去のものとなった。
軽自動車(画像:写真AC)
「彼氏の車が軽自動車で恥ずかしい」と感じる人は、その理由を改めて見つめ直すべきだ。それが本当に「軽自動車」に対する感情なのか、それとも他人の目を過剰に意識する自分自身の姿勢に起因しているのではないだろうか。
他人の評価に依存する価値観が、多くの「恥ずかしい」という感情を生み出している。しかし、他人の目を過度に気にして自らの選択を否定することこそが、真の「恥ずかしさ」ではないだろうか。軽自動車を選択するという合理的な判断を恥ずかしいと感じるのは、自らの価値観の狭さを露呈しているといえる。
車はただの移動手段に過ぎず、その所有者の生活スタイルや価値観を反映するものである。「高級車でなければならない」という固定観念に捉えられることで、本来の目的や自分にとって最良の選択を見失う危険がある。軽自動車の選択は、個人の自由であり、それを他人が評価する余地はないはずだ。
軽自動車は単なる「安価な車」ではなく、現代の価値観を象徴する存在である。環境への配慮や経済性の重視、そして安全性の向上は、これからの社会が目指すべき方向性と合致している。「軽自動車=恥ずかしい」という偏見は、過去の価値観に縛られた時代遅れの考え方であり、未来志向の社会においてはもはや通用しないだろう。
軽自動車(画像:写真AC)
「彼氏の車が軽自動車で恥ずかしい」と感じる感情は、個人の価値観や社会的な固定観念が生み出したものといえる。
車の価値を「見た目」や「他人からの評価」で測るのではなく、実用性や環境への配慮といった本質的な要素から捉えることが大切だ。
軽自動車に対する偏見を見直し、合理的で持続可能な選択を尊重する社会が広がれば、車に限らずさまざまな場面で価値観の転換が進むだろう。
軽自動車を選ぶことが恥ずかしいわけではなく、その選択を軽視する価値観こそが問題と捉えるべきだろう。
作田秋介(フリーライター)
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