( 250453 ) 2025/01/16 18:41:24 2 00 どこまで責任問える?司法の判断は…家族3人殺害の被告に懲役30年「別人格」の捉え方【記者解説】静岡放送(SBS) 1/15(水) 21:46 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f065f9d284ca68b7bad211aa405225eab633ab7c |
( 250456 ) 2025/01/16 18:41:24 0 00 静岡放送
2022年、浜松市中央区の住宅で祖父母と兄あわせて3人がハンマーで殴られるなどして、殺害された事件で静岡地裁浜松支部は1月15日、無職の男(25)に「責任能力はある」と認めた上で「強固な殺意に基づく残虐な犯行」と指摘し、懲役30年の実刑判決を言い渡しました。
<LIVEしずおか 水野涼子キャスター> この裁判を取材した浜松総局・野田栞里記者に聞きます。
<浜松総局 野田栞里記者> 裁判中の男は紙とペンでしきりに何か書いていたり、何度も座り直したりと落ち着かない様子で、2時間半の判決の言い渡しが終了しました。
この裁判は、かつて「多重人格」とも言われた「解離性同一性症」と診断され、「別人格」の存在が認められた被告にどこまで責任を問えるのかに注目が集まっていました。
男は一貫して否認し続け、子どもの頃、父や兄から受けた虐待のフラッシュバックから生まれた別人格「ボウイ」が3人を殺害したと「ボウイ」から聞いたと話してきました。
<LIVEしずおか 水野涼子キャスター> そのうえで検察側と弁護側はこれまでどんな主張をしていたのでしょうか。
<野田記者> 検察は、別人格がいたとしても被告であることに違いはないと無期懲役を求刑。一方、弁護側は主人格と別人格を区別。犯行は『被告』でなくコントロールの効かない『別人格』によるものだとして、無罪を主張しました。
<水野キャスター> 判決は懲役30年となりました。裁判所はどういう判断をしたのでしょうか。
<野田記者> 判決文を読み解いてみると、裁判所は、男の責任能力の有無を判断するにあたり「症状としての各パーソナリティ状態を抱合する一個人」としました。つまり、司法は「別人格」の捉え方については検察側を採用したかっこうです。裁判所は、3人を殺害したのは『ボウイに解離した状態の被告自身』と判断しました。
担当した裁判員は報道陣に対し「多重人格というのが映画や小説の話だと思っていた」と、その判断の難しさを話していました。
静岡放送
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( 250455 ) 2025/01/16 18:41:24 1 00 この記事には、精神疾患における刑事責任や情状酌量などについて多くの意見が寄せられています。
総じて、精神疾患による犯罪が法的にどう取り扱われるべきかについて、法のあり方や社会的責任、被害者や加害者の立場など様々な観点から考察されていることが分かります。
(まとめ) | ( 250457 ) 2025/01/16 18:41:24 0 00 =+=+=+=+=
別人格と言われると胡散臭い感じがしましたが、他の記事に書かれていたこの人の境遇がその通りなら、別人格が発生してもおかしくはないですからね。 ただ、その場合に別人格を理由に減刑するなら、同じような境遇で多重人格とならずに犯行を行った人と大きな差が出来るわけなので、あくまでも別人格による犯行かどうかではなくこの人の置かれていた境遇にこそ一番の焦点を当てるべきなんじゃないかと思います。
▲3913 ▼518
=+=+=+=+=
人格が複数であっても、それは同一の個体であり、全体として責任を負うべきだと思います。 どの人格が、犯罪を犯したのか正確に把握することは困難であり、性格が入れ替わるタイミングも立証できないのであれば、責任能力があったかどうかの判断は極めて困難なのではないでしょうか。境遇や社会的背景を考えれば、殺意の対象が家族へ限定されているような気もしますし、情状酌量の余地があっても良い気がします。
▲375 ▼58
=+=+=+=+=
解離性同一性障害が科学的に証明できているとすれば、特定の人格の身を罰することは困難で難しい事例ですね。ただ暴力的な性格が含まれる場合は周囲に危害を加える可能性があることから、やはり収監しておくことが社会的には望ましいと思います。オリジナルの人格や、暴力的ではない別人格が出ているときは気の毒ではありますが、一方で不要なリスクを無関係な人たちが背負うことも避けなければならず、仕方がない部分もある気がします。
▲1302 ▼106
=+=+=+=+=
別人格とはいえ、別人格が何かを行うのはその体。 だからその体の拘束というのは必要。 また、別人格かどうかの判断や切り替わったみたいなのがわからない以上第三者がどうこうできることでもない。 珍しいことではあるが、そのたびにルール変更していたらルールはいくらあっても足りないし、対応はできないと思うからある程度今現在に当てはめて行うことが最善だと思う。 別人格だから減刑や無罪とかにはならないようにしないといけないと思う。
▲12 ▼0
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私も解離、現実感喪失症で悩んでいます。 現実を現実として捉えることができないと言うと、他の人は嘘でしょみたいな感じで思われたり言われたりするのですが、 当事者としてはとても厄介な病気です。
現実として捉えることができないので、 結婚したことも、子供を産んで育てたことも、あまり自分のこととは思えず、 何か第三者の自分が今を生きているような気がして、でもこれもなかなか理解してもらうことができません。
このような解離の人がどのように司法で裁かれていくのかは私も興味があります。
▲107 ▼59
=+=+=+=+=
被告は、虐待のトラウマから生まれた「別人格」が犯行に及んだと主張したけど、裁判所は、被告自身の責任能力を認めて、懲役30年の判決を言い渡した。 確かに、「解離性同一性障害」による「別人格」の存在をどう捉えるかは、大変難しい問題だと思う。だけど別人格と言ったって、主人格から分離独立して存在しているわけではないし、主人格の延長線上連続線上にあることは間違いない。 そう考えると裁判所が下した、有罪判決は妥当だと感じる。
▲1094 ▼117
=+=+=+=+=
二度と別人格に戻ることがない確証があれば無罪もあり得るが、それは無理なこと、再び別人格になれば罪を犯すことになる可能性もある。 あくまで別人格を争点にするなら、別人格の者に罪を科し、本来の人格者には罪は科さないとするのが合理的な判断だ。 しかし、どちらの人格も同じ人物、別人格とはやはり当該人物が罪は償うべきであると思う。 もし弁護人などが、生涯24時間365日連れ添うなら検討の余地もあるだろう。
▲696 ▼81
=+=+=+=+=
大学時代の一般教養の心理学の授業では、講師が多重人格について詳しい人で、色々な症例について教えてもらいました。 一昔前は、多重人格という症状(存在)を認めるか否かという所が争点になっていたかと思うけど、検察・弁護側両方が認めた上で議論されるようになったんだなぁと。 多重人格は、悲しいつらい記憶を引き受けて隔離する人格、強い怒りを持つ人格の二つが作られるケースが多いように思います。 そうでもしないと精神を保てないくらいの辛い出来事があったという事で、発症してしまう事自体悲しい出来事だと思います。 その先に事件が起きてしまうのはやるせないですね。
▲382 ▼20
=+=+=+=+=
記事には時間のあらましも書くべきですね
裁判を通じて明らかになったのは被告の凄惨な生い立ちで、中学生の頃まで長兄から尿をかけられたり飲まされたりしていたほか性暴力を受け、父親からは暴力を振るわれていただけでなく、目の前で母親に暴行を加える姿を何度も見せられ、祖父母からは「金をあげるから母親に暴力を振るってほしい」と依頼されていたことがわかっている。
情状酌量の余地は十分にあったと思います。
▲1156 ▼241
=+=+=+=+=
多重人格による事件は海外でもあるみたいですが、診断の結果その症状が認められたとしても、その罪を犯したもう一人の人格は同一の身体に存在している訳なので、判断を下すという事にした場合自動的に身体全体も刑罰を受けざるを得ないと考えます。コントロールも効かないし切り離す事も出来ない為、事件を起こした人格は別モノだとしても罪が消えて無くなる事は無い。巻き込まれてしまった無実の人格には不憫に感じますが、コレばかりはどうしようもない。ただし有罪判決が与えられるべき人は、罪を犯した人格とされる名前で判断を下すべきだと思います。小さい頃に受けた虐待がこんな所にまで影響するとは、なんとも悲しい出来事だと感じます。
▲197 ▼13
=+=+=+=+=
難しい話ですね・・私個人の考えだと主人格と別人格と表現されているけれど、どちらが本当の主人格なのかも判断が難しいのではないでしょうか? 仮に、殺人を起こした人格「ボウイ」の方に主導権があって好きなときに入れ替われるとしたら、警察取り調べや裁判ではもう一つの温和なのかな?その人格の裏に隠れていて刑が確定したら「ボウイ」が主にこの人の身体を使うと言う事にならないのか?そこまで検証できないのならば普通の裁判と変らない形でいいと思う。
▲13 ▼0
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多重人格(解離性同一性障害)のメカニズムはいまだに完全には解明されておらず、専門医でも真偽の判断が難しいとされています。その点がまずは重要かと。あと多重人格の人がすべて犯罪を犯す訳ではありません。発症に至った複雑で悲惨な家庭環境など情状酌量の余地はありますが、少なくとも現実に犯罪を犯した人物(人格)がいるわけですからそこは普通に法的責任を問うべきだと思います。
▲59 ▼7
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精神科に携わるものです。解離症にはいくつかのタイプがありますが、特に解離性同一性障害は幼少期の苛烈な虐待に起因することが多いと言われています。通常、解離症の影響による犯行は責任能力なしになることは少ないかと思います。今回のケースでは、背景に過酷な家庭環境があったということなので、その点を考慮した判決は妥当であるという印象を受けました。
▲92 ▼6
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生まれつき解離性同一性障害だったわけでなく、幼い頃より虐待を受けた結果の疾患である。心の逃げ場を見つけることが出来なかった結果であって、やはり過程をしっかり吟味してほしい。 多分最初にやることは疾患の治療であり、刑罰ではないと思う。 心を取り戻すのに30年はかかると思う。懲役と言う名の人生を取り戻す期間となってほしい。
▲60 ▼13
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やはりこういう人はかわいそうかもしれませんが、病院に隔離し続けるべきです。義弟が統合失調症なのですが、「隣の家の人が盗聴している」という幻聴が聞こえてきました。本人には病識が無く通院もしなければ服薬もしていないので、それが本当だと信じ隣の家に何度も抗議に行くうちに、ついに包丁を持って押しかけました。幸い隣人がドアを開けずにドアミラー越しにその姿を見て警察に通報したため事なきを得ました。入退院を繰り返しているうちに、このようなことを何度も起こして、人を殺傷する危険性が高いということで今は長期入院しています。退院するたびに何か起こすのではないかと心配の日々を送っていたので安心しています。
▲22 ▼4
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解離性人格障害、別人格と言うと信用しない人もある様子ですが、紛れもなく病として存在する訳で、責任を求められるのが何処までと言うのが非常に難しいのでしょうね こういう病はほんの少しのストレス等ではなり難いだろうし この犯人も壮絶な人生がある 余りに壮絶な人生が続いて、人格が乖離した訳で、ご家族の中でこういう事が起こるのが信じ難いです 何とか償いをしながら健康な心身に戻れる様な支援があればいいけれど
▲171 ▼57
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人を殺めるという時点でその人の精神はまともじゃない。別人格と言ってもドラマのようにはっきり切り替わるものでもないし、無罪になるための言い訳でしかないでしょう。無罪にしたら別人格がまた犯罪をおかすかも知れない。別人格の現行犯であっても、逮捕後人格が変わると罪に問えないというのはおかしいことですから、「縫合する個人」と言うこの判決は納得できるものです。
▲6 ▼6
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裁判員の方がおっしゃる通り、一般的には小説や映画の世界の話だと思う案件ですよね わかりやすく言えば、ハイド氏が起こした犯罪に対しジキル博士の責任は如何に?ということ
検察側も多重人格は否定していないということでそれはもう間違いがないのでしようが、仮にメンタルが別物だとしてもフィジカル的には同一個体なわけですから、判決としてはフィジカルなその個体に対して行うしかないと考えます 要するに今回の判決で大体正しいのでは?と個人的には思います
▲20 ▼3
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多重人格だろうが、諸々の精神的疾患だろうが、同じ人間が犯したことなので、例え無罪になったとしても、一生涯この社会での生活は極力制限されなければならないでしょう。そうでないと同じ犯行を行う可能性は非常に大きいでしょうから。 責任を問えるか?問えないか?という事がいつも争点になりますが、法律といういうものをもっと人間らしい捉え方をするべきではないでしょうか。被害者の(家族等の)思いがいつもないがしろにされている現状は、決して好ましくは無いと考えています。
▲13 ▼4
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いわゆる心神喪失と解離性人格障害の刑事責任のあり方については、心神喪失が被疑者の人格全てにおいて、善悪の判断がつかなく状態の場合を認定とし、解離性人格障害は、それには該当しないとしています。 そもそも、犯罪行為は物理的な人体が行なうことであり、その人体に複数の人格があっても、犯罪行為を犯してた人格が心神喪失状態で無ければ、人体を共有する別の人格があったとしても、心神喪失としての刑事責任の免除には無理があります。 しいていえば、心神衰弱を準用して減刑するのが、現行法では適切だと思います。 ちなみに 刑務所での更生は、本来なら犯罪を犯した人格に行わなければ効果がありません。そのへんを刑務所側がどうするのかは課題ですね。 ちなみに、犯罪行為を犯した人格が、いつ現れるかは分からないということは、いつ、再犯するか分からないということで、一時的な状態である心神喪失よりも社会防衛からは危険な存在です。
▲31 ▼5
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解離性同一性障害に共通するのは持続的な強いストレスを受け続けてきた歴史と一旦解離が生じると原因が消失した後も簡単には回復しないこと。
解離の程度が強ければ別人格が出てきている間、主人格の意識や記憶は全くありません。30代の女性の中の4歳児が出てきている時に、中学生の娘さんがその「4歳児」にトイレの躾をするケースなどもある一方で、同一人物であっても出て来る人格によって、表に出ている別人格の後ろで主人格がそれを眺めているケースもあります。
定義できていない「人間」の問題に触れざるを得なくなった時に司法はどう対処すべきなのか?
解離性同一性障害に対して日本の精神医療は十分な対応はできておらず、司法に対して専門的見地から意見を述べるだけの十分な知見も蓄積されていないのが現状です。前後左右の整合性をもって良しとする司法判断が出されるなら、必ずや将来に悔いを残すことになると強く危惧します。
▲1 ▼0
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精神的な病気は完治が難しく、殺人を犯すような人格が出たり行動されたらいつでも事件が起きてしまう事になる。
精神疾患専用病棟が必至で、家族も隠して看護してる家庭が沢山あるだろうけど入所させるべきです。 重度精神疾患で障害認定で負担が減れば 入所出来るはず。 認知症でも様々なタイプがあり暴れたり行動問題がある患者専用の病院があるべきだなと思います。
▲2 ▼0
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別人格が存在したとしても多重人格であっても其々の人格は被告しか持ち得ないもの。別人格であっても姿が無く行動に移せる別人格などあり得ず、別人格も物理的に被告であるに相違ない。犯行後の責任能力の有無がよく言われるが、犯行を被告が突発的衝動による後悔と反省で捉えるか、全く意に介さず後悔も反省のかけらすら無いのかの二択で、後者であるならば心神耗弱として量刑が軽減されるのならば、前者であったとしても心理的変化をもたらしかねない。やってしまった犯行の程度というか限度を超えた行為の結果には、犯行に至る過程の心理状況等の詳細すら凌駕してしまうものはあるのではなかろうか。
▲3 ▼0
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犯罪と無縁の方には想像もつかないくらい、劣悪な環境下で人生を歩んできた犯罪者は多くいます。法律家に人権派が多いのもそのような境遇を度々目撃するからであり、法律を学んだ私も、裁判傍聴を通して育成環境の与える影響を重視するようになりました。他の殺人事件と並列に捉え、厳罰を望む方も散見されますが、ケースバイケースで考える必要があると思います。被告人に責任能力を認めながらも有期刑とした背景には、育成環境や被害者の因果応報など、多分に加味されています。
▲226 ▼39
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この件に限らず、精神障害者が加害者となる犯罪を裁くのは とても難しいですよね。「刑務所送りだ」とか「精神病院の閉鎖病棟へ入院させろ」とか「無罪放免だ」とか 様々な意見があるでしょうが、私の考えとしては、現行の裁判システムや法律等を見直して改正して「精神障害者の犯罪加害者を専門に収容する施設」を新たに設置するべき時期に来ているように思っています。要するに、これは刑務所と精神病院の双方の機能を併せ持った中間的な施設ですね。 精神疾患を持つ人は増加傾向にありますし、もはや今までの法体系では適切に対応できない時代になってきていると思うのです。法律や司法システムを大所高所から全体的に見直す必要があるのではないでしょうか。
▲22 ▼6
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難しいですね人間の脳の機能とかまだ未知数な所ありますね、認知症の人でも色んな性格の人現れること多いですしね、性別年齢性格全くの別人が認知症の人でもでてきてとまどうことあります、そういうのが認知症でない人でもあるって事でしょうね。 犯罪やった人格がでてきて服役すればいいですが、全くわからない人格が服役だときついでしょうね、介護施設等で働いた事ある人は経験ある人いると思いますが別人格に変わる老人けっこういますよね。
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身体は一個ですからね。 意識が分裂していようが、罪を犯したのが複数の内の一つであったとしても、記憶が無かろうが、その人格が表出すれば他人に危害を加える可能性があるとなれば、やはり無実と言うには無理があると思ってしまいますね。 罪を犯した人格が、復讐したから満足して今後二度と現れない確証でもれば話はまた変わるのかもしれませんが、一度分裂した者は再度新しい人格を生み出す可能性は低くないでしょうから心神耗弱の適用は難しいですね。 過去にもあった様に思いますが、この司法判断が合理的な様に感じます。
▲1 ▼0
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解離性同一性症いわゆる多重人格であることは検察側も争点としていないなら、過去に多くの受診歴があって診断結果が残っていたり、周囲の人間も多くの人が多重人格であることを認識していて証言に矛盾がないような状態なのでしょう。 別人格が生まれるほどに虐待されてきた生い立ちには同情するし、被害者たちは何らかの罰を受けるべき人間だったと思いますが、法治国家において、私刑は許されることではないですし、別人格もその人の一部ではあると思いますので、通常通り裁かれるべきだと思います。 多重人格などなくても、いわゆるキレてしまっての、冷静な判断なんか全く下せない興奮状態やショック状態での反抗も、普段の自分とは大きく異なる人格が出てきてしまっているようなものだし、記憶があるかないかは違っても本質的には大きな差はないと思いますね。 別の論点として、被害者たちから受けてきた虐待を苦慮して情状酌量するのは良いと思います。
▲8 ▼0
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別人格だろうが何だろうがやった人間は一人なんだからその罪を負うのもまた一人だと思いますがね。 それに別人格だからと刑を軽くしたとしてまたその別人格が危害加えた時どうするの?って思う。 病気だからとか子供だからとかで罪を軽くするのは間違いだと思うよ。 やったことは子供だろうが大人だろうが変わらないし病人だろうが健常者だろうが変わらないんだからそれによる罰を負う程度もまた変わらないと思う。
▲130 ▼32
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かなり特殊なようですが、一般社会も法人と個人は別で法人格の責任が個人に及ぶことは無いのですから、責任の範囲を予め規定しておくことは可能なのでは。 理解は及びませんが、例えるなら完全な責任能力は有するが、業務遂行の命令下にあり逆らえなかった、というような状態でしょうか。 ただ、結果から考えると状況を鑑みて減刑しても無期懲役以上、無罪などありえないでしょう。半狂乱ならまだしも弱った人間が的確に狙いを定めて3人も手にかけるのが可能だとは思えません。
▲26 ▼16
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多重人格者の犯罪が法で問えるか、という記事に触れて思うの法には問えずとも完全に治療していただくということではないでしょうかと感じました。。それでなければ殺された方々のお気持ちに報えないのではないでしょうか。病気だからと罪は問われず、そこですべてが終わってしまってはならないのではないでしょうか。 病気は社会で普通の生活ができるようになるまで治していただかねばならないということではないでしょうか。そうしなければ社会生活を通常に行っている方々が不安で仕方ないでしょう。いつ事件に巻き込まれるかしれないということはかなり精神的負担ではないかと感じますがいかがでしょうか。双方信頼し合って生活できる社会でなければならない所存だと感じますがどうでしょうか。
▲0 ▼0
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別人格だとしても肉体を共有している限り、この人に償わせるしかないのでは。精神を個人とするか、肉体を個人とするかなら、精神はそれだけでは存在できないので肉体を個人とするべきだろう。別人格が表面に出ている間のみ収監ってわけにもいかないだろうし、別人格に変わるのをコントロールできないなら収監しておかないと危険だと思う。 過去の出来事は悲惨なことがあるようだけど、そういう目に遭っている子をどう救うかだと思う。ぱっと見両親揃って兄弟もいて普通に見える機能不全家族だったら、周りの大人も親のやることにも理由があるだの親になれば気持ちがわかるだの言いくるめて何も救われないみたいなことも多いのでは。学校の教師も忙殺されているし、子供が助けを求められる大人が必要なんじゃないかな。
▲19 ▼1
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ビリーミリガンを思い浮かびました 彼は23人もの別人格がいて統制しているキャラが2人、少年時代に養父に性的な虐待を受けたことがキッカケで分裂してしまった
暴力、ネグレクト、心身ともに弱い子供が出来る唯一の防御本能でもある
本人には身に覚えがないなら気の毒ではあるけど防犯カメラや指紋、足跡など状況証拠でも犯行は立証出来る 懲役期間中にカウンセリングや薬物治療で少しでも彼が穏やかに暮らせると良いね
▲12 ▼2
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精神疾患は情状酌量の適用範囲からは外すべきだと思う。
精神疾患に詳しければ装う事は可能だし、罪に対して然るべき罰はあるべき。
そもそも法治と性善説は相性が良くない。 性悪説、法家思想に基づいて、やらかした事件に対して相応の罰を与えることを最優先にして、情状酌量が与えられる事例は特例を設けて、適用対象以外は与えられるべきではない。
▲7 ▼5
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精神疾患はその個人を決定づけるもの、つまりそれが病気ではなく個性として定着してしまう事が多い。 多重人格は小説だけの話と思ったが、実際に人格を生み出さざるを得ないくらい、耐え難い環境で、それによる犯罪であれば、情状酌量なのかなと。 一方でそれを元に戻す、人格を統合するのは分離した倍以上の時間がかかると聞く。 これからが大変だし、逆に事件が起きなければ気付けなかったのかも知れない。 だからこれ以上の罪を犯さずに良かったのかも知れないとも思う。
▲1 ▼0
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精神的な疾患がある場合と異なり。違う人格が出現するというケースでは、いつその人格が再び登場するかわからないことになります。 その異常人格者はすでに殺人を引き起こしているわけですし。 その人格を内包したまま社会に戻すわけにはいかないのではないでしょうか。 生きている間は定期的なカウンセリングや社会貢献活動などを義務付ける事ができればまた違う判断ができたかもしれませんが。
▲1 ▼0
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別人格で有ろうと無かろうと、同一個体に有してるものだから「無罪」はあり得ない。無罪=一般社会で生活出来る、と考えれば自ずと答えは出るでしょう。今件に限らず他の精神疾患を持つ人が犯罪を犯した時も同様で対応しないと被害者はたまったもんじゃない。勿論、加害者が他者に強制的(薬物投与等)に精神疾患状態にさせられた時は情状酌量の措置が取られる余地はあるが。
▲14 ▼3
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別人格が生まれた背景が情状酌量事由とされるべきであって、人格と人間個体を分けるような発想は、少なくとも現段階の法体系では想定されていないので、認める余地がない。
主張するのはいいが、これを裁判で認めるためには、そもそも個別の人格権を人権として認めるよう法体系を変えるほうが先だし、そこまで別人格に人権を持たせるべきと考えている層がどれだけいるのか。
個人的には、多重人格を擁する個人は会社組織みたいなものだと考えている。主人格が社長なのだから、別人格(社員)がやったことも代表者である主人格(社長)が責任を取らなければならない。
あくまでイメージだが、現状の多くの人の認識をあえて言語化するとすれば、だいたいこんな感じになるのではないか。
法とはコモンセンスの体系化なので、この共通認識が変わらない限り、個別の人格が犯罪主体として認められるようなことはありえないと思う。
▲39 ▼6
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幼い子供が起こした犯罪でもない限り、結果責任だけを裁くのが普通の感覚だと思います。精神がどうとか責任能力とか動機がどうとかは犯罪心理学や統計学の研究としては必要かも知れませんが被害者が存在する以上、被害者と同等以上の結果にすべきかと思います。
▲0 ▼0
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行ったことの責任という事で、能力云々というのなら殺人は行う能力があった=責任能力があったという判断にしてほしい
障害があろうがなかろうが、殺人を行えるのならそれ相応の刑を担える能力があるという事 解離していようがなかろうが、刑を与える 執行までの間に治療するなり教えるなりして行ったことへの罪の意識を持たせるというのが正当だと思う
▲6 ▼1
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この件に限らず、大前提として加害者の事情ではなく被害者に寄り添った罪罰の判決であるべきと思います。被害者の言動が加害者を生み、被害者に対する犯行に繋がったのなら情状酌量の余地はあるとは思います。しかし、無関係な方が被害者となった場合は責任能力の有無、程度の考慮をすると被害者や世間は納得できないと思います。
▲5 ▼2
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本人とは別人が犯罪を犯したとして下された判決は、今後起こり得る新たな裁判に影響を与える可能性があります。特に凶悪犯罪の場合、精神鑑定を行い責任能力の有無を確認することが重要ですが、今回の判決を模倣する被告人が増加することで、今後の裁判に支障をきたす恐れがあります。
▲2 ▼1
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これは別の記事で見ましたが、壮絶な精神的身体的暴力を見たり受けたりした被告が、加害者である被害者の兄父祖父を殺した件ですよね。被告は警察官にもなっているので、正義感を持ち合わせ、かつ判断能力も持ち合わせていたのでしょうが、別人格が突然この3人に牙を向いたと言うことでしょう。 ただ、乖離してしまった人格をコントロールできなかったから30年というのなら、コントロールできなかった人格どのように向き合って罪を償えば良いのでしょうか。
▲3 ▼1
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人はあまりにも苦しい体験をすると、これは自分に起こっていることではないと思うようになる。 例えば、虐待で、殴られていても、痛いのは自分じゃないって思っていると別人格が現れ、その別人格がやられていると思うようになり痛みが軽減される。そうやって多重人格者が生まれるんだと思う。そして、その別人格を自分でコントロールできればいいが、そう上手く行くものではないと想像がつく。 今回の判決では、多重人格と認められていても、やったのはこの男だと断定されて懲役30年。多重人格の診断がどこまで正確なのかはわからないが、幼少期から兄や祖父母による虐待がなければ、多重人格にならなかったとしたら、可哀想に思う。 正直なところ、こんな一家は恐ろしい。
▲19 ▼0
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少し気の毒なような気持ちもないこともないけど、別人格が犯罪犯したから別の人となるのはおかしいですよね。本人であることはかわりないし。 それが許されてしまうなら、そういう危険を配慮して診断した医者が隔離なり適切な判断をとらなかったのが問題みたいになると思う。 日本の法は納得できない事が多いけど、今回は妥当な判断だと思う。
▲11 ▼4
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この人はもっと減刑されても良い。 赤の他人を害しているのではなく、自分に酷い事をして来た人物のみを仕留めてる。報復を認められないのは法治国家だから仕方ないけど、情状酌量はこう言う時に使うもの。殺すつもりはなかったとか言って散々子供を虐待した親は懲役8年とかで、虐待に耐え続けた人の報復が30年は割に合わない。虐待加害者が多いんだから、人数が多いのは仕方ない。単純に殺した人数で考えるんだったら、人が裁く意味がない。 これこそ刑罰ではなく治療が必要だと思う。
▲43 ▼14
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常々疑問なのだが、加害者側の境遇や心情に寄り添い過ぎることによって、外形的に同一の行為に対する罪の重さ(量刑?)に軽重を付けることになり、それは被害者側の生命は必ずしも等価ではない、時と場合によっては重かったり、軽かったり、或いは 奪われても仕方の無かった生命である(無罪とはそういうこと)、って言ってることにならない?その方がかなり危険思想で、ある意味「無慈悲」に、加害者側の事情は一切考慮しないことが、死んだ人や遺族に対するせめてもの弔い、慰めになるのでは?それでも死んだ人は生き返らないし、或いは生きている限り、トラウマに苛まれ続ける。一方加害者は、再犯に及ぶ者すら居るこの不公平。生きる機会を突然にして奪った加害者に対しては、再生する機会(再犯する機会)を与えないことが、生命に対する尊重であり、平等主義だと思う。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
第一には被害者側の視点だろう。 別人格の存否に関わらず、被告が直接の加害者である事は間違いない。なので 刑を問われるのは被告以外の誰でもなく、犯行の実態に即した懲罰が下されるべきである。 第二には加害者側の視点。 「別人格」は被害者側の過去行動により生成されたことは確実である。すなわち、被害者は、被告が望まない「別人格」を被告にもたらしてしまった加害者でもあるから、被告の懲罰には減刑の余地がある。
30年は相当とも思えるし重すぎるともいえる。
▲10 ▼17
=+=+=+=+=
解離性同一性障害に対する一般人の理解がないのに加え、そもそも医学的に完治させたケースが実は少ないんじゃないかな…と。
私の知る限りそれぞれの人格は互いに記憶を共有しておらず、全ての人格が一つにまとまる統合、または奥にいる中心人格が記憶を開示しないと共有できないはず。問題なのは、真面目に生きようと警察官にまでなった人格が奥で眠っている間に、別の人格が犯行に及んだと言うことでしょう。
一つの肉体としてではなく、生まれた時のオリジナルの人格が中で自死して消失するケースもあり、この判決が一つの肉体への罰として下されたのを見るに、未だに精神医学で解明が進んでいないのだな…と。
こうなると、病気で高熱を出した人間が、通勤、通学中に異常行動を起こし、駅で人を突き飛ばして死なせたらどうなるだろう。自死を選ばずここまで生きてきた警察官の人格が気の毒ですし、服役中に消えてしまうと思うかな。
▲2 ▼10
=+=+=+=+=
なんか殺意の有無を大事にする日本の司法がすべてを曖昧にしている気がする。犯罪行為の事象のみで判決を出せばいい。殺人や被害者が複数や通り魔的な重大な犯罪には情状酌量も不要。そうすると裁判官はAIで可能。 法律も解釈が不要なくらいシンプルにすればよい。と思う。
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中学三年生の時、小学校の頃からホラ吹き?で有名だった女子と友達になった。 ある日、私は記憶を失った、マリナという人格になったのだと彼女が言い出した。 数日後トイレにこもって出て来ず、必死に先生を呼んだところ、両腕をカッターで切り刻み(自分でやったのだろう)血まみれで出て来た。 色々命令されていると。記憶がなく、◯◯(私の名前)のことしか覚えていないと言って、保健室に呼び出されたりした。 ご実家はエリートで兄は進学校、母はピアノ教師。
翌月に修学旅行があった。 バス内でカラオケが始まり、何も記憶がないはずの彼女が、マイクを誰かから奪いとってスピッツの大好きな曲を満面の笑みで歌い始めた。 何だか良かったな、とか、とても虚しい思いだった。
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精神病だから罪が許されるという法律は変えるべき。轢きたくなくても,交通事故で不運にも人が亡くなっても交通刑務所に入ることと比べたら酷い違いだ。やってしまったことで罪を償う様にすべきだ。精神病患者の再犯を防ぎ治療することもでき、世間と離れて一般人を守ることにも繋がる。安易に無罪の判断は絶対許されないと思う。
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模倣犯が現れないうちに、精神疾患罹患者の犯罪として、法律を別に作る必要があると思います。頻度が少ないうちはその都度種々の知見を得て、裁くことも可能ですが、数が多いと個々の判例検討では無く、ガイドライン的なものが必要になります。
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別人格とは言っても、その人の犯罪な訳で。 昔読んだところによると、別人格でも主人格の論理感は守られるらしいです。もしそれが正しいならば、主人格も許可していた事になります。 治療が成功していつか統合する可能もあるのですからちゃんと罪は償って欲しいですね。
ススキノの件以来印象として精神科医は世間に害がありそうな患者でも放置してそうです。ちゃんと保護観察は必要ですね。
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昔、リチャードギア主演の「真実の行方」という映画があった。ストーリーは弁護士のリチャードギアが、幼少期に性的に虐待されていた青年が加害者を殺して弁護する、というもので、犯人は多重人格であることが裁判が進むにつれ判明していき、裁判の検察の尋問中にブチ切れた別の人格が現れ、検察を殺しかけ…無罪となる。が、判決後の会話の中で人格が入れ替わっている時の記憶があることにリチャードギアが気付いて、「騙されていた」と分かるが、一時不再理でもう裁くことができない。 医者も司法も絶対でないなかで、社会の秩序をどう守るべきか、だ。 難しい問題だけど、自分もこの先多重人格になる可能性もないとは言えないが、やはり殺してしまう人格を抱えているのであれば、隔離もなむなしと思ってしまう。けど、ある日突然、朝目覚めて目の前に見覚えのない死体があったら…。 うーん、やっぱりようわからん。
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そもそも、自我というのがよくわからない存在だよね。 脳内で形成される人格であるとすれば、脳のエラー、またはなんらかの事情でそれが複数存在し、互いに不干渉に(あるいは片面的にアクセス不能に)なる、というのは想像はしやすい。 その場合、身体という箱は同じであるとすると、その、罪ある人格に対する刑罰は、分離された無辜の別人格をも牢獄に繋ぎ止めることをやむを得ないとすべきか、あるいは不可分一体の無辜を罰さないために、無罪とすべきか。 結構悩ましい問題だよな。
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別人格のボウイを罰する訳で、その刑罰が懲役刑の場合一つの肉体を共有する場合は元の人格も罰せられる訳だよね。でも、ボウイはその人の別人格なの?そっちが本質だったりって事はあり得ないのかな? それと、それぞれの人格はやり取りできるものなの?って事は同時に別人格が存在してるって事?そうなったら尚更刑罰の対象にはなりそうですよね。
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人格の境界なんて、一般の人でも明確ではない。 相手によって対応する人格が異なるなんてことは普通に見られるし、過去の人格と現在の人格はまったく同じものだろうか? 例えば、10年前に人を殺したとして、現在の自分はその時の人格とは別なので無罪です、というのは通用するだろうか? そもそも人格の区別など、科学的に証明のしようがない。(精神科医のそれは科学ではなく、文学に近いものだ) 現在の量刑の決め方は合理的ではないし、社会に即してもいない。行動の結果と被害を受けた側がどういう人間であったか、で罰を決めるのが良い。この事件の場合、人格に関係なく殺人という事実を認定するとともに、殺された人物は外道と呼ぶに値するので、その分、罪を軽減して良い。ただし、この被告を社会に出すことはリスクだし、居場所もないので、終身刑で社会から隔離するのが本人にとっても適切で妥当。
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こう言う事件が有った時、何時も思うのは責任能力の有り無しだが、本件とは違って他人を殺害した時はやった事に対する責任を取らせるべきと考える。被告の精神状態が事件を侵す可能性がある時はそれを管理しなくてはならない。 入院させるとかだ。本件でも人格が3人分あるなら、以前から兆候は確認出来たはず。裁判になって病気で責任能力が有りませんは被害者への配慮が無さすぎる。その他の事件でも被害者の人権は守られず加害者の人権は守られると感じる事が多々ある。簡単に言えば、人を殺したら殺人罪、それが嫌なら精神病院で世間がら隔離である。こう言うと批判が来ると思うが被害者とその家族を理解し大切に扱うべきだ。
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何か支配されたからと言っても罪は変わることはないと思う。 家族、他人や別人格、薬物だろうが、誰の手でやったかだと。 幼少時はもちろん、大きな支配を成人してから感じたら、病院行ったり、誰かに相談したりしたか?って思う。 何もやらないで他責過ぎるよ。 こんな人が、罪を認めなくて、万が一無罪になったなら、一生どこかに入ってて欲しい。世の中に出ないで欲しい。
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もし自分だったら、全く覚えのない犯罪で、一生刑務所の中で過ごすか死刑になってしまうなんてやはり納得のいかない気もする。 でもそのボウイと言う人物は自分の中にいるわけなので、いつその人が出てきて、また罪を犯すかもしれない。 そして、その境遇など全てを鑑みたら、亡くなられた家族に責任がないわけでもないので、自分にとっては不本意でもあってもある程度拘束されるのは仕方がないと思います。 ただ、医療的な場所で多重人格が治るまで+刑と言う意味も含め10数年の拘束があるべきじゃないかなと感じます。
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別人格が殺人を行ったから一体なんだというのだろう。 仮に本人のコントロール外での話だから罪に問わないとしても、そんなコントロール出来ないのに勝手に殺人を行ってしまう人格を持っている人間を社会に出しておいて良いはずがない。 罪に問えるなら長期の懲役(無期や死刑含む)が必要だし、罪に問えないとしても超危険人物として常に監視が必要でしょう。 何にせよそのままの状態で社会に存在して良い人ではないと思います。
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「外部から取り憑いた得体の知れない何者か」ではなくて、「被告の潜在的な意識が生み出した別人格」が本人に代わって犯行を行なった、という事だよね。 病気によって自分をコントロール出来なければ責任能力が無く無罪にもなるだろうけど、この事件の場合は「別人格」以外の本人自身がまともであれば責任能力ありとして有罪になる。 なかなか悩ましい話だな。
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精神疾患等で責任を問うことが出来ない事を主張し認められる世の中であるなら、そのような人は何らかの施設に入れ自由に行動できないようにするべきなのでは?被害者又はその家族に自分がなったとして、精神疾患を理由に責任は問えないなんてことになったらと思うと、反感をかうかもしれないが私は隔離してほしいと思う。精神疾患の方自身、又その家族の方も苦しんでいるのは想像できるが、それによって他の人の命を奪ったり、傷つけたりしていいとは思っていないはず。コントロール出来ない事を理由にするのは、人として暮らしているからには許されないことだと思う。事件や事故が起き、本来守られるべき側が守られていないなんておかしな話だと思う。
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別人格が人の命を奪ったからって無罪にはならないでしょ。っていうかいつも思いますけど、犯罪をひとつにまとめて判決するのはやめてほしい。犯罪はひとつひとつでしょ。家族3人の命奪ったのなら3つ刑罰を与えるべきでしょ。そうでなかったら1人あたり10年ってことになる。1人あたり30年だったら3人で90年の刑罰になるべきだと思う。
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法制度が想定しきれていないので当然の判決です。今後議論を重ねて法制度を見直す必要があれば見直すべきです。今のままでは救われない人が出てきます。誰だって自分の知らないところで人を殺したのがあなたの犯行だと言われてそれが事実だったらつらいでしょう。誰もが救われる法制度であるべきです。
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解離性同一性症については争わずとも心神喪失ではないとした認定なので3名殺人と言うのは生い立ちの件を城定酌量した結果なのでしょうね。 確かに犯人の生い立ちについては悲惨でやり切れない想いではありますが、いかなる場合も殺人が正当化されてはならないと思います。 心神喪失であれ殺人を犯したと言う結果は変わらない。 そもそも殺人を犯す人間はその時点で普通ではないのです。 今回は被害者があかの他人ではありませんが、被害者の遺族というものが普通は存在します。 遺族側にしてみれば犯人の精神状態がどうであれ肉親が亡くなった事実は変えようがないのです。 ただこの犯人が警察官であった事を考えるとそれ迄に何か方策はなかったのかその部分は大変残念です。 どこかで何かひとつ違っていれば亡くなった人が刑務所に入り自分は罪を犯さなくて済んだ可能性もあったのではと思います。 もちろん今更手遅れですが。
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このニュース、めっちゃ考えさせられるよね。家族3人を殺害した被告に懲役30年って、重い判決だけど、やっぱりそれだけの罪を犯したってことだよね。「別人格」っていう捉え方も興味深いけど、結局はその行動の責任をどう取るかって話だと思う。
司法の判断って、被害者の家族や社会全体にとっても大事なことだから、こういうケースでは慎重に考えられてるんだろうな。被告の背景や精神状態も考慮されるけど、やっぱり罪を犯したことに対する責任は逃れられないよね。
このニュースを読んで、改めて人の命の重さや、司法の役割について考えさせられたよ。みんなが安心して暮らせる社会を作るためにも、こういう判断が必要なんだなって感じた。
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特定の人格が重大な犯罪を行ったのであれば、その人格は裁かれねばならないが、その人格が他の人格と不離ならば、社会としては全ての人格を持つ被告を裁かざる負えないし、被告にとっても、正常な人格が重大な犯罪を犯した人格と共存しながら、通常の社会生活など送れないと思うけれども。もし、送れると言うならば、正常な人格も異常と言わざる負えない。
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別人格とか心理学者の夢物語だと思っています。 例え自称別人格が主導した犯罪でも、同じ人間の同じ手による犯罪で被害者側には何ら違いがない。 別人格無罪が罷り通るなら、多重人格者が被害者の場合に加害者は別人格を騙した、殺したとすれば減刑になってしまう。 あくまで別人格を生み出すよう選んだのは(無意識だと主張しても)本人です。 加害者の生い立ちによる情状酌量の余地はあっても、別人格での余地が挟まれてはいけないと思います。
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この責任能力問題って、いつも感じるのですが犯行時に当該要件で病院等の診察等を受けていたか?だと思うんですよね。 弁護側は精神障害を持っていたからの犯行で責任能力はないという部分に活路を見いだす様なケースが多いですが、犯行時の精神状況は凶悪なものでは間違いなく正常状態ではある訳がないし、後付けが可能な範囲とも言えます。最低限そこの部分での刑の延期は可能なんだよね。 そこを判断したいなら、犯行時時点に医師の診察を受けていたかどうかで良いと思うんだよね。
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もう「多重人格」とか「精神鑑定」とか要らないのではないか。
多重人格だろうが、重度の精神疾患だろうが、人を殺めたり傷つけたという事実は健常者と変わらないわけですから、「仕方ないよね」的な見解を挟むのはどうなのかと思ってしまいます。
少なくとも、被害者、及びその家族の立場になって考えたら、こんな曖昧で当事者の事を無視したルールなんて一刻も早く改善するべきだと思う。
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別人格がもし居たとしてその別人格が起こしたことだからと罪を軽くしたとしても、またいつその別人格が出て犯罪を犯すかもしれない。 その時も別人格が、で済ませてしまうのかな?
私の勝手な考えだが、別人格ってその本人が自分と違う自分を作り出したものであって、その本人に違いは無い、と思っている。 自分自身が作り上げたものが起こした罪なのだから、処分がそれで軽くなるのはおかしいのではないかな?
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人格障害があっても、三人も殺した人間が減刑される判決には反対だ。 懲役刑が終了して出所した場合に、精神異常のある方が、出歩くだけでも、子供や孫達の不安を感じる。 日本は、性犯罪や薬物犯罪など、再犯率の高い犯罪に対する刑罰が軽過ぎて、非常に不安を感じる。 闇バイトなど日本では考えられない犯罪が多発している。 治安維持の為にも、法律の厳罰化を望みます。
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言い方は悪いと思うが、例えるなら、1台のロボットを数人が操縦していて、その中の1人が悪事を働いた。 では、それにどう対処したらいいのか。 その悪事を働いた人に操縦させないという事が可能なのか。 否。 いつどこで変わるのかを誰にも制御できず、自由に入れ替われるのであれば、そのロボットそのものを動かないようにする以外に手立てはない。
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情状酌量の余地はあると思いますが出所後は一般社会での生活は厳しいと思います。サナトリウムで隔離とか。日本はそういった所がないので整備した方が良いのでは?以前にハンセン病など人権問題はありますがきれい事を言っていると出所後周りに住んでいる人は恐くてたまらない。性犯罪者などの再犯率が高い人も同様にお願いします。
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いつも思うのだが人が犯罪を犯す時と言うのは精神がおかしい状態 だから別人格であろうが殺害したことは事実なので、事実関係だけで争えばいいのになと思っている。そもそも人の内面をどうやって客観的に判断できるの?精神鑑定ってハッキリ数値で出るものじゃないから非科学的でないのかな 鑑定者によって意見や判断が違うものは裁判で証拠として認めてはいけないと思うよ。
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精神に異常があって刑が減らされるっていうのは個人的には無しだと思ってる。 別人格だったにしてもその人が作り上げた人格であって、基本的には同一人物だし。 それよりも、何故加害者を守って被害者を蔑ろにするような事になるのか…ずっと疑問だ。 罪を憎んで人を憎まずっていう時代ではないはず。 やってしまった事への罰は受けるべきだと思う。
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この病気のことを知っている人と知らない人で意見が分かれそうですね。 解離性同一性障害の人を数人知っていましたが、彼らの世界観は、例えば一つの家(人間)の中にたくさんの人がいて一緒に住んでいるという感じでした。 それぞれ名前がついていて、お互い名前で呼び合っていて、通常1人以上の異性がいます。 本人は長い間眠らされていることもあります。大抵は幼少期に身内から性的虐待を受けています。 そんな彼らは見ていて、私個人としては、別人格の1人がやった犯罪、しかも自分をこんなにした加害者に対する殺人に責任か問えるかというと、非常に難しい気がします。ただ3人も殺害しているので、全くの無罪も厳しいのかなと思います。
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服役中は人格の統合などのカウンセリングや治療が継続されるのだろうか?何の処置もなく服役して、まだ隠されている人格が発現したり、看守が言ったことが、それぞれの人格に伝わらず、結果的に何度も間違うというような事態になれば、看守の方々の労力も大変なものになると思うが。
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「別人格」に減刑が通用するなら今後殺人犯しておいて「別人格」がやったこと。で通ってしまう あくまで「別人格」がいると主張するなら主となる本人と、その別人格にも罪を与えればいい 結果それで通常の罪よりも加算されても別人格に与えたものなので文句はないはず 司法は、それ用の判断材料も作っておくべき
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このよいな病気のものに殺害された方は気の毒です。 人格がガラリと変わったとしても行動の原因となってしまった感情や記憶が無くなるわけではない。 もし、記憶がなくなるならば、感情も収まり殺害行動をする意味はなくなる。 単に、解決手段や勝算がなくなって、思いついた手段が最悪なものであったと考える。 しかし、そこまで追い詰められた理由は何なのか、当事者にしか分からない部分もあるがそこを解明する事によって事件は少しだけ減らすことができると思う。 人格が分離して別な人格のように振る舞う人格であり、行動原理と記憶は物理的に消滅する事はない。 記憶わや人格を切り替えする半導体が埋め込みされているような言論は信じられないと考える。
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この事件を教訓にすることです。兄による性暴力や親族によるDV、とても子どもが健全に養育されるに相応しい家庭環境ではなかったと言えるでしょう。このような悲劇を繰り返し生まないためには、虐待が重大な犯罪であることを強く大衆へ啓蒙すること、体罰や性暴力、精神的暴力、いかなる虐待も容認しない社会にすることが重要でしょう。
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精神科医の方の記述で、記憶を抑圧すれば健忘、切り離せば別人格が生まれるとありますが 私も辛い経験をした時期の生活全般の事がどうにも思い出せないんですよね それが丁度子供が小さかった頃なので、可愛かった子供のエピソードを周りが話しても母親である私は思い出せない、それがとても悲しいです ひと月に7キロも痩せたある日の食事の事しか覚えてない 食べないと死ぬと思って無理にハムを挟んだサンドイッチを昼に食べたけど、何故かその味だけは覚えてる もちろん断片的な記憶はポツポツあるのだけど、必ずそこには息苦しい様な圧迫感がセットで思い出されるからやっぱり思い出したく無い 私はその後心理学を学んでセルフカウンセリングを繰り返し、今は幸せです 幸せでもういつ死んでも良いくらいなんだけど、それでも私の脳は私を守り続けなければならないと判断しているようです なので解離症というのもわかる気がします
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「解離性同一性障害」は正式な病として認められている。 よって判決としては ①被告は、責任能力を問えず無罪 ②別人格『ボウイ』は、3人を殺した責任があり有罪 ③『ボウイ』と主人格である被告を肉体的に切り離すことができないため、被告(の肉体)が受刑する という形を取るのが妥当かと。 結果としては変わらないのだが、 「主人格の被告は無罪だよ」と本人に伝えてあげることが重要なのではないだろうか。
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つまるところ、責任能力とはなんぞやという話になる 多重人格の場合、裏の人格が顔を出しているときに表の人格が預かり知らないということになったら表の人格に法的責任を問う意味は?ということになる
いずれにせよ、その状態を放置はできないので法的責任を問えないと判断したとしても措置入院等の対応は必要になる
また多少なりとも法的責任を問うにしても、治療後に実施するという考え方でバランスをとるという方法もある
いろいろ議論が必要でしょうね
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実刑が確定したとしても、被告人が刑務所の規律を遵守するのは難しいと思う。 解離性同一性障害の別人格には子供や女性などがあり、その中には極めて暴力的な人格もいる。 もしそれが「ボウイ」だとしたら、雑居房で他の受刑者との暴力事件をおこしても不思議ではない。 刑務所の問題児になるが、いくら本人格が反省しても別人格が暴力事件をおこすから無くなることはない。 多重人格の統合が更正には必要だが、刑期満了までただ入れておくだけの処遇になりそうですね。
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酒を飲んだら別人格、ハンドルを握ったら別人格、という言葉があるが、結局どの人格であっても同じ顔同じ身体であることには変わらない。どのような時にどういう自分になるかを逆算して常に行動しなければならない。
同じ目鼻を持つ人が起こしたことは同じ人が責任を取らなくてはいけないのは当然のこと。
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随分前に、24人のビリー・ミリガンという本を読んだことがある。 (アルジャーノンに花束を、の作者ダニエル・キイスが書いたノンフィクションで多重人格者の犯罪に関する顛末を描いている)この事件は、それに よく似ている。不幸な事件でしたでかたずけられない問題を沢山含んだ事件の ようだ。子どもの頃、父や兄から受けた虐待が原因で別人格を作ることで 生きることが出来ていた。が別人格は受けた行為によって性格がねじ曲がって 障害を引き起こした。そして恨みが事件を起こしたんでしょう。 捜査も困難を極めたと思うし、判決に至るまで悩ましかったと思う。
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随分とひどい家庭環境だったようですね。 そんな中警察官になったのは素晴らしかったのに。 ビリー・ミリガンを思い出します。 映像を見たことがあるけど、人格が入れ替わると、表情が全く変わって喋り方も態度も変わって、多重人格は存在するのだなと思いました。 ビリーも自分がした犯罪で裁かれたけど、別人格だということで闘い、世論は大反対。最後には無罪を勝ち取りましたが...。 この人について、多重人格は認めるけど、減刑はないんですね。 生育環境を読むと、多重人格も殺意も起こるだろうとおもってしまう。
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