( 250971 )  2025/01/17 18:34:09  
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 日本製鉄によるアメリカの大手鉄鋼メーカー、USスチールの買収計画に対し、ジョー・バイデン大統領は国家安全保障上の懸念を理由に禁止する命令を出した。同盟国の企業同士による同意の上で行われた買収計画を大統領が阻止するのは異例だ。これに対してUSスチールのデビッド・ブリットCEOは「日本を侮辱している」「恥ずべき行動」とバイデン氏を批判した。 

 

 だがその後、バイデン大統領は買収計画破棄の期限を6月18日まで延長することを認めた。通常、大統領が買収中止命令を決めた場合、1カ月以内の契約破棄が求められるが、これまた珍しいことだという。 

 

 一体今、何が起きているのか。早稲田大学招聘研究員で国際政治アナリストの渡瀬裕哉氏は「2023年11月に日本製鉄がUSスチール買収を発表して以来、米国では同事案について政治的な混乱が発生している」と指摘している。それでは、ドナルド・トランプ氏が大統領に就任した際にはこの大統領の命令は覆されるのか。それについての答えは「トランプにとって覆すインセンティブがない」と指摘する。そもそもの問題として、日本製鉄の計画が無謀であったという。渡瀬氏が詳しく解説していくーー。 

 

 バイデン大統領が日本製鉄によるUSスチール買収を阻止した事案につき、CFIUS(対米投資委員会)が買収計画破棄の期限を6月18日まで延長することを認めた。通常、大統領が買収中止命令を決めた場合、1か月以内の契約破棄が求められるが、今回の延期措置には、日本製鉄が米政府相手の訴訟に打って出たこと、また日本製鉄・USスチールの買収期限が元々6月18日であったこと等が影響したものと推測される。 

 

 2023年11月に日本製鉄がUSスチール買収を発表して以来、米国では同事案について政治的な混乱が発生した。結果としてバイデン大統領による買収中止判断に至ったが、その背景に何があったかという報道が増加してきた。結論として、筆者は日本製鉄による買収計画はあまりにも米国政治の空気を読まない無謀なものであったと思う。 

 

 2023年11月は2024年大統領選挙・連邦議会議員選挙の約1年前にあたる。そして、米国の鉄鋼産業は伝統的に保護貿易の対象となる産業であり、なおかつUSスチールの本社は最激戦州のペンシルべニア州に位置している。 

 

 

 同社はミシガン州、インディアナ州、イリノイ州、アラバマ州などにも工場を展開し、多くの労働者を雇用している米国を象徴する企業だ。したがって、当然であるが、それを外資が買収することの政治的な影響の大きさは想像に難くない。 

 

 今回の買収判断にはUSW(全米鉄鋼労働組合)が反対しているが、彼らは金属、鉱業、パルプおよび紙、ゴム、化学、ガラス、自動車部品、エネルギー生産産業の労働者 85 万人を代表している組織だ。当然であるが、彼らは外資の買収時に提示された飴を信じるような甘い考え方をしている人々ではない。 

 

 USWは民主党側の厚い支持基盤であり、2020年大統領選挙ではバイデン大統領、2024年大統領選挙ではハリス副大統領を支持してきた。彼らの票は大統領選挙に決定的な影響を与える要因の一つであり、バイデン大統領が同買収計画に反対することは自明であった。また、共和党は労働組合とは対立関係にあるものの、トランプ次期大統領は労働組合票の切り崩しを狙っており、同氏もバイデン大統領と同様に買収に反対の声を上げている。 

 

 このような状況の中で、トランプ次期大統領が翻意し、バイデン大統領の決定を覆す可能性はあるだろうか。残念ながら、その見通しは非常に険しく不透明なままだ。 

 

 トランプ大統領を支える共和党議員らの意見は割れている。たとえば、日本製鉄の工場が立地している選挙州の共和党議員(ミッチー・マッコーネル上院議員など)には同社の買収計画を擁護する声もある。彼らは日本製鉄の米国に対する投資を評価し、日米同盟の維持・強化の観点からも買収に賛同している。しかし、共和党内には買収に反対する意見もあり、米国の象徴的な企業に対する買収を拒否する声や、なおかつ日本製鉄が歴史上中国と深い関係を有してきたことに対する懸念の声が上がっている。 

 

 ポイントは2026年連邦議会中間選挙の連邦下院議員選挙見通しだろう。直近2024年下院議員選挙では共和党220議席・民主党215議席という結果であり、2026年の選挙結果次第では、共和党は過半数割れを起こす可能性がある。 

 

 

 したがって、冷静に考えれば日本製鉄の買収計画に妥当性があったとしても、共和党議員の多くは選挙的な観点から外資買収に反対する愛国的な発言を強いられることになる。 

 

 そして、共和党が連邦下院での多数派を失った場合、トランプ次期政権にとっても予算・法案などが通らなくなり、政権運営に大いに支障を来たす。トランプ次期大統領が中間選挙で敗北するリスクを取ってまで、従来までの主張を覆して買収計画に賛同するインセンティブはない。 

 

 また、トランプ次期大統領が労働長官に指名したチャベス氏は共和党としては異例の労働組合と親密な関係を持つ人物でもあり、USTR代表に指名されたグリア氏は鉄鋼産業保護に熱心であったライトハイザー前代表の右腕の人物である。次期閣僚の面子を見てもかなり厳しい状況であることが示唆される。 

 

 では、日本側はこの状況にどのように対応すれば良いのだろうか。 

 

 もはや日本製鉄だけで、この問題をクリアしていくことは難しい。ただし、同買収の失敗は一企業の失策という次元ではなく、日本から米国への投資そのものに疑念を抱かせるものだ。日本の大手企業の多くは中国市場でビジネスを展開しており、その経営陣も中国ビジネスで成果を上げて現在の社内の地位を得てきた人々が少なくない。そのため、今回は「鉄鋼」という特殊性はあるものの、いずれの事業であっても、今米側から安全保障上の難癖をつけられて、結果として買収側企業が賠償金を支払わされるだけの憂き目に遭うことも想定される。 

 

 したがって、日本政府が全面的にこの問題の解決に乗り出すことが望ましい。日本製鉄が米政府相手の訴訟で勝利できる可能性はほぼないため、この問題は同盟国家間の問題として処理したほうが良いからだ。 

 

 日本は米国を刺激することなく、トランプ政権に歩調を合わせる方針であったと思うが、今回の事案については明確に自己主張するべきだ。そのため、場合によっては欧州の米同盟国にも働きかけて、同盟国全体としての懸念を表明するアプローチも検討すべきだ。なぜなら、同盟国のフラグシップ企業に安全保障上の懸念があるとする米国の判断は、日本だけでなく欧州にとっても同様のことが起こり得ることを示唆しているからだ。 

 

 その上で、トランプ政権に対する飴玉も用意することが望ましい。米政府が日本製鉄の株式の一部の保有を認めること、日本政府が同社の対米投資への支援を実施すること、その他の輸入品の購入等で話をつけることなど、様々なアイディアが考えられる。 

 

 いずれにせよ、この問題はもはや一つの企業の買収問題ではないため、同盟国間の投資問題としてしっかりとケジメをつけるべきだ。 

 

渡瀬 裕哉 

 

 

 
 

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