( 251576 ) 2025/01/18 19:33:25 0 00 3月末で終了が決まった「ワイドナショー」のMCを務める東野幸治
1月12日、フジテレビの情報バラエティー番組『ワイドナショー』が3月末で終了することが正式に発表された。以前から非公式で終わるのではないかという情報は出回っていたが、番組内で公にそれを認めた形となった。
SNSなどの反応を見る限りでは、この番組の終了を嘆いている人はあまりいない。『ワイドナショー』は始まった当初は話題になっていたものの、最近は視聴率でも苦戦していたし、SNSやネットニュースなどで話題になる機会も少なくなっていた。
その大きな要因は、レギュラーコメンテーターだった松本人志が途中で抜けたことだ。この番組が始まった当初の売りは、大物タレントである松本が最新の時事ネタや芸能ニュースにどういう切り口でコメントをするのかということだった。松本は2023年3月に番組を卒業した。メインキャストが欠けたままの状態では苦しくなるのは無理もない。
■終了の理由はそれだけではない?
でも、打ち切りになった理由はそれだけではない。この番組のコンセプト自体が経年劣化に耐えられなくなっていたのが本当の理由ではないか。
2013年に始まった『ワイドナショー』の基本的なコンセプトは「普段スクープされる側の芸能人が個人の見解を話しに集まる」というものだった。松本を筆頭に、普段はコメンテーターとしてほかの情報番組などに出ていないようなタレントが出演して、芸能ニュースなどについて自分の意見をはっきり言う。番組が始まった当初は、それ自体が斬新な企画であると考えられていた。
しかし、このコンセプトは徐々に目新しさを失っていった。芸人をはじめとする芸能人が情報番組でコメンテーターをやる機会もどんどん多くなり、それ自体があまり珍しいものではなくなった。
今ではSNSやYouTubeなどのウェブサービスが数多くあり、芸能人本人がテレビなどのマスメディアを通さずに生の声を届けることも簡単にできる。芸能人が自ら発信することの敷居が下がり、わざわざテレビに出ないと意見が言えないという時代ではなくなった。
また、そもそも地上波テレビというスポンサー企業からの広告費で成り立っている媒体で、タレントが意見を言うことの構造的な限界もある。特に、昨今の松本人志、中居正広、フジテレビに関係する一連の問題に関しては、『ワイドナショー』は終始及び腰であり、出演者が自由に意見を言えるような空気ではなかった。
■もはや意義は終えた
身内の不祥事には口をつぐむというのなら、この番組の本来のコンセプトはすでに崩壊していたと言わざるを得ない。もはや『ワイドナショー』は歴史的意義を終えたのだ。
この番組だけを責めているわけではない。どんなメディアでもどんな人間でも、それぞれの事情で「言えないこと」があるのは当たり前のことであり、そのこと自体が問題であるわけではない。
ただ、ウェブを通してあらゆる立場の人間が自由に発信ができる今の状況では、言えないことが多すぎるオールドメディアが周回遅れのように見えてしまうのはやむを得ない。
「自由にものが言えない芸能人が集まって、自由にものを言っている雰囲気だけを醸し出す」という手法の欺瞞性は、今どきの視聴者にはすでに見抜かれている。
テレビ局は今こそ原点に帰って、本来の自分たちの強みとは何なのかということを考えて、それを伸ばしていく戦略をとらなければいけない。それができないのなら、『ワイドナショー』の終了は地上波テレビ崩壊の序曲ということになるのかもしれない。(お笑い評論家・ラリー遠田)
ラリー遠田
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