( 252126 )  2025/01/20 03:45:07  
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(c)フジテレビジョン 

 

コロナ禍で、街の新たな風景として定着したフードデリバリー。 

 

スマホと自転車さえあれば、自分のペースで稼ぐことができる新たな職は、自由な働き方を望む人だけでなく、失業者や収入が減った人など、様々な事情を抱える人たちの雇用の受け皿となった。 

 

都内のカプセルホテルに生活の拠点を置き、家族の不幸や自身のうつ病に苦しみながら、今日を生き延びるために2022年3月から配達員として働いていた高山さん(仮名・当時30歳)もまた、そんな一人だ。 

 

ところが自由に働ける反面、収入の不安定さを抱えるフードデリバリー。 

 

一体、いつまでこの仕事で生きていけるのだろうか。 

 

様々な不安と向き合いながらも、再起をかけて自転車を漕ぎ続けた男の行方を追った。 

 

配達中にかつての職場・日本銀行前を通る高山さん 

 

2022年6月。初夏の暑さの中、高山さんのスマホに通知が入る。 

 

注文はアイスクリーム。届け先は、店から3.7km離れたマンションだった。 

 

デリバリーバッグは保温保冷機能があるものの、気温は30度近く、配達は時間との勝負だ。高山さんは慎重かつ迅速に自転車を走らせた。 

 

無事に届け終えると、報酬は972円。1回の配達にしては割高な額だ。 

 

配達員は原則、企業と業務委託契約を結んだ個人事業主。その収入は出来高によって決まるため、配達員たちは効率的に配達をこなす工夫が必要とされる。 

 

高山さんも4社のアプリを使い分け、より報酬の高い注文を受けていた。 

 

「稼ぐコツさえ掴めば、自由に働けるし最高ですよ」 

 

注文が殺到する時間帯だけ働き、疲れたら宿で休むというというのが高山さん流の働き方。 

 

ひと月の稼ぎは25万円ほどだった。 

 

都内を縦横無尽に走り回る高山さんの姿は、一見すると元気に自由な人生を謳歌しているような印象を受ける。しかし2年前まで彼は、配達員をする今とは、程遠い人生を歩んでいた。 

 

神奈川県で生まれ育ち、幼い頃から成績優秀。地元の進学校を卒業すると、早稲田大学政治経済学部へと進んだ。 

 

就職先は、日本銀行。いわゆる“エリートコース”のど真ん中を歩んでいた。 

 

ところが職場では、周囲からのプレッシャーに苦しむ。「仕事がうまくいかないのは自分のせい」と自身を責め続け、憂鬱な日々が続く。 

 

すると、通勤中に体の震えが止まらなくなった。症状がひどい日は家から出られなくなり、自分が壊れてしまったことを痛感した。 

 

精神科を受診すると、医師からうつ病と診断。 

 

「ここにいてはいけない」と、職場を去る決断をした。2020年3月、社会人になってまだ5年目のことだった。 

 

 

カプセルホテル暮らしの高山さん 

 

その頃、実家で大工をしていた父親から電話で相談を受けた。 

 

「体調を崩して、仕事がなくなっちゃったよ。どうしよう」 

 

初めて聞く、父親の弱音。 

 

しかし退職したばかりの高山さんは余裕がなく、「自分もうまくいってないけど、お互い頑張ろうよ」とだけ返した。 

 

すると5日後、今度は母親から電話があった。 

 

「お父さん、死んじゃった」 

 

父親は自ら命を絶ってしまったのだ。 

 

実家が凄惨な状況だったのは、高山さん自身も知っていた。8年間引きこもっている兄と、振り込め詐欺で1000万円を騙し取られた母親。そんな家族を一人で支えていたのが父だった。 

 

しかし父自身も収入を失い、頼れたのが高山さんだけだったのだ。 

 

「あの時、何て言葉を返せたら良かったんだろう」と、父からの電話を何度も振り返る日々。 

 

「実家に戻って家族を支えられたら…」と少しは考えたが、うつ病で退職したばかりの高山さんにそんな気力を持つだけの余裕はなかった。 

 

そんな自分に対して、「自分は職場の人たちだけでなく、家族さえとも向き合えない」という自責の念が再び襲いかかると、ますます何も手につかなくなった。 

 

アパートに引きこもる生活は2年間続いた。 

 

貯金が底をつきそうになり、「なんとか稼げる手段はないのか」と始めたのがFXだった。多少儲けがでることもあったが、すぐに負けが続くようになった。それでも投資を続け、気づいた時には借金を抱えていた。 

 

その額は、カードのキャッシング47万円と、消費者金融から47万円、合わせて94万円だった。 

 

アパートの契約更新もできなくなり、高山さんはホームレスになってしまった。 

 

借金返済のため台風の中でも配達に出る 

 

実家に戻る決心もつかず、1泊1500円のカプセルホテルに転がり込んだ。 

 

再就職を試みるも、コロナ禍で見つからない。それでも、今日を生き延びるためのお金を稼がなければならなかった。 

 

そんな中、街でふと目にしたのが自転車で走り回る配達員だった。「これならできるかも」と希望を見出した高山さんは、すぐさま中古ショップで自転車を購入した。 

 

無我夢中で配達をこなしていくと、初月の収入は25万円。 

 

自分のペースで、人とのコミュニケーションも最低限で仕事が完結する働き方は、高山さんにピッタリだった。 

 

ところが、配達を続けて4カ月。仕事に慣れてきた一方で、高山さんの中では“ある感情”が大きくなっていた。 

 

SNSを見ると、充実した日々の様子を投稿する同級生や、日銀の同僚たち。 

 

「彼らはフードデリバリーを頼む側の人間で、片や自分は彼らのために食事を届ける側の人間。明らかに立場が違う」と、引け目を感じ始めていたのだ。 

 

さらに、その引け目を助長したのが、業界が抱える不安定さだ。 

 

配達員には最低限の補償が制度化されているものの、体調不良やケガによって働けなくなった途端に収入が途絶えてしまう。 

 

自分もいつまでできるだろうか。高山さんは、先行きの見えない恐怖にさいなまれていた。 

 

2022年8月、転機が訪れる。毎月の支出を整理している中で、日銀時代に積み立てていた個人年金保険を見つけたのだ。 

 

「解約の返戻金で、借金返済ができるかもしれない」 

 

藁(わら)にもすがる思いで解約手続きをすると、支払われた金額は118万円。借金を全額返済できる額を見て、高山さんは安堵した。 

 

しかし、これまで借金返済のため夢中で配達していたことで、忘れることができていた感情が高山さんを襲った。 

 

周囲の期待を裏切り続けてしまった自分への不信感。働いてわずか4年で打ち砕かれた、エリートとしてのプライド。 

 

暗い過去と縁がある場所を通る度に、心の傷がうずいた。 

 

父の死に対する後悔も同様だった。実家は電車でわずか2時間の距離。あの日の電話を思い返す日々が続いた。 

 

強まる喪失感や後悔に整理をつけたい。 

 

そのためには、そんな暗い感情から距離を置くことが必要だった。 

 

高山さんは、負の感情が散らばる東京から離れることを決心。 

 

2022年9月、自転車で日本一周を目指す旅を始めた。 

 

まずは関西へ向かうことにした。道中の生活費は、各地で配達をすることで工面する計画だった。 

 

旅の初日、静岡駅を目指した。地方でもデリバリーで稼げるのか、という不安を抱えながらの出発。午後8時、静岡駅に到着し同時にアプリを確認すると、すぐに注文が入った。 

 

立て続けに3件の配達をこなし、地方でもフードデリバリーで生活ができると一安心。 

 

その後は浜松、豊橋、名古屋、と主要都市を目的地としながら旅を続けた。 

 

 

しかし、旅を始めて半年後、高山さんの姿は神奈川にあった。聞けば、大阪で日本一周の旅を断念し、引き返してきたというのだ。 

 

その背景には、地方都市のフードデリバリーの実情があった。配達依頼が常に入る東京に対し、地方では、ランチやディナー時間を過ぎると、注文がぱったり止まってしまうのだ。 

 

一日の生活費3000円の中で、日の稼ぎは2000円前後。大都市の名古屋で、ようやく4000円を超えるほどだった。 

 

それでも西に行けば稼げるはずと信じ、2022年12月、大阪に到着した。一度、旅費を貯めなおすため、高山さんは拠点を西成の簡易宿泊所に決めた。 

 

しかし数日間過ごすと、「何のために旅に出て、なぜここにいるんだろう」と、頭の中でこの旅への疑念と後悔が渦巻いた。暗い感情を振り払おうと配達に繰り出すが、一度生まれた後悔は止まらなかった。 

 

「こんな苦しいことはやめて、楽になりたい…」 

 

高山さんは宿から出られなくなってしまった。 

 

気持ちが落ち着いたのは、2カ月後。自転車を折りたたんで新幹線で帰路に就いた。 

 

3カ月かけて進んだ道のりは、たった2時間であっけなく後戻りとなった。 

 

都心を配達中の高山さん 

 

行くあてのない高山さんを受け入れてくれたのは、実家の家族だった。母と兄、祖父母の4人と過ごすことになった。 

 

当面の生活費は祖父母の年金と、高山さんの手元に残ったわずかな貯金で賄なった。 

 

「避けていた実家に舞い戻ってしまった。何一つやり遂げられない自分に、生きる価値はあるのだろうか」 

 

「神童」と呼ばれた、かつての自分の部屋で過ごしていると、後悔と不甲斐なさばかりが心に影を落とした。 

 

部屋にこもりっ切りの日々は、2年間も続いた。当然、貯金も底をついた。 

 

窮地に陥った高山さんは、遂に転職サイトを開く。半ば諦めながらも、手当たり次第に400社へエントリー。すると、4社から書類通過の通知が届いた。 

 

「こんな自分を受け入れてくれる場所があるかもしれない」 

 

そう思えた時、面接に対して勇気が湧いた。2カ月後、日銀でのキャリアと配達員一本で生活したパワフルさを買われ、都内にある金融関係の企業に採用が決まった。 

 

「最初は何もできなくてもいいから、一緒に少しずつ頑張っていこう」 

 

採用担当者がかけてくれた言葉が、高山さんを長く苦しめていた、人と働くことへの恐怖を少しだけ和らげてくれた。 

 

再出発は2025年1月。 

 

スーツに袖を通すのは、実に5年ぶりのことだった。2時間電車に揺られ、都内のオフィスを目指した。 

 

「フードデリバリーという仕事があったから、今、前を見ることができているんだと思います」 

 

コロナ禍の不況をしのぐために、多くの人が始めたフードデリバリー。 

 

高山さんにとっては、うつ病や失業、そして家族の不幸という一度に背負うには重すぎる問題と向き合う猶予を与えてくれた、大切な仕事だったのかもしれない。 

 

(取材・記事/真壁優仁) 

 

※この記事はフジテレビ「ザ・ノンフィクション」とYahoo!ニュース ドキュメンタリーの共同連携企画です。 

 

 

 

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