( 252953 ) 2025/01/21 16:03:53 2 00 5倍の速さで老化が進む「コケイン症候群」を抱える男の子 余命1年…家族の決断は 「わが子は誉れ」懸命に生きた16年の記録ABEMA TIMES 1/21(火) 7:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/1cb1fd97a239f61a20e837a77840462cdbb11cd9 |
( 252956 ) 2025/01/21 16:03:54 0 00 誉君と家族
通常の4~5倍の速さで老化する「コケイン症候群」を抱える男の子、須知誉(すち ほまれ)君。平均寿命は15歳から20歳、発症は50万人に1人と言われ、希少難病ゆえ治療法の研究は進んでいない。
体力や視力など様々なものを失っていく中、唯一の希望は「“思い出”は生きる力になる」という医師からの言葉だった。楽しい思い出を作ろうと旅行の計画を立てる家族たち。深い愛情に包まれた誉君の16年間の人生とその家族を追った。
うれしいはずの子どもの誕生日。しかし、年を重ねるたびに不安になる母親がいた。「また誕生日が来ちゃったとか。こんなことができていたのに、これはもうできなくなっちゃったんだなっていう…」(誉君の母・富美さん)
宮城県仙台市に暮らす、希少難病「コケイン症候群」を抱える誉君。会社員の父・充(みつる)さんと専業主婦の母・富美(ふみ)さん、次男の蒼心(そうし)君、三男の柚稀(ゆずき)君の5人家族だ。
誉君(当時6歳)
誉君に出会ったのは10年前の小学校入学を迎えた年だった。この時の体重は、9.1キロ。6歳にして、1歳の体重にも満たない重さで、耳には補聴器をつけていた。
2007年6月に誕生した誉君。名前を決めたのは富美さんだった。「みんなに誉められるような人になってほしい」との願いを込めて名付けたという。「コケイン症候群」が判明したのは4歳の時だった。
母・富美さん
「1歳過ぎた辺りで、みんなつかまり立ちして歩くぐらいの時に、(誉は)おぼつかなかった。インターネットで調べた時に『コケイン症候群』がヒットした。何個か当てはまる所があったけど、『違う、違う』と言い聞かせた。でも(病院で)『コケイン症候群です』と言われた時は、調べていたことがぶわーっと頭によみがえってきて…」(富美さん)
父・充さん
「うちの場合は、病気が分かってゴールが分かってということなので、その(命の)短さにあまり意味を強く感じたことはない。逆にそこまで何をするか、何をしていくかということに意味があると思います」(充さん)
コケイン症候群は、4倍から5倍の速さで老化が進むと言われ、歩行障害、視力障害、腎不全などの症状が現れる。現状、研究は進んでおらず、根本的な治療法は見つかっていない。発症は50万人に1人で、平均寿命は15歳から20歳と言われている。
「(年齢)2桁がボーダーライン…。2桁になった辺りからガクッと機能(低下)というか、いろいろ出てきたりするというのを聞いていて、10歳を超えると気にしていかないといけない」(富美さん)
誉君と出会って4年、この間に三男・柚稀君が誕生した。この日は、誉君の10歳の誕生日で、年齢が2桁になった。「成長」を喜びながらも「老いていくこと」に不安を感じる年齢だ。
誉君、10歳の誕生日
この頃から、壁に年齢を貼るようになった富美さん。家族で誕生日を迎えられた喜びと「来年も…」という願いからだ。しかし病は、誉君から少しずついろいろなことを奪っていった。「口から食べること」がだんだんできなくなっていき、胃に穴を開け、管を通して、流動食を入れる「胃ろう」で栄養を補っていた。
そして、気になる症状も出てきていた。「自分で家の中を移動していたら、壁にぶつかったり動けなくなって、泣くことが増えてきた」(富美さん)
蒼心君と誉君
2歳下の弟・蒼心君は、お兄ちゃんの病気を理解できるようになった。「走る?」「冒険だ!行くぞ!」と蒼心君が誉君をおんぶして移動しながら2人で遊ぶ姿も。「悲しいことはね、長生きできないこととか。分からないけど、長生きするかもしれないけど…」(蒼心君)
誉君が13歳の誕生日を迎える頃には、「見ること」「歩くこと」がほとんどできなくなっていた。弟の柚稀君は、お祝い事のたびにピアノを演奏する。その音色を聞いて誉君は笑顔を見せていた。
年を重ねて、失ったこと、失われないこと、その狭間で懸命に生きる誉君。「(病院の)先生にもいろいろなことを失っていくと思うけど、目が見えていた時の“思い出”というのは、必ずいろいろなことを失った時の力になると言われて…」(富美さん)
キャンプ場での誉君
たくさんの「楽しい思い出」を作ろうと決めた両親は、家族旅行の計画を立てた。家族と一緒にキャンプ場を訪れた誉君は楽しそうな表情を見せていた。
「見えないから、どこまで進んで良いかとか、どこまでがシートの上で、どこからか地面かというのは手で触ってしか分からないので。不自由にはなっているけど、耳からの刺激といろいろ見つけて楽しんでいる」(富美さん)
余命1年を宣告された誉君
みんなで14歳の誕生日をお祝いした9カ月後、厳しい現実が突き付けられる。医師から「余命1年」と宣告されたのだ。
「終わりに向けてというか……最期をどう過ごさせてあげようという。とても幸せだったので、忘れていました。寿命が短いということを忘れるぐらい…いろいろなことを家族で一生懸命やってきた。先生から(余命の)話をされた時も『何でだ、何でだ…1年なんて早い』と思った」(富美さん)
「自分が泣いて、死ぬほど泣いて誉の病気が治るなら、くそほど泣くけど、それで病気は治らないので泣きたくない。泣く時は、変なイメージをしている時だけ。亡くなるとか。それは終わってからでいい、すべてが…と決めている」(充さん)
桜が咲く公園での誉君と家族
桜が咲き誇る公園で、家族みんなで残された大切な時間を過ごす。三色団子を食べながら、楽しそうに春を感じている様子の誉君。「やっぱり外が好きなんだね」と富美さんも嬉しそうだった。
そして余命宣告から3カ月が経ち、15歳を迎えることができた。「にぃに!ケーキ、フーするよ」「おめでとう」と15本のロウソクが並んだ誕生日ケーキをみんなで囲んでお祝いをした。
15歳の冬、「余命2カ月」の宣告をされた両親は、そのことを2人の弟に伝えた。
「『そんなに時間がないみたい』『長いこと(一緒に)いられないみたい』と。柚稀はオイオイ泣いていたんですけど、蒼心は全然泣いていなかった。『楽しく過ごそうね』と泣きながら言ったら、『まず泣くのやめなよ』と(蒼心に)言われた」(富美さん)
間もなく余命を超えて迎える16歳の誕生日。その日、美容院に向かう3兄弟の姿があった。顔馴染みの担当美容師が「周りを幸せにしてくれる。ほまほまは、癒しキャラだよね」と言い、散髪が終わると誉君はにっこりと笑っていた。
16歳の誕生日の日、柚稀君のピアノ演奏に合わせて、家族みんなで「ハッピーバースデートゥユー」を歌い、誉君を祝っていた。
富美さんと誉君
「16歳になったと思った時に、今まで誕生日が来るのが怖いと思っていた時期もあったし、『誕生日が来た、もっと体調管理するぞ』と思っていたけど、けさは家族のそばにいてくれて『ありがとう』と思った。きょう初めて、感謝の気持ちしかなかった。本当に『誉れ高い』、私にとっては素晴らしい子」(富美さん)
誉君の流動食を作る富美さん
誉君の体調が不安定になってきて、予断を許さない日々が続いていた。富美さんは「すごく頑張っているから…つらくないかなとか、気持ち悪いとか、しんどいとか言えないから、無理していないのかなと心配。頑張ってくれているのは、私たちはうれしいけど…。大丈夫かな、無理しているのかな、しんどいよね…」と胸中を語った。
ピアノ演奏をする柚稀君
みんなで迎えたクリスマス・イブの日、柚稀君が「ユー・レイズ・ミー・アップ」をピアノで演奏していた。その様子を撮影する充さんと蒼心君。富美さんの目には涙が溢れていた。
2023年12月27日、誉君は家族に見守られながら16歳の生涯に幕を下ろした。
「今でも笑顔で楽しく、もし足が動かせるようになって、走り回ってくれていたならうれしい。もう少し…もう少し一緒に長く生活したかった」(充さん)
「もう1回、来てくれないかな。もう1回……。そうはいかないよね。半分では分かっている。もう苦しい思いはしていないよねという思いもあるんですけど…」(富美さん)
「自分ができる限りの全部の力を使って、最期まで生き抜く力を教えてくれた」(柚稀君)
蒼心君は、誉君の遺骨が入ったペンダントを身につけるようになったという。「ここにいるから大丈夫。守っていてくださいという気持ち」(蒼心君)
誉君との思い出を語る家族
誉君の写真と生けられた桜を眺め、みんなで過ごした日々を振り返る家族たち。「ほまは、とにかく出掛けるのが好きだったからね」「公園とか風を感じる所が良かった」「目的地はどこでも良くて」。
誉君との“思い出”を生きていく力に──。
(東日本放送制作 テレメンタリー『わが子は誉れ ~老いてゆく男の子と家族の16年~』より)
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( 252957 ) 2025/01/21 16:03:54 0 00 =+=+=+=+=
凄いなー涙なしでは読めない。 うちは子供にいくつか障害があって兄弟もいないから夫はもう人生終わったと思ってる。 いつもため息や怒鳴り声… この夫婦のように強くあろうと二人三脚できる人は意外と少ないんじゃないかな。 アシュリーちゃんを思い出したけど、彼女もとても哲学的だったのを覚えている。
▲5791 ▼212
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賞をとったドキュメンタリー「わが子は誉れ」、お正月にテレビで放映されていたのを見ました。
誉れさんを中心に強い家族の絆に感動しました。弟たちも「にいに、にいに」と言いながらお世話していて良い家族です。 お母さんも、辛いだろうにいつも明るさを忘れず、誕生日にはみんなで誉れさんを囲んでお祝いしていました。
「思い出は生きる力になる」。正にその通り。 家族と作った楽しい思い出を糧に、誉れさんは懸命に生き抜いた。見ていて最後は涙が止まらなかった。
▲444 ▼16
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つい先日、『桜のような僕の恋人』という、この子の病気とは違うかもしれないけど、急激に老化し亡くなってしまうという映画を見ました。 現実でもあるのは知っていましたが、こんなに小さい時に分かることもあるのだと思いました。 初めから何年しか生きられないと言われたらものすごいショックだけど、その期間を悔いなく幸せに生きることができる。亡くなられたのは悲しいけど、この家族に生まれて弟達からも慕われ幸せに生きることができた人生だったのだろうなと思います。
▲3835 ▼237
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老化にはテロメアという染色体の末端にあるものが関係しており、それが細胞分裂のたびに少しずつ短くなっていく、それが尽きると寿命となる。このテロメアが短くなっていく過程を遅らせる事が出来れば超長生き出来るし、仮に止める事が出来れば不老になる。ただ、止めたら細胞分裂をしないし、矛盾が生じる。ベニクラゲの研究が進めば人類はまた次の段階の人類に進化できる可能性もある。
▲449 ▼126
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長い間子供が出来ずに、30代後半でやっとの思いで子宝に恵まれた。 今現在、誉さんとほぼ同年齢になった息子。 自分のことと照らし合わせると、胸がつぶれそうな想いで記事を拝読した。 親として子を見送ることが、どれだけ尋常じゃなく辛いことか。 今なら良く分かります。 絶対に誉さんを忘れない事。それが誉さんが“生き続ける事”になると思います。
▲3505 ▼229
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5倍の速さで老化するということは、普通の人の5倍の密度で生き甲斐を求め、豊かな思い出を蓄積しなくてはなりませんね。 中年に差し掛かれば誰でも加齢は嫌で、どうやって老化と折れ合い、納得の日々を送るかが長い課題になります。その意味では私たちも、このお子さんと根本的な事情は似ていますが、数十年にわたって「自分にはまだまだ時間がある」という思いに、大きな救いと癒やしを得ることが出来ます。 この男の子とご家族はその点、大変辛い立場に置かれましたが、とても前向きに生き抜かれた。一人っ子ではなく3人兄弟だったのも、支え合う力になったことでしょう。しかし同時にご両親は次男三男を生む時、大きな決断が必要だったことと思います。いろいろな意味で5人全員が勝利者ですね。私たちは、このご一家に勇気を分けてもらえるような気がします。
▲105 ▼28
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遺伝子異常の病気ではミトコンドリア病が有名ですが、国が力を入れていない為治療法の開発が遅れています。コロナのワクチンはあっという間に出来上がりましたが、今待っている間に重症化したり亡くなっていく子供達がいる事を知って欲しいです。
▲104 ▼45
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「泣いて治るならくそほど泣くけど」 自分の子が難病になった時、全く同じ事を強く思いました。 何故うちの子が?どうして?育て方が悪かったのか?健康に産んであげられなくてごめん。その思考も最初からしないと決めた。いくらそう思ってもプラスになる事が1ミリも無いからです。涙も、無理に我慢する事はないけど、泣いたって治らないから。私は泣かない。泣いてる暇があったら病気の勉強をしたり子供の楽しみを増やすものを探す時間に充てたい。 記事の誉さんはスタートからゴールが見えていた。想像を絶する人生だけれども、朝出て行って事故で亡くなる子供もいる。思い出という言葉は、これまで見聞きしてきたより重く尊いものなのかもしれない。その人が生きた証ですものね。うちも病気に負けず頑張ります。
▲2354 ▼52
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精一杯生きられた姿を見習いたいものです。 長いこと漫然と生きてきて馬齢を重ねてきましたが、平均寿命までは生きれる甘えが未だにある。 余命数年と宣告されたら、やり残したことややりたかった事などが山ほど出てくるだろう。 わずか16年の人生でしたが、毎日が充実し人本来の優しい心を持って生きられた人生だったと思います。
▲1539 ▼38
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これだけ恐ろしい病気が50万人に1人。かつて狂牛病が話題になったけども、同じ症状で原因不明の孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病の発生率が100万人に1人。50歳以上で症状が出始めるそうなんだけど、余命1年。日本に100名強の患者がいるらしいが、毎年、患者が亡くなり、同じ数の患者が発症していく。病気は違えど、残された時間を懸命に生きた男の子 、ご家族。よくぞこの期間を過ごされました。お疲れ様でした。
▲150 ▼16
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以前にも見たこと有った記事なんだけど、やっぱり最後まで読んでしまう。 家族になるべくして生きた誉さんに多くを学ばされる。周りの人を優しく包む天使みたいな人だね。
▲1836 ▼42
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お兄さんの病気を理解し、旅立ちまであたたかく寄り添う心を持った弟さん2人がいたこと、誉くんもご両親もたくさん救われたことと思いました。 「思い出は生きる力」 誉くんは楽しい思い出が生きる力だったかも知れませんが、ご家族は誉くんとの楽しい思い出、辛い思い出も全て、生きる力として、幸せに過ごされていくのだと思います!
▲1064 ▼22
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私は成長ホルモン異常症なので小学生の頃に体は170センチを越えで体毛は濃くヒゲを剃って学校に通っていた おっさんとあだ名をつけられイジメに合い二十歳頃には頭がハゲあがり老けてみられ大学の合コンでは何で先生呼んだの?と言われる始末 入社したての新人時代も取引先の40代の人にずっと年上だと思ってましたと言われたり本当に辛い人生です。
▲686 ▼31
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自分より先に逝かれてしまう辛さ。 子供の成長はいつまでも見ていたいものです。叶うなら自分の命が尽きるその時まで、幸せに生きている子供を見届けたい。幸せに生きてないなら幸せになるようになんとかしてあげたい。 普段は日々の生活の幸せを見て生きていても、祝うべき誕生日が来るたびにふっと死に向かっていってると気付かされるのだろう。 想像することしかできず、気持ちがわかるなんてとても言えないが、お辛いだろうと思う。
▲749 ▼18
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何年か前に、海外に住む女性がこの病気で、彼女を追ったドキュメンタリー番組を観たことがあります。 体調が悪く、いつも下向いてばかりいる私と違い、彼女から出てくる出てくる言葉は命そのもの。 こんなに強い人がいるんだと驚きました。
▲693 ▼19
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この記事は本屋に併設されているカフェで見ていました。一人で何時もの様にコーヒーを飲んでいて鼻水が止まらなくなりました。初めて聞く病名と症状。涙が出たのは可哀想だからでは有りません。両親や二人の弟に囲まれて沢山の愛情を貰って生きた誉くんがとても幸せだなと感激しての涙です。 私自身も老人ですが、老人相手の仕事をしています。そのせいか生きる事、終わる時はどの様にしたいか日々考えています 誉くんを中心に暮らしているご家族を知り、ああ人生は長さじゃない。改めて確信持てました 1日1日を大切に生きて行こうと強く思いました
▲158 ▼4
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こう言った人よりも早く老化していっていまう難病もあるのですね。私は初めて知りましたが、ご本人は勿論ですが、ご家族も悲しみや苦しみを抱えながらも、1日1日を楽しく充実した日を送ろうと、キャンプなどの外出をされえ思い出を作ろうと、一生懸命に誉くんをサポートして支えて居られた事が、こちらにも伝わって来てジーンと来ました。旅立たれた事は、残念としか言いようが無く言葉に出来ませんが、これからも彼は家族の皆んなの胸の中で生き続けてくれると思います。
▲83 ▼6
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短い命だと悲観に暮れることなく、ご兄弟も含めてやれることをやれるだけ。と過ごしたご家族の結束力と意思の強さを深く見習いたいと思います。 そして誉くんという、難病と闘った子がこの世に存在してネットという形でその存在を伝えてくれたこと。それは絶対に意味のある、価値のあるものです。 どうか思い出がご家族の中に温かく輝き続けますように。
▲42 ▼4
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故ロビン・ウィリアムズがJackという映画で4-5倍の成長速度の主人公を演じました。 種々エピソードがありましたが、最後のセリフは高校の卒業式、総代として答辞を読み上げ最後は『ママ!大人になったよ!』でした。 人の命の大切さを教えてくれる映画でした。 記事の彼もきっとご家族に友に命の大切さを伝えてくれたと信じています。ご冥福を心よりお祈りします。
▲89 ▼2
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生まれてきたからには悔いのない生涯を送ってもらいたいというのが望みです。障害が重度でも軽度でも、親が子に願うことは同じだと思う。ただ、両親2人でという支え方は当たり前のようでなかなか出来ないです。それは親の介護をする子どもたちでも同じ事が言えます。認知症に笑顔で対応するのも結構大変ですし、ましてや1人でとなると精神的にも体力的にも辛い。そういう頑張っている人たちをもっと医療の研究で助けて欲しいです。
▲0 ▼0
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この家族の想いは本当にその立場になった人にしか分かり得ないかもしれないが、それでも記事を読んで涙してしまった。 強くいなければならないと覚悟を決めた両親や弟たち。それでも現実と向き合い不安になってしまう誕生日。 普通に生活してきて当たり前のように感じていた子供の健康が当たり前ではないのだと強く思った。 ありきたりになってしまうが、もらった命を大切にしていきたいし子供にもそう教えていきたい。
▲5 ▼2
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若くして大病を患っている人、若くして亡くなられる人、彼らの今世は「自分の為に生まれてきた魂」ではなく「周りの人間を成長させるために生まれてきた魂」だと私は思ってます。神様から特別な使命を授かって生まれてきた気高い魂だと。誉君もきっとそうであったのだと信じています。その証拠に、ご家族だけでなく、この番組を目にした沢山の視聴者、この記事を目にした沢山の読者の心に何物にも代えがたい"何か"を芽生えさせました。しっかりとその使命を終えた誉君の魂は、今頃神様に目一杯抱き締めてもらってると思うのです。
▲3 ▼0
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16年の人生。 人生100年およそ80年される現代の通念上、彼の短命を悲劇と捉える人もいるかもしれないが、人には誰しもに与えられた寿命がある。 人は皆いずれ死ぬ。誉さんもまた、天から与えられた命を全うした。短命だったからとか障害があるからとかガンになり易いとか関係なく、この世に現れたあらゆる命に、生まれてきたことに意味がないなんてことはない。彼もまた立派に生き抜き天寿を全うした立派な人だ。 ご家族はどうか彼をいつまでも誇りに思ってほしいし、その事が彼が誉さんであったことの証明になる。 これまで去っていった数多の人達と同じように誉さんもまた、善い人生を送り立派に天寿を全うした事に敬意を表します。
▲13 ▼3
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胸が締め付けられて涙があふれてくる 身内に障害の子がいるが 何にもしてあげられない もどかしさ でもとても愛そうが良いいので救われています コケイン症候群という 病気の治療法が早く見つかりますように この様な病気がある事を知って 今まで 世の中を狭く見ていた自分が恥ずかしくなりました 良い勉強させて頂きました
▲28 ▼1
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少し昔に「ジャック」という映画を観ました。人の4倍の速さで成長する病気の子供の話です。 この映画の主人公ジャックは、体の成長・心の成長・知識の成長が同級生が4年かけることをバランスよく育っていくという内容だったと思います。
ただ4歳の時は16歳の体と心。背も人よりも大きいのでスポーツ等は万能ですが、心が先に行ってしまい同級生と合わない等の弊害があります。
最後は確か20代の時、90歳以上の体なので寿命を迎えるという感じだっと思います。
この誉君が、映画の通りの人生だったらどれだけ楽しめたのだろうと、ふと思いました。
▲2 ▼0
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お兄さんの病気を理解し、旅立ちまであたたかく寄り添う心を持った弟さん2人がいたこと、誉くんもご両親もたくさん救われたことと思いました。 「思い出は生きる力」 誉くんは楽しい思い出が生きる力だったかも知れませんが、ご家族は誉くんとの楽しい思い出、辛い思い出も全て、生きる力として、幸せに過ごされていくのだと思いますね!
▲2 ▼0
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本当に尊敬します。比べ物にはならないけれど、いま先が長くないペットの介護をしています。 見た目は若々しくなくてもヨレヨレでも本当にかわいい。 知らない人から見たら、毛並みが悪くて痩せていて気持ち悪いって思うのかな。それまで共に生きてきた歴史があるから、かわいそうだなんて思わない。心無い人からは、「お世話大変だろうから休めないね、早くお迎えきてパパママを楽にさせてあげててね。」なんて言われたことも。 どんなに苦しい難治症状があっても、家族にとっては宝。お別れが分かっていても笑顔を絶やさず本当に頑張っていらっしゃったと思います。 次男さん三男さんを出産されるとき心配もされたのではないかと思います。とても勇気が必要だったのではないかと想像します。家族一丸となって素晴らしいご家族。
▲1 ▼1
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我が子が自分より先に、若くして逝くということの悲しさ、悔しさ、理不尽さ。こういう話を耳にするたびに「この世に神はいない」と思います。
それでも残された親にはまだまだ人生が続きます。亡くなった我が子が見ていると思って、しっかり前を向いて人生を歩んでほしいなと思います。いつまでも悲しんでばかりではお子さんも安心して天国に行けないでしょうから。
自分も1歳の我が子を亡くして数年になりますが、しっかりと前を向いて歩もうと思わせてくれる記事でした。
▲52 ▼2
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5倍の速さで老化が進むコケイン症候群と言う名前の病名だとは知りませんでした。老化と言うか若いのに歳をとっていく病気があることは知っていました。でも、老化よりもひどいように思います。目が見えなくなるなんて、そして動くことも出来ない10代でかかえるにはおもすぎる病気。原因は?10代で余命1年って、普通なら誕生日をむかえる度に成長して頼もしくなっていく息子を見る度に家族は期待と嬉しい気持ちになるはずなのに家族の気持ちを考えると言葉がでません。
▲0 ▼0
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言葉になりませんね、、命のゴールが決まっていること、できることができなくなることその辛さは想像を絶するものがあったのでしょうね、、ただ名前の通り誉れ高い生き様が弟さんたちに色んなことを教えてくれたのだと感じました。家族で幸せに過ごした思い出が遺されたご家族のこれからを生きる糧になってゆくことを願っています。
▲20 ▼1
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言葉になりませんね、、命のゴールが決まっていること、できることができなくなることその辛さは想像を絶するものがあったのでしょうね、、ただ名前の通り誉れ高い生き様が弟さんたちに色んなことを教えてくれたのだと感じました。家族で幸せに過ごした思い出が遺されたご家族のこれからを生きる糧になってゆくことを願っています。
▲20 ▼1
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この健常者より老化が進むスピードが早い誉くんのドキュメンタリー、正月明け直後だったか、3時間くらいのドキュメンタリー全て見た。本当に本人は壮絶な人生だったと思う。弟2人がいたから自分の難病には気づいていたと思う。老化って進むと食べ物を食べられなくなるから、胃に穴をあけてシリコンのような管で直接半ねりのような食べ物を直接胃に送る事を決断した母親も、立派な決断だった。心底、普通の母親なら残酷で見ていれらない母親や家族もいただろうが、こういう、いつまで生きれるかわからないが誉君の人生を家族全員で受け入れて、全うするまで全員でやろうという母親の意気込みだったんだろう。取材したテレビの方も本当にすごいと思った。16年の歳月を見せてもらった。確か正月付近だったと思う。確かに見れた。5倍老化が進まないのなら80年だ。本当に弟2人にいい癒しを与えた兄・誉君だった。自分も時間をムダにしないで生きようと思った
▲19 ▼1
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ご本人のお名前だけでなく、ご家族皆様の存在がまさに誉だと思います。 素晴らしい名前を抱き、唯一の存在として人生を歩んだ「誉」さんとご家族へ哀悼の気持ちを送りたいと思います。
涙なしには読めませんでした。 その時その時で様々な葛藤や苦難や苦闘があったと思います。それを想像すると本当にずっと幸せであって欲しいと願います。
▲3 ▼3
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考えさせられることが多かった。自分も妻も子供たちも彼の5倍生きるだろうけれども、心がけるべきは同じ事。いつか尽きる命の事を忘れず、日々を大切に生きていくこと。とても難しいことだけれども短い期限を突き付けられている人にだけできるのではない。ちゃんと生きようと思う。
▲38 ▼4
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読んでいて思わず涙が溢れそうになった。ただ、その涙は病気で可哀そうという類のものではなく、本人および家族の心の在り方と行動に感動したためだ。とりわけ次男君の心の強さと優しさは称賛に値する。わが子にもこのように育って欲しいと願うばかりだ。
▲70 ▼3
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5倍のスピードで老いていく悲しみはたまらない こうやって何事もなく生きてるだけでも「幸せなんだ」と感謝していかないとね 誉君は本当なら80数歳生きていけるはずだったのに悲しいけれど、ご家族はたくさんの想い出を作ることができた 普通に生活してるよりも家族の絆、命の大切さをわかるんだ
▲3 ▼4
=+=+=+=+=
最後は泣きながら拝読しました。 貴重な、辛い記事の記載に感謝します。
地震などの天災や平時での病気や事故で我が子の身を案じるのは親として共通の思いです。 子を持ち、子どもたちに見舞われる辛いどんなことも代わってあげたいと切に願うようになりましたが、先に逝くような覚悟は全くできません。想像するだけでも、あまりにも辛くて。 永く元気で幸せになって欲しいと願うしかありません。
このご家族のご両親の想いを想像するに、他人ながら身を切られるような思いです。 お兄さんの分もご兄弟のお子さんに幸あらんことを。 ご両親に早く心の安寧が訪れますようお祈りします。
▲3 ▼3
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この記事を読ませて、二児の親として思うところがありました。 それなりの年齢になって出来た子供なので、あとこの子達と何年過ごせるだろうや、もしかしたら家族が何不自由なく一緒に過ごせる時間って奇跡にも近いぐらい希少な時間なのかも。 家族との1日1日を改めてしっかりと噛み締めて生きていこう思います。
▲7 ▼2
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なんで同じ世の中で私腹を肥やしているやつがいて、この家族に向き合う気概のあるやつがどれだけいるのか…生きることを深く意識考えさせられます。 少しでも多くの人の痛みが少なく幸せに暮らせる社会が広がっていってほしい。
▲232 ▼9
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たまたまテレビで見ました。ドキュメントで素晴らしい番組でした。ご家族の方たち大変だったでしょうが、誉君本当に誉れだったと思います。これだけ医学が進み病名まであるのに治せない知らない病気があるのは悲しいです。 誉君のご冥福をお祈りいたします。
某ジャニタレのスキャンダルのばか騒ぎより再放送があればおすすめいたします。
▲63 ▼6
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病気と闘う、短い生涯だったことは悲しいし残念ですが 誉という素敵な名前をつけてもらい、家族の愛情に包まれ 幸せな生涯であったことは間違いないと思います。 これからもきっと家族の側にいるはず。 我が家もこんな素敵な家庭を目指したいです。
▲85 ▼5
=+=+=+=+=
季節が巡るごとに来年も一緒にいられるか親が考えるなんて、想像しただけでも胸が締め付けられる。幼い頃は出来ていたことが一つ一つ出来なくなるのを目にするのは辛すぎる。でも「思い出が生きる力になる」という医師の言葉のとおり、家族で一丸となって1過ごしてきた時間は永遠ですね。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
昔同じ病気の海外の子はテレビで見たことがある。おばあちゃんより先に老化現象が現れて孫がおばあちゃんに教えてあげるシーンなどあって泣けた記憶がある。人生の長さは人により違うがみんな自分の人生を満喫してほしい。
▲1 ▼4
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涙で最後まで読めなかった。こういう病がある、ということを少しでも多くの人に知らせることができた、という点でこの子が生まれて生きた意味はものすごく大きいと思う。ご両親の哀しみは想像しきれないが、せめて来世は健やかに生まれてくれたらと思う。
▲36 ▼0
=+=+=+=+=
遺伝子疾患なのか老化が早いって不思議 6歳で1歳くらいの身体つきなのも不思議だし10歳なら50代の老化具合って訳でもなく胃ろうで生命維持していたなんて…
不自由なことばかりの人生だっただろうけど家族に愛されて猛ダッシュで人生を終えてしまった彼はきっと幸せだったのだろうなと思います 誉くんのご冥福をお祈りします
▲25 ▼0
=+=+=+=+=
私も涙を流しながらこの記事を読んだ。 人間はいつか死ぬのだけれども、15歳ではいろいろな経験も少なく残念だな。 この記事を読んで悲しいことも切ないことも、いろいろ失敗することも生きていることの証だなぁと心底思えるようになった。 この家族は消えることのない愛の思い出を持って行くのだろうから、従来よりもっともっと人には優しい人々になってゆくのだろな。
▲1 ▼4
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コケイン症候群は残酷にして悲しい。 ALSも難病だけど、ギタリストのジェイソン・ベッカーのように21歳で発病しても医療の力と懸命な闘病により55歳現在でも音楽活動が出来ている人も稀だけど存在する。しかし、老化が進むのはどうにもならない現状と言うのが辛い。
▲169 ▼8
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障害のある子供がいると色々言う人がいるけど、誉くんが生まれてきてくれて、両親だけじゃなくて弟くんたちも嬉しかったと思う。 もちろん誉くんも。 もっと長く生きたかったし健康体ならもっと良かったと思ったかもしれないけど、愛されながら生きてきたことはしあわせだったと思う。
▲1 ▼1
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家族って、やっぱりいいな 涙なしには読めないけど
いろいろな事があって、でも家族として存在した日々は失われないから、経験や思い出は永遠だから
天国で待っててくれる人たちがいると、自分の番になっても怖くないからいいよ、私の場合はおばあちゃんや親が、そして大好きだったペットたちが先に行って待っててくれてる
でも若くしてお亡くなりになったこの子やこのご家族の気持ちを考えると、やっぱりもっと長く現世で過ごしたかっただろうと思う
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一日一日を大切にする、できる事の有り難さがとてもみに沁みました。誉くんと家族の時間は余りにも儚い16年かもしれないけれど一日一日を共に過ごした家族の時間はどんな一日よりも大切な時間だったと思います。とても眼頭の熱くなる記事と素敵なこの家族の事を知れて感動しました。
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誉君が幸せだったのは写真から存分に伝わってくるし、誉君もご兄弟も大切に育てたご両親を尊敬する。
子育てでなるべく悔いを残さないように、とは思っていても、上手くいかない日もあり…「子ども達が大人になるまで時間が限られている」と頭では分かっていても、このまま一緒に居られる時間がずっと続くのではとつい錯覚してしまう。
漫然と暮らしていたら後悔するかもしれない。もっと意識して子ども達との思い出を作っていかなきゃな。←※あくまで自分に向けたメッセージであり、よそのご家庭に対してアドバイスするつもりは全くありません。
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とっても輝いて生きたアシュリーちゃんを思い出しました。
誉くんもご家族も、むしろかけがえのない素晴らしい日々を過ごされたと思います。
寿命の長さより、いかに時間を大切に、当たり前ではなく、命に感謝して生きる事の大切さに気付かされました。
伝えて下さってありがとうございます。
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たくさんの思い出を家族一丸となって作っていった素晴らしい絆。 誉君とても幸せな生涯だと思う もちろんいろんな葛藤がそれぞれの立場であり辛かったと思うけど、それでも愛される喜びを感じながら過ごせたのは家族にとっても良かったと思います。
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他人は短い文章で16年分の想いを感じて涙するだけだが誉さんやご家族は介護もありながらの生活で家族とは言えとても大変だったと思う ご夫婦にとっては子供の養育は義務だが一方で障がい者の方を家族に持つ方にしてみれば非常に綺麗ごとだけでは言えないそれぞれの人生も負担にさせることでもある 人間らしくとは障がい者の方はもちろんであるがその介護や養育する立場の人も基本的人権を尊重しながら生活しないと何れ破綻してしまっては元も子もない 幸いこちらのご家族は誉さんや家族皆が協力していつもポジティブに生活できたので亡くなったことは残念ではあるが人間らしい生き方と言う意味では互いに良かったのではないかと思う 残されたご家族が誉さんが見れなかった世界を見ることで冥福につながることを祈っております
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「自分ができる限りの全部の力を使って、最期まで生き抜く力を教えてくれた」 まだ年端もいかない子供なのに、とてもシンプルで解り易くこれ以上ない位に的確な言葉で表現出来る感受性が凄い。懸命に寄り添ってきた家族だからこそ、お兄ちゃんへの尊敬と愛から生まれた言葉なのですね。とても心に刺さりました。
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自分にも18歳と16歳の2人男の子がいます。 この記事を読んで改めて今、当り前に普通に生きている事の幸せと生命の大切さを痛感しました。
誉くんもこんな素敵な家族に産まれ幸せだったと思います。
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素敵なご両親だ。 子どもの障害が発覚して、親のメンタルが崩壊し、子育て放棄する人もいるのに。 人間には誰にも寿命があって、たしかに16歳は短すぎるけれども、 16年間は素晴らしい人生だったなと思いました。 全ては、立派なご両親とその子ども達がいたからこそ、ですね。
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強くて愛に溢れた家族ですね 介護はきれい事では済まされないほど大変 疲れきる そんな中なのに もう一度来てくれないかな もう少しだけ と思えるのは簡単ではない 素晴らしい家族の元に生まれてよかったですね そう思いたい
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辛すぎて、途中で読めなくなってしまった。 近い身内が、統合失調症で入院しています。 自分が、彼女の歳の時は、恋をしたり、友達とカラオケ行ってアムロちゃんやアユの曲を取り合いしたり、プリクラ撮ったりと今まで生きて来た中で一番楽しかったのに、彼女はできないんだと思うと胸が締め付けられます。 病院に面会に行った帰りは、涙が止まりません。 一重マブタなのに、もう目がなくなるんじゃないかというくらい嗚咽しながら泣いています。 誉君にお母さんも、こんな事をさせてあげたい、一緒にこんな事できたらいいなぁと思う事がたくさんたくさんあったと思います。 でもね、誉君は、大切に育ててもらって、本当に感謝していると思います。 ありがとうって言っていますよ。 この難病の治療法が少しでも早く見つかる事を願います。
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希少難病の研究。お金がかかるとか、色々問題はあるのは理解できるけれど。。。患者が生きた証、生きた意味、生きがい、幸せ、いろんなことを考えたら、、、やっぱり研究することがせめてもの出来ることなんじゃないかなと。
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ご両親も立派。二人の弟くんたちもお兄ちゃんの病気を理解して、それぞれ向き合ってて本当に素敵な家族だなと思いました。姿が見えなくてもほまれくんはこれからもずっとご家族に寄り添ってますね。
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私は生まれつき難聴で、今は補聴器が無いとほとんど聞こえません。 0歳のときにかかった細菌性髄膜炎という病気の後遺症で、大人になってからてんかんを発症しました。 難聴は遺伝だからどうにもできないけど、細菌性髄膜炎のことは、親に「もっと早く病院に連れて行くべきだった。ごめんね」って謝られた。でも別に恨んでなんかいないし、逆に散々迷惑をかけたことを謝りたいです。 家族や周りの人に心配されたり、かわいそうだと思われるかもしれないけど、私にとっては、耳がほとんど聞こえないことも、てんかんの発作が起こることも、普通で当たり前。 確かに不便ではあるけど、その中で楽しいことを探して生きてます。障害を抱えているからこそ気づけることって、たくさんあるんですよね。 お子さんは幸せな人生を送れたはずです。
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皆それぞれ強いんだろけど、本人と、特に次男、息子や孫で居てもいいくらい歳は離れてるけど、尊敬というか見習えたらいいのにってくらいの強さ。
俺なんかと違って立派な人生送るだろうな。
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番組を観ました。プロジェリアは知っていましたが別の早老の病気があるのを誉くんで知りました。観終わったあと、しばらくなにもする気が起きないくらい精神的にきました。16歳の少年の一生とご家族の日々が誉という言葉そのもので。ずっと忘れられない番組です。
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このご家庭に生まれたことは幸運だったと思います。 ご本人も弟たちにとって自然と何かしてあげたくなるお兄ちゃんだったのだろうなと写真見て感じました。 短かったけれど幸せに過ごせたのではと思います。
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次男さんが誉くんをおぶって遊んでる写真と文章で泣きました。 その尤も身近な場所から見えていたからこそ出てくる、まず泣くのやめなよ、という言葉。 お兄ちゃんに同情して泣く姿を見せる事が、お兄ちゃんを悲しませるとわかっているかのようです。 よく障害児兄弟姉妹の話は出ますが、ご両親の関わり方次第ではないですかね。 私は弟が生まれた時に重度のアレルギーで専門医がなかった時代に、毎日漢方医に通わなきゃならなかった為、ずっと通院に付き添っていましたが、それを不満に感じた事はないです。 むしろ病気をよく知らない人が包帯だらけの弟を見て、母や弟に差別的な言葉をぶつけるのを見て、差別はいけないと幼稚園に行く前から学びました。 その芯の部分は今でもブレず人権意識が取り沙汰される世になり、自分は間違ってなかったと思っていますので、弟の存在に感謝しています。
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子供を大切にされていても老化が急激に進む難病、初めて知りました。我が子に少しでも長く生きて欲しいと思う気持が良く分かります。難病とは言え忍びない気持ちになりました。 それに比べて我が子を虐待して負傷させたりひどいと致命傷を与え殺してしまう。同じ親なのかと思います。
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テレビ拝見していました。誉君の可愛いらしさと懸命に生きようとしている姿に涙が止まりませんでした。素敵な家族そして優しさに溢れて育っている弟さん達に愛されて短い命でしたが、とても幸せでしたね、きっと誉君が見守ってくれてますね、
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つい最近、このご家族の事、テレビで見ました。映らない所でのご苦労は、いかばかりかと、、、元気で産まれて来てくれる事は当たり前じゃない!改めて感じさせられました。 16才、、、短い時間だったけど、、、素晴らしいご家族に囲まれ幸せな時を過ごされたと、、、 誉君、良く頑張ったですねぇ、、、 このご家族に幸多かれと心から祈ってます。
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子供の死が着々と近づいてくる恐怖って想像を絶するな 寝る時間も惜しい、もっと一緒にいたいと日々思いながら過ごしてたんだろう 子供が元気に生きている事は当たり前じゃないんだと改めて思う
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お兄ちゃんが誉くんのために弾くピアノの旋律に とても心揺さぶられました。1音1音、とても丁寧に、お兄ちゃんの想いが曲に乗って家族皆んなの心に響いて…音楽の力って、これなんだと思いました。
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早くに身近で愛する人を失った時、人はあれもできたのに、これもしてやれなかったと後悔にさいなまれることがあります。
このご家族がそう思われることはないかもしれませんが、もしそんな思いにとらわれつらくなったら、自分にやれることは精一杯やった、そう自分に言い聞かせてあげてください。
ご自愛してください。
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東日本放送制作 お疲れさまでした。 このような良質の番組を作成いただき感謝申し上げます。 オワコンといわれる時代になりましたが、このような番組はテレビならではと思います。 大企業はこのような番組にスポンサードしていただき、今後も良質なテレメンタリーを制作いただけることを期待しています。 テンタメは他のメディアに任せましょう!
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ご両親が頑張って立派に長男見送ってたのは本当に凄いことだけど、この弟達もほんと優しいよね。よく天命短い子供は全員が優しい家族だとわかって選んで産まれてるって聞くけどほんとなんだなぁと思う。
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誉くん、亡くなっていたんですね。いつだったかドキュメンタリーを見させて頂き、ニコニコしている姿に癒されました。
人より短かったかも知れないけど、濃い人生を送れていたんじゃないかな。天国では綺麗な景色を見て綺麗な音を聴いて好きなだけ走り回れていますように。
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病気という病気、どれも残酷で悲しいけれど こんな事ってあるか?というほど辛い話。
この番組、見ました。ご家族が誉さんを映像で 記録されてるんですが、毎年の誕生日の映像を 見て特にこの病気の残酷さを感じました。
私などが亡くなった誉さんやご家族にどうこう 言えることは何もありません。本当に悲しい、 それだけです。
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平均寿命は15歳から20歳というのがわかりづらいが 発症者の多くはそれくらい生活できているということか 辛いこと苦しいことがあると人は本当に優しくなれる 普段からみんな優しくなれるといいね…少年よ安らかに
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現代医学でも治せない病気(難病)が多数存在しています。 先生方も研究に研究をかさねても根治出来ない。 この先も色々治験とかしなんとか良い治療方法が確立されることを望みます。
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うちは突然亡くなった。亡くなってから、もっと優しくしてあげとけばよかった、勉強しなさいって言わなかったらよかった、もっと一緒に出かけたり遊べばよかったと後悔ばかりしていた。亡くなるのが分かってたらめっちゃ辛いけど、こんなに後悔しなかったのかと思った。その後悔はもちろん親の気持ちだけやけど
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こう言うの見ると代わってあげたい 僕は40代独身で恋愛弱者なので今後絶対に結婚が出来ないので子孫が残せません 競争に破れ、後は何も日本に貢献出来ずに死ぬだけです こんな僕が生きるより、未来ある子供に僕の命をあげたいです 子供はみんな幸せになってほしいです
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自分が同じ立場に置かれた時、この家族のように振舞えるだろうか? 病気が判明し、ゴールが見えてしまっている・・・。 きっとこの文章だけでは伝えきれない物語があったのだと思います。 上手く言葉に出来ませんが、きっと近くで見守ってくれていると思います。 穏やかに過ごせますように・・・。
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コケイン症候群、何十年か前に外国の患者を何かの記事で読んだ記憶が有ります。 体内時計の進み方が健康者と違うのかな?
甲状腺機能亢進症の場合は新陳代謝が激しくて、少し動くだけで直ぐに疲れ、大量の発汗、呼吸や脈拍が凄く早くなる。 老化・加齢が早く進むのか?と恐怖心も・・・ 田中角栄氏はいつも扇子を手にしていたのは、甲状腺機能亢進症に罹患していたからです。
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この世界は、 優しい人達が悲しい思いをしてしまう…
誉さんは天国に戻ったのですね。 けれど、大好きな家族や友人とはなれるのは双方辛いです。
どうして、優しい者ばかりつれていかれてしまうのでしょう。
もう、悲しみのない優しい世界になって欲しいです。
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素晴らしいご家族の元に生まれて幸せでしたね。 弟さんたちは大変なこともあったと思うけど、2人の中でずっとお兄さんは生き続けて、この先挫けそうになった時などに、彼らを救う存在になるんじゃないかな。
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家族さんで 本当に 濃密な 時を 過ごされたんですね。 発信された 事で 私も 病名を、 知ることが できました。残された お子さんの健やかな 成長と 共に 先に 旅立たれた お兄ちゃんの 冥福を お祈りいたします。お父さんおか―さんも、もっと もっと 長生き してください。 子供は 親を思っていますから。
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「なぜ重い病気や障害を負った子供が産まれるのか」と言う問いに対して、ある教会の牧師が「社会が優しさを忘れない為」と答えたのを思い出した。
この子を通じて家族が団結し、それぞれの胸に忘れ得ぬ想い出を遺せた事こそ、この子に与えられた5タラントだったのだろう。
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記事を読んで泣いてしまった。 でも泣いて終わるのではなくて 誉君のような子がいたこと、このような病気があること そして家族がずっと幸せに生きてきたこと それを知ることができて 感謝しようと思いました。
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夜中のドキュメンタリーで拝見しました。ご家族がどれほど誉君を愛していたか。最後に弟さんが弾かれたタイムトウセイグッバイのピアノの音色を聞いて涙腺が崩壊しました。 誉高き生き方でした。 ご冥福を心よりお祈りしております。
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外部の人間が軽々しく言えることではないかもしれないが、彼の人生の軌跡とご家族の愛情がただただまばゆい。 私も自分の人生を精一杯生き、家族に愛情を注ぎ生きていきたい。そう思わせていただきました。 ありがとう。
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素敵な家族…誉君を愛し一緒にいれる時を大事に過ごす家族の姿に涙が止まらない。
介護も必要で大変な事が多いのに。 誉君…短い人生だったけど、こんなにも家族に愛されて幸せだったと思います。
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