( 253556 )  2025/01/22 17:27:08  
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北陸新幹線(画像:写真AC) 

 

 北陸新幹線の敦賀以西の延伸計画を巡る議論が、経済合理性や地域活性化の枠を超え、深い“文化的な問い”を含む段階に入った。 

 

 特に注目すべきは、京都府内のおよそ1100の寺院が加盟する「京都仏教会」が2024年12月19日、「小浜ルート」対して異議を唱え、「自然を敬い、共存すべき」とする仏教的価値観からこの計画を 

 

「千年の愚行」 

 

と厳しく批判している点だ。東洋の自然観を背景にしたこの主張は、西洋的な発展モデルと東洋的な価値観の対立を浮き彫りにしている。本稿では、小浜ルートを通じて日本が抱える自然観のジレンマについて考察する。 

 

北陸新幹線(画像:写真AC) 

 

 日本は東洋の国であり、ほとんどの日本人は東洋人である。 

 

 東洋における自然観は、調和と共生を重視する。自然は単なる資源ではなく、生命を持つ存在として尊重される。日本の禅文化を海外に紹介し、ノーベル平和賞の候補にも挙がった仏教学者・鈴木大拙(1870~1966年)は著書『続 禅と東洋文化』のなかで、 

 

「山と仲良しになる」 

 

という表現を用い、自然との関係を対等なものとして描写した。富士山に登る目的は「征服」ではなく、その美しさや壮大さに感動するためだと述べている。これは、自然を 

 

「支配する対象」 

 

とみなす西洋的態度と明確に対比される。鈴木氏は同様のことを1963(昭和38)年1月に東京・赤坂公堂で行われた講演でも語っている。この講演は現在、「最も東洋的なるもの」というタイトルでYouTubeでも聞ける(新潮社からCDにもなっている)。山は支配の対象ではないため、 

 

「山に抱かれる」 

「自然に抱かれる」 

 

という表現も日本では自然に使われる。しかし、北陸新幹線の小浜ルート計画を見ると、この東洋的な価値観はどれほど考慮されているだろうか。山間部を切り開き、トンネルを通すことで自然環境に大規模な影響を与えることは明白だ。京都仏教会も指摘するように、 

 

「尊い自然は決して人の支配の対象ではない」 

 

という理念に背いているように思える。自然を敬う東洋的な視点からすれば、このようなインフラ整備は自然と人間の共生という視座を欠いているといえる。 

 

 一方で、小浜ルートは経済的効率性や利便性を追求する西洋的発展モデルに基づいている。西洋の自然観では、自然は人間の管理下に置かれ、資源として活用される対象だ。この考え方の延長線上に、科学技術を駆使して山を切り開き、高速鉄道を通すという発想がある。北陸新幹線の計画は、このような西洋的な自然観を色濃く反映している。 

 

 元東京都立大学教授で、日本を代表する社会学者の宮台真司は、日本が西洋近代に飲み込まれないためには、相手(西洋)以上の近代的能力を身につけた上で 

 

「あえて別の道を選ぶ」 

 

必要があり、そうでなければ必ず馬鹿にされると喝破した(2010年10月、TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」)。この視点に立つと、日本が新幹線という近代的なインフラ整備を推進すること自体は、必ずしも否定されるべきではない。しかし、その過程で東洋的価値観をどのように取り入れるかが問われるべきだろう。 

 

 現状では、小浜ルートの計画がその「別の道」を模索しているようには見えない。 

 

 

北陸新幹線(画像:写真AC) 

 

 京都仏教会が小浜ルートを「千年の愚行」と呼んだ背景には、東洋的自然観の軽視への強い危機感がある。古都・京都の寺院がこの計画に反対するのは、単に景観や文化財の保護の問題にとどまらない。彼らの主張は、自然を 

 

「単なる経済成長の道具」 

 

として扱うことへの倫理的な警鐘として捉えられるだろう。 

 

 自然との調和を重視する仏教の教えに照らせば、自然環境に多大な負荷をかけるインフラ整備は、自然を尊重しない姿勢の象徴と捉えられる。小浜ルートが地域経済にどれほど貢献するとしても、それが自然破壊をともなうものであるならば、長期的には人々の心の中に残る負の遺産となりかねない。 

 

 北陸新幹線の小浜ルートは、東洋的自然観と西洋的発展モデルの間で揺れる日本の現状を象徴している。この議論は単なる交通インフラの選択の問題ではなく、 

 

「日本がこれからどのような価値観を基盤に未来を築いていくか」 

 

を問うものだ。小浜ルートを進めるならば、その計画に東洋的な自然観をどのように取り込むかが重要になる。例えば、自然破壊を最小限に抑える技術の採用や、環境保全と共存するための取り組みが必要だろう。また、地元住民や宗教団体との対話を深め、計画が地域社会の価値観と調和するよう努めるべきだろう。 

 

琵琶湖の約8割に達する大量の水があるといわれる京都盆地(画像:Batholith) 

 

 北陸新幹線「小浜ルート」は、経済的な合理性だけでなく、日本が持つ独自の文化的価値観を反映した計画であるべきだろう。もし東洋的な自然観を無視すれば、日本は 

 

「単なる西洋の模倣」 

 

に終わる可能性がある。しかし、その価値観を未来志向の形で取り入れることができれば、日本は西洋的発展モデルに対する代案を提示できる存在となるだろう。 

 

 私たちは今、東洋的価値観を未来のモビリティにどう活かすかを考える重要な岐路に立っている。小浜ルートを通じて、日本の自然観と発展の在り方を再考するときが来ているのではないだろうか。 

 

 最後にひと言。小浜ルートを推進しているのは保守政党の関係者だ。そもそも保守主義とは何だろうか。いうまでもなく、過去の価値観や制度を尊重し、それらを維持・継承しようとする立場である。現代の保守主義の代表的な理論家・マイケル・オークショットは、保守的であることについて次のように述べている。 

 

「見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むことである」 

 

この言葉を基に考えると、慣れ親しんだ東洋的価値観を捨てることが本当に保守的であるのだろうか。そもそも、彼らが保守しようとしているものは一体何なのだろうか? 

 

伊綾英生(ライター) 

 

 

 
 

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