( 254116 )  2025/01/23 17:32:58  
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Photo by Gettyimages 

 

筆者は日本製鉄のUSスチール買収について、それは「日米同盟の強度」を測る上で極めて象徴的な案件であり、ある意味「新冷戦相場」という側面を持つ昨年来の日本株の相場の先行きをも占うものだ、とこれを注視し、折々に記事として触れてきた。(2024年4月19日〈日本製鉄のUSスチール買収には大きな意味がある…「日米同盟」と「新冷戦相場」の強度を占う試金石〉、7月31日〈日本製鉄、中国宝山鋼鉄との合弁解消は単なる「脱中国」ではない…その先にある「新冷戦」のリアル〉) 

 

その案件について、年明け、1月3日にバイデン大統領がまさに国家安全保障上の理由で禁止命令を出したことは多くの読者が知るところだろう。 

 

それに対して日本製鉄は、あくまでUSスチール買収を諦めない姿勢を見せ、1月7日にはUSスチールと共同で<買収に対する不当介入の禁止及び是正>を求めた2件の訴訟を起こしている。対象はバイデン大統領とCFIUS(対米外国投資委員会)議長であるイエレン財務長官、ガーランド司法長官、もう1件がクリーブランド・クリフス社、同社のゴンカルベスCEO、そしてUSW会長のマッコール会長で、彼らの主張は、一度買収の競争に負けたクリフス社とUSW執行部が共謀し、選挙での支援を目的として彼らに与したバイデン大統領が、正当な理由なく買収禁止の大統領令を出した、というものだ。 

 

この提訴も効を奏したのか、大統領令で定められた30日の廃棄期限であった2月2日は、6月18日にまでCIFUISが延長を認め、最終的な判断のボールはトランプ政権に移ったというのが、現時点での本件の整理になる。 

 

さて、前置きが長くなったが、本稿で採り上げたいのは、日本製鉄の訴訟の対象となったクリフス社のゴンカルベスCEO(ゴンカルベス自身はブラジルから米国に来られた履歴になるが)の発言になる。既に様々な媒体に採り上げられているので、内容の詳細は省くが、1月13日の記者会見で彼は「中国は悪だが、日本はもっと邪悪だ、中国にダンピングや過剰生産の方法を教えたのは日本だ」「日本は1945年から何も学んでない。米国がいかに優れていて、寛大なのか、分かっていない」と企業経営者としては類をみない発言を(動画では明らかだが)高いテンション(途中、背後の星条旗を掴むなどアクション付き)で行ってみせていた。 

 

多くの日本人が、ぎょっとしたのは、1945年、という「記号」が、2025年の現在、米国の企業人の口から不意に現れた亡霊のように飛び出してきたことではないか、と思う。 

 

また、日本製鉄の訴訟、そしてそこで彼らが描いた大統領令の背後に、こうした発言を公的な場で行う経営者がいて(いや、まさに彼自身が訴訟対象で、彼の過激かつ感情的な発言も、金銭的な賠償を求められていることへの苛立ち、なのかもしれないが)、そうした言動や彼の語る「物語」に、実際に大統領が動かされている、という現実への戸惑いではないか、と思う。 

 

しかし、ボールが渡されたトランプ政権についても、そのトランプ自身が、選挙戦の最中から、日本製鉄のUSスチール買収に否定的であったのは誰もが知る話だし、これから関税によって(守られ)利益があがるUSスチールがなぜ他国への身売りを考えねばならないのか、と最近でもSNSで語っているのが、現実だ。 

 

 

図1 出所:日本製鉄2025年3月期2Q決算説明会資料より拡大画像表示 

 

筆者は、冒頭にも書いたように、このディールは「日米同盟の強度」を占う象徴的な案件なのだ、と2023年4月19日付の記事に記し、ゆえにこそ日本製鉄は中国との関係を疑われないように宝山鋼鉄の株を手放した、と2023年7月31日付の記事に記した。 

 

しかし、少なくとも現段階で炙り出されたのは、日米同盟のある意味での脆さになる。日本製鉄は国家安全保障にかかる米国サイドの懸念に対しては、その懸念を理解し、あらゆる点できめ細かな配慮を行い、約束を示していた。図1は、2024年11月7日に開催された2025年3月期2Q決算説明会資料の抜粋になるが、「ガバナンス」「米国内生産」「通商」の3つの視点で、例えば「取締役の過半数は米国籍」など、その懸念を払拭する打ち手を示している。 

 

冷静に考えれば、最短の時間軸で台頭する中国に対するには、同盟国である日本の日本製鉄の技術と資本を活かして、早急にUSスチールを再建することが、理に叶っていることは、米国の支配層においても自明のことだろう。 

 

しかし、米国の選択はそうした理性に基づいたものではなく、あくまでUSスチールは米国の手で管理し、再建できるのかどうかは分からないが、MAGA「偉大な米国の再興」(Make America Great Again)、の文脈でやっていく、というものだった。 

 

こうした帰結を考えるに、トランプが掲げるこのMAGAというスローガンについて、これはもう本当にそうなのだ、と考えた方が良さそうだ。2000年代初頭、読書界を騒がせた本に、ネグリ・ハートの<帝国>がある。<帝国>それは必ずしも肯定的に示されたものとは言えなかったが(<帝国>に抗するマルチチュードという概念が寧ろ肯定的に描かれていた)上部構造にあたる国家を超え先進各国の支配層が溶け込んで織り成す権力の在り方を呼びならわした言葉で、それは冷戦が終わり自由と民主主義が最後の政治的価値として浮かびあがった世界をも指し示すものだった。ある意味、グローバリズムの支配する世界、という解釈でも問題ない。 

 

しかし、現在、アメリカは<帝国>という幻想や理想から離脱し、単独で世界に冠たる国家として行くことを、まずは選んだと考えられる。それは、もちろん中国やロシアといった1930年代を再現するかのような権威主義国家が国家として台頭したことへの回答でもあるが、トランプが関税を、美しい言葉だ、と語るのは、そうした1930年代的な世界においても最強であり、シェールガスによってエネルギー的にも自立し全てを自国で完結もできるアメリカの自信をも表している。 

 

もちろん、関税は自由貿易やグローバリズムがもたらす「豊かさ」にはマイナスの作用をもたらす。それは経済学の教える通りだが、しかし、グローバリズムが(ネグリ・ハートが論じた<帝国>が)、その中枢にいた米国から製造業を奪い、製造業で潤っていた地域やそこに住み、別の新しい産業に移ることのできなかった人々を「新しい貧困」に追いやり、それが<帝国>の前の時代にあった「偉大な米国」の再興を希求する人々を生み出し、そうした人々に押し出されてトランプ政権が生まれたことを、我々はきちんと受け止める必要がある。彼らは製造業をもう一度荒れ果てた街に戻したい、そこで汗まみれになって働きたい、働いて誇りを持ちたいのだ。 

 

 

図2 出所:日本製鉄2025年3月期2Q決算説明会資料より拡大画像表示 

 

さて、USスチールのペンシルバニアもそうだが、かつて米国を支えた製造業の集積地となるラストベルトの1945年以後を知るには、うってつけの本がある。トランプが副大統領として指名したJ・D・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』がまさにそれだ。そこに描かれるのはヴァンスの祖父母からの一族の歴史であり、生い立ちであり、希望を喪失した故郷の描写と、海兵隊に入って生活を建て直し、エール大学のロースクールで学ぶ機会を得て社会的な階層移動を果たす彼自身の姿になる。 

 

筆者は年末年始、遅ればせながらこの本を読み、彼らの生活や文化を追体験しながら、例えば、そこに書かれた<オバマのエリート臭についていけない感覚>などを赤裸々に記した章などから、なぜ彼らラストベルトが(労働者の味方である筈の)民主党ではなく、トランプを選んだのか、そうした背景が理解できた気がした。 

 

また筆者が、この本を読んですぐに連想したのは、ブルース・スプリングスティーンの世界(ザ・リバーの旋律などが蘇る)だが、すでにセレブとなったスプリングスティーンが、変わらず民主党を支持している一方で、どこにも行けずラストベルトで、希望なく暮らす白人が、かつてのアメリカの再興、に賭けたいという気持ちはよく分かる気がした。 

 

ただ、そうした労働者に対しても日本製鉄は、図2のように現存する基本労働協約を越える約束を掲げている。 

 

十分な配慮であり約束であるように感じるが、しかしヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』の、1989年に川崎製鉄が経営の厳しくなったアームコ・スチールと合併してできたAKスチールについて、合併後もアームコと呼んでいた、というような記述を読めば、問題はそこではない、ということも分かる。それは、こんな記述だ。 

 

「ほとんどの人がAKをアームコと呼んでいた第二の理由は、カワサキが日本企業だったからだ。第二次世界大戦の兵役経験者とその家族であふれているこの町では、アームコとカワサキの合併は、まるで東條英機自身がオハイオ南西部に工場を開くことにしたかのように受けとめられたのだ」(光文社未来ライブラリー『ヒルビリー・エレジー』J・D・ヴァンス 関根光宏・山田文訳p101) 

 

この記述にも、我々からすれば亡霊のような東條英機という「記号」にぎょっとする。また、ここにゴンガルベスが1945年という「記号」を語る背景が、滲み出ているとも感じる。 

 

そして、こうした「記号」は例えばESG投資を語るニューヨークやボストンの機関投資家からは出てこないだろう。カルパース(カリフォルニア州退職職員年金基金)からも出てこないだろう。彼らはおそらくオバマを支持し、彼同様に肌の色はそれぞれでもエリート然と<ニュートラルでなまりのない美しい英語>を話すに違いない。しかし、こうした「記号」で語られているのは、実際には生々しくグローバリズムで衰退した地域の人々には根付いている「物語」なのだ、と理解すべきだ。 

 

 

さて、こうした現実を前にして、我々は何をすべきだろう。 

 

筆者は「自由や法の支配」などが本質的に重要だ、と考えていて、その意味で、それでも中国やロシアとではなく、米国が重要だと考えている。だから、幾つかの記事で中国との向き合い方について警鐘を鳴らしてきた。ただ、その米国が内向きになって、自らが嘗て主導したグローバリズムから背を向け始めている。 

 

とすれば、我々が本当に考えるべきなのは、いかに自立して在るのか、だろう。我々も一度グローバリズムの文脈を離れ、単独の国家としてどう身構えるのか、を考える必要がある。その上で、すべきことは、矛盾に聞こえるかも知れないが、米国が本当に内向きになることを、防ぐことだろう。岸田前首相が米国議会で語ったように、これからは自立した我々が隣りに立っています、だが、米国との向き合い方については、それが最善に思える。そしてそのためには、英国との関係を強化していくのが正しい気がする。 

 

また、理想論にはなるが、中国の中にも必ずいるそうした自由や法の支配を希求する人々をどうにかして支えることも大切だろう。その意味では、ゴンカルベスの批判のうち、「邪悪な中国を生み出したのは日本だ」という言葉については、その言葉を苦く噛みしめる必要がある。 

 

三ツ谷 誠(IR評論家) 

 

 

 
 

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