( 255156 ) 2025/01/25 16:57:21 0 00 23日、芸能界からの引退を表明した中居正広さん。民放各社は、中居さんの出演番組の公式サイトを削除していっています(編集部撮影)
タレントの中居正広さんが、芸能界引退を発表した。
昨年末から報じられていた女性トラブルは、いまや中居さん個人の疑惑ではなく、社員の関与が伝えられているフジテレビの企業コンプライアンス問題に発展している。
しかしながら、いま岐路に立たされているのは、フジだけではない。すでに業界全体の倫理観が問われつつあり、他の民放テレビ局も安穏としてはいられない状況だ。
その一端は、打ち切り番組をめぐる対応からも垣間見られる。なかには終了発表後、すぐさま公式サイトを削除する番組も。「公式サイトの即削除」を通して、民放局が立たされている岐路を考えたい。
■「37年間、ありがとうございました。さようなら…」
中居さんは2025年1月23日、ファンクラブ向けの会員ページで、同日をもって芸能活動を引退すると発表した。
その後、公式サイトでも、「これで、あらゆる責任を果たしたとは全く思っておりません。今後も、様々な問題、調査に対して真摯に向き合い、誠意をもって対応して参ります。全責任は私個人にあります」などと報告。関係者や相手への謝罪とともに、「37年間、ありがとうございました。さようなら…」と結んだ。
発表文によると、中居さんの所属事務所「のんびりなかい」も残務整理が終わり次第、廃業するという。すでに「のんびりなかい」名義での公式Xアカウントは、引退発表に前後して削除されている。
このタイミングで引退発表した理由として、中居さんはテレビ・ラジオ局との会談がすべて終わったことを挙げていた。
前日の1月22日には「だれかtoなかい」(フジテレビ)、「中居正広の土曜日な会」(テレビ朝日)の終了が発表されており、これで全レギュラー番組が終了・打ち切りもしくは降板となっていた。
■番組公式サイト、SNSの削除が相次ぐ
そんな中、一部で注目されているのが、終了番組の公式サイトやSNSだ。
1月20日に打ち切りが発表された「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBSテレビ)は、その日のうちに公式サイトが消滅。
「土曜日な会」のページも姿を消し、いずれもかつて存在したURLを開こうとすると、局のトップページに飛ばされてしまう。
■「即削除」の対応は適切なのか?
こうした対応について、SNS上では違和感の声が出ている。「残しておくと都合が悪いのか」「初めから存在しなかったことにしたいのか」といった勘ぐる投稿も見られ、その対応を疑問視する人は少なくない。
かくいう筆者も、「即削除」の対応は適切だと思えない。ネットメディア編集者としての、これまで10年以上の経験からすると、ネット空間では「削除は悪手」が定説だからだ。SNS投稿も「消せば増える」と言われており、情報をコントロールしようとすればするほど、より拡散されてしまう傾向にある。
なぜ削除が好まれないのかというと、ひとえに説明責任から逃げている印象を与えるからだ。
番組公式サイトは、視聴者もしくは、そうなり得る人々に、補足情報を共有する場だ。「宣伝になる時だけ使って、矢面に立ちそうになると捨てる」と判断されれば、あまりに都合がよすぎるのではと感じさせてしまう。
なにもサイトを「そのまま残せ」と言っているのではない。中居さんが一般人となった以上、写真を使い続けることは難しいだろう。であれば写真のない、番組ロゴのみで対応すればいい。過去回のアーカイブページも必須ではない。
残すのはトップページのみでいいから、番組公式サイトは一定期間残し、打ち切りの経緯を伝える場所として活用すべきではないか。
突然打ち切られた番組は、電波を使って「最後のあいさつ」をすることができない。長年の視聴者に対する誠意として、それくらいしても罰は当たらないだろう。
■「だれかtoなかい」は公式サイトで「最後のあいさつ」
ちなみに皮肉にも、渦中にあるフジテレビの「だれかtoなかい」公式サイトは1月24日午前現在、ロゴマークとともに「1月12日の放送から休止としておりました当番組は、総合的に判断し、放送を終了することにいたしました」と添えられており、これらの要件を満たしている(公式Xアカウントは削除された)。
「即削除」により、ないがしろにされているのは、視聴者だけではない。あらゆる番組は司会者ひとりでは成り立たない。終了した各番組も、中居さん以外の出演者や、番組スタッフが存在していたからこそ、ここまで続けてこられたのだ。
彼ら彼女らのほとんどは、報道が出るまで、疑惑の存在すらも知らなかっただろう。
しかしながら、急転直下で打ち切りが決まり、ぼうぜんとしている人も多いはずだ。そこへ来てのサイト削除は、関係者の功績どころか、「番組があった事実」すら抹消しているように感じさせる。
放送局の判断だとはいえ、この末路は、あまりにも誠実さに欠けているのではないか。疑惑への対応に気を奪われすぎたあまり、関係者への配慮も不足しているとなっては、「テレビ業界内のテレビ離れ」も加速していく可能性がある。
芸能事務所からしてみれば、大事なタレントが雑に扱われていると感じないだろうか。制作会社もスタッフの企画力を邪険にされていると思わないか。
もし多少なりとも違和感が残るのなら、今回の疑惑で問われている「仕事をもらっているから言えない状況」が再生産されてもおかしくない。考えすぎかもしれないが、そうした「ギョーカイ的な構造」を凝縮した結果が、サイト削除に現れている気がするのだ。
■放送局が持つ強い権限がチラつく
近年、芸能人の不祥事をめぐって、「作品に罪はない」という言葉が話題になりがちだ。映画やドラマで用いられることが多いが、バラエティー番組においても、その視点から評価する視聴者は増えつつある。
「番組に罪をなすりつけて、闇に葬ろうとしている」ように見える対応は得策ではない。
そして、その背後にチラつくのが、放送局が持つ強い権限だ。ネットメディアが隆盛になっても、いまなおテレビの持つ影響力は計り知れない。そして、テレビ局側もそれに気づいており、だからこそ強気かつ保身的な姿勢に出るのではないか。
公式サイトの削除も、その延長線にあると筆者は考えている。生殺与奪の権はテレビ局が握っており、多くの関係者は、その意向に従わなければならない。そこから透けて見えるのは、「テレビに出してやる」的な尊大さなのではないか。
芸能人や番組スタッフは、仕事をもらっている立場ゆえに、強く言えないかもしれないが、視聴者はそうではない。少しでも「上から目線」を感じさせれば、すぐ拒否反応を示す。
最近SNSユーザーが、マスメディアを「オールドメディア」と呼んで批判するのは、まさにその現れだ。今回の対応によっては、さらに視聴者のテレビ離れが進むだろう。すでに主導権は、放送局ではなく視聴者が握っている。
■評価軸は「顧客離れの防止」に変化している
主導権を持つのは、スポンサー企業も同様だ。もし少しでも「テレビは広告効果があるんだから、黙って広告出稿すればいい」といった雰囲気を感じさせてしまえば、このまま離れていってしまいかねない。
これはCM見合わせが相次ぐフジだけでなく、民放テレビ局全体に共通したリスクだ。すでに評価軸は「顧客認知の向上」よりも、「顧客離れの防止」に変化しつつある。加点ではなく失点で判断したとき、いくら広告効果が高くとも、購買層にウケる他媒体へと移行する可能性は少なくない。
つまり、すでにこれは中居さん個人でも、企業としてのフジテレビでもなく、日本のテレビビジネス全体が岐路に立たされているのだ。マスコミは「権力監視」を掲げているが、自身が持つ「強大な権力」については自己批評が足りていない。
もし権利を乱用していると感じさせれば、一気に状況が変化してもおかしくない。フジ・港浩一社長の「閉鎖的な会見」を境に、スポンサーが一気に出稿見合わせを決め、あっという間にACジャパンのCMだらけになった。
1月23日のフジ社員向けの説明会で、港社長は「(会見が)終わって失敗したと思いました」と語ったというが、時すでに遅しだ。テレビ各局はいま、一挙手一投足が注目されていて、そのどれが命取りになるかわからない。「サイトの即削除」もまた、その一端になり得るのだ。
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城戸 譲 :ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー
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