( 255190 ) 2025/01/25 17:34:18 1 00 (まとめ) この記事では、障害者に対する配慮や公共施設のバリアフリー化についての議論が展開されていました。 |
( 255192 ) 2025/01/25 17:34:18 0 00 =+=+=+=+=
ほとんどの人は障害者が我儘なのだとは思っていない。一部の常識や思いやりのない人の行いに辟易としているのだと思う。 確かに、公共の施設において、より多くの人が使いやすいように施設やサービスに合理的配慮が為されていくことは自然な流れである。しかしながら、現状、全ての施設がその条件を満たしているわけではない。それにも関わらずいきなりその場で相手に物理的に無理なことや、肉体的に過酷なことを当然の如く要求することは思いやりが無いように思う。また、もし、相手に無理な助力を頼み、障害者の方が怪我をしてしまったときにその責任が個人や組織に行くことだってある。だとしたら、その要求を断ることも出てくるかもしれない。 それを一方的に差別だと叫び批判するだけでは周囲の助力は得られないだろう。助力を求める側にも想像力を働かし、計画を立て行動する必要はあるだろう。思いやりとは双方が持つ必要がある様に思う。
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自分は常に杖必須の中途障害ですが、たまに公共機関やスーパー病院(一般的な生活機関)利用する共通の場所共有するときそんなに不自由してないと思うが…どうしても自分だと階段の手刷り必要で一段ずつ登り下りしてると勝手に避けてくれるし(基本EV使うが)。歩いても察して避けてくれるから軽く会釈返すし…軽い気遣いだと思う。ただ、歩きスマホみたいに下見ながら歩くのはお互いに危険だから気を付けないと危ない。勿論車椅子利用者も。歩きスマホしてる人避けて通る用にしてるけど、動きが不自然で遅いから中々避けられないのが現状だが。
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障害者です 実感としては出会う方皆さん親切です 100%です 気を遣って頂いてるのも実感します 私の場合左側の肢体不自由で左手と左足が思うように素早く動かせない症状なので歩行困難があり杖歩行か車椅子利用になります なので歩行速度が著しく遅いのですが、障害を持ってから5年間邪魔扱いされたことはありません 皆さん優しいです 障害を持って実感した本音です ただ、建物の造りに不自由を感じることは多いです 手摺の有無や設置位置、スロープの勾配や段差などでより動きが遅くなってしまうことがママあります これは設計されてる方が恐らく健常者の方で実感を伴わず設計されてるからだと思うのですが、仕方のないことなんだと思ってます 障害も四肢の身体のみならず視覚や聴覚・内蔵疾患など様々なのでその症状を持つ人間をすべて集めて造るなんて現実的ではないですから
ですが、はじめに述べたように人は皆さん親切です 実感です
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当然の権利なので交通機関を自由に利用できる当たり前な世の中になると良いと思います。しかし、ホームなどで困っている障がい者の方に声をかけて介助したことがある人はどの位いるのでしょうか。私は以前何度もありましたが最近は減っています。その理由は一部の障がい者の方の性格です。たまたま私が介助した方々の性格が悪かったのでしょうか。介助後に無視されたり、介助しようと声を掛けたら怒られたりと嫌な思いをしたことが多々ありました。もちろん、感謝されたいから介助する訳ではなく、困っていたり、危険を感じたから介助したわけです。一部の方と信じたいですが…
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20年ほど前に、混雑する主要駅のラッシュ時に、視覚障害の青年が地下鉄通勤するところに居合わせた。乗車するところに声掛けをして、無事に乗って貰ったが、日常は決して寛容では無いと思う。歩道上でも自転車や看板が溢れ、健常者でも危険がある。日常を整備する必要が有る。 一方で、名古屋城の復元に対して、バリアフリーを主張される団体が居る。 江戸時代の復元に対して、バリアフリーを主張するのは、行き過ぎているのでは、無いのか。 仮に、バリアフリーにしても、名古屋城までの経路は、バリアフリーなのか。 運動の旗印とするような行動は、間違いでは無いのか。 日常のバリアフリー化、乗車の際にも、誰かの手を借りる事が無いような整備を社会がする事を求められたら如何か。
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労働には、見合った報酬が必要です。
障がい者支援でも、子育て支援でも、平常より多くの労働を求めるのであれば、それに見合う報酬は必要なのは当然のことでしょう。
では、その報酬は、誰が労働者に支払っているのですか?
社会全体で支援するという考えなら、その分、税金に上乗せされてもいいと思いますし、一律、運賃などの料金に上乗せされてもいいと思います。それを受け入れられないなら、受益者が負担すべきでしょう。
援助だとか、支援だとか、そのようなことは、それを実施しても何ら問題ない、余裕を持っている人たちができることです。
障がい者でも、さまざま権利をもっています。
ただし、他者に対して、善意と呼ばれる無償の強制労働をさせる権利を有しているわけではありません。
無償の強制労働は、サービス残業と同様、労働の価値を低下させる賃上げの抵抗勢力です。
無償の強制労働を善意でごまかすな!
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健常者、障がい者を問わずワガママな人はいるでしょう。でも、どちらのグループにより多くいるか? その答えは言わずもがな..... 親が寛容過ぎると子どもはワガママに育つのと同じ構造だと思う。健常者であれ、障がい者であれ、一定の節度を保って相手と接することが大事なんじゃないかな。
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学校教育の在り方から考えないと難しい問題ですね。多数派の意見が常に通り、それを良しとするタイパ派と共に、少数派の意見を排除するという事が、学校行事の度に繰り返されている。教育の現場で身に付いているため、ネットの中でも同様の事しか発信しない。バリアフリーは少数派の意見という現状から改善されて欲しいですね。
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僕は地域の手話サークルに参加しています。 ろう者と聴者が一緒になってイベントや日帰り旅行など企画していますが、ろう者でも頼りになる人は頼りになりますし、聴者でもダメな人はダメです。手話で話していますと、ワガママな人は障害者や健常者に関係なくワガママな性格なのだと思います。 ろう者の中でも『障害者として当然の権利だ!』と言う人がいれば『それは求め過ぎだ!』と反対する人もいます。 なので、ろう者や聴者に関係なく自分勝手な人には内緒で、ろう者と聴者が一緒になって話を進めることも普通にあります。 また、ろう者が『差別だ!』と言うと、もう1人のろう者が『差別?違う!お前がワガママなんだよ!』と言い争いになって、他のろう者と聴者で仲裁することもありました。 障害者がワガママなのでは無く、その人がワガママなのです。そう思って接してもらえると嬉しいです。
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一つ一つ反論する事もできるけど、とりあえずどれも具体性に欠けるね。
一言で言うと、「全ての人について移動の自由は保障されているが、全ての移動について自由が保障されているわけではない」という事だと思う。
誰にでも「ここには移動できるけど、ここには移動できない」という範囲がある。
みんな「自分が移動できる範囲」の中で生活しているし、「できる範囲」で考えている。
どうしても必要なものが「できる範囲」の外にある場合は、いろいろ助けを借りて達成するという事もあるだろう。
そういう時はみんな助けてくれた人に感謝をすると思う。
ところが、障害者をめぐる言論の中には、これらの理屈が通じない人がいる。
そこまで必要とは言えない趣味レベルのものが「できる範囲」の外にある場合でも、強引に達成しようとしたり、助けられて当然で感謝もしないという人がいる。
それが「ワガママ」と言われてるんだと思う。
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世の中お互いさまなので、助けられることは手伝いたいと自然なこととして思います(私は多少不具合はあれど今のところいわゆる健常者です)。 ただ、以前、視覚障害者の方が「エスカレーターは健常者前提で上り優先に設置されている。我々は下りにこそ必要で、すべて下りにすべきであってそうなってない社会は間違っている!」と力強く主張されているのを見て、わがままではないですが被害者だという発想される方もいるんだなあ、これは私とは合わないな、と思ったことがあります。 こういう意見の方がすべてを代表しているとか、みんなこんな認識だと思っているわけではないのですが、時と場合、その個性によるもので、一様のものとして考えるのは難しいです。
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その通りです。 でもまだまだ足りません。 エレベーターは設置されても行きたい場所によってはかなり遠回りしなくてはなりませんし。 特に大都市圏に旧来からある地下鉄網は開設当時バリアフリーの概念が無かったので障害のある方は大変ご苦労されていると思います。
もう少し考えないと大規模災害があった際に大変なことになりますね。
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いつ自分も障害者になるかもしれません。病気であったり、事故であったり。 多分近しい時分に失明されたのでしょう、道路を歩いていて標識にぶつかっている方を見たことがあります。杖を持っていたので間違いないと思います。 早く障害を克服できるようになられればと思いました。
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全ての人が完全に平等に公共交通機関が利用できるようにするには今の社会にはリソースが足らなすぎる。
重度の障害を持つ人の中には生まれて一度も公共交通機関を利用した事がない方も大勢いる。 それは周囲の人だけでなく、その人自身にも負担が大きいからで、そういった人達が健常者と同じように交通機関を利用するのは現状では不可能。
筆者自身も「障害者」と一括りにしているが一部の障害者は排除して語っているのではないか?
理想も大事ではあるが不可能な事を当然のごとく語ってしまうと批判も大きいように思うし、それが障害者に対しての攻撃につながってしまっては本末転倒だと思う。
可能な範囲で少しずつ理想を実現出来る社会になればいいのではないかな。
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都市部の記事だよね。 地方に行くと公共交通機関に乗るのは、ほとんどが学生と高齢者か障害者、後は都市に通勤する人位です。 基本的に自家用車で移動をするから、家族以外との接触機会も少なく、必然的にトラブルが少ないです。 また、公共交通機関も都市部の満員と言える程の人が乗っていませんのでトラブルも少ないんでしょうね。
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この議論で感じるのは、どちらが正しいでは無く『おもいやり』が持てない方が増えた実感。
って言うのも障碍者にも健常者にも存在する自己主張が異様に強い方々がこの議論の元凶に思えるからです。
日ごろから『他人を押し退けてでも一歩でも自分が先に』って健常者が無理を通し難い障碍者を目障りに思うとか、障碍者の『助力を受けるのは当然』と考える一部の方々が傲慢な印象を与えるとかが議論を生む原因だと思える。
双方が適切な『おもいやり』と『感謝』を最優先に考えれば議論する必要も無い。
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記事の通りここ20年ほどの間に対応が進んだので、これ以降にできた新しい施設(地下鉄副都心線など)は良いのですが、古い所に無理やり後付けした時に動線が交錯するとか他の人が通行できないといった問題になっていると思います。一斉には無理でしょうが、再開発を進めてほしいです。開業約140年の駅を利用している感想です。
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一部の「思いやり」の足りなさが、多くの人をモヤモヤさせている事案ですね。 私の感覚が歪んでいる可能性も充分ありますが、この手の記事でよく持ち上がるのが「車椅子」の方とのトラブル。 他に目や耳、上半身、ケガなど外出先で苦労されてる方も数多くいらっしゃると思いますが、何故か車椅子の方とのトラブル(クレームに端を発する)が多い様に見受けられます。 以前は健常だったとか何らかの固有の理由があるのなら、心のケアの問題なのかも。
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障害者の法制については差別解消法に代表されるように欧米的な法制になっているので、権利かそうでないかという対立となり分かり易い構図で社会整備がなされていく。非常に欧米的だと思う。だからこのような記事も出てくる。日本的なのは障害者に役所で配った500円券を渡して色々な街の中での特別なサービスをするたびにチップのように500円券を渡すというような方法だと思う。とても日本的な発想で権利についての争いがなくなり欧米色を排除して独自色ある社会整備だと思う。まあ障害者くらいは差別や権利を全面に出して争うのも日本にとって良いとは思うけれど。
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健常者と同じことが可能になる社会こそが理想だと思うし、望むことは当然だと思います。 けれども、このことに限らず、様々な限界からあらゆることは理想的な状態とは言えません。そのことへの理解や忍耐が無いと「我が儘」だと感じられてしまうのではないでしょうか? 理想論を直ちに強要しようとしてうっとおしがられるのは、健常者でも同じことだと思います。
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ワガママなんて思った事は無いが、伊是名夏子さんとかの行為が印象を悪くしているのでは思う。 基本的に善意で対応したいと思っている人の方が多いのに、叩きに力入るような発信を見せられると、中にはそれへの反感が攻撃的になる人もいるのだろう。 結局、攻撃は反撃しか呼ばないものなので、ああいう人のせいで誤解が広まってしまう。 お互い譲り合ったり感謝したりしましょうよ。
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私は、先天的に左半身に障害があります。 杖をついて毎日仕事で電車を利用しています。 駅員さんや他の乗客の方に、要らぬ迷惑を掛けていると思っています。 普通の乗客には不要な配慮をする必要があるからです。 ですので、補助してもらった、譲ってもらった時などは必ず感謝の言葉を口にします。 ですが、私から見ても傍若無人な障害者が少なからずいるのも事実です。 先日乗降で車椅子補助をしている駅員さんに向かって 「グズ!とっととやれよ!テメーの仕事だろ!」 と大声を出している場面に出くわしました。 思わず「何を言っているの、謝りなさい」と言ってしまったら睨みつけ 「自分で動けるからって上から目線で偉そうに!」 と怒鳴られました。
小さくなる必要は無いと思いますが、障害があるからと周りに補助させて当然、という態度は改める必要があります。
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十数年ぶりで電車通勤になった。 そしたら以前は滅多に聞かなかった「◯番線お客様対応します」というアナウンスを、ほぼ毎日聞くようになった。
鉄道会社の方々の仕事は増えたのだろうけど、「良い世の中になった」と思って聞いていますよ。 一人で通学する車いすの高校生らしき乗客も見た事がある。鉄道会社の対応があるから、車いすの高校生は未来が開ける訳ですよね。 そんな訳で対応する人員などのためなら、私は値上げもOK。
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公共公共言うけど国も団体とかも公共交通にも店にも補助も協力もしてくれないよね 全部口だけやれ!と言って丸投げ 人的余裕があった頃ならまだしもどこも効率化と人を減らしまくってるのにね そんなに公共を押すなら公的機関で専属の人を用意してどこにでも派遣してくれ 人がいないとかで断るのは許されないし呼んだらすぐに駆けつけてくれよ
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>>自分の快適さを最優先する考え方が障がい者への批判を生むことがある
まさにこの1文が大きな要因でしょね。 車椅子マークの駐車場にどう見ても健常者が運転している車が駐車してるとか、駅のエレベーターに車いすの方が並んでるのに我先に乗り込み車椅子のスペースを無くしたり。
お互い助け合って生きていきましょう、困った時はお互い様という精神が薄れつつあり、自身を最優先にして後は他人の勝手と思う人が増えつつあります。
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障がいがある/無いを対立軸にし、他方を批判の対象としてしまうと、例え正しいことを主張していても反発を招いてしまいます。
実社会の人を死に追いやってしまうこともある「ネット言論」に対立軸で仕掛けていくことでは、理解など進まないのが現実だと思います。
ナッジ理論を活用した「気が付かないうちに協力している」ような状態を作り出さなければ、皆が望ましい行動を取る世の中にはならないと思います。
残念なことですが。
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結局のところ、どんな問題も一部のノイジーマイノリティの所為で大多数のサイレントマジョリティが被害を被るんだよ。
確かに自分達の状況を知って貰うためには、声を挙げて主張する必要はあるが、時と場所を弁える事も同時に必要だと思う。
何時でも何処でも権利ばかりを主張していれば反発を生むだけだ。
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わたくしは、健常者から震災で身体障害者二級になりました。障害者になって初めて気付いた、健常者と限定された障害者にしか対応出来て無い、公共の施設や交通機関に、正直戸惑い困惑しどうすれば?良いんだと途方に暮れましたね…
健常者から見た世界と、障害者から見た世界は全く違う世界だと気付かされました。 善意の他人からの介助無しには、利用出来無い物や行けない場所が多過ぎる印象です。
色々と意見はあるだろうとは思うけど、皆に等しく優しい社会になって欲しいと思う。
障害があっても、行きたい場所もあるし、したい事も健常者と同じだけあるんですよ。
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いろいろ書いてあるけれど、大事な要素が抜けてないか?毎日の酷い混雑です。 車イスにしてもベビーカーにしても、付き添いが必要な障害の方にしても、酷く混雑してる電車に乗ることになるから批判されるんじゃないのか?乗降の時間や乗車の空間を無理なく融通できる程度の混雑であれば、ワガママとか思い付く人も大幅に少ないんじゃないのかと。
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この記事は「障害者にわがままや自分勝手な人はいない。障害者はみんな善い人だ」と言う前提で書かれていますね。だから健常者がそう感じるのは偏見や無知無理解または障害者に対する優越意識によるものだと決めつける。
以前病院の待合室で受付の人と話していたら(もちろん世間話をしていたわけじゃないですよ?)太腿を杖で叩かれました。振り向くと車椅子の男性が私を睨みつけています。「どけ」って事なんでしょうが待合室は広いので通れる場所はそこだけではないですし車椅子が通れないほど混んでいたわけでもありません。
社会規範や常識は健常者も障害者も変わらない。健常者に配慮や理解を求めるなら一方で確実に存在する「身勝手で非常識な障害者」にも自制を促すのでなければフェアではないでしょう
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障害者も健常者も同じサービスが提供されるべきなのは事実だ。従ってどちらかに特別なサービスを提供する必要はない。
なので介助者が必要ではない場合の障害者割引も不要である。
なぜ交通事業者がその費用を半額におまけしなければならないのか(巡り巡って普通に運賃を負担している人が余計に負担しなければならないのか)、理由がない。
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>障がい者の移動権を保障することは、社会全体の成熟を示す行為であり、それによって得られる利益は障がい者に限らない。共存と共感を育む文化を築くことが、未来の公共交通が目指すべき姿だといえる。
理念には誰も反対してないと思う。 だけど、これを実現するためには、組織や個人に(金銭的、身体的、精神的)負担がかかることがある。 その負担を誰かに押し付けて、負担を負わない誰かが綺麗事を吐くのは成熟した社会とは言えない。 そういうモヤモヤが、障害者に対するマイナスイメージの一因になってる気がする。
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ある歴史学者が研究した結果を論文では発表しなかったけど、講演などで話したことがある。主研究の脇に出て来た結果だそうだ。 2つあった、その内の1つが、助けを必要とする特別な人達は、全世界の人口の0.2%を超えたことは無い、と言う事だった。摂理と思うと言ってた。 そして、その理由は、自由に活動できる人たちが、特別な人達の命に、どのように対応するか、と言う事であった。 その対応の仕方で、その国家の栄枯衰退、繁栄滅亡が決まる。直ぐでなくてもやがてその国家国民は、塗炭の苦しみの中を生きなければならない、事が歴史を研究した結果、分かったと言う。国名を挙げての話だったから、みんな固まってしまったよ。各々国家国民に与えられた試練ではないかと言った。 日本よ、日本人よ、大丈夫かい。 個人も例外じゃない。どっちを選ぶか貴方次第だ。
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権利はあるけど、優遇されるべきと勘違いする人も一定数いる。 まるで何かと戦っているような… 他者に思いやりを求める人ほど他者に対する思いやりが欠如しているケースがある。 この前も、電動車いすで店を移動していた人に、危ないのでもう少しゆっくり移動してもらえるようお願いしたら、すごく嫌そうな顔で舌打ちされたよ。 人が歩くより速いスピードの移動で看過できなかったからだが、そんなことも配慮できないのかと閉口したよ。 一部の人なんだけど、そんな人がトラブルを起こすからタチが悪い。
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>日本でも2000年以降に進んだ。バリアフリー新法の施行によって、駅にエレベーターが設置されたり、ノンステップバスが導入されたりした結果、障がい者だけでなく、高齢者や妊婦、小さな子どもを連れた親など、多くの人がその恩恵を受けるようになった。
こういったことは良いにしても、観光列車まで影響を受けたのは痛かったね。 1980〜90年代にかけて観光を目的として誕生した列車は眺望を良くするため2階席を設けたり(ダブルデッカー)床面の嵩上げ(ハイデッカー)などが行われたけど、バリアフリー新法導入後はこれらの設備が仇となって早めの引退を与儀なくされたんだよ。
▲24 ▼3
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エレベーターやエスカレーターの無い駅を何人ものヘルパーを同行させながら、わざわざ自分は車椅子に座ったまま駅員たちに介助させて階段を乗降した夏子さんや、映画館のスタッフに車椅子をかかえて移動介助をさせた涼子さんがブログに書かなかったら炎上しなかったのになあと思いましたが。 リアルだとみなさん、障害者には親切にされていますよ。近畿地方は!
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別に障がい者の移動権の否定もしていないし、駅員の介助も批難もしません。
以前、満員電車に車椅子の方が乗ろうとした時に、勿論、車椅子スペースにも人が立っていました。 駅員が、「そのスペースを空けて下さい。入口の人は車椅子が乗るので一度降りて下さい。」言ってきたので、私は降りて通路をあけました。 そして、再度乗ろうとした時には乗れるハズもなく、降りた人は、乗れませんでした。
私は次の予定があり、この行動のせいで不利益を被ることとなりました。
電車内の車椅子対応のフリースペースは、専用というわけではなく、健常者だろうが車椅子障がい者であろうが満員電車には乗れないのが道理だと思います。
そして、某車椅子の迷惑系YouTuberのせいで、著しく障がい者への偏見が強くなっています。
我々は、権利を主張しても、そこには平等であることを双方理解しておくことが大切だと思います。
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ライターが失笑するのは勝手だけど、 「公共交通の役割は、全ての人に平等に」 と、書いておきながら失笑?
それ『平等』と『公平』を間違っていないかな?
平等は「偏り・差別がなくそれぞれの特性や能力を全く考慮しないこと」、 公平は「特性や能力を考慮した上で同等に扱うこと」で、意味が異なります。
と、検索すれば出てくる。 また、検索すると理解を容易にする絵も見れる。
鉄道など、公共交通機関が行っているのは『公平』。 障害の有無による対応の違い(優遇を含む)をつけない事では無く、 様々な弱者への配慮、優遇による差を付け(下駄を履かせ)他の大勢と同じ様に利用できる事をしている。
平等(同じ扱い)ではなく、公平(同じになる様)に扱っているのでは?
その為、少数の健常者が「同じ扱いじゃないのは不公平だ」と叫んでいる。 また、弱者を騙り『公平』を悪用し優遇を受けようとする。
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障害者はワガママという呆れたネット理論!と決めつけている呆れた記事ですね。 一部の事をさも多数がそうしているかのような記事。 そういう人もいるし、そうでない人もいる。 みんなお互い様なのだから気遣い合って生きていきましょう。逸脱するような行動をする人は良くないですよね、で良いのではないでしょうか。 多くの人が集まればどうしても良い人も悪い人も同じ環境に置かれます。その人達が同じ生活圏で生きていく為の法であり、道徳なのではないでしょうか。 何ページも記事を書くなら、多角的な意見の記事を書けたと思います。
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全ての障害者がワガママだとは思いませんが、一部の方が時折バスや電車に乗る際に、係員を困らせているのを見聞きします。 お互いに当たり前だと思わず、助け合って暮らしていきたいですよね。
▲9 ▼0
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記事は思いっきり勘違いをしています。障がい者や高齢者、小さな子供に対する配慮なんで誰でも持っているんですよ。しかしね。いかなる理由が有っても何かを他人にやって貰う事が「当然」なんて事は絶対に無いんですよ。他人に何かをやって貰うには「依頼」と「感謝」が有って然るべき。一部の「障がい者様」「ご高齢者様」「お子様」「妊婦様」がそこの辺りを弁えず、他人に何かをして貰う事が「当然」と思っているからです。例えば事前に連絡もせずに車いすで航空機に乗ろうとして助けて貰えないとSNS上で逆ギレしたり何にもせずにエレベータ前に立ち止まり「誰も助けてくれない」とこれまた逆ギレするから叩かれるのです。
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わがままだなあって思うことは少ないけど、駅構内の点字ブロック設置者にはものをいいたい。 外の歩道と同じく、滑りにくい素材のものを設置しておくれ。雨の日は滑って危ないのよ!
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障がい者は理解できるよ障がい者はでも障害者は理解しかねる。あとは性別による扱いの差も理解しかねる。痴漢防止の為女性専用車両は作りますけど冤罪防止の為に男性専用車両は作りませんって本当に意味がわからない。
▲21 ▼32
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車椅子の人が電車に乗る時、1人の駅員が橋を渡して乗り降りするのを手伝ってくれるが、車椅子の人がお礼を言っている姿がただの一度も見たことがない。それを見るたびにいろいろ考える。
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そりゃいつまでも車椅子や点字では障がい者のためのインフラコストがいくらあっても足りやしない。
SFのサイボーグ化の方向で義肢を開発すればインフラコストは一気に下げられる。無論、義肢の本体コスト、メンテナンスコストは一気に跳ね上がるが。
▲1 ▼1
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健常者も障がい者も自己中心的な人はいるだけ。レアケースを全てが悪なような記事があるのが問題。三流ライターがアクセス稼ぎで書いているのだろうが、読み手としては個々のケースだということを念頭に。
▲28 ▼3
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障害者『にも』優しく、企業負担が少ないなら大賛成 しかし、障害者『だけ』に優しくて、スタッフの手間がかかることを国が企業に強制するなら、国が負担を背負うのが筋に思います。
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叩きやすいし言い返しにくい立場の人らをターゲットした娯楽目的のいじめ行為をしたいだけでしょ。 条約で定められた事がベースになっているので、異議がある場合は本来なら国連に抗議しないと筋違いなんですよ。いじめ嫌がらせじゃない!って信念があるならそこに文句言いなよ。
▲1 ▼12
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同じ人間なんだからワガママでいいし、ワガママだと「批判される権利」だって有しているはずだが、なぜか障がい者は清廉潔白を求められるし、エンジェル評価を受けがちで、あまりに辛い立場にあると感じる。 これが背景にあるから一部の人がワガママを言った時に「健常者の言いなりエンジェルバブちゃんであるべき障がい者がワガママを言うとはとんでもない!」みたいな事を言い出す人が出て来るんだよなぁ
▲3 ▼1
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もう少し掘り下げると 障害者だからわがまま、ではなく、元々自己愛性……などを多かれ少なかれ含有していた人間が事故、疾患にあったか等の本人は受け入れることができずに本人の精神病理がより表沙汰になった、ということ。 別に魔法の対応、対策などはない。 教科書通りに周囲は対応するだけ。
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最近のこと、風邪で声が出なくなり、市役所で筆談でお願いをしたところ舌打ち 違っているのと思い、手で違うとすると、分かってる!これからする!と怒り出したので、耳は聞こえてますよ、と書くと平謝り 人にはやさしくしようよ
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民主主義の明らかな弊害としてのマイノリティの不利益を補正するのだから、民主主義の存続のためにも必要なことだと思います。
▲1 ▼1
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この記者は、何故「現実」を見られないのだろう 的外れな外国の論調を載せても意味は無い
このような記事を配信している」株式会社メディア・ヴァーグ」という所も存在価値はないのでは?
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その通りなんだけど、「失笑を禁じ得ない」とかいう言い方って完全に人を煽ってるよね。 なんというか、人を見下して物言う姿勢は良くないと思いますよ。
▲28 ▼1
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欧米に比べて障害者の理解が低い日本ですし 将来を担う子供達に教えて行かなきゃ行けない サグラダファミリア・バチカンの入場禁止は 世界中探しても日本だけの恥ずべき歴史です。 此れを教訓にもう一度考えましょう。
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(私は今の所、第三者な/特に障害ないので)企業と利用者の双方の配慮でなり立つなら、それで構わない。 権利と振りかざしたり(事前連絡/問い合わせで調整する所を一方的に要求する?)しないならね。 権利としてあった方が望ましいが、一部?権利を振りかざす様な輩がいそうだからなぁ・・・
▲1 ▼1
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どっちかと言うと、そう思ってるのは職員の方じゃないの? 電車に乗るために車イスを持ち上げなきゃいけなかったとか 駅の設備に障害者向けの配慮が足りないとか クレームをつけられたりとか
▲11 ▼1
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自分が将来障害を持つかもしれない、身近な人が障害を持つかもしれないと言う想像力の欠如もある様に思う。 自分が障害を持ったらどんな人生を選択する?
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JR来宮駅での乗降トラブルを思い出した。 無人駅まで駅員応援よこせと要求した車椅子の人がいましたね。
▲24 ▼0
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わがままというか、何でこんなに偉そうなの?とは思うぞ。障害負ってるの俺のせいじゃないし。人の助けが必要なのは間違いないのだからもう少し謙虚になれよと。
▲51 ▼13
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公共交通における障がい者への配慮は障がい者以外にも恩恵があるからもっとやるべき 自分が悪いんだけど、元々体力ないのに、加齢であちこちにガタがきてるので…
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そもそも全国一律どこでも好きな所へ自由に行けるし住めるという考えが間違っていると思う
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子どもが生まれてお出かけするようになってバリアフリーを意識するようになりました。
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なんか既視感あると思ったけど、Merkmalってくるまのニュースとおんなじ運営元なのね。どうりで人を不快な気分にさせるやり口が似てるわけだわ
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降ろされんのは嫌だな、エレベーターや電車ならいいけど、バスで降ろされるのは
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もちろん健常者にもワガママな人はいる。 だけど、割合で考えると圧倒的に…、 なのでこの発言が多いんです。
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皆が自由になら不自由を強いたら駄目でしょ お互いに配慮はしないと
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悪意を持つのは、配慮は当たり前と考えてブチ切れてる対象者に対して。伊是名夏子とか。
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其れ言ってしまったら、 道をゆずらない方もいらっしゃいますよ、 小学生ですら「邪魔なんだけど」などと言う始末ですからね、
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経済合理性があるならあとは市場原理に任せようぜ
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一部のインフルエンサーの行動が反感を招いた結果では。
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自分を害するものはすべて邪魔
でもいつか自分に帰るからな。
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名古屋城のエレベーターの話も えげつなく叩いているようだが
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熱海だか来宮だかで揉めてた人の振る舞い…
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書いてる人は何を勘違いしてるんだろうね?
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記事の内容より写真のホームがどピンクで魂消た
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この記事こそまったく的外れ
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何となくですが、関東より関西の方が障碍者に思い遣りがあるように思う。
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健常者として生活してきた人が、病気や負傷が原因で障がい者になることがままあります。パラリンピックの選手にもそうした経歴の方が数多くいます。 そうした方々が異口同音に仰ることは、インフラや世の人々の認識といった物心両面において障がい者に寄り添っていないのが日本社会であり、それまでの自分がいかに無知で傲慢だったか思い知るということです。 特別なことをしなくても、街中で瞼を閉じて何秒間無事に歩けるか実験してみれば、視覚障がい者がいかに多くの困難や不安に打ち勝っているかがわかります。 こういったことを社会全体で子供のうちから啓発していくようにしないと、バリアフリー化に費やす資金に対してまで無駄遣いと吠えるような無知な大人が出現し続けることになります。
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公共交通機関等で行われているサービスをワガママと言っている議論なんて聞いたことがないよ 障害者がワガママと言われる原因は『自分は優先される存在であって健常者は障害者の為に権利や時間を自主的に譲って当然』と言わんばかりの立ち振舞が目立つからだよ これはネットで障害者優先を呼び掛けるやり方が悪い なぜか議論の出発点は『炎上』から入る SNSの投稿者が怒りを込めて健常者批判を行うからそういうのが気に入らない人達が反発して対立構造が生まれる 誰かが何かを譲る時には多少なりとも相手の権利を侵害していると言う考えがあれば問題提起の方法が炎上にはならないと思う
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「ワガママ」に関する具体例が無く抽象的な状態で話を展開しているが、ワガママな障がい者もいるよ。
健常者が優越感を感じている、との指摘があるが、一部の障がい者や子持ち様にも『自分達が優先されて当然』と言う奢りを感じる時がある。
健常者が公共交通機関を利用するときも周囲の人へ迷惑をかけない様に配慮しあって利用する。
ベビーカーや車椅子が場所を取るのは当然だし、仕方がない事だ。 その事自体を批判するのは間違いだ。 その意見には同意する。
だが『迷惑かけられて当然』と周囲が受け入れる事と、『迷惑かけて当然』と本人が思う事の間には天と地ほどの差がある。
後者の考えは傲慢で『ワガママ』だ。 健常者は偉くないが、障がい者も偉くない。
健常者同士が「周囲に迷惑かけない様に」と配慮し合うように、障がい者にも周囲への配慮が必要。 過剰な配慮は必要無い。 傲慢で無ければ良い。
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障害のある方に対し、配慮するのは 当然だと思います。 自分だって、ある日突然、障害をもつ可能性 もあるわけで。 ただ、一部の人に、優先されて当然だとか、 無理に融通を利かせろ的な、態度の人が いるのも事実だと思います。 それらの人が、我儘だといわれる 原因になっていると思います。
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鉄ちゃんと同じでしょ。 一部のせいで全員が同じ目で見られる。 近所にもワガママ障がい者がいたな。 盲目で白杖ついていたけど、電車に乗り折れそうになるといつも杖をドアに突っ込んでいた。 通勤時間で電車も満員なのに危なくて仕方がなかった。
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何度も引用するが、どなたかが「SNS界は阿ばつと暇人で成り立っている」と言ったと言うから、一般社会の知的レベルより低い。 「呆れたネット言論」の見出しはもっとも。 昨日、日本人の自己肯定感が低い理由を考察した記事を見た。 われわれは義務脳化されていると言う、本の広告記事だが、確かに権利を教えられていないのは事実。 有権者の権利など教わっていないから、前世紀の終わりくらいから、ストなど起こらない。 ガソリンが高かろうが、税金の仕組みがおかしかろうが、「投票すれば民主主義が守れる」と言われて、主義を守るのに懸命。 守るのは主義ではなかろうに。 で、誰もが普通に移動できるという権利を主張すると我儘と文句が出る。 別に過大な理不尽な要求ではない。 ベビーカーを押して移動する必要のある方も、我儘と非難される。 避難の先が間違ってる。 その程度の交通インフラしか整備できない行政が問題でしょ?
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中には「補助されて当然!だって私は障がい者なのだから!!」というような傲慢な人もいないとは限らない。けど、そんなのはほんの一部の性格がねじ曲がった輩だけ。
その手の身勝手な手合いは、障がいの有無に限らず一定数存在する例外みたいなもの。
私的には、むしろ駅なんかで我先にとエレベーターに乗って、車椅子の人が待たされているのを見るとモヤッとする。
そのエレベーターにはでかでかと車椅子のマークが書かれているのだから、乗るべき人が来たら譲るのが筋というものだろうに…
そんなに急いで上がりたいなら、己が脚で階段をかけ上がれば良い。
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だったら、筆者はライターなんてやってないでローカル駅で障害者の乗り降りを介助する仕事をすればいい。ライターと兼業でもいい。
健常者でもいろんな人がいるように、障害者も人間であり、善悪いろいろある。障害者は常に清く正しいなんてある訳ないし、それは差別の裏返しである。
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短絡的、本当にそうだと思います。 そもそもが、こうして人を、 属性だけで叩く人は、どこか短絡的でしょう。 障がいの有無だけではありません。 性別、外国人、子持ちと子なし、車と自転車…。
社会経済や人権、言論の自由、いろいろな意味で、 こうして他者を叩くことはマイナスになる、 それを理解しないのでしょう。 ネット上で異性を叩く人がいますが、 男女が分断された社会は果たして望ましいのか? そこ、考えていませんよね。
そして、権利を「ワガママ」と見る向き、 これはもう、嫉妬でしょうね。 他人に権利があると許せない、 子持ちの権利が拡充される事で 子持ち様論争が巻き起こったのもそう。 でも、たとえ子なしでも、昔は子どもだったはず。 貴方の老後を支えるのは、今の子ども世代のはず。 社会は助け合いなのに。
みんな助け合い、 それを壊す事は、自分含めたみんなに不利益、 そこに気づいてほしいな。
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障害者が我儘と非難される根本が違うんだよな… 大多数の障害者は感謝やしてもらっていると思っての言動ならので問題無いが車椅子インフルエンサーや社会党理事みたいに障害を盾に健常者の安全を無視して私の要求は絶対するべきと要求して、それが叶っているのにSNSで健常者が酷い事をしたとの発信するから我儘と言われるんだよ!! こんな事は健常者でも我儘やクレーマーと言われるんだよ!! 障害者だからではなく人して我儘だから非難されるんだよ。 そこを履き違えている。
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この方のように"障がい者"との表記をやたらと勧めるような人が、過剰に配慮を求めて反発されているというのが実態ではないでしょうか。 多くの人は、黙って配慮したり譲り合ったりしてます。中には不届き者もいますが、それは一部の"障がい者"やその取り巻きの方にもいるし、社会的弱者という既得権を傘に着るためタチが悪いです。 悪意も悪気もなく、常用語で使っていた"障害者"という言葉を、ある日突然差別的だとされて禁じられるのは、単なる言葉狩りで理不尽です。大して不利益にはならないし、既得権側がうるさくて面倒なので、多くの人は黙って従っているだけです。
近年ではそれに輪をかけて「こぼれ落ちた弱者」からの反発もあるのでしょう。傍目にもわかりやすく保護される"障がい者"に対して、困難を抱えていることを認知されず苦しむ健常者からの羨望と憎悪です。 全体的に、トランプ氏が白人労働者支持される構造と同じです。
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結局、障害者はでしゃばるな!なんですよ。俺の気に入らない事を言う障害者はネットリンチで叩きまくれ、なんですよ。税金も投入してあれこれしてやってるのに、これ以上何を要求するのだ、黙れ!そんな差別意識が抜けきらないうちは、今後もバッシングが続くでしょうね。障害者でなくてもこんな行動したら炎上しそうな事を、障害者がやればさらにヒートアップ。 そうやって誰かを差別して叩かないと幸せに過ごせない貧困な日本というのも根底にあるでしょう。
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