( 255597 ) 2025/01/26 16:20:45 0 00 =+=+=+=+=
あくまでも個人的意見ですが、国鉄がJRという民営会社となり独立採算を求められる中で駅構内の弁当や立ち食い蕎麦屋等も含め、外部の業者を締め出して直営もしくは関連会社による構内営業を力を入れた結果なのではないかと思います。
京都駅にも萩乃屋という老舗のお弁当屋さんがありましたが、いつの間にか無くなり、キオスクもセブンイレブンになり地域色はなくなってしまいました。
井筒屋の場合は米原駅における乗り換え客の減少の影響が大きいとは思いますので必ずしも上記理由とは言えないかもしれませんが、地域の特色ある駅弁がなくなるのは寂しいことです。
▲476 ▼42
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仰る通りであるが、もう一つ付け加えるなら鉄道の高速化も駅弁衰退の一因であると思う。その土地特有の食文化をゆっくり走る電車内で景色を楽しみながらいただく事が減ったと思う。あっと言う間に着くから、その土地で温かく美味しい食事が出来るので駅弁の需要が減るのは必然だと思う。
▲236 ▼16
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井筒屋さん、本当に美味しい駅弁を作ってくださっていたのに残念です。実家が近江八幡最寄りで、米原で新幹線に乗り換える時、いつも買っていました。湖国のお話!滋賀県ならではのおかずと、四季で変わる炊き込み御飯。父の介護に通い、疲れきった帰り道、座席に落ち着いて開くこのお弁当に何度励まされたことか…父が亡くなって暫し。もう一度父の顔を見たいと思う時、あの日々を支えてくれた駅弁を思い出しています。
▲162 ▼10
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世間での駅弁のイメージは、 「その駅のある地域の特産品を使った特別な弁当」だと思うけど、
一見地味に思える駅弁業者の幕の内弁当や海苔弁当も、実は普通の弁当よりもご飯やおかずが美味しいものも多く、そういう弁当も立派な駅弁だと思う。
駅弁大会で他の駅弁と競う影響なのか、駅弁は見た目が豪華だったり食欲をそそるようなものでないと売れないイメージが強くなってきて、 その結果として、駅弁業者が手間や人件費の掛かる弁当を開発し続けて、経営的に厳しくなった面もあるのかもしれない。
個人的には、郡山駅の福豆屋の海苔弁当(正式名称は「海苔のりべん」)のように、見た目は派手ではないけど、食べてみると(具体的に言葉で説明するのは難しいけど)美味しい駅弁が好きだ。
▲92 ▼12
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東京から福井に出張の際、井筒屋さんのお弁当にはお世話になりました。 最近は車内で弁当を食べること自体減りましたね。自席の周りで誰も食べずに寝ている人ばかりなので、恐縮しながら頂いた事もあります。 最近の駅弁は、近くのスーパーで時折行う駅弁フェアの時くらいしか買わなくなりました。 駅弁だけでなく、ホームの売店やキオスクも、立ち食い蕎麦屋も無くなったので、車中の食事よりも事前に食事をとって乗るか、下車まで我慢するかのどちらか。 また、割高感もあるのでなかなか手が出せなくなりましたね。
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昭和の時代は窓の開く列車も多かったので、駅のホームには弁当売りの人が居たのを思い出します。 よく通る声で「べんとー♩」と聞こえてくると、つい買いたくなってしまいます。 停車時間の間に窓を開けてお弁当とお茶を買ってもらった記憶があります。 今は駅の売店で購入することがほとんどですが、選ぶのは崎陽軒のシウマイ弁当一択ですね。あれは冷めていても本当に美味しい。
▲49 ▼17
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確かに電車に乗っての駅弁は、今日、駅のコンビニなどの台頭で減っている。 特に、新幹線普及で夜行電車も無くなり鉄道移動も、高速道路のバスにも取られ移動手段も多様化してしまった。
私も米原に良く行きました。 もう40年前ですが、駅前の平和堂も行きました。 東西連絡の幅が広く、こ線橋のすごさに圧倒しました。 また、えきそばも食べ関西と中京の違いも知りました。
おぎのや峠の釜めしの横川は今日終着駅になってしまい、佐久平や高速SAで売られています。 やはり時代に変化した売り方をしないと、人口減る高齢者が多く食も細くなるでは市場は衰退。 湘南型電車で車内から駅弁売りから弁当を買って、電車も動き出し上げ下げ窓の間からおつり50円ピシゃ!もいい思い出。 昭和旅の食文化です。
▲80 ▼20
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昔の駅弁屋さんってのはさ、急行とか特急通過待ちで停車時間が長かったり、客車寝台でも機関車の付け替えの長い停車時間で、列車を降りたり駅弁売りを呼んだりして、ゆったり時間を過ごす旅のための楽しみだったから、繁栄したんだと思う でも、横川の峠めし辺りを最後に、新幹線の駅などで買う駅弁も改札前に買えばいい、という時間に追われる旅になっちゃったら、需要は落ちるよな 食文化の娯楽、といっても、そもそも列車での時間の過ごし方が変わってしまったのだから、時代の流れでどうにもならない気がするなあ
▲155 ▼17
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〉すでに1991年の段階で、電子レンジで温められる400円台のコンビニ弁当が支持を集めていた一方で、700円を超える冷たい駅弁は、車内での食事として消費者に選ばれなくなっていた。
700円どころが、1000円を軽く超えるものが多いので、確かに内容を考えれば高い。しかし、今流行りの観光列車で提供される食事の価格が高いのと同じように、特別なものとして、受け止めるべきだろう。列車の中で食べる特別感や駅弁や弁当屋の歴史に思いを馳せて食べるのが付加価値なのだろう
あと、弁当に限らず、何でもかんでも温めたほうが美味しいという感覚は、いただけないですね
▲46 ▼4
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私はたまにしか鉄道で長距離移動しないのですが、たしかに駅弁は買わなくなりました。
当たり前ですが、おにぎりやサンドイッチと比べると高く感じてしまうのですが、だったらわざわざお弁当で食べなくても駅で済ませればいいかなと感じるようになっています。新幹線での移動がメインになり乗車時間が短くなっているため、車内で食事をとる必要性が低いこともあります。 最近は食べ物の匂いを気にする人も多いみたいてすし、車内で食べづらくなったのも、個人的には理由になりつつあります。
車内で弁当を食べる、旅情を感じられていいとは思うんですけどね。
▲36 ▼9
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列車の窓が開かなくなり、主要、分岐駅での停車時間が短くなり、、、かつては首から駅弁の入った木箱を下げた立ち売りがホームに何人もいた。客は窓を開けてのやり取り。分岐駅では接続待ちの長時間停車があった。時代的に自分は未見だが、蒸気機関車の時代には峠越えのため機関車を追加、水と石炭の補給もあってさらに長時間の停車があったとのこと。峠の上り口「横川駅」などはこれに当たるだろう。同駅が信越本線高崎側の終点に変わった(鉄道史上は「戻った」)こともあり、駅弁だった「峠の釜めし」は全国イベントへの出店に軸足を移す。そのシンボルだった益子焼の容器も、新たにサトウキビ繊維由来の紙容器を開発し従来品との2本柱に。こうして生存を続ける店もある。
記事の駅弁と同様に、キオスクで売っていたお茶や冷凍ミカンも懐かしいです。
▲1 ▼1
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昔はその土地でしか味わえない駅弁を求めて列車に乗る、というのも旅の大きな魅力の一つだった。紹介されている森駅の「いかめし」や横川の「峠の釜めし」とか、比較的早くから駅以外でも手に入るようにはなっていたように思うが、それでも今に比べれば手に入れるハードルは高くて特別感が漂っていた。 列車の窓が開けづらい形に変わったり、停車時間が短くなったり(あるいはダイヤ改正で停車が通過になったり)とかでホームの立ち売りが消え、近郊型の通勤電車のような座席になって車内で駅弁が広げづらくなり…と、確かに駅弁にとっては逆風の方が目立つが、出かけた先でうまい駅弁に出会えたときのうれしさというのもまた格別なので、先細りとはいえ、駅弁文化はぜひ残してほしいものだ。 ついでに言うと、冷めたままでも十分おいしい駅弁もいろいろあるよ。大館駅の「鶏めし」とか、それこそ東筑軒の「かしわめし」とか。
▲0 ▼0
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2004年にJR西日本が実施したキャンペーン「駅弁の達人」キャンペーン。 10か月で91種類の駅弁を食べるという割と過酷なイベントでしたが、ここに参加した駅弁業者はJR系を除くと33業者。20年後の現在生き残っている業者は井筒屋含めてわずか16業者と半分以下です。
特に近畿、山陽の撤退が激しく、大阪の水了軒、下関の下関駅弁当など、有名どころが次々と撤退していきました。 逆に駅弁大会でもみかけない津和野のくぼたが残っているのが奇跡です。
▲23 ▼2
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明治10年代に始まった当初の駅弁は、にぎり飯2個に漬物というシンプルな組み合わせで、鉄道以前に旅の弁当といえばこれが一般的だった。となれば、最初期の駅弁とは、空腹を収めることだけを期待された単純なものだった。 しかし戦前、鉄道に乗って旅をするとは贅沢なことであり、所用あってやむを得ず鉄道で長距離長時間かけて出かける一般人は家庭から弁当持参で乗車した。 切符代とは別にお金を出して、駅弁を買うのは基本的に経済的余裕がある層だった。だからそのような層が買うような中身として幕の内弁当が登場し、やがて各地の名物を食材とした、御当地物の弁当が登場した。それは(他国には見られない)我国独自の駅弁文化の完成成熟、と言っていいかもしれない。 逆に、1990年代以降、コンビニの弁当やサンドウィッチ等が幅を利かすようになっていったのは、駅弁出現期への先祖帰りといえるかもしれない。
▲3 ▼1
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駅弁ってある意味、昔に思いをはせながらノスタルジーに浸るようなものだと思う。都会の駅前のデパ地下や駅ナカには、創意工夫を凝らした色とりどりのお惣菜やお弁当やデザートショップが立ち並んでいて、駅弁はかすんで見える。
というのはおいといて、前から思ってるんだけど、車内販売でモバイルオーダーからの途中駅積み込みのできたてお弁当、もしくは車販準備室に電子レンジを装備して、いくらか手数料上乗せしてもいいから温かいお弁当を席まで持ってきてくれるサービスがあったらいいなと。駅弁だかららって冷たいままより、少し温めてくれた方がいいと思うんだ。生ものは除いて。
▲0 ▼2
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国鉄が増収策として長距離急行を特急に格上げして、窓が開かない車両になり途中駅での停車中に窓越しに駅弁が買えなくなった。沿線の駅弁を始発時に積み込んで車内販売していたが、「その駅の駅弁」ではなく「車内販売の駅弁」でしかなかったように思う。 その時点で駅弁は「乗車前に買っておくもの」になってしまい、途中駅で「その駅ならではの駅弁」を味わうというということが無くなってしまったように思う。 かっての時刻表には駅弁販売駅に記号がついていたと記憶しているが、それも無くなって久しい。
▲56 ▼17
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全国うまいもの展
かつて百貨店でこの種のイベントで大人気のお弁当、いくつもあったと思います。でも、昨今、ネット通販でも気軽に買えるようになり、そういった特別感は薄れてきている気がします。
駅弁も然り。どうしてもここでなくては、という名物も減ってきているところもありますよね。碓氷峠で、峠の釜めしを、と買って、釜を持ち帰り、家に複数残っているというのも最近あまり見なくなってきている気がします。
井筒屋さんの決断、重いですね。
▲22 ▼8
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1987年に発売になった新幹線グルメ(東海道新幹線の駅弁販売店独自でそれぞれに地域性豊かな駅弁を900円の統一価格で販売する新幹線活性化策)で、米原駅に登場した「湖北のおはなし」は、数ある新幹線グルメの中でも出色の出来で、今も販売が続けられている元新幹線グルメ。 地域性溢れる幕の内駅弁、というのはそれまであまりなかったので、私にとっては衝撃でした。 (それまでは焼魚、玉子焼、かまぼこといった定番の幕の内が主、あとは特殊駅弁=かしわめし、牛めし等) 今も米原駅を通りがかると湖北のおはなしを探し求め味わいますが、無くなるのは残念すぎます。 季節ごとにご飯(おこわ)が異なる、という、試みも「湖北のおはなし」が初めてじゃないでしょうか。
▲0 ▼0
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昔、出張族だった頃に米原駅の駅弁といえば井筒屋の「湖北のお話し」一択でした。地元の食材はもちろん、サイコロの中に口直しの飴ちゃん。唐草模様の包み紙を開けたら印刷された1000円の領収書。東海道新幹線と在来線の乗り換え駅で、お世辞にも乗り換え導線が良いとは言えない駅の駅弁として、素早い販売ができるお釣りなしの1000円という当時の値付けにも感心したものです。個人的には米原駅行く「湖北のお話し」、東京駅の「21世紀出陣弁当」、盛岡駅の「海女弁当」が順不同のベスト3でした。
▲12 ▼4
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東京駅の「祭」は全国津々浦々の駅弁が並んでいて壮観なのだが、気がつくと「深川めし(ごりの佃煮が消えたのは残念)」や「チキン弁当」、たまに崎陽軒の売店で「シウマイ弁当」と、関東のものばかり買っている。 鳥取の「元祖かに寿し」や神戸の「ひっぱりだこ飯」なども大好きなのだが、東京から出る列車でそれらを食べるのには抵抗がある。なんだか「正しくない」気がして楽しめないというか。出張に同行する若い後輩などはまったく無頓着に仙台の「牛たん弁当」などを選んでいたりするから、駅弁が「その土地だけでしか食べられなかった」時代を知る世代特有の感覚なのかもしれない。 ただ、上記の関東の駅弁もじわじわと「工業製品化」してきている感は否めない。物価高騰でシビアなコストダウンが必要なのだろうけど、中にはコンビニ弁当みたいな味気ない佇まいのものもある。特に透明なプラスチックのフタで中身が丸見えのやつは勘弁して欲しいな。
▲9 ▼0
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駅弁好きです 少し高いけど年に数回スーパーで駅弁フェアやる時は、朝一でお目当ての物を買います 江ノ電弁当など陶器も可愛いですよね 極々たまに東京駅に行った時は、祭りで買って夕飯にします 今は紐を引っ張ると温かくなるのもありますが、冷めても美味しいのもあります
▲3 ▼0
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駅弁は好きだけど、本当に新幹線等で出掛ける時に買えないのがネックです。私が利用する新幹線停車駅では営業時間が9~19時。始発新幹線だと開店前、最終新幹線だと営業終了後。なので、新幹線利用時ではなく、在来線を利用時に空いていたらついでに買って帰るしか出来ません。(地元は車社会なので、在来線も年に数回しか利用しません)
(本来は子供向けなのでしょうが)新幹線のプラスチックケースに入った駅弁やノベルティ付駅弁は割高でもノベルティやケースが魅力的なので、機会があれば購入しています。
▲66 ▼13
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私も月1で遠出して往路だけですが駅弁買って特急列車で頂いてます。 関西在住ながら井筒屋さんのことは知りませんでしたが事業撤退のご意思は尊重されるべきでしょう。 しかし食とは本来は栄養補給をする行為ではありますが、人間ですのでそこには娯楽の要素はついて回ると思います。 なのでやや井筒屋さんの拘りは共感しにくいところはありますね。 あと駅弁はコンビニ弁当の倍はするちょっと特別なものです。 仕事でないならそんなひとときをコンビニ弁当で済ませるというのもなんとも味気無いかなぁとは思います。 駅弁が1990年代に衰退が顕著になったと記事で述べられてますが、ちょうどバブル崩壊と重なりますし、それだけ日本人の懐具合が寒くなって以降所得が上がらなくなって久しいですしねぇ、少しでも盛り上がってくれたらうれしいです。 ちなみに私の一番印象に残った駅弁は高知駅のカツオたたき弁当です。
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ひと昔前は駅弁も平均価格が1000円程度だったのと、あと基本的に現地駅まで行かないと買えなかったのもあって、新宿の京王百貨店の駅弁大会には毎年行ってたけど、今は普通に1500円はするし、あと都内のスーパーでも時々売ってて買えるものばかりになったり、ラインナップが毎年ほぼ同じでマンネリ化したのもあって行かなくなった。
それに本来の駅弁は電車旅のお供みたいな存在だったのが、たしか駅弁が廃れてた頃に旅行中の非日常を演出するためという旅行業界の戦略からか、今や高級路線になったのもあって贅沢品になってしまい、特急や新幹線での食事目的なら駅コンビニのリーズナブルな弁当を買う人が増えてしまったと思う。
ちなみに以前、兵庫県の豊岡駅で13000円もする「柳ごうり弁当」が販売されてたけど、同じく弁当屋が撤退してしまって、一度買ってみよう思ってたのに、もう二度と買えなくなったのが残念。
▲39 ▼14
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駅そばの撤退は元の経営者の高齢化による撤退もあったり資本的に買収した結果だと思うブランドが残っていてもだし車内販売の縮小も東京駅をはじめとした各ターミナル駅でも売られるようになった。便利にはなった一方で昔ながらのものが淘汰されるといった流れでしょうと思う。
▲11 ▼2
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井筒屋さんのご決断は地元民でも驚きましたが、ここしばらく中途半端なイートイン設置など少し迷走されていたようにも思います。 あの声明文には少し違和感を感じましたが、「湖北のおはなし」の拘りは全国にも通用する質の高いお弁当だと思いますし、その拘りを貫いて頂きたかったです。 販路開拓できる余地は凄くあると思うのだけど。。 とても美味しいし、コンビニ弁当のように食べたら眠たくなったりすることもなく。 あと数ヶ月、なるべく買うようにしますが本当に残念です。
▲23 ▼3
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井筒屋さんの提言と撤退は勇気ある立派な行動だと思います。でもビジネスは不易流行で時流に乗らねば続かない。人口減、鉄道ダイヤ変更、駅構内利用客の時間短縮と減少、それなのに鉄道構内での弁当他飲食物の競合増加、駅近くでのコンビニやファーストフード店増加。 駅弁が売れなくなるのは当たり前だ。井筒屋さんの伝統的な文化を継承するならば極端な高級化路線、受注生産しかないでしょう。
▲23 ▼3
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初めて知りました。青春18と井筒屋の近江牛大入飯は西日本から戻るときの定番で、昨春も芸備線乗りに行った帰りに予約して購入しました。あべ鳥取堂のかに飯、花善の鶏めし、そしてここ。自分の三大駅弁でしたし、立ち食いそばも好きでした。お店の考え方、賛同します。私は今年の京王に花善きましたが、あえて翌週秋田へ行きました。家での駅弁は私個人はなし。乗り鉄ですから、ローカル線と日本酒ですね。でも人それぞれ。旅行前に駅弁買って行くってねえ?最近は駅弁に文句もつけられるので、ますます地方のまじめな業者は大変ですね。井筒屋さん、長い間旅を豊かにしてくださり、ありがとうございました。駅そば食べて、木曽川見ながら駅弁と日本酒が最高でした。思い出は美しいままがいい。
▲41 ▼9
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仕事柄年に100回は新幹線に乗るけど、駅弁って食べなくなった。飽きるし何より高い。東京駅だとNewDaysに行けば半額ぐらいで色んなお弁当やサンドイッチが選べるからね。ただ、JR東の新幹線車内誌「トランヴェール」の巻頭を飾る駅弁紹介はつい見ちゃう。東京駅では売られてない東北地方の駅弁も紹介されていて、旨そうだなぁなんて思う。自分の場合長距離移動が日常だから割高な駅弁は敬遠するだけで、ゆったり私的な旅行であれば駅弁も良いと思う。
▲17 ▼3
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駅弁もそうですが、東京に行けば何でもあるということが地方の人間にとってはつまらないし腹立たしく思います。 東京から来た人に「美味しいご飯屋さん教えて」と言われた時に自信を持って紹介した店が後で調べたら普通に東京都内にあって、とても恥ずかしい思いをしました。 相手の方は東京で食べるより断然美味しいと言ってくれてましたがとても気を遣ってくれてるんだなと思いましたし、東京の人には迂闊に店を紹介出来ないなと痛感しました。 駅弁なんて、その地方に行って食べるのが醍醐味なのに、なぜ東京に全て集めてしまうのか理解できません。 買う人も買う人。 そんなところで買って嬉しいか?と思う次第です。
▲107 ▼48
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正解のない問題ですね。 東京駅などに行けば,全国の有名処の駅弁は大概買える。地方の老舗なんかは,企業として生き残る為に現在の流れに乗るしかなかったか。 井筒屋さんの言っている事も充分理解できますが。 一つの文化として,残ってほしい。
▲56 ▼13
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駅弁販売駅としては隣となる草津駅。 この駅にも駅弁業社はあるものの、草津駅に停車する特急は「ひだ」などわずかな本数。 なので、井筒屋とは逆に新大阪や京都での販売に早くから積極的に取り組んでいました。これはこれで販路を確保して生き残るための戦略としては責められません。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
井筒屋さんは無念でしょうね。 嗜好の変化と言えばそれまでですが、 駅弁は冷めても美味しく、車内に匂いもそれほど漂わず、また土地の名産をみんなに知ってもらいたいを考えて作っていると聞いた事が有ります。大量生産では無く人手がかかっているので値段が幾分高いのは当たり前、コンビニ弁当と同じ感覚では可哀想です。 最近は事前予約で取り置きしてもらえるお店もあるようです。その土地に根付いた駅弁、お店を 応援したいです。
▲27 ▼14
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全国色々な物を近場で手軽に食べられる様になって嬉しい。 土地それぞれに訪れて、駅で偶々売っていた地元の駅弁とポットのお茶で風情を感じて楽しい。 色々な考えのお店と楽しみ方があり、選択肢が増えすぎてしまった感もあり。 自分の価値観で楽しむ事にします。
▲10 ▼8
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駅弁のみならず、最近はその地方でないと食べれない…という食べ物も東京に出店したり、フランチャイズになったりとスゴク減ってるのが旅行してて悲しい。 でも御当地の味は、道の駅や御当地スーパーが流行ってたり、根強い人気がある。井筒屋さんも、何らかの形で、滋賀の味を伝承して行って欲しいものです
▲64 ▼8
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最近はスーパーやデパートの催し物でしか食べてないなぁ。 電車内でのんびり風景を見ながら食べるのが王道だとは思うけれど、都市部ではありえないし、ローカル線の特急くらいしか食べることが許されないんじゃないか? 駅で食べるなら、蕎麦屋かうどん屋が大抵あるし、割高な駅弁は選択肢に入らない。 便利になった反面、不便であるがゆえに発展した娯楽はどんどん廃れてしまった感がありますね。 電車自体が移動を楽しむものではなくなり、ピクニック感が薄れてしまったためのが原因でしょうか。 移動時間が短く車窓が変わり映えしなくなれば、暇つぶしはスマホで事足りますしね。
▲2 ▼0
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駅弁のみならず、最近はその地方でないと食べれない…という食べ物も東京に出店したり、フランチャイズになったりとスゴク減ってるのが旅行してて悲しい。 でも御当地の味は、道の駅や御当地スーパーが流行ってたり、根強い人気がある。 井筒屋さんも、何らかの形で、滋賀の味を伝承して行って欲しいものです。
▲6 ▼5
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駅弁そのものが時代に押され、縮小傾向が続いているのは言うまでもない。コンビニが台頭し、列車内で食べるお弁当は改札に入るまでに入手をして、チンして温かく手軽に安く食べたい利用者にとって、値段でも圧倒的優位な存在になった。 鉄道会社においても本来の運収に頼らずに、駅自体への集客を開拓するべく駅ナカ事業を手厚くして店舗を集約し、改札内で営業していた駅弁屋やうどんそば店は、改札外に場所を移したり廃業する道を辿った。
米原駅の井筒屋さんは、北陸への特急しらさぎ号が発車する5番線ホームの、階段エスカレーターを上がった所に駅弁販売スペースを構えておられます。冷めていても美味しく、御当地食材を用いて旅情を掻き立ててくれます。コンビニ弁当や駅ナカ弁当との決定的な違いですが、近年の乗客が振り向いてくれない部分でもあるのかな、と思います。北陸新幹線敦賀開業が追い打ちをかけたのかな、とも考えます。
▲8 ▼3
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列車で長時間過ごすには駅弁が必需品だった。 昔は5時間以上の乗車時間が当たり前で、食堂車が連結されている列車は一握りで限られている。 だから駅弁を売る仕出し業者が競って売っていた。 しかし今では乗車時間が短いうえにターミナル駅では構内に飲食店が多数あるので、駅弁需要は減った。 コンビニで買う人も多いので、余計に駅弁を買う人は少なくなる。 必需品としての駅弁の時代は終わったと感じる。
▲8 ▼8
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若い頃の旅行中、米原で電車の乗り換えの待ち時間、貧乏学生だったが奮発して近江牛の弁当を食べました。 その時の牛肉の味が美味しかったので、他の土地でも〇〇牛弁当を買ってみる事があるけれど、あの時の井筒屋さんの弁当が一番美味しかったと思う。 残念ですね。 最近は新幹線や特急の車内販売が来ても食事が売っていない事が多いし、各駅停車も乗り換え時間が10分もない事が多いです。 スマホでも弄ってあらかじめ作戦を練って置かないと食いっぱぐれます。 実際去年、ひたち号の車内でおつまみ向けのちくわを買い、空腹を満たしたことがありました。
▲0 ▼0
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列車の速達化により、昼食時に車内で食べるタイミングも少なくなり乗車前や下車後に外食出来てしまっている。確かに東京駅で地方の駅弁が買えて良いがやはり現地の列車内や駅の待合室で食べたほうが美味しく感じます。駅弁屋は無くなってほしくないから地方に行った際はだいたい買ってます。
▲0 ▼0
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東京駅など行けば駅弁に頼らずとも各種弁当が目移りして決められないほどの種類が地下の各店舗で販売している
先日も「祭」に乗り換えのついでに入ってみたらここでも値上げの嵐が押し寄せて各弁当がビックリするくらいの値段になって驚いて購入をやめてしまった
やはり金額なども考えるとコンビニや町の弁当専門店の方がコスパも良いし量も多くそちらに行ってしまう事の方が多い
今ではその地域でしか食べられない食材などもほとんどなく一般で手に入るものも多く駅弁のメリットが昔ほど感じなくなっている 確かに美味しいし各店の特徴も感じるがどうしても食べたいという気にはならなくなってきている。
▲2 ▼8
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昔、京王百貨店さんからの依頼があり、復刻版の戦前のお弁当ということで祖父の作っていた駅弁を監修しました。ところが、原価ありきでサトイモはじゃがいに変更され、かまぼこはペラッペラの薄切り、卵焼きは市販品の品物、鮭のつけ焼きはマスに変更され、とんでもない弁当に仕上がりました。作った商店は何の関係もない深川どんぶりのお店でした。当時何度も試作品を作りましたが、あまりにも「嘘ばっかり」で、それ以来、駅弁は買いたいと思いませんし、信用していません。また詐欺をしているな…と。
▲31 ▼8
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旅好きの私は催事出品のないいわゆる「ご当地」駅弁を事前に精査して買うようにしている。富士駅身延線ホームで予約購入した富陽軒の「巻狩弁当」を車外に流れる富士川を見ながら食した時間は至福なものであった。津和野駅くぼたの「かしわめし弁当」を雪降る山口線の1両ディーゼルに揺られながら食したのも素敵な想い出。 糸崎駅浜吉の「特製幕の内」も上品な味わい。 井筒屋の「湖北のおはなし」また「おかかごはん」を機会なく食せなかったのは残念である。
▲6 ▼5
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まあ地方の土産とか駅弁が日常的に東京や大阪で買えたら萎えるよなあ。駅弁ではないけど、たまにプロモーションで全国各地の百貨店にお邪魔する551蓬莱くらいがちょうどいいと考える。
ただ、どこどこ名産とやる以上、その地方できちんと売れないといけないわけで、新幹線の中でさえ匂いの問題であれこれ文句言われる時代だし、駅弁には厳しい時代になった
▲0 ▼0
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駅弁が主流だった頃と比べて比較にならないほど選択肢が増えた影響もあると思います。ある意味世の中が豊かになったとも言えるのでは。 また鉄道会社さんはコロナ禍での減収を受けて「非鉄事業(鉄道外事業)」に力を入れており、鉄道はもはや「集客装置」という位置づけかもしれません。
▲2 ▼0
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鉄道を利用する機会が減って 車で移動する人が増えてますからね。私の大好きな 駅構内の立食い蕎麦のお店も無くなってますからね。列車に乗る機会が減ってるし 乗車時間も短くなってるから 駅弁食べる事も無くなってますね。東京出張の帰りに新幹線で食べる 崎陽軒のシウマイ弁当は 美味いんですけどねぇ。
▲20 ▼8
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先日、北陸本線から東海道本線の乗り継ぎで米原駅で列車待ちをしたけれど、改札横の照明を多用したセブン(畳3畳分くらいを縦に並べたくらい)に比べて、駅弁売り場はコンコースの一角でひっそりとした印象だった。 他社の駅弁がどんどん『映え』に傾倒していく中、オーソドックスな駅弁を守ってこられた井筒屋さんが駅弁事業から撤退されるのは、苦渋の決断だったと思う。 いつか、ビワイチのお供に、と思っていたけれど、残念。
▲11 ▼4
=+=+=+=+=
昔、超特急こだまで東京〜新大阪が約4時間だったかな?今はのぞみが台東し、平均2時間28分です。名古屋〜新大阪は49分です。駅弁を食べていたらすぐ到着もあるでしょう。
あと、駅構内にセヴンなど全国区のコンビニが入るようになり、駅弁と比べて比較的安く便利に食料が購入出来るようになったのも衰退に関係あるかと。
▲9 ▼4
=+=+=+=+=
駅弁という文化自体が高齢者限定のものになっているのだと思います。ここのコメント欄を見ていても、それらしき年齢だと予測出来るものばかり。 若い人達は、昔のような移動に金も時間もかかる時代なんて経験していません。今時鉄道に3時間以上乗りっぱなしという方はごく少数なはずです。長時間乗るのでなければ、わざわざ鉄道に乗りながら食事をする必要もないのです。 「駅弁…そんなものもあったな…」という時代はすぐそこまで迫っています。
▲0 ▼1
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消費者は伝統的な味を求める人、新しい味を求める人がいます。 スーパーの食品は野菜果実から加工食品、惣菜まで味を変えています。 大手メーカーの加工食品も数年に一度、若しくは毎年味を変えています。 セブンイレブンの冷やし中華は3月から販売し 真夏の8月まで数回タレの酸味を上げています。 老舗弁当屋もわかっている事と思いますが古くからの顧客、味の変化を求めない顧客を大切にし 味を変えられず板挟みで売り上げが落ちて行った と思います。
▲13 ▼57
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交通における「速達文化」へのシフトチェンジと食文化が変わったことによって、駅弁は需要がなくなってしまったよね。 「東京駅で買えるものばかり」=「東京駅でないと売れない駅弁」「駅弁大会でないと売れない駅弁」これでは生き残れるわけがない。
地元のスーパーとか道の駅とかに置いてもらうとかすることで、なんとか生き残ってもらいたいものだ。なんたって地元の「名物」なんだから。
▲36 ▼3
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駅弁屋の矜持、とても感じました。こういう弁当屋さんがなくなるのは残念でなりません。 東京駅の駅弁売り場の狂騒はとても陳腐ですが、旅行で駅弁が必要な時は、東京ならではのものを選ぶか、行き先のものを選び、旅気分を盛り上げるようにしています。 また駅弁大会の豪華すぎるのも閉口。 地方の弁当屋さん頑張ってください。
▲19 ▼14
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子供の頃、親戚のところへ遊びに行く際にこのお弁当を買ってもらい、親と一緒に車内で食べてました。 米原駅ホームのうどんも、懐かしい。 コロナ禍からめっきり旅行回数も減ってしまい、そうこうするうちに。 自分にとって、コンビニ弁当は寝坊して自分で作れなかった時、外食する時間もない時にしぶしぶ食べるものだから、新幹線や特急の車内で食べたいものじゃない。 なんだかどんどん世の中貧乏くさくなってきて、悲しすぎます。
▲16 ▼5
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井筒屋は関西の駅弁の雄だったんだけどね。 京都や大阪で幕の内タイプの駅弁を多く扱っていた。 鉄道旅では以前はよく買った。
でも最近は新大阪では各地の駅弁が手に入るし、京都駅では伊勢丹や駅ビルで京都の老舗の弁当が買える。
名物駅弁だけでごく一般的な幕の内は駅弁は売れなくなったんですね。
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列車に乗ることがただの移動手段になってしまって、旅を感じることがなくなったもんなあ。立ち売りの駅弁もキオスクも、列車内の売り子さんもみんななくなってしまった。 せいぜい残ってるのは駅そばぐらいか。 最近は新幹線で飯を食うとスメハラがとか言われる時代。列車内でメシを食うこと自体が恥ずかしい行為になりつつある。 駅弁もただの地方名物になって、旅情とは切り離されたものになっているので、そのうち衰退してまうんだろう。 時代の流れなのは仕方ないけど、何だか世知辛いなあ。
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デパートの駅弁大会で並んでいる弁当は駅には売って無い。バイヤーが毎年企画出して作らせているものだ。もはや駅弁大会でなくうまいもの大会だ。デパートの2月8月で駅弁大会と北海道展は売り上げの為だろうが、わざわざ行かないと食べられない文化も残って欲しいなぁ。
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東京駅構内の「祭」にもよく行くが、近年の値上げの金額、頻度にはビックリする。それでも繁盛して、インバウンド客も見掛けるようになったが、長らく1,000円内外だった駅弁が、1,200円内外から、今や1,500円内外へなり、気軽に買えない値段になった。
どこかで壁にぶつかって販売不振に陥る駅弁屋もあるはず。とても残念です。
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基本的に コンビニ弁当 レンチン前提 駅弁 そのまま食べれる
レンチン熱々ごはんは、あまり美味しくない。
むかし寝台特急日本海で鶴岡から車内販売があり、まだ、ごはんが温かい「ささにしき弁当」は本当に美味しかった。
個人的にはコンビニ弁当には、越えられない壁先に駅弁があると思う。
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駅弁=高い…というイメージが出来上がってしまいました。それに「食べたいものを買う」という思考からか、コンビニが駅構内にもあるのでそちらに流れてしまった気もします。 ちなみに時刻表で「弁」マークのついた駅では「幕の内弁当」が主流と聞いたことがあります。 個人的には豊橋駅「壺屋」のいなり寿司が好きです。
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弁当を温める意味が分かりません。 自分で作るものも含め、お弁当は冷めてこそ美味しいものだと思っているから。 出張の時はちょっと張り込んで地元ならではの駅弁買うの楽しみだったけどなあ。 千円超えが基本でちょっと遅い時間だと更に高いのしか残ってなかったり、車内で食べる時間的余裕がなかったり、隣の人に気を使って食事を広げ難かったり、温められないことよりも色々な余裕·余白が少ない世の中になってきたせいなのかもしれないと思います。 …と言うことで、今から駅弁とうまいもの市に行ってきます。
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列車の中で駅弁食べてもやれ臭いがどうの、ゴミは持ち帰れ、販売員不足で車内販売廃止という時代になったから、列車の中で食べることに拘っていたらもう立ち行かないでしょう。その点、峠の釜めしはそのブランド力を活かして多角化に成功した例でしょう。
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「その土地土地でしか食べられない食材」 昔なら当然のことが、流通の発達でいまや付加価値となり、駅弁は旅の必需品から嗜好品になってしまった 腹を満たすだけなら、コンビニのパンやおにぎりで十分だし
その意味で、とっくになくなってもおかしくなかった駅弁は、嗜好品として今もなお残っている 自分も「旅する時のちょっと贅沢」感覚で買ってるが、普通に考えりゃ高いわな 崎陽軒のシウマイ弁当も1000円超えると発表あったし、今後、駅弁は衰退することはあれど、再隆盛はないだろうな
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駅弁は値上げする事はあっても値下げはありえないので、えげつない価格になってるし、仙台の牛タンとかオーストラリア産の牛タンなので、仙台の意味がないと思う。 物価が上がり、賃金が増えない中、煉獄さんみたいに駅弁を抵抗なく買える人は稀だし、冷たいご飯も、工夫して押し寿司とかならプラスなのですが、新幹線弁当とか、子供騙しの新幹線の容器にこれまた子供騙しのケチャップライスにウインナーと卵とハンバーグとか、名物感ゼロの弁当は淘汰されて当然です。
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>1997(平成9)年の信越本線横川~軽井沢間廃止により、駅での販売に頼れなくなった荻野屋は業態転換を余儀なくされた。今でも、横川駅には店舗があるものの、メインは催事出店や、商業施設での販売・出店である。
おぎのやは昭和の時代からドライブイン分野に進出して複数店舗展開し、その後高速のSAにも出店しており、横川~軽井沢間廃止時にはすでに販売のメインは鉄道関連ではなくドライブインに移っていた。 「鉄道廃止で業態転換を余儀なくされた」なんて事実は無いよ。
こういうこと書いてあると、記事全体の信憑性がなくなってくる・・・
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この記事、懐古主義に偏り過ぎだと思う。 コンビニもファストフードもなく、保存技術や流通も未発達だった時代なら、その土地の駅弁をゆっくり味わうのもよかったけど、時代が変わってますよね?
列車も高速化してるので、現地のもの食べたけりゃ現地に着いてから食べればいいし、わざわざ車内で駅弁食べることもない。 各地の名物もネットで取り寄せる時代。駅弁のありがたみも薄れてる。 そもそも駅弁は保存のために酢飯や甘辛味付けが多くて飽きる。値段も高いし、車内で食べればゴミも出る。 新幹線や特急ならデッキにゴミ箱あるけどめんどくさい。
個人的には、列車でガッツリ弁当を食べることはしない。 食べても小腹を満たす程度のものをコンビニで買うくらい。 現地のお店でゆっくり食べたほうがいい。
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井筒屋の件は、単純に「米原駅が交通の要衝ではなくなった」が最大の撤退原因でしょう。北陸新幹線敦賀延伸に伴い、米原経由の需要そのものがなくなりつつある以上、不採算事業からの撤退が必須だったと思われます。食文化云々のくだりは、あまり気にしなくていいと思いますよ。
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駅弁大会に何度か行ったが輸送駅弁は最早『定番』の物しかなく、かつて見た『心躍る』ようなものや『高くても満足感がある』代物はなくなっていた 城の形をした陶器の弁当箱(姫路駅) 鍋の形をした陶器の弁当箱(美濃太田駅) ワインとステーキの弁当(新神戸駅) 日本最高額の日光彫の容器の弁当(東武日光駅) 料亭料理そのものの弁当(金沢駅) 等が亡くなり、今は『ありきたり』の弁当になっているので衰退も激しい 駅弁も駅弁大会ももう『在りし日の栄光』は『歴史の話題』になってしまった
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駅弁はそもそも娯楽ではないのか?昔から市中の弁当よりは多少高価であったし、冷たかろうが非日常の楽しみを求めて購入したのではないか。空腹に耐えかねて購入するものではなかった筈だ。どちらにしても駅弁の魂はもう何十年間も前に消えている。旅客がホームで買う、が売上の大多数であった筈である。横川であの重い弁当が売れたのは停車時間が長かったからだろう。秒単位で出発していく窓の開かない電車、ロングシートになった時点で魂は消えたのだ。さて、現在でも広義の地場駅弁は一定数存在している。東京駅で地域色の薄い弁当は少数派だ。では、老舗の撤退からのメッセージとは何なのだろう?敦賀延伸とそのあとのゴタゴタであるかもしれない。つまり弁当をたべる時間がなくなったのだ。そうして旅情はまたひとつ消えていく。言うなれば、駅弁の魂が消えたのではなく「旅の魂」が消されたのだ。
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ぶっちゃけ国鉄時代みたいに在来線の特急や急行が 華やかしき時代なら駅弁のニーズはかなり高かった でしょうが
令和の現在じゃ ちょいとした都市なら駅ビルの 食堂もありますし
そもそも「のぞみ」とか「はやぶさ」が1時間に 何本も走っていますから
名古屋や仙台といった 大都市も2時間足らずで ついてしまいますから
どうしても駅弁のニーズそのものが減少してしまいますね
それに下手に車内で駅弁開けようモノなら
ニオイがどうたらとか
ココロ貧しきザンネン人間連中が 文句つけてきますし…
それに 駅弁って お値段の割には量が少ないから コストメチャクチャ最悪ですから
▲14 ▼13
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コンビニの弁当で胃もたれすることは多いが駅弁では無い。 温かいが美味しいと言う先入観が消費者にあるのが残念。駅弁は温かくないが冷たいわけではない。温かくなくても美味しく食べれる研究がなされているのが駅弁であり、温めたコンビニ弁当より断然美味しい。 実に残念です。
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父が北陸出張で お土産に買ってきてくれた、 富山のますの寿司。 今もスーパーの 駅弁まつりで 必ず見かけます。
それと峠の釜飯。 実家を畳むとき、 台所の棚から、
釜飯の釜と ますの寿司の容器が 大量に掘り出され、 呆れかえった。
なので美味しいけど、 この二つには少々恨み節w
崎陽軒の醤油容器が 引き出しからごっそりは、 まだ可愛かったです。
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びっくりしたのが先日駅弁を買う為にホームで並んで買っていたら私が最後だった。 後ろの人達が、言っていたのが、また売り切れかも知れない、と。 駅弁は儲けにならないらしい。 昔は美味しくない駅弁を必死に売り込みしていたが、今は美味しい駅弁だが、仕方なく売っている感じだった。 時代の移り変わりにびっくりした。
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うーん、難しい言葉を使って井筒屋も原先生も話しているが、本質的には新幹線網が発達し、米原で駅弁を買う必要性がなくなったからでしょう。
米原は、大阪方面の新快速では食べにくいし、敦賀行のしらさぎは時間がなさすぎる。更に新幹線乗り換えで荷物になる弁当は買わない。
東海道新幹線もひかりやこだまでは、乗車距離が短くて買わないだろうし。
東京駅だって、確かに売れてはいるが、私個人的には、名古屋、長野、新潟、仙台ぐらいまでなら余程昼時以外は買わないで、行った先か都内で駅そばにするな。
▲9 ▼22
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兵庫県ですが姫路のまねき食品に神戸の淡路屋といった有名どころが残ってます。 和田山もかつて駅で鴨や光センサーで牛の声の音が鳴る牛のものがありましたが、今や但馬の里和牛弁当のみかつ駅では売ってない状況です。
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何か根本が違うと思う。 駅弁とコンビニ弁当ではそもそも質が違う。 駅弁の方がはるかに良質である。 駅弁は冷えても美味しいように作られているし、コンビニ弁当はレンジでチンしても阿多卓はなっても美味しくはならない。 一言で言えば、込められている注力が違うと思う。 問題は値段だけである。 1300円程度の駅弁と500円のコンビニ弁当とでは、購入者の所得層が異なってしまう。 私もお金があれば駅弁を買いたい。多くの人が昼食に1000円から2000円の予算を使うのであれば、駅弁の方が選好されると思う。 腹を満たすだけならコンビニ弁当でも良い。満足度は駅弁に比べれば全く及ばない。 駅弁がコンビニ弁当と同じ価格になれば皆、駅弁を買うと思う。 駅弁が旅行者にあまり売れないのは、日本が貧困化していることと関連していると思う。
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個人的には1995年~2015年は財布に余裕があって2016年以降は財布に余裕がない状況。
だから昨今の駅弁のお値段高さから駅弁は敬遠し駅弁とは呼べないお弁当で500円~700円のものを購入することが多いです。 新宿京王デパートの駅弁大会とかは別々ですよ。あれは特別ですから。
駅ナカで店が多いJR千葉駅だと 食事できるお店を複数あるし(ラーメン屋 うどん屋 蕎麦屋x2 お茶漬け屋 その他4Fは知らない)。東京の駅弁よりお安い駅弁万葉軒の店舗もあるし。その他500円~1200円程度の駅弁ではないお弁当がいっぱいありそれがみんな旨いんだよな。 だからいつも600円そこそこのお弁当を2つ買ってしまう。万葉軒でさえ高く感じてしまう。
お金持ちのみなさん 駅弁が後の時代に残るようにいっぱい購入してね。(わしは無理)
好きだった駅弁 ◯野辺地駅とりめし ◯原ノ町駅ざるそば←これ駅弁よ
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1960年代までの駅弁は、質素な幕の内弁当のようなものが主流で、値段も安かった。現在は、見栄えが良く値段が高いものが陳列棚を占領している。豪華な駅弁を見比べるのは楽しいが、いつも買うのは、新幹線駅で売られている「おむすび弁当」550円です。
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駅より「道の駅」の方が充実してる。客も多いし。スペースも大きいし。地元の仕出し屋も駅に出店するより、道の駅に出店するわな。最近は駅の近くに道の駅が作られることがよくある。売ってるよ、駅弁。でもな、せめて駅前にある弁当会社(むかし、よくあったんよ。駅前弁当ってな映画もあったな)に買いに行くのならまだしも、駅とは違う別の施設に買いに行く弁当を駅弁とは言わんわな。
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そもそも長距離を走行する特急列車が少なくなっているし スメハラって言葉がある昨今じゃ、気軽に駅弁を車内で 食べる事は、意外と壁が高い…。 ウソでも、東京駅でも新大阪駅でも、駅弁売り場前には 結構な人がいるけど、売り場自体が減っている訳だし。 物価高騰もあって、コンビニで済ませる流れは、 止められないでしょうね…。 30数年愛している、シウマイ弁当が遂に1000円手前だもん…。
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蒸気機関車が電気機関車に変わり、 窓が開かない列車になり、 長距離列車が新幹線になり、 車内販売が無くなり、 全国のスーパーで駅弁が買えるようになり、 その駅でしか買えない希少性が失われた。
あと、駅弁の冷たいご飯がというより、コンビニの不味い安価なご飯が当たり前(標準)になり舌が絶えた。
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売れないから、仕入れる量が少ない、今年の年末年始のように休みが長いと、ピーク以外の日だと品切が多い、車内で駅弁が買えないし、一度でも品切に合うとコンビニを利用する。 悪循環だよね。
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最近では例外も増えてしまったが駅弁は基本的に屋外持ち歩きを想定した弁当であり安全性としては優れているといえます。(自家弁当なんて比較にならない)
個人的にはご当地駅弁も良いが、ごまかしの利かない幕の内がうまい駅弁屋はハズレが無いと考えます。
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その駅で無ければ買えない駅弁の衰退 地方駅弁の全国化 駅では無く駅以外で買う駅弁 でも 社会構造が変わった 駅弁のみならず、すべてに変化が これは致し方ないこと。 国民ほぼ全員がスマホをもち……の、時代。 その中で駅弁は今までのスタイルで残る? 無理ですよね。 残念ですが 井筒屋さんのステーキ弁当よく買いました。 もう食べられませんね。寂しいです。
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東京駅乗り換えの頻度が高い人間ですが 時間や曜日に関係なく お弁当ゆっくり選んでる余裕などほぼ無い状態です。 混んでるしキャリーバック邪魔だし何もかも割高で インバウンド客は右往左往 保存の関係なのか駅弁はすべて冷たい。 結局、新幹線に乗る時もさっさとコンビニでおにぎりとホット飲料買って終わり。 車内に乗り込めば匂いのキツいものは遠慮しろだとか なんか・・自由なはずなのにかなりの不自由。
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大量生産のコンビニ弁当と、小規模なローカル駅弁では価格面では勝負にならない。それでも、駅弁は好きです。列車に乗って、景色を眺めながら食べる駅弁は、それ自体がエンターテインメントの一部です。
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高いと言われるコンビニ弁当よりさらに高い。小ぶりな弁当でも1000円以上。食材や調理方法にこだわりがあったり、賞味時間が短くて廃棄が多いとか理由はあるでしょうが、やっぱり高い。駅弁のこだわりをコンビニ弁当の手法に詰め込めたらいいのにr
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チキンバスケットや崎陽軒、大館の鶏弁当が懐かしい。この前、山形の牛弁当を買ってがっかり、こんなに美味しくないのを、よく皆さんありがたがって食えるもんだと感心。中川家あたりが推してるせいかな?
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東京駅に行けば、多くの駅弁は楽しめる。 しかし、その土地ならでは感が無くなってしまった。 列車の高速化、減便や移動手段の多様化、食の趣向の変化や人口減なども効いているのだろう。
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駅弁だけじゃなく、 今や日本全国何処に行っても大手のコンビニ、ファストフード、外食チェーンが立ち並んでるからね、 もちろんそれはそれで凄く便利なんだけどね、 一部そこにしか無いチェーン店とかもあるけれど、 まぁ交通網や輸送が発達して、そこでしか手に入らない物なんてのが無くなって来たからね~ 日本中のみならず、今や世界中の物が簡単に手に入るんだから。
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