( 255773 )  2025/01/27 02:53:54  
00

「部品換えるように捨てられない」死刑囚の親が抱える悲痛 究極の刑罰「死刑」巡り求められる「熟議」

京都新聞 1/26(日) 17:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b80d8273cf3b0a9633918ce343a6aec34c824e99

 

( 255774 )  2025/01/27 02:53:54  
00

京都アニメーション放火殺人事件の犯人に対し、京都地裁が死刑判決を言い渡した。

被告の親が息子の死刑確定後、長く生きるように願っていたが、死後の安らぎも感じる一方で、息子の名前を墓石や位牌に刻まないことを選んだ。

一方で、京アニ事件の被害者遺族は厳しい処罰を求め、世論も死刑制度を支持する声が多いが、識者の中には死刑制度に反対する意見もある。

議論を活発化させるためには、多様な視点が必要とされる。

京アニ事件の審理は控訴審に続き、検察と弁護は再び対峙することになる。

(要約)

( 255776 )  2025/01/27 02:53:54  
00

京アニ事件で京都地裁が言い渡した死刑判決の書面。審理は控訴審へ続く 

 

 「死刑にだけはしてほしくなかった」。男性が言葉を絞り出した。息子は複数人を殺害し、過去の裁判で極刑が確定した。執行から既に歳月が経過していた。 

 

 男性から話が聞けたのは、36人が亡くなった京都アニメーション放火殺人事件の京都地裁判決で死刑が言い渡された直後。「究極の刑罰」を巡る実相を描くための取材だった。予告なしの訪問だったが、記者だと告げると、私を部屋へ上げてくれた。 

 

 ■「できるだけ長く生きてほしい」 

 

 息子の死刑が確定した後、拘置所で面会を重ね、「できるだけ長い間、生きてほしい」と伝えていた。改心は伺えなかった。息子のことは許し難い。でも「そんな簡単に、自動車の部品を取り換えるようには捨てられない」。自らが育て、共に暮らした存在だから。 

 

 ならば相応の罰とは何か、と私は問うた。男性は長考したが、答えを口にしなかった。ただ、もし出所できても面倒を見られないと分かっていた、とこぼした。 

 

 死刑執行の報にむなしさがこみ上げたという。一方、予告なく当日に刑場へ連行されることへの恐怖を想像すると、「息子は、これで安心して休めるな」とも思った。 

 

 ■墓石にも位牌にもその名前は… 

 

 遺体を引き取り、会場を借りて葬儀を営んだ。しかし、墓石にも位牌(いはい)にも息子の名前は刻んでいない。痕跡は何も残さない。「私が彼を思わなくなると、彼は消える」。墓地に並ぶ地蔵に向けて心の中で息子の名を呼び、「平和に暮らしているか」と語りかけるという。 

 

 こうして、わが子が死刑に処された父親の率直な悲痛を伝えることには、賛否が割れるかもしれない。 

 

 京アニ事件の一審公判では被害者遺族らの厳しい処罰感情が語られた。世論の大勢は死刑制度に賛成とされる。判決後「それでも私は死刑制度に反対する」との見出しで識者へのインタビュー記事をインターネット配信すると、多くの反論が書き込まれた。 

 

 死刑を巡っては存置と廃止の立場の間に深い溝が走る。 

 

 

 ■できる限り多様な視点が欠かせない  

 

 議論の活発化のためには、できる限り多様な視点が欠かせない。被害の痛みに最大限思いをはせることは当然だが、「応報の論理」へ一辺倒に傾くことは、論点の幅を狭めてしまいかねない。 

 

 遺族とて、立ち位置は一様ではない。「36人の命を1人の命でまかなえるのか」。京アニ事件のある犠牲者の親は、取材に語った。被告の命を死刑で奪っても、犠牲者の命は戻らない。だからこそ被告は、反省と、模倣への歯止めとなる発信に命をささげるべきだ-。この親が打ち明けたむなしさに、私は、死刑という罰への重い問いかけを見いだしている。 

 

 京アニ事件の審理は控訴審へ続く。死刑を巡って検察側と弁護側が再び対峙(たいじ)するだろう。私たちにもまた、熟議の機会が訪れる。 

 

      

 

 

( 255775 )  2025/01/27 02:53:54  
00

個々のコメントからは、死刑制度に対する意見や感情が様々に表れています。

一部のコメントでは、被害者や被害者遺族の苦しみや悲しみを重視し、死刑制度の必要性を支持する声が見られます。

一方で、加害者や加害者親族の苦悩や複雑な心情に理解を示す声もあります。

そのほか、教育や更生への期待や冤罪の防止など、制度全体を見直す必要性を訴えるコメントも見受けられます。

 

 

死刑に賛成する意見もあれば、反対する意見もあり、その根底には被害者や遺族への思いや、犯罪抑止力としての死刑制度の在り方に対する考え方が反映されています。

一方で、冤罪や人権の観点から死刑制度に疑念を持つ声もあり、制度の在り方には複雑な問題が絡んでいることが伺えます。

 

 

最終的には、個々の価値観や経験、倫理観に基づいて死刑制度に対する意見が分かれることがわかりました。

死刑制度の是非やその運用については、社会全体で深く議論が必要であると感じられました。

 

 

(まとめ)

( 255777 )  2025/01/27 02:53:54  
00

=+=+=+=+= 

 

自分が育てた息子なら、自分の息子のことは心配だろう。 

しかし、現に同じ命以上の被害者の命が奪われていることを鑑みれば、死刑をもって処罰されることは当然であるとしか言いようがない。 

犯罪を起こす前に家族である自分がどうすれば良かったのかを考えてほしい。 

 

▲53762 ▼1793 

 

=+=+=+=+= 

 

省略していたのかもしれませんが、被害者への謝罪が何もないというのもどうなのでしょうか? 

相手の身になって考えることが出来ない方なのかもしれません。 

加害者は改心や被害者への謝罪を感じることが出来ない人もいるのかもしれません。 

実験材料として一定期間観察してから死刑の執行というやり方もあると思います。 

加罰だけでなく犯罪を出来るだけ未然に防ぐことにも繋げて欲しいですね。 

 

▲265 ▼45 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の子が他人様を殺めてしまったらと考えたら、自ら命を絶ってくれ、もしくは自首して罪を償ってくれ、と願うと思います。 

逆に自分の子が殺められたら、相手を自分で裁くか、司法に死刑を望むと思います。 

死刑反対という方々もいますが、普通は自分の子を殺められたら許せないと思いますし、その親の顔も見たくなくなると思います。 

大前提として、悪いことをしてはいけない、人を殺めてはいけないということを子供にしっかりと教えることだと思います。 

 

▲552 ▼33 

 

=+=+=+=+= 

 

人間にはして良い事と悪い事がります。その度合いや一線を越えてしまうと人間社会では罪を償い、罰を受ける事になります。 

それは社会の秩序や、我々人間が安心して生活できる社会の形成に繋がります。 

どれだけ考え、話したところで、悪事をする人間、他人を傷つける行為を止められない人間がいます。社会から犯罪や事件が少なくなる事を願います。 

 

▲3098 ▼100 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の息子の心配を出来るだけ、被告の親は幸せであろう。被害者の親はもう自分の息子、娘を心配してあげることも出来ないのだから。 

 

そもそもどこの国に比べても日本は刑罰が軽すぎる。死刑にならない場合、無期懲役から十数年で出所などザラにある。死刑廃止を求めるのであれば、それによる被害者遺族の感情をどう鎮めるか。その為には加害者にどの程度の刑罰を課すべきなのか。そこまで提案していかなければ、現在賛成の人達は反対には回らないだろう。 

 

▲29283 ▼732 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑は、例えば複数の殺人を犯しても犯人が外国人であった場合、極刑は見送られましたよね。 

また同じ複数人の殺人であっても死刑判決にならないことも多い。一体なぜ判決が分かれるのか、また明らかに冤罪の可能性はなく、残酷な強盗放火殺人であり、死刑が確定しながら執行は見送られ続け、病死した例もある。このように判決にもまた執行にも差があるのなら、死刑制度自体を一度見直す必要もあるのでは、と個人的には思います。 

 

▲61 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑とは、法の下に国家により人の殺害を行うことだと認識します。命を奪う行為だけを切り取れば、殺人犯とやっていることはなんら変わらない。 

その一方で犯罪者の再犯率の高さというのも、死刑廃止を議論するために大事な要素で、本来は刑務所は更生施設であるはずが、更生できないままに法を守れない可能性の高い人物が全員とは言わないまでも一定数世の中に戻ってしまっているという現実もあります。 

死刑制度には反対の気持ちですが、現状の仕組みでは死刑という選択をせざる得ない事情というのも一定の理解ができます。 

 

▲29 ▼61 

 

=+=+=+=+= 

 

何度もコメントしたけど、教育刑は刑に服した人物が更生するのが大前提。その兆しさえないのに他人の命を奪った人物に少しでも長く生きて欲しと言うのは、例え親でも虫が良すぎる。 

子供が極刑にされるのは辛いということは理解しているが、だったら不当な理由で命を奪われた人間の身内はどんな気持ちだったのか考えたことはあるのだろうか? 

何より、被害者の霊前に謝罪し、遺族にできる限りの贖罪を申し出たのだろうか? 

 

▲21231 ▼583 

 

=+=+=+=+= 

 

勝手だなと思った。親としてどんな息子でも死んでほしくない気持ちはわからなくもない。でも殺された方の気持ちやご遺族の気持ちを考えたら、この親の気持ちを公にするのは勝手すぎる。殺された方も何の心の準備もなく恐怖の中苦しんだのだ。執行日が唐突にくるのは当然だし、遺族からしたらもっと苦しみ悔やんで欲しいと思うかもしれない。 

 

▲10087 ▼268 

 

=+=+=+=+= 

 

この親の気持ちは理解できる。子供が極刑に相当することをしてしまっても、やはり子供は子供だから。思い出もたくさんあるはず。 

 

しかしその一方で、この親よりはるかに強い悲しみや怒りや虚しさを味わったのが被害者とその親、家族。 

 

この親の気持ちは理解はするが、それ以上に辛い親を生み出してしまった子供はやはりその責任を取らねばならない。この親の死刑反対という態度には同意はできない。 

 

それでも反対することでようやく心を保っているのかもしれないが。 

 

▲8897 ▼318 

 

 

=+=+=+=+= 

 

気持ちは分かるが、被害者および被害者遺族の気持を汲んで発言は控えてほしかった。 

命を絶たれたという意味では、裁判までしてもらった加害者と何も悪いことをしていないのに殺された被害者では同一に扱えないと思う。 

息子のことは心にだけ止めて、息子の代わりに被害者や被害者遺族の心に向き合うべきだ。 

 

▲4256 ▼135 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚を長期間刑務所に収容し続けることは、膨大な税金を消費する現実を無視できない。極刑という形で早期に執行する方が、経済的にも合理的だし、被害者や遺族の心情を考える上でも納得できる場合が多い。京都新聞の記事が感情面に焦点を当てているのは理解できるが、被害者の痛みや社会の負担についてもっと踏み込んで議論を展開するべきだ。 

 

現実として、こうした重罪を犯した者を長期間養うために国民が税金を負担し続けるのは非効率的で、多くの国民にとって納得しがたい。むしろ、そのコストを被害者支援や犯罪抑止に充てるべきだろう。このような記事を書くのであれば、税金の使い道についても公平な視点を持ち、議論を深める方向で社会に問いかけてほしい。 

 

▲3845 ▼173 

 

=+=+=+=+= 

 

この犯人の親は最後の別れをすることや、その覚悟をする時間がある。 

被害者家族にはその時間がなかった。 

突然この犯人により、辛い命の奪われ方をしてしまった。 

息子のやったこと、被害者やその家族の苦痛を考えればそんな一言すらうちに秘めても声にしてはいけない気がします。 

 

▲2480 ▼59 

 

=+=+=+=+= 

 

どんな死に方であれ肉親を失った遺族の気持ちは分かるつもりだ。 

だからこそ人の命を奪ったものに対する刑罰として死刑制度は必要と思う。いくら償っても償いきれるものではないが、それが執行される事で遺族も肉親の命を理不尽に奪われた無念な気持ちに一定の区切りをつけ、立ち直りまた人生を歩まなくてはならない。 

必ずしも死刑制度が犯罪の抑止につながらないと言う意見がある事も承知しているが、被害者の遺族の方の立ち直りを助ける一助として必要な制度だと思う。 

 

▲2351 ▼67 

 

=+=+=+=+= 

 

幸せな息子と幸せな親だと思う。ひたすら自分の思いや願いに専念できる人生で。息子に殺された人がいると思えば、取材されても思ってもこんなことは言えないと思う。殺された人の恐怖や無念さ、殺された人の親の一生続く悲しみ、殺さないでと願ってももう届かないくやしさ、、そういう他人の存在があったから今があるということを彼らが感じることはあったんだろうか、、?他人をないがしろにできるからこそできることで、それは今も続いている気がする。そういう意味で親子似てるのかも、、 

 

▲2183 ▼70 

 

=+=+=+=+= 

 

息子を亡くす恐怖は親である以上持つことは当然だとは思うけれど、それと同様に愛する家族を亡くした人もいるかもしれなあ。 

加害者も、被害者の人権や尊厳を脅かしたりしたからこそ刑務所に入るわけで、人である以上必要最低限の人権は必要だとしても、加害者が被害者の人権さえ脅かさなければ起こらなかった話だろうし、過剰な人権意識の声が上がることもあるが、最大限の人権を与えてしまえば刑務所の意義が問われることになると思う。 

 

▲1912 ▼75 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑が確定するということは、それだけ多くの尊い命が奪われたということでもあります。被害者やそのご遺族が経験した苦しみは、癒えるものではありません。だからこそ、まず被害者第一で考えることが必要だと思います。 

死刑は、決して安易に結論を出せる問題ではありません。被告に反省の機会を与え、模倣犯への抑止力となるような行動を求める声も理解できます。 

しかし、やはり私たちは被害者に寄り添い、彼らの声に真摯に耳を傾けるべきだと思います。36人もの命が奪われた現実を重く受け止め、加害者に厳しい罰を求めるのは当然の感情ではないでしょうか。 

 

▲1750 ▼46 

 

=+=+=+=+= 

 

どんな凶悪犯であろうと自分の子供には生きていてほしいと思うのは親心では当然でしょう。だからと言ってそのことを持ち出して死刑制度の是非を問うのは論点としておかしい上に、賛成派からは感情的な反発を招くだけです。 

私が死刑制度を再考察する場合に考えねばならない論点は2つです。 

一つは言わずもがな冤罪の防止をいかにするか。 

もう一点は拡大自殺なるものが出てきた以上、犯罪者の望みを叶えることの是非です。 

いずれにしても制度としての死刑はあった上で運用上の問題で解決できるのではとも思いますが。 

 

▲1647 ▼73 

 

=+=+=+=+= 

 

教育刑論はその性質上、受刑者の将来的な社会復帰を期待し、その手助けとなる教育を施して犯罪傾向の改善を行う訳で、多くの場合はこれが期待出来ることで有期刑となり、死刑となるケースは希です。 

問題なのは犯罪傾向の改善が期待出来ないケースで、この場合に人間社会(刑務所を含む)から永遠に隔離すると言う目的で死刑は必要であり、冤罪が疑われない現行犯に限るようなケースであれば誤判の可能性はなく、死刑制度維持は社会的要請であり教育刑論の限界を補う存在としての意義があるのではないかと思えます。 

 

▲1470 ▼93 

 

=+=+=+=+= 

 

もし我が子が他人を害したその立場なら、と考えると、 

ほぼ全ての人に死を願われるのは家族として罪悪感を抱きながらも途方もない孤独と無力感と思う。 

 

ただ、一罰百戒というか、人間は過去に学ばない生き物でもある。 

 

数年収監された人を知っているが、恐怖だった。何を考えているのか理解出来なかった。 

一線を越えた生き物のように思える人に 

所在地を知られている恐怖、それまで当人に深く関わって無かった事への安堵。 

 

自棄からの逆恨みが怖いので幸せに生きてほしいと願ったが、それはそれとして目の届く範囲外の無関係でありたい。 

 

冤罪と信じるならともかく、重犯罪の場合は生涯側で面倒を見る自信は自分には無い。 

 

▲1322 ▼64 

 

 

=+=+=+=+= 

 

数人を殺害してしまっている人物を思うよりは、 

殺害された被害者の無念さを思ってあげる方が良いと思う。 

死刑囚の延命ばかりを願うのであれば、殺された人は浮かばれない。 

死して罪を償う死刑囚のふんぎりもあると思うし本人のために 

ならない感じがする。罪を償わせることの方が親としての 

子供への最後の願いで仏教を信じるなら 

次に生まれるときは悪を叩き弱気を助ける正義の人間に生まれて 

来いとか願った方が良いんじゃないかと。 

 

▲1341 ▼44 

 

=+=+=+=+= 

 

このような話を聞くたびに、「現代の刑法は生ぬるい」と思わざるを得ません。死刑になるほどの人間を生み育てた親なら、一緒に死刑にされても文句を言えないくらいの罪の意識を感じるべきです。 

そう思わないということは、殺された人たちの命を軽んじていることに他なりません。 

人の命と尊厳を踏みにじった加害者を守ることより、被害者とその家族が救われる社会であってほしいです。 

 

▲1647 ▼280 

 

=+=+=+=+= 

 

部品を換える様捨てられないと、戻ってきても面倒は見れない、墓に名前も残さない、でも少しでも長く生きて欲しい、凄い親の身勝手な願い、虫が良すぎる話ですね。その親御さんがどこかで彼の心を壊してしまったのかもしれないのに、自分の子供が大事件を起こしてしまったという縛をしっかり受け止めて生きていただきたい。究極とか悲痛とかどこからそんな言葉が出てくるのかなと、親は子を捨てることなどできはしないのだから、その親が心身に我が子の犯した罪と向き合い受け止めないと、亡くなったたくさんの人もまたその家族も救われない。 

 

▲749 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

私も親だが育て方が其の子に合っていなければ誰かを傷つける可能性はどの親にもある。 

認められないのはそれまでの過程を認めない事にもなり、自分の子が被害者の立場でも 

加害者の親がそう発言するのを心の中で認められるのかを考えなければ被害者達の家族への2次被害になるのを自分で理解し発言しなければいけない大変難しい問題ではあると思います。 

 

▲568 ▼72 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も子を持つ親だが、子供が加害者になるか、被害者になるかで、心情は分かれて当然だと思う。 

加害者の親になった時、子供を完全に切り離せるかどうか。 

罪は償うべきと思うし、法に従って処罰されれば良いと思う。ただ、心の奥底では小さい頃に素直だった可愛い記憶は消えないのも事実だと思う。 

だからこそ、1人でも多く間違った方向にいかないように育てていくしかない。 

それが一番難しいのだが。 

 

▲265 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人の命を我が子が奪ってしまった…そして死刑と判断を下させてしまうこと、執行の際にその役の方にそのスイッチボタンを押させてしまったり、その後の悲惨な状態に関わってくださる役の方達… なにより被害者ご本人とそのご家族など大切な方達にどんな思いをさせていることか… 

それでも我が子の命を助けてあげて欲しいと思うこと…思うのは仕方ないにして、それを口にしてはいけない立場だと思います。 

我が子がしたこと…いくつになっても、親の責任でもあるという感覚は大切かと… 

 

▲340 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

親が子に与える影響は大きい。 

文化、知識、そして道徳。 

特に道徳教育は、五徳、善悪の判断に影響を与える。神道、キリスト教や仏教、またはエホバや創価の信者ですら得られる。 

世間では嫌われているエホバや創価の信者だったなら、少なくとも強盗や殺人はしない。信仰しろとは言わないが、しかし、親が子に道徳観、倫理観に与える影響は大きい。 

信仰しろとは言わないが、しかし、親が子に倫理観だけは、しっかり教育してほしい。それが足りないと、このような事件、最近の闇バイトにもつながる。 

厳しいようだが、親ならば共に死ぬくらいの覚悟で反省すべき。 

しっかりとした文化的教育の会話もなく、ただ育てたなら特にだ。 

 

▲545 ▼89 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度に関しては100%冤罪ではない場合にはやはりなくてはならない制度だと思う。 

死刑制度が廃止されれば最高刑が無期懲役になる。ここに大きな違いを感じる。 

死刑制度がなければ極悪犯でも刑務所で生きながらえる。死刑判決が確定した死刑囚は 

いつ執行されるのか毎日怯えながら暮らす事になる。遺族感情からすれば毎日怯えながら床に着き翌朝に刑務官の足音に震える生活を送ってもらいたいと思うだろう。 

実際に執行するしないは別として死刑判決を下す事は必要不可欠と思う。 

 

▲234 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

日本には「敵討ち」という言葉があります。仲間や家族が殺された時、その仇討ちが許されるという考えがあり、赤穂浪士の敵討ち、曽我兄弟の敵討ち、伊賀越の敵討ち、 鍵屋の辻の決闘などなど、講談の物語としても登場します。敵討ちが法律で禁止されたのは明治6年になってから。つい最近のことなのです。そして、代わりに刑罰をもって政府がそれを代行する形に変わりました。海外の死刑事情がどうであれ、日本人の文化や歴史を見れば、まだ必要なのことだと思います。 

 

▲221 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

欧州は死刑のある国を批判していますが、私はまだそこまで立派な思考になれません。加害者の人権を守っても被害者は戻らないし反論出来ない人も多いでしょう。昔の自白を無理矢理引出したり状況証拠だけで判決を受けた場合の死刑については裁判のやり直しが認められるべきだと思います。 

死刑の無い国は半永久的に税金で生活させるので、更生して社会復帰出来る人ばかりで無い事を考えると被害者を増やさない為の究極的な刑罰として必要なのかなと考えます。 

 

▲177 ▼11 

 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度は廃止できない。するべきでは無いし、日本はもっと刑罰を重くするべきだと思う。世界的に見て日本は刑罰が軽い。36人殺した加害者は死刑になって当然。だけど同じ親という立場からすれば複雑な心境になるのも分からなくも無い。だけど親として大事な息子が犯罪を犯す前に出来ることは無かったのか、まずそこを考えて欲しいです。成人した息子の思いは分からない事もあると思う、私も成人し社会人となった息子の思いが分からない時も多々あります。そんな時は時間を作り話す機会を作ったりしています。親子でも分からない事は沢山ありますが、顔を見て話すと分かる時もあります。そういう事してたのでしょうか?被害者の方達にもそれぞれ家族がありました。突然の悲しみに未だに苦しみ悲しんでいる。そういう方が目にする記事に加害者の親の立場で「死刑にして欲しく無かった」と思っていても言うべきでは無い!と私は思います。 

 

▲109 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

当然の結果です。親としたらそりゃ思いもあろうかと思いますが殺された側の親はあなたよりもっと深い悲しみと闇に苛まれてるのです。即死んでいたはずの犯人を生きて罪を償えと言わんばかり医者は懸命に容疑者の命を救いました。が、やった事の罪の重さは受刑者個人より遥かに重たく残根ながら受刑者の命を持ってして罪を償うとしか方法はありえないと思います。人が人を殺すと言うことは色々な方向辛みても、とても罪深いものです。後世に多大な因縁を残す所業でもあります。 

 

▲74 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑廃止を議論するのであれば、無期懲役という制度も併せて検討する必要があると思います。無期というのは永遠という意味ではなく、期間を定めないということであり、実際には生きている間に出所することも可能なのは周知のとおりです。一方、アメリカのように、有期刑でも人の一生をはるかに超える刑の場合、模範囚であっても一生外に出ることはかなわないわけですが、反省する姿勢が一切ない人間に対して、税金を使って「生かす」ことが合理的なのかという問題もあります。もっとも、アメリカの場合、凶悪犯であれば検挙の際に銃殺されることも多々あり、そのあたりは日本とは事情が異なると思います。 

 

▲31 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の子はやはり何があっても子供の気持ちはわかりますが、一方で子供を失った親があり、もう子供に会えない親の気持ちもある。親としては生きていて欲しい気持ちはわかりますが、やはり子供の犯した罪、そして法律に則った刑罰があることは仕方ない。親が反論できるとすれば他の罰と比べて我が子が受けた刑罰が異常(過剰)すぎる場合なのではないかと思います。公に発信するよりも親ができることは罪を犯した我が子であっても心では大好きだと生涯言ってあげればいいのかと思います。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

こんな映画がありましたね。 

帰ってこなくなった息子が少年事件に巻き込まれ、情報が飛び交う中、被害者なのか加害者なのか分からない。親や家族は深い苦脳で葛藤してゆく。 

息子が被害者として亡くなっているよりは、人殺しだとしても加害者として生きていることを願う母親。 

どんな子どもでも我が子が一番愛おしくて大事。でも、それは亡くなった被害者遺族が一番叫びたいことだとも思う。理不尽に命を奪われるのと、命をもって刑を受け、償いとするのでは意味が全く違う。 

 

▲84 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

どの様な事件か知りませんが、この方が死刑因の息子を思うように、殺された方の遺族も思い悲しんだはずです。 

死刑は残酷なもので、執行のボタンを押す刑務官も覚悟がいる業務でしょう。 

死刑という極刑が、人を何人も殺す様な重罪は割に合わない、という犯罪の抑止力、そして犯した重犯罪への後悔、反省に繋がるなら、被害者や、その遺族のためにも必要だと思う。 

 

▲70 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑は必要だと思う。 

もちろん死刑になったからと言って何かが解決するわけでもないけど、何か代わりの罰があるかというと、適当なものは思いつかない。仇討ちも最終的な結果は同じだろうし、強制労働に向くような仕事も、死ぬまで禁錮・懲役も無敵の人には意味なさそうだし。 

身内として思うところはあるのかもしれませんが、少なくともそれが優先されるのは被害者側の思いだと思う。 

 

▲111 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

自分にとって大事な人ですから、気持ちはわかります。 

ただ、何の罪もなく命を奪われた人、その家族、知人の方がその何十倍何百倍も辛い思いをしています。 

死刑反対の意見もありますが、命を奪ったのなら命で償うのも仕方ないのでは。世界で死刑制度は廃止に向かっているという事実もありますが、全てを世界基準に合わせる必要なないと思います。 

 

▲53 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

裁判員制度で刑罰に対して国民の理解がもっと進んだら感情論ではない議論が積み重ねていけるんじゃないかと。 

刑執行に関わる刑務官の苦悩の話もありますし、罪を償うということに正解はないので今は犯罪の抑止力としても存在はしていて欲しいと思います。 

 

▲17 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

親としての感情は理解出来る。 

しかし、被害者の親御さんも同じ気持ちなんだよね。しかも、被害に遭われた方は予告も無く命を奪われてしまい、被害者のご家族は最後の言葉を交わす事も出来ずに引き離されてしまっているのだよ。 

 

もし加害者の親御さんが、事件前にもっと加害者である我が子とコミュニケーションを取っていたら。もっと子供の事を気にかけて接していたら、異変に気付いて対応していたら、事件が起きなかったかもしれない。 

たらればでしか無いが、違う未来もあったのかもしれない。 

 

人の命を奪うって、それだけ重いものなんだよ。取り返しがつかない。被害者は戻らない。時間を戻す事が出来ないのだから、やってしまってからではどうにもならない。 

 

▲27 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

親としての気持ちはそうだろうが、殺害された人間は帰ってこない。まあ、事件概要が全く分からない故、感情を抜きに考える他ないが。 

熟議も何も冤罪でなければ極刑自体は必要だろう。 

他者を殺害すること、その罪に極刑以外あってはならないのではないか?日常的に暴行を加えられその恨みからなどいわば身を守るために犯した殺人事件などは別に審理をすれば良いだけであり、情状酌量の考えだけ残しておけば問題はないようにも思う。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

親としてはどんなに息子が凶悪犯だとしても、とにかく生きていて欲しいと言う気持ちは親として当然のお気持ちだと思います。死刑制度の存廃に関しては様々な意見がありますが、被害者遺族の事や、犯罪抑止の観点からは必要だと思います。凶悪犯で自らの犯した犯罪への反省も無い息子さんで周りの批判に晒されても、息子を守って上げたいという親としての思いは感じますが、それと同様の気持ちを被害者ご遺族にも向けて、息子さんが謝罪が無い分、代わりに謝罪や反省をし続ける姿勢をもって、ご遺族のその気持ちが伝わるようにして頂きたいと思います。 

 

▲40 ▼38 

 

=+=+=+=+= 

 

車の部品に例える辺りでこの父親なんか色々命に対する考え方がズレてる。 

自分の息子がなんで極刑になったかよくよく考えてみれば、虚しいなんて言えるはずないと思う。 

被害者は生きる権利を理不尽に奪われたわけで、遺族からしたら虚しいなんて生易しい感情では絶対にないよね。 

母親の話は出てこないけど、母親の方がこの息子を産み育てた分責任の重さや奪った命の大切さを感じてると思う。 

 

▲59 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度への賛否の前に、刑罰一般について軽すぎるといった意見が多いことが気にかかる。 

 

世界各国に比べてどうなのか、といった事実の確認が必要だし、どのような刑罰が妥当なのか絶えざる議論が必要と思う。この度、懲役と禁固の区別をやめるなど専門家の中では検討が進められ、改革がなされている。 

 

一方で必ずしも被害者ではない一般の国民が厳罰化を求めるのは、どのような心理や論理に基づくものなのか。 

 

このような性向は刑法事案にだけ向けられるものなのか。社会関係、人間関係全般にも影響を与えているものではないか、と懸念する気持ちもある。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人の命を奪うような子供を育ててしまった以上は、親自身の苦しみは親の責任で受け止めねばならない親の刑罰と自分なら解釈するだろう。死刑が執行され子供がいなくなったあともまだ親として子供の為にしてあげられることはある。被害者遺族への謝罪、供養、そして記事の父親も言うようにその存在を覚えていること。子供の為に何か出来ることを寄り縋りにするとしたらそんなところか。悔やんでも仕方ない。まだ間に合う子育て中の方達はどうか後悔の無いよう命の大切さを心の深いところに培ってあげてください。 

 

▲33 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私個人の考えとしては、日本の死刑制度の是非を論じるなら、その前に死刑判決が下された事件と下されなかった事件の違いを一つ一つ知っていく必要があると思っています。 

日本の死刑制度が極めて深刻な事件にのみ検討されている現実や、どれだけ「極めて難しい局面でも人権も含めて刑が検討されている」という事を思い知らされ、その上で、死刑制度に賛成する人がマジョリティになるかと思います。 

 

そこで一つ興味深いのがイランの死刑制度で、最終的に執行するかどうかを判断するのは遺族なんですよね。 

 

ある事件では、死刑囚が非常に事件を悔いて執行日を迎え、当日に遺族が涙を流しながらも死刑囚の更生を願い執行を取り止めたケースもあれば、 

遺族が願い出て死刑執行する事も。 

これを「遺族への”負担”」とネガティブに捉えるメディアもあれば、一考の価値ありと論じるメディアも。 

 

遺族の意向が実現される事が一番じゃないかと思う次第です 

 

▲20 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

犯した罪が重いから死刑になる。というか単に重罪というだけでなく犯人に回復の見込みがない点も大きいと思う。ある意味精神異常と言えるでしょう。言い換えれば普通の人は殺人事件なんて犯さない。日本司法であくある加害者の事件当時の精神状態によって刑を判定するのは疑問だ。ようは精神が異常だから殺人事件を犯すのである。もちろん誰でも一時的に精神が乱れ軽犯罪を犯す。が、重罪を犯すほど乱れることはないのである。精神状態を理由に極刑を免れたら被害者になんと説明するのか、あの時は異常だったが今は正常ですと言って納得するわけがない。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「命」をどのように捉え、扱うべきなのかという議論があるのだろうが、 

「刑」として考えるときに、一瞬で終わってしまうのは、刑罰として適切なのだろうか、と、思ってしまう。 

 

日々、自分の犯したことと向き合い、何十年も生き続ける、また、その経過の中、刑務所の中で、その思いを行動に変えていくということが、刑罰なのだろうと思う。 

 

▲5 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

親はそれでいいと思うよ。 

どんな犯罪者であっても愛されているということを忘れるべきではないんだから。 

同時に当人の犯罪行為への責任と処分にはそんな感情を考慮する余地がないとも思う。 

 

私は経済観で評価するのが一番ベターだと思っていて、改心がないのであれば社会に参加する可能性がなく将来に渡り医療的コストも必要なのですから早々に切り捨てるのが最適解だったと思います。 

冤罪の可能性ないパターンですからね。 

 

その背後に10年以上執行されない死刑囚の存在は法務大臣の怠慢であり違法行為だとも思っています。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

2024.01.25 京都地裁で死刑判決を受けたものの大阪高裁に控訴していて、大阪拘留所で、今どのような心境で死刑囚がいるかはわからない。死刑が犯罪抑止繋がるか、再犯防止になるか、社会全般への警告なのかはわからないが、社会全体に重大な犯罪は絶対に許されないのだと思う。個人的にはどうしても被害者や遺族の心情をくみ取るのが優先だと感じてします。青葉死刑囚は小学校3年次から両親の離婚とともに父親に殴るけるの暴行を受けてから人生観が変わったのだと思う。 

 

▲7 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

とてつもなく多くの人たちの命を一瞬にして奪った事実、そしてそれらの人たちにも親がいて子がいる。例え一人の人間の命を奪っても、その罪の重さは自らの命をもって償うことの覚悟は必要だと思う。これは、法以前の一人の人間としての倫理の問題である。他人の命を奪う権利なぞどのような理由であっても誰一人にも与えられてはいない。親であるが故の情はあるであろうが、そのことを殺害された人たちの親の身になって考えてあげるべきで、公に口にすべきことの判断が甘いように思う。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

袴田さんのように冤罪は怖いので、しっかりとした見極めは必要です。 

が、とんでも無い極悪犯罪で犯人と分かっているのであれば極刑罰でも仕方ないと思います。 

それよりも世界が死刑廃止に進んでいる中で死刑制度を保っている日本は良いと思います。 

ただ問題はそれ以外のもっと軽い犯罪が世界と比べて刑が軽すぎる事です。 

加害者の人権の前にもっと被害者に寄り添っても良いのでは。 

 

▲15 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑は合法ではあるものの人道的な見地から様々な意見がある事は理解できる。死刑廃止国は多数あるが、代わりに数百年など現実的ではない懲役年数となる例がある。その間の生活は税金で負担することになる。公権力による刑罰は被害者救済の為に行うものではない事を理解した上で、感情論によらない検討が必要だと思う。加害者が例え死刑になったとしても被害者の遺族が納得し慰められるものではないのだから。 

 

▲715 ▼265 

 

=+=+=+=+= 

 

我が子がもし何らかの重罪を犯し、極刑を下されたら(正直考えたくはないですが)、やはり仮に出所してきても今までどおり一緒に暮らせる自信はありませんし、そもそも世間様に指をさされることから子を守ることも、自分自身も耐えきれる自信もない。そのような状況に置かれなければわかりませんが、最後は生きてる限りしっかりと反省をしてその身を持って償ってくるように伝えるでしょうね… 

 

▲26 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

諸説ありますが、江戸時代のような敵討ちは失敗に終わることがほとんどの為、被害者遺族に代わって国が処刑を請け負っているのが、今日の死刑制度だと読んだことがあります。 

 

であるなら、他人の人生に勝手に踏み込んで蹂躙する凶悪犯には極刑相当だと思いますし、考えたくないけど私や私の家族が犯罪に巻き込んだ、巻き込まれた場合も、納得できる判決を裁判所にはお願いしたい。 

 

納得できないのは、極刑相当だろうと思う事件でも懲役20年とか、また逆に、果たしてこの加害者には極刑しかなかったのか?と疑問に思うような判決があることです。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚になるほどの罪を犯した人の言葉が模倣の抑制になるとは私は思えません。 

自分が悩んでいる時にその相手はパフェを食べているみたいな本がありましたが、遺族が苦しんでいる時に加害者が立ち上がって前を向こうとしてはいけないと思います。極刑でしか償えない、極刑でも償えない罪があるのだから、むしろ無期懲役と極刑の間に拷問に近い刑罰を増やしても良いくらいだと考えます。日本は遺族が直接罰を与えることは許されないのだからせめて司法は被害者や遺族の無念を少しでも晴らすものであってほしいと思います。極刑になるほどの罪を起こさなければ執行されることはないのだから極刑はあって当然だと考えます。 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

加害者は命を奪いました。奪われた被害者は戻りません。ご遺族は他者に命を奪われたことに対して、怒り、悲しみ、絶望感等様々な感情を抱いて生きていくでしょう。ご遺族の心の傷は、それこそ死ぬまで消えない。自身の死さえ殺された被害者と関連づけるでしょう。 

加害者のご親族の気持は想像するところですが、被害者のご遺族の気持を想像するに、配慮しきれないものかと思います。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

父親から虐待を受けていたような話があったと思うのですが、その方とは違うのでしょうか。 

事件を起こして、たくさんの人を傷つけ、苦しめ、殺めてしまいましたが、生い立ちも壮絶なものだったと記事で拝見しました。 

家庭環境が悪いから罪を犯すわけではないが、罪を犯した人の生い立ちを聞くと、悲しい苦しい気持ちになる事が多いです。 

 

こんな事を今更答えるのなら、罪を犯す前にできることが沢山あったでしょう。 

 

▲4 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

私は死刑の存在自体には賛成です。 

ただし極刑の定義は恩赦の及ばない終身懲役刑で然るべきと考えます。 

何故なら死とはある意味で救済であり、最も苦痛に満ちた罰は、人権を剥奪された生にこそあると考えているからです。 

また人命の重さに個の優劣が無いとすれば、殺人を犯した時点で、自身の命と同等の価値を破壊しただけでなく、その関係者の心にも癒えない傷害を加えることになるのです。 

であれば、被害者家族が慈悲の意を表すまでは、苦痛に満ちた生を与え続ける事も検討の方があるのではないでしょうか。 

 

▲19 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

話し合い、考える事は大切だ。 

殺された人達や遺族達は、問答無用に殺されているのだから加害者遺族の気持ちに配慮する必要はない。 

そう一蹴する事は簡単だが、遺族もまた被害者である事を忘れてはいけない。 

 

子どもを殺された親の気持ちは想像を絶するが、子どもが他の人を殺し、死刑になる親の気持ちもまた想像できないほど辛いものがあるだろう。 

 

死刑制度には、反対でも賛成でもない。 

しかし、死ぬ事で罪を償うという解釈やルールを変える事には賛成だ。 

死刑囚の最も辛い所は、執行されるまでの時間だと思う。 

死刑では、死ぬ事が刑であり、死ぬまでの苦痛は形に含まれない。だから、死刑囚本人からも早く執行してくれという要望を出せる。 

 

死ぬ為に健康に過ごす。それが明日か5年後か10年後かわからない。 

それは、死という恐怖を最大限に高めていると思う。 

最近は死ぬだけでは生温いと思うほど凄惨な事件が多すぎる。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者、その家族や関係者が最も心を痛め人生や色々な影響を被っているのだろうな、と思います。 

そして加害者の親はまた複雑な思いもあるのでしょう。 

 

それらは恐らくどちらかに自分の意思が傾くので、どちらかは否定されてしまうし、それは加害者の親の気持ちは否定されがちなのだと思います。 

それでも「その立場になってしまった方」のお話しも聞ける場があっても良いと思います。 

聞いた結果、やはり納得いかないというのもあるとは思いますが。 

 

若い時は勧善懲悪が叩き込まれていましたが、人の親となって初めて加害者側の関係者の気持ちを考えるようになりました。 

結果は勧善懲悪に収まるのですが、多様性の時代、視点も広く受け入れると感じ方もまた少し変わるものだと知りました。 

 

▲1 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

賛否両論ありますが、我が子がとなると簡単な話じゃないだろうな。生まれた時、幼少期の記憶や思い出全てが思い返されやるせ無い気持ちになるだろう。育て方が悪かったのかどこが悪かったのかと思い悩む日々。確かに許される事では無いが親の立場になると言葉にならない気持ちになりますね。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

実行犯の犯人が、事後に罪を認識して一生の中で贖罪を考えて行くと言うのもひとつ。 

本人がそこまで理解しているものか、分からないまま、刑罰を受けこの世から居なくなるのも、ひとつ。 

犯人の知人家族なども衝撃を受け、辛い思いをするかもしれないが、それも犯罪という罪の代償として避けられない結果ではあると思う。 

納得できない面もあるだろうが、それも広い意味で被害者ではあるのでしょう。 

結局、罪を犯した人間は、ただ単純に直接の被害者に対してだけ罪があるという訳ではない、何もしてないはずの自分の家族などにも被害を与えるし、そもそも、加害者とも被害者ともほとんどが赤の他人である人たちの集団の社会というものに対しても、ダメージを与えているのです。心理的に。 

そういったことを、ひとつひとつ、考えたとき、たかが表面的に人権だ、死刑廃止だということが何の指標になるのでしょうね。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

加害者のケアや処遇を考える前に被害者とその遺族の悔しさ、無念さ、怒りを先ずは第1に考える法体系であって欲しい。 

確かに加害者の命を奪うことで全て完結とは思わないが、犯罪者によって命を奪われた被害者とそのご遺族の感情をケアする事が最も大切ではないでしょうか? 

だから単純に死刑廃止ともいかないとも思うし、無期懲役とも言えないと思う。 

ただ、日本も無期懲役ではなく、終身刑の導入は検討してもいいのではないでしょうか? 

 

▲23 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

冤罪の可能性がある場合は別にして、死刑制度は、廃止するべきじゃないと思います。正当防衛や緊急避難以外の殺人に対する抑止になり得るからです。この父親の気持ちは、分からないではないですが、それは同時に被害者の方々の親御さんの気持ちでもあります。そこに思いを致されれば、息子さんの死刑執行を受け入れるべきかなと。 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

殺害された遺族の方たちが死刑制度に反対しているなら分かるが、自分の子どもが死刑囚で執行されたからってのがな 

「死刑相当の事件を起こしても大事な息子に変わりない」という気持ちが強いのかもしれないが、突然命を奪われた遺族の方たちの気持ちを考えろと 

執行日は告知されないらしいが、面会できて言葉をかける事ができて幸せだと思うべき 

言葉をかけることもできなかった人達を救う為の1つの手段でしかない 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行のボタンは3つあってどの執行官が押したボタンが当たりだったのかを執行官の呵責をやわらげるために分からないようになっていると聞きます。 

もしも本当に天国や地獄があるとしたなら、死刑執行の時にそのボタンが当たっていた場合、執行官はその時は当たりかどうか分からなくても死んだあとに「あなたは人を殺しましたね」と言われて地獄行きになるのだろうかとふと思った。 

業務とはいえ、日本人が勝手に作った人間の法律の道理が果たして閻魔様に通用するのだろうかと。閻魔様が日本人の法律に合わせてくれる筋合いなど無いとしたら。そう考えると戦争で相手国の兵士を殺した場合も国の為とは言ってもその指示を出したのは閻魔様から見れば他と同じただの人間。人が人の指示で人を殺したのは悪い事として、やはり地獄行きなのかなと。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

模倣への発信とありますが、では逆に36人の大切な我が子を失った遺族は、たった一人の命で感情を抑えられるのか、未来を向いて生きていけるのか。 

 

まずは、このような凄惨な事件を起こさないような環境に置けなかったのか育てられなかったのかどこで道を誤ったのか考えていただきたい。 

 

加害者よりも被害者に寄り添う社会であって欲しいし加害者ができうる限り減る未来になりますよう。 

 

遺族の皆様が少しでも明るく過ごせますように。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

お気持ちはわかります。わかりますが、まず尊重すべきは被害者遺族であり、被害者の親であるはず。 

 

被害者遺族の無念を思えば、加害者に最も重い罰を望む気持ちは当然ですし、それに対して反対意見を述べるのは簡単ではありません。 

 

一方で、死刑囚の家族も罪を犯した本人ではないのに、家族として背負うべきではない悲しみや葛藤があるのは間違いありません。 

 

「親としての気持ち」と「社会の一員としての責任感」の間で揺れる様子は胸に響きます。 

 

加害者の命を奪うことで終わらせるだけでなく、彼らがその命で何を残せるかを考える視点も重要だと思います。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の子供でも全くの関係のない人を交通事故は別にして殺してしまったら死刑は仕方がないのでは… 

殺人は殺そうと思って殺害しているのだからその罪は重い。 

自分の命も同様になくなさければならないと思います。 

殺害されてしまった人にも親御さんは居るので殺害してしまった親御さんの気持ちもわかるが… 

他人の命を奪ってしまった事は変わらないので自分の命も同じ様にしなければならないと思います。 

 

▲10 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

「そんな簡単に、自動車の部品を取り換えるようには捨てられない」。自らが育て、共に暮らした存在だから。 

自分も子を持つ親なので気持ちは分かる。でも感情ではなく起きた事実と結果で判断されなければならない。 

 

親が拘置所へ面会に通っても改心が伺えないってどうなんだろ…よほど心に深い傷があるのか。 

起きた事の重大性、また被害者や遺族のことを考慮すると仕方ないと思います。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この事件 もう執行されてたのは知らなかった 

瀕死の重傷を死刑判決の可能性の高い裁判に臨ませる為に処置した医師たちもいる 

 

犯人の気持ちは知らないが被害にあった人達はそこで働いていただけで加害者とは全く繋がりもない ただ働いていただけで突然火に巻かれて苦痛の上に亡くなられている 

親としての本音なのだろうけど余りに理不尽すぎる行為を考えてみてほしいとは思う 行為に走る前に止めれるのも親じゃないのかと思う 対話や交流がなかったというなら今になってそれをいう親のつくった家庭環境だからとさえ思えてしまう 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

どういう事件か知らないが、世の中の理不尽や生活環境の理不尽に怒りを覚える気持ちが、誰にでもある。そういう事件なのだろうか? 

幸せそうに見える人、輝かしい将来がありそうな子供に、強い嫉妬が私にはある。 

カリタス殺人事件の加害者には強く同情している。カリタスの教育は、生徒に身近な人を救う心を教えていなかったので、全く非がなかったわけではないと思う。 

恵まれた人にも、理不尽は降りかかるという意味で、公平さを私は感じた。 

 

▲0 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

それなりのことをしてるのだから、判決は公平だと思う。今は裁判員裁判なので私としては公平さに差が出てると思う。事件によっては男性裁判官だったり女性裁判官だったりでこれまた差が出てくる。確固たる証拠が揃ってて本人も認めていれば冤罪もなくなる。疑うは罰せず・・・も実は怪しい。ほくそえんで普通に生活してる犯罪者も少なくない。 

若ければ尚更出てからのことが心配。理想は終身刑を導入してもらいたい。また民間刑務所も。安心してみんなが暮らせる日本にしてもらいたい。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑を肯定否定ではなく被告を殺してしまってそれでおしまい!って事はどうなんだろうか?被告を殺す以上に何か今後の犯罪の抑止力になる利用方法はないものか?とは考えてしまいます、被害者家族の心情だけが刑の執行ではなぜ犯罪はおきたのか?って未来への糧には何もならない、被害者には申し訳ないが、被害者の犠牲を糧に平和な社会を作るきっかけにもなるべきだと客観的には思う。 

 

▲4 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

私は必要だと思います。 

申し訳ないが被害者遺族の意思だけでいいと思ってます。 

加害者側の人権や意思は何一つ必要ない。 

人の命を奪うというのは、そういうことだと思います。 

あくまでも殺人事件に関してですが… 

勿論、色んな意見があるのも大事ですし死刑反対の方の意見も尊重されるべきです。 

この議論はずっと続くのだと思います。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

息子への思いは分かるけども息子がしてしまった事、亡くなった方々にも親なり子なりある中で生きれるまで生きて肩身の狭い中生活してほしかった。日本も罪の数だけ刑を重くしてほしい。あまりに早い死刑執行な気がする。被害者遺族への詫びの気持ちより息子への想い、出所しても面倒見切れないけど生きてなど身勝手すぎる親がこんな息子を作り出したのかもしれないですね。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ここまでになると縁を切って良いと思う。 

そこまで親が負うことは無いように思う。 

しかし、自分が育てて行く中で、自分が気づかない誤った点があったのかもと振り返って放っておけない気持ちもわかる。 

「三つ子の魂百まで」とあるようにもしかすると3歳までの子育ての過程で何か間違った点があったのかもと思ったりしそうである。 

そういう私だって親の思うように、よく世間では良いじゃ無いと思うような道を歩めてないし。 

気づけば、自分自身だってこんなはずじゃ無かったぞと思うことが山盛りである。 

なかなか人生難しい。 

35歳までは、親が生活の基盤も確保してくれてたのかと思う。 

中年以降は自分の足でそれまで築き上げてたかどうかで変わってくる。親頼ってたらこれから自分でやっていかないといけない事実に気づく。 

中年以降にまた新たな道をいかないといけなくなる。 

それまでの当たり前が通用しなくなる外部環境が変化する。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学生時代、刑法ゼミに参加して卒論は「死刑存廃論」を書いた。 

基本的に内容は「廃止論」として書いた。 

書くにあたってはいろんな刑法学者の本を読んだ。 

ほとんどの方は「廃止論者」でした。 

唯一「存続論者」の方(日本大学の教授だった)がいて、もう詳細は忘れたけど、「死刑制度をなくすと正義がなくなる」と論じていたのだけはハッキリ覚えてる。 

あれからもう40数年経つけど、感情論をぶつけて「死刑存続」を叫ぶのはいまだに違うと思う。 

とは言っても国際アムネスティなどが言う「人権問題」も賛成しかねる。人権問題にしてしまうと被害者の人権は?という話に必ずなる。 

 

▲6 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

親として子どもの命を惜しみ、悲しむことは分かると言えばわかる 

だけど、同じように殺された方の親御さんの気持ちもわかる 

殺される理由もなく、いきなり我が子が殺されたら…。 

殺した側と殺された側。 

殺した側の親、殺された側の親。 

 

それでも殺された側の親の気持ちを少しは考えてもらいたいなと思うのは我儘だろうか。 

同じ殺された側の立場に立ったなら…そんなことを言う相手をどう思うだろうか。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

親として子供が先に亡くなること程辛いことはない。 

死刑に処された親の気持ちは分からなくはないが、まだ刑に処されるまでに時間がある分気持ちの整理や覚悟ができる分有り難いと思うべきだと思う。 

殺された方の親はそんな時間はなく、悔やんでも悔やみきれない気持ちのまま現実を受け入れなければならないのだから。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ひどい犯罪が起きた時に、なぜ私たちは報復や処罰を求める気持ちが沸き起こるのでしょうか?また、戦争の時には敵を殺すことが罪に問われないどころか、むしろ称賛されるのはなぜでしょうか? 

 

私は、処罰感情は社会を守るための仕組みだと考えます。社会の敵は確実に隔離しなければ、再び禍をもたらす可能性が高いからです。したがって、凶悪で社会に大きな害をもたらす可能性が高い者の命を奪うことは、社会の善良な人々が安心して日々を暮らすために必要なことだと思います。 

 

犯人の命を奪っても被害者は返ってこない、だから、死刑には意味がないとよく言われますが、死刑は亡くなった方のためにあるのではなく、生き残った遺族や一般の人々が未来に希望をもって、安心して暮らしていくための仕組みだと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私には至極簡単な問題だと思えてならない。 

加害者の身内も被害者の身内も苦しまない方法、それは極刑になるような犯罪を犯さなければ良いだけ。 

日本はただでさえ刑罰が軽いのでは?と声が上がっているのに、この様な記事が未成年犯罪のような犯罪者優遇意識を社会に生み出そうとする思考がとても危険だと思う。 

被害者親族の方の中に極刑に反対の方も居ると発信しているが、その意見だけを取り上げている事も誘導的でとても巧妙に感じる。 

 

▲5 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

殺された方も誰かの息子であり、娘であったはず。考えたくないけど、もし我が子が殺人を犯し、死刑になった場合、親だったら、長く生きてほしいなと思ったり、死刑執行の知らせで泣いてしまうことは分かる。だけど、その想いをメディアに話すのはどうかなと思う。被害者の方の事を思ったら、墓場まで持っていく感情だと思う。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

殺人という罪をどうとらえて、その罪をどう償うのか、って思います。 

私にも子供もいるけど、子供が殺人を犯した、殺されたってなると親 

としての立ち位置は全く異なる。 

 

私は後者の殺されたもしくは死んでしまったのなら、不慮事故以外は 

徹底的に追及します。でも、自分の子が普通に生活し何の意図もなく 

不慮の事故で人様の命を奪ってしまった以外、我が子であっても死刑 

は受け入れる。それは逆の立場のこと考えると、どうしてもそう思っ 

てしまうのです。 

 

▲70 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の子供をそれだけ愛してるなら、その息子が奪った人にも同じ様に愛し愛されてる人がいた事は想像に難くないだろう。 

私見だが、生命には生命をもってしか償えないと思う。 

もし、自分の子供が同じ様に罪を犯したら、子供に生きてほしいと思うと同時に、きっちりつみを償ってほしいとも思う。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

親として我が子の命が絶たれる事に痛みや悲しみを持たないはずはない。そこは理解できるが、現在の凶悪殺人事件を見てると正直言って個人的には死刑でさえ生ぬるいと思ってしまう。そんな事を考える自分も嫌にはなるが被害者が受けた苦痛や恐怖と同等以上の痛みを味わった後に刑に処してほしいとさえ思う。死刑という制度がいかに残酷な制度なのかと言う事を議論するよりも、残酷な凶悪事件がなぜ起こり、どうすれば少しでも減らせるのかの議論の方が先だと思う。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

殺害された被害者と、そのご家族や親しい人のことまで考えられるなら、自分の子どもだろうと死刑が妥当だと思えるのでは?と思うのは、他人だからだろうか。 

自分の子が、無惨に殺された場合はどう思うのだろう。それでも死刑について考えるだろうか。妥当だとは思わないだろうか。 

 

被害者家族が熟議するのは、意味があるのかもしれない。けれど、犯罪者家族がそれを熟議しようと、聞く気になれないというのが素直な感想です。 

 

▲27 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

決して犯罪を犯した人を庇うわけではないけど。 

子どもを育てるって難しい。 

自分なりに愛情を持って、過剰に期待することなく、でも突き放すわけじゃなく、なるべく話はきいて、試行錯誤しながら育てても、兄弟姉妹で全然違って育つ。 

犯罪を犯す前に親が…という人いるけど、それができるなら、全親そうすると思う 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

小学生2年生の息子がいますが、8歳にして人間として踏み越えてはならない一線をしっかりと認識しています。 

 

「そんな自分がされたら怖いことや痛いことは人にしちゃいけない」と本人が口にします。 

 

そのような一線を超えてしまうのは教育なのか?なんなのか?人類はまだ分かりません。 

 

死刑判決を受けた人間の精神性や思想、思考回路を分析して、犯罪者になりうる人間にならないように活かしてほしいです。 

 

死刑にされる息子を持つ苦しみよりも、ある日突然大切な家族を奪われた被害者の方がきっとツライと思います。 

 

もし、自分の息子が死刑囚となってしまったなら自分から差し出すくらいの覚悟を持って裁判や判決に臨みます。 

なぜ人を殺さなくてはいけなかったのか?はしっかりと本人に向き合って、同じような人間を生まない活動をすると思う。 

 

▲1 ▼0 

 

 

 
 

IMAGE