( 256168 ) 2025/01/27 18:02:52 2 00 「日本最北のローカル線」で異色の“急行”が運転へ 所要時間は6時間超えのロングラン乗りものニュース 1/27(月) 10:42 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9faf38e5e598e9352db4e037bf26387b5ea361a4 |
( 256171 ) 2025/01/27 18:02:52 0 00 JR宗谷本線の車両(画像:写真AC)。
JR北海道は、「春の臨時列車」として、宗谷本線の旭川~稚内間で観光列車の急行「花たび そうや」を2025年5~6月の一部日程で運転します。
宗谷本線は、旭川と稚内を結ぶ日本最北の鉄道路線。「花たび そうや」は例年、5~6月に運行される観光列車です。
列車は4両編成(全車指定席)で、キハ40形「流氷の恵み」「急行宗谷色」、およびキハ54形で運転される予定。所要時間が6時間を超えるロングラン列車となります。
稚内行きの運転日は5月10、17、24、31日。途中停車駅は比布、士別、美深、天塩中川、幌延です。旭川行きの運転日は、5月11、18、25、6月1日。途中停車駅は豊富、音威子府、名寄、剣淵、和寒、塩狩です。
乗りものニュース編集部
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( 256172 ) 2025/01/27 18:02:52 0 00 =+=+=+=+=
宗谷本線は、学生時代に旧型客車の普通列車に乗車したことから始まって、今に至るまで大好きな路線です。
特に、車窓からの天塩川の眺めとサロベツ原野の何もない風景をぼんやりしながら眺めるのが至福の時間。普段の慌ただしい生活からするとそんな時間を過ごすことができる路線に乗車できるなんて、何て贅沢なことかと思います。
JR北海道のいわゆる「黄色路線」(地元自治体の一定の負担を前提として存続を目指す路線)に分類される路線ですが、末長くあの車窓を眺め続けられることを願ってやみません。
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その昔、北海道の夏は周遊券で回る若者で賑わっていて、「利尻」などの自由席はいつも満席でした。札幌から稚内まで旧型客車の4人向かい合わせの席で朝まで過ごすのは修行でした。座席の下の床に寝る強者もいて、白い制服をびしっと着た車掌さんが笑みを浮かべながら跨いで行ったのが印象に残っています。宗谷と天北はキハが多かったと思いますが、天北が客車の時、昼行でしたが寝台車が座席で使われていました。寝台の窓から見える雪に覆われた大地を静かに走るブルートレイン。よかったなあ。
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商業繁華な旭川の都会を抜けると、威厳ある大雪山系を遠くに見くに比布原野の奥行きに感嘆する。 塩狩峠の難所に汽車の有難さを痛感し、和寒から名寄の田園風景に開拓にかけた先人の苦労に思いを馳せる。 名寄を過ぎるといよいよ人家も疎らになり、美深を過ぎると人界遠のき最果てが近づいていることを感じ取る。 音威子府でかの有名な黒い蕎麦を食べ、かつて縁の地へもう一つの鉄路があった頃の時代の駅の喧騒を想像する。 汽車はさらに北へ進む。天塩川の大きくゆっくりした流れに息を呑み、内地では珍しい植生の森を見ながら幌延へ至る。 ついに田畑は見なくなり草原に酪農多く見るながら石油温泉の豊富へ。花咲き誇るサロベツ原野もここからと聞くが、汽車の旅は北へ。 無限に広がる背の低い笹薮を見ながら遠くへ来たものだと考えていると目の前が開けて日本海。そして向こうには利尻富士。 そして、6時間の思い出を乗せて汽車は最北の地稚内へ。
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宗谷線に乗って原野や森林、天塩川を眺めながらボーッと数時間を過ごす時間の贅沢さに、最近はまっている。人には「3時間も4時間も、何しているの?」とか聞かれるけど、景色は寂しくなるのに、最北に向かう気分が妙に高まる。稚内に着いたら、ロシア語がある道路標識を見なが街を歩き、夕食にたこしゃぶ。それがまた楽しい。レンタカーで岬まで飛ばす。
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急行列車がほとんどなくなり、今は特急と快速という大きく分けられてしまったけど、始点から終点まで所要時間が1、2時間程度なら快速でもいいと思いますが、長距離の区間なら「急行」という肩書のつく列車もあってもいいのではないかと思います。
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稚内発着の急行列車といえば、宗谷・利尻・天北なんかがありましたね。確か利尻が夜行で客車列車だった関係で、それと組合せになる急行列車が客車列車で、宗谷と天北のそれぞれ片道がそれだったかな。宗谷本線の優等列車が「特急」になると聞いて驚きました。車両設備はともかく、特急らしいスピードで走れるの、と。 最近の特急は、停車駅でエリート感のあるものは限られるし、追加料金を取る車両は同一線区の車両の相対評価的な部分もあって快速でも良い車両はあるから、特急車両を使用しても停車駅の多いものは「急行」に格下げすべきだと思うんですよね。その分、「さほど高くない追加料金を払って気軽に使う」客を増やすべきでは? 元国鉄で「急行」なんて表記を頻繁に見るのは、ハイウエイバスくらいのものか?
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急行宗谷号ですか…国鉄時代はもっと長い 函館始発の、長万部、倶知安、小樽、札幌、 岩見沢、旭川、名寄、音威子府、幌別経由 の稚内行きでしたね。 懐かしい青函連絡船からの接続時間に、 瓶コーラやら食パンやらバターとハムと ジャムやら三角パックの牛乳やら買い込んで 準備しても、お尻と腰が悲鳴を上げて、 鉄道の街だった岩見沢で途中下車した記憶。
こんな鉄道旅行を思い起こさせてくれる 旭川始発稚内終着の臨時急行花たびそうや号 運転ですか…。 5月6月運転という事は遅い春の訪れと梅雨 が無いとされる、北海道北部の鉄道旅行を 満喫出来るかも?
たぶん停車する各駅の自治体が声を掛け合 って、乗客へのおもてなしと軽食とお土産品 の物販を、駅のプラットホームで実施して くれるでしょうから、我と思わん勇者の 参加をお待ち申し上げています。
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異例なのは所要時間よりも、令和の時代にJRの「急行」が走ることだと思う。 速度の遅い有料列車や観光列車等、猫も杓子も「特急」を名乗っているが、そろそろ列車種別を見直したほうが良いと思う。
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北海道の空き地や外国人が取得しそうな場所は国が管理すべき。
貸付は構わないけど、日本国に帰属させないと。
ぶっちゃけ、北海道のある程度の自然は国立公園にして管理して、観光として活用すべきだし、それ以外は、国が管理して農地、畜産業を再興させるべき。
JR廃線区間は、国営で運営すれば良い。
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鉄道旅行に目覚めた40ウン年前は急行列車が多数走ってましたね。 名古屋に住んでいて、関西線だと「紀州・かすが・平安」という3階建て急行。紀伊勝浦、奈良、京都行でした。東海道線だと「比叡」。中央線だと「きそ」「赤倉」。高山線で「のりくら」「たかやま」。飯田線だと「伊那」。それぞれ間合い運用で普通列車に使用されていて、無料グリーン車が大人気でしたね。でも通勤時間の列車遅延が起こりやすく、そこは困りましたけど。
今や、急行列車の存在意義が、車両のグレードにしても所要時間にしても、薄れていますから、ほぼ運行されていないのも仕方ない事です。 でもニーズのある所には、再び運行して貰えると嬉しいですね。
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50年も昔の話しだけどお盆時期とかの急行は4号車の次に「増結4号車」とか追加して10両近い編成で、駅によってはホームから外れる車両も有ったものだが…。 人も減ったし移動手段も増えたことで寂れるばかりなのはやはり悲しい。
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「礼文」用のキハ54はラストの3両が転換クロスシート…新幹線から流用されてましたっけ。 「宗谷」は14系客車からキハ400、480とキハ183系の中間車、スハネフ14(幌を気動車に合わせた)が使われ、繁忙期にはキハ56が応援に入るという「珍編成」が登場していました。
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全車指定席と言えども、席は向かい合わせのマス席ですよね。 向かいの席の方と話が合わなければ、一人で全線6時間乗車はちょっとつらいかな。4人グループで行くのが一番良いのかもしれませんね。
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昭和57年 中学の修学旅行の時 稚内発函館行きの急行列車に乗って行きました。確か稚内発が7時頃だったかな〜 函館に着いたのが19時だったかな〜 着いたら 直ぐに函館山に行き夜景を見に行ったのを覚えています。懐かしいな〜
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2019年に上り列車が名寄に停車中に東日本の風っ子が試運転している場面に遭遇したな。
乗車するためには前乗りで旭川に宿泊するか、上りだけなら夜行バスで稚内に入らないといけない。上下列車に乗るなら金曜日はまず休暇取らないといけないな(サービス業なのでシフト次第では金土日か) 肝心の指定席は取りやすいですか?
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残り少ない国鉄型のキハ40にキハ54で運行するのが良い。 急行あっての特急=特別急行。 季節運行で良いのでこれからもこの編成で定期運転して欲しい。
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行きと帰りで途中停車駅が違うというのが面白いですね。全車指定席の観光列車となっているから出来る事なのだと思います。
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只見線の急行時代が懐かしい 飯山線も磐越西線もキハ58と28は急行の花形だったなと覚えてる もっと昔が長編成で上野から出ていたんだなというのが驚きだった
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キハ54急行と聞いて急行礼文を思い浮かべました。80年代後半は宗谷、天北が冷房化のためなのか客車化された時、唯一専用仕様キハ54気動車急行で走っていた時期がありました。
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1度宗谷をとおしで乗ったけど、お尻痛くなってくるんですよ。美深過ぎると同じ景色が延々続くからやられるんですよね。
これはボックスシートでしょうか。対面または隣人ガチャ失敗したときの悲劇が… またソロだと3VS1になる可能性も…
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かつて函館稚内の急行「天北」があった。その名の通り天北線経由で走った。北海道ワイド周遊券利用の鉄オタ以外全区間乗り通す客は皆無だっただろう。
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1960年代前半生まれのわし。 国鉄急行で長く電車に乗った記憶を呼び戻す。
①名無しの寝台急行 1969年? 仙台23時30分→上野5時くらい
②そうま1号 1970年 仙台8時→我孫子13時台
②急行千秋1号 1974年 仙台7時20分→十文字着12時40分とかだったかな。東北本線 陸羽東線 奥羽本線経由(その日は季節列車で秋田行きではなく青森行きだった)。
④急行くりこま1号 1976年 仙台7時→青森11時40分とか。 12時の青函連絡船に接続してて特急並みのスピードと停車駅だった。
⑤急行あづま2号 1977年 上野23時59分→福島5時台(長く停車)→各停になって仙台7時15分
⑥急行十和田 1981年 上野19時台→花巻5時(青森行き) 常磐線廻り
番外 特急出雲1号 東京18時台→浜田10時
番外 特急はやぶさ 東京19時→熊本12時
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むかし、何ていう列車だか忘れたけど、札幌から稚内に向かう夜行列車で、一番後ろの1両だけ空いてるなーと思って寝ていたら、1両だけ旭川で切り離されていた…
▲9 ▼1
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うわー、所要時間6時間か。 車販無いから、飲食物を買い込まなきゃキツイな。
途中駅で長時間の停車はありそうだが、キヨスクやコンビニに行けそうな時間が有るかな。 てか、駅(または駅傍)にコンビニが有るかも分からんが。
▲8 ▼9
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キハフォーティーに注目が行きがちだが、この4両編成のなかではリクライニングシートに改座されたキハフィフティーフォーが一番快適かも?
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車内は乗り鉄と鉄道系ユーチューバーで占有され 沿線では撮り鉄がクマに襲われて残当と言われる姿まで目に見えた
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中央線とか総武線と行った関東地方のローカル線にも特急や快速が走っていますね!
▲1 ▼6
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貴重な国鉄気動車列車。今から脳内でアルプスの牧場が流れてます。貴重な貴重な国鉄気動車列車。
▲4 ▼3
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気分的には キハ56系の4両で走ってほしいけど、無いもんね。仕方ない
まあなんにせよJR北海道 頑張って^^
▲7 ▼1
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問題はどうせ瞬殺されるのと、転売やーの暗躍でしょうか。 去年までみると、絶好の商材ですし。
▲0 ▼0
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長すぎる? 6時間が長いような列車ばかりになってしまい、日本の列車はつまらないと思ってしまう私がいます。
▲0 ▼0
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あぁ、なるほど。 塩狩駅の一目千本桜にはいい時期かもですね。
▲42 ▼0
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駅弁買い込んで、乗りたいです。 急行、良い響きだ。61歳おっさんより
▲7 ▼1
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特急ではなく急行というのがまたいいね。
▲33 ▼0
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途中下車して 音威子府の道の駅で 蕎麦でも 食べたい・・・
▲36 ▼1
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東日本からまた、『風っこ』を借りて走らせて欲しい。
▲0 ▼5
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この車両で急行料金取るんだ、内装はどうなんだろう?
▲0 ▼2
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「急がない」急行、いいなあ。
▲31 ▼0
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急行=観光列車だよね最近は
▲22 ▼0
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上り、下りの停車駅が全く違うのが驚き。
▲8 ▼0
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それよりも車内販売を復活させろよー
▲0 ▼3
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この色がくるのかな?
▲12 ▼0
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急いで行かない列車
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プラチナチケット。 諦めてる。
▲0 ▼0
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6時間はお尻が痛くなりそうです
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停車駅が特急より少ない急行
▲1 ▼3
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短いことが良いことなの?変なタイトル。
▲1 ▼6
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西園寺さん、ZAKIさん、出番ですよ(笑)
▲3 ▼20
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