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フジテレビの港浩一社長が、中居正広の芸能界引退を発表したが、実際に何が起きたのかは明らかにされていない。

中居はジャニーズ事務所タレントとして、後輩への配慮や事務所の人間に進言する姿勢が評価されていた。

ただし、ネット上では中居の「性加害」という認識が広まり、中居批判が加速している。

報道では「性的トラブル」などの表現が使われているが、具体的な出来事は明らかにされておらず、中居の"黒"の部分を知る人間は少ない。

当事者同士が示談を結んでいるため、事実を詳細に取材することが難しい状況である。

報道も「性加害」とは明確に述べられておらず、中居が性加害者であるとは断じられていない。

書かれた記事は安全性を保つように注意が払われているが、それが安全性だけを守りつつ他者を責める行為につながることも考えられる。

「罪」が犯罪にならない場合、その罪にどれだけの罰が相応なのか、再び議論が巻き起こることとなった。

(要約)

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1月28日のやり直し会見に出席したフジテレビの港浩一社長 - 撮影=石塚雅人 

 

■結局、何が起きたのかわからないまま 

 

 中居正広が芸能界からの引退を発表した。これまでの多くの芸能人が、何かしらの過失をきっかけに引退や活動休止に追い込まれることはあった。だが、この件が特異なのは、実際に何が起きたのか中居本人も、被害女性も、そして社員が関与したとされるフジテレビも明らかにしないまま、中居への批判の声が高まり、引退にまで発展したということである。 

 

 フジテレビの港浩一社長は27日に二度目の会見を開き、自身と嘉納修治会長が問題の責任をとって辞任すると発表した。だが、肝心のトラブルの内容については「事件性はあったのか」という記者の質問に対し、被害女性のプライバシーも踏まえて「わからない」と繰り返すのみだった。 

 

 なぜ、このような事態になったのか。問題をひもとく前に、かつてジャニーズJr.のオーディションを受け、ジャニーズの活躍を追った『ジャニーズは努力が9割』(新潮社)を書いた立場として、ジャニーズ事務所タレントとしての中居正広の存在意義を考えてみたい。 

 

■「ジャニーズ司会者」の先駆けだった 

 

 今やジャニーズ事務所のタレントが、バラエティ番組のMCをしたり、報道番組や情報番組に出演したりすることも珍しくない。その先駆者は中居である。歌番組冬の時代にあって、いち早くバラエティ番組に進出し、「サンデージャングル」(テレビ朝日系)といった報道番組の席にも座った。それは、後輩たちの仕事の幅を大きく広げていった。 

 

 後輩への配慮も欠かさなかった。Kis-My-Ft2がデビュー10周年を迎えた際には、白いマイクをプレゼントするなど、常に後輩を気遣ってきた。その対象は、事務所に所属し続けている者に限らない。中居は、赤西仁がジャニーズ事務所をやめた後も、人づてにお年玉を渡し続けたという。それは中居なりの「無関心じゃないよってこと」を伝えようとした行為だったといい、赤西も「寂しいときに救われた」と感謝を示している。(フジテレビ「まつもtoなかい」2023年12月17日放送) 

 

 また所属タレントのためなら、事務所の人間に進言することも厭わない人物でもある。Sexy Zone(現・timelesz)はデビュー当初5人だったが、事務所の意向により3人での活動を余儀なくされた時期があった。メンバーの菊池風磨らが“ガチ切れ”しても事態は動かなかったというが、ある日、事情を知った中居が事務所の“偉い人”に「Sexy Zone、5人でやらせてよ」と直談判。その後、5人で活動ができるようになったといい、松島聡は「恩人です」と語っている。(テレビ朝日「見取り図じゃん」2024年12月10日放送) 

 

 

■「かわいそうじゃねーかよ!」 

 

 光GENJIが解散した際には、若くしてグループがなくなった、自分より1歳年下の佐藤アツヒロの将来を慮り「ふざけんなよ! あいつは10代でデビューして、まだ22でいきなりやめるってハシゴ外されてさ……かわいそうじゃねーかよ!」と事務所の人間に対して激怒していたともいう(JFN「V6 Next Generation」2017年8月12日放送)。若い頃から近年に至るまで、“仲間を守るため”に進言する姿勢は一貫しているのだ。 

 

 また、中居は、2023年には男闘呼組のラストライブツアーにも駆けつけてステージ上に上がってマイクを握るなど、先輩との交流も続いていた。前田耕陽は、男闘呼組のメンバーを中心にしたバンドRockon Social Clubのメンバーに迎え入れたい人を聞かれ、中居の名前を挙げていたほどだった。(文化放送「おとなりさん」2023年3月28日放送) 

 

 自身が事務所を退所しても、先輩とも後輩とも交流を続け、その架け橋になり続けたのが中居正広だったのだ。奇しくも、この件でお蔵入りになったとされる「だれかtoなかい」が、V6の岡田准一、田原俊彦、少年隊の植草克秀が出演するものだったというのも象徴的だ。 

 

■週刊誌は「性加害」とは書いていない 

 

 ここにあえて、中居の“白”の部分を記述した。だが、その白は今回問題になっている“黒”を帳消しにするためのものではない。薄めようとも思っていないし、薄まるものでもないと思っている。 

 

 ただひとつ言いたいことは、中居が抱えている“黒”の本当の中身を知っている人間はこの世にどれくらいいるのか、ということだ。中居側が1月9日に発表した文書に書かれているのは「トラブルがあったことは事実」「手を上げる等の暴力は一切ございません」ということのみであり、それがどんな種類のトラブルなのかすら、当事者の言葉としては説明されていない。 

 

 あるのは週刊誌の報道と、それに追随するマスメディアの報道、そしてネット上での声である。 

 

 最初に報じたのは『女性セブン』(2025年1月2日・9日号)で、そのときのタイトルは「中居正広 巨額解決金 乗り越えた 女性深刻トラブル」だ。ここでは「2人の間に深刻な問題が発生し、トラブルに発展してしまった」という関係者の発言はあるものの、実際に何が起きたか、そしてそれが性的なものなのかも書かれていない。そしてタイトルからして過去の話であり、中居が“乗り越えた”という立て付けである。 

 

 

■ネットは「性加害を矮小化している!」と批判するが… 

 

 続いて『週刊文春』(同)が、「中居正広9000万円SEXスキャンダルの全貌」というタイトルで記事を出し、リード文には「2023年6月、20代女性X子さんと中居の間で深刻な性的トラブルが勃発」と書かれているものの、具体的に何があったのかは書かれていない。 

 

 「SEXスキャンダル」とタイトルにはあるものの、本文中ではその言葉は登場せず、性行為があったのかどうかも、もちろん明示されない。「SEXスキャンダル」は「性行為があった」という意味ではなく、「性的トラブル」を扇情的に言い換えたものだと解釈することもできる。 

 

 年が明けて中居が声明文を出すと、テレビや新聞なども大々的に取り上げるようになったが、その際も「女性トラブル」という言葉が多く使われている。 

 

 これに対してネット上では「性加害を矮小化している!」といった批判の声も上がっていたが、意図的に矮小化しているのではなく、各社「裏が取れていないから性加害とは書けない」のが実情なのではないだろうか。 

 

■当事者不在のまま“中居叩き”が加速していった 

 

 『週刊文春』の報道は翌週以降も続いているが、矛先はフジテレビに向いており、2人の間で何が起きたかは詳報されていない。これは、何があったかを知る当事者同士が、示談をし、守秘義務を結んでいる以上、当然のこととも言える。今後も、実際には何があったのかは詳細に取材しづらいだろうし、トラブルの相手とされる女性がそれを望んでいない可能性もある。 

 

 つまり、ここまでの流れをまとめると、主に『週刊文春』が発した情報をもとに、SNS上のネットユーザーたちが「性加害だ!」と大量に投稿し、それにテレビ局やスポンサーが反応し、放送中止や打ち切りなどの対応を取っていき、ひいては中居の引退にまでつながってしまったということである。騒いでいるネットユーザーの大半は『週刊文春』のもとの記事自体を読んでいるか疑わしいし、ネットニュースの中には「『週刊文春』がこう報じた」というだけのことを配信する媒体もある。 

 

 こうして、“わかったつもり”になる人が増殖。実際に何が起きたかはわからないまま「中居正広は性加害者」という認識が広まり“中居叩き”が加速していった。怒りの矛先は「女子アナの上納だ!」とフジテレビにも向けられ、多くのスポンサーがCMを差し控える動きが加速している。 

 

 

■その書きぶりは安全でもあり、“狡猾”でもある 

 

 中居自身にも関連するテレビ局にも多くの損害が出ているわけだが、これに対して“焚き付け役”である『週刊文春』は、責任を負うことはないだろう。『週刊文春』が書いているのはあくまで同誌が取材した中でわかった“性的トラブル”があったということであり、中居が性加害者であると断じる内容ではないからだ。 

 

 その線引きは、相当に考えて記事が出されているはずである。筆者自身、先月、文藝春秋から『夢物語は終わらない 影と光の“ジャニーズ”論』を出版したが、その際も厳重に法務部のチェックが入った。それは倫理的におかしな部分がないか、訴訟リスクがないかなどをチェックするものだと説明され、それは書き手としては安全だと感じられるものでもあった。 

 

 だが、そのチェックの目的が、記名のない週刊誌による、他者を責め、ネットユーザーを焚きつける機能を持ちながらも、自らの安全性だけは守ろうとする行為だとすれば、それは“狡猾”とも言えるだろう。その線引きを間違えば、文藝春秋側が訴えられる可能性もある。 

 

 最近でも、文春オンラインに2019年に掲載された〈「あの人は私を2週間毎晩レイプした」広河隆一“性暴力”被害者が涙の告発〉という記事は、見出し部分に不法行為が成立するとして、文藝春秋に55万円の賠償を命じる判決が出たばかりである(文春側は控訴する方針)。 

 

■解決済みの事案で人はどれほどの罪を受けるべきか 

 

 もちろん火元の『週刊文春』だけではなく、その責務は匿名のネットユーザーたちにも向けられるべきである。「強い言葉」のほうがインプレッションを稼ぎやすいSNSの世界の中では、無責任に他者を責める言葉が溢(あふ)れていく。 

 

 その中で、「性的トラブル」は「性加害」になり、中居正広は「性加害者」になっていき、中には「犯罪者」というような言い方をされることもある。言うまでもないが、刑事事件にはなっておらず、有罪が確定したわけでもないので、犯罪者ではない。 

 

 もちろん、筆者は、中居に罪がないと言っているわけではない。個人的な感覚で言えば、誰かを害した時点で、それは罪であると考えている。 

 

 性加害や暴力行為などわかりやすい加害行為ではなくても、誰かの心を傷つけ、害した時点でそれは罪ではある。何が起きたかはわからないが、中居を今も“加害者”と呼び、PTSDになった女性がいるのであれば、それは罪である。 

 

 この世の中には、犯罪になっていない「罪」が山ほど存在する。 

 

 だが、その罪が犯罪にならないものだった場合に人はどれほどの罰を受けるべきなのだろうか? 

 

 今回のように、示談を含め、一度は当事者間で解決した場合は、どうなのだろうか? 

 

 どんな罰を受ければ、その罪を償ったことになるのだろうか? 

 

 

 
 

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