( 257131 )  2025/01/29 16:52:15  
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Photo:PIXTA 

 

 中居正広さんのトラブルに端を発するフジテレビの経営問題で、社長会見が行われた翌日、TBSが「当社も実態を社内調査する」と発表した。TBSの素早い行動は、おそらく30年前の大事件の教訓だろうと思った。メディアの存在意義が問われた、あの不祥事である。(コラムニスト 坪井賢一) 

 

● 中居正広・フジテレビ問題の余波 TBSが我先にと社内調査に乗り出した背景 

 

 タレントの中居正広氏が、女性とのトラブルを理由に芸能活動を引退した。このトラブルにはフジテレビの幹部社員が深く関係していると「女性セブン」や「週刊文春」が昨年12月に報じていた。そして、1月に入るとタレント個人の問題からフジテレビのガバナンス問題へ拡大していった。 

 

 フジテレビの港浩一社長は1月17日の記者会見にて、同トラブルを「発生直後から認識していた。2023年6月初旬」などと発言。経営トップにこの事案が報告されていたにもかかわらず、結果的にずっと放置されていたことが露呈した。 

 

 当該の幹部社員は否定しているそうで、真相は今のところ不明だ。3月末とされる第三者委員会による調査結果発表まで分からないままだろう。 

 

 ところで、港社長の会見が行われた翌日、TBSが「当社も実態を社内調査する」と発表した。続いて数日後には他の民放キー局も同様の発表をしているのだが、TBSの素早い行動は、おそらく30年前の大事件の教訓だろうと思った。 

 

● 「報道機関が存在できるベースは信頼関係」 「TBSは今日、死んだに等しいと思う」 

 

 30年前の大事件とは、「坂本弁護士一家殺害事件」の端緒となった「TBSビデオ問題」である。当時、オウム真理教を批判していた坂本堤弁護士を、TBSのワイドショーがインタビュー取材したのだが、その取材ビデオを放送前にオウム幹部3人に見せていたのだ。 

 

 ワイドショーのプロデューサー2人がビデオを見せたのが1989年10月26日の深夜で、殺害事件は11月4日に起きている。当時は一家行方不明の失踪で、同教団の関与が当初から疑われていたが、確証がなく、ほぼ迷宮入りした。 

 

 6年後の1995年3月20日、「地下鉄サリン事件」が起きる。死者13人、負傷者約6300人という未曽有の無差別テロ事件だった。霞ケ関駅の職員がサリンの入った袋を処理して犠牲となったのはよく知られた話だが、他にも多数の乗客や救助に当たった人なども被害を受けた。 

 

 ちなみに当時のダイヤモンド社は霞が関1丁目にあり、最寄り駅が千代田線・霞ケ関駅だった。筆者はこの日、早く出社する予定だったが、京葉線の八丁堀駅から日比谷線の日比谷駅を経由して千代田線に乗り換えることができず、外へ出ると大量の救急車とテントが目に入ってきた。ショックでよく覚えていないが、騒然とする都心を歩いて出社した。 

 

 その後、オウム真理教への強制捜査と幹部らの逮捕が進んでいったが、この捜査の過程で「TBSビデオ問題」が浮上する。これが95年9月で、TBSは1カ月後にようやく調査委員会を設置したが、その後も「見せていない」と否定を続けた。社内調査の限界である。 

 

 ところが、10月19日に日本テレビが、「TBSが坂本弁護士へのインタビュー・ビデオを教団幹部に見せていた」と報じて大騒ぎとなる。それでもTBSは「事実無根」として否定し続けた。 

 

 TBSが「社内調査概要」を公表したのが半年後の96年3月11日で、ここでも否定した。しかし、教団幹部によるビデオのメモが3月23日に明らかになり、24日にはプロデューサーが見せたことを認めた。 

 

 当時のTBS社長の磯崎洋三氏が緊急記者会見で謝罪したのが25日。同日夜のTBS系「ニュース23」で、キャスターの筑紫哲也氏は「報道機関が存在できる最大のベースは信頼関係」とした上で、「TBSは今日、死んだに等しいと思う」と語った。 

 

 4月30日に2度目の社内調査概要を公表し、午後7時20分から3時間以上の社内検証番組を放送した。同日付けでプロデューサーは解雇され、5月1日付けで社長、専務、常務3名も辞任した(注1)。 

 

 

● テレビ史で最大の事件 信頼を取り戻すきっかけは... 

 

 新社長は平取だった砂原幸雄氏で、以後、砂原氏がショックで打ちのめされていた会社の立て直し、社員へのケア、ガバナンスの構築を目指した。 

 

 1回目の社内調査概要の公表(96年3月11日)の、翌12日には坂本事件に関する検察の冒頭陳述があり、その際に「ビデオを見せた」という決定的な証拠が出るのではないかと指摘されていた。 

 

 当時、ニュース23のキャスター筑紫氏は、それ以前の段階でTBSの報道局長に3項目のメモを渡していたという(注2)。 

 

 「筑紫メモ」を要約すると、第1に「継続審議」。3月12日以前に社内調査内容を放映し、「今までの時点で調べ得た結論」として「継続審議」とすること。 

 

 第2に、「第三者調査委員会」が必要であるとし、社内調査の限界を認識していることを示しておくこと。第3に、「責任の明確化」。筑紫氏によれば、これは当該社員のことではなく、社長を含む経営陣のこと。 

 

 しかし、筑紫メモは通らなかった。TBSの上層部は疑惑の否定に終始し、継続審議どころか「調査はこれで打ち切る」と言い放っていた。 

 

 1996年5月30日、新社長の砂原氏、鴨下信一取締役、鈴木淳生取締役の3人が参議院逓信委員会に参考人招致され、事件の詳細と責任について詳しく述べている。鴨下氏など4人の常務は平取へ降格していた。 

 

 テレビ史で最大の事件といっても過言ではない。振り返ると、筑紫氏の洞察は正しかったということだ。 

 

 筆者が今も記憶に強く残っているのは、テレビドラマの高名な演出家である鴨下氏が会社を代表してニュース23に出演し、筑紫氏の厳しい質問に答えていたことだ。生放送だったので、視聴者を引き込み、信頼を取り戻すきっかけになったように思う。鴨下氏が取締役に就任したのは1993年で、事件発生時の経営者ではない。なお、筑紫氏は2008年、鴨下氏は21年に他界している。 

 

 テレビに限らず他のメディア、他の業界でも教訓となる歴史であろう。 

 

注1:日付など事実関係は「参議院逓信委員会会議録」第10号(1996年5月30日) 

注2:筑紫哲也『ニュースキャスター』集英社新書(2002年)p183〜p184 

 

坪井賢一 

 

 

 
 

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