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(※写真はイメージです/PIXTA) 

 

初の戦後生まれの東大総長として、秋入学構想をはじめとする数々の改革に取り組んだ濱田純一氏。改革は常に順風満帆とは限らず、「失敗」もあったという。秋入学断念の裏側で進められた教育改革の真実、そして濱田氏が目指した「考える力」の育成とは何だったのか。※本記事は、SAPIX YOZEMI GROUP共同代表・高宮敏郎氏の著書『「考える力」を育てるためにSAPIXが大切にしていること』(総合法令出版)より一部を抜粋・再編集したもの。 

 

濱田純一(はまだじゅんいち) 東京大学名誉教授東京大学元総長 

 

1950年生まれ。灘高等学校、東京大学法学部卒。同大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門分野はメディア法、情報法、情報政策など。1995年東京大学社会情報研究所所長、2000年東京大学大学院情報学環長・学際情報学府長、2005年理事(副学長)を経て、2009年4月から2015年3月まで東京大学総長(第29代)。 

 

初の戦後生まれの東大総長として、秋入学をはじめ、さまざまな改革に取り組む。現在は放送文化基金の理事長、映画倫理機構の代表理事などを務める。主な著書に『東京大学知の森が動く』(東京大学出版会)、『東大はなぜ秋入学を目指したか』(朝日新聞出版)など。 

 

東京大学の教育改革/入試改革(2016年度から導入した推薦入試、秋入学導入の断念など)は、全てが順風満帆に進んだわけではないようです。思い通りにはいかなかった「失敗」を、どのように「成功」へと変えてきたのか。この点についても、濱田先生のお考えを事前にご教示いただきました。 

 

 

 

「失敗」を経て「成功」することも大切なことです。東大の授業改革、教育改革も、うまくいかなかった制度を別の制度に変化させています。 

 

東大生だから失敗してはいけない、などということはまったくなく、東大という非常に恵まれた環境の中で学べることを前向きに捉え、失敗を恐れずにさまざまなことに進んでチャレンジしてほしいと考えています。 

 

髙宮 

 

ここからは、東大の入試改革についてお聞きしたいと思います。 

 

早稲田大学の田中愛治(あいじ)総長が、教務担当の理事だった10年ぐらい前に、大人数の教室をいかに減らせるかという点に腐心されていました。可能であれば、7割の授業を学生が30人以下の状況で実施したいとおっしゃっていました。現状でもまだ大人数の教室はあるようですが、少人数での教育に対する意識には非常に強いものがあると感じた次第です。 

 

東大の教育改革によって今はどのような教育になっているのか。どのような点が最も変わったところなのか。ぜひともお聞かせください。 

 

濱田 

 

秋入学を実施しようとしたもののうまくいきませんでした。しかし、秋入学で目指そうとした教育の精神、そこで目指していた教育の在り方だけでも実現していこう。そのような思いから、総合的な教育改革を進めました。言い方を換えれば、学事暦の変更を媒介とせず、教育そのものの改革を目標としたイメージです。その改革の柱としたのは、教育の国際化、実質化、高度化の三つの理念です。 

 

当時、大きな課題になっていたのは、しばしば「学生が点数主義に陥っていたこと」「学生の授業態度が受け身であったこと」「学生の視野が狭いこと」の3点でした。そこに焦点を当てて改革を進めていくことに決めたわけです。 

 

髙宮 

 

東大の場合は「レイト・スペシャリゼーション」の仕組みを採用しているので、入学時点ではなく、3年生へ進級する際に学部や学科を決定することになります。2年間の前期課程の成績も大きく関わってきます。基礎的な知識を身につけてから何を学びたいのかを決めることができます。そこにはかなり主体的な意思が働くとも思えるのですが、そうではなかったということでしょうか? 

 

 

濱田 

 

制度の趣旨はその通りですが、進級決定の仕組みの問題もあって、点数主義から抜け出せてはいませんでした。「広く教養を深める」という本来の目的よりも、「いかに高い点数を取るか」を意識して、大して興味もない授業を選択する。そのようなケースも増えていました。「何を学びたいか」ではなく、「どの先生の授業が点数を取りやすいか」が判断の基準になりかねないのです。 

 

言うまでもないことですが、教養とは専門的な学びにとっての大切な基礎となるものです。また、多様な学びをする出発点ともなります。さらに言うと、社会に出れば、点数だけで評価してくれるほど甘くない。だからこそ、大学では点数主義を改めていかなければならないと、強い問題意識を持っていました。 

 

その一環として、進級決定の仕組みを変更したり、分野横断型のプログラムを強化したり、少人数のチュートリアル方式の拡充によって、学生と教員との距離が非常に近くなっています。補助教員も積極的に採用しました。 

 

チュートリアル方式の授業では、論文の発表方法、討論や論文の基本的な作法、あるいは、実験の基本的な作法などを集中的かつ本格的に教えています。これらの授業には多大な労力がかかっていますが、今の東大の制度だからこそ体感できる授業ばかりです。それが私たちの目指した教育改革の形の一つです。 

 

考えてみれば、昔のほうが教え方は粗かったように思いますが、役に立たない学生を企業や社会に送り込んでくるとは言われませんでした。70年代〜80年代までは、企業や社会に大学卒の人間を教育する力が残っていました。 

 

しかし、今はそうではありません。以前は「大学で余計なことを教えなくても、企業がしっかり教育するよ」といった声を、しばしば耳にしました。それが今ではできなくなってしまっています。実際のところ、私はそれが社会の教育力の根本的な問題だと思っています。 

 

髙宮 

 

確か経済界が「大学できちんと教育してから社会に送り込んでほしい」と言っていたのが十数年前だったと思います。あるいは、産業界から「学士力」という言葉を突然使い出したと記憶しています。 

 

その頃までは、濱田先生がおっしゃったように、大学教育に期待する部分はまるでなかった。しかし、経済力が低下し、日本企業の余裕がなくなってくると、急に「即戦力で活躍できる学生を送ってほしい」と言われるようになりました。それが問題であるという点には、私自身もまったく同感です。 

 

 

濱田 

 

課題解決的な学習に取り組み、「考える力」や「自分の知識を問い直す力」が伸びてくるのであれば、それはとても良いことです。しかし、企業や社会への目先の適応能力だけが高くなってもほとんど意味はありません。何より大事なのは、学生が長い人生の中で能力を発揮し、成長し続けられるような力を身につけることです。 

 

課題解決的な学習といっても、大学としての対応には限界があります。昨今の大学は学生をかなり丁寧に育てるようになっていますが、その学生を受け入れる企業や社会の側でも、同じように丁寧に教育を進めてくれれば、なおよいと考えています。 

 

例えば、以前の企業には「多少損失を出したとしても、また次に頑張ればよい」と、前に進むことを貴ぶ風潮があったと理解していますが、今の時代には、そのようなおおらかさが衰えてきたように感じます。 

 

厳しい言い方かもしれませんが、成功を目指すのではなく、失敗をしないような人材に優しくなっているような印象を受けます。このような風潮を変えない限り、日本の社会も企業も大学も、長期的に伸びていく余地はないと私は思っています。 

 

髙宮 

 

東大教授で宇宙工学がご専門の中須賀真一先生は、「失敗が大事だ」と主張されています。宇宙開発のプロジェクトには非常に大きな資金がかけられています。300億円もかかるプロジェクトで失敗するわけにはいきません。そうすると、いかに小さい実験段階で失敗の経験が積めるか。そこが大事になってくるというわけです。 

 

小さな失敗の経験を重ねるために、中須賀先生の研究室は、小さなロケットを打ち上げて、目的の地点に戻ってくるというコンテストに参加しているそうです。失敗してもさほど大きな損失になりませんので、安心して失敗を重ねることができるわけです。日本の教育には、そんな「失敗」が圧倒的に足りない。そのお考えにはとても感じるところがありました。 

 

濱田 

 

学生にハードな経験をしてもらうという意味では、東大でも、多くの体験活動のプログラムを設けたり、国際社会における指導的人材の育成を目的とする「グローバル・リーダーシップ・プログラム」を導入したり、といったことに積極的に取り組みました。このような多様な経験を通して、「自分を問い直す力」=「考える力」をどんどん伸ばしてもらう。自分が物事を眺める角度、自分の価値観だけで見てしまうと、どうしても物事の捉え方が狭く、固くなってしまいます。 

 

異なる視点や価値観に触れることによって、「今の自分の在り方は違うのではないか」と問い直すことができる。しかもそれを授業の内外で学び、実践していく。それが成長につながると考えています。 

 

 

濱田 

 

もちろん、東大生でも失敗することはあります。それは当然のことです。自分にまるで経験値がない、知らない世界で失敗することに不思議はありません。先ほどのお話にもあったように、失敗する経験はとても大事です。恐れることなく全力でチャレンジし、失敗もすること。それが自らを問い直すことにつながり、「考える力」を育んでくれます。そうした力や経験を社会がどのように評価するのか。この点は今後の日本の在り方にも大きく関わってくる、非常に重要な問題だと思っています。 

 

ちなみに、秋入学への変更を議論している際に、「皆は東大生なんだから、いろいろなことに失敗を恐れずチャレンジすればいいじゃないか」と学生たちによく言っていました。「君らは大学で鍛えられ、しっかり勉強して、非常に恵まれた環境で生きている。だから、失敗してもすぐに立ち直ることができるはずだ」とも話していました。 

 

今まで偏差値至上主義の価値観で生きてきたので、高得点を取らなければいけない、つまり、失敗してはいけない、そんな意識で生きてきた学生も少なくありません。それらを払拭することで、社会に出てものびのびと成長し続けることができる。私はそう思っています。 

 

決して安楽には過ごせませんが、「自らを問い直す力」=「考える力」を身につければ、意識はおのずから変わっていくものと期待します。そのための場所と機会を提供するのが大学の重要な役割なのだと考えています。 

 

高宮 敏郎 

 

SAPIX YOZEMI GROUP共同代表 

 

高宮 敏郎 

 

 

 
 

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