( 257541 )  2025/01/30 15:16:59  
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MBSニュース 

 

 1月27日、10時間以上に及んだフジテレビの記者会見。この中で何度も追及があったのが、日枝久取締役相談役についてです。日枝氏はなぜ“絶対権力者”にのぼりつめたのか?フジテレビの歴史や日枝氏について、桜美林大学芸術文化学群の田淵俊彦教授に取材した内容などをもとにまとめました。 

 

 フジテレビの黄金期から衰退まで、40年間の歴史を振り返ります。 

 

 1981年2月、TBSの「8時だョ!全員集合」がバラエティー番組で過去最高視聴率47.6%を記録しました(世帯・関東地区 1977年9月以降)。そうした中、同じ年の5月にフジテレビは「オレたちひょうきん族」を放送を開始。「8時だョ!全員集合」と同じ時間帯に放送し「土8戦争」と呼ばれる視聴率競争が始まりました。 

 

 翌1982年の10月には「笑っていいとも!」が開始し、フジテレビは黄金期に突入。「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズが一世を風靡しました。 

 

 邦画(実写映画)の歴代興行収入は、1位~3位が全てフジテレビ作品です(興行通信社より)。 

 

・1位 踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003年公開):173.5億円 

・2位 南極物語(1983年公開):110億円 

・3位 踊る大捜査線 THE MOVIE(1998年公開):101億円 

 

 ドラマにおいても有名作品を数多く放送しています。 

 

・ひとつ屋根の下(1993年) 

・101回目のプロポーズ(1991年) 

・東京ラブストーリー(1991年) 

・素顔のままで(1992年) 

・あすなろ白書(1993年) 

 

 その黄金期を支えたのが、1月27日の会見に出席していた役員5人です。それぞれ、以下のような番組を手掛けていました。 

 

 清水賢治新社長 

 ・ドラゴンボール 

 ・ちびまる子ちゃん 

 

 遠藤龍之介副会長 

 ・鬼平犯科帳(ドラマ) 

 

 港浩一前社長 

 ・とんねるずのみなさんのおかげです 

 ・おニャン子クラブ 夕やけニャンニャン 

 

 嘉納修治前会長 

 ・南極物語(映画) 経理担当 

 

 金光修フジ・メディアHD社長 

 ・料理の鉄人 

 

 桜美林大学芸術文化学群の田淵俊彦教授は、フジテレビの役員らは黄金期を支えた“バブル期の感覚”のまま、現在まで来てしまったのではないかと推測します。 

 

 

 フジテレビ黄金期を支え、企業風土を形成したと言われている日枝久氏。1月27日の会見では「なぜ出席しないんだ!」と多くの記者から名前が挙がりました。“絶対権力者”と呼ばれる日枝久氏(87)とはどんな人物なのか、経歴を見てみます。 

 

・1961年(23歳):フジテレビ入社 その後、社内の労働組を立ち上げ 

・1980年(42歳):編成局長 

・1988年(50歳):社長就任 

・2001年(63歳):会長就任 

・2017年(79歳):取締役相談役(現職) 

 

 実力者として若くから役職に就いた日枝氏。なぜ、ここまでのぼりつめることができたのでしょうか。 

 

 田淵俊彦教授によりますと、日枝氏はフジテレビの創業者一族である鹿内春雄氏の右腕的な存在だったといいます。労働組合のトップでもある日枝氏と創業者一族は、本来なら対立するところ、バランスのとれた関係で一緒にフジテレビを盛り上げていくことができたということです。 

 

 その一つの象徴が、大部屋制度=オープンオフィス制度。各オフィスの敷居をなくしてコミュニケーションを促す制度を1980年代に実施しました。こうしたことも大きなきっかけとして、フジテレビは勢いを増していったと言われています。 

 

 しかし、1988年に鹿内春雄氏が死去。日枝氏が社長に就任し、その後、鹿内一族を追放しました。 

 

 田淵教授は、「長期政権が続くとイエスマンしか出世しない風通しの悪い組織になる」と指摘。“日枝氏に気に入られないと出世できない”状況が40年近く続いたことが、今回の問題の大きな要因の一つになっているのではないかといいます。 

 

 フジテレビが信頼回復するかどうかは「日枝氏がどう責任をとるか」だと田淵教授は指摘。今後、フジサンケイグループ代表という立場も含めて完全引退するかどうかが注目すべきポイントだとしています。 

 

(2025年1月28日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」より) 

 

 

 
 

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