( 258046 ) 2025/01/31 15:37:17 0 00 写真はイメージです Photo:PIXTA
ネット上のデマや誹謗中傷はここ10年ほどたびたび話題になるトピックだが、ここへ来てさらに深刻度を増している。デマを信じ込んだ多数の人が誹謗中傷を行い、しかもそれが「正義」と思い込んでの行動であるため、なかなか収まらない。人の感情を操る「扇動者」にはテクニックがある。覚えておきたい。(フリーライター 鎌田和歌)
● 正義感ゆえだから恐ろしい
1月23日、兵庫県警がXで「確たる証拠がないのに、推測・憶測で人を傷つけるような書き込みをするのはやめましょう。」などの注意喚起を行った。
18日に亡くなった竹内英明・元兵庫県議の件を重く捉えてのことと考えられる。
すでに報道されている通り、竹内元県議は生前からネット上やそれ以外での誹謗中傷に悩み、さらに死後にも「逮捕間近だった」というデマが流れた。兵庫県警は20日に本部長が「全くの事実無根であり、明白な虚偽がSNSで拡散されていることについては極めて遺憾」と明確に否定した。
発端とされる立花孝志氏(NHK党党首)が「間違いでございました」と謝罪したことでようやくこの逮捕デマについては下火となった。しかしそれまでは県警が否定したと報道されても「警察が捜査情報を明かすはずない」など、逮捕予定があったと思い込みたい人の書き込みが見られた。人はいったん何かを信じ込むと、それを変えるのは難しいのだと改めて感じさせられた。
兵庫県警の注意喚起はまったく正しいし、この混沌の中での行政機関のメッセージとして行われるべきものであるが、悲しいかな、デマを流している本人たちにとっては自分の書き込みがデマだとはわからない。もちろん中には意図的にデマを流す人もいるが、多くの人は煽動する者に煽られて、純粋に信じ込んで書き込んでしまう。
兵庫県警のメッセージは「たとえ、それが正義感に基づくものであったとしても、刑事上・民事上の責任が生じる場合があります。」と続く。正義感ゆえだから恐ろしいし、「たとえ刑事責任を問われても構わない。なぜなら巨悪と戦っているのだから」と思っている人さえ中にはいるのではないか。
竹内元県議と同じようにデマに晒された兵庫県議の一人は、頼んでいない商品の送りつけや保険の申し込みなどをされたと証言している。こういった迷惑行為が捜査されれば警察の取り調べを受ける可能性があることは、立ち止まって考えればわかるはずである。
それでも暴走してしまうのは、「自分は正義だから捕まらない」という強い自信があるか、「捕まってもいい」と振り切っているからではないか。
● 扇動する人がいて「犬笛」を吹く
さて、自分がデマに惑わされないための絶対的な方法というものはなく、あえていうのなら「親しい人からであっても初めて聞く情報を鵜呑みにしない」とか「ネット上ではフィルターバブルやエコーチェンバーによって自分が信じたい情報が集まりやすい傾向があることに気をつける」といった基本的な一般論にしかならない。
しかし、ここ最近のインターネットのデマに限れば、その特徴は明らかに扇動する者がいる点である。いわゆる「犬笛」を吹き、デマや不確かな情報を拡散し、信用した人たちにターゲットを攻撃させる。信じ込ませ、拡散するのが目的であり、その投稿にはいくつかの傾向がある。これからその傾向をまとめたい。
この原稿は、すでに何らかのデマを信じ込んでいる人に目を覚ましてもらうために書いているのではない。すでに書いたように、人はいったん信じ込んだものを手放すのが難しい生き物だからである。そうではなく、最近の状況を見て問題を感じている人に「そういえばそういう傾向があるな」といくらかでも共感してもらえれば、それで本望である。
● その情報は、どの程度正確なのか
・「タレコミによると……」「私の入手した情報によると……」
ネット上のインフルエンサーには有象無象から「タレコミ」が行われる。しかしその情報がどの程度、信頼度が持てるものなのか、確認せずに拡散されてしまうケースも少なくない。昨年、星野源さんに対する根拠不明の「不倫情報」をインフルエンサーが拡散し、その後で事務所や本人が明確に否定するという一幕があったことは記憶に新しい。
もたらされる情報がどの程度正確なのかを判断するのにはそれなりにスキルが必要であり、時間もかかる。来た情報を短時間で判断して出す傾向が頻繁に見られるようであれば、本当にきちんと精査しているのかどうかを疑った方が良い。
「タレコミ」があったと頻繁にアピールするのは、自分はそれほど多くの情報が集まってくる重要人物なのだと見ている人に印象付ける狙いもある。
・断言・断定を多用する
不確定要素の多い情報であっても断言して言い切る。これは断言口調が「〜という可能性があります」「〜という場合も考えられますが」「〜かもしれません」などといった曖昧な語尾よりも、人の記憶にインプットされやすいことを利用している……のかもしれない。
「これは断言します」「絶対に●●です」「私の言うことだけ信じていればいい」などと言うこともある。これらはすでにこの人を信じている人以外から見ると非常に胡散臭く感じられるのだが、いったん信じてしまった人からすると頼もしい態度に映るようだ。
・「こいつは●●だ」と決めつける
叩きたいターゲットや、自分に反論したり不利な情報を出してきたりする相手について何らかの決めつけを行う。
たとえば自分の投稿を見ている層が日頃から嫌っていると想定できる属性を、ターゲットに当てはめてそうだと決めつけるのだ。
属性で決めつけて攻撃理由にするのは極めて差別的な振る舞いである。しかし現在のSNSでは差別が公然とまかり通っており、プラットフォーム提供側も対策を講じるどころか開き直っている。アメリカのメタ社は今月、facebookとInstagramのファクトチェックを廃止する方針を明らかにした。これはデマや差別による扇動を、より激しくする可能性がある。
・「両論併記」を求める
たとえば、マスコミは片方の意見しか書いていないとして両論併記を求める。両論併記というと聞こえは良いのだが、危険な罠でもある。
なぜならデマとデマではないものを併記するのは「両論併記」とは言えない。デマは事実と「両論併記」され、読んだ人が「どちらが本当か判断できない」と考えた時点ですでに目的を果たしてしまっている。それがデマを流す人の狙いである。
両論併記が必要な場合ももちろんあるが、「両論併記」を求める人が、何を「両論」にしようとしているのかは確認した方が良い。
● 出典元がないデータに注意
・関係のない図解やグラフを「証拠」のように使う
SNSなどの投稿に、ある主張とともに、図解やグラフが載せられていることがある。パッと見ではその主張の裏付けや根拠が載っているように思えるのだが、よく見ると、主張に特段沿う内容ではない場合がある。
どこまで意図的に行われているのかわからないが、見出しだけで記事を再投稿しない方が良いのと同じで、こういった投稿にも気をつけたい。
また、出典元がないデータや、出典元があっても存在しない機関であることもあり、気をつけたい。
すでに言われていることではあるが、昨今のデマの扇動は「仮想敵」を作りあげ、敵と闘う自分たちは他の者とは違うという特権意識を持たせるところから始まる。自分は人より優れているはずだと思い込みたい感情や、同じ思いを持つ仲間とつながりたい感情を利用される。
人より優れていたいとか、誰かとつながりたいという感情自体は人間にとって当たり前のものであり、それ自体が責められるべきではない。悪いのは、その感情を利用して自分の目的のためにデマを流す者たちである。デマに流されないためにも、上記のようなやり口を多用する「インフルエンサー」とは距離を置くのが無難である。
鎌田和歌
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