( 258525 )  2025/02/01 14:35:29  
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この会話では、加工写真や盛った写真に対する様々な意見が交わされています。

一部の参加者は、加工写真や盛った写真を純粋に楽しんでいる若者もいる一方で、その過剰な文化が自己肯定感を損なったり、個性が失われる恐れがあると危惧する意見も見られます。

また、自然な写真や素のままの自分を大切にする考え方が望ましいという声もあります。

 

 

一部の参加者は、日本独自の価値観や文化を大切にし、他国の文化や影響が強すぎることに懸念を抱いています。

また、ソーシャルメディアやスマートフォンへの依存についても一部で心配や批判の声が寄せられています。

 

 

(まとめ)

( 258527 )  2025/02/01 14:35:29  
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最近の日本の若者は、もっと危機感を持つべきだよね。こうやって韓国からの文化が次々と流れ込んできて、いつの間にか日本の価値観がすり替えられている。特に、他者との比較を促すような文化は、日本の子供たちにとって本当に有害だと思う。実際に、子供の自殺が過去最多になっているのも、こうした韓国発の「見せる文化」が一因になってるんじゃないかな。他人と比較されることが当たり前になって、自己肯定感がどんどん削られていく。これは深刻な問題だよ。子供たちの命を守るためにも、こういう文化が持ち込まれることをもっと警戒しないといけないし、日本独自の価値観を大事にすべき時だと思う。 

 

▲5472 ▼1055 

 

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本当に容姿が良い人にとってはそうでない人との差別化が図れるのでメリットは大きいだろう。 

マスク社会もこれに近い現象だと思う、顔の悪い人はマスクでカバー出来るのでメリットがあるが、顔の良い人はマスクをすることで顔の良さを認知してもらえないデメリットとなる。マスクを着用することで両者の差が縮まるのだ。 

 

写真を盛ることが当たり前になって今まで割を食ってきた容姿の優れた人があえて盛らない写真をアピールすることで自分の希少価値を示すことが出来る、容姿の良い人の一種の対抗策だといえる。 

 

▲11 ▼1 

 

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「盛り疲れ」や「加工疲れ」みたいなものがあるんじゃないかな。私は40代のおっさんなのであの手の写真を撮った事は無いが、見ればみんな原型を留めていない程度に変化している。変化とは思うが、不自然で「盛れてる」とは思わない。 

あれでは楽しいのだろうが、確かに思い出とは言えないだろう。何十年か経てば何人かで写した写真はどれが自分か分からなくなるかもしれない。 

 

加工したプリクラもそれはそれで良いと思うが、素の自分を少しでも写り良くとって残したいって気持ちも分かる。 

価値観は常に細分化していくものだ。 

 

▲1544 ▼27 

 

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セルフ写真館、良いですよ。地方にも普及させてほしい。 

記念写真や宣材写真(アーティストの人などチラシに載せる用)って、高いお金を払ってプロに撮ってもらっても納得いかないことが多いけど、自撮りならじっくり自分の好きな角度で撮れるから納得いく仕上がりになる。 

腕前より「どの角度でどんな表情で写りたいか」のほうが大切だったりする。 

 

▲278 ▼33 

 

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実際、盛った写真って見ても誰なのか全然わからないよね。私はプリクラが流行り始めた頃だったから、ほとんど自然体の写真で、たまに見返すとすごく懐かしい感じがする。盛った世代の人たちは、盛った写真を見て同じように懐かしさを感じるのかな?個人的には、加工してないそのままの写真の方が、後から見ても色あせずに良さが残る気がするけど、やっぱり世代の違いがあるのかな。 

 

▲4 ▼0 

 

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加工せずに、そのままの顔で写真を撮ることも一生の宝物になると思います。加工写真でも思い出にはなるけど、当時の自分を思い出して振り返りたい時に、あえて加工せずに思い出に残す人もいると思います。加工しないまま撮る人も、理由はそれぞれありますが、結婚式に昔の自分の写真などを、家族や友達など紹介することがあると思います。後悔せずに子供の時、大人になった自分を思い出すのも素敵な青春の、宝物にもなりますね。 

 

▲751 ▼10 

 

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Z世代とか関係なくいつの時代も流行り廃りはありますよ、しかも行き過ぎた流行りに嫌悪感を抱く、この流れはいつの時代も変わらない、そしてそのネタをおいしく取り扱うマスコミも変わらないし、その話しに食いつく自分らも変わらない。 

 

この構図は永遠に変わらないでしょう、人が生きてる限りは。 

 

▲1 ▼0 

 

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流行の流行り廃りです。 

今のファッションでも数年経てば古いとなり、 

逆に今、古臭いと言われているものが、数年経てば、目新しく流行りだしたりする。 

だいたいそれが長い目で見れば20年とか30年周期で繰り返され、古い動画を観れば、一周回って今の時代、斬新に洗練されたファッションやカルチャーだったりします。 

 

▲664 ▼11 

 

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昔も自撮りってやりましたよね。スマホみたいにインスタントカメラこっちに向けて、アングルも表情も現像するまで分からないけど、今改めて見るとデジタルじゃ出せない味がある。 

まったく同じ顔は一つしかないのだから、素顔が最も個性を出せるに決まってる。将来見返すなら素顔を残しておいた方が絶対いい。でも加工しすぎて原型とどめてない写真も、こんなの流行ってたよねと思い出になるだろうし、それはそれでアリだと思う。 

 

▲55 ▼16 

 

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元々、日本の伝統や文化に根ざした撮影スタイルは、自然なものが多かったはずですし、和服姿の美しさや日本庭園の風景などは、飾りすぎず自然な調和が魅力とされてきました。それに比べ、韓国の文化は加工が過剰になりがちで、SNS映えを意識した不自然な盛りが流行していました。 

韓国発のブームに乗せられている現状に、違和感を覚えていましたが、最近になってZ世代が無加工の美しさに気づいたのは、日本の写真文化を見直す良い機会になれると思います。 

流行の形は変わっても、やはり行き着く先にあるのは、自然体の美しさであると感じます。 

 

▲316 ▼21 

 

 

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最近はもはや加工では無く、輪郭だけ本人で目鼻口を完全に別人のものにすげ替えてると言っても良いアプリが多いです。 

AIの発達で顔の入れ替え技術が容易になった事が要因です。 

オジサンが若い美女に変身するのも簡単に出来るようになりました。 

 

さすがに若い人たちも加工が行き過ぎていると気付いて来たのだと思う。 

特に大切な思い出の写真は自然な感じで残すのが一番かと。 

 

▲275 ▼7 

 

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時代は回るんだなっていうのを実感する記事ですね、私の学生の頃、プリ帳が流行り、友達と交換してそれを貼り付ける。 

その時貰ったプリクラは、自然なその時の自分たちの写真で、手軽にシールになるくらいのもの。 

光の加減や、どうしたらスタイルよく見えるかくらいしか撮り用もなかったのですが、どこの誰なのかすぐに分かるプリクラでした。 

この間久しぶりにプリクラを撮ると、顔面も年齢もわからないくらいにバッチリ加工されていて笑ってしまいました。 

この歳になるとプリクラ自体撮る機会はほぼないですが、肌加工ぐらいは嬉しいですけど、誰かわからない加工は選べるようにしてほしいですね。 

 

▲249 ▼1 

 

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50年くらい前の頃でしょうか暗室で自分で撮った写真を焼き付けてる作業をした記憶があります。浮かび上がった画像の出来にすごく感激したことを思い出しました。今ではどんな画像加工も簡単に出来てしまいます。それはそれで楽しい事だと思いますがそれだけ多様化しているんですね。 

 

▲152 ▼5 

 

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良いですね。 

プリクラやスマホアプリで盛られた写真は「写真」ではなく、加工された画像という印象です。 

 

厳密に言えばデジカメで撮った写真もカメラが加工した画像ではあるものの、ちゃんと写真として生成されたものなので真実味があります。 

 

カメラで写真を撮るという文化が盛り返してほしいですね。 

 

▲56 ▼0 

 

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自分磨きに繋がる良い傾向だと思います。 

元々自分の容姿に自信がないから、SNS上や写真の中では少しでも良く見られたいということで簡単に良く見せられることもあり、盛っていたと思います。 

痩せていなくても写真で加工すれば良いからダイエットしないのと一緒で、簡単にできることでごまかすよりもリアルに見せるからこそ繋がる努力もあると思うのでリアルを求めるのは良いことだと思います。 

その人が整った顔でも、事前に見せられる写真がもっと整っていると良く見えなかったりと、そもそと盛ることのデメリットの方が多かった気がします。 

 

▲21 ▼4 

 

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盛り過ぎて、もはや誰なのか分からないくらいの加工写真は、可愛いを通り越して薄気味悪さを感じていました。 

 

肌年齢が若いのに厚塗りするのはもったいないし、化粧で隠す努力より食事や睡眠の質を高めて素肌力を上げた方が断然美しく見えることに気付いて欲しいものです。 

 

厚化粧、美容整形、加工写真よりも、素肌や素顔に価値を見出す時代になってくれたら嬉しい限りです。 

 

▲2 ▼0 

 

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盛る画像には違和感しかなかったから、ありのままを写すことは良いことだとは思うけど、流行り廃りのサイクルが早すぎて、このトレンドもあっという間に変わっていくんだろうなと思ってる。 

これもAIのディープラーニングのように技術や価値観の進化のための試行錯誤が無意識のうちにされているのかなと思う。若者たちもそれに気づくことなくことなく、次々と試されてるように思う。 

自分も若い頃は、流行り廃りの中で今までの価値観が押し流されていくことに抵抗を感じていたけど、自分なりの価値観が固まった今は、客観的にみることができるようになった。 

きっと大昔ももっとサイクルは長かっただろうけど、こんな試行錯誤は繰り返されてきたんだろうなと思う。 

破壊は進化のための重要な要素。ただこの目まぐるしい流れの中から自分なりの揺るぎない大切なものだけは、残していってほしい。こういう遊び自体は決して悪いことだとは思わない。 

 

▲17 ▼2 

 

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若い人はとにかく可愛く加工した自分の顔が好きで楽しいのでしょうけど、何年も経ってから自分の若い頃の顔を後で振り返りたくても「本当の自分の若い時の顔」の写真が無いと自分でも忘れてしまうし、もう二度と撮れないので修正加工なしの自分の顔は残しておく方がいいと思います。 

私は昔の自分と子供の顔がそっくりなのですが、色々な年代ごとの写真の自分と同い年になった子供が顔を比べて「ママこんなだったんだ」「似てるねー」と一緒に眺めていて楽しいです。 

 

▲2 ▼0 

 

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一眼で撮った写真でもレタッチし過ぎて皆同じような顔になってしまってますよね 

 

加工の度合いで年代判定されちゃいそうですけど、ミドル世代の加工も否定しません 

 

Z世代の子達は加工し過ぎると個性が埋もれちゃう気がしますが、一方でミドル世代の自分は同世代の方々と加工アプリで写真撮るの楽しいです 

 

▲5 ▼2 

 

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若いうちは加工なんてしなくてもかわいいし、肌も明るい。平成に学生時代を生きた自分はインスタントカメラからデジカメ移行期だったのだけど、最近インスタントカメラで撮って現像した大学生の頃の写真がごっそり出てきた。加工なんてありもしないのにあの独特のもやっとした現像具合がいい感じにエモさを出してて懐かしいし、自分も友達も若くてかわいい。あー、このメイク浜崎あゆみとかエビちゃんとかの影響モロ受けてるなー(ギャルじゃなかったけど)とか、マキアージュでがっつりメイク用品揃えてたなーとか、当時の思い出がありありと浮かんでくる。 

今の加工もりもりの写真見て何十年後とか、あーこの頃こんな顔だったなーとか思えないと思う。何でも加工が良いわけでもないんだね。 

 

▲10 ▼0 

 

 

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大人になって振り返ったら盛った写真ばかりで自分の素顔の写真が一枚もなく、自分を自分としか思えない写真ばかりという笑えない話になりかねない。盛り写真は女の子の遊びに過ぎないと思っているから真剣に論ずる方がおかしい。オールドマスメディアがブームとして取り上げるのは必ずと言っていいほど若い人女の趣味、着る物、食べるもの、観光地などだ。自撮り写真に限らず若い女の子はブームに流されやすい。だから業者のいいターゲットになる。 

 

▲59 ▼0 

 

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プリクラで撮ると目が大きくなりすぎたりあまりに加工しすぎて、誰かわからなかったからこういう流れになって良かった。 

若い時なんて男女関係なくキラキラして美しい時期だから結局そのままが1番だと思う。 

 

▲179 ▼1 

 

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詳しくは知らないが盛っていると言われる写真は本人ではないように見える。 

もはや別人の写真の何が良いのかわかりかねるけど若者にとってはそれが斬新だったのだろう。 

どんな流行や最先端も時代が移れば廃れ後になってそんな時代もあったと懐かしむ時が来る。普遍的に残る文化もあれば完全になくなってしまう文化など現代はそのような文化の重層構造で成り立っている。 

 

▲78 ▼0 

 

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盛り盛り写真は、たまに楽しむ分は良いと思っている。 

でも、スマホで加工しまくった写真しか残らず、リアルな顔を記録してきていない事はどうかなと思う。 

ウチの子供もアプリを使っていない写真を受け入れず、2倍位になった目、尖った顎、ツルツルの肌、そんなものばかりを残してしまっている。 

加工された世界の中ではなく、現実を受け入れる事は大事だね。 

加工しなくたって、若いってだけで可愛いんだからね。 

 

▲1 ▼0 

 

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加工ナシの“自然な表情”、ナチュラル、今の自分を残す。そもそもの本来の写真がやっぱり最後には残って行くのは昔から変わらない。 

 

今の中年世代からも、お祭り騒ぎやバンド全盛期で派手に衣装つけたりしてる仮装した写真も良いが、素の自分達やその準備段階で自然体で写った表情から、当事の楽しさは一番伝わる。 

 

そして永く共通の話題や、家族に見せても良いなぁーと思える写真は作らない自然体のその当時に生きていた素の自分達だな。 

 

▲59 ▼3 

 

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盛った写真なんて撮れた後の面白い感じは分かるものの、その後「何の記念になるの?」「何に使うの?」と思っていたし、リアルで見た時の「…。」というギャップも痛々しかった。 

 

デジタルで変に盛らなくても可愛く撮るカメラ技の方が楽しいと思うのよね。 

 

▲12 ▼0 

 

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旧来の家電やスマホが機能過多になり再びシンプル化していくこと、ゲームの流行が買い切り型から基本無料になり再び買い切り方が注目される流れを知れば、ごく自然な流れだと気付くはず。 

 

▲3 ▼0 

 

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若い頃の写真がもりもりの加工写真しかないと後から後悔するので素の写真も撮っておくといいと思う。 

いわゆる「黒歴史」とまでは行かないかもしれないけど、後から見たら加工写真で喜んでいた頃が懐かしく笑えると思う。若い頃の本当の自分の姿を残しておかないともったいないと思う。 

 

▲0 ▼0 

 

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SNS依存症とスマホ依存症もここまでくると完全な中毒。SNSで承認欲求が満たされる事で脳内報酬系が興奮した時の強烈な快楽を覚えると、もはや自力では抜け出せなくなる。ドーパミンをはじめとする脳内神経伝達物質の動態からみれば、薬物中毒やギャンブル依存症の場合と同じことがSNS/スマホ依存症のヒトの脳内で起きている。適切な使い方、リテラシー、距離の取り方を覚えないうちにスマホやSNSに触れさせるのは、デメリットも多いのじゃないだろうか? 

 

▲45 ▼5 

 

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エキスパートコメント鈴木さん、Z世代はリアルを重視する傾向があります。だって? 

その逆だろう。正々堂々と「自分と向き合う」これを教えてあげなきゃならないだろ。 

これは画像加工のお話しだけに限らずね。 

時には、器用に逃げて躱すことも大事なことだよ。 

だけど、人生なんて7割が辛いことだと言われてるのだから、逃げてばかりでは、とてもじゃないが世の中通用するものでない。やむなくとも正面から真っ向勝負しなければならない場面もある。 

最低限の強さは持っていないとだ。 

まぁ、記事の女の子は、ビフォーでも可愛い。 

そういう意図で記事の代表になったんだろう。 

偽りの自分を見せて詐欺みたいなことするより、素の自分で勝負しろってね。 

 

▲12 ▼2 

 

 

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専門家の方が『Z世代は「リアル」を重視する傾向にある』と仰っておりますが、実際にこれまで「盛りに盛りまくって」「消しゴムマジック」していた訳ですし、タイパコスパ重視でzoom観光、要約サイト、映画1.5倍再生などなどなど、SNSでは他人の経験を自分の経験として共感お気持ち表明が氾濫しているます。そう見ると別に「リアル」を重視なんかしていないと思います。 

なんだかんだでマスクを外す傾向になった今、修正ビフォアーアフターの答え合わせが眼前でされるからではないかと思います。 

パネマジの結果、目の前でチェンジ要求されたら、されたご本人は自我崩壊するのではないでしょうか?だったら、始めから現物見せた方が会う前に絶望してもらえるだけマシという判断ではないかと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

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マジンガーZ世代からすると「盛る文化」と言われても「サカる文化?」となるし、ドラゴンボールZ世代からすると「盛りガール」と言われても「森ガール?」となる。 

 

インスタ映えさせるのと違って、写真加工の盛りすぎの盛り上がりは没個性を感じる。昔でいうヤマンバギャルや黒ギャル、今でいう量産型や地雷系。 

 

ナチュ盛りもいいけど、今の過酷なルッキズムと変身願望を考えたらどうせ揺り戻しがくる。最初は個性盛りになるけど形骸化して没個性盛りになってナチュラル回帰の繰り返しになるのかな。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

加工ブームが下火になってきて本当に良かった。 

加工でしか撮れないとかいう人もいるのでもはや素顔がコンプレックスでしかないんじゃない?って思ってしまう。 

そうなると今度は安易に整形に走って加工という作りものになろうとするし、整形したらしたで理想より少しでも違うと後悔しだす。 

加工などなくなってていいと思う。 

 

▲11 ▼0 

 

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歳を取ってから若い頃の写真を見返して、盛った写真ばかりだったら残念に思うんじゃないかな。それは自分じゃないし。友達も盛った写真ばかりでは誰だっけこれってなりそう。 

 

若い頃は素のままで十分可愛いしかっこいいから、盛らない写真をちゃんと残しておいた方が良いと思うな。 

 

▲12 ▼1 

 

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写真は加工しなくとも 

既に実物が加工に近いメイクやファッションになってるんですよ。 

今、普通と呼ばれるレベルのメイクをしている人でも、20年前に降り立てば過剰と思われるかも知れない。 

20年前のほうが派手でギャルっぽい雰囲気はあったけど、今のナチュラル風な方がよほど手が込んでます。 

 

▲3 ▼0 

 

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インスタでも芸能人やタレントの方が加工をして写真をあげていますが、テレビや雑誌で見る実際の顔がインスタとあまりに違い過ぎて虚構の世界なんだなぁとなんか冷めてしまう時があります。綺麗に見えたいのはよく分かりますが、もっとリアルで本来の姿をみたいと思ってしまいます。 

 

▲0 ▼1 

 

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これ、やってみると楽しいですよね。写真館風だけど、セルフで撮れるから素人感満載のハプニング写真とかたくさん撮れる。でも結構ちゃんとした写真。時々家族で撮ったりすると、スナップ写真と違って面白いと思うな。 

 

▲63 ▼16 

 

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他国で流行ってるモノでも良いものならどんどん日本に取り入れれば良いとは思うものの、最近は韓国発のモノが多すぎると感じます。 

かつての韓国は「日本に追い付け追い越せ」だったけど、今や韓国は日本の上を行き、日本といえば韓国や世界で流行ってるものを甘受するばかりで日本から世界に発信するようなモノは古いものばかりになっている気がします。 

日本人である私自身も含めてですが、なんか情けなく感じてしまいます。 

セルフ写真館は良いと思いますが、日本人も素晴らしいアイデアやサービスを作り出して世界に発信していきたいものです。 

 

▲1 ▼0 

 

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私は一応プリクラ世代だと思いますが(1978年生まれ)、当時(女子高生時代)からプリクラとか興味なかったなぁ…。 

当時は写ルンです等のインスタントカメラは常に持ち歩いてたけどね。携帯にカメラついてなかったからね。っていうか携帯もみんな持ってなかったけどね。ポケベル世代なので。私はポケベルも持つ必要性がよくわからなくて持ってなかったけど。高2の終わり(高3になる前)にPHSは買ったけど。 

今の時代もまだそういう(プリクラとかセルフ写真館の)写真撮る文化が残ってるのが謎…。 

 

▲1 ▼2 

 

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プリクラもいつの間にか、顔が変に補正されてしまうようになってきた。 

 

元々綺麗な人が変に補正されて不自然で気持ち悪いことになったり、面白カメラみたいで今の子達にはいいのかなと思ってた。 

 

やっぱり自然がいいと思う。 

 

どうしても加工したければ、今は携帯のアプリでなんとでもなる時代やし。 

 

たまには普通に写真撮りたい時もあるわな 

 

▲4 ▼0 

 

 

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高校生、大学生の娘がいます。 

友達と撮ったプリクラを見せてくれますが、まぁ加工して盛ったものばかりで。 

我が子はその違いがわかるけど、会ったことない子供の友達の加工した写真を見せられて「かわいいやろ?」とか言われても、ねぇ。 

だからだいたい決まって「プリクラじゃなくて加工してない写真みせてよ」と言います。 

 

▲46 ▼0 

 

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あまりにも本人とかけ離れてみんな同じ、ちょっと異様な加工から無加工にシフトするのはいいと思うけど、アプリから通知がきたら2分以内に自撮り送信とか、また変なものが流行ってるんだなと。そんなアプリ入れてたら授業中とか困るだろうし、ますます映画館などでスマホ切れない迷惑なお客さんが増える気がします。他者との繋がりばかり気になるスマホ依存は怖いと思う 

 

▲4 ▼0 

 

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プリクラ世代以降は自撮りも得意だから。以前のように、盛る、修正が当たり前すぎると、後に見返すと、本当の自分や友達がどこにもいないと寂しい気持ちになったという記事を読んだことがあります。 

昔の写真館でも、それなりの証明・記念写真には修正が加えられ、ほどほどにいい感じでしたけどね。 

セルフで出来る世代が羨ましいです。スマホの撮影角度すらわからないです。 

 

▲3 ▼0 

 

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人の加工された写真は不自然さが勝り、気持ち悪さを感じる。 

 

例えるなら添加物がいっぱい入っている加工食品の味のよう。 

加工食品もたまになら良いけど、そればっかりだと何食べても同じ味のようなになり、だんだん気持ち悪くなる。 

 

素材の良さや素朴な味という点や、健康的ということで自然食が見直されているのに似ている話だと思った。 

 

▲0 ▼0 

 

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以前から兆候はありましたよね。 

Z世代にチェキやフィルムカメラが売れてるとか。 

フィルムカメラで撮るなんて、盛りようがないものだし。 

『今の自分を残したい。』いいじゃないですか。 

整形して親と全く違う顔になるのとは真逆の発想。 

 

そういうナチュラルな考えで素直に社会で働いてほしいものです。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

数年後見返したら、この頃の自分がどんな顔してたかわからないでしょう。 

今はそれでいいかもしれないけど、後になって思い出が無くなるのは悲しいよね。 

別に綺麗じゃなくても、その時々の顔を記録しておくのがやっぱりいいと思う。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私はプリクラ出たて時代に20代だったのですが、昔の巣の写真の方が絶対良いのにとずっと思ってました。今のプリクラは誰だかわからなすぎ。目が大きいとか足が長いとか怖い。文字書けるとかそうい機能はいいと思うけど。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

流行の流行り廃りで世の中に変化を起こさないと物が売れないからね。飽きてきてる所に新しいもの、方向性が違うものが出てきたら 

興味を持つのが普通。その変化によって今までとは別の物が売れるようになって経済も回る。売る方は儲かるし、買う方もその方が楽しいし良いことでは? 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

年配の私から見たら、ベルバラかよーって位の漫画顔はきれいでも可愛くもありません。 

別人になりたい願望はハロウィンの仮装などでも見受けられますが、虚しくならないかなと思っていました。若い世代の人が正気を取り戻してくれたようで嬉しいです。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

プリクラ誕生を知ってる世代だけれども、初期から少し改善されたくらいが一番良かった感じだったなぁとは思うな。美肌をちょっとするくらいが一番綺麗だった気がする。 

美肌が過ぎる加工すると飛ばしすぎて顔のパーツ消えてまうし、目を盛るとてーへんなことなるし。でも昔は加工の選択肢で選べてたと思うけど、今は加工の選択肢なしでこのわけわからない状態になるんだよね? 

一回冷静になってみ? 

 

▲11 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

今はとにかく映えを意識したり、加工してよく見せようとするのが当たり前。 

勿論それはそれで自分の承認欲求が満たされるしいいと思う。 

 

でも青春時代を加工だらけの写真にして、大人になってから自分の学生時代を振り返った時素の自分の写真が全然なかった時寂しくならない? 

 

加工するのは今の技術なら容易だろうけども、その時その瞬間の写真を作り出すのはその一瞬だけ。加工しない写真も大人になった時いい思い出話になるよ。 

 

▲2 ▼0 

 

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やっと、来たかったて感慨、菜花畑って個々の花を見る事もあるけど、感激するのは遠くから眺めた際に起きる。勿論、雑草地に単生する菜の花にも焦点を合わせ、菜花畑にはない新鮮な感慨を持つのも事実である。 

ただ、言える事は雑草地の草木個々を観察すると、そこには、極めて新鮮な個性が自己主張している姿を見る事ができる。そして、其処は菜花畑程の感激や感嘆を与えてくれる事は無いが、落ち着いた安心感と多様性が与える奥深さが、思慮の活動を促すのである。 

お花畑に混じるのも自分に新しい安心感と積極性を与えてくれるのかも知れない、否定できるものではない。 

ただ、群れるより、個性に感謝する時代が直ぐ其処まで来ている気がする。盛らない社会が! 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

プリクラ全盛期から盛るというのはずっと流行り続けてきた。 

ある番組でカツラを被っていることに疲れてしまった中年男性が家族や友人達にハゲていることを告白するという企画があった。 

隠し続けていたことが辛かったが、告白することで楽になったそうだ。 

 

盛ることに必死になりがちな今の世代も、あるがままをだせるというのはある種の開放感があるのかもしれない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

違う自分を見るのは特別に日に特別な装いになる程度にしないと「現実」との差に大きな溝を自分でつくり込んでそこにハマる事になる。しんどいでしょ。 

過去の思い出を見ても本当の自分を見れない。リアルな過去の自分こそ今との変化を感じて楽しめるんだよ。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

正月に帰省した長女。今現在、理美容学校の通信で勉強中。(取得まで3年掛かるんだって。一応、国立大、教育学部卒の教員免許有りなんですけど) 

横浜市のとなり街で連れが独立し、店と構えたとの事。お客様に接するにあたり、やはり資格が必要だろうとのことで。 

話しは戻って『やっぱりビジュアル大事だよね!』と、言われた。ありがとうって。 

理美容室では、どうしたって《素》は見えてしまいます。頑張って、盛っても《素》は変わりません。カ〇〇〇みたいに美容整形が当たり前には、なってほしくないな。 

リタイヤ後の一昨年から自分でネット販売を始めた。軌道に乗って来てる中、サ高住の設備保守管理修繕のパートも、している。 

話し中、肯定しつつも娘に言った。サ高住でもちょっと見だけでは分からないが、『この人、いいなぁ、いい人だなぁ。と思う方々、いっぱい居るよ。』って。【ソトミ】が全てでは無いが、若かりし頃は自分もそうだった。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

年寄りは黙っておけと言われそうだけど 

初代のプリクラができた時代から知っている人間からしたら 

コレが当たり前なのでは…と思ってしまう 

 

今のプリクラは、見せられても、どれが誰か分からないようなくらいにいじられていて 

こんなの撮っても何かの記念になるのか理解が難しかった 

 

▲165 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

アラフォーになって、思うことは若い子たちの眩しいこと! 

お肌はハリがあってピカピカだし、元気だし、女の子なんかは20代の子ってほんと可愛いです。それを加工した非リアルな状態で残すなんて後で後悔すると思う。だってあんなの本人じゃない。 

だから、この盛らない写真館はいいと思う。 

 

▲19 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

加工機能が豊富になったので一次的に流行っただけで飽きちゃったら元に戻ったって事なんだろうね。過去の写真とか振り返って見てみたら、盛ってる自分に成長や懐かしさを感じなかったのだろう。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

先日、甥っ子から彼女が出来たと聞き、写真を見せてもらったら、すべて盛られている写真で「は?」となった。自然の写真が一枚もなく、自慢げに見せられたけど、顔は分からんし、美しいものをわざわざ隠しているようにしか感じられないし、チャラい子にしか見えないよ。と思いながら「いいねぇ」と言っておきました。その時代の青春を受け入れながらも、自然体の写真が1番いいと感じる今日この頃です 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

盛った加工写真を将来見た時それは過去の自分の本当の顔や姿ではない 

将来になればそれらの加工写真は単なる無価値の画像になるだけ 

今のうちに本物の写真画像をたくさん撮って宝物を増やした方がよい 

 

▲4 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

若者のレトロブームがあったり、ちょっとハイテクに飽きたり疲れはじめてるのかもですね。 

写真加工は楽しんでる分にはいいと思いますが、質感変えたり物を消したり…本来の写真と違ってしまうのは記憶まで改ざんされそうで怖いなと思ってしまいます。 

たとえ残念な写真になってても自分の腕も含めてその瞬間を切り取って、見ただけで感じれるような写真のがやっぱりエモいですよ。 

心のシャッターとメモリーが機能してることが一番ですけど!…なんて(笑) 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

フィルムのカメラとかも売上伸ばしてるみたいだし面白い現象ですよね 

盛り過ぎた写真を数十年後に見返した時に普通に撮ってればよかったって後悔したり思い出が台無しになりそうだし良い流れ 

 

▲0 ▼0 

 

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若い子が事件に巻き込まれ死亡。 

葬儀の写真が加工されたものでした。 

父親は娘がこの写真を気に入っていたと 

話していたので 

あえて選んだのだろうけど 

他の写真では無加工もあり 

あまりにも差があって 

思わずえっ……と思ってしまいました。 

加工に興味ない自分からしてみたら 

加工して喜ぶ心理が分からない。 

 

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盛ってる写真やプリクラはその場は満足でも年取って見直してもそこに本当の自分は居ない?小中学校のスナップ写真とかリアル写真がリアルな思い出を呼び覚ます。 

 

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無加工大賛成です!我が子が「この子可愛くない?」って見せてくる写真は加工バリバリで、「加工しまくりで分からん!笑」としか返せません笑 

プリクラも加工されすぎで原形がなく、親から見たらそのままで可愛いのに余計な加工を!って残念な気持ちでいっぱいです。加工されていない写真ばかりが残っていって、将来後悔しないのかな? 

自分のパーツに気に入らない部分があったとしても、そこを気にしていた時期も思い出に出来るようにありのままを残して、周りもコンプレックスをいじらず受け入れる世の中になればいいなと思います。 

 

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だってさ~加工がやり過ぎだもんね。もう誰かも分からないくらい加工された写真なんて、その時のネタにはなるけど見返したいと思わないもん。 

アラフィフですが、私たちが若い頃に出だしたプリクラは今でも懐かしく見られますよ。だいぶ消えちゃってるけど笑 

1周まわってる戻ってきたんでしょうね。 

 

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料理も良いお皿を使い、盛り付けを工夫して美味しそうに見せるから、人間だって化粧をしたり、服装を整えたりは当たり前の話だろう。 

 

だが、化粧をして現実に見るのを遥かに超えて、原形がない加工写真はやり過ぎだと思う。『過ぎたるはなお及ばざるが如し』と言うからね。 

 

同様に『ありのまま何もしないのが良いのだ!!』となって行くのもどうかと思う。日本人は言葉は『微妙』とか『何とかじゃね?』みたいに白黒はっきりさせて、自分の意見を言うのを嫌がる割に、価値観は単一民族だからかどっちか片方に振り切りすぎるところがある。 

 

私も日本人だけど、妙な民族性だなと思う。 

 

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嘘偽りのない姿が一番だと思う。顔の良し悪しはアイデンティティだし、ルッキズムに流されることのない世の中であって欲しいと切実に思う。加工や整形を否定する訳では無いが、やってることが詐欺のように感じて好きではない。 

そんなことより、自分の写真をネットに載せる事自体理解が全く出来ない。 

 

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禁煙法がもたらす煽り叩き文化の中で生まれた子供達は、優劣があれば弱者にマウントして煽り、こき下ろしても良いという法律があると認識しています。 

 

喫煙者への差別と攻撃は子供達に、他人への攻撃の仕方を教え、人が人を差別するのは当然だと大人が教えています。 

 

SNSでも日々優劣の争いが繰り返され、子供の心を削り取っています。 

ギャンブルとストレスだらけの子供達は覚醒剤にも手を出し、親は子供を教育できず、家出して無法者になります。 

 

現代の日本の社会は金稼ぎ中心の資本主義であり、子供はその犠牲者になっています。 

まず禁煙法は即時撤回し、喫煙者に対する攻撃を禁止すべきです。 

 

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根拠もなく「Z世代はこうである」と言うのはやめましょう。もっと「その人個人」を見ましょう。 

この記事では、Z世代の間で「セルフ写真館」が流行し、「盛り」よりも「無加工」な写真が支持されるようになったと紹介されています。しかし、これをZ世代全体の価値観の変化とするのは短絡的です。たしかに加工アプリの流行が落ち着き、新たな自撮りスタイルが求められているかもしれませんが、それは一部の人々の選択であり、「Z世代の特徴」と決めつけるべきではないでしょう。 

 

また、無加工を好む理由も人それぞれです。「ありのままを残したい」と思う人もいれば、「新しい流行に乗りたい」という人もいるでしょう。時代ごとに写真の撮り方が変わるのは自然なことであり、特定の世代に限った話ではありません。結局のところ、どの世代であっても個人の価値観が多様であることを忘れずにいたいものです。 

 

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全く自分じゃない、少なくても、親兄弟がみて、本人とわからない様な加工するのが、全く理解できない。 

 

30年程前の話だが、ニューハーフになって初めて親元に帰って、誰も本人と気づかないとか行かないまでも、誰だかわからないデジタルデータ持っていても意味がない事に気がついたのでは。 

 

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加工してでもカワイイ重視な今の子達。顔の作りが少し個性的でも、気持ちが元気で健康的であれば彼氏ができてキラキラして見えた私たち世代は幸せだったのかも。 

 

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盛って撮ってカワイイって思ってもらって…実物を見た時に全然違うじゃーん!って思われた方がショックじゃないのかなっていつも思うんだが。 

 

中学生のプリクラ、もう自分の子がどれかもわからないほど加工されていて絶句… 

まぁ子供本人も一緒に撮った子に加工を任せたらしいので誰だかわからないじゃん!って爆笑していたし、うちの子はもう撮ってないみたい。 

 

加工大好きな友達はどんどん宇宙人みたいに目が大きくなって顔が尖っているのに本人たちは全然気づかないようで。 

 

もう心配になるレベル。 

ある意味中毒かなと思ってます。 

 

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流行は巡るんだよ、ラッパズボン、パンタロン、ベルボトム...みたいにね。 

似合う似合わないに関わらず流行に乗ることが大切という価値観があることを認めようよ。 

高尚っぽい理由なんか無くて、楽しめれば正解なんだよ。 

 

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盛る写真を撮るのはまったく否定しないけど、全部それで撮ると、若い頃の友達や自分の本当の顔がまったく写真として残らなくて、後悔していた娘のお話を聞いちゃうと、まあそうだよなって思う。 

自分はオッサンになって、若い頃の写真観ての、ふ~んとしか思わないから何とも思わんけど、節目節目ではメイクしてもいいし、すっぴんでもいいから、加工前の写真は残しといた方がいいと思うな 

 

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道にどこかの党の女性候補者のPosterがあるのだけど、目がキラキラ大きく顎が細くて肌艶もすごく加工していてこんな感じでもいいんだとちょっとびっくりした。何世代の候補者かわからないけど。あと仕事をきちんとしていればいいんでしょうけども。 

 

▲18 ▼0 

 

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受容のされ方、利用のされ方は、地域や所属する社会集団、時代によって変わります。 

 

盛り盛りの写真を見ても、他の世代の人からしたら、魅力的な写真だとは思いません。むしろ「変な写真」という感想を持つ人も多いでしょう。 

 

同様に、写真を撮る時、可愛く見せるために内股になる若い日本人女性が多くいますが、カナダ人の友人は「(内股の写真を)初めて見た時、足の病気かと思った」と言っていました。 

 

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まあ盛ることそれ自体は好き好きの話なのでいいのだけど、そこまで改変された画像を「写真」と呼ぶのには違和感がある。 

写真というより肖像画とか美化された記憶のようなもので、どうあっても記録にはなり得ない。 

10年後、20年後に見返した時に、そこにあるのは過去の自分の記録ではなく視覚化された記憶が残っているだけのように思える。 

 

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写真のみならず、個人がAIで加工動画も作れちゃう時代です。 

 

広告もテレビCMも、あるいはテレビで見る芸能人もみんな加工済みですから、あえて価値をつけるとしたらオリジナルという事になるでしょう。 

 

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最近、過去した画像のように整ってて肌の綺麗な中高生が多い。 

肌のケアの意識やレベルも昔と段違いだし、整形とかも気軽に済ませているのだろう。 

むしろ顔面自体が加工済みだから、写真を加工する必要無いということなのか。 

 

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こういうのは多少の形を変えながらぐるぐる回るもんだからね。流行りすたりってそんなもん。 

写真に限らずメイクだってごってごてに塗りたくったギャルが流行ったらその反動ですっぴんにちかいナチュラル系が良しとされて、落ち着いたらまたギャルメイクが……とかとかってなるし。 

 

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社内で座席表に顔画像が使われている。 

今時どうかと思うが過去の社長が言い出した事で誰もやめたがらない。 

それはまぁ置いておいて、実物と全く違う画像をアップしている人の多いこと。 

陰で笑われていることに気がついてほしい。 

 

▲61 ▼4 

 

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デジタルになってから特に後で画像処理効く関係で撮影技術のないなんちゃってプロカメラマンが多いからなあ。それなりの本物に高いギャラ出すよりも、だったらこのご時世、自分でシャッター切る方がいいかもしれない。 

 

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加工しても、結局どっかでリアルな自分を見せるわけでね。 

 

化粧する、写真写りが良い悪いくらいは昔からあったけど、今となっちゃ加工し放題、もはや別人になってしまう。 

 

リアル追求は良いと思う。ありのままで生きたほうが楽しい。 

顔面がどうしても気に食わなきゃ整形だが、際限がなくなるのでやっぱ微修正程度がせいぜい。 

 

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今では加工写真はすぐわかるレベルになっていて逆に恥ずかしいという話を聞いたことがある。 

確かに写真を見た後本人を見ても別人にしか見えなかったりするもんなw 

盛るのは元々ある写真マジック的なレベルに抑えておいたほうがいいw 

 

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加工写真の面白味はあるとは思いますが、前々から、加工写真と現実のギャップがあまりにも大きいのを見ると違和感でした。 

その人の心の願望が露呈している気がして…と思っていました。 

 

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写真には思い出や記録が詰まったものが多く、そこに写る人の顔や景色をイメージと照らし合わせる事で過去の記憶が想起されるものだと思う。 

 

原型がわからないデカい目をしてキラキラ光を放つ人だらけの写真を見返しても、本当の顔と一致しないし、いずれ本当の顔を思い出せなくなるだろう。 

現実よりイメージが重要視されすぎて、見た目や存在しないはずのものを頭の中で変換するようになってきている。 

かと思えば急に不便なものやローテクを求めてみたり、それをエモいと呼んでみたり。 

技術による進化なのか人の退化なのか 

人間はまだまだ未完成なのだろうなと感じた。 

 

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10代の頃に撮ってスマホの中に保存された写真が全て嘘八百の加工済ばかりで、20代も半ばになって激しく後悔してしまうってのはよく聞く話だよ。人間正直に生きたほうがいい。たまに遊ぶのは否定しないけど。 

 

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一世代前の子達は「盛る」ことにこだわった結果、私服の「本当の顔の写真」が1枚もないという人が結構いるらしいです。 

冗談抜きに学校の卒業アルバムしか素顔が分からないと。 

大人になったり、年をとったりしたらそれは寂しいと思う。 

 

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加工もいいけど(若者の価値観受け入れる自分えらい)、やっぱり自然なのが一番だよね!(ただの個人意見) 

こればっかり 

そもそも写真なんて各々撮りたいように撮ればいいだけ 

流行に飲まれて加工やらモノクロやら入った写真だって立派な当時の思い出だろうに 

 

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