( 258867 ) 2025/02/02 05:01:50 0 00 =+=+=+=+=
東神奈川駅のは「伝言板」の復活ではなく落書板としての再利用だろうなぁ。 駅内というか駅前が多かったけど、日観連の旅館案内所は忘れ去られてるかな。ネット予約など無く、時刻表の広告や市販のガイドブックなどを頼りに電話予約だった頃。急に出かけた場合でも飛び込みでは断られることが多く、「何円くらいだとどんなトコがありますかね、なるべく駅前で」とか相談できた。で、そこの係の人が電話を入れてくれて、1,000円とかの手数料を支払う。その領収書をチェックイン時に渡すとその分引かれるという仕組み。
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平成中〜後期ごろまでは駅のホーム(高架駅ですら)に 手洗い場や水飲み場があり、 深夜のホームでは酔っ払いがボウルに吐いている姿もありましたが 最近は蛇口とボウルのみ撤去されて、 蛇口跡には金属の栓(化粧プラグというそうです)がはめられて、 かろうじて痕跡をとどめていたりします。 ホーム端の方にあるホーム床面から突き出ているタイル張りの箱は 大抵水道の痕跡があったりします。
痰壺はリアルタイムで見たことはありませんが、 灰皿とセットの存在だったようですね。 痰壺は駅ホームだけではなく古い客車の洗面スペースにもあったそうです。
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昔、駅にあった設備(記事にある喫煙所や水飲み場)は首都圏の駅では見なくなりましたね。 トイレ入口にあった水に流せるティッシュの自販機(ガチャガチャみたいなの)も見掛けなくなったと思います。 しかし都内でも、例えば新宿駅の特急ホームには喫煙所がありますし、郊外の駅には水飲み場(最近見たのは長岡駅新幹線ホーム)は数こそ少ないですがまだあります。
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まずは改札口に立つ駅員さんと改札鋏による改札、そして硬券かなぁ。
後は上野駅などには中央改札口の頭上に特急の出発案内が時間毎に看板で掲示され、ホーム上も足元の案内でなく頭上に乗車口の札が掛かってた。今でも地方の主要駅で見ることがあるけど、もう走ってない列車名もちらほら。
大きな駅だと赤帽さんがホームまで荷物を運んでくれたり、改札脇の窓口から小荷物を送ることができる託送小荷物(チッキ)の制度があった。
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通学してた高校の行き帰りにホームでよく見た風景として朝は大きなブリキ缶をおぶったモンペ姿の行商オバァちゃん。 近いと生魚の匂いがぷぅ〜んと漂って来ましたし夕方の帰り列車はその日の夕刊の束を乗降口に乗せてましたね。 また今の車両には無いと思いますが向かい合わせ席の床に摘みの付いた蓋が有り走行中持ち上げてみたら台車がゴォ〜っと音を立て車輪が回転してるのが目の当たりに見えてビックリした事有ります。
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喫煙所ができたのは割と最近で、それ以前は、駅構内や列車内に灰皿があってどこでもタバコが吸えた。 喫煙所は少なく、駐車場や道端に平気でタバコを捨てる人が多かった。 昔のドラマは刑事の張り込みや恋人との待ち合わせのシーンで、路上に多くの吸い殻をおいて時間の経過を表していた。 映画館のように法律上喫煙が禁止されている場所でも、吸い殻を床に捨てながらタバコを吸っている人も普通にいた。 犬の散歩でも糞を持って帰る人は稀で、道端に犬の糞もゴロゴロしていた。 路上で立小便をする人や痰を道に吐きながら歩く人も多かった。 それが変わってきたのは昭和50年代位からかなぁ。 それまでは経済的には先進国だったのかもしれないが、文化的には先進国といえるレベルになかった気がする。
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古いものといえば、代々木上原駅のホームにレトロな時刻表がありますよね。 少なく見積もっても、40年以上前から存在している代物かと思われます。 3月のダイヤ改正で撤去されやしないか心配ですね。
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大きめな駅のホーム端にあった放送室 担当する駅員さんがDJみたいに一日中喋ってました。
今でも自動放送のアナウンスをワザと途中でブチんと切って「俺のが上手いんだぞ」という口調でアナウンスを始める駅員さんがいると、ほっこりします。
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伝言板と共に、拾得定期券の黒板も有りました。あとは主に国鉄の駅にあった、電光式の隣の駅を出ましたの表示。貨物でも点灯したり、駅間が長いところは点灯してもなかなか来なかったりでしたが。
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駅にあったもの、という記事の趣旨からは外れるけど、昔は国鉄駅のキップ売場で地方私鉄やバス・フェリーの切符が買えた。 一例を書くと、都区内の国鉄駅で佐渡島内へ行くキップを買う場合、都区内から新潟駅の国鉄切符、新潟から佐渡のフェリー切符、佐渡島内のバス切符がまとめて買えた。
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東海道線のホームとかにあった水飲み場というより手洗い場が懐かしいですね 学校の手洗い場の大きいのがありましたね。懐かしい 蛇口を上に向ければ水も飲めたけど
大垣駅にもあって東京発夜行普通で終着で顔洗ったような気もするし、すぐに接続列車の飛び乗ったような気もするし----
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昭和30〜50年代は痰壺っていうのもあったね 子供の頃なんだろうと覗いていたら頭の上で喉をガラガラさせてるおじさんが居て慌てて逃げた思い出がある。 年がら年中タバコを吸ってら人が多かったから唾や痰をそこら辺に吐かれないように出す場所が設置されてたんだよね。 今考えるとそれを誰が処理してたんだろう? 駅員さんかな?掃除の人かな?
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最初のディズニーランドに行った際、写真の青い201系に乗りました。 2編成連結されていたけど貫通式では無かったので、もの珍しく見ていたのを思い出しました。
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この京葉線車両が懐かしいです。
103がスカイブルーなのに、205はどうしてワインレッドにしたかが不思議でした、東京湾沿い〜房総地区を結ぶ路線なのに。103置き換えの201はまたスカイブルーになりましたね。今は233か209となりワインレッドのみでスカイブルーは消えちゃいましたが。
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小学生の頃(70年代後半)にお袋の実家の長野に行く時に車内で駅弁食べました。 お茶の容器が初めて見て、気に入ったので持ち帰りました。 その後長野に行く機会がなく、駅弁はそれっきりでした。 今でもお茶の容器あるのかな?
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1960年後半、 大阪から九州方面行きの長距離夜行急行列車に乗ったことがあったけど、 門司や小倉など、停車した大きな駅には洗面所があったものね。 また売店などの充実で駅弁売りも姿を消した。
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長距離や夜行列車の終着駅にあった 公衆浴場が懐かしい また、乗り換えホームの洗面手洗いも懐かしい 水のキレイな街の駅では、泉の様な造りがあってりして、なんだか心のリセットにもなりましたね 今度はそんな処を見つけたいものです。
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いろいろ理由を付けるけど、基本的に経費削減。駐輪場もなくなったね。 時刻表や路線図もなくなっていく。駅員も乗務員もいなくなるか。 新たに登場したのはエレベーターと無料WiFiくらいかな。
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駅から広告も減っています。車内も中吊り広告とかもそうですね。 皆がスマホばっか見るから、駅、車内での宣伝広告が薄れてきている。スマホ依存症です。 下手するとスマホ見ていて線路に落ちる人も居る位ですから→逆にホームドアが駅に増えましたね
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蒸気機関車のばい煙
電化される前の蒸気機関車での運行の時にはどうしても煙が車内に入ってきたので、皆顔を洗うというので今より手洗い場が多くあったと聞きます。
昨今、確かに少なくなりましたね。
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横川駅の立ち売り。特急あさまは片側2枚の窓が非常用に開けられるようになっていて、みんな開けて釜飯を買っていた。よく開くの知ってるなと感心したもんだ。
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キオスクも減りましたね。 いまはNew Daysというコンビニ形式の売店に置き換わってしまった。
余談ですがギリシャのアテネに行ったとき、街角には菓子や新聞雑誌、飲料やちょっとした軽食などを売っている売店があって、それもキオスクと呼ばれてました。 まさに日本にあったやつと同じ。
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伝言板にX・Y・Zとよく落書きしてました。まだシティハンターがジャンプで連載してた時です。最後に伝言板を見たのは三峰口駅ですがまだあるかな。喫煙所を最後に見たのは6年前の米原駅ですね。あまりに狭いので人が溢れていました。
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有人改札口でしょ! 入口ではあのリズミカルなテンポで切符切っていたり、出口では定期や切符を凄い動体視力でキセルや期限切れ定期を見つけたり。 凄く職種でしたよね。
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大人になったら夜行列車や食堂車に乗っていろんなところを旅したいって思ってたな…実際に大人になって稼ぎも安定してきた頃にはすっかり絶滅してしまったけれど。 憧れだったなぁ、人生で一度は乗ってみたかったよ、ブルートレインの個室A寝台。
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30年程前、JR京葉線・新習志野駅の島中ホームで分割併合が行われていて、編成数を示す標識が線路上にあったのですがそれも数年前に撤去。
ホーム上には4両、6両用の発車ベルがあるけれどこれも撤去予定。
若い鉄ヲタ君達は変な位置にある発車ベルには全く興味を示さないし、何故ここにあるのか疑問にも思わない模様。
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どこの駅か忘れたけど蒸気機関車の名残りなのか、水飲み場というかちょっと大きめな手洗い場みたいなのがありましたよ。 ローマの遺跡みたいなデザインのが。
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そういえば、秋葉原駅の総武線の上り下りホームに有る、昭和のノスタルジーで健在な牛乳スタンドは、瓶牛乳を味わいおにぎりやサンドイッチも有り、昭和の売店の佇まいを味わえます、ついつい通った時に寄ってしまう自分です、、、
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そういや駅前にシティホテルがある大きな駅や、新幹線ホームにあった「クラッカー・コメット・胴上げ禁止(おやめください)」の標示も、気付いたら見なくなっていた 私が子どもの時代は大安の日曜午後とか、最寄りの近鉄の駅ホームでウエディングマーチ流れて万歳三唱とかやってけど…あれどうやって手配していたんだろ? 今し結婚式そのものもやらなくなったり、私の周囲でも式や披露宴の後そのまま新婚旅行行くなんて奴居なかったしな
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この前のラジオで話してたけど、サントリーが烏龍茶を売り出すまで水もお茶も売ってなかった
ペットボトルなんてないから、唯一駅弁売ってるとこでお茶が買えた話してて、若い人はびっくりしてた
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伝言板懐かしい!あった!使ったことはさすがにないけど。 今はみんなスマホあるから必要ないもんね。 ゴミ箱本当はあって欲しいけど維持が大変だから仕方がないのかな。今は外国の人も多いしね
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ホームで新婚旅行に向かう新郎の胴上げ。 寝台列車で上京、都落などで知り合いとのホームでの涙の別れ。 昔のホームには人間模様が溢れていました。
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伝言板といえばやはりシティーハンターのイメージですね。
今も出かけた先か旅先で伝言板をみかけるとついXYZと書いてしまうんですよね。
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完全になくなったわけではありませんが... ホームの線路沿いの上のほうに2本のひもを横に張って、その間に列車名や号車番号などで乗車位置を標示したやつ 名前がわかりませんでした。
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シティハンターも最初は駅の伝言板にX.Y.Zと書かれて居たら、が仕事の依頼のサインでしたよね 映画の公開時に新宿駅に限定復活して居た記憶が
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駅の伝言板と言えば「X・Y・Z」なんだけど見なくなりましたね、割と壁直で貼ってあったり 駅弁の立売といえばJR折尾駅ホームの東筑軒のかしわめし!うまいよ!
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日本の影響が、台湾でもホームで駅弁を売っていた。最近は列車の中で気軽に食事しにくい雰囲気。昔が懐かしい。
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ホーム上の郵便箱 優等列車の冷水器 缶オープナーの付いた窓際のテーブル 車内販売やホームでの駅弁やお茶の販売も懐かしいな.....
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他には洗面台、売店、立ち食いそば、時計など、全部なくなくなったまたは全廃に向かってるものもあり、今がその最後のステージかもです。
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□の中に弁で、弁当の販売がある駅 ○の中に洗で、ホームに洗面台のある駅 帽子のマークは、赤帽のいる駅 ✚のマークは、救護所のある駅
昔の時刻表は、今より味がある。
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ホームの壁の長椅子も無くなっていってますね。 酔った人が起き抜けに真っ直ぐ歩いて転落するのを防ぐためだっけ。
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電車内で新聞を読んでる人がいない。高校生の時、電車通学で大人とは朝、日経を読み、夜は夕刊紙を読むものなのかと思ってた。
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自分の学生の頃は喫煙所ではなく禁煙タイムだった。 その時間帯を除けば自由にどこでも吸えた。もちろん灰皿はあったけど。
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期間限定とはいえ、その伝言板にXYZと書いたら東神奈川の種馬の通称を持つスイーパーが仕事したとかしないとか・・・。
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今ではホームのキオスクも少なくなって来ました。代わりにファミリーマートの自販機が増えて来ました。
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一番はゴミ箱でしょ。
昔はそこに捨てられた新聞・雑誌を集めて商売している人がいたから、影響が大きかったでしょう。
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スキーの行きかえりに、横川駅が近づくと人数分のお金を握りしめ 真っ先に駅に降り、買ったのを今でも忘れません。
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丸いボタンがたくさん並んだ券売機。カバーで覆われた部分をめくると子供料金のボタンが。
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『チッキ』 駅まで荷物を自分で運び 指定した駅でその荷物を受け取るサービス 昔あったと思います。
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駅構内ではないが、新幹線のビュッフェや食堂車を、復活させてくれないかなぁ?
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昔は痰壷(タンツボ)があったなぁ〜。あと…繁華街の駅前には第二次世界大戦の戦傷者の方が軍服着て物乞いしてたなぁ。
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東海道線ですが昔は、灰皿が設置されていて普通に車内喫煙可能でした。
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駅のホームにあった立ち食い蕎麦屋も無くなったな 売店も自販機に変わってたり
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池。鯉とかドジョウ泳いでた。寒い日はカチンコチンに氷はってました。
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有名な駅弁はわずかな停車時間を使って一目散に買いに行った。 ときどき、お茶を買うのを忘れてしまったり・・・。
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前は伝言板が機能していてそれで用が足りた。現在は携帯が無いと非常に困る。
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時刻表や時計もいまホームにはないからね。 時代は変わっていくね。
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痰壺なんかもう知る人少ないんだろうな。痰壺に吸殻を捨てないで下さい。ってのもあったな。
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JR誕生直後~数年 直営の商業施設 店員はおっさんばっかでさせんされた職員だったんだろう 飲食店や売店
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駅の掲示板を模した比較広告を思い出します。
JALの のぞみへ 先に行ってるね
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水は飲まなくていいけど、手洗い場は欲しいな。
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旧国鉄の天文学的な負債をタバコ税で返済してるのに駅だタバコ吸えないってどういう事か!!
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特急、急行の平べったい紙コップも懐かしい。
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ホームにあった立ち食いそばは無くなりはじめていますよね
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設備の維持管理は大変なんだよ。
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排ガスのほうが余程健康に悪いだろうが言っても仕方ない。
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>窓の開かない特急形車両が主流になった
今や特急形車両どころの話ではない
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そもそも始発ターミナルが減ってきたかも 上野発が無くなってきている
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変わり種としては、代々木駅や水道橋駅にあった落書きコーナー。
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難しいは給水塔があったんですが、今の人は分からないだろうな。
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トイレの入り口にティッシュの販売機があった
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駅の喫煙スペースがなくなったから禁煙できました。
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貨物列車の車掌車も見なくなりましたね。
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都道府県庁所在地駅等の大きな駅にあった「鉄道公安官詰所」
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かつて駅には旅情があったが、今は消えた
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「電車が来ます」とだけ光る案内板
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時計も少なくなってきた・・・
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私が子供の頃にあった痰壺も見なくなった
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公衆電話ですね。 ほんと見なくなりました。
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とっくに消えたと思ってたら『白いポスト』ってまだあったのね。
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時計やトイレなども‥無くなってきている。(特に地方)
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たんツボだな。 記憶に残ってるの。
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昔、駅にあって消えたものというと灰皿だな。
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公衆電話 駅前にずらっと並んでたよなあ。
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ホーム上のキヨスクがすっかりなくなりましたね。
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東神奈川の伝言板ももうないでしょ
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担ぎ屋のおばさんが使っていた荷物台。
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XYZ
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キオスクも無くなったや。
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痰壺も見ないな
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