( 259050 )  2025/02/02 15:47:13  
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志村さんに対する尊敬や感謝のコメントが多く見られ、彼やフジファブリックに対する敬意や愛情が伝わってきます。

読者たちは、志村さんの努力や才能、バンドの歴史や楽曲に感動し、彼らの音楽が彼らの人生に大きな影響を及ぼしていることを嬉しく思っています。

(まとめ)

( 259052 )  2025/02/02 15:47:13  
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志村さんは努力の天才だったんだな。ユニコーンやイエモンのコピーしてってほんと普通の当時の高校生、音楽を学んで取り入れてたくさん試行錯誤して自分達の音楽を作っていったんだろうね。 

志村さんにも現メンバーにも旧メンバーにも全てをリスペクトしてる凄く良い記事だった。 

 

▲2289 ▼56 

 

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タイアップが多いんですよね。 

親しみやすく毎日聴いても飽きない程度にドラマチック。 

稀有なバンドだと思う。 

朝ドラの主題歌とかやってほしかったな。 

 

結成メンバーのこの記事の方も苦学された素敵な人ですね。 

 

フジファブリックに関わった人たちの今後が幸多いものでありますように。 

 

▲796 ▼12 

 

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いつの間にか、志村くんが亡くなってからの方が活動年数が長くなってたんですね 

それにも気づかなかないくらい、離れたところから聞かせてもらっています 

富士ファブリックのメンバー同士が今でも繋がっている、志村くんとも繋がっていた、とか嬉しい 

 

▲815 ▼11 

 

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一昨年の高橋優のフェスでフジファブリックを知りました。 

見たかったステージが終わってあまりの暑さに日陰に避難してたら、あまりにもいい歌、いい演奏が流れてきて走って見にいった。はじめて見るバンドなのに泣けてきて、名前はもちろん知ってたけど詳しくわからないからすぐ調べたら、、 

こんな背景のあるバンドなんだと知って驚きました。 

軸となるメンバーが亡くなった後だとは思えないほどのすごいバンドだった。 

それから追い始めた矢先、活動休止は正直悲しいの一言だけど、でも、フジファブの周りは、苦しいことと同じくらい素敵な人々が集まってる。 

出会えてよかった。志村さんがいた頃に会いたかったけど、、自分は今のフジファブが好きです。 

ほんといい記事でした。ありがとうございます。 

 

▲436 ▼5 

 

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とてもいいインタビューでした。 

現メンバーとも交流が続いていたんですね。フジファブリックを続けた現メンバーも、辞めたメンバーも、志村くんも、それぞれの道で人生を頑張っていたんだなあと、感慨深いです。 

そしてひとまず、フジファブリックに関わった全ての皆様、お疲れ様でした。音楽はずっと残りますし、私も聴いていきますね。 

 

▲612 ▼5 

 

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天才と呼べないんなら、ものすごいセンスの持ち主だったと言う。小学生でも知っているような言葉や、楽典を習い始めた頃のちょっとした和音が、志村の感性を通して広がっていく。言葉にはできないイメージが目の前に広がる。多くは悲しみや寂しさや後悔のイメージ。それは決して泥臭くない。美化もしていないのに、なぜか美しく耳に届く。志村の努力を通して生まれた美しい音楽。 

 

▲330 ▼17 

 

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わたしも感謝してますね。Mステに初出演したときに初めて知り、その後彼らの音楽を聴くようになった。普段、故人のものはどうしても寂しくなっちゃって触れるのが苦手ですが、いまのメンバーが前向きに活動し進み続けてきてくれたことで、純粋に彼らの音楽を楽しむことができる。こうやって志村さんの昔の仲間や地元の人たちもあたたかくて、本当に尊いし素敵です。 

 

▲207 ▼3 

 

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2010年7月のバンド主催のイベント、フジフジ富士Q行きました。 

志村さんが生前から決まっていたけど前年に亡くなってしまいました。志村さんはいなかったけど親交のあるミュージシャンの方々がフジファブリックの曲を演奏し感動しました。 

昨年別のバンド主催のイベントで久しぶりに生でフジファブリックを見ました。 

活動休止は寂しいけど、これからも聴き続けます。 

 

▲201 ▼4 

 

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志村さんは今も昔も自分にとって唯一無二です。 

音楽をものすごく勉強して、それを自分流に昇華してるから、聴くたびに未だに新しい発見がある。 

飽きないように作った、それは努力でもあり天性のものだとも思っています。 

普通で不器用だからこそ、他にはない言葉が出てくる。受け取り方でいくらでも想像できる歌詞も魅力的で大好きです。 

 

▲106 ▼3 

 

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フジテレビ深夜の音楽番組factoryで初期の名曲「花屋の娘」で衝撃を受けました。ただ自分の好きなジャンルとはちょっと違うので、CDは聴くけどライブは行かないままでした。そうして月日が流れ志村さんの訃報。 

その後リリースされた「FAB BOX」でライブ映像を観たらめちゃくちゃ良くてライブに行かなかった事を後悔しました。 

素晴らしい音楽をありがとう、志村さん。 

 

▲87 ▼2 

 

 

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志村さんが亡くなったことを知ったときの衝撃は今でも鮮明に覚えている。圧倒的な存在感で、フジファブリック=志村さんのイメージだった。 

だから、失礼ながら残されたメンバーが「フジファブリック」の名を背負ってここまで活躍し続けてくれるなんて、その時は全く想像できなかった。現メンバーの皆様本当にお疲れ様でした。 

現メンバーも旧メンバーも、これからもそれぞれの道で活躍して欲しい。 

 

▲3 ▼0 

 

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銀河が発売された頃CDショップで視聴して、素晴らしさに衝撃を受けて、その後熊本でのライブに行きました。あまりにライブが素晴らしくて、その2年後くらいにまた熊本でのライブに行きました。私は今結婚して子育てに奮闘しています。私の青春時代はフジの音楽と共にあって、今は季節や節目事にフジの音楽が寄り添ってくれてます。貴重なインタビューが聞けて嬉しかったです。ありがとうございました。 

 

▲7 ▼0 

 

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実は私も現メンバーになってからバンドの存在を知った1人です。「若者のすべて」はスルメみたいなもので聞けば聞くほど身に沁みる。今じゃ聞いてはウルウルとしてしまいTPOをわきまえないと聞けない歌です。多くのアーティストに歌い継がれ、それだけの名曲を生み出した志村さんは凄い。そして、その歌を元々ボーカルじゃなかったメンバーが歌い続けるなんてもっと凄い!それだけフジファブリックが愛されている証拠なんですね。天才と称される志村さんですが、旧友である方の平凡な高校生がストイックに音楽と向き合った結果だと言うこの言葉もまた、心二丁目沁みました 

 

▲67 ▼2 

 

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年末のカウントダウンジャパン(CDJ)で初めてしっかりとライブを見ようと決めてたその少し前に突然の訃報が流れてきてショックで…。 

 

CDJで出演が予定されてたステージで過去の映像を流してたけど、始まる前からすすり泣く声があちこちから聞こえてきたし、イントロが始まった瞬間隣にいた人が泣き崩れたり…。 

自分も始まってすぐもらい泣きしたけど、もらわなくてもきっと泣いてた。 

 

「推しは推せる時に推せ」 

と今は言われたりもするけど、初めてそういう感覚になったのはこの時だった。 

 

 

休止前ラストと思って昨年末のRADIO CRAZYでフジファブリックを見て、あえて志村時代の曲をしなかったことがそれはそれで胸が熱くなった。 

 

 

またいつか活動再開してほしいと願う。 

 

▲26 ▼0 

 

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志村正彦さんは私の人生に大きく影響を与えてくれた人の1人です。作品を通じての単なるファンとアーティストという関係だけですが、そうであってもこんなにも心に棲みつくことがあるんだということを身をもって知りました。絵画などの美術作品、小説や映画や漫画など色々な表現方法がありますが、志村さんの音楽は、音楽でありながら映画のようであり小説のように情景が浮かんでくるし、時に優れた絵画を鑑賞している時のように時間の感覚が失われることがあります。現体制の山内さんカトウさん大ちゃんは作品というよりも活動の応援というカタチではあったけれど、ここまでの道のりに心から感謝したいです。ドラマのホットスポットを観てて、バカリズムさん平岩紙さんと富士吉田という関係性にも運命を感じています。10年前では考えられないくらいに観光客が増えた富士吉田市。素敵な街と富士ファブリックメンバーのこれからの活躍も応援しています。 

 

▲7 ▼0 

 

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いい記事ですね。 

志村は努力の天才。 

ほんとにそう思えるし、このバンドは志村が亡くなってからも凄かったね。 

志村が亡くなってからバンドを知ったけど、遡って聞いてるくせに、志村いなくてどーすんの? 

って思ったものだ。 

志村時代に衝撃受けて、総くんの「LIFE」でもいっぺん衝撃受けて。 

色々思い出します。 

活動休止は残念だけど、今までの感謝の気持ちが日に日に強くなってるなぁ。 

6日は行けなくてせめて配信でしっかり見届けます。 

 

▲2 ▼0 

 

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聴くたびに心に染み渡る、そんな曲がたくさんあります。  

言葉の紡ぎ方が優しくて、響きがとても心地いい。  

特に『茜色の夕日』が大好きで、聴くたびに情景が浮かぶような温かさを感じます。 

切ないメロディですが、頑張る気持ちにもなるんですよね。 

奮い立たせるじゃなく、包まれて慰めされる気分になります。 

 

▲16 ▼0 

 

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プロ野球ファンだから、Sugar!!は今でも脳裏に焼き付いている。 

イチローが打って世界一を決めた2009年のWBCでは一番よく耳にした楽曲。 

翌年はJsports STADIUMで何度となく聴いた。志村氏の残した功績は相当なものだと思う。 

 

▲226 ▼4 

 

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私は奥田民生が好きで、コロナ禍の頃にYouTubeで民生が「茜色の夕日」を涙声で歌っているのを聞いて、そんなに感情的に歌うのに驚いたのがきっかけで志村さんやフジファブリックの詳しいことを知りました。民生が涙声で歌ってたのは志村さんが急死した直後のフェスでした。 

すごくいいインタビューでした。 

 

▲27 ▼0 

 

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今でもだいすきです。 

フジファブリックの休止は残念ですが、 

3人が続けてくれたおかげで、志村くんの歌を知ってくれた人たちもいるでしょうね。 

 

今も志村くんのお墓はたくさんのコーラに 

書かれたメッセージで溢れています。 

私も通っているうちに富士吉田が大好きになりました。 

とても素敵な場所なので、 

フジファブリックを聴きながらドライブして欲しいです。 

 

▲27 ▼0 

 

 

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でもやっぱり志村さんは天才だと思う。 

作る曲も、下手なのか?うまいのか?と戸惑ってしまうくらいいい意味で不安定なボーカルも、志村さんならではの魅力で、本当に唯一無二の存在です。 

 

2009年は自分にとって忘れられない年です。 

年明け早々に病気と戦いながら出産し、そしてその年にユニコーンが再結成し、忌野清志郎さんが亡くなり、年末には志村さんも。 

直後のライブでは奥田民生さんが泣いていました。 

翌年のフジフジ富士Qは、みんなの気持ちが詰まった素敵なライブでした。 

あこがれてた民生さんが、志村さんの曲を歌ってましたね。 

 

だから、活動休止は寂しい。 

民生さんが「事務所の稼ぎ頭だからね、頑張ってもらわないと」と民生さんならではの言い方ではっぱをかけていたのですがね… 

 

いまでも志村さんの曲を聴いているし、クリスマスには思い出します。 

 

▲27 ▼1 

 

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読みながら富士五湖文化センターの茜色の夕日について語ろうと思ったら記事でご本人から語られていたw(もっと前の地元凱旋時のことだったらすみません) 

Youtubeでも観れますが、この映像に収まっている志村さんは人類史上最も美しい男子の1つに挙げたいと今でも思っています。 

数年に一度、富士急行に乗りに行き、流れるメロディを聴きながら地元の人達の佇まいを静かに見るのを隠れた趣味にしていましたが、最近はインバウンド率が高すぎて情緒がね。。 

 

▲92 ▼5 

 

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メジャーデビュー以前のインディーズ時代の作品は「アラカルト」、「アラモード」で視聴できます。 

インディーズの時にはすでに、茜色の夕日やダンス2000を作曲されていて、これからが楽しみという感じだったそうな。 

今週が休止前ラストのライブがありますが、こう言った記事が掲載されるのも、長く続けたからこそなのかなと思います。 

 

▲0 ▼0 

 

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富士吉田の人って優しいんだよな。昔営業でまわってたときも大丈夫か?てくらい家にあげてくれたり優しい言葉かけてくれたり。 

縁あって志村さんのお母さんに実家にあげてもらってこれまた優しいお父さんお母さんと一緒にお墓参りしたり。志村さんの部屋にユニコーンのビデオが棚にあってなんか感動したのを思い出しました。 

 

▲23 ▼1 

 

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すごくいい話で泣けた。 

ただ、序盤にこの記事書いた人の力量なのか時系列がおかしくて混乱した。 

それはともかく、フジファブリックも本当にもう終わるのかと思うと寂しさが押し寄せるけど、それ以上に志村さんが亡きあとも続けてくれたメンバーに、記事のご友人同様に感謝です。 

 

▲20 ▼1 

 

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若者のすべて、茜色の夕日、銀河、赤黄色の金木犀、夜明けのBeat…挙げるとキリがないけど、志村さん亡き後もこうやって楽曲とバンドのストーリーが続いてきたのはメンバーや周りの人たちが素晴らしかったからですね。 

 

▲27 ▼0 

 

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エレキコミックがむかーしやってた番組でアーティストじゃなかったらどんな仕事かというやつがあって、志村さんは探偵になってた。タイプの女の子とか電車で見かけたらちょっとついてっちゃうよと飄々と語ってたのを覚えてます。 

 

若者のすべてはもちろん、strawberry shortcakesとかちょっと変態的な歌詞の曲も好き。 

ピロウズの解散もショックだし、ちょっとでも気になる人には会えるなら会いに行かないとと思うね。 

 

▲5 ▼0 

 

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志村さんがいた時代にファンになったもので、デビュー前のメンバーと総入れ替わりだったのは知っていたが、違う業界で活躍していて、ましてや法曹の世界にいたとは驚きです。 

 

この記事を読んで、改めて昔のフジファブリックの曲を聴いたら、思い出と共に泣けそうです。 

 

▲13 ▼0 

 

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良い記事だったなぁ。そう、志村正彦の才能は天才だと思うけど、それ以上に全生活を音楽に捧げることができた「努力の天才」だったと思う。『東京、音楽、ロックンロール』読むと、凄い悩んで、苦労して、曲作りしてたのよく分かるもんな。『赤黄色の金木犀』の歌詞にある「僕は残りの月にすること決めて歩くスピードを上げた」とか、努力してる人間にしか書けない歌詞だと思う。 志村正彦の努力を間近で見てた人だから、小俣さんの言葉の一つ一つも重い。音楽の話はしなかったとか。カッコ良いなぁ。 

 

▲0 ▼0 

 

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いや、努力だけでは成し得ないピースがある。 

それが有るか無いかで似て非なるものになる。 

創造性・芸術性を必要とされる分野なら尚更だ。 

 

その証明をしているのが、 

『若者のすべて』 

聴いた事がない方はぜひ一度聴いて欲しい。 

 

片想いを抱いた男の、余りにも余りにも平凡な心の襞(ひだ)を、小さな小さな空間の中で、極々微妙に繊細に移り変わっていく、友達同士の話のネタとしては一笑に付されて終わってしまうようなシーンを歌った彼。 

 

それを彼は『若者の"すべて“』と言い切った。 

 

その事に不自然さを感じないからこそ多くの人々の琴線を弾いた。 

 

聴く者が日々暮らしの中で、曖昧にしながも、確かに共有できる純粋さを、彼はまるであっさりと軽やかに気づかせてくれた。 

その "純粋な鏡" によって真実を見せてくれる才能は、誰もが持っているわけではないだろう。 

 

真似事をしている人々は、その細部にボロが出ている。 

 

▲7 ▼0 

 

 

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記事の見出しを見て、一気に読み切って… 

寂しさと温かい気持ちが 溢れました。 

 

これまでに見聞きしたエピソードに加えて、 

知らなかったお話もありました。どれも温かい。 

 

高校時代、上京するまでの間も  

アルバイトを掛け持ちして お金を貯めて 

ご両親に上京の意思を伝えた… と聞いていた。 

 

【普通の大学生が楽しむ時間を すべてストイックに 

音楽に打ち込んだ。努力がすごかったんです。】 

 

上京後も さらに努力を重ねた志村さん。 

正に 一生懸命。 

 

懸命に 懸命に 音楽を創り上げた志村さん。 

努力家で シャイで 友人想いという志村さん。 

 

こんな魅力的な方だからこそ、  

愛される人柄、楽曲は語り継がれるのですね。 

だから 現メンバーの方々も フジファブリックを 

大切にここまで紡いで下さった。 

 

すべてに感謝。 

 

志村さんが居ないことと、活動休止は  

とても寂しいけれど この温かい想いは忘れない。 

 

▲12 ▼1 

 

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別れた彼女の推しがフジファブリックでしたので、ジジイだけど知ってました。 

富士→フジでメンバーが変わっていたのですね。 

それぞれの人生の選択をしても続いた友達は大切ですね。 

でも、亡くなってしまうとそこには後悔や残念な気持ち、複雑だよね。 

 

▲10 ▼0 

 

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フジファブリックの若者のすべてを初めて知ったのが昨年インスタで大島さんとこがけんのハモリを聞いて、ハモリに感動したのと、いい曲だなと思って調べて初めてフジファブリックを知りました。 

 

▲12 ▼0 

 

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藤井風さんのカバーした「若者の全て」の動画からフジファブリックを知り、そこからハマりました。 

あの曲の持つ普遍性はすごいものがあると思います。 

 

▲3 ▼0 

 

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志村が死んだ時にフジファブリックは終わったと思った。でもそこから復活してくれた。 

深夜にたまたまアニメを見かけたらそこから流れてきた「徒然モノクローム」を聴いてあれ?フジファブリックかなこれ?と思ってクレジットを追ったらやっぱりそうだった…あの時はなんとも言えない気持ちになったなぁ。これからも聴くよフジファブリックの曲を。 

 

▲73 ▼0 

 

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じんわりと心が温まる記事でした。 

志村さんとの関係性、現メンバーとの交流、言えなかった言葉。 

縁が繋ぐ不思議と面白さ。 

フジファブリック、本当に素敵なバンド。 

 

▲164 ▼0 

 

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貴重なお話ありがとうございます。 

富士吉田市の凱旋ライブは本当に素晴らしい時間でしたね。志村くんが幸せそうでした。 

ここまで続けてくれたメンバー、支えてくださった多くの方々に感謝いたします。 

 

▲9 ▼0 

 

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亡くなったニュースを見て、そんな方がいたんだと思い、聴き始めました。 

 

志村正彦さんの誕生日と命日には、フジファの楽曲が時報で流れるそうで…いつか聴きに行きたいなぁ。 

 

▲14 ▼0 

 

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Youtubeで適当に次の動画で流れてきた「銀河」に衝撃を受けて、後日ラジオで流れてきた「Surfer King」でまた衝撃を受けて、その日のうちにCD買ったね。 

歳をとったのか、今は1人で運転する時によく流す「茜色の夕日が」が滲みるよ… 

 

▲1 ▼0 

 

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フジファブリックって曲ももちろん素晴らしいけど、経歴自体がまるでマンガや物語のような稀有な存在なんだよな。それらも含めて「フジファブリック」が構成されている。 

 

▲123 ▼5 

 

 

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現場で音楽かけてる時、フジファブリックかけると口ずさんでる人いるんだよね、結構。その世代の人間には青春の歌なんだよね。本当に愛されたバンドだなーってつくずく感じる 

 

▲15 ▼0 

 

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茜色の夕日大好きです。 

志村さんが亡くなった後にフジファブリックを知って曲を聴き始めました。 

昨年フェスで見させて頂き、本当にいいバンドだなぁ〜と感じました。 

 

▲41 ▼0 

 

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コアなファンではありませんが、志村君とのお別れは本当に切なかったよね。あんなお別れの仕方ある?自分が側にいたらって身内もファンも思ったんじゃない?椎名林檎だけが泣きながら怒ってたのが印象的でした。 

 

▲12 ▼0 

 

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小俣さん  

県立吉田高校→明治大学法学部→中央大学法科大学院→弁護士  

 

もともと山梨の進学校出身ですし、地頭がよかったんだと思います。  

それに努力が実って司法試験も一発合格とは凄いですね。 

 

▲32 ▼0 

 

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こんな記事がたくさん流れてきて欲しい。 

こころ温まるエピソード。努力の賜物である事は、身近な人がら分かるんだよね。天才の一言で終わらせてほしくない気持ちがよく分かる。 

 

▲73 ▼1 

 

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あの年にいったCDJは忘れられんよ 

スタッフが大急ぎで映像編集してくれて、予定通りのEARTH STAGEにフジファブの音楽と映像流してくれたことには感謝しかないし、集まったギャラリーも同じ思いだっただろう 

 

▲7 ▼0 

 

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今も聴くフジファブリックは志村在籍時の曲ばかり。聴いてて情景が目に浮かぶ、なんでこの言葉を歌詞に?…個性的で唯一無二。これからという時に亡くなってしまい、どんな曲を作り続けたんだろうな、聴けないのが残念…。 

 

▲6 ▼0 

 

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『陽炎』が特に好きです 

歌詞に日本文学的な世界も感じました 

あの 最後の叩きつけるような素晴らしいピアノプレイは 記事の先生によるものなんですね。 良い記事でした 

ありがとうございました 

 

▲7 ▼1 

 

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メンバーの1人である金澤ダイスケが何故「ダイスケ」という芸名を使っているかというと、金沢がローディーとして師事していたキーボーディストの故小川文明氏に「お前、浅倉大介に似ているから今日からダイスケな」と言われたから。 

 

▲26 ▼1 

 

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カリスマ性のあるフロントマンを失っても 

なお続いたのだから、改めてすごいバンドだったんだなぁと思う。 

 

現体制の楽曲も結構好きだし 

フラッシュダンスとか 

 

▲7 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

素晴らしい記事 

 

もう15年なんですね。訃報を見て買いそびれていたライブDVDを買いに行って店員さんと話した恵比寿の新星堂もだいぶ前に閉店してしまった 

時が経つのは本当に早い…… 

 

▲46 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

志村生前よくライブにいっていましたが、勝手に天才と思い込んでいた。いろんな時間を削って、曲をつくっていたんだなぁと、改めて知れてとてもよかった。 

 

▲4 ▼0 

 

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活動停止はビックリしました。数年前にファンになり、志村さん後の活動しか知らなかったので以前の楽曲も聴いていました。こんなにいいバンドが何故活動停止なのでしょうか。。。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本中が、弁護士至上主義になり、工学部に進学しなくなり、産業力や工業力が無くなり 我国は国家衰退している。平家(弁護士)で無いものは人でないーと言うけれど日本は訴訟家2元主義の国にであり 最高裁判所の訴訟事務を司法書士に委託する事ができるし 訴額の制限はあるが司法書士を示談交渉の代理人にしてトラブル処理を委任できる。だから平氏(弁護士)になれない者は源氏(司法書士)にならざるをえない。 

 

▲0 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

楽曲はもちろん、バンドの歴史、富士吉田市の景色、お話しされている小俣さん、そしてこの記事を書かれた方。 

すべてが素敵だな。 

これからも続いていく…か。 

 

▲121 ▼0 

 

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槇原敬之さんが「若者のすべて」を絶賛している映像があって、それで初めて彼らの楽曲を聴きました。素直に感動しました。 

 

▲12 ▼0 

 

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知らなかった。現メンバーになってからの曲をよく聴いていたから、そんな経緯があったとは思いもしなかった。意志を受け継いでここまで活動していたんだね。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに天性の才能というより努力の天才という感じがする 

歌も決して上手い訳ではないんだけどとても心に響く 

 

▲44 ▼0 

 

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若者のすべてを聴いていると、胸がぎゅーっとなり涙が溢れてくる。 

このような話を聞くと、あぁ、生きていたんだよな、今の声でも聴きたかったなと思って切なくなる。 

 

▲63 ▼0 

 

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初期メンもいなくなって、ボーカルもいなくなったのに、よく続けてくれたと思います。 

ティーンエイジャーまでのアルバムは未だに聴いてます。 

 

▲51 ▼0 

 

 

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つながっていくものに、自分もつながっていける…文章にもありましたが、縁ですね。 

ありがとう、富士ファブリック。 

ありがとう、フジファブリック。 

ありがとう、みなさん。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いい記事で泣けました。富士吉田の田舎道から見える茜色の夕日はいまも変わらずしっとりと、輝いています。 

 

▲37 ▼0 

 

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今も昔も大好きなバンドでした。寂しくなりますが、皆様のこれからも応援してます! 

 

▲68 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

もう15年たつんだね 

ほんと年月の早さに驚く 

でもやっぱり茜色の夕日は志村さんなんだよね 

 

▲157 ▼0 

 

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そうだったんですか。自分の夢に向かって進む人はすごい。「若者のすべて」を聴くと、今でも胸がキュンとします。 

 

▲1 ▼0 

 

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久々にヤフーニュースで良い記事を読んだ気がする。多分これからもフジファブリックを聴きながら生活すると思う。 

 

▲11 ▼0 

 

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20年程前にスペシャで桜の季節のPVを初めて聴いた時このバンドは流行るなって思った 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

志村さんがいなくなった当時本当にショックで聞かなくなっていたんだけど、時が経ってこの話を見られてよかった 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

良い記事だ。今も志村さんと当時のフジファブリックを思い出すことがある。 

忘れずにいたい。 

 

▲2 ▼0 

 

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志村を神格化してはいけないんだって。フジファブリックはとても私たちのそばに身近に寄り添ってくれる音楽。 

 

▲7 ▼0 

 

 

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富士吉田には年一回くらい行きますが、富士吉田駅の列車到着音はフジファブリックの曲ですね。 

 

▲28 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

野外フェスで初めて聞いた時の奥行き感が凄かった。 

ステージの向こう側が見えた。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

それぞれの人生に、それぞれの思い。これからも大切にして欲しいです。いい記事でした。 

 

▲8 ▼0 

 

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リバー・フェニックス然り尾崎豊然り、若くして星になるのも案外悪くないかもしれないね 

晩年を汚す某アイドル人生より、ずっといい 

 

▲1 ▼9 

 

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彫刻家のミケランジェロが 

「わたしを天才という人はわたしが一体どれだけの 

努力をいままで費やしてきたかということを知ってから言ってほしい」 

みたいなことを言ってたなあ 

 

▲1 ▼0 

 

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フジファブリックは野球ファンには思い入れのある曲が多いので寂しい話ですね。 

 

▲15 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

富士吉田市の街並みの写真がドラマ「ホットスポット」の舞台のようで 

なんか感動しましたw 

 

▲65 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

休止しても私には永遠のバンドです。 

 

毎年クリスマスが、そして花火の季節が来るからです。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事みていいバンドだったんだなと改めて思います。ありがとう。 

 

▲16 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

すてきな記事をありがとうございます 

 

▲153 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

伝説のボーカル、志村正彦。 

素晴らしい楽曲をありがとう。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

天才がめちゃくちゃ努力したっていう方が正しくない?銀河なんか常人じゃ思いつかないもん 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

弁護士ドットコムでもちゃんと取材していい記事書けるのを見で素直に感動しました…… 

 

▲32 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

とても良いインタビューを読んだ。取材した記者さんありがとう。 

 

▲53 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この手の旧メンバー的な話では珍しく良い内容でした。 

 

▲45 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

色んな背景の方々が、弁護士になると、色んな方々が助かると思います。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

何か涙出てきた。 

 

▲71 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

良い記事を読ませてもらいました。ありがとうございます。 

 

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毎年甲子園中継が終わった後に「若者のすべて」を聴きます。 

 

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まったくしらなかったから、わざわざトップにとりあげされるのはフジテレビの関連なのかと思い記事を見た。まああまり興味は湧きませんでした。 

 

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