( 259433 ) 2025/02/03 05:30:55 2 00 国鉄特急の象徴 長~く伸びた“デカッ鼻”は何のため? 新幹線や私鉄で真似た例も乗りものニュース 2/2(日) 15:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a4bfa9e7115e438a01c5f86827e8ac06b4c21912 |
( 259436 ) 2025/02/03 05:30:55 0 00 ボンネット型の国鉄特急形。写真はイメージ(画像:PIXTA)
特急形車両の中には、前頭部に貫通路がない車両がそれなりにあります。デザイン上と機能上、双方の理由があるものの、運転台を高い位置に置き、前頭部を前に伸ばしたスタイルを「ボンネット型」と呼びます。「ボンネット」とは自動車のエンジン部分の覆いを指す単語です。
そもそも鉄道が始まって以来、蒸気機関車が客車を牽引するスタイルが長く続きました。しかし1930年代になると、航空機や自動車の発達に対抗して、鉄道も蒸気機関ではない動力を搭載して、高速運転を行うという機運が高まります。
例えば、1932(昭和7)年にドイツで製造された電気式気動車「STV877」は、最高速度160km/hの高速性能であり、前頭部は流線形でした。ただ、この時点で前面窓は通常の位置にあり、“鼻”は突き出ていませんでした。
スイス国鉄は1935(昭和10)年、RCe2/4というボンネット型電車を開発します。これは「赤い矢」という愛称が付けられた高速性能を誇る電車で、最高速度125km/hを発揮することが可能でした。この電車も前頭部が“鼻”のように突き出ていましたが、その部分は電気機器の収納部として使われていました。
1952(昭和27)年に製造されたイタリアのETR300電車「セッテベロ」は、運転台を非常に高い位置に置き、前頭部を客室として前面展望を可能としたものです。厳密にはボンネット型ではないのですが、高速運転では運転台を高い位置に、という意味で、電車特急に強い影響を与えます。前面展望スタイルは、日本でも名古屋鉄道「パノラマカー」、小田急電鉄「ロマンスカー」に採用されました。
京都鉄道博物館で展示されている国鉄特急形489系電車(安藤昌季撮影)
日本でボンネット型前頭部を初めて採用したのは、1958(昭和33)年に登場した最初の国鉄形特急電車151系(登場時は20系)です。151系は、前年に登場した小田急電鉄3000形「SE」の軽量化・高速電車をさらに一歩進めて、高速運転時に見晴らしが利く高運転台と、客室から騒音源となる電動発電機を遠ざけ静粛性を高めるという目的で、ボンネット型デザインとしていました。
運転席を高い位置に置いたことは、運転士にも大変好評でした。そのため、翌1959(昭和34)年に登場した157系電車も、少しでも高い位置に運転席を置くということで、床面を50cm高くした高運転台となり、後期型の153系、キハ58系といった急行形車両の運転席も高い位置に置かれるようになっています。
ボンネット型は国鉄特急形の象徴となり、気動車でもキハ81形で導入されましたが、分割併合できた方が運用しやすい気動車では普及せず、続くキハ82形では貫通型とされました。なお、私鉄特急でも1960(昭和35)年に登場した東武鉄道の1720系電車では、ボンネット型前頭部を採用しています。
近鉄も1958(昭和33)年、高速運転に備えて床を客室より60cm上げた初代「ビスタカー」10000系電車を製造しますが、こちらは“鼻”があまり出ていなかったのでボンネットとは認識されず、ファンからは「ブルドック」などと呼ばれていました。
初代新幹線の0系電車(安藤昌季撮影)
国鉄特急形のボンネット型は、1962(昭和37)年の161系電車、1964(昭和39)年の181・481系電車にも踏襲されます。そして世界初の高速専用鉄道である東海道新幹線の0系電車も、ボンネット型の前頭部を採用した代表例といえるでしょう。0系では前頭部に連結器や列車無線、電話装置などが設置されており、機器冷却用の空調も収納されていました。
最後の国鉄特急形のボンネット型は、1971(昭和46)年製造の485系電車でした。翌1972(昭和47)年に登場した200番台より、電動発電機の小型化もあり貫通型前頭部となり、突き出た“鼻”はなくなったのです。この変更で定員は8名増えました。
ただしそれ以降も、新幹線は高運転台で“鼻”が突き出たスタイルを踏襲しています。新幹線は逆にボンネット型しかない状況で、空気抵抗を緩和するなどの理由から、今でも長く突き出た“鼻”のデザインは変わっていません。
一方で、1988(昭和63)年に登場したJR東日本651系電車や、1990(平成2)年に登場した東武鉄道100系電車「スペーシア」など、高運転台で“鼻”が突き出たスタイルの特急形はたびたび登場しているものの、これらはボンネット型と呼ばれないようです。
一般的には1958~1971年の、わずか13年間に製造された国鉄特急形前頭部がボンネット型と認知されていますが、短い製造期間にも関わらず、それだけ強烈な印象を与えるデザインだったということでしょう。果たして今後、ボンネット型と呼ばれる特急形車両は登場するのでしょうか。
安藤昌季(乗りものライター)
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( 259437 ) 2025/02/03 05:30:55 0 00 =+=+=+=+=
489金沢の車両運転してました(白山カラーですね) ボンネットは停止位置合わせが難しくて、停目看板に鼻ではなく、ボンネット中程の持ち手に合わせるよう指導されてました 理由はわからないけど、見易い目安でドア位置が丁度になったのかな 運転台の真下にMGとコンプがあるので、元ダメが減ってコンプが五月蠅いので、無理にガチャガチャ直通扱わず、最小限にするようにした記憶があります 189、183、485などの高運転台は気持ちが良いけどボンネットは格別でした ハンドル重いし、ブレーキ応答性悪いし、すきま風凄いしで環境は悪いんだけれどね
▲340 ▼12
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国鉄型のボンネット特急や機器室のある気動車特急は前面から客室までの距離が長いことがステイタスの一つだったように思う。しかし国鉄でも1970年代に入ると定員を増やしたほうが良いとの考えからボンネットが廃され、JR化した現在も前面窓が傾斜した程度の車両が主流になった。JR東日本でも編成両数の少ない列車は貫通型を採用するけど、それ以外は651系から657系の系譜を継いだボンネットではないがちゃんとノーズのあるスタイルで行くと思われる。現在では切妻貫通型ばかりなので、このショートノーズでも立派に見えるところはさすがである。
▲157 ▼14
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ボンネット型で一番美しいのは181系だと思っています。485系と似ていますが見た目が若干違うのはフロントの赤ひげが横一文字のラインであること、運転席上のヘッドライトが無いこと、そして全高が若干低く断面積が小さいので全体的にスマートに見えること。 雪景色の上越線を駆け抜ける特急『とき』はカッコよかった。
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昭和42年に登場した581 月光形は連結を考慮して貫通型になりましたが機械室の小型化がまだできず運転室後部に通路と機械室を設けましたね。初期の山陽・九州用に使われてましたが、のちに増備された東北専用は小型化して床下に設ける事ができるようになり客室(寝台)を広げることができました。端境期でした。
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50年ほど前になりますが関西線四日市駅近に住んでいた自分は午前は天王寺行き、夕方は名古屋行きのキハ81系ボンネット型特急「くろしお」を踏切間近のかぶりつきで毎日のように見ていました。遮断機が下り列車が近づいてくるといつもドキドキして通り過ぎて行くのを見上げていました。今の南紀の短編成と違い6両?ほどの長編成が威風堂々とし物凄くかっこよかったのを覚えています。この81系が今しかみられない、どれほど貴重な車両であり光景であるかは幼心にも何となく感じるものがありました。
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この世の夢を実現した様な近鉄特急も素晴らしいのですがやはり東海道 新幹線開通以前の旧国鉄特急車輛やいわゆるブルートレインとかは ロマンがあると思います。 151-181-481系が直流で交流との互換性を持たせるために483-485系が 出来たあたりは何となくわかったのですが、これらの機体と似た ボンネットを持たない183系直流特急形電車の立ち位置がよくわからない です。 この辺りからEF型電気機関車とのつながりがでてくるっぽいのでやっぱり 旧国鉄ってロマンですよね! 大昔に仕事の出張で職場から直で寝台特急に乗った事がありましたが こういう仕組みやったんやーとか感動する事ばかりでした。
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ボンネットの中にあったのは電動発電機(MG)だけでなくコンプレッサー(CP)もですね。 騒音源という意味ではコンプレッサーのほうがうるさいです。
ボンネットに格納したのは、騒音源を遠ざける意味に加えて、床下装架できる大きさではなかったという理由もあり、クハネ581では機器室格納だったのが、クハネ583では小型化できたために機器室を廃止して床下装架になっています。 寝台電車にも関わらず床下装架したために、クハネ581よりクハネ583のほうが寝にくかったようです。
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ボンネット型の現役は、もう 見る事はできません。 ひたちやときやはくたかの電車タイプのボンネット型は、鉄道ファンの憧れでした。 その中でも、くろしおのボンネット特急は古びたボディーで、丸みがあるブルドッグの愛称を持つ、ディーゼル車は、最高に感動したのを覚えています。 ボンネット型は、いいなあと思います。
▲130 ▼18
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小学生の頃、ゴーゴートーダイヤ改正があって、鹿児島本線の急行「ぎんなん」が特急「有明」に格上げされて、博多熊本間にボンネットが走り回っていた。ぎんなんの停車駅に有明が停まるようになって特急が身近に。その一方でノンストップ有明も開設されて高速バスと対抗していた。 あと、西鹿児島行きを主に「ビデオカー」も出た。ルパン三世や寅さんをやっていた。車内放送の時はセリフがカットされていた。 ゴーゴート改正前は西鹿児島行きの3往復で食堂車をやっていたが、揺れが激しくてコーヒーや味噌汁がよくこぼれていたとか。豚骨肉の汁物の名物メニューがあった。 あの頃家族旅行で何回もボンネット有明に乗っていたが、リクライニングしない座席の小さなテーブルに駅弁や冷凍みかんを載せて味わう旅は格別だった。末期は真っ赤になってレッドトレインになったな。最後に乗ったのは台風の時の臨時で、1993年だった。
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ボンネット先端の「特急シンボル」「赤ひげ」「赤ひげなし」「赤ライン」そして側面のJNRのロゴ。今までにないデザインを施して、本当の意味で「特別急行列車」でしたね。この車両を見て、運転士に憧れたひとりでした。
▲74 ▼6
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1958(昭和33)年当時の国鉄の“特別急行”といえば、今日のJR各社の“特急”とは比べ物にならないくらい格式が高く、1等車を連結しない“格下”の 2、3等電車特急「こだま」といえども、特別急行としての客室内の静粛性確保は今とは比べ物にならないくらいシビアに求められた筈です。 その工夫の結果が、機能美ともいうべき「ボンネット型」なのでしょう。
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30年以上前に夏休みで東京の親戚のところからの帰りに新潟からたまたま乗ったのがこのボンネット型の白鳥でそれが唯一の乗車だった。 でもそれまでよく乗ってた485系のいなほのイメージからしたら古臭くてなんか臭い内装だったから興醒めしたのはあったかな。それでもそれから10年以上現役だったわけだし機会があればもう一度くらい乗りたかった。
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151系由来のボンネット型先頭車。 クハ151、161はヘッドライトがあったけど181系改造と同時に撤去されてしまった。「あさま」用にクハ180という番号が与えられEF63と連結された。クハ481は使用線区によってスカートの色が異なった。クロ481は当初東北線のみに配置されたが、「みどり」の佐世保進出の為に南福岡に移った。「白山」用クハ489は500番台となり協調運転が図られた。 ボンネットにはMGとCPが置かれていた。 クハ180と181から合計2両クハ481500番台に改造され、重心が低く「シャコタン」等と呼ばれた。 「にちりん」の運用によく入っていたが「交直切り替えスイッチ」が省略されていた。当時下関に行く電車があったのだが、何の間違いかこの車両が運用に入ってしまい関門トンネルを通ることができなくなってしまい、後日スイッチが急遽取り付けられることになった。
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エル特急時代に鉄道少年だった自分は、485系300番代や183系1000番代の非貫通タイプが近代的で格好良く見えたけれど、今見るとボンネット形も品があって良いですね
▲5 ▼2
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北陸新幹線の開通よりだいぶ前、 直江津から東京へ帰る「はくたか」をホームで待ってたら、 その日たまたま代走で489系ボンネットが来てビックリ!! 嬉しかったなあ。160km/h出せないから、 当然、越後湯沢には遅れて着いたけど、上越新幹線は待っててくれた。
▲14 ▼3
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ボンネット型に限らず、運転席が高い車両を、中央本線での運転歴が短い運転士さんが担当すると、初めの数回は、トンネルに入る度に首がすくむ、らしい。 トンネルの開口断面が小さいため、分かってはいても、ぶつかるのでは、と恐怖を感じる、という笑い話があります。
▲17 ▼1
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ボンネット形のスタイルはやはり直流用の181系がバランスがとれていて最も良かった。交直両用481483485系は車体が高くてバランスが悪いと感じる。MGはSIVに、CPはピストンからロータリーに進化した。軽量小型で騒音も小さい。
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485系(交直流)特急電車と181系(直流)特急電車では、車体に12cmくらいの高低差があり、485系の方が少し高い車体でした。そしてボンネットの形状、デザインのバランスでは、485系より181系の方が、個人的にはシマッテ見えました。特急「とき」に、最後まで使用された181系ですが、ゴーサントウ(1978年10月)から上越新幹線開業(1982年11月)までは、食堂車を外して、グリーン車に新製のサロ181-1100番台を充当、実はこのサロ181-1100番台は、新幹線開業後の配置換えで485系に改造することを見越して、車体基本設計は485系で製造されました。そのため、181系の編成は最後の4年間は、グリーン車だけ車体が高い凸凹編成でした。
▲10 ▼4
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気動車のボンネット車両はヤッターマンに出てくるヤッターワンに似ているけど、鉄道ファンからつけられたあだ名がブルドッグだったらしいね。電化前の羽越線で特急いなほで走っていたのを雑誌で見た事があるね、因みに今いなほで走っている車両もボンネット車両だよね(E653系)。
▲36 ▼20
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ボンネットという言葉の意味を考えた時に、上部が開かない651とかスペーシアは違うと分かりますね。 新幹線でも0系200系以外は蓋もないんじゃ? ボンネットでは無くなっても特急車は鼻の長い設計が多くやはりカッコいいですね。
▲9 ▼9
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昔、普通列車や急行列車に乗って遠くへ行く時に途中駅でボンネット型という特急列車に追い越されると、別の世界の列車の様に感じたものです。今は、長距離の普通列車や急行列車があると別の世界に感じるだろうな。ら
▲2 ▼2
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亡父が遡上するオス鮭の曲がった鼻に似ていると思っていたのでしょうね。ボンネットは「鼻曲がり」と言ってましたね。上野駅でボンネット485系のひたち号が入線してくると「今日は鼻曲がりか。」とか言ってましたね。40年以上前の佳き想い出です️
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子供の頃ボンネット型あずさが好きだったようで、親が新型あずさで予約をとったときに 困らせた話を聞いたことを思い出した。 かっこよく見えたのだろうな。。
▲7 ▼1
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高校生の時に部活の遠征でサンダーバードに乗ったのですが、やって来た電車がボンネット型で古いのが来た、、、最悪だと思っていましたが、大人になってボンネットの良さに気付きました。
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最近の新幹線の車両がカモノハシ化してるのは、トンネル内での高速すれ違い時の風圧軽減の為なのだとか… SLの煤を味わった経験の世代からすると、隔世の感がします。
▲45 ▼13
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新幹線の鼻が長いのは空気抵抗というよりトンネル入り口の衝撃波防止のためだから、トンネルだらけの日本独自のデザインだよ。外国の新幹線はもっと高速なものでもこんな形にはならない。
▲18 ▼1
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やっぱり慣れ親しんだ元祖151系からのボンネットデザインが一番カッコいい。 カラーを含めて、当時既に完成されたデザインだったんだと思う。
▲40 ▼7
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国鉄特急電車のボンネット型先頭車のボンネット内に入っていたのは、電動発電機と空気圧縮機の2つだよ。 ただし、ボンネット最終型のクハ481-100は、電動発電機が床下装備になったので、ボンネット内は空気圧縮機のみ。 だから、200番代から電動発電機が床下装備になったというのは、間違っている。 まあ、「くるまのニュース」と同じメディア・ヴァーグが配信する「のりものニュース」の記事だから、その程度の事も知らないのはわかるけどね。
▲2 ▼0
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その当時で冷房や食堂車等の設備を賄える発電機が床下に収まらなかったからだね。ブレーキや扉の開閉で使うコンプレッサーもうるさいのでそこにまとめようという感じで。
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小学校にあがる前、埼玉県の親戚の家に 住んでいたことがありました( というかあずけられていた、と後々に母親からきかされた )。 そこのうちは、高崎線沿線にあり「 あさま 」や「 とき 」がひっきりなしにはしってました。
▲30 ▼4
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489系ボンネットの流し撮り写真、格好良いですね。 国鉄型特急の流し撮り写真を見ると、幼い頃に買って貰った南正時先生が撮影なさった特急電車の本を思い出します。
▲6 ▼3
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初期のやまびこは仙台持ちだったので、盛岡にもボンネット485系は来てたようだが、はつかりと共通と青森持ちになったらやまびこからボンネット485が消えた。盛岡からは早々とボンネット485は消えた。
▲7 ▼1
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東武の100系DRCもこの類ですよね。 機器の軽量コンパクト化も相まってボンネット化の必要性が無くなったのもあるのでしょう。
▲3 ▼0
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181(183)系とか485系は同じ形式でもボンネット型と高運転台、さらに485にいたっては先頭展望車とかいろんなタイプがありましたね。
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みどり、白鳥に乗った記憶がなんとなく残っています。 あのときはかっこよく感じなかったけど、今見るとなんか味があっていいな~って思いました。
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いまどき現世が時代背景が感覚的が浸透したからわからなくなった感覚だけで 電車の時代の以前からな鉄道な疾いのが蒸気機関車だの前頭位置部分がまだまだ主役があたりまえではなかなか運転士が乗る前に失く自分自身が衝突で死ぬ身分だと逝った時代背景では無論暫し自然にこうなるしか 一番前に乗るが死ぬが真っ先に有るからだ
▲2 ▼9
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高運転台は高速で走るので視認性や踏切事故対策や空力など色んな意味があったと思う。
▲9 ▼0
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後期ボンネットのクハ481-100番台はCPしか入ってない 初期型はMGが大きすぎて収まらなかった為の苦肉の策でもあった
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国鉄時代は良い顔を持った特急が走っていましたね。不気味な顔したセレブ相手の特急の色彩はセンスの良く無い人が考えたのでしょうね。
▲3 ▼3
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E653系も、それほど長くないけど先頭部はボンネット構造になっていて、 ボンネットの中は衝撃吸収材が入っているらしい。
▲12 ▼2
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ベテラン運転士「鼻が、長い。」 国鉄整備員「そんなの飾りです。偉い人にはわからんのですよ。 ベテラン運転士「はっきり言う。気に入らんな。」
こんなやりとりがあったと思います。
▲3 ▼0
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子どものころ「つばめ」や「あさま」でボンネット型に乗りました。大好きでした。183系などのゲンコツ型がホームに来るとがっかりしたものです。
▲8 ▼10
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485系は、片方の先頭車がボンネット型、反対の先頭車は切妻形なんていう編成もありましたね。
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どうも国鉄のボンネット特急は、肌色のようなクリーム色のボンネットが、おっさんの禿げ頭にしか見えなくて、一度も格好良いと思ったことがない
▲2 ▼3
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クラスメイトの女子達が修学旅行でボンネット型と呼ばれた電車特急「ひたち」をカバみたいと言っていたのを思い出したね
▲22 ▼7
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大昔、家の近所、特急雷鳥、白鳥として走ってたなぁ。今は、サンダーバードに道を譲っていますが。62歳おっさんより
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ボンネットと呼ぶかどうかの協会は自動車のようにボンネット部分が開くかどうかって所かな?
▲1 ▼7
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逆に新幹線で「ボンネット型」ではない「切妻型」の車両があったら面白い。トンネルドンがどれだけ酷くなるのか!
▲2 ▼4
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人身事故時に運転士が巻き込まれないよう高い運転台は有効
▲12 ▼3
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トラックやバスもボンネット型があった。
電車のボンネット型のクーラーはキノコ型(下が短い台形)が特徴。
▲7 ▼0
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一度だけ某駅に停車中にボンネットを開けていたのをみたことがある。クハ481だったかな。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
ボンネット型って画像以外に上越線で走ってたトキ型?もあったよね?
▲4 ▼0
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空力と、 それから車内電源のための発電器ですね、AC100Vの給電ですから…
▲8 ▼14
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>長く伸びた鼻
昔はボンネット型のバスもあったよ。若い人は知らないだろうけど。
▲11 ▼1
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やっぱわかりやすかったこの時代の車両が一番今はかっこよすぎてなんなのかわからん
▲25 ▼15
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「特急くろしお」は、違うタイプのボンネット型だった。
▲15 ▼1
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国鉄特急色は今でも時代遅れではない
▲33 ▼7
=+=+=+=+=
その代わり運転席はうるさくて激狭です
▲16 ▼1
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もう一度上野駅で見てみたいな 無理だけど
▲15 ▼5
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1971年のは489系ではないか?
▲1 ▼0
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ゼロ系は昔から まんじゅう頬張った イメージでした。
▲10 ▼6
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ヤッターワンにしか見えん
▲3 ▼0
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おっきな鼻に見えたなあ
▲3 ▼2
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