( 260398 ) 2025/02/05 03:33:12 2 00 日本遺産「古代日本の『西の都』」が初の取り消し 小樽と入れ替え朝日新聞 2/4(火) 17:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/d2e9831a772cbd58309ff745b0e949660a79aa27 |
( 260401 ) 2025/02/05 03:33:12 0 00 「古代日本の『西の都』」の構成文化財の一つ、大宰府政庁跡=2019年4月1日午後5時33分、福岡県太宰府市、朝日新聞社ヘリから、堀英治撮影
文化庁が認定する「日本遺産」について、同庁は4日、「古代日本の『西の都』」(福岡県)を一覧から外し、「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽」(北海道)を新たに認定したと発表した。2015年の制度開始以来、認定遺産が除外されるのは初めて。
日本遺産は、地域ならではの歴史や文化財を織り込んだ「ストーリー」を評価・認定し、観光の活性化などを目指す制度。100件程度を上限に、20年までに104件を選んだが、地域によって温度差があることから、取り組みが不十分な認定地域と、認定を目指す候補地域を入れ替える「点数評価」が今年度から始まった。
今回は、21年度に条件付き認定となった4件と新規1件の計5件を、観光事業化や普及啓発など七つの指標による42点満点で評価した。
「古代日本の『西の都』」は、古代の大宰府政庁跡を中心に大陸との交流の場を伝える遺産。構成文化財の一つ、太宰府天満宮への訪問者は多いが、「来場者が日本遺産のストーリーをどこまで認識・体感しているか不明瞭」「他の資産に誘導できていない」「住民からの認知度が低い」などと指摘され、5件の中で最低評価の31点だった。
今後は候補地域となり、文化財の修繕や人材育成などで日本遺産としての国の補助がもらえなくなるが、26年度以降に再び点数評価を受けることができ、高評価なら再認定される。
新たに日本遺産となった「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽」は、一度は衰退したが「民の力」でよみがえった商都というストーリーで、40点の高評価だった。
他の3件は、「六根清浄と六感治癒の地」(鳥取県)が40点、「『信長公のおもてなし』が息づく戦国城下町・岐阜」(岐阜県)が39点、「津和野今昔」(島根県)が37点。いずれも21年度には取り組みが不十分とされたが、今回は「他の地域のモデルになる」と高く評価され、日本遺産の「特別重点支援地域」「重点支援地域」「認定地域」「条件付き認定地域」の四つの分類のうち、上から2番目の「重点支援地域」となった。(田島知樹)
朝日新聞社
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( 260402 ) 2025/02/05 03:33:12 0 00 =+=+=+=+=
「世界遺産」との違いは主に2つ挙げられます。
一つは目的。世界遺産は「保存」、日本遺産は「活用」が目的。 もう一つは、認定対象。世界遺産は「不動産」、日本遺産は「ストーリー」が対象。つまりは、ストーリーとして文化と結びついている事が認定の条件になります。加えて、ストーリーの中には「国指定の文化財を必ず1つは入れなければならない」という条件もある。
「日本遺産」は選定が文化審議会ではなく、有識者会議に委ねられるので、「指定」ではなく「認定」です。認定登録されると助成が得られるので、取組を促進する自治体もありますが、認知度が低いので取組に地域で温度差があります。
▲3556 ▼318
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太宰府は歴史が深く、菅原道真でも有名なところ。平安時代では、外国から日本を守る拠点となった歴史ある場所。日本遺産から外れることとなったことは残念だが、日本の歴史に名を残す太宰府は貴重な日本遺産と言える。太宰府を日本遺産から外すことは理解に苦しむが、太宰府という日本の歴史を広めることは大切なことだと思う。
▲19 ▼4
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前から行きたかった太宰府政庁跡に去年の夏に行きました。 興味のない方からすれば、太宰府天満宮と違って、政庁跡は一見ただの野原かもしれませんが、歴史、特に古代史好きにはたまらない場所です。 近くには、「令和」と年号になるきっかけとなった万葉集の歌が詠まれた場所や古いお寺、それに大野城もあったり、、、 有名なところを回るのも良いですが、たまには古代のロマンを感じてみるのも良いかもしれません。
▲1830 ▼105
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太宰府市民です。 政庁跡は市民の憩いの場であり、歴史を感じる素晴らしい場所です。 太宰府市に引越す前から知っていて、何度もわざわざ足を運んだ思い出の地でもあります。 日本遺産からは除外されましたが是非皆さん桜の季節に散策してみて下さい。 一年中手入れが行き届いて美しいのですが、桜の花びらが舞い散る春は格別ですよ。
▲1583 ▼67
=+=+=+=+=
行った事はないけど、写真を見る限り、散策にはちょうどいい感じの雰囲気があるように見えますね。 地域の人が憩いの場として親しみがあれば、それで良いと思いますけどね。 思い出の地になりそうな感じがします。 大人になり仕事中心になればなるほど、子供の頃からの慣れ親しんだ場所って個人的な思い出の地になりやすいし。 あまり日本遺産とか、そういうのは気にする必要はないかと。
▲154 ▼17
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昨年11月に小樽に行ってきました! あいにくの雨でしたが行きたい所は人でいっぱい。 集客があるのは地域のみなさんの努力だと思います。
福岡は数年おきに訪れてます。観光地が多くてまだ回れてません。楽しくて美味しくて大好きです!山笠!お祭りもすごく見応えがあります。
どちらも大好きな町です。
▲48 ▼12
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日本遺産の趣旨は知りませんがどこかを認定から外して新規を選ぶということは枠が決められいるのでしょうか?北海道の小樽は歴史は浅いと思いますが運河とか坂道に明治期のしっかりした建物があったりして良い街並みと個人的には好きです。 日本は歴史のある街や史跡を選定する傾向が強いかなと思いますが小樽のような日本の近代の創生期の街を選定するのは大切かと思います。
▲297 ▼187
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昨年12月中旬に太宰府天満宮を初めて訪れました。平日にも拘らず、凄い人でしたし、中国、韓国の団体客で活気がありました。 私は、井上靖著「天平の甍」に感動していたので、太宰府市内にある観世音寺も行きました。鑑真ゆかりの古いお寺で、玄昉僧のお墓もあります。 ウォーキング中の太宰府マダムが一緒に道案内をして下さいました。 また、大河ドラマ光る君へでも、太宰府は出てきたので、太宰府政庁跡も歩きました。 何も無いと言えばそれまで、平安時代の太宰府が蘇るようでした。 太宰府は、駅舎も観光バスも魅力的です。 博多には栄西や空海が中国から帰国して真っ先に関係した古い立派なお寺もあります。 私は、ただの埼玉県民でしかありませんが、日本の遺産だと思います。
▲448 ▼25
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補助金を出すならこれくらいの競争はあっても良いんじゃないかなと思います。認定から外れたからと言って大宰府政庁跡の歴史的価値が否定された訳ではなく自治体はじめ補助金を受け取る側の怠慢なり努力不足という受け止めが必要だと思います。日本では補助金が役立つ側面もある一方で役割を終えたものを止めようとすると既に利権化していてヒステリックな反発にあって中々止められないという事案が多いように思います。この事例のようにシステマティックに数値評価で入れ替えが起こって無尽蔵に予算が増えないという仕組みは他の補助金制度にも広く応用して欲しいなと思います。
▲59 ▼10
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選定基準は色々あるんだろうけど、有名な所ではなく、地方の盛り上がりに繋がる所が選ばれるといいですね。。観光が多い所は有料でも人はくる。それなりにお金は落ちる。歴史を残したいのならアピール下手でも地方の無名施設を応援してほしいですね。
▲269 ▼56
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日本遺産は、東京オリンピック(2回目)の開催に合わせた「史跡の観光拠点化」が目的でした。当初から、「史跡との棲み分けが不明瞭」と言われましたが、史跡は、歴史的な価値に重点を置いています。本件では、大宰府政庁跡や水城がそれに当たりますが、これらは、そもそも史跡(特別史跡)であり、歴史的な価値を否定されたわけではありません(むしろ、特別史跡は「不動産の国宝」ですから、歴史的価値は非常に高いです)。世界遺産にしても日本遺産にしても、認定の基準が曖昧です(特に世界遺産は、西洋の価値観が重要視される傾向にあります)。世界遺産・日本遺産にとらわれることなく、歴史的な価値の重要性をこれらの地で感じてほしいと思います。
▲62 ▼7
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正直日本遺産って規格をこの記事で初めて知りました。認知度がさほど高くない段階で積極的に活用しろっていうのは地域に負担がかかるのでは……? 日本遺産を知らなくても多くの人が太宰府天満宮は知ってるでしょうし、取り消しになったところで観光的にもさほど影響がなさそう。
とはいえ小樽は商店街が小樽アニメパーティーを主催するなどオタク系のイベントなどにも積極的だったり、ふるさと納税の返礼品の中にもそうした商品が指定されたりと、官民一体となって地域振興にめちゃくちゃ力を入れている印象なので、小樽と入れ替えってのを聞くと納得感がありますね。
▲13 ▼14
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日本遺産に認定されようが、認定を取り消されようが、太宰府政庁跡の歴史的な価値は全く変わらない。 変わるのは観光資源としての経済的価値が変わるのでしょうが、文化庁はそんな余計な事をしなくて良いのでこの貴重な歴史的文化財を保護することに努めて欲しいものです。
取り消した理由の一つに住民への認知度が低いと有りましたが、そんな事より『日本遺産』というこの制度の認知度はどうなんですか?私は『日本遺産』というのを初めて知りましたがね。 『日本遺産』というこの制度の社会的な意義は高く無いと評価されて、この制度の税金の使い道としての認定を取り消した方がいいんじゃないですか。
▲242 ▼35
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日本遺産「古代日本の『西の都』」については、2015年に認定されていますが、「〜東アジアとの交流拠点〜」という広範なサブタイトルが併記されているにもかかわらず、2020年までは太宰府市内の施設のみで登録されています。そのような初期申請で登録を認めた文化庁こそが、指摘した諸問題の根源であるように思えてなりません。 さらにその認定に先立ち、2005年に九州国立博物館が太宰府(それも天満宮の隣接地)に開館しています。その基本理念は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」とされ、今回取り消された日本遺産とまさに方向性を一にしています。ですから、その世間への浸透が少ないとか、周囲との連携が乏しいとかいった評価は、そのまま九州国立博物館への評価とも言えましょう。もちろん、文化庁の所管する国立博物館の話なのですから、文化庁自身にも無関係な話ではない、という点はきちんと認識して頂きたく思います。
▲62 ▼33
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遺産として残そうとする歴史もあれば、時と共に廃れていく歴史もある。 それぞれの価値は歴史と共に歩んだ地域住民の意思によって変わるものだと思う。 日本遺産が取り消されても地域住民にとって価値があれば良いではないか。 管理ができずに廃れて朽ちて忘れられていくのも歴史である。
▲114 ▼22
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見れば「古代日本の『西の都』」の取り消しもやや分かるところで、当該認定遺産は太宰府と周辺自治体の広大なエリアに分散している。また太宰府以外は観光という規模で無いものが多い。現在の産業とも連携がなく、西の都というストーリーの組み立ても、自治体ごとの力の入れ方の差も、やや散漫な印象を受けた。 逆に、近世・近代が多く採用されている点は、現在の産業に繋がっていて地元産業界のバックアップが強かったり、文化財の現存性や密集度で、物語の訴求力があるからだろう。
太宰府は文化財の希少性という面でも、観光地としての成功でも、飛び抜けている。しかし、これは世界遺産や重要文化財のような、文化財自体の希少価値を評価したものではないようで、スケートでいえばスプリントとフィギュアスケートくらい違う印象。 現在から遡る日本の軌跡を描き出すには、もう少しコンパクトにまとめる方が、訴求力が高くなるタイプの認証制度だろう。
▲14 ▼23
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現在、政庁跡には何もない野原が広がっていますが、確かにそこには交流や歴史の後があったと思いを馳せることができる場所でもあります。高校生の頃、一帯を回りましたが「屋根のない博物館への散策」と思いました。削除されるのは残念です。 ストーリーがない、住民からの認知度がない、ではなく、何もないが理由の根幹か。
日本三代怨霊にも数えられる天神様(道真公)から飛び梅よろしく、どこかに飛ばされたり、雷が落ちないことを願います。
▲3 ▼0
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古代史好きなので、「何でや!?」と思いましたが、仕組としては納得。 銀行の融資打切りみたいなものですね。補助金も無限にあるわけではないから、活用が見られないのにお金を出し続けることはできないという切実な判断なのですね。
ただ、こういう展開になるのなら「日本遺産」というコピーライトはやめたほうが良い気がします。 あるいは、認定と補助金支給は分けて管理し、補助金を停止することはあっても、認定自体の取消しはしないようにするのが良いと思います。
▲8 ▼2
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寧ろ外してもらって良かったのでは無いかしら。 日本語より外国語が飛び交う様な観光地より、目を瞑れば想像を掻き立てる様な政庁跡の方が素晴らしいと思います。 地元の人がくつろげ場所がちょうど良い。 コロナ前しか行った事はありませんが修学旅行生が歩いて居ましたよ。 きっと勉強になったと思います。
▲39 ▼8
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この制度はじめて知ったが面白い気がする。 世界遺産もこんな感じで一定の点数制度にしても良い。そうすれば無理やり世界遺産を探してきてそこまで大したことないものを認定させる必要もなくなる。 こうすることで地元が盛り上げようとなるのか冷めきった対応で良いのか選択できるし、観光公害と向き合う事にも繋がるのでは?と感じた。
▲65 ▼25
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数年前に太宰府天満宮と令和ゆかりの神社にも伺いましたが、言われないと気づかないような場所ですね。近くのファミリーが遊んでいた記憶はあるけれど、目を引くようなものは特に無かったような、、、宣伝が下手なのかもしれないですね。 コレを機に他の日本遺産も活気付いて行くと良いですね
▲8 ▼12
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何でもランキングにしますね。滋賀県にある国宝寺院がお金が無くて所蔵の経典を二億円で売ってるのに。アピールにもお金はかかる。日本の歴史を日本人に知ってもらうには良いとは思うがお金がある街と無い街とでは差が出来ると思う。 観光客に来てもらいお金を落としてもらうとか言うが町に溶け込んだ文化遺産が多く京都等オーバーツーリズムを毎日のようにニュースで見ている地元民は正直来てほしくないと思う。毎日道路は混み、外国人が庭に入り、ポイ捨てが増え、LOOPが走り回る様になるくらいならむしろ文化遺産を壊したいと感じるないか?
▲146 ▼84
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記事を読むよりコメントされてる方々の解説でなるほど納得しました。確かに活用されているかという点ではあまりそうでもない気もしますし、認知度に関してもそこはあまり認知されてないように思います。 そしてこの記事で西の都が日本遺産だった事をこの記事で今日知った福岡県民もいると思います。
▲115 ▼4
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日本遺産に登録されようがされまいが、太宰府の存在価値は変わらないと思います。また、取り消されたからといっても何も変わらないと思います。ただコロナ禍になる前あたりから、あの一帯はどこにでも外国からの観光客がめちゃくちゃ増えていて、以前のような落ち着いた雰囲気はあまり感じられなくなりましたね。
▲19 ▼1
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太宰府の政庁跡は、東北の多賀城の様に復元しないのかな?復元する建物の計画が無ければ、単なる礎石では魅力が無いので、マニアしか行かない。
大阪城も1度だけ行ったが、隣の難波京には行ったことはない。平城京も朱雀門とか大極殿等が復元される前は行きたいと思ったことはないが、復元した今となっては行ってみたいが行く予定はない。そんなところである。上空からは理解できるが、現場に行っただけでは俯瞰出来ないので、どのような配置か理解しにくい。
▲14 ▼32
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世界遺産に登録されると有名になって荒らされるので行動規制が厳しくなったり、管理の質が上がる半面、維持費が増し、入場料が上がり、もうテレビでいいやってなります。入場料がない世界遺産でも維持管理費は税金から出るので、もう世界遺産はおなかいっぱいだから打ち止めでもいいかなって思います。
▲1 ▼1
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福岡県民と他県民の観光における認識の違いはなんなんだろうか 福岡県民の間では福岡は観光する場所がないが合言葉になってるくらいまであるのに 県内全て回ればまあ幾つかあると言えなくないのかもしれないけど、同じ県と思えないくらい移動の便が悪くて距離があるからそこまでする価値を感じないし
▲1 ▼0
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日本遺産はかなり無理のある制度。労が多い割には制度の知名度が低く誘客に結びつかない。しかもストーリーに無理のあるところも多く全体の価値を引き下げている。 インバウンドを呼び込もうと観光行政の下請けとなった文化庁の迷走を象徴する制度であり税金の無駄遣いそのもの。早急に廃止か抜本的見直しが必要。
▲8 ▼3
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文化庁のHPを見ると、日本遺産活性化推進事業として年間約7億円の予算が組まれている。 100件で等分したとして、単純に考えれば年700万円か。 もちろん無いよりは良いが、大した活性化はできないだろうね。
▲274 ▼45
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まぁ、わかる。
ただ大河ドラマで刀伊の入寇やった直後にこれは痛いだろうなぁ。
太宰府天満宮含めた全体の防衛とか、統治とかをあれほど、大河ドラマでは説明してくれてたのに。
それをなぜ大石静さん(大河ドラマ「光る君へ」脚本家)らにはできて、地元の自治体にはできてなかったんだろうか。
ただアピールすればよいという日本遺産の認定基準は、本当にそれで良いのだろうか?という疑問は残る。
アピール有り無しに関わらず残すべき遺産にたいしてアドバイスや補助すべきなのでは?
専門家との橋渡しをするとかさ
▲2 ▼0
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日本遺産は従来の文化財保護法による指定・登録ではなく、法的根拠のない認定事業だが、入れ替えが行われることは地方の文化行政にとっても緊張感を与え、刺激になり良いことだ…
▲314 ▼101
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15年くらい前に福岡に転勤で住んで思いましたが、大宰府より秋月や海の中道とかの方が魅力的でした。或いは製鉄の街北九とかの方が日本遺産に相応しいかと。 いまは岐阜市民ですが、西の都とは比べ物にならないくらい、市民は皆伝統や特産を愛していると感じます。
▲2 ▼23
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小樽の歴史って明治以降だし、その時代以降に復活した町なんて世界中探したら他にもあるんじゃないかな? 北海道に関しては札幌開拓使の方が日本の歴史的には重要。 札幌市内に残っている遺産は少ないけど、小樽よりは多いと感じます。 ほんと小樽は好きです。でも今は普通の観光地で歴史的な物は運河沿いの商業施設になった倉庫群しか思い当たりません。世界遺産と言うにはかなり無理が。。。
▲8 ▼12
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もう、何とか遺産とかはやめたらいいのに、なんの意味があるのか? 勝手にも壊せないし、人気が廃れれば観光的収入能力も低下し、そして、維持する為には高齢化による徴収能力が低下している税金の投入に頼るのみ。 後世に残すとか、本当に残す側の自己満足でしかない。 墓と一緒で残された側のデメリットの方が断然大きい。 世の中の個人単位ではどんどんと墓や葬儀の無意味さを理解し棄てているのにね。 朽ちていき、その跡にまた新しい命が息吹く。
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近くに日本遺産があるが、「なんとか百選」みたいな適当なものと思っていた。 お金が出るのね、そりゃ躍起になる場所はあるわな。
一方で太宰府みたいにある程度集客力があれば、別に維持する必要もないって感じかな。
ただ「ストーリー」だから、お城が残ってない、ランドマークが無い、歴史が浅くても選ばれるのは、自治体や地域にとっては大きい。
近くの日本遺産、きちんと巡ってみるか。
▲8 ▼2
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先月太宰府に行ったけど人が多かったのは太宰府天満宮と九博くらい。 観世音寺と戒壇院は寂しかったなぁ。観世音寺の仏像なんかは興福寺や東寺に並ぶくらい良かったのに。 政庁跡は親子連れで賑わってました。歴史目的の訪問としては「こんな感じなんだぁ」と思いう一方、日常に溶け込んでるのにほのぼのしました。
▲39 ▼3
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サイトでいくつかチェックしてみたが、個々の文化財といった「点」ではなく「面」的な捉え方をしている感じがした 地域史や文化交流への理解が深まる感じがして面白かったし、今まで興味をもっていなかった歴史の流れも理解できた
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数年前に一度だけ行ったことがある。公園としてはとてもいいところだと思うけど、歴史的なストーリー性はよくよく調べないと認識しづらいかもな。遺跡のようで建物の類はなかった気がするし。
▲3 ▼0
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2回目の審査でも目立った活動が無かったので、流石に落とされましたね。 初回の審査では太宰府単体では無理ということで県(5市2町に拡大)預かり継続。 県の担当者は頑張ってあったのですが、市町間の繋がりや意欲を創るのは厳しかったようです。 太宰府だから落とされる訳が無いという方がほとんどでしたけどね。 太宰府市民でも日本遺産を知っているのは1割位だったでしょうか。 まあ、観光に関しては天満宮単体で問題無い(逆にオーバーツーリズム)ので、落とされても大丈夫ということだったと思います。
▲15 ▼1
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大宰府政庁址、行きましたが、奈良と共通するような趣もあり、またちょっと忘れられた感じがなんともいえずよかったです。近くには九州国立博物館や水城もあり、古代の日本に思いをはせるにはなかなかよいところです。 今はナントカ遺産だ、町おこしだ、金もうけだとなってしまって、静謐さが失われすぎだと思います。
▲29 ▼2
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この遺産関連、もっと世間で議論をしていただきたいです。 国内に増え続けている、重要伝統的建造物群保存地域、世界遺産から町内会レベルまで差はありすぎるし、周知も明確ではない。
補助金だけが一人歩きしている。
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この日本遺産も、もう一段エライ世界なんたら遺産なんかも、どんどん増やしていくと大したことない物まで選定することになるし、有難みが薄れれば誘致合戦で有卦に入る選定機関(文化庁やユネスコ等)にとってのっ予算等のうま味も減る。メディアもあまり付き合わなくなるでしょう。まあ、色のついた今時メディア(sns等)はカネもらって取り上げるでしょうが。まあ、その時はその時で新手を考えるんでしょうね。人間社会はそうやって発展してきた。
▲3 ▼1
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日本遺産というのを初めて知った。どうやら保存するという意味ではなく、活用や活動が必要な感じを受けた。例えば祭りや風習が続いてるとか教育や教訓があるとか、町の活性化につながっているとかそういうものか。ただ古墳とかを守ってるようじゃダメなんだな。
▲15 ▼1
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日本遺産 日本の大切な文化等残したいから 国が登録したんじゃねーの? そもそも 結局観光に来て貰えないなら外すって なんだかなぁと思います。本当に日本の歴史で大切な場所だけ 残すとかならいいと思うけど 最近は観光重視 点数方式で繰り上がりとか、くりさがりとか Jリーグじゃあるまいし 日本遺産の本質はどこに行ったのかねって感じるところもある。
▲6 ▼0
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大宰府政庁跡は確かに地味ですが歴史的には重要な遺跡ですよね すぐ近くの観世音寺やその宝蔵は太宰府に行ったら絶対見るべきですけど 太宰府天満宮に行った人に聞いても誰も寄ってないのが本当に不思議
▲4 ▼1
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小樽市はかつて小樽運河をすべて埋め立てて道路にする計画だった。多くの市民による反対運動で道路計画は縮小され、現在の幅の運河が残った。この運動がなかったら小樽運河は消滅して今のように観光客で賑わうこともなかっただろう。ネット右翼がプロ市民だと言って嫌う市民運動が、観光都市小樽を再生した。日本遺産にふさわしい街です。
▲22 ▼9
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個人的には英断だと思う
取り組みに対して不十分とするのであれば、日本遺産として認定を望むなら次回再認定だってありえる。
遺産、遺跡、文化財等、荒れ放題で全然管理されてない物が全国には多数ある。
本当に遺したい物だけ残せばいい
▲19 ▼10
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日本遺産=観光客増ってこともないだろうが、今やほとんどの日本人がオーバーツーリズムにうんざりしてると思う。観光地の経済的にはプラスでしょうけど、そこに住んでる人達によっては公共交通機関の混雑、道路渋滞、ゴミの放置などに頭を悩ませてる人も多い。 場所によっては8割以上外国人なんてざらだし、なかでも中国人グループにはマナーという概念そのものがない。 そんなで旅行に行く回数が減ってきてる。去年、平日限定で京都、東北、上高地など行ったが、外国人多過ぎて楽しくなくなってきた。
▲4 ▼1
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この認定すら初めて知った ただ、点数性はとても良いと思う
さらに金銀銅の3ランクにしてランキング入れ替えにしてはどうだろうか? 競争意識を持つし、金にはインバウンドは行ってお金を落とすだろうしより活性化する
▲2 ▼4
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明らかにバランス取りでは無いですか?誰の目に見ても、古代の那津、鴻臚館、太宰府が果たした役割は大きいはず。古代日本における外国は日本海側との交流であって、果たした役割は比類なきはず。古代日本において、蝦夷が果たした役割は何でしょうか?こんな認定の仕方であるならば、存在意義そのものが否定されます。日本古代における、サケマス文化としての蝦夷の役割も勿論大事だとは思いますが、西の都が果たした役割を否定する意義が全く納得のいかないところです。
▲2 ▼2
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「日本遺産」という名前と、どれだけ観光地化しているかが評価される、というのはミスマッチというか何か違和感がある。遺産と言うなら歴史上の価値とかが評価ポイントになるのではないかと。
▲7 ▼2
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申し訳ない。世界遺産はもちろん知っているが、日本遺産というものがあることは初めて知りました。私のみじかの2−3人に聞いたが、やはり知らない。
全般的な「日本遺産」自体の国内海外への知名度、広報などの露出度、集客などにまずは助成金をかけてアップさせ、それから各地域を指定してお金を入れる、としないと、最初から104箇所もばら撒いても砂に水撒くようなものだよ。 世界遺産もあるのだから、日本遺産は10ヶ所くらいでいいんじゃないか?多すぎるとそれだけで価値が下がるよ?
▲1 ▼2
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取り消されて、逆に知名度が上がってほしいところ。大宰府政庁跡の周りには、かつての日本三大戒壇院や異国との戦いに備えた水城、大野城がある。大伴家持、和気清麻呂、菅原道真など、大宰府に縁のある人物は多い。
▲3 ▼1
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世界遺産も始めのうちは観光効果もあっただろうけど、後に認定されたところはあまり観光地として活性化したとは聞きません。 しかし、本来世界遺産も日本遺産も有名とか人が来るとか、その価値とは関係ないような気がします。
▲14 ▼7
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確かに、太宰府に行っても、せいぜい、そばの国立博物館にいくぐらいかな。でも、少し離れた山の上の竈門神社はアニメの影響か結構賑わってる。巡回バスもあるし、しかけ次第で行く人も増えるのでは。
▲1 ▼2
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取り消されても、文化財としての認定があるとのことなので、気を引き締めさせる為にも取り消しは良いと思う。担当の人達にはショックだろうけど目的が観光なので、努力不足か補助金の使い方が良くなかったのでしょう。
▲3 ▼1
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これまるっきり 省庁の許認可と同じように 日本遺産という制度で 権力を 手にしたんだね。 しかも 補助金付きだと言うから 自治体も無視できない。 こういう 公務員のお遊びというか道楽 というか 別になくてもいい 制度を作って 厳しいという国家財政をどうして厳しくしてくれるんだろう。 ユネスコの世界遺産を真似した といえばそうなんだろうけど 全然 必要ない。
▲4 ▼1
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どんな史跡でも、その時代の日本人が必死に生きた証だから、全てが日本の遺産でしょう。まあ、世界遺産だって、とっくに忘れられたようなものもありますしねえ。 世界に誇る遺産のはずが、「世界からの見学者も観光客も居ない」なんて、笑っちゃうよ。世界の人が、世界的な遺産とも日本で観てみたい遺産とも認めていないのじゃないかね。
▲1 ▼0
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認定取るより継続させる方がよほど難しいと思う。 乱立しちゃってそんなにインパクトある肩書でもなくなってしまったし。 トップダウンで認定取りに動いたところほど、尻すぼみなのではなかろうか。ボトムアップで盛り上がってないと継続しないだろうし、それでもキーパーソンが引退したら続かないなんてのも良くある話で。
▲5 ▼0
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こういう文化的取り組みも全て利権が絡んでいるように思えてきました。どんなに立派で大切な遺産の保護ですらそう思える。個人的には政治不信が末期的です。司法も警察も信用ならない。誰か何とかして欲しい。自分の出来る事など投票に行くくらいしかありません。
▲1 ▼0
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除外されようが、大宰府は今がオススメ! 天満宮改修工事の仮本殿が見れるのは今だけ! 派閥争いに負けて非業の死を迎えたけれども、大宰府の人々から慕われ、祭られている菅公は幸せだなって思う。 派閥争いの勝者の墓とか、今どうなってるとか良くわからんし。そもそも、今も有るのか?情報得るの難しそう。 一方、墓が傷んだら改修工事までしてくれるとか(天満宮自体が菅公の廟)、大宰府にはなくてはならない存在だもんなぁ…。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
正直、日本遺産に選ばれることのメリットが分からない。「映え」を意識したようなサブタイトルを「日本は美しい!素晴らしい!」と誉めそうな人たちは、そういったところに観光にくるようなタイプではない。国内外を問わず観光客が参考にしている様子もない。メリットがあるとするなら「やっている感」を出すくらいしか思い浮かばない。
▲5 ▼7
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一度も都になっていない地を「西の都」としたこと自体が間違いです。 太宰府は左遷の地で菅原道真はこの地に左遷されて憤死し、その後災いが続いたため鎮魂のため神様として祀ったのが太宰府天満宮です。 名称から考え直した方がいいですね。
▲10 ▼7
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来歴も固有性も全く異なるものを一つのエリアとして「ストーリー」としてしまうのは、一歩間違うとこじつけになりませんか。 わかりやすくて都合の良いストーリーなんて,そうそうないでしょう。 絡めとるエリアが広ければ広いほどなおさら難しいのでは。
▲33 ▼9
=+=+=+=+=
小樽はめちゃくちゃこの日本遺産であることを上手に使ってくるだろうな。 小樽ってこういうのが上手な街。 ただ単に、昔の倉庫が残ってるところをお土産屋さんにして観光客を呼んだり、夏場は廃線になった線路に風鈴をぶら下げて観光客呼んだり、冬になればバケツで氷を作ってそこにロウソク入れて、何万人と観光客を呼ぶような街。 観光資源が無くとも人は呼べるということを示してくれる。 そんな街が『日本遺産』という武器をほっとくわけがない。
▲0 ▼3
=+=+=+=+=
太宰府政庁跡は個人的にはロマン感じる好きな場所てすが、往時を知り想像し偲ぶための仕掛けがかなり不足しているようには感じましたね。その歴史的価値からすると実に勿体ないですので、拡充を望みます。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
仕組みの仔細については知らぬが、タイトルが不適切であるように思う。「取り消し」とすると何か不正があったように思われるが、実際は点数制で「入れ替え」とすべきであろう。外された方の印象も幾分救われる。
▲2 ▼1
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「点数評価」が今年度から始まった。
日本の歴史的価値の遺構や遺産を点数で、評価は出来ないと思います。 というか日本はいつから教育然り、「点数」に縛ら、誰がどのように評価するのか透明性もない社会になってしまったのか。
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驚いた。 歴史マニアからすれば太宰府の認定取り消しは有り得ないね。
観世音寺なんかも、日本に三つしかない天下三戒壇(新たな僧侶候補生を、正式に僧侶と認めることのできる施設。どんな田舎の僧侶だろうと、ここか奈良か栃木の三箇所いずれかの許しがなければ免許を得られなかった)の一つでしょ?
航空写真で見れば凄さがよく分かる、古代の巨大城壁『水城跡』も一緒に除外されるんですっけ? 本当に信じられない。
これを外して何が日本遺産なんだろう。 逆にこの事業そのものの存在意義が疑われるんじゃないか?
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73歳です。 自分が小学生の頃は遠足でよく行きました。その頃は、『都府楼跡』と呼び、近くの駅も『とふろうまえ』でした。半世紀ぶりに訪ねてみましたが、懐かしさもあり、感動しました。 いいところですよ。
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またいつもの国の勝手なやり方ですね。大宰府に対して正しく説明し了解を得たのでしょうか?当の本人に対して何の説明もせず、勝手に外したのではないのか?日本遺産の数が100件「程度」となっているのなら、わざわざ外す必要はなかったのではないでしょうか。小樽も好きですが、大宰府に比べると歴史には大分差があるように思います。
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福岡住んでるけど同感 ある場所は知ってるけど周りに観光用設備何もないし博物館等歴史が学べるものがあるわけでもない。記事通りそれらはすべて太宰府天満宮付近に集約されていてこの「西の都」なる部分に県や市が力を入れてるとは思えない
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太宰府政庁を守った水城跡もすごい遺跡なのに、大野城市のアピールが下手すぎる。太宰府市と連携してもっと魅力を伝える工夫をすべき。 あの時代に人力だけで巨大な防護壁を作った先人の知恵をもっと世に知らせて欲しい
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福岡は佐賀と違い観光スポットが多いので、日本遺産取り消しは残念ですがまた復活してくれるでしょう。
「古代日本の『西の都』」が日本遺産から外されたのは意外でした。太宰府天満宮は全国的に知名度が高く、多くの観光客が訪れる場所ですが、日本遺産としてのストーリーが十分に伝わっていなかったという評価は考えさせられます。ただ観光地として人が集まるだけでは不十分で、文化や歴史をいかに体験・理解させるかが問われる時代なのかもしれません。
今回の評価方法が「点数制」になったことで、今後も定期的な見直しが行われるのは良いことだと思います。逆に言えば、今回除外されても、26年度以降に再認定のチャンスがあるわけです。
福岡は歴史的にも魅力が多い地域なので、ぜひ巻き返しに期待したいです。まあ、日本遺産がなくても観光客は来るので、隣の県みたいに必死になる必要はないですけどね。
▲49 ▼136
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古い太宰府はヤマトメインの歴史のストーリーにはどうしても当てはまらないからでしょう。 太宰府は日本の素である倭国の都です 日本と倭国が統一された後の769年にヤマトから派遣された役人はヤマトに 「この府、人、物いんぱんにて天下一の都会なり」 と報告しています 日本と倭国が統一されてもなお日本の素であった倭国の都太宰府は貨幣も流通している先進の都会でした。 ヤマトの主流はまだ物物交換です。 どうしても邪馬台国も日本の素も関西に持って行きたいのでしょう。 太宰府がうまいことそのストーリーに乗ってくれないから外したのでしょう。 太宰府は関西のヤマトが作ったとどうしてもしたいのでしょう。 しかし太宰府は倭国の都 倭国は日本の素です 倭国勢力が作った神籠石もヤマトの歴史にはありません 関西に日本の素を持って行きたい一派にとってはなんとも歯痒い事実です 邪馬台国も天孫族、天皇の故郷も全部博多湾沿岸です
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太宰府天満宮しか来ない問題を本当に払拭するくらい思い切ったことしないと、一般人はこういう評価をする。 古代史で言えば太宰府政庁、坂本八幡宮、竈門神社、二日市温泉、水城、大野城、鴻臚館、宇美八幡宮にも流れを作りたいところ。
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どこもかしこも日本遺産。 何だと思って見たら104件。 馬鹿らしい。 世界遺産の日本版として、もっと希少価値がないとダメ。入れ替えよりどんどん減らして本当に良いものだけを認定して欲しい。 観光客がどれくらい伸びたのか、今はスマホデータで分かるのでそれで判断したって良い。
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西の都は単純に太宰府天満宮からは遠く交通の利便性も悪いように思いました、観光バスで太宰府天満宮の近隣の駐車場からわざわざ出して行く場所でもなく素通りしていました、令和に元号が変わり一時期ニュースで取り上げていたが大して認知度は低かった様に思えます
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これ、都府楼跡だよね 昔まだ鍛錬遠足という名の山登りが小学校であった時に、ここで出発前に整列してたんだよなぁ 懐かしいな 大人になってからも思い出浸りたくて何回か来たよ 何があるかって言われると歴史苦手だからよく知らないんだけど、なんだか惹かれる場所なんだよね ちょっと寂しいニュースだなぁ……
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太宰府天満宮なんて日本遺産になろうがなるまいが人が集まりまくるでしょ。 すなわち、そこには古代から今現在に至るまでの人々のストーリーが生まれ続けているということ。 むしろ、日本遺産、みたいなネーム自体が心外なんですよ、過去のものじゃないから。
まあ、海外の方が減るのは地域の安定に繋がるから、個人的には大賛成です。 補助金とかなくてもガンガン金落ちるし。
個人的にはそういうの無しに、柳川、八女をくっつけて観光資源にしてもいいわけで。
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太宰府政庁、坂本八幡宮、水城、観世音寺、竈門神社が楽に周遊できる手段を開発して欲しい。太宰府政庁は奈良の平城宮のように復元されれば最高。
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「モンドセレクション」がビジネス色が強いように こうした 「遺跡の権威付け」はしばしば
観光地化のための強い臭みを感じる。
「日本遺産」にこれまで選ばれた地域は本当にそれだけの価値があったのか? 「ストーリ」に価値を感じるかどうか、なら、 実際の歴史的価値とはややちがうものであっても問題がない、ということだ。
なぜなら「ストーリ」は「物語」。 「物語」は、フィクションで構成されるもの、あるいは フィクションを存分に含んだ真実だ。
遺産認定をされてしまえば、やれやれこれで…と肩の荷おろしてしまう。 その遺産で食える素地をつくった、と。 その遺産をより深く発掘して、 より深い発見をしようという意識がなくなったように見えたから取り消した、 ということだろう。
遺跡が出ると商売が進まなくなるから「埋めてしまえ」という不動産屋と 方向は真逆だが、精神は同じ。 認定する側はどうなのだろう?
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放りっぱなしではなく継続的な努力を促すのは賛成だが、評価基準が不透明で、要するに審査員の好みとプレゼンで決まる印象。 それにしては、自治体への影響が大きい。 評価しました、というアリバイ作りだけで、役人がちゃんと考えて制度をデザインしているのか疑問。
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恥ずかしながら、西の都って初めて聞きました。 ドラゴンボールみたいな町の名前かってのが思ったことですね。 確かに広まってはなかったけど、地元の方にとっては日本遺産の名前以上の価値はあると思いますよ。 それで代わりに選ばれた小樽もほぼ外国人の街になってるって聞いたことがあるので、結局はこの名前もお金がモノを言うぞってことなんじゃないかと思います。
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新宿歌舞伎町を候補にすることができないのかと思いました。なぜなら、戦後の焼け野原から戦後の復興期から現代までのエンターテイメントの中心地としての歴史があります。 そして、ホストクラブは多くのお金が飛び地域の経済に活性化をもたらしています。 そして、ホストと女の子の関係もストーリーとして文化と結びついている条件に当てはまります。 歌舞伎町には多くの劇場やネオンサインなどがありますが、これらの文化財がどれだけ「ストーリー」としてまとめられるかがポイントになる。 歌舞伎町はホストやキャバレー、劇場などエンターテインメントとして、中心であり、文化の発展が見てとれる。 一方で治安の問題もあるので、治安を改善する目的が認められれば日本遺産登録を目指すことができるのではないかと思います。
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太宰府の政庁跡なんて絶対に重要な日本遺産だろ。 他の日本遺産には正直太宰府よりはるかにどうでもいいやつが沢山あるやん。 問題は、福岡県だ。除外した文化庁もどうかと思うが、太宰府政庁なんて普通にしてれば除外されるようなもんじゃない。福岡県の管理運営があまりにずさんだと言うことだ。ずさんというより無関心というべきか 福岡県は発展著しく調子良いんだからしっかりやれ。
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太宰府政庁跡は、福岡最大のパワースポットだと思ってる。まああんまり人気無いけどね。風水のお手本の様な地で、清々しい空気が感じられます。ゴロンと寝転んでパワーチャージ。まあ行けば良さがわかるよ。
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太宰府についてはももクロのライブがあったおかげで太宰府の歴史を知ったな 継続して欲しかったが、反対活動した連中がいたりして揉めてたよな…
インバウンド中心で利益は出てるだろうけど もう一度、太宰府でインバウンドから九州を守ってほしいよ
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こういうのは大事だね。 認定されてホッとして、その後は放置ではね。長く遺構の保存、活用をして後世に残すことに意味がある。 入れ替えがあればやる気につながる。
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太宰府政庁跡、大野城跡、水城はセットであり、場合によっては博多市街、筥崎宮、高良山までも含めて西の都なのではないか。都府楼跡だけをみて判断すべきではなかったのでは?
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